西方大陸エウロペと暗黒大陸ニクス。
その間には遥かなる海が広がっている。この星に地球からの移民が来て以来、彼らはまだ海に出たことがない。いや、正確に言えば大規模な航海を経験した者が数限られているということだ。
エウロペから、ニクスへの玄関口とされているニクシー港から新たな大陸に向かう者はあまり多くなく、故にその航海ルートも未だ明確には記されていない。
さらに、アンダー海のどこかには謎の強電磁場地帯、“
このような条件があるからこそ、暗黒大陸はこれまで調査の脚を阻んできたのだった。
だが、その前人未到の歴史もすでに終わっている。
数ヶ月前にガイロス帝国の調査隊がルートを確立し、脚を踏み入れているのだ。
停泊するドラグーンネストに荷物、乗組員が次々と乗り込んでいく。この一年の活動の御蔭でメンバーは以前よりも格段に増えており、二隻のドラグーンネストに限界までゾイドと物資、乗組員を詰め込んでもなお、エリュシオンに駐留する団員が存在できるほどだ。
乗組員の士気は高い。彼らは、ヴォルフの思想に魅かれて集まった者たちだ。また、若者が多く、彼らは自身の見たことない祖国の復興という大望に想いを馳せている。
その大望はある意味PKと同じだ。だが、彼らは惑星Ziの制圧、こちらは亡国の再誕とその終着点は大きく異なる。そして、その過程でナイツは
そして、迎えたその日。
エリュシオンに残留する者たちに見送られ、ドラグーンネストは出港した。禍根を断つために。未知の大陸、暗黒大陸ニクスへ向けて……。
***
部屋の戸が叩かれ、静かに本を読んでいたタリスははっと気づく。
ノックの音で一瞬にして現実に引き戻された。それほどまで、自分は本の中に熱中していたのだろうか。
現在、タリスはドラグーンネスト内に設けられた一室にいた。ドラグーンネストは乗組員全員に個別の部屋が設けられている訳ではない。多くは、四人部屋がいくつも設置されている。タリスが個室を与えられたのは、彼女が半ばゲストとしての扱いだからだ。
タリスは、PKの情報提供者なのだから
「……ふぅ、――はい、どうぞ」
本を机の上に置き、一呼吸おいてから声をかけた。じれったそうに何度もノックされた戸からノック音が消え、代わりにガチャリと音を立て、勢いよく扉が開かれた。何度もノックされたことから重大な要件か、それとも単にノックの主がそういう人間か、その二つだろうとタリスは予測する。そして、現れた人物を見、タリスは後者であることを確信した。
「えっと……どこの子?」
ただ、驚きは隠せなかった。
現れたのは見た目十歳の緑髪の少女。海底に潜るという機体の関係上扉はかなりの重さなのだが、少女は持ち前の元気良さでそれを気合いで開けてきたようだった。
「あなたがタリスさん、だよね!?」
「え、ええ……」
「わたしはフェイト! よろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げ、その拍子に扉から手を離したため、扉は慣性に従って閉まり始める。タリスが「あっ」というまでもなく、閉まり出した扉は少女の新緑の頭を強打。「ゴンッ!」という痛々しい音が部屋に響いた。
「……痛く、ないもん」
どうにか強がってフェイトは言うが、若干涙ぐみかけている目を見ればそれが虚勢であることは一目瞭然。思わずタリスが駆け寄り――だが、それよりも一歩早く優しい手つきで彼女の頭をさする者がいた。
タリスはその人物を見、最初は驚き、だがすぐに訝しげな顔になった。その青年がフェイトの頭をさすったことに、ではない。
「……大丈夫なのですか?」
頭を強打したフェイトよりも、今にもその場で卒倒しそうなほど顔を青くする青年に、である。
「……いや、気にしないでくれ……いつもの、ことだか――うっ……ら」
金髪のおとなしげな青年は――ローレンジは手で大丈夫だと言いながらも途中で口元を押さえる。
