ZOIDS ~Inside Story~   作:砂鴉

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さて、ついに第三章の最終局面突入です。


第72話:大鴉、落ちる

 極寒のニクスの空を、ホエールキングは悠々と泳いだ。嘗ては惑星Ziの海を自由に泳ぎ回った最大級のゾイドは、今大海という名の大空を泳いでいた。その体内に、いくつもの悪意を乗せて。

 

 

 

 

 

 

「――がはっ……ごほっ、げほっ……あー、くそ。好き勝手してくれやがる」

 

 激しくせき込み、肺に溜まった焦げ臭い空気を吐き出し、ローレンジは毒づいた。吐き出した空気は呼吸に従ってローレンジの鼻から吸い込まれ、鼻孔の奥に焦げ臭さを漂わせる。

 腕を動かそうと脳から信号を送るが、腕は『ガシャ』という重い鉄のこすれる音と共に戒められ、自由に動いてはくれない。手首だけでなく、足首にも枷が嵌められていた。視界の先には重苦しい鉄格子。

 ローレンジの居る場所はホエールキング内の牢獄だ。

 

「ようやく目が覚めた。大丈夫かい?」

 

 淡々とその心配する言葉を溢すのは、同じ牢屋に押し込められたジョイスだ。尤も、ジョイスの方は枷を嵌められていることはなく、汚く冷たい鉄の地面に腰を下ろしている。

 

「……なんでジョイスは放置で、俺はこんな厳重に拘束されてんのかね」

「さぁ、君の方が危険度が高いからじゃないか。あのふざけた士官が言ってたよ」

「……あのヤロウ」

 

 ローレンジの脳裏に、二人が捕まった時にハイデル・ボーガンを諌めた飄々とした士官の顔が浮かんだ。海面のように波打った黒髪に、赤いサングラスを着用したすかした表情の士官だ。上司(ハイデル)の前だと言うのに、堂々と煙草を蒸かしていた。

 

「そういや、あいつは?」

「あいつ?」

「タリス」

「別の牢じゃないのか? 少なくとも、僕らの近くにはいないよ」

「そっか。ま、無事だといいんだが」

 

 斜に構えたような口ぶりで言うが、ローレンジは心底タリスの現状が気になっていた。

 ユースターを逃がし、こちらに残ったタリスの胸の内を知ることはできない。だが、タリスが危険の付きまとうだろうPK側の懐に飛び込んだのは確かだ。

 ユースターには借りがある。プロイツェンの研究所で囮になってローレンジとフェイトを逃がしてくれたことは、忘れる訳がない。それに、ローレンジ自身もタリスに宣言しているのだ。

 

 『助けてやる』と

 

 自らが囚われの身でありながら、誓ったそれを違えるつもりは毛頭ない。

 念のためと言うべきか、ハイデルから私怨と言う名の拷問を受けた際にしっかり脅してはいたつもりだ。もしも手を出したなら、地獄の鬼の代わりに鉄槌を下してやると。

 どこまで効果があったかは知らないが、少なくともハイデルはその時のローレンジの眼光に怯えを見せていた。多少の効果はあっただろう。

 

「傷」

「あ?」

「傷、まだ痛むかい?」

「……そりゃな。両手両足ぶち抜かれたんだ。あのスカした士官の治療は適切だったが、痛みが消える訳じゃない。ま、このくらい動くには問題ねぇけど」

 

 その証拠に、ローレンジは鎖に巻かれている手首の先を握り、開いた。

 

「師匠にもやらされたんだよ。怪我した状態でも、敵に後れを取るなって。ナイフ握ってとかは結構痛いけどな、動き回るには問題ねぇよ。灼熱の鉄棒踏み続ける痛みに我慢し続けりゃいいだけだ」

「それがどれだけ人間離れなことか。君に修行を科した“師匠”とやらの異常さがよく分かるね」

 

 大きくため息を吐き、ジョイスは牢獄の壁に背を預けながら外の様子を窺った。相変わらず静かなホエールキング内部は、まるで嵐の前の静けさを体現しているかのようだ。

 

「ねぇ」

 

