「失礼します。とう――あれ?」
「副長? 頭領はどうしたんです?」
「今朝早くに『一週間ほど留守にする』って。止める間もなくね」
入室したクルムに疲れ顔を浮かべながらタリスは手元の書類に目を通す。依頼人からの文章に
「それで、どうしたの?」
「あ、はい。任務完了の報告を」
「そう、確か――護衛任務だったわね。エウロペの端までご苦労様」
クルムは
彼女の将来を憂いたトミー・パリスによって
タリスとはチームリーダーということで話すことも多く、また所属は違えど軍属出身という共通点から馬もあった。タリスが進める
タリスは、思い切って『あのこと』を相談してみようかと考えた。
『あのこと』とは、ローレンジとの関係である。クルムは十四歳。年頃――には少し早いが――そういった話題に食いついてきてもおかしくなかった。というか、実際に食いついて何度か相談を持ち掛けたことがある。
まだ彼女に話してはいないが、目下の悩みは頭領の師匠と兄妹弟子からの言葉だ。
ローレンジは、『最高の殺し屋』だよ。
ローレンジを、お願い。
後者、ティスの言葉は理解できる。彼女は同門として育ち、想いを寄せていたのだろう。そして、その道をタリスに譲った。会って一日と経たずにその決断をしたのには面食らったが、きっと彼女には彼女の決意があるのだろう。
そもそも譲る気などないが。
最も分からないのは、彼の師匠からの言葉だ。
いったい何をもって、師匠はローレンジを最高と認めたのだろう。そもそも、『最高の殺し屋』とはなんだ。
タリスとの誓い以降、ローレンジは殺し屋として活動することを――極力――止めた。それ以前から――フェイトの兄となった時から――殺し屋稼業には手を付けていないようだが、それ以上に意識化にある手段としての殺人を禁忌とするようになった。例外はコブラスただ一人。他にあるとすれば、おそらくあの事件。
そしてなにより、なぜ自分にそれを伝える役目を託したのだろう。
泥沼に陥りかけた思考を一度ふるい落とす。コーヒーでも飲もうとクルムに提案し、タリスは壁際においてあるコーヒーメーカーに向かった。
「でも、やっぱり頭領いなかったんですね」
「やっぱり?」
仕事もひと段落つけようとコーヒーを用意する傍ら、カップを取り出していたクルムの呟いた言葉に聞き返す。
「いえ、帰りはへスぺリデス湖から❘赤の砂漠《レッドラスト》の南を通るルートにしたんですけど、途中で頭領のグレートサーベルを見たんです。レビンが通信送ったんですけど、反応なかったし。人違いかとも思ったんですけど、今時グレートサーベルなんか使ってるの、頭領くらいですよね」
ローレンジのゾイド、グレートサーベルは旧大戦時に使用されたサーベルタイガーの改造機だ。基本設計は現在のセイバータイガーに流用され、同じ黒系のカラーリングをしている機体も――シュバルツ専用機始め――相当数存在する。けれど、普段から敬愛する頭領のゾイドを見ている彼女たちが見間違える、というのもそうそう考えにくい。
とすれば、やはりローレンジは北エウロペに向かったのだろうか。
「どこに向かってたか、分かる?」
「うーん正確には自信ないです。けど、たぶんオリンポス山じゃないかな?」
「そう……」
オリンポス山。
もう、十年以上前に大噴火を起こし、周辺地域含めて『死の地帯』と呼ばれている場所だ。かつては貴重な遺跡が残されていたとのことだが、今となってはそれを探るすべもないだろう。
そんなところに、ローレンジはいったい何の用だろう。か
コーヒーが完成し、そろって来客用のソファに腰かける。
「副長」
「なに?」
「行ってみたらどうです?」
「どうして? ローレンジが急に出て行ったりなんて、よくあることじゃない」
「それは、そうですけど……」
組織の長として、どうなんでしょう。
