忘却の彼方の記憶。それは、ふとして思い出されるものだ。
「こりゃ、ひっどいねぇ……。ここにコロニーがあったなんて嘘みたいじゃないか」
一人の女性が、あるコロニーの跡地に居た。そこは、深い森と近くの広大な湖からなる豊かな資源を元に、穏やかで豊かな暮らしを実現した、知る人ぞ知る小さなコロニーだ。
だが、そのコロニーはすでに壊滅していた。
なにか、凄まじい攻撃が走っただろう跡がコロニーの中心を貫き、その圧倒的な力を色濃く残している。それが走ったのは数日前だと言うのに、未だ村は燃え続け、大地は流動し、鼻が曲がるほどの焦げ臭いにおいが充満していた。
女性はその一角、何かが走り抜けた跡から少し離れた位置にある廃屋に向かった。焼け焦げ、ねじ曲がり、ボロボロの材木がいくつも重なった廃墟。中への進入を妨害する邪魔な板を壊し、女性は中を覗き込んだ。家財道具が見るも無残な姿で晒されており、その隙間には人と思しき黒ずんだ手だけが見えた。おそらく崩落に巻き込まれ、焼け付く中脱出敵わず燃え尽きてしまったのだろう。
あまり目に良くないその光景に、さしもの女性も目を瞑り、頭を振って廃屋から頭を引き抜き――
――そこから跳び離れた瞬間、女性の立っていた所に斧が振り下ろされた。
「……火事場泥棒かなにかかい? 言っとくけど、アタシはそう柔じゃ――」
己を殺す勢いで攻撃した何者かに、女性は警戒心を逆立てながら振り返り――言葉を失くす。
そこに居たのは、まだ10にも満たないだろう少年だった。金髪で、鋭くも死んだような目をした、哀しみを纏った少年だ。少年は外した斧を持ち直し、重そうに肩で支えながら、呟くように言う。
「……なぁ……食い物……よこせよ」
一言一言、命を削る様に吐き出す少年は、荒みきっていた。
ふと、女性はここまで壊滅したコロニーを見てきた中で、一つ思い当たることを思考に挙げた。焼けつくされた死体が散見される中、数人ほど太い切り傷を刻んだ死体があったのだ。
瞬時に判断する。この少年がやったのだと。
「食い物欲しさに追剥かい? あんたみたいなガキが、世も末だね」
犠牲となった者たちを見るに、自分と同じ火事場泥棒の真似事でもしに来たのだろう。それがあっさりと、少年の底力と言うか、何か光るものを見てとれる。
「……いいから……よこせよ!」
斧を構え、少年は走った。残り少ない命をさらに削る様に、全身全霊を込めて駆け込み、斧を振り下ろす。技術も何もない。ただ、力任せに斧を振い、当たれば幸いで切り込む。有無を言わさぬ気迫を宿し、殺しにかかる少年。だが、女性はその程度であっさり殺されるほど弱くない。
半身で斧を躱し、一気に肉薄した女性は少年の胸ぐらをつかみ、片手で少年の手を叩いて斧を離させると、一気に振り投げた。少年の視界が一回転し、次の瞬間には焼け焦げた大地に叩きつけられる。
叩きつけられた少年が痛みに咽ぶのを余所に、女性は懐から流れる手つきでナイフを取りだし、少年の腕に振り下ろした。
「うっ――うぁああああああああ!!!!」
長く、尾を引く少年の絶叫が、滅びた村に響き渡った。まるで村そのものの慟哭を訊いてるようで、女性は僅かに顔を歪ませつつ、少年の腕に突き刺さったナイフをさらに押し込む。
「いっ……た、い……ああ、うぁああああああ!!!!」
「痛いかい。それが、あんたがやろうとしたこと。あんたがしてきたことだよ。人を傷つけ、その命を奪うってのは、これ以上の痛みを伴うのさ。そして、それに手を染めちまったら二度と後戻りはできない。罪を背負い続け、一生、幸福とは縁遠い暮らしをする。覚えときな」
痛みに咽ぶ少年に、女性は何故だかその言葉を発した。
罪を負った者は、それを背負い続けて生きて行かねばならない。なぜ会ったばかりの、それも自分を殺そうとした相手にそんな言葉を吐いたのか、それは女性にも分からなかった。
