ニクス大陸西端に突き出した半島、アウドムラ半島。細い首のような地形が半島とニクス本土を繋ぎ、その根元には小さな湾岸が広がっていた。自然が作り出す天然の湾は、大陸西側からの嵐を遮り、港を建設するには絶好と言える場所であった。だが、広大なニクス大陸。その主要都市は大陸東側のアース平野、そして首都ヴァルハラに集結しており、アウドムラ半島の付け根に広がるミッド平野周辺は放置されていた。
他大陸との関係を断ち、独自の文化を築いてきたニクスの民にとって、エウロペ大陸への玄関口になりうるニクス西部はそれほど重要な位置ではないのだ。その御蔭か、ニクス西部はニクスの民にとっても馴染みの薄い土地だ。多くの野生ゾイドが生息するニフル湿原が今日まで原始の環境を保ってこられたのも、人の手が一切入り込まなかったためである。
そんなニクス西端、アウドムラ半島の根元に位置する湾岸の一つ、ユミールと呼ばれる地に、テントが張られていた。テントは破れ、当て布をしてかろうじて使える状態を維持しているが、それもいつまで保つかは分からない。
ゾイドは迷彩柄の布で覆い隠し、出来る限りの隠密性を確保している。布の下に見え隠れするゾイドの装甲は相応に痛み、傷が目立つ。すぐにでも万全な設備での整備が所望されるが、彼らの状況ではそれも叶わない。
「……クソッタレ! やっぱ通じねぇ!」
テントの中で一人の男が乱暴に通信機の受話器を叩きつけた。ガイロス帝国の軍服を着た、三十代後半と思しき男だ。普段は言動が軽く、陽気で気さくなことが強みだった彼も、流石にこの状況では愚痴の一つも吐きたくなるものだった。
「ギュデム。あんまり乱暴に扱ってくれるな。頼みの綱が壊れては士気に関わる」
「けどよぉ……! いや、わりぃガーデッシュ。ちーと気が立ってた」
「気にするな。この状況で、誰もが平静を保てるわけではない」
通信機を叩きつけた男を宥めた初老と思しき年代の男――ガーデッシュ・クレイドはキセルを机の端で軽く叩いた。残っていた燃えカスがパラパラと地面に落ちていく。ガーデッシュは、それを名残惜しく思う。これで、節約しつづけた嗜好品が底を突いたのだ。
ガーデッシュ率いるガイロス帝国特務部隊は、ニクス北部のブラックラストにてPKの部隊に奇襲を受け、敗走を余儀なくされていた。ガイロス帝国本軍との連絡を取るためのディメトロドンを奪われ、随伴していたゲーターも全機撃破されてしまい、未開の地で先の見えぬ敗走を続けていたのだ。
希望の光がかけらほども差し込まぬ中、一人、また一人と倒れ、逃亡の末にPKに殺され、絶望的な空気が漂い続けていた。
だが、それでもガーデッシュを始めとする一部の者たちは諦めていなかった。ガイロス帝国本国に何としても伝えなければならない事柄があるのだ。
特務隊を襲ったPKの持つゾイド――ジェノザウラーの強化形態に加え、未知のゾイドの数々。このままPKがニクスで戦力を増強し、エウロペ本土に凱旋した暁には、戦後処理で軍備が疲弊しつつあるガイロス帝国に勝ち目があるか怪しい。それはへリック共和国と連携をとっても同様であった。
状況が絶望的なのは変わりない。連絡手段である電子戦ゾイドは全て失い、本国に帰還するための空、海を進めるゾイドもいない。上陸の際に使ったホエールキングも、迎えに来た際に撃墜されたのだろう。まさに孤立無援だ。
ガーデッシュの元に一人の男が現れた。調査に出していた斥候だ。
「報告します」
「うむ、申せ」
「はっ、PKの前線基地を発見いたしました。場所は、ニフル湿原西側。連中はチェピンと呼んでおります」
「よし、よくやった。しばし休め」
「はっ、ありがたきお言葉!」
報告に来た斥候を下がらせ、ガーデッシュは素早く地図を広げた。先ほど報告されたチェピンの位置を地図上に書き込む。特務隊が潜むユミールからは、東へ川を二つ越えた先。所有するゾイドの速力と残された物資から逆算すると、二日三日で到達できる。
「ガーデッシュ……やるんだな……!」