そんな意味ありげな視線で問うてくるクルムに「もう諦めたわ」と同じく視線で返す。
「何か気になることでも?」
「副長に会う前にフェイトにも会ったんですよ。で聞いたら、何でもこの時期になると決まって一人で行くんだとか。フェイトと会った時から毎年、だそうですよ」
「この時期って……」
ふっと、タリスは
外出希望を出した者たちの希望理由欄にも、皆そろって同じことが書いてある。
墓参り、と。
「もしかして、あの辺りに頭領の実家があるんじゃ?」
ここまで出てきた情報から導き出される答えは、自ずと一つである。ただ、タリスが知る限りローレンジは孤独の身だ。家族を亡くし、拾われたのちに殺し屋としての道を踏みしめてきた。
タリスには親の記憶はない。物心ついたころには兄と二人っきりで、スラム街にいた。けれど、ローレンジはどうなのだろう。
「副長、行くべきです!」
「ど、どこに?」
「どこって、決まってるじゃないですか! 頭領を追って、オリンポスにですよ!」
「ローレンジが出ていったのは三日前よ。今更追いつける訳――」
「スペースシンカーがあるじゃないですか! 数時間でここからニューへリックまで行って帰ってきた。十分おいつけます!」
でも、と渋るタリスにクルムはここぞとばかりに畳みかける。
問答していると、騒ぎを聞きつけたヨハンとフェイトも現れ、あろうことか二人してクルムの側に立つ始末だ。
副長として、頭領の留守を預かる役目が。引き継いだ仕事が。そんな言い訳は三人が肩代わりするからと強引に打ち消され、結局タリスは半ば追い出されるようにして
***
スペースシンカーの操縦は、並のゾイドと違って非常に難しい。
そもそも、海と空の両方を行き来するというシンカーの特性は、小型ゾイドの常識を突き破って操縦に難を有する。単純に海中の操縦と空中での操縦に精通していればいいという訳ではない。
海から空へ、空から海へ。瞬間的に全く操縦感覚の違う領域へ飛び込み、切り替えていくスタイルは、機体の強みであると同時に、その操縦の専門性を強く叩きだしていた。
だからこそ、だろうか。本当の意味でシンカーの操縦に精通した者の動きは、美しい。
海から空へ。
空から海へ。
二つの世界を行き来しながら相対した敵機を翻弄する様は、芸術ともいえる。
そして、スペースシンカーという機体は、本来のシンカーともさらに違う動き方をする。
彼の機体はシンカーの強みである水中を捨てた。その代わりに得たのは、星の大河である大宇宙にさえ、単独で到達できる頑丈性、そして大気と重力を突き破ることのできる速さだった。
スペースシンカーの操縦が難しいとされる理由は、数秒で重力を振り切る最速まで到達できるその加速性に、パイロットが耐えられないからだ。
「大丈夫?」
タリス・オファーランドは、その点では問題なかった。タリスは非合法の賭博レースで稼いでいた経験がある。
追突、妨害、事故、その他何でもありな狂気のシンカーレースでその日を生きる日銭を稼いできたのだ。シンカーの操縦にも、急加速にもある程度耐性はある。
けれど、同行した
「き、きぃぃぃぃ……」
いつになく疲れ、弱り切ったへろへろな声を漏らすのはオオトカゲの姿をした白いオーガノイド、ニュートである。ローレンジの毎年恒例行事らしい今回の外出に、彼は最愛の妹どころか、いつも傍らに侍らせている――欠伸していることが多い――マイペースな相棒すら連れ出さなかった。けれど、タリスにとっては僥倖なことこの上ない。
「調子が戻ったらお願いね。私では、あの人のいそうなところは分からない」
ローレンジは常日頃からニュートを連れている訳ではない。先ほどの説明とは矛盾するものの、彼がオーガノイドを伴わないことはそれなりにある。しかしニュートは、自信が必要だと感じると、図ったようにローレンジの隣に姿を現し、阿吽の呼吸でローレンジを援護する。