 話すこともなく、しばしぼんやりと獄の外を眺めていた二人だが、唐突にジョイスが口を開く。

 

「訊いてもいいかい?」

「何をだ?」

「君の昔のこと。君の師匠の事とか、君の原点とか」

 

 まるで、ちょっと散歩でも行こうかと言うような気概でジョイスは言う。牢獄内の暮らしが退屈だとか、単に気になったからとか、そういった軽い理由ではないのは確かだが、ローレンジは咄嗟には答えられない。

 内容が内容だから、話すにも長くなる上、重く辛い話だ。

 

「君は、僕が覚えていない過去を知っているんだろう? なら、僕も君のことを知っておきたい」

「……それ、なんか意味あるか?」

「別に、ただの暇つぶしさ」

 

 何でもない風に、ジョイスは言った。ただ、気概と言った物を感じさせない無気力な物言いは、話したところでプラスにもマイナスにもならないとローレンジに思わせる。

 そして、だからこそ、口を開く気になる。

 

「…………暇つぶしになるのかね。…………あれは……かれこれ13年前か。故郷の村が天災みたいなモンで、一瞬にして灰燼に帰しちまってね。俺は、火事場泥棒しにくる連中から追剥やって一日一日を繋いでたんだ。そんな時、師匠が現れた――」

 

 

 

 師匠は当初、ローレンジを親元か親類関係の元に届けるつもりだったらしい。しかし、今にも朽ち果てそうなローレンジを見かねたのか、それとも何か光るものを見出したのか、ローレンジを拾って育てる道を選んだ。

 それから一年、ローレンジは地獄のような日々を過ごした。師匠は非常に厳しい人だ。甘えは一切許さず、ただひたすらにローレンジを強い男に鍛え上げようとしていた。肉体的にも、精神的にも。

 育った西方大陸より東、中央大陸デルポイと呼ばれる地で、ひたすら生きぬく日々だった。時には、大陸中央の真ん中に位置する標高七〇〇〇から九○〇〇メートル級の山々が連なる厳しい山脈地帯でサバイバル生活を送らされることもあった。

 そんな日々を生き続けたある日、ちょうど弟子になってから一年が経過したころだ。師匠が新たな弟子を連れて来た。その一か月後にはさらに二人も。

 正直、なんの意図があったのか、ローレンジは今だ読めていない。その先に会った悲劇を考えれば、余計に分からないままだった。

 連れてこられた最初の一人は、ローレンジともすぐに打ち解けられた。無邪気な子供そのままの性格で、闇を抱えたローレンジに僅かな燈火を見せてくれた。思えば、フェイトを連れて行こうと思ったその理由は、彼との出会いにあったのかもしれない。

 

 その彼は、今となっては、憎むべき怨敵だが。

 

 他の二人は、すぐにでも死んでしまいそうなほど暗い瞳だった。真っ赤に充血した瞳には、しかし光が一切射さない。まるで、真っ暗な部屋に閉じ込められた目の見えない小動物の様だ。その上、名前すらないという体たらく。結局、名前はローレンジがつけた。

 

 彼らは非常に優秀だった。ローレンジは三人より早く師匠の教えを受け、たった一人でその辛い修行の日々を生き抜いていた実績がある。しかし、三人はそのローレンジが先輩として指導した事、そして元々才覚があったのか、メキメキと実力を高めていった。

 特に、ゾイド戦に関してはローレンジは手も足も出ない。先輩としての自信を破壊されたような気分だったことは、今でも覚えている。

 

 だが、それ以上に、彼らと過ごす修行の日々はいつしかローレンジの新たな幸せになっていた。彼ら――コブラスと、ティスと、カイと過ごす日々は、とても眩しく、楽しかった。得たものは、教えられた闇夜を生き抜く術とは真逆の、明るく楽しい未来。彼らとなら、きっと、この先の人生とやらを歩んで行ける。

 当時のローレンジは本気でそれを信じていた。彼らと、仲間と過ごす充実した日々が、いつまでも続くことを……。

 

 

 

 それは、叶わなかった。

 

 修業が終わり、卒業試験として師匠が言い渡したことは、共に育った仲で殺し合うことだった。

 