ただ、すでにボロボロの少年を、見ていられなかったのかもしれない。
「あたしにやろうとしたことは、目ぇ瞑ってやるさね。あんたの知り合い、どっかに居るんだろ。そこまで送ってやるよ――?」
自分でも思いもしなかった言葉を吐きつつ、女性は顔を上げ――驚愕した。そこには、先ほどまではいなかった漆黒の影――トラ型ゾイド、グレートサーベルが居た。
グレートサーベルは女性を見定めるように視線を落としていた。いや、女性をというよりは、少年を。そして、女性はもう一度少年を見た。少年は、激痛に苛まれながらもしっかりと女性を見つめる。死に瀕しながらも、もはや絶望しか映さないだろう瞳でありながらも、僅かに残る、生への渇望。
「……気が変わった」
女性は、少年を見つめながら言葉を吐き出す。
「あんた、あたしの弟子にならないかい? なるんなら、これからの衣・食・住、全て面倒みてやってもいい。ただし、断るなら――ここで無様に死ぬんだね」
そう言い放ち、もう一本のナイフを少年の胸元に突きつけた。
選択の余地のない問いだった。それを理解しながらも、少年は炎を宿した瞳で睨みつけながら、口を開く。
「生きて……いけるのか……?」
「当然さ。あたしが、この腐った戦乱の世を生き抜く術を叩きこんでやるよ」
それが、決め手だった。少年は小さく頷くと、腕に刺さったナイフに視線をやった。女性は、もう一度ナイフを押し込み、少年が痛みに顔を歪めたのを見てから、ナイフを引き抜いた。傷口を押えながら起き上がる少年に、女性は再度問う。
「さて、あんた。名前は? それぐらいはあるだろう?」
ナイフに穿たれた左腕をだらりと垂らし、赤い血だまりを作りながら少年は答える。己が名を。
「…………コーヴ。……ローレンジ・コーヴ」
それが、少年の血に濡れた道の始まりだった。
***
「私はサイツ・ダンカン。呼び方はお任せします。気軽に及び頂ければ幸いです!」
「おれぁイサオ・ログラム。ま、よろしく」
「……ホツカ・イスパルド」
「え、えと、カバヤ・バルカーゲンです。まだまだ未熟者ですが、どうかよろしくお願いしまス!」
「ハトリ・ルソンです。可愛がってくださいね♪」
「では」
「「「「「我ら五人そろって、雷獣戦隊――」」」」」
「――やめーーーーーーーい!!!!」
ニクス大陸南西部の湿地帯、その南端に位置するカオスケイプ。そこで、ローレンジは悲鳴すら混じった怒鳴り声を上げた。
「ビシッ!」と人差し指を槍のように尖らせ五人の男女に突きつける。今にも火山噴火のように怒気を噴出せんばかりのローレンジに、五人はピタリと動きを止め、互いに見合った。ローレンジは大きく息を吐きだし、荒く呼吸してから続ける。
「なんだよお前ら! こっちは今後の事も兼ねて集合をかけただけだ! 交流を含めた茶番なんてかけらほども所望してねぇ!」
ローレンジの前に現れた五人は、此度のニクス大陸調査に当たってローレンジが率いることになった
「今回は偶然、俺がまとめることになったんだけどな、なんでんなに息ピッタシなんだよ! しかも、その……何とか戦隊とか恥ずかしくねぇのか!?」
「我々はガイロス帝国に所属していた頃からの同期でして。ガイロス帝国特殊工作師団のエース小隊とまで呼ばれていたのです。そして、今回
代表してサイツが説明する。
祖父母の代がゼネバス帝国に所属していた彼らは、家同士の仲がいいこともあり、ゼネバス帝国の一部の将兵がガイロス帝国に吸収されたのちも帝国内で活躍してきた。そして、ダンテム達の代に
彼らの祖父はゼネバス皇帝親衛隊に所属していたらしく、ローレンジの祖父――ローヴェン・コーヴとも旧知だったそうだ。ローヴェン・コーヴの孫である――ローレンジは話してないため、彼らの憶測だが――ローレンジと行動を共にしたいと言う想いが強く、今回の作戦に際し、危険極まりない先行任務に就いたとか。
