基地最上階に設けられた指令室。その司令官の椅子に腰を下ろしたローレンジは背もたれに体を預け、腕を頭の後ろで組み、足を机の上に乗せていた。乗っ取った基地の指令室での図々しい態度は、ある意味この場を奪い取ったということを言外に証明しているようにも見える。
目を閉じ、部下も出払った指令室で、一人周囲の音に耳を傾ける。基地周辺の山を下りてくる風の音。指令室内の機械音、空気の流れ。じっと佇み、音のみに意識を集中する。
すると、にわかに騒ぎが聞こえてくる。この階ではなく、おそらく階下。
おもむろに瞼を持ち上げると、乗せていた足を下ろし、監視カメラの映像が映ったモニターに視線を移す。監視カメラの視界の中では捕らえ、独房に放り込んでいたはずの帝国軍人たちと、連れて来た
「もう、か。早かったな。流石は帝国か」
ぽつりとつぶやき、机の上に投げてあった無線機に手を伸ばす。
「ヨハン、状況は?」
『解ってるんだろう頭領。ついさっき下から一気に押し寄せてきやがった。いやにやる気があって、どうにも制圧に困る』
「脱走されることも考慮しとけつったろうが。見回りに行かせたデリスとロートはどうしたよ」
『さぁ? 返事がないとこからして、下でやられたんじゃないか』
「戦犯はあいつらか」
『さぁてね。基地奪還のための部隊が派遣されるって情報が入って、迎撃準備にかかったところをこれだ。してやられたよ』
「そっくりそのまま返された、ってとこか」
ヨハンの言葉を頭の中で反芻しながら、ローレンジは状況を整理する。
今回のデモン基地制圧は、内部に
そして今、独房の中に押し込んでいた帝国軍人たちは、独房に捕らえられた状態から何らかの方法で脱獄し、逆に基地を
図られたのだ。かれらの反撃は、外部の動きと呼応して行われている。
ローレンジは無線の周波数を変える。ヨハンとの個人的なやり取りでなく、全周波数に変え、部下たちを鼓舞する声明を飛ばすためだ。
――
そう心で愚痴りつつ、軽く呼吸を整え、無線機を改めて口元に近づける。
「いいかお前ら。してやられたなんて思うな。連中の反乱ごとき、軽く捻りつぶしてやれ。お堅い軍の連中に、戦いのプロってのがどっちか思い知らせてやるんだ。中の連中も、外から来る援軍も、まとめて叩き潰す。それに忘れるな
野太い男たちの声が、檄に呼応し雄たけびを上げる。単純な対人白兵戦ならば、普段の喧嘩含めた訓練で場馴れした賞金稼ぎたちが軍人に後れを取ることなどそうそうないだろう。仮に一方的に叩きのめされたとして、それはそれで現在の自分たちの力を試すいいきっかけになったと捉えられる。
『あまり身のない声援だな頭領。具体的な作戦などが何一つない。何人かは、頭領の指揮官能力に違和感を覚えるかもしれないよ』
「もともと俺はお前らと同じ、前出て腕ふるってこその人間なんだ。
『そうさせてもらおう。頭領にとっても訓練だったということで』
気楽な雰囲気を醸しながら返してくるヨハンだが、無線機が拾ってくる音はところどころ途切れている。空気を切るような音だったり、荒い呼吸音も混ざっている。無線に答えながら、ヨハンは帝国軍兵士を数人相手にしているのだ。
流石は、
『このままだと付け入るスキが多くなる。前出ることが本分なら頭領、あんたも出てきてくれないか。部下たちを鼓舞してやってほしい』
「そうだな。まんまと奪い返されちゃあ、せっかく完勝したってのに面白くない」
徐に立ち上がり、ローレンジは指令室の出入り口へと足を向ける。けれど、机を迂回し五歩進んだところで、ローレンジはピクリと片眉を動かした。同時に、口端を持ち上げ、にやりとスリルを楽しむようなあくどい笑みの表情を浮かべる。
「悪いヨハン。そっちはそっちで対処しろ」
『ほう、後手に回らされたか』
「ああ。俺たちゃ攻め手は得意だが、受けに回るとどうにも振り回されるな。今後の課題だ」
そう告げると、無線機を机の上に軽く投げ、素早く身を
屈むように駆け抜け、右足で駆けた勢いを殺すローレンジの背後に何者かが着地する――否、一瞬前に立っていたローレンジを踏みつけんとばかりに力強く降り立った。そして、着地に込めた力を、脚をバネのようにして更なる勢いに変え、その人物はローレンジに向かって蹴り上げる。
腰を落とし、勢いの乗った蹴りを持ち上げた片腕でガードする。互いの攻防が交差し、互いを認識する一瞬の時間ができたことでローレンジは「はっ」と笑声と共に息を吐く。
「脚癖悪いな――っと!」
言葉を投げかけ、しかしそれは同じく新たに降ってきた人物の攻勢への対応で塞がれる。突き出された拳を、先ほどと同じようにガードしようとするも、拳は直前で開かれ、ガードに掲げた腕を掴まれる。
このまま密着し、関節を決めにかかる。銃器や刃物を持つ腕を封じ、相手を無力化する軍隊格闘の動きだ。そう瞬時に把握したローレンジは腕を極められる前に自らぶつかるように渾身のタックルを行う。
手慣れた相手ならば完全に密着してしまえば無力化されてしまうだろう。けれど、ローレンジは相手がその動きに入る前に、肘を鳩尾に叩きこむ。そして、怯んだ相手から素早く抜け出し、距離をとった。
互いの距離を開け、数瞬の攻防に一息つく。
「おいおい、GF様の参戦は聞いてねぇぜ」
「当然だ。おかげで休暇が台無しになったのだからな」
「そりゃ悪かったな」
悪態を吐きながら、ローレンジはちらりと目線を上に持ち上げた。つい先ほどまで何気なく歩いていた指令室の天井。その通気口にぽっかりと穴が開いていた。
「そういやそこ、人が通れるくらいの隙間があったな。まさか高貴な帝国軍人様があんな狭苦しいところを潜り抜けてくるたぁ、予想外だったよ。しかも」
そうぼやきつつ、ローレンジは相対した二人を見る。
方や桜色の髪が美しい、よく知る親友の妻の面影が色濃く感じられる絶世の女性。そしてもう片方は、ローレンジもよく知るGFの帝国側の代表を務めるカタブツそうな男。
「意外な組み合わせが襲ってきたもんだな。カタリナ・ターレスに、トーマ・リヒャルト・シュバルツ、か」
二人の名を口にし、とびっきりの悪党の顔を作って、ローレンジは笑った。
***
トーマは先ほどの僅かな攻防を思い返して、心中で舌打ちした。
ローレンジ・コーヴの実力は、知れ渡っている。それは彼が
――ブリックの言った通り、俺たちでは到底届かない、か。
それは独房に侵入し、カタリナと合流した後のことだった。カタリナと協議した結果、独房脱出の際に鍵を奪って囚われた兵士たちを全員解放し、彼らに基地奪還を蜂起させる。その隙にトーマとカタリナは通気口を伝って指令室へと侵入。そこに控えているだろう主犯格のローレンジ・コーヴを抑える、という作戦だった。
ところが、それを聞いたブリックが制止をかけてきたのだ。
『トーマ、あの頭領と直接やり合おうって考えてんのなら、そいつぁ甘いぜ』
『どういう意味だ。俺と彼女では役不足というのか?』
トーマはGFに所属する以前から、
さらにカタリナも、侵入してからの一連の攻防でその実力は十二分に理解していた。いくら噂に聞く『
『
『その話は知っている。だが、あくまでゾイド戦だろう。人同士なら話は別だ。所詮は賞金稼ぎ上がりの男、造作もないだろう』
『それが甘いってんだ。なんせ、俺が直にやり合ったからな。あんなバケモン、初めて見たぜ。同じ人間とも思いたくねぇ』
ガイロス軍内では、一度
その時のことは、ブリックは口を噤むことにした。けれど、確信もしたのだ。
ローレンジ・コーヴという男の、本当に恐ろしいのは何か。
オーガノイドと類稀なるセンスを活かしたゾイド戦か?
優秀な、幾人ものならず者たちを従えたカリスマと、彼らを使った連携策か?
違う。
本当に恐ろしいのは、彼本人が生身で行う白兵戦だ。
ブリックは一度の戦いで感じ取ったのだ。この男がその気になれば、歩兵部隊一個中隊――武装兵およそ120人ほど――でも単独で全滅させれしまえるのではないか。
無論、対峙したブリックの憶測に過ぎない。けれど、そう感じてしまえるほどの圧を、ブリックは感じ取っていた。
『いいかトーマ。今回の作戦の勝利条件は頭である奴を無力化することだ。けど、直接戦闘で決めようなんざ考えんな。その選択をした瞬間、負けるのは俺たちだ』
いい加減な部分はあるが、こと作戦行動においては真剣に臨む友の言葉だ。怖気づいただけだと切って捨てることはせず、頭の中にその忠告をとどめてトーマはローレンジ・コーヴに挑んだ。
そして、友の言葉は事実であると、トーマははっきり感じたのだ。
トーマ自身も組みあったのは先ほどの一度だけ。けれど、それでもローレンジ・コーヴがこちらの奇襲をある程度の余裕をもって捌いたことは分かった。そして、万全の状態であろう今ならば、カタリナと二人がかりでも勝ち目が乏しいと判断できる。
横目でカタリナに視線を送る。それにカタリナは整った顔立ちと表情を崩さず、ローレンジを見据えたままほんの小さく頷く。彼女も先ほどの攻防で理解したのだろう。
ローレンジ・コーヴを二人で抑えられるならばそれでよし。不可能、若しくは困難であると判断したのなら、もう一つの方針に舵を切るべきだ。
「答えろ。何のためにこのような事件を起こした」
「聞いてんだろ。依頼があったんでな」
「無血で制圧する。それも、依頼のうちということか」
「当然。
依頼。ブリックからも彼がそう答えていることは聞いている。雇われ集団である
「そのためならば、貴様を信用した者たちを当然のように裏切るわけか」
ぎりと奥歯を噛み締めながら、トーマは呟くように言った。
「なに?」
「貴様は、その立場に似合わんほどの信用を勝ち得ているという事実を、理解しているのか?」
トーマは、ローレンジ・コーヴという男があまり好きでない。初めてその存在を知った時から、どうにも信用に値しないと感じる相手だった。同じ賞金稼ぎでも、アーバインとは雲泥の差だ。
「此度の貴様の行動、ガイロスとの関係改善を目論んできただろう
「あいつらな訳あるか。俺が
「ああそうだな。俺たちも、客観的に見てそうだと思う。だが、そう言った疑われる行動をとるのは感心しないだろう。
そう言ってちらりとカタリナに視線をやった。じっとトーマの話を聞きつつ、ローレンジへの警戒を行注がせなかった彼女は――少し逡巡した後――頷いて見せた。
「奴らだけではない。貴様に信頼を持っているのは、バンもそうだ。そして、今回のことを知ったら奴は、大きく動揺するだろうな。困惑と怒りに、まともではいられない」
同じGFに属する者として、バンが彼ら
だからこそ、それを知っているからこそ、
「……貴様を、容認などできん。決して許さん!」
トーマは、怒っていた。
「貴様が起こしたこの事件、最悪の事態に発展すれば、それは我々ガイロス帝国とヘリック共和国が手を組み、貴様の属する
それこそ、トーマが忌み嫌ったジェノザウラーはガイロスの主戦力として駆り出されるだろう。もちろん、それはジェノザウラーのパイロットとして任命されたカタリナ・ターレスが最前線に立つことにもなる。実の姉であるアンナ・ターレスが属する
GFも平和維持という目的上、戦果を振りまきかねない
ローレンジはトーマの言葉を聞いても表情を崩さない。そのくらい分かっているとでも言うかのような、涼しい顔だ。それがますます、トーマの感情に火を灯す。
「分かっているのか? 手を取り合おうとした
トーマは、
けれど同時に、彼らを信頼する者たちが多いのも理解していた。同じGFのバン・フライハイト。ガイロス帝国皇帝ルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリン三世。共和国大統領のルイーズ・エレナ・キャムフォードもそうだ。そして、カタリナ・ターレスも。
彼らは、信頼した相手に裏切られ、その相手を滅ぼすための戦いを強いられる。ただ分かりやすい巨悪を討つということとは訳が違う。
そんな戦いを強いらせるわけにはいかない。だからこそトーマは、そんな状況を――自覚していたかどうかは別で――招こうとした
「……おいおい、マジになんなよ。……まさか、聴いてない?」