人間、体調の悪さが極限を迎えればこうなるのだろうか。青年は今にも倒れそうなほどフラフラとおぼつかない足取りながら、どうにかその場に踏みとどまった。
「一体何の用ですか?」
「あ、いや……あんたに、艦内の案内をしようかと……」
「……その状態で?」
「なー……に、大丈夫……九割九分、吐かないって。信用できねぇか……?」
「できません」
頭を押さえるフェイトと口元を押さえながら俯くローレンジ。その背後に窮屈そうに顔を突っ込むニュートがいる。タリスは初めて見るオーガノイドに若干驚きつつ、それを水面下に押しとどめ、呆れた表情で二人を見下ろした。
その時、艦が揺れた。
ドラグーンネストは海上付近を漂っているが、どうも外が荒れ始めたらしい。海中は比較的穏やかだが、海上付近ではわずかながらも影響を受ける。その余波を受けたのだ。
「……大丈夫ですか?」
「…………やべぇ」
「痛い……」
一瞬にして崩れ落ちたローレンジ。揺れた影響でバランスを崩しまたしても頭をぶつけたフェイト。部屋の前でいきなり訪れた茶番に、タリスは頭痛を感じた。
***
その後、タリスの部屋にしばしとどまりフェイトの痛みが治まった後に三人は艦内を巡り始めた。ちなみに、ローレンジはニュートの背に揺られて、である。
「うぅ~~、たんこぶできちゃった」
頭頂部よりやや右にそれた位置をさすりながらフェイトは呟く。氷袋を貰いに行こうと医務室に向かう道中である。豊かな緑髪に隠されてそれが目立つことはないが、ずっと押さえていることからよほど痛むのだろうか。
「もんだらダメ。症状が悪くなるわ」
「え? ただのたんこぶだよ?」
「たんこぶというのは頭の皮膚の下で出血しているの。出血を周りに散らすようなことはダメ」
「はーい」
しかし、抑えた手を離さないがそこは大目に見ようとタリスはそれ以上口出ししなかった。
その後、医務室で氷嚢を貰い頭に縛り付けてフェイトはそのままタリスに案内を続ける。ちなみに、ローレンジも一緒に酔い止めの薬を貰ったのだが、本人も自覚しているほどの焼け石に水であった。症状がマシになることはない。
ドラグーンネストの艦内は、生活の場としてはかなり良好な環境である。
一個大隊は楽に積み込める積載量。これは、惑星Zi最大の輸送艦、ガイロス帝国のホエールキングや、へリック共和国で使用されるネオタートルシップに次ぐ規模だ。それでいて食堂、各隊員の部屋、風呂、そして資料室という名の図書室などの娯楽設備も含む、退屈な海底移動の期間を有意義に過ごせる設備が揃っている。
その分、機体も以前使っていたそれに改良を加え、大型化されている。だが、その価値は十分にあったと言えよう。現にフェイトについて艦内を案内されたタリスも思わず表情をほころばせるほどだった。
一通り艦内を見て回った三人は時間もちょうど昼時ということでそのまま食堂に向かう。食事は各自の判断で取るか取らないかを決められるが、取らない場合は事前に申告する必要がある。でないと誤って作ってしまった料理がもったいないからだ。
食堂に入ると、まだ時間が少し早かったのか料理長を任せられた女性が机を拭いているところだった。そして、成り行きなのか、それを手伝う少年と相方のオーガノイドも一緒だ。
「オルディさん! ――と、ジョイス?」
その少年――ジョイスが居ることが以外だったためか、フェイトが不思議気に言った。その声が聞こえたのか、ジョイスが片目を持ち上げてフェイト達に視線を向ける。そして、それよりも早くオルディと呼ばれた女性が小走りに近づき――
「あーフェイトちゃんだー!」
ぎゅっ、と音がするほど強く抱きしめた。
「あーいいわー、この小っちゃくて柔らかい感触、子どもって可愛いわー。あたしこれだけで生きていけるってカンジ!」
「えへへ~オルディさんっていつも良い匂いがするよね~ 美味しそうな匂い」
「でしょ~。今日のお昼もいい感じにできたのよ~。あ、食べてく? ちょっと待っててね、直ぐ準備するから」