「……ふーん。まぁ、なんとなく理由は分かった。……あんたらの奇行以外についてはな」
「我らの血に従い、ぜひともあなたの指揮下で作戦を共にしたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。コーヴ司令官!」
サイツ達は片膝を突き、拳を地面に当てて平伏する。ローレンジは、まるで帝か何かに祭り上げられたような気分だった。これまでの人生の半分を師匠の下で腕を磨く日々に費やし、
「……ところでさぁ、その服装も、お揃いだけど……なんかあんの?」
「はっ、惑星Ziに移住した我らの祖でもある地球の文化の一つ『NINJA』を模してみた次第です。軽装ですが、小物を多く持ち運べる設計です。どうです? コーヴ様も――」
「――いらねぇ」
にべもなく断言するローレンジ。少し堪えたかと思いきや、サイツは一切堪えた様子もなく「はっ」と短く返事するにとどめた。
改めて自身に向かって平伏する五人を見やる。代表してサイツが話しており、その他四名は自己紹介以外沈黙を貫いていた。ただ、自己紹介の時のそれぞれの言葉から察するに、サイツがリーダー格、イサオが場の賑やかし役、ホツカは寡黙だがところどころで意見を言うような性格、カバヤはまだまだ若い新米といったところ。ハトリは、紅一点であり色気担当……なのだろう。
彼らの服装は揃いも揃って黒装束だ。夜闇に溶け込むような漆黒。ただ、腰には小刀を佩いており、その他にもいくつかの暗器が装束のあちこちに隠されているように見えた。
そして、彼らが現れた時の立ち振る舞い。
ドラグーンネスト内では船酔いでロクな会話が出来なかったため、顔合わせと軽い情報交換をしておこうと考え、彼らを呼び出してからものの五分。ローレンジに接近したことを気づかせぬままヘルキャットが集結、そして、気付いたら彼らは目の前に現れた。
長く殺し屋稼業に携わってきたローレンジは、その感覚も常人の数倍は優れている。いつ襲われるか分からない以上、常に周囲を警戒する癖が染みついているのだ。そして、人の気配を察する感覚も鋭い。
そのローレンジに気づかせなかった。いや、正確には気づいた時には、到着まで三秒の時だ。
――こいつら、ふざけてるけど半端ねぇな。
立ち振る舞い、格好、それだけでも分かることは十分にあった。そして、彼らが乗っていたヘルキャットもそれぞれのオーダーメイドなのだろう。色は……冒頭のセリフから戦隊を意識しているのだろう。本体は黒、脚部が赤、青、緑、黄、白のイメージカラーで塗装されている。しかし、機体コンセプトを大幅に崩すような色使いではなく、隠密性を損なわない程度の物だ。
尤も、
「――コーヴ様。御指示を」
「ん? ああ、そうだな」
ローレンジは意識を現実に戻し、数刻前にヴォルフから窺った指示を伝える。
その内容はニクス大陸の調査。具体的には、ニクス西部にあるだろうプロイツェンナイツの前線基地の発見だ。プロイツェンナイツの目的が最終的にエウロペへの帰還、侵略であると予想するなら、その前線基地はエウロペへの侵略ルートにほど近い地点、すなわちニクス西部にあるはずだ。ローレンジ達の目標はその基地の発見。そして、できることなら潜入し内部から崩壊させること。
――少ない兵力で敵の拠点を叩けるなら、それに越したことはない。ま、欲張りではあるがな。
おそらく不可能だろう。そう分かっているが、ローレンジは今集ったメンツの顔を見た。彼らなら、案外出来るかもしれない。ローレンジ一人でなく、彼らが一緒ならば。
「役目は分かったな。とにかく、この西の地をくまなく調べるんだ。連絡は日に一度。そうだな……午後六時にしようか。意見は」
「ございません! コーヴ様!」
五人が揃って返事を返すが、ローレンジは少し嫌そうに顔を歪めた。
見た目、彼らは二十代半ばだ。一番若いだろうカバヤでも、二十代に突入している。それに比べてローレンジはまだ十九。年上の者たちに“様”呼ばわりされるのはどうにも居心地が悪かった。
思えば、ヴォルフは今二十歳だ。ローレンジと然程変わらぬ年齢ながら、その倍は生きているズィグナーやエリウス。それほどでなくとも年上のウィンザーやサファイア。そんな、年上の者たちから“様”と敬称を付けて呼ばれている。今更ながら、ローレンジはヴォルフの苦悩がやっと分かった気がした。
ヴォルフはすでに慣れているのか、それとも自身の立場を理解しているのか、訂正しようとはしない。だが、ローレンジには我慢ならなかった。
「あー、その「様」は止めてくれ。むず痒い」
「む、そうですか。ですが、我らの主を呼び捨てにするのは……」
「だったら“頭領”でいいじゃない♪ ね、と~りょ~♪」
結局、ハトリの言葉に皆が賛同し、ローレンジも渋々納得した。
「では頭領、行ってまいります」
「おう、気ぃ付けてな」
「はっ、ありがたきお言葉。ではいくぞ!」
風切り音が鳴るほどの速度で五人は身を翻し、ヘルキャットに乗り込む。ヘルキャットは瞬時に向きを変え、ニクスの大地に散らばって行った。
その鮮やかな様を見つめながら、ずっと沈黙を保っていたジョイスが一言。
「なんだい? あの茶番集団」
「……俺が訊きてぇよ」
なぜかひどく疲れを感じながら、ローレンジはカクンと首を曲げた。ニュートがそんなローレンジにすり寄り「元気出して」と慰めてくれた気がする。
***
カオスケイプを出立したローレンジとジョイスが進む先は、どこまでも続く湿地帯だ。ニクス西部の半分を占めるニフル湿原は広く、湿った空気がローレンジたちの精神を蝕む。
湿地帯は多くの野生ゾイドやゾイド以外の生物を育む反面、都市を作って暮らすことを選んだ人間にとっては非常に進み辛い場所だった。
ゾイドで進もうにも、湿った台地が踏みしめるたびに足を取り、その空気はゾイド乗りたちの心に悪影響をもたらす。浅瀬や湿地帯を主な住処とするヘルディガンナーやバリゲーター、そして此度の戦いで投入されたSSゾイドのディマンティスやマッカーチスならばこのぬかるんだ大地にも適応できただろう。だが、ローレンジはグレートサーベル、ジョイスはディロフォースと湿地帯に向いているとは言い難いゾイドだった。
この場で接敵すると厄介だとローレンジは警戒するが、その心配はほぼ杞憂に終わる。広大な湿地帯には敵と思しきものは確認できず、ひたすら湿った大地が続くのみだった。
「……たくっ、いつまで続くんだよ、この湿地帯」
事前に用意した地図に現在地を落す。ニフル湿原に突入して、すでに三日が経過していたが、ローレンジはこれと言った成果を見いだせたわけではなかった。ひたすら続く湿原地帯では、幾度か野生のゾイドを見かけることあれど、人の手が加わったゾイドやその痕跡は一切見当たらない。
ぬかるみを進みながら頭上を見上げると、すでに日は傾きかけていた。ここまでの行動を振り返り、決断する。
――今日はこの辺で休むか。
この三日、変わることの無い湿気の中で過ごす夜が、再び訪れる――と、思っていた。
『ローレンジ、向こうに台地があるって』
「台地?」
ジョイスが示す方向に向き直り、モニターに示した地図を合わせる。そこはニフル湿原から飛び出したような位置で、メイズマーシと呼ばれるポイントだ。事前情報では、テーブル台地に無数とも思える巨大クレバスが走っている土地らしい。
海岸線上にあり、見晴らしは良いだろうがその分見つかりやすい。その上、硬い大地の上では疲れを取れるか怪しいものだ。
が、それは気分的に言えば湿地帯の中も同じだった。それに、クレバスが無数に走っていると言うならクレバスの隙間に入り込めば見つかる可能性は少ない。クレバスの隙間に入り込むことも、グレートサーベルにディロフォースと言う機動力に優れたゾイドであれば不可能ではない。
「……分かった。そっちに行こう」
渓谷の中には、無数の亀裂が走っていた。風食で削られたのか、はたまた津波が抉り取ってしまったのか。形成の要因はローレンジには分からないが、一晩を過ごすには問題ないと判断する。渓谷に築かれた崖の僅かな足場を下り、その隙間に入り込む。
渓谷の底の方には人工建造物の後が確認でき、嘗ては人が暮らしていたことがうかがえた。ひょっとしたら、ここも古代ゾイド人の遺跡の一つに当たるのかもしれない。いずれ、落ち着いたら調査をすべきかとローレンジは思案しつつ、その日の夕食を作った。
簡単ながら夕餉を済ませ、食後のコーヒーをジョイスに指し出す。
ジョイスは息を吹きかけて、冷ましてから少しずつそれを味わった。
「なんで、この周辺に基地があると思ったんだい」
唐突に、ジョイスが問いかけた。ローレンジはコップから口を離し、ジョイスに軽く視線を送ってから答える。
「エウロペに攻め込む前線基地にはちょうどいい場所だからだ。ゾイドの補給も簡単だからな」
「ゾイドの、補給?」
「湿地帯さ」
湿地帯は多くの野生動物を育んでいる。食物連鎖の根っこと言える植物、それを捕食する昆虫、動物。彼らは惑星Ziならではの金属成分を多く含んでおり、それは野生ゾイドたちの餌になる。
ゾイドは車のように工場だけで作れるわけではない。ゾイドは生命体であり、その心臓であるゾイドコアの確保が必要だ。ゾイドコアは同じゾイドからしか生み出されない。つまり、ゾイドを扱うには元となるゾイドの野生体が必要だった。
養殖する手もあるが、それでも元となる野生体は必要不可欠だ。
「ゾイドコアの確保のためには、元となるゾイドの確保が必須。湿地帯は多くの生物を育てる自然の受け皿みたいなもんだからな。それがなきゃ、ゾイドは作れない」
「……結局ゾイドか」
「争うならゾイドが無くたって成り立つがな。この星の最強兵器、それから目を逸らすような馬鹿はいないだろ」
ゾイドに勝てるのはゾイドだけ。いくつか方法を変えればゾイドが無くたって戦いには勝てるだろうが、強力な兵器があれば目線はそこに行くものだ。より強い兵器を、力を手にすれば争いに勝つことは容易くなる。単純明快だ。
「お前は、ゾイドが嫌いだったな」
「ああ、何度も言っているだろう」
何度目かのジョイスの言葉、それをローレンジは噛みしめるように言った。
「おまえがゾイドを嫌う理由、なんだっけ?」
「そんなの……決まってるだろう。ゾイドが僕の運命を捻じ曲げた。それが許せないだけだ」
ジョイスの記憶に残っている苦い思い出。ジョイスの両親はオーガノイドの研究者だった。いつも研究に付きっきりで、ジョイスにとってはいつも寂しい思いをし続ける毎日だ。そして、研究していたオーガノイドの暴走で、両親は死んだ。
「それを教えてくれたのは君だろう? 何故今更蒸し返すんだ」
苛立ちながらジョイスは言い返す。ローレンジは、静かにコーヒーを飲み干すと二杯目の準備に取り掛かった。持参した豆を自分で挽き、持ち込んだドリップ用の紙の上に乗せ、じっくりと時間をかけて湯を注いでいく。
「だんまりか。ならいいさ」
吐き捨てるように言い、ジョイスはコップを突き出した。無言のまま、ローレンジはそれを受け取り、小さく口笛を鳴らしながらコップに濃いこげ茶色の液体を注ぐ。
「訊きたいか?」
コップを突き返し、同時に言葉も返す。ジョイスはじろりと、ローレンジに訝しげな視線を送った。だが、ローレンジは静かに返答を待つ。
互いに沈黙した。ジョイスはコップを受け取り、持ち手に指をかけながらじっと見つめ返す。ローレンジは、なんでもない風に穏やかな表情でそれを受け止めた。
「……別に。もうどうでもいい」
根負けしたのはジョイスだった。ぶっきらぼうに、言いずらそうに口をとがらせた。
「この一年、ずっと音沙汰なしだった癖に、急にゾイドに乗ることを強制された。それで苛立ったか?」
ローレンジの口からそのセリフが吐き出され、ジョイスは「キッ」と睨んだ。認めたくないが、まさしくその通りだったからだ。
「別に深い理由はないさ。俺はいずれお前をゾイドに乗せるつもりだった。嫌がられてもな」
「なぜだ」
「理由なんて簡単なもんだ。この時世、俺たちみたいな根無し草は、よっぽどのことがない限りゾイドに乗らないとやっていけない」
農作、土木、漁業、人が生きていくのに必要な仕事は数あれど、惑星Ziではそのほとんどにゾイドが関わっている。自衛のため、日々の生活のため、惑星Ziの人々にとって、ゾイドは無くてはならぬものだった。
惑星のあちらこちらにある小規模な集落では、十歳になった子供にゾイドの操縦を教えられるようになっている。ローレンジ達が関わっているような戦闘に関することでなく、日々を生きていけるように、ゾイドを動かすことが出来るように。
ゾイドを持っていない人間は少なくない。だが、ゾイドに乗ったことの無い、操縦したことの無い人間は少なかった。戦時下では少なかったが、戦争が終わった今では、学び舎のカリキュラムにゾイドの操縦が含まれている。それは異常なことではなく、当たり前なことなのだ。
そして、それは都市部より郊外の小さな町に行くほど多くあった。
理由は簡単だ。ゾイドを動かす知識が無ければ、この星では生きていけないのだから。
「何故、お前にそんな心配をされなきゃいけないんだ?」
ローレンジの言葉から、ゾイドに乗らねばならない理屈はジョイスも想像できた。不服ながら、納得も出来た。ゾイド乗りとしての自分も――非常に嫌だったが――想像がついた。それには、エリュシオンでのディロフォース搭乗テストが強く影響している。
だが、それを加味したところで、ローレンジの行動は理解が出来なかった。
「何故って、おかしいか? お前が独り立ちできるようにって思ったんだが――」
「――ああそうかい。余計なお世話だ。……なぁ、なら教えてくれ。君は、どうしてゾイドに乗るんだ? どうしてゾイドに乗って、なぜそれを必要としないといけないんだ? どうして、ゾイドに頼らなきゃいけないんだ!?」
少しずつ口調を強め、吐き捨てるように、ジョイスは唾と共に言葉を放つ。口から飛び出したそれは、ローレンジの耳に吸い込まれ、ローレンジは飲んでいたコーヒーを軽く噴きだした。
ローレンジは笑いを堪え、コーヒーを一気に飲み干すと再びおかわりを作り始める。
「……なんだよ、お前はんなことを気にしてたのか? ははは、あの
焚火で温めていたヤカンを取り、中身の湯をゆっくり、挽いた豆の上に垂らしていく。挽かれた粉の隙間を通り過ぎた湯は、粉の成分やうまみを吸い込み、真っ黒な液体となってコップに零れ落ちていく。
「俺がゾイドに乗る理由なんざ簡単さ。俺のやりたいことを成すには、ゾイドに乗らないとやってられないからさ」
「……それは?」
「俺は、俺の知り合いを失くしたくないだけだ。フェイトやヴォルフ、アンナにズィグナー、ウィンザー、サファイア……俺が知り合い、今共に生きてる連中を失くしたくないだけ。あいつら、目的を成すためならすぐにでも危険地帯に飛び込むからな。先に俺が入り込んで、罠とか取り除いてやらねぇと安心できねぇ」
「最初に飛び込む奴が最も危険だろう? 自分の事なんかどうでもいいというのか?」
「ははっ、自分を蔑ろにする奴が誰かを守ろうなんて、ただの自己満足さ。本当にそれが必要にならない限り、自分を生かし、大切な奴らを守る。それが出来るように、俺にはゾイドが必要なんだよ」
ローレンジは傍らで丸くなっているニュートの顎を掻く。ニュートは気持ちよさそうに首を持ち上げた。
「楽じゃないぞ。そう思えば思うほど、失いたくない奴は増えていく。一人じゃカバーしきれないほどにな。だから、俺が手を出さなくても大丈夫なようになってもらいたい。ウィンザーなんか、俺が気にかける必要もない。断言してやるよ。あいつは、この先また戦乱が起きようと、生き続ける、戦場に立ち続けるだろうさ」
「……それが、君が僕にゾイドを強要する理由かい。僕やフェイトに戦闘訓練を課すのも」
ローレンジはジョイスとの旅の最中、暇を見つけてはジョイスに生身での戦いを覚え込ませてきた。フェイトは自分から乞うてきたが、ジョイスに対してはローレンジが命じてのことだ。
「まぁな。……お前には、言ってもいいかもな」
ローレンジは焚火の調子を確かめ、薪を追加する。パチパチと薪が焼け、火花が飛び散る音が渓谷に響く。
「ジョイスはさ、なんというか……他人な気がしねぇんだよな」
ローレンジがポツリと零したセリフにジョイスは顔を上げた。焚火の炎に照らされたローレンジの顔は赤い。だが、どこか陰が落ちているようにも見えた。
「両親亡くして、それから……ああ、記憶がねぇんだもんな。その先の空白は俺も知らねぇし。でもさ、お前、雰囲気が、なんつーか、ほっとけないんだよな」
「どういう意味だい……?」
「さぁてな。まるで、昔の俺を見てるみたいだ。全部亡くして、頼れる奴も居なくて、選択の余地もなしに、示された道しか見ずに進む」
「ローレンジ……?」
「なんかさぁ。いつか、俺みたいに間違っちまうんじゃないかと思ってよ。大事なモノ、そうなるはずだったモノを自分で斬り捨てちまいそうでさ。守りたかったものを、そうと気づかず、結局亡くしちまう。……なぁ、……――ス、……イ」
焚火を弄り、コーヒーを飲むローレンジの姿は、小さかった。いつも、これまでジョイスやフェイトの前で見せてきた強気な彼はどこにも見当たらない。孤独で、何かを悔やみ続けるその姿は、頼りなさすぎた。
「いきなり意味不明なこと言ってるよな。ま、頭の片隅にでも置いておけよ」
ローレンジは再びコーヒー豆に手を伸ばす。全く同じ手つきでコーヒーを作るそれに、ジョイスは何か違和感を覚える。それがなんなのか、今はまだ分からない。ただ、一つだけ言うことがあった。
ローレンジは、失うことを恐れていた。この日の会話から、ジョイスにはそれがなんとなく分かった。一つ分かってしまえば、それまでのローレンジの行動の一貫性も見えてくる。
ジョイスが意識を取り戻して早々、ローレンジは「仕事」と言って姿を消していた。長く戻ってこなかったことと、暗い表情で帰ってきたことから、かなり危なく、後ろ暗い仕事だったことは想像に難くない。
普段、フェイトやジョイスに戦闘訓練を課すようになったのも、己がいないときに誰かを失うことを恐れているからだ。心配なら、信用できるように鍛えるのだ。
ディロフォースを取りに行ったのも、ジョイスが乗る前にその安全性を確かめるため。
信用されていないようで、酷く苛ついた。だからジョイスは、口を開く。
「本当に、君の言うことは分からないな。要するに君は自分が弱いと、そう言いたげだけど――僕を一緒にしないでほしいな。僕は、自分がそれほど弱いと思った覚えはない」
「癇に障ったか?」
「ああ、だから……」
「だから……?」
軽くため息を吐き、さっきから言おうと決めていた言葉を、ジョイスは吐き出す。
「一体どれだけコーヒーを飲むつもりだ?」
***
翌朝、ジョイスが目を覚ますと、焚火の前で石に腰掛けながら舟をこぐローレンジの姿があった。おとなしく横になればいいものを、結局警戒心を逆立てたまま浅い眠りに就いているのだ。
ため息を吐き、ジョイスは朝食の乾パンを取りだし齧る。味気ないが、それほど悪いとは思わない。
「グゥオ」