トーマの言葉に、ローレンジが表情を変化させる。冷や汗を垂らしながら彼は表情を少し引きつらせながら呟いた。その言葉がトーマの怒りをさらに沸騰させた。セリフの後半はもはや耳に届かない。
「当然だ! このようなことをしでかした。
指令室の床に、小さく靴の音が響いた。
トーマの怒りが、未だかつて誰も見たことがなかっただろう、本気の、全力の激高は、さしものローレンジ・コーヴすら怯ませた。敵対者に対しては常に真正面から一歩も引かずに立ち向かってきた彼が、無意識に半歩下がったのだ。
そして、その音で自分が下がっていたことに気づいたローレンジは、小さく「マジかよ」と呟いた。
「シュバルツ中尉、そこまでよ」
と、静かに成り行きを見守っていたカタリナが口を開く。
「さっきのは嬉しかったけど、もう十分よ。時間稼ぎは終わったわ」
「時間稼ぎ?」
問いかけるローレンジに、今度はカタリナが後方を、指令室の窓を示した。
互いに警戒しながら、窓の方に視線をやる。窓の先には、遥か遠方からこの指令室を射程に捕らえた重武装ゾイドの姿が。
陽光を照り返しながら、十七門の砲塔が火を噴く瞬間をちらつかせながらまっすぐに指令室を射抜く。二本の、レアメタル製特有の光沢を輝かせる牛角を勇ましく突き出した機体。バッファロー型ゾイド、ディバイソン。トーマの、愛機だ
「
「俺には優秀な
「だから時間稼いで降参に持ち込もうとしたってか? 悪いが、そういうことなら逃げさせてもらうぜ。ギリギリ間に合いそうだ」
そう言いながらローレンジは指令室の扉に視線を動かした。確かに、彼ほどの脚力ならギリギリ指令室を脱することも可能だろう。トーマもカタリナも、接近戦用のナイフは携帯しているが銃火器は持っていない。距離のある今なら、補足される前なら逃げきれる。
この場にいるのが、トーマとカタリナだけならば。
「そこまでだぜ。
その言葉は、トーマたちが侵入した天井裏からだった。思わず視線をそちらに向けるローレンジ。それこそが、決め手だった。
速やかに動いたのはトーマ。ローレンジの視線が完全に逸れた瞬間、一気に駆けだした彼はローレンジの懐へと入り込み、その腕を掴む。とっさに逃れようとするが、トーマの姿越しにカタリナが何かを取り出そうとする仕草を目撃する。その慣れた動きからとっさに銃器と判断した彼はトーマを盾にすべく体の位置を変える。けれど、急すぎる動作に体が着いて行かず、さらにできた隙にトーマが彼の身体を完全に捉える。
そして、昔兄に追いつこうと必死に習得したガイロス軍格闘術の知識を総動員したトーマは――偶然にも練習で見た兄のそれと同じように――ローレンジ・コーヴを投げ飛ばした。
ぐわんと宙を舞ったからだが指令室の硬い地面に叩きつけられる。ぐらつく頭を振り起し、立ち上がろうとするローレンジだが、その時にはすでにトーマに極められていた。
視線を動かし、ローレンジは天井を見つめる。
「あんた、ディバイソンか何かに乗って指示してたんじゃ?」
「
「そうかい。こいつはしてやられた」
そう言うと、ローレンジは全身の力を抜いてトーマに抑えられるまま、身体を床に投げ出し告げる。「俺たちの負けだ」と。
「まだだ」
けれど、そんなローレンジの言葉をトーマが遮った。
「あ?」
「まだ終わっていない。貴様に今回の件を依頼したのは誰だ! 答えろ!」
「答えろって……んなもんあんたも承知の上だろうが。まだ演技が続いてるのか? どこまで本気なんだよGFサマは」
「言ってる意味が分からん! いいから答えろ!」
此度の一件は本当に危ないところだった。
まだこの件は、終わっていないのだ。
「シュバルツ中尉、もういいわよ」
「なにがいいんだ! まだこれからやることが――」
「あのねぇ、これただの
瞬間、トーマはぴたりと動きを止め、カタリナに振り返り、
「……は?」
時が止まった。
よっこらせ、とため息を吐きながら起き上がったローレンジは「やれやれ」と呟きながら立ち上がり、机の上に転がしてあった通信機を掴み寄せる。
「あー、総員に告ぐ。指令室は奪還された。以上をもって基地襲撃、防衛、並びに延長の奪還訓練は終了。お疲れさん」
どこかけだるげな言葉で基地中に演習終了を宣言する。すると、今まで極限状態の緊張感に包まれていた基地の空気が、だるんとたわんだように途切れた。少なくとも、トーマはそのように感じた。
どこからか聞こえてくるのは互いの健闘をたたえ合い、盤上での戦いを終えて感想戦をしているかのような言葉。それが通信機に乗って基地中に散っていた
「残念だわ。せっかくなら、もっとあなたとの戦ってみたかったのに」