パッ、と手を解き、パタパタと奥に引っ込んでいくオルディ。「四人分ちゃっちゃと用意するわよ~」という声が奥から漏れてきた。すると、それにローレンジが反応し、ニュートの背から必死に起き上り叫ぶ。
「おい! 俺は、いらねぇって……!」
「なに言ってんの、あんたはどーせそう言って暗黒大陸に着くまで飲まず食わずで行くつもりでしょ。ダメよ~、ちゃんと食べないと。だから、あんたは絶対食べる! いいわね!」
「ぜってー吐くっつの。どうせ腹に残らねぇんだから……食わなくていいだろ、……うっ」
そのまま、ニュートの背に突っ伏した。ニュートが首を曲げて背に横たわる主人を眺め、どこか呆れたような仕草を取る。
「さて、座って待ってよ。あ、ジョイス! そこ、いいよね?」
「別に……好きにすれば」
台拭きを手に持ったまま、ジョイスは呟いてその場に腰を下ろす。その対面にフェイトが座り、その横にタリス。ジョイスの横にはローレンジが寝転がった。食堂の椅子は長椅子となっているため、寝転がっても問題はない。
他の隊員はまた作業中なのだろう。食堂は比較的閑散としている。と言っても、食堂の広さはそれほどでもない。精々十から二十程度の人数が座れればいい程度だ。食事は交代で取るため、これでいいのだろう。
ただ、食堂の中を観察するよりも驚くことがタリスにはあった。それは、斜め前に座る無気力そうな少年である。その風貌は、元プロイツェンナイツであるタリスが見間違うはずもなかった。ナイツの中でも、ガイロス帝国軍の内部でも別格の存在だった少年兵。
――レイヴン!?
帝都決戦の最中、ブレードライガーを駆る少年と戦い倒されたと聞いていた存在だ。それが、目の前にいる。ジョイスと呼ばれているが、タリスの目はごまかせない。
――彼が、まさかここに居たなんて……。
それは少し前まで所属していたナイツでも、逃れてきた帝国内部でも聞かなかったことだ。
「……僕に、何か用かい?」
「あ、……いえ、別に」
不躾な視線を投げていたのだろう。それを察して曖昧な言葉で誤魔化す。そして、あらためてジョイスを見た。
以前、ナイツに所属していた頃に見た彼とはまるっきり印象が違う。棘が抜けたような……猛犬から牙を全て抜き、爪を剥げばこのようにおとなしくなるのだろうか。それほど、レイヴンと目の前のジョイスの印象は違った。
「ジョイスはね、記憶がないんだって。……もしかして、タリスさんは何か知ってるの?」
「……ううん、初めてだから」
レイヴンのことを話すべきか。僅かに悩んだ末、タリスが選んだのは話さないことだった。レイヴンのことは正直好きではなかった。むしろ怖い存在だったのだ。だから、当時を思い出させてしまうよりはこのままでいいとタリスは結論付ける。
「はーいおまたせ! 今日の自信作よ!」
折よくオルディが昼食を持ってやってきた。
メニューは白飯に味噌汁、野菜の和え物に焼き魚などなど。最近、健康志向の人々に人気の“和風料理”というものらしい。
「生野菜とか使えるのは最初の内だけだからね。しっかり食べといてよ! 航海の後半は揚げ物ばっかりなんだから! 特にそこの船酔い」
航海中の料理は出港の際に詰め込んだ食材による。しかし、生ものはすぐに消費しないと腐ってしまう。そのため、長距離で物資の補給がないと、航海中の料理は長持ちする油ものが中心となってしまう。また、揚げ物はつまるところ油料理だ。船酔い中の者にとっては、この上ない地獄料理と化す。
「……魚の油だけでも、地獄なんだが。つか、俺のだけ……油酷くね?」
「そりゃ、あんたのだけとびっきりのを用意したんだもの。しっかり、全部、食べ尽くしなさい」
「……イジメ、良くねーぞ」
沈痛の面持ちで呟くローレンジは米粒を一粒ずつ決死の想いで口に運び始める。
そんなローレンジに憐みの視線を投げ、タリスもまずはと味噌汁を飲んでみる。