鳴き声が聞こえ、ジョイスはグレートサーベルの方を向く。グレートサーベルの上には漆黒のオーガノイド――シャドーが立っており、蒼穹の瞳をジョイスに向けていた。
「何かあったか」
声をかけると、シャドーはコックピットの方を示す。通信か何かだろう。仕方なく、通信に出ようと腰を上げると、それより早く動き出したローレンジが伸びをしながらグレートサーベルの方に歩いていた。彼の膝に顎を乗せていたニュートが「なんだよぅ」とばかりに大あくびのような仕草を見せた。
「……少しは休めよ」
小さく悪態を吐き、ジョイスもその後を追う。
グレートサーベルは腰を下ろしており、脚をよじ登ればコックピットまでたどり着くのは簡単だった。ローレンジはコックピットを開き、通信に応じる。
「悪い、ちょっと
『あ、と~りょ~、遅いですよぉ』
少し間延びした甘ったるい声音。ハトリ・メルベだ。朝っぱらからうざったい声音だと、ジョイスは嫌気を覚えながら、二人の会話に耳を傾ける。
「すまんすまん。で、どうしたんだ?」
『いえ、ちょっと気になる人を見かけましてぇ、追いかけてたんですよぉ』
「ふーん。どんな奴?」
『桃色の長髪、私が言うのもなんですけどぉ、すっごい綺麗な人です。たぶん、ニクスの住民じゃぁないですかぁ?』
「ニクスの原住民、か。で、そいつは今どこに?」
『それがですねぇ、ミミール湖方面です。ヘルディガンナーを使ってますから、けっこう移動速度は速いですよぉ。と~りょ~追いつけます?』
ミミール湖はニフル湿原の北にある、ニクス大陸三大湖の一つだ。ローレンジたちの居るメイズマーシからはニフル湿原をまっすぐ横断した位置にある。
湿原地帯の移動に優れたヘルディガンナーに対し、湿原の移動に適さないグレートサーベルにディロフォース。追いつけるかどうか、自信がない。
「山岳地帯まで行けば足を取られることはない。サーベラの脚とディロフォースの飛行能力を駆使すれば、遠回りでもどうにかなるな」
ローレンジが呟いた言葉で、ジョイスも彼の判断を悟る。それはハトリも同様だった。
『じゃ、追跡を続行します。と~りょ~も急いでくださいねぇ~』
「おう。他の連中には、引き続き探索の続行を頼む」
『りょ~か~いです』
グレートサーベルから降りたローレンジは素早く焚火の始末をつけた。出していた荷物――簡易コーヒーメーカー――を片付ける。
「ジョイス、出るぞ。こっからは強行だが、行けるな」
「誰に言ってるんだい?」
ジョイスの返しにローレンジは口端を持ち上げた。そして、グレートサーベルが力強く始動し、ディロフォースが素早く後を追いかける。
崖の僅かな足場を蹴り出して駆け上がるグレートサーベルを追いかけ、ディロフォースの背で僅かな寒気と風を感じながら、ジョイスは昨日のことを思い返していた。
『まるで、昔の俺を見てるみたいだ』
『いつか、俺みたいに間違えちまいそうでな』
――なんのことだ。僕は、僕は……何のために生きているんだろうか……?
意識が覚醒しているのは、一年前から今までと、それから数年前の両親の死体を目の当たりにした以前の事のみ。自分が何をやっていたのか、何を糧に生きていたのかも分からない。
「グゥゥ……」
ディロフォースの横を駆けながら、シャドーが低く唸った。相変わらず、自分を心配するような声音で苛立ちを覚えるも、口に出してまで拒絶する気は起きなかった。
――くそっ、僕はどうしたっていうんだ。ゾイドなんか大嫌いだってのに、少しずつ、受け入れてしまってるのか? その理由は、お前らの所為なのか……?
モニターに表示されたグレートサーベル。そのコックピットに収まっている青年のことを思考し、ジョイスの混乱はさらに高まる。
それを振り払うように、ジョイスはディロフォースの操縦桿を強く握り込んだ。ディロフォースは、主人の意志に応えるように力強く大地を蹴りつけた。