「肯定したのは、コブラスだ。あいつが最初に手を上げて――そっからは泥沼さ。最初は素手と暗器の応酬、加えてゾイド戦も混ぜての殺し合い」

 

 戦闘の最中、最初に倒れたのはカイだった。ミラージュフォックスはライガーゼロの爪でコックピットを破壊され、敵討ちに我を忘れたティスも、後を追う様に倒れた。そして……、ローレンジはティスにとどめを刺し、その場から逃げ出した。

 二人を殺したコブラスは、もう用はないと去ってしまったので、追われる心配はない。ただ、ローレンジは己がしでかしたことに耐え切れず、友を失ったことに恐怖し、逃げ出したのだ。

 

 

 

「――俺は、あの場から逃げたんだ。それ以来、コブラスとは会わなかった。師匠は、生き残った俺にもう一つ試練を言い渡した。それが……」

 

 ガイロス帝国のギュンター・プロイツェンの暗殺だ。

 

 その過程で起きた事件は、『鮮血の暴風』事件として今に伝わっている。この事件は、ローレンジにとってもう一つの原点だ。兄弟弟子を殺したことがローレンジの精神をズタズタに引き裂き、『鮮血の暴風』事件はローレンジに殺し屋の道を歩ませる「始まり」だった。

 

 

 

 

「重いな」

「だから、訊かなくていいつったんだよ」

「じゃぁ、何で話してくれたんだい?」

「お前が言ったじゃねぇか。訊いておきたいって。それに、お前にはいずれ話そうと思ってたんだ」

「僕が……君に似てるからかい?」

「それは――」

 

 その先を口にしようとした時、鉄格子が乾いた音を鳴らす。見上げると、あの士官が居た。煙草を口に咥え、真っ赤なサングラスをかけた、ひょっとこのようなとぼけた表情を覗かせる男。

 

「ハイデル中佐がお呼びデスよっと。さっさと出て来なさいナ」

 

 男の手で牢の鍵が開け放たれ、ジョイスがおとなしく外に出る。続いて、鉄球に繋がれた脚を引き摺ってローレンジも牢の外に出た。

 

「なぁ、せめてこれぐらい外せよ」

 

 諦観の面持ちでローレンジは言った。案の定、士官は煙草の煙を明後日に向けて吐き出し首を横に振る。

 

「アンタは何しでかすか分からないから怖くて嫌だそうデ。中佐も臆病モンですよネェ」

 

 士官は煙草を咥え、二人を先導して歩き出す。二人の背後にはPKの兵士が銃を構えて立っており、早く進めと暗に示している。

 重い足を引き摺って、ローレンジは歩みを進めた。

 

 

 

***

 

 

 

 ローレンジ達が連れてこられたのは、ホエールキング内の日広間だった。中央に椅子が置かれ、それを見下ろすように高台にハイデル・ボーガンが立っている。ローレンジの記憶では、数時間前に電撃棒(スタンロッド)で散々責苦を与えられた相手だ。情報を引き出すこともなく、ただ恨みを晴らすためだけに与えられる責苦に、いい加減顔も見たくないほどうんざりしていた。

 

「またか? あんたも飽きないな」

 

 ハイデルの神経を逆なでするように、あえて挑発的な声音でローレンジは言った。だが、対峙するハイデルは愉悦の表情を浮かべ、笑っているだけで取り合おうとはしなかった。

 なにか策でもあるのか。そんな予感を覚えたローレンジに応えるように、ハイデルは口を開いた。

 

「キサマは、覚えているかね? 『鮮血の暴風』事件を」

 

 隣のジョイスが僅かに表情を引き締めたのが見えた。ローレンジ自身、反応せざるを得ない。『暴風』の名を冠するその事件は、忘れよう筈がなかった。

 

「ガイロス帝国の次期皇帝が暗殺された事件だ。皇帝暗殺と言うだけでも末恐ろしいのに、これでは済んでいない。あの事件では、当時皇帝官邸に勤めていた一〇〇人に上る兵や使用人が惨殺されているのだ」

 

 ローレンジは、嘲笑が混じったそれを黙したまま耳にする。表情は変わらない。ジョイスがちらりとローレンジに視線を向けたが、それに反応を見せるほど動揺もしない。

 

「しかも、それを成したのはたった一人の少年。およそ人間技ではないな。まったく、恐ろしいものだよ」

 

 わざとらしい身震いを含め、ハイデルはのうのうと言葉を吐き続ける。

 

「…………それで、何が言いたいんだ」

 

 ローレンジが呆れ交じりに口にしたそれを、ハイデルは我慢の限界のように受け取ったのだろうか。愉悦の笑みをさらに深め、より悪魔的な笑みを顔に宿す。

 

「話が早くて助かるな。キサマには、ダークスパイナーの力を見せてやっただろう。あれはな、本来の力ではない、ダークスパイナーの真の力は、敵対したゾイドを意のままに操ることが出来るのだ。――もっとも、これはキサマの仲間の御蔭で発見したのだがな」

「――で?」

「ふふふ……この力、キサマのような人間にも効果を発揮することができると言ったら? キサマら私に逆らう愚か者どもを、私の操り人形にすることが出来ると言ったら? どうする?」

 

 ハイデルは大きく手を広げ、宣言する。その様は、全てを手にした――神の力を手にした思い上がりの人間のようで、滑稽で仕方ない。少なくとも、ローレンジの目にはそう映った。馬鹿馬鹿しくて、ため息も出ない。

 

「……んなもん、あるわけないだろ」

「ふっふっふ、ところがあるんだよ。さぁ! 連れて来い!」

 

 服の裾をマントのようになびかせ、ハイデルは大きく片手を振った。すると、ハイデルが立っていた舞台の脇から一人の小柄な影が姿を現す。

 

 

 

「……女の子? なぁ、ローレンジ? どうした?」

 

 ジョイスは、ローレンジが動揺したのを感じ取る。普段から常に余裕を見せ、隙になるような動揺を一切外に出さなかったローレンジが、動揺を見せた。それだけでも、ジョイスにとっては異例だった。

 

 ローレンジは、呆然と舞台に現れた一人の少女を見つめている。青い髪の、小柄な少女だ。傍らに青いオーガノイドを連れ、少女はゆっくりと二人に歩み寄る。

 

「キサマは知っているだろう? 人の記憶を弄ぶ『青い悪魔』よ」

「……リー、ゼ? お前、確かあの時連れてかれたはず……」

 

 呆然とローレンジが呟く出来事を、ジョイスは知る由もない。少女は――リーゼは、ローレンジが一人で動いていた時に出会ったからだ。そして、見つけ出したものの何者かの手に渡った古代ゾイド人。

 少女が迫る中、ハイデルは得意げに説明を始めた。

 

「そいつが小型の昆虫型ゾイドを操ることは知っているだろう? Kが言うには、そいつが操るそれは、記憶を弄る事が出来るらしい。ダークスパイナーがゾイドを操り、リーゼは人を操る悪魔よ。さぁ、説明は十分だ。キサマ等は、私の忠実な下僕に成ればいい! やれ! リーゼ!」

 

 

 

 少女の歩みは遅い。だが、どこからともなく現れた無数の昆虫型ゾイド――クワガタを模したゾイド『ダブルソーダ』の野生体は続々と数を増やし、少女と青のオーガノイドを守る様に飛び回っている。

 以前、初めて少女と出会った時、ローレンジは昆虫に取りつかれ、とびきりの悪夢を見せられた。

 昆虫ゾイドの喧しい羽音で精神を揺すり、精神に入り込み、そして悪夢を見せる。その後、壊れた精神を操る。それが、少女が行うだろう人を自身の支配下に置くプロセスだろう。

 

 ローレンジは手に枷を嵌められ、脚には鉄球を繋がれた鎖が巻かれている。自由に動くことも、逃げることもできない。加えて辺りにはPKの兵士たち。

 

 

 

 逃げ出す策は、実は用意してあった。すでに準備も進めさせている。ローレンジ自身が言っていた後に巡ってくるチャンスは、すでに見いだせていた。だが、もう少し、時間が足りないのだ。

 

 この場から逃げおおせるには、もう少し……時を稼がないといけない……。

 

 だが、少女は目の前まで近づいていた。すでに周囲は昆虫型ゾイドの羽音で喧しくてならない。耳に触る、感情を乱す羽音が、精神に隙間を作る。少女に付け入れさせる隙間を。

 

 

 

 

 

 

「それ、僕を先にやってくれるかい?」

 

 その言葉が発されたのは、ローレンジの真横だ。

 

「……ジョイス?」

「お前が僕らを傀儡にしようとしているのは分かった。なら、先に僕をやってしまえばいい」

 

 一歩足を踏み出し、虫の大群の中に自ら進み出た。ジョイスの耳元や顔の周囲を虫が行きかい、喧しく騒ぎ立てる。

 

「ほう……キサマが? それで私に何のメリットがあると? 記憶の無いキサマは、こやつ(ローレンジ)のついでだろう?」

「確かに僕は記憶がないね。お前たちやローレンジが言う、()()()()の記憶は。まったくの赤の他人だよ。僕にとっては」

 

 ジョイスがその名を口にすることはもちろん初めてだった。それまでの会話の中で聞くことはあっただろうが、こうして自分からその名前を出すことは一度もなかった。

 

「おい、ジョイス……お前……」

「でも、君たちの話を総合して、それに僕自身それを他人と割り切れないから……やっぱり、レイヴンはもう一人の僕、間違いないのだろうな。昔の僕は相当なゾイド乗りだったらしいじゃないか。僕は一切覚えてないのに、身体が勝手に動くくらいゾイドに慣れている。それが証拠さ。プロトブレイカーとの戦いの場に君が居たのなら、あの時の僕は覚えているんだろう?」

「ふむ……たしかに、あれを無意識でできるというなら、優秀な手駒にはなるか」

 

 ハイデルが邪悪な笑みを浮かべ、ジョイスを見下ろした。意思が伝わり、同時にそれを少女も認知する。ローレンジを捉えていた瞳が、ジョイスへと移り変わった。

 

「まてよ……おい、ジョイス!」

「ローレンジ。君は、僕が君に似ているって、そう言ったよね」

 

 青い甲殻の昆虫の群れに飲まれ、霞んでいくジョイスは、しかし声だけは、はっきりローレンジに届く。

 

「僕も、思ったんだ。君と旅をする中で、ニクスに来て、ディロフォースに乗る中で。僕は、君に似ているんじゃない。僕は、君に近づこうとしていたんだ」

 

 ジョイスの首に一匹の昆虫型ゾイドが張り付いた。それに追従するように腕に、脚に、肌の露出している個所に昆虫型ゾイドが張り付いて行く。

 

「コブラスの前で本気で怒りを見せた君も、フェイトや僕の前で疲れたみたいにため息を吐く君も、僕には変わらず君だ。言ったよね? 君は、君の大事なモノを守るために強くなりたいって。僕も、それに含まれているって」

 

 ジョイスの表情が僅かに歪む。昆虫の顎が、ほんの小さな節ばった足が、肌を抑えたからだ。それでも、ジョイスは口を止めない。

 

「僕は、それが嫌だった。君に守られるなんて、僕じゃないんだ。僕は……たぶんフェイトも、君が守ろうとしている皆も、君に守られっぱなしは御免だ。僕は、君の後ろじゃなくて、君の隣に立ちたい。君の…………友として」

「ジョイス……」

「ローレンジ、僕は――――いや……『俺』は!」

 

 

 

 ――お前の『友』に、なれたかな……?

 

 

 

 その言葉は音にならなかった。ジョイスの身体から力が失われる。ただ、音はないまま、口だけが、その言葉を紡いでいた。全てを失くしたジョイスは、打ちひしがれたように、その場に崩れ落ちた。

 その瞳から、全ての光を失って。

 

 

 

「――なぜだ! そやつを()()()どうする!? 私の下僕に加えるのがお前の役目だろうが! くそう、所詮ヒルツの戯言だったか! この役立たずが!」

 

 舞台で喚き散らすハイデルの声など、ローレンジは訊いていなかった。倒れたジョイスと、その傍らに立つ少女のみを見つめている。

 