「……美味しい」
「でしょ! あたしも料理人の端くれなんだから。まぁ得意なのは揚げ物なんだけどね」
ジョイスは静かに。フェイトはがっつくように料理に夢中になっているのを余所に、オルディはカモを見つけたと言わんばかりに自身の身の上を話し始める。タリスは自分からあまり話す方ではなく、話題を振ってくれるのは素直にありがたい。
オルディはガイロス帝国の海軍所属だった。シンカーに乗り、帝国の領海内で警戒任務に当たることが多かった。
そんな彼女の趣味は料理だ。海軍時代も同僚に手料理を振舞い、充実した日々を送っていたと言う。しかし時代は摂政プロイツェンによる戦争の激化へと突き進み、いつしかオルディも戦火の中で荒んだ日々を送る様になっていた。
ある日の事である。久しぶりに休みが取れたオルディは、同じように休みを取れた同僚と帝国領で風の都と呼ばれる町に出かけた。そこで開店した揚げ物屋がとても評判で、ぜひとも一度行ってみたかったからだ。
店主は元軍人で、嘗ての繋がりから軍人のリピーターも多い評判の店だ。現役軍人たちが酒と串カツを肴に愚痴や自慢話に華を咲かせる店内。どこかアットホームな店の作りに、心地よさを感じた。
そして、店主であるアダムスという男の作る揚げ物の数々。料理には自信があったオルディをあっという間に魅了するほどの絶品だった。
そこからは早かった。アダムスの料理にほれ込んだオルディはその場で弟子入りを志願。閉店後の店内で同僚とアダムスの協力の元、うるさい上司を言いくるめるシナリオと辞表書きを夜が明けるまで続けたとか。
そして、軍を辞めてアダムスの下で料理人として修行を始めた。
月日が経過したある日のことだ。アダムスが古巣としていた
ちなみに、この時アダムスは依頼書をロクに見ず、ただ料理人を欲しているとだけオルディに伝えていた。そのため今回の遠征任務の詳細をオルディは一切知ることなく乗艦したのであった。
「なんというか……いい加減な人ですね」
「ほんとよ! まぁ決めたのはあたしだし、元海軍所属だったんだからある意味相応しいってところよねー」
全く情報を知らされずにやって来たと言うのに、オルディはあっけらかんと笑っている。その笑みは、もはや何が来ようと受け入れる広い度胸があればこそだとタリスは感じた。
机上の料理はほとんど片付いている。一か所だけ、全くと言っていいほど手が付けられていない料理があるが、それは言わずもがなである。
「あーごちそうさま! おいしかった!」
「……ごちそうさま」
あのレイヴン――否、ジョイスがきちんと食後の挨拶をするとは……密かにタリスはそこに驚いた。
「さて、食べたんならそろそろあっち行きなさい。もうすぐごった返してくるわ」
さっさと行け! という様にオルディは手を振り、ローレンジの残飯を乗せた盆を持ち上げた。「どうせもう食べないだろ」という訳である。
「あの、それは?」
「ああ、ザルカさんにあげるのよ。あの人食べれればなんでもいいみたいな人だから。いつだったかしら。未知の探求とか言って腐った魚食べてお腹壊してたわ」
それを容認するのは船上料理人としてどうなのだろうか。心の中で呟きながら、タリスは特色が強すぎると
タリス達が乗っているのはドラグーンネストの一番艦であり、二番艦にはズィグナーを頭とするメンバーが乗っている。そちらのメンバーとも、乗艦時に挨拶を交わしていた。
ふと思う。ここまで上げてきたメンバーは。ガイロス帝国内でも多少なりとも名の知れた者が多かった。帝国軍所属でないサファイアも、嘗ては極少数の傭兵団を率いてガイロスに属して戦っていたらしい。だが、タリスはローレンジだけ深く知らない。ヴォルフと親しい男、という以外、何一つ知らないのだ。賞金稼ぎとしてそれなりの名が知れているが、それだけだ。
まるで、意図的に隠されているように、彼の詳細は闇に包まれている。
――この人は、何かあるのだろうか……?