「けど勝てねぇって踏んだから俺とやり合うのを避ける方針にしたんだろ? おかげですっかり翻弄されちまった。いやに真剣だったからつい無駄話にも付き合っちまった」
カタリナとローレンジものんびりと感想戦を始める空気だった。が、トーマはそんな状況ではない。震える声帯を精一杯動かし、問いかける。
「タ、ターレス少佐。これは?」
「これって、演習よ。
「うちのプランの一つだぜ。ガイロスはお得意様でな。抜き打ちだったり数日かけてだったり。状況はいろいろだけどな。まぁ延長して奪還作戦の相手役までってのは初めてだったが、おかげでこっちの穴も見つかった。俺もまだまださ」
ローレンジの補足もあり、トーマはようやく状況を飲み込みつつあった。
トーマも噂には聞いていた。
本来ならそれで演習終了。そのまま改善点を模索し、という流れだったはずだが、
そのとあるスジというのが、つまりはトーマに今回の件を伝えた者なのだ。最も、トーマには肝心な、今回の件が『演習である』という部分は伝えられなかったのだ。
つまり、トーマ一人だけが、今回の件が本当に起きた事件であると思い、行動していたことになる。
「なかなかかっこよかったわよシュバルツ中尉。私のことまで気遣ってくれたなんて。ちょっと嬉しかったわ」
「俺に対してもガチの怒りぶつけてきたからなぁ。ま、そんだけバンや他の連中への意識が強かったってとこか。流石は
からかうように、にやにやと語り掛けてくる二人。彼らの顔など見ていられず俯き――はっとトーマは視線をある一点に向けた。そこには、両手を猫のように縮めて胸の前に持ち上げ、そろりそろりと効果音が付きそうな抜き足差し足で指令室から出ていこうとする無精ひげの男。
トーマの、数少ない友人。
彼は、トーマの視線に気づくと「へへ」と愛想笑いを浮かべ、そそくさと指令室を後にする。
すっくと立ち上がったトーマは、真っ赤に染まった顔に青筋を立て、叫んだ。
「ブリックきさまぁぁああああああああああああっっっ!!!!」
トーマの怒声に混じり、「ひぇぇっ!」という情けない悲鳴が、閉じていく指令室の扉の向こうから響く。
それを耳にしながら、残された二人は苦笑を浮かべ彼らを見送る。指令室の扉が乱暴に閉じられ、一転してしんと静まった指令室。わずかな間の沈黙を破ったのは、ローレンジだった。
「アンナから聞いたけど、家を立て直すんだって?」
「ええ」
カタリナは、短く答えた。
アンナとカタリナの実家、ターレス家は代々ガイロス帝国に仕えた歴史ある名家だ。けれど前党首――アンナたちの父がギュンター・プロイツェンと懇意にし、その野望に尽力してきたこともあって、今は大きく力を削がれている。
三年前の帝都炎上でプロイツェンに与した家系のほとんどは、この三年ですでに立ち行きならぬほどに力を削がれてしまった。もはや、ガイロスに仕える貴族としてのメンツを保てぬほどに。アンナたちの実家のターレス家は、アンナが直前で離反したこと、カタリナがプロイツェンに接触せずガイロスに忠義を尽くしていたこともあり、なんとか形だけは保てている。しかし前党首――アンナたちの父――がプロイツェンに協力していたこともあり、他の没落貴族と同じ道を歩んでいた。
「父も死んだし、
「とは言うけどよ、具体的な方策とかあるのか? アンナから、何か力になれることはないか聞いてこいって言われてんだけど」
「それで私に声をかけてきたの? 心配いらない。ちゃんと、考えてあるわ」
そう言って、カタリナは視線を指令室の扉に、その向こうに消えていったものに向けた。その視線に込められた意味を、ローレンジは何となく察する。同じような――とは到底言えないが、至る一つの結末。同じものを、アンナも望んでいた。
「そんなこと考えてるとはねぇ。お眼鏡に叶ったか?」
「ええ。彼なら、十分」
小さく小首をかしげて笑ってみせるカタリナの顔は、少し華があった。
やはり姉妹か、と嘆息する。
「ま、頑張れよ」
どっちに向けた者か分からない言葉を呟き、ローレンジはひらひらと手を振って指令室を後にした。
演習から一ヶ月が経ったある日。
シュバルツ家に一通の手紙が届く。数多く寄せられていた、トーマ・リヒャルト・シュバルツとの縁談の誘いの手紙であったため、その他と同じように乱雑に処理されるはずだった。けれど、その差出人に記載された名が、現当主であるカール・リヒテン・シュバルツの目に止まり、話は急速に動き出した。
差出人には、こう記されていた。
『カタリナ・ターレス』と。