「ああ、せめて、一矢報いねばな。ギュデム、全員に通達だ。各自、いつでも出られるよう準備を怠らぬように」
「よっしゃ、任せろ! 連中に一泡吹かせてやろうぜ!」
勇んでテントを飛びだすギュデム。ひらりと舞ったテントの裾の先から勇ましいギュデムの伝令がここまで届く。
それを耳から頭の芯まで届け、ガーデッシュは黙考した。
これから行う作戦は生還の望みが薄い作戦だ。連絡手段はなく、戦力も少ない。だが、確実に伝えねばならない情報を持っている。
やることは簡単だ。少ない戦力でチェピンに奇襲を仕掛け、本国に打電を入れる。PKの実情と、危険性を本国に伝えることが出来れば、軍部は確実に動く。調査目的ではなく、殲滅のための大部隊を派遣できる。その先兵となれば、満足だ。
ガーデッシュは自らもテントの外に出た。そして、隠すのも苦労する巨大な愛機を見上げた。アイアンコング
この作戦が、愛機と共に望む最後となろう。
奇襲戦を想定している関係上、巨体を誇るアイアンコングは相性が悪い。故に、ガーデッシュの役割は囮だ。巨体と、特務隊で最大の火力を誇る機体で持って多くの敵を引き付ける。その隙に、ギュデムが統率する特務隊のメンバーがチェピンに潜入するのだ。その戦力はギュデムのブラックライモスを始めとし、残されているのはイグアンとモルガが二機ずつ。基地一つに奇襲をかけるには、不安が残る戦力だ。
つまり作戦の成功には、ガーデッシュとアイアンコングがいかに敵を引き付けるかに関わっている。
決意を固めさせるべく、一つ部下たちを鼓舞せねばならんか。
そんな決戦へ向ける感情を胸に抱き、ガーデッシュは部下たちの元へ足を向けた。
その時だった。
「でっ、伝令っ!」
もう一人の斥候が泡を食って戻ってきた。ここまで走って来たのか足はふらつき、今にも倒れそうだった。すぐにガーデッシュが駆け寄り支える。
「どうした! 何があった!」
「て、敵襲です! 敵は例の恐竜型二機に、正体不明の昆虫型ゾイド多数! それに、レッドホーンの改造機と思しき機体が一機」
「なんと……」
「おそらく、一時間後に恐竜型の主砲がこちらを範囲に捉えるでしょう。クレイド大尉!」
悲痛な叫びと共に告げられたそれは、特務隊を絶望に叩き落とすには十分過ぎた。未知の昆虫型ゾイドに加え、恐竜型――デッドボーダー――が二機。それに加えてレッドホーンの改造機。この伝令だけでも大型ゾイドが三機存在することになる。
対する特務隊の残存戦力はアイアンコングとブラックライモスが一機ずつ、残るはモルガとイグアンだけだ。絶望的過ぎる戦力差に、足元が崩れ落ちる錯覚すら覚えた。
――ダメだ!
だが、ガーデッシュは踏みとどまった。ここで部隊長たるガーデッシュが不安を見せては部下に示しがつかない。なにより、隊長の動揺は部隊の崩壊につながりかねないのだから。
部下たちに視線を投げる。皆が、ガーデッシュに視線を集め、その指示を待っていた。何を指示されようと、最後まで成し遂げようと言う不屈の闘志が、その目に燃えていた。
――ふっ、良き部下を持ったものだ。私は。
「やるんだろ? ガーデッシュ」
「……ああ。総員戦闘配置! もはや逃げ先はない! 連中に捕われれば、我らの運命は決まったも同然。ならば、ガイロスの誇りを奴らに見せつけてやるのだ!」
『はっ!!!!』
特務隊最後の戦いが、この時幕を開く。
その瞬間を、ひっそりと窺う者がいた。
光学迷彩に身を包み、平野の開けた大地に透過した二機のゾイドは、特務隊の決意を確認し、ひっそりとその場を走り去った。
***
「よもや、こうして最期を迎えようとはな」
「まだ最後じゃねーだろ? 諦めんなよ、ガーデッシュ隊長?」
「ふん。確かにな」
ガーデッシュが選んだのは待ちだった。平野のど真ん中にアイアンコングMSを仁王立ちさせ、来るであろうデッドボーダーたちに先制の射撃戦をお見舞いする。戦いは平野で行われるもので、隠れる場所はない。立てこもる砦もなかった。
だが、アイアンコングMSと言う絶好の標的はある。