幼い少女と元帝国最強のゾイド乗りと親しい青年。その裏を、タリスは少しずつ気になり、再び彼へと視線を向け――
「……なにか?」
顔を真っ青に染めたローレンジが目の前に居ることに、酷く嫌な予感を感じた。
「な……なぁ、捨てていい袋か何か……持ってない?」
「ありません。そういうあなたは、持ってないのですか? 予測できることでしょう?」
「こ、ここまでで使い切った……」
口元を押さえ、決壊寸前のダムを思わせる彼にタリスは言いようのない不快感を覚えた。ひとまず離れてもらうか、さっさとトイレに行ってもらおう。そう思い、
「とにかく、早く御手洗いにでも行ってきてください。ここは食堂ですよ。こんなところで――」
そこまで言いつのり、タリスの言葉は止まった。理由は簡単だ。
目の前のダムが決壊したからだ。
フェイトは「あちゃあ……」と顔を背け、ちょうどやって来た隊員がその光景にピタリと呼吸を止める。オルディは言いようのない怒りを噴出させ、ニュートはその後の惨状を予測してかシャドーと連れ立って足早にその場から去って行く。
そして、当のローレンジはというと決壊させたダムから水を排出し、いくらかすっきりした表情になっていた。ただ、少しずつ顔を上げ、そこにあった表情を見たのだろう。一瞬で氷の様に固まった。
タリスは、笑っていた。菩薩のような笑みを湛えている。それはタリス自身も自覚出来る笑顔だ。ただ、近くにいる者は分かるだろう。その内には地獄の閻魔も裸足で逃げそうな業火が釜の中に湛えられていることを。
「えっと……この機会にさ、ドラグーンネストの風呂を体験すればどうよ?」
ローレンジが取り繕おうとして言ったそれは、抑えられていた地獄の釜を開く行為だった。
「ふ……」
タリスの口がほんのわずか持ち上がる。そして、
「ふざけるなぁああああああっ!!!!」
彼女の怒りが、迸った。
火山爆発の如き怒りを見せるタリスと甘んじて――船酔いで逃げようにも覚束ない――その噴火を受けるローレンジ。その光景を、鼻を押さえながら遠くから眺めるジョイスは、一言吐き捨てた。
「バカが」
もし、タリスの耳に届いていたら、その呟きはレイヴンそっくりだった、とでも言っただろう。
***
「信じられない」
汚れた服を脱ぎ、桶に投げ入れながらタリスは憤慨した。汚れた衣服はしばらく水に浸け、その後で洗うしかない。しかし、その手間はさておき、あの始末には怒り以外の感情が湧き上がらない。
「まぁまぁ、ロージもわざとやったわけじゃないし」
「当たり前! あれをわざとやるなんて……常識が無いとしかいいようがないわ!」
フェイトが他人の弁護をするというのも滅多に見れない光景だが、それを気にするほどタリスは彼らと親しくない。むしろ此度の一件で酷く不快だった。それまでの冷静な口調は形を潜め、語気が強まる。
ドラグーンネスト内の風呂は然したる広さではないが、一定の快適さは備えていた。まぁ、輸送艦に快適な湯船を求める方が間違っているのかもしれないが。ひとまず臭いが無くなるまで念入りに身体を洗い、湯船につかることでタリスの怒りも少しずつ治まってきた。
ただ、その間にもタリスは溢れ出した言葉を矢継ぎ早に吐き出し続ける。普段は口数が少ない寡黙な印象だっただけに、フェイトも驚いた。
「あのぉ……ロージは普段はあんなんじゃないんだよ? もっと頼りになるんだよ。いざって時は、ホント、ね?」
タリスの様子を窺いながらフェイトが弁護を続けた。輸送艦としては納得のいく湯船に、タリスの気持ちもだいぶ落ち着いていた。
「彼は……あなたのお兄さん、なのね」
「うん。わたしのお兄ちゃん。とっても強いんだよ! ゾイドに乗ったら負けなしなんだ! あ、でもアンナさんには一回負けちゃったんだ。でもね、ちゃんとアンナさんを止められたし、すごいんだ!」
満面の笑みで、手ぶりを交えて語るフェイトからは、彼女がローレンジのことを強く信頼していることを感じさせた。
信頼できる兄という存在……それは、タリスにもあった。
「……大好きなのね。彼のことが」
「うん! だってわたしのお兄ちゃんだもん! タリスさんも、ユースターさんのことが大好きなんでしょ」
「……そうね。ナイツに入ってから、兄さんはずっと私の支えになってくれた。辛い訓練の日々も、兄さんが励ましてくれたから乗り切れた。だから……」
湯を掬い上げ、顔を洗う。暖かな湯がタリスの気持ちを緩やかにしてくれる。そう、
「兄さんを取り戻して見せる。そのためなら、私はどんなことでもやってみせる」
静かな決意が、タリスの胸に宿る。フェイトが不思議そうに見つめる中で。
さて、長々と前段階をお送りしましたが、次回よりいよいよ暗黒大陸突入です。