「……精神を壊しただけさ。これからお前が何をしようと、彼が意識することは無いよ」

 

 少女は、かすれるような声で呟く。その意味、その言葉の裏の意味を読み取ったローレンジは、小さく告げた。感謝を。そして、

 

「……もっかい頼むわ、スペキュラー」

「キュゥ」

 

 スペキュラーが小さく唸り、素早くローレンジの枷に牙を立てた。足の鎖を断ち切り、腕の拘束を解き放つ。自由になり、動かすたびに激痛を訴える手足を無理やり鎮め、我慢し、ローレンジは舞台を見据えた。

 倒れたジョイスがスペキュラーに庇われるのを横目に小さく呟く。

 

「ばーか。お前は、会った時から俺の『悪友』だろうが」

 

 突然の出来事に困惑するハイデルを見据え、緩めることの無い憎悪を叩きつける。

 

「なっ……!?」

「さてと……もういいだろ。テメェごときが、『鮮血の暴風(ブラッディ・ストーム)』を語るなよ。この臆病者が」

 

 スペキュラーが口内から一本のナイフを見せた。ローレンジはそれを手に取り、弄ぶようにくるくると回し、次いでハイデルに向けて突き出す。

 

「見せてやるよ。本物の『暴風(ストーム)』をな」

 

 血を求める吸血鬼の如き表情で、ローレンジは舌なめずりをした。

 

 そして、心の底で呟く。

 

 

 「機は熟した。惨劇を、始めよう」と。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 僕はこの感覚を知っている。

 あれは……そう、一年前だ。破滅の光を放つのは、僕が駆るゾイド(ジェノザウラー)。それを切り裂き、少しずつ僕に迫る絶望は、輝く刃を携えた獅子のゾイド(ブレードライガー)

 

 ああ、全部思い出した。僕が閉じ込め続けていた全てを。僕はあの日以来、ずっと眠っていたんだ。そして、さらに深い、深淵の眠りにこれから落ちる。もう、目覚めることはないのだろう。例え目覚めることが出来たとして、この出来事を覚えていられるだろうか。

 

 

 

 僕の中に光が射した、この一年と少しの時間を。

 

 

 

 忘れるだろうな。僕は、思い出すことはない。

 ローレンジ、フェイト、ザルカ。あいつらと一緒に過ごした日々は、もう、泡沫に消え去る。

 ああ、そう言えば、あいつらと過ごしたおかげで、少し分かった気がするな。あいつの重さが。傍に居てくれる奴の、重さが。なぁ、シャドー。

 ローレンジも、こうして気付いたんだろうか。だから、守ろうとしたのか? ようやく分かった気がするよ。

 

 さて、心残りは――ないな。どうせ、目覚めたところで、僕に居場所はない。あいつらの元以外……もう、どこにもないんだ。

 さよならだ。ローレンジ、シャドー。僕に大切なことを教えてくれた……友…………。

 

 

 

 

 

 

 いや、一つだけ、心残りがあるとすれば……、

 

 

 

 

 

 

「お前ともう一度、……今の俺で、戦いたかったな。――バン……」

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 ローレンジが閉じ込められていた牢獄とはまた別の牢。タリス・オファーランドはそこに居た。閉じ込められてからずっと、例の煙草士官以外誰一人としてやってくることの無いその場に、タリスは一人だった。

 脱出のチャンスはある。チェピンの要塞から移動するとき、見覚えのあるヘルキャットが外に居たのをタリスは視認している。カバヤのヘルキャットだ。兄を託し、ローレンジの仲間に伝えに行った彼は、助けを引き連れ戻ってきた。

 助けは叶わなかったが、その動きは確認できた。いずれ、彼らも追いついてくれる。

 

 ――何か、今の私にできることは……。

 

 牢に閉じ込められたタリスにできることはない。ただ静かに時が過ぎるのを待つしかないのだ。だから、出来るのは、彼女を掬い上げてくれた彼の、無事を信じること、だけ。

 

 ――ローレンジ、大丈夫……?

 

 掌と脚を撃ち抜かれた青年とは、あの後から顔を会わせていない。ハイデルから相当の怒りを買っていた彼が、無事である保証はどこにもなかった。

 今できることは祈る事だけだった。ローレンジが無事に今も生きていること祈るしか……。

 

 タリスには、少しの疑問があった。ほんの数日前までは、兄を助けることで頭がいっぱいだった。他に考えることなど一切なかった。兄と共にPKを抜けることが、タリスの全てだった。

 だが、今は違う。タリスの頭には、あの日ぶつかり合った青年のことしかなかった。自らに手を差し伸べてきた青年。海の上ではてんで役立たずな青年。一賞金稼ぎでありながら、鉄竜騎兵団のリーダーと親しく、陰を持つ青年……。

 そんな彼の、無事を祈るだけで過ぎていく時間。……うんざりだ。

 

「私は、いつまでも力無く嘆いてる自分(ひと)じゃない!」

 

 その過去は、彼と出会った時に捨てた。自分にとって大切と思った存在は、絶対に守り抜く、誰かの手を借りてでも、強欲に求め、守る。それが、彼と出会い、僅かな時間関わった末にタリスが覚えたことだ。

 硬く、冷たい鉄格子をタリスは掴んだ。牢獄の中にロクなものはない。だが、それでもどこかに突破口があるはずだ。絶対に抜け出して見せる。そして、今度は自分が彼を助ける!

 

 

 

 タリスが動き出したその時だ。

 

 牢獄の壁が、凄まじい爆音と共に崩れ落ちた。

 

「――っ!?」

 

 反射的にタリスは顔を庇う。交差した腕で煙を防ぎ、退ける。煙が治まったころを見計らい、タリスはゆっくりと交差した腕を開いた。腕と腕の隙間から、二人の人物が見えた。

 一人は、ひょうきんな顔立ちに赤いサングラスをかけた、あの煙草士官だ。そしてもう一人は、逆立った金髪にやる気のなさそうな垂れた目を持つ青年。タリスの姿を捉えた金髪の青年は、ギョロリと瞳を動かし、目を見開いて言葉を発する

 

「なぁあんた、四肢爆発四散がいい? それとも爆弾飲み込んで内側からドッカーン?」

 

 

 

「……………………はい?」

 

 タリスは、自分で自覚するほど目を丸くした。

 突然牢獄の壁を爆薬で破壊し、その上初対面の相手に対し『爆発死』の希望を訊いてくる。頭のネジがすっぽ抜けたのか。本気で、彼の意図が読めない。

 

「オイオイ、開口一番にそれはダメって言ってるでショウヨ」

「なんだよー、みんなドカーンが好きに決まってるじゃーん。どこがおかしーんだよー」

「いっつも教えてるでショウ? もちっと常識をみにつけなサイ」

「あーもーうるさいなー。爆発、花火、きれーじゃないかー」

 

 とぼけた士官が諌めに入るが、青年はマイペースに爆発美を語り出す始末。一体どういう訳でこの状況になったか、タリスには皆目見当がつかない。

 

「あ、あの……あなたたちは?」

「オヤ? 彼から訊いてないのデ? そいつはいけないネェ。ちゃんとオイラたちのことを伝えてくれないと、間違いがあったらどうしてくれるのか。だらしない人ですネェ、ローレンジさん」

「そんなのどーでもいーじゃん。それよりさー、あとどこ爆発していーのさー?」

「質問に答えてください!」

 

 マイペースで互いの話を続ける二人に、タリスは若干音量を上げて再度問いただす。すると、状況が状況だからと――いまさらだが――士官が咥えていた煙草を指に挟んで口から離した。「ふー」と大きく煙を吐きだし、徐に口を開く。

 

 

 

「失敬。オイラはコンチョ・キャンサ。こっちは相棒のズィーガー・シャン。で、オイラたちのことですがね、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の破壊工作員で潜入任務やってたんデスヨ」

 

 真っ赤なサングラスの奥を怪しく輝かせ、コンチョはにやりと笑みを深めた。

 




タイトルがネタバレになっていた気がしないでもない。
そして、ジョイス=レイヴンをかなり弄りました。まぁ、ほとんど記憶の無い状態なため、本人であり別人である、的な解釈でお願いします。

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