平野の大地には、事前にブラックライモスが掘った穴が幾つかある。そして、そこにはモルガとイグアン、ブラックライモスが潜んでいる。アイアンコングMSで敵の注意を引き付け、背後からブラックライモスたちが飛び出し奇襲をかける。そこにスラスター全開で突っ込むアイアンコングでゲリラ戦を展開するのだ。
敵はデッドボーダーにレッドホーン。改装が加えられていると仮定しても、概ね射撃戦を想定した機体だ。対するこちらは万能機のアイアンコングMSにブラックライモス。そして小型ゾイドとしては強力な格闘戦をこなせるイグアンと突撃戦闘を得意とするモルガ。肉薄しての戦闘ならば、十分に勝機が見いだせる……はずだ。
やがて、アイアンコングMSのカメラにデッドボーダーの禍々しい姿が映った。立ち姿と黒い装甲の所為か、彼の『破滅の魔獣』が想起され、ガーデッシュに震えが走る。恐怖からではなく、武者震いの震えが。
「ガーデッシュ、いや……友よ。勝とうぜ!」
「ああ、では、行くぞ!」
アイアンコングMSの背中、TVM地対地二連装戦術ミサイルが撃ちだされた。ここまで温存してきたアイアンコング最大火力のミサイル。弧を描く軌道のミサイルは、デッドボーダーの斜め上から直撃し、大爆発を起こした。
爆発の衝撃がアイアンコングMSまで迫るが、意に介さずマニューバスラスターを噴かし、疾駆する。
「全機攻撃開始! 絶えず動き回り、奴らを翻弄しつつ確実に潰すのだ!」
ガーデッシュの怒号に応え、穴に潜んでいたモルガが車輪を回転させて飛びだし、痛烈な体当たりを敵の昆虫型ゾイドにぶつけた。イグアンも背中のフレキシブルスラスターを噴かしてキックをお見舞いする。そして、ギュデムのブラックライモスは頭部の突撃戦用超硬度ドリルを回転させ、レッドホーンの腹に挑みかかった。
ガーデッシュも肉薄し、ハンマーナックルを振り上げる。最初のミサイルの爆心地に居ただろうデッドボーダーを確実に仕留めるのだ。大質量の拳が、一切の容赦もなく荷重と腕力をプラスして叩きつけ――受け止められた。
「なんと!?」
思わず驚愕の言葉が漏れた。デッドボーダーの一体は、笑みを浮かべるように口元を歪ませ、アイアンコングMSの拳を両腕と腹で押さえる。のみならず、そのまま振り回し始める。ガーデッシュは与り知らぬことだが、それは
――バ、バカな……!?
振り回されながらも、ガーデッシュは見た。デッドボーダーは多少の手傷を負っているものの、行動に支障をきたしてはいない。戦術ミサイルの直撃を受けて、全くの無傷と言っていい状態なのだ。
それは他のゾイドも同様だった。体当たりを加えたモルガを球体上の姿に変形し凌ぎ切ったダンゴムシ型ゾイド。イグアンとモルガの攻撃を軽々凌ぎ、逆に回転アタックで押しつぶしにかかっている。
ギュデムのブラックライモスは、レッドホーンの改造機と思しき機体が背中から展開させた爪で捕らえられ、持ち上げられていた。
ガーデッシュの作戦は間違っていなかった。ただ、敵が悪かったのだ。この戦場に投入された機体は、全て
戦闘とも呼べない虐殺が、幕を開けようとして、
爆音が轟いた。
「……これは?」
ガーデッシュが呻く。予想外の方向からの攻撃の所為か、デッドボーダーはアイアンコングMSを手離した。叩きつけられる己が身の痛みを堪え、ガーデッシュは周囲を見渡す。
爆音は、近くが爆撃されたことによるものだ。だが、この戦場に爆撃が可能な飛行ゾイドはいなかったはずだ。
――一体誰が……?
その答えは空にあった。先ほどまで何もいなかった青い空。そこに、赤と黒の影が舞っている。赤と黒の影、そのうち赤い影は見覚えがあった。ガイロス帝国でも運用されている帝国唯一の制空戦ゾイド、レドラー。
レドラーは見慣れない小型ゾイドを率いて、地上のダンゴムシに襲いかかる。次いで平野の先から耳障りな羽音を響かせてカマキリ型ゾイドが襲来する。
最後に、一歩遅れて左前脚を失ったレッドホーンBG。
「真打とは、こうして登場するものだな!