まるで自身にセンサーを内蔵しているかのようだ。
フェイトから「ニュートも連れてったげて」と言われた時はどういう意味か計りかねたが、ここまでの数時間で意味は把握した。
やがて、ニュートは「どっこらせ。さぁていきますかい」とでもいうように体をぶるぶると振るわせると、よどみのない足取りで歩きだした。
ニュートが進んだ方向に目をやると、そびえたつ単独鋒が屹立していた。
【エウロペの屋根】
そんな異名を誇る、エウロペ大陸最高峰、❘赤の砂漠《レッドラスト》を見下ろすように湖の中心に聳え立つ山は、荒々しくも物悲しい、寂しい山肌を隠すことなく見せつけてくる。
嘗て、大噴火を起こし、湖周辺の自然を破壊し尽くしたとも言われるその威容は、現場を始めてみるタリスですら畏怖を感じさせる。
数歩進んだニュートが、ぴたりと足を止めて振り返る。タリスをじっと見つめる様は「あれ? 来ないの?」とでも言いたげな暢気なものだ。
あの山の威容に全く動じないところが、オーガノイドの中でも屈指の大物と言うか、ただののんき者というか。ローレンジという人物にしてこのオーガノイドあり、だろう。
「今行くわ」
威容に飲まれかけていた自身を奮い立たせるようにして、タリスは一歩踏み出した。あの山には、きっとローレンジに迫る何かがある。そんな予感に駆り立てられながら。
ニュートが迷わずやってきたのは、オリンポス山のある島をぐるりと取り囲む湖、メルクリウス湖だった。メルクリウス湖は火山のふもとにひろがる湖だが、これもカルデラ湖と呼ばれる生成を経験した類の湖だ。
太古の昔。突如として噴火した現在のメルクリウス湖を起点とする一帯はしばしその活動を止め、カルデラ湖を作り上げた。やがて風化によりメルクリウス湖を形成していた山肌が崩れていったころ、火山活動が再開。以前よりは小規模だったそれは、湖の中心に島を、そして火山を高々と生み出した。これこそがオリンポス山である。
幾度となく噴火したため、その山脈には惑星Zi原始の世界が眠っている。そんな噂が立ち、幾人もの科学者がこの山に眠る古代ゾイド人の遺産を求めて探求を繰り返した。けれど、その全ては今や荒山の一部だ。
「キィ!」
ニュートが歓声をあげ、しっかりとした足取りがにわかに駆け足に代わる。這うような足運びからは想像もつかぬ速度で湖畔を駆ける。
その先に、彼はいた。
噴火はもう十年近く昔の話。
力強い植物が湖畔を埋め尽くし、爽やかな緑と美しい湖のすんだ蒼が、対照的に赤茶に染まった荒れた山を映えさせる。
そんな、天国と地獄の境界に位置する湖畔から、彼はぼんやりと山を眺めていた。
普段の彼からは想像もつかない、無防備な姿だ。だらりと両手を垂らし、日常的に発しているある程度の警戒心すら投げ出し、無心だった。己の深いところと会話しているような、その他の何物すら彼の目には入っていない。
しかし、傍らに相棒がやってくると、その瞳に宿した眼光が現実に帰ってくる
「……ん、ニュート? お前、なんでこんなところに…………って」
その証拠に相棒のオーガノイドの接近すら、擦り寄られるまで気づかなかった。彼の身体でとぐろを巻くように回り込むオーガノイドが身体を落ち着かせてようやく、彼は周囲に索敵するような気配を広めた。
「そんな無防備では、いつ命を狙われても対応できませんよ」
「なんだよ。なにしにきた」
「なにしにって……」
彼に歩み寄りながら、タリスは言いよどんだ。思えば、自分は何をしにここへ来たのだろう。
『ローレンジが心配で?』
彼は偶にこうして単独行動に走ることがある。脈絡なく、けれどそれには意味があった。だから心配などしていない信頼している。
『クルムやフェイトたちに押されて?』
いや、それもない。彼女たちにとやかく言われようと、タリスは自身の冷静さを失ったりしない。必要がなければ行動を起こさない。そのくらいの自制は効く。
『なんとなく?』
馬鹿な。そんなあやふやで動くなど、らしくない。
なら私は、スペースシンカーを持ち出して、ニュートまで引っ張って、こんなところに何をしに来たのだろうか。
「おいおい、んな呆けた顔すんなよ。らしくねぇぜ」
「だって……心配で」
言い訳を紡ごうとするが、その先に続く言葉が出てこない。出てきたのは、本心と言えばその通りだが、言葉に詰まって苦し紛れに出た言葉ともとれる、あいまいなものだった。
そんなタリスのいつになく不安定な様子を見てか、ローレンジは小さく息を吐いた。
「まぁいいさ。お前には、いつか話すつもりだった訳だしな。来いよ」
ローレンジはタリスが着いてくる来ないお構いなしに歩き出した。湖に背を向け、森の中へと歩んでいく。その足取りにニュートも同調し、しかし振り返らない主と違い、ニュートは「早く来てよぉ」とうずうずとタリスが行動に出るのを確認する。タリスが歩き出すと、あからさまにほっとした様子を見せ、小躍りしそうな調子で主の後に続いた。
やがてたどり着いたのは、森の中にぽっかりと開けた空間だった。いくつかの苔むした点在し、その周囲には折れた木々がどこそこに散らばっている。その木々はところどころ加工されたような形跡が見られ、嘗てここに人がいたというのを如実に表している。
「廃墟……?」
「昔な。俺はここに住んでたんだ」
驚くことはなかった。ある程度予測していた。
「つまり、あなたは毎年墓参りにここへ?」
「察しがよくて助かるよ。まぁそんなところだ。墓参り、つっても備える花も線香も、何も持ってきてない訳だが。毎年毎年、なんか持ってってやろうとは思うんだけどよ、結局、どれも合わねぇ気がするんだ。着の身一つ。それだけで十分だってな」
ローレンジは手近な切り株に腰を下ろすと、肩にかけていたカバンから水筒を取り出す。中に入れていたコーヒーをコップ二つに注ぐと、一つをタリスに突き出した。タリスも無言で受け取り、同じように鑚株に落ちつく。
「なにも、言わねぇんだな」
「今日は、静かにしていたいんでしょ」
「まぁ、な」
しばらく、二人は何も言わなかった。ただニュートが視線も合わせずにいる二人の様子を、じっと見定めるように見つめているだけだ。
「ここに来た時、毎回懺悔するんだ」
やがて、ぽつりとつぶやいたのはローレンジだった。
「俺は村がこうなった時、サーベラを乗り回して、外に出てたんだ。一人生き残っちまった。親父も、おふくろも、弟も見捨てて、一人生きてる。俺の罪だ」
「それは、あなたが起こしたことではないでしょう」
「そうかもな。けど、俺がここに戻ってきた時、まだ生きてた奴がいたかもしれねぇ。それを助けず、俺は自分が生き抜くことしか考えなかった。俺の罪だ。それを再認する場がここさ。自分を見つめなおすっていうのかな」
自分を見つめなおす。それは、おそらくついこの間の出来事も関係しているのだろうとタリスは思った。
「なら、聞いてもいい?」
「何をだ」
「
虚を突かれたようにローレンジは目を見開き、視線を落とした。
しばしの沈黙。やがて耐え切れなくなったように、ローレンジは口を開く。
「なんだ、バレてたのか」
「ええ。……あなたは、私との誓いの下、手段としての殺人を拒むようになった。できる限りそれをしないよう立ち回ってきた。けど、どうして今になってあんなことを?」
ローレンジは理由なく殺戮をするような人間ではない。関係者から聞く昔のローレンジなら、ありえたかもしれない。けど、今のローレンジを知るタリスには、それは信じられないことであった。
ローレンジは、黙して目を瞑っていた。言葉を整理しているのか、ほどなくして目を開き、まっすぐにタリスを見つめた。そして、口を開く。
「あいつらは、変わっちまった。もