「うー……さびぃ」
夜は冷える。いそいそと寝袋から抜け出し、バンは野営地を離れた。皆が眠っているから起こさないように、ゆっくりと。でも急いで。
離れた場所で用を足し、さっさと寝ようと戻ってきたバンは、ふと己の愛機の足元に視線が向いた。誰かがいる気がしたのだ。そして、それは当たりだ。
「なにやってんだ?」
不意打ち気味だったその声に、ローレンジは軽く心臓が跳ねたのを感じながら、飄々とした表情でそちらに向く。
「なんだ、バンか。初めて見るゾイドだからな、ちょっと気になってさ。お前の相棒だろ」
「ああ、ブレードライガーな」
ローレンジの横にバンが歩み寄り、共にそれを見上げた。蒼き刃の獅子は、黄色の爪と牙を月に煌めかせていた。
「なぁ、一つ聞いときたいことがあるんだ」
「なんだよ、改まって」
訝しげなバンに、ローレンジは一つ息を吐いた。
「ジェノザウラー」
「――ッ!?」
「負けたんだってな。ブレードライガーに生まれ変わるきっかけだったらしいけど」
「ああ、すげぇ強いゾイドだった」
俯き加減でバンは答えた。未知のゾイドであろうそれに負けた時の悔しさを思い出したのか、少し重みのある声音の回答だった。
そこも含め、ローレンジは似ていると感じた。「ジェノ」の名を冠するゾイドに負け、新たな力を手にしたこと。その境遇か、それとも……。
「次は勝てると思うか?」
「……正直、分かんねぇよ。レイヴンは強い。今の俺とブレードライガーでも、勝てるかどうか……」
「不安げだな。もちっと自身持てって、相手はガキだろうが――あ、バンもガキだったな。悪い悪い」
「ガキって言うな! 子ども扱いするんじゃない!」
「はっはっは、悪い悪い。――さて、コーヒーでも飲もうぜ。目、冴えちまっただろ」
野営地に戻ると簡易コンロに火を点け、湯を温める。温まった湯でコーヒーを作り、コップに注ぐ。
「……なぁ、ミルクと砂糖ないの?」
「あ? んなもんねぇよ。コーヒーはブラックだ」
「えー、俺ミルクと砂糖たっぷりが……」
「やっぱガキか」
「なに! やっぱいい! ブラックで飲む! ――ってあっちぃしにげぇ!!!!」
ムキになってコーヒーの入ったコップを傾け、派手に噴出したバンを見てローレンジは声を押し殺して笑った。次いで辺りを見渡し、皆の安眠を妨害していないかを確認した。アーバインが半眼で睨み上げているが、肩をすくめてやり過ごす。
「さて、レイヴンのことだが」
「会ったことあるのか?」
「いんや、噂しか知らない。ただ、次元の違う奴だってことは分かる」
黒いオーガノイドを連れた少年兵――レイヴンの噂は元ガイロス帝国軍所属だったウィンザーから聞いたこともある。話を聞くだけでも恐ろしいものだった。まだ14歳だというのに勝てる気がしない。このまま成長したら、一体どれほどのゾイド乗りになるのか。恐ろしすぎる想像が生まれ、ローレンジはコーヒーを口に含んで押し流す。コーヒーの苦みが、今はちょうどいい。
「お前は何度か戦ったんだろ。どう思うんだ?」
「うーん……なんていうかさ、あんたの言う通り、次元の違う奴って思うけど、気に入らない奴だ。あいつはゾイドをただの兵器としか見ていない。そこが嫌だ。
それに、避けては通れないんだ。あいつと、レイヴンとの戦いは絶対避けることが出来ない。いつか、どこかで必ず決着をつけなきゃいけない気がするんだ。レイヴンとは……」
――
ローレンジはバンから聞いたレイヴンのことを思い返す。
バンとレイヴンは最初に会った時から正反対のような考え方だ。バンはゾイドのことが大好きで、レイヴンは開口一番にゾイドが嫌いと言い放つ。だが、真逆の思考を持つ二人だからこそぶつかり合い、やがて無視できない存在へと昇華した。そんなところだろう。
「……バン。怖くはないのか。レイヴンは、ジェノザウラーはお前を負かした相手だぞ。しかも、完膚なきまでに叩きのめされたんだろ」
「ああ、怖いさ。だから、次こそは勝って見せるんだ! 負けっぱなしは御免だぜ」
「負けっぱなしは御免、か。だが……」
目をつぶれば、脳内で鮮やかに再現される光景。素早い動きから鞭のように振り抜かれた尻尾の一撃がヘルキャットを打ちのめす。鋭い爪が機体に食い込み、流れ込む電流がパイロットに甚大なダメージを注ぎ込む。背中に備えられた大剣は、ブレードライガーのそれよりも厚みがあり、重い斬撃を加えてくる。一撃でも喰らえば再起不能は間違いない。そして、どのゾイドの装備よりも凶悪な荷電粒子砲。悪魔の呼び声のような咆哮と共に放たれる閃光は、全てを飲み込み……。
「――おい、おい!?」
「ん? ああ、悪い」
軽く意識が飛びかけていたのに気付き、手元のコーヒーを飲む――が、すでに飲み干していたのか、中は空っぽだった。
「あー、もう空だ。いるか?」
「いや、いいよ。それよりさぁ」
粉を入れ、もう一杯コーヒーを作るローレンジに、バンは考えながら言葉を紡ぐ。
「ひょっとしてさ、さっきの質問だけど、お前が怖いんじゃねぇの?」
「――ッ!?」
一瞬、湯を注ぐローレンジの手が止まった。気づかれないように平静を保とうと作業に戻るが、バンはそれに気づく様子もなく続けた。
「なんかさ、俺に聞いてるわりには自分のこと考えてるだろ、あんた。もしかしてさ、やっぱりあんたもレイヴンに会ったのか? それで、負けたんじゃ……」
「だから会ってねぇよ。ただ……そうだな、話しとくか」
注いだばかりの熱いコーヒーを飲む。喉の奥まで熱いコーヒーが流れ込み、つっかえていたものを腹の底に流し込んでくれる気がした。
「バン。お前、デスザウラーって、知ってるか?」
***
目の前で基地が一つ炎に包まれていた。共和国の前線基地だ。ゴルドス数機が配備された、それなりの規模を誇った基地だ。すでに、辺りは残骸しかない。
それを成したのは帝国軍の大部隊ではない。たった一人の少年と、彼の駆る一機のゾイドだった。
「ジェノザウラー……」
自身の乗るゾイドの同系機の名を口にし、アンナは崩壊した基地の痕を眺めていた。
眼下では抜き取られたゾイドコアを凍結し、運搬する作業が続いていた。そのゾイドコアは、とあるゾイドの復活に利用されるという。ゾイドの心臓であるゾイドコアを抜き取って別のゾイドに転用する。黙々と続けられるその光景は命を軽視するように見え、アンナは鬱屈した気分になる。
「何をやってるんだい」
その声は、通信機を伝って届いた。この破壊を成した張本人、レイヴンだ。
「レイヴン」
「君もプロイツェンに命令されてるんだろう。だったら、何をぼさっとしているんだい」
「……やる気がないだけよ。あなたこそ、随分入れ込んでるんじゃない?」
「フッ、殺り甲斐のあるゾイドを探してるだけだよ。もっと共和国の奥地に入り込めば、それだけの実力者がいるかもしれないな。まぁ、君のジェノリッターとも戦ってみたいけどね」
「そう、戦うことしか考えてないのね」
「それ以外に楽しいことがあるかい?」
それが当たり前だと言いたげなレイヴンに、アンナは返す言葉もなかった。
「やる気がなければ帰ればいいんだ。その方が、僕の獲物が増えるからね」
「……」
「行くぞ、シャドー」
地面を踏みしめ、レイヴンはジェノザウラーの歩みを進める。その横を、従者の如き黒いオーガノイドが付き従った。
――あたしは、もう戦う理由もない。
先日のことだ。アンナに一本の報告が入った。ヴォルフ・プロイツェンの死が確定したとのことだ。嘘だと思っていた。テラガイストの追撃を振り切り、ヴォルフは生きているとアンナは信じていた。だが……。
――ヴォルフが死んだ。あたしは、一体何のためにプロイツェン様に仕えて来たっていうの……?
いつか、プロイツェンがこの星を支配する。そして、ヴォルフがその後を継いで惑星Ziは平和に包まれる。プロイツェンの言葉を信じ、ヴォルフと共に歩もうとしていた未来。
だが、ヴォルフは死んだ。プロイツェンが与えた
通信が入った。またレイヴンかと思ったが、回線の番号が違う。だが、見覚えがある番号だ。しばし待ち、アンナは通信をとる。
「なんでしょうか、閣下」
『アンナ・ターレス少尉。君に報告がある』
「報告?」
『君が始末したと言っていた少年――ローレンジ・コーヴだが、生きているぞ』
「ッッッ!? 生きている……!?」
『ああ。未だ、私を狙って密かに活動を続けているらしい。
「では、ヴォルフも……!」
『……残念だが、ヴォルフはやはり……奴等、ヴォルフを犠牲に生き延びたようだ』
「――そうですか」
『今は所在がつかめていない。引き続き任務に当たれ。だが、連中の居場所がつかめたら、真っ先に君に伝えよう』
「お願いします」
通信が切れる。一呼吸置いて、アンナは奥歯を噛んだ。ギリと音が鳴るほどに強く。
――生きていた……あいつが、ヴォルフを犠牲に!
操縦桿を強く握り込む。ジェノリッターのバーニアが開き、脚部のブースターを吹かして一気に始動する。ジェノザウラーを追い越し、次の共和国の基地まで向かうのにさした時間はいらない。
「ヴォルフの仇……絶対に殺してやる、ローレンジ・コーヴッ!! 今度は、手加減なんてしてやらないッ!!」
感情の赴くままにアンナは叫ぶ。こみ上げる憎しみは、そのままジェノリッターにも流れ込む。それを感じ、ジェノリッターは歓喜するように一声吠えた。
翌日、共和国の基地がまた一つ、壊滅した。
***
「……デスザウラー、か」
ローレンジはバンにすべて話した。自身が出会ったデスザウラーのことを全て。そして、ジェノリッターのことも。
「俺が倒したデスザウラーはまだ未完成だったし紛い物だ。だが、並のゾイドを凌駕する力は十分に備えている。勝てたのは奇跡だったな。で、ジェノザウラーはその力の一端を受け継いだようなゾイドだ。その力は、正直底が知れないな」
「世界を滅ぼすようなゾイド。その力を受け継いだジェノザウラーがもう一機いるなんてな……さすがにきついぜ」
バンも自身が出会ったレイヴンのジェノザウラーを思い出す。パワー、スピード、ガード、どれをとっても隙がないゾイドだ。射撃も格闘もこなせる万能ゾイド。それが、バンの出会ったジェノザウラー。
「まぁ、ジェノリッターの方は格闘戦主体だ。だがシールドも備えてて、たぶん機体性能で言えばリッターの方が上だ。でも、レイヴンにはシャドーがついてる。どっちもどっち、敵に回したくないのは間違いない」
「だけど、プロイツェンと戦うんだったら、そのジェノリッターって奴も倒さなきゃいけないんだろ。だったら腹くくるしかねぇよ!」
「バン。分かって言ってんのか? ジェノザウラーもジェノリッターもまともじゃない。いくらお前のブレードライガーが強くたって、正面切って戦えるかどうか、それにパイロットはあのレイヴン……」
「グダグダ言ってたって仕方ねぇよ! 俺は絶対勝つ! 勝って見せる! レイヴンには絶対負けない! だから」
バンは拳を突き出した。ローレンジに向けて、炎が灯ったような目でまっすぐ見つめる。
「そのジェノリッターっての、お前も倒さなきゃって思ってんだろ? だったら迷うな! 絶対勝つんだ!」
実際に戦って、勝ち目が薄いのは分かっている。だが、ローレンジは不思議な気分だった。バンの目を見つめていると、勝てる気がしてくる。気持ちが前に向いてくる。戦わなきゃならない、勝たなきゃならない。そんな気持ちが、前に押し出されてくる。
――変な奴だな。だけど、こいつの噂が違いないことは分かった。こいつは、周りも巻き込んで強くなれる奴だ。乗っかるしかないな、俺も。
ローレンジも拳を突き出す。バンの拳に自分の拳をぶつけ、そして宣言する。
「バン。ジェノリッターは俺が倒す。だからお前もジェノザウラーを倒せ。それで、プロイツェンの野郎を一緒に倒す! 怖気づいて逃げんなよ?」
「そういうお前こそ、さっきまでビビってただろうが。絶対逃げるなよ!」
拳をぶつけあった二人は、ともに約束を誓う。倒すべき敵から逃げず、必ず終わらせると。
その決意をより固くするかのように、朝日がその場を照らし出す。照らし出された二人の顔に、曇りはない。互いに互いが成すべきことを成すだけ。それだけだった。
さて、次回以降はまたバンの出番が無くなります。
裏話ですから。メインキャストがいない裏の話ですから。