***
戦場は、一気に乱戦の体を成した。
虐殺が始まる直前の戦場に乱入を果たした
『これは……貴殿は一体……?』
「さっき言ったろうが! 俺様は
レッドホーンBGの横に着くアイアンコングMS。ガーデッシュ・クレイドにウィンザーは怒鳴りつけるように言った。
そして、ガーデッシュも現実を理解する。とっくの当に捨て駒とされてもおかしくなかった自分たちを、ガイロス帝国の同胞は見捨てなかったのだ。見捨てず、その助けを寄越してくれたのだ。
「おっと、男の涙を見る趣味は俺様にはないぞ。今はここを切り抜けることを第一に専念しよう!」
『うむ。貴殿らの助力、感謝いたす! 共に切り抜けようぞ!』
アイアンコングの右肩に装備された対ゾイド六連装ミサイルランチャーからミサイル弾が撃ちだされる。狙い違わず二体のデッドボーダーに突き刺さるものの、デッドボーダーたちは損傷した部位を強化されたコアの力で自己修復していく。最初の地対地ミサイルによる攻撃を凌いだのも、この力によるものだ。
その様を通信越しのモニターで確認したキリー・ブラックが口を開く。
『あれは――ディオハリコンだ! 奴等、ディオハリコンを投入しているな』
「ディオハリコン? 確か、ニクス大陸原産の鉱石だったな。どういうものだ、ブラック」
『ディオハリコンは高濃縮されたゾイドのエネルギー体のようなものだ。それを含んだゾイドはディオハリコンから得られる爆発的なエネルギーでコアの力を通常の数倍まで引き上げる。火力も、パワーも、再生力も』
ブラックの説明にガーデッシュは息を飲んだ。ガイロス帝国でも研究が始められているディオハリコン鉱石。その力が。まさかここまで圧倒的なモノとは思いもしなかったのだ。
現在の戦況は一進一退。だが、ディオハリコンを組み込まれたPKのゾイドたちは圧倒的な再生力を持って少しずつ盛り返している。このままでは、再び虐殺が始まりかねない。
『それほどの力……デメリットはないのですか!?』
『あるよ。致命的なデメリットが』
サファイアの希望的な疑問に、今度はラインが答える。ラインはマーダで戦場を右に左にと駆けまわりつつ、一機のヴァルガの上に立った。いつの間にか、動きを止めたヴァルガの上に。
『コアへの負担が半端無いのさ。ほっといても、コアが過剰エネルギーに耐え切れず死ぬ。ヴァルガ、つったっけ? コイツ程度じゃ、ディオハリコンの力は制御できないのさ』
ヴァルガは、完全に機能を停止していた。瞬く間にその身体は石と化していく。ゾイドは生命活動を停止すると石化する。つまり、戦場の中で一体のヴァルガはその命を散らしたのだ。
ヴァルガの死と言う事実が、この場から切り抜ける道を導き出す。何れ死すと言うならば、それまで耐え凌げばいいのだ。だが、
『敵が全滅するまで持久戦を展開しろと言うつもりですか!? 無茶にもほどがあります!』
『でも他に方法があるかい? サファイア、持久戦が嫌なら、あんたが撤退の策を考えな! どうせ、脳筋には策を思いつく頭はないだろうからさ!』
『た、確かに……しかし』
いいように言われているが、ウィンザーはそれに言い返しはしなかった。ぐうの音も出ないが、まさにその通りであった。なぜなら、ウィンザーの叩き出す策と言うのは「敵を殲滅する」なのだから。
――ぐぬぬ、それが難しいのは分かっているが、燃えてくる!
そして、窮地と言うのはウィンザーの闘志を燃え上がらせるスイッチだ。気合と闘志を滾らせ、レッドホーンBGのビームガトリング砲からビーム弾を吐き出す。
戦況は、少しずつ
ただ、この戦いの中でウィンザーは一つのことに気づいていた。圧倒的力でこちらを蹂躙するPKの部隊。一見、指揮機と思しきレッドホーンの改造機と護衛のデッドボーダー。そして配下たるヴァルガだが、その攻撃は単調そのものだった。戦術や戦略の類が一切なく、ただひたすらに最大の攻撃を叩きこんで来るのみ。そこから叩き出される真実は、一つだけ。
――こやつらも
自動操縦のゾイド。どこかに指揮機が潜んでいる可能性もあるが、少なくとも今目前で争う敵機は、そのほとんどが人の乗らないスリーパーゾイドである。
相手がスリーパーゾイドというならば、打つ手はいくつか思い浮かぶ。だが、それを妨害するのはディオハリコン鉱石が生み出す圧倒的火力だった。
力を制するは圧倒的力。そんな、くだらないと吐き捨てたい「答え」が、同じくスリーパーと気づかされたガーデッシュとサファイアの目の前にちらつく。
そして、圧倒的力が渦巻く戦場は、一切の思惑すら許されなかった。
『ウィンザー殿! 来るぞ!』
「しまっ……」
らしくない思考に気を盗られた隙を突いて、真紅の機体が迫っていた。レッドホーンと似ているが、襟巻部分の装備が大型砲塔に変更され、背部の武装を小型化し、主砲であったリニアキャノンは可動式でアームを増設した格闘兵器の役も果たしている。レッドホーンに似ているが、その真紅の身体は、
クリムゾンホーンの背部ビーム砲とリニアキャノンがレッドホーンBGの襟巻を薙ぎ払い、リニアキャノンの内側からせり出したアームの爪がギラリと輝く。武装を取り払われたレッドホーンBGの頭部にアームの爪が降りかかる。
レッドホーンの頭部が砕け散る破砕音が、その場に響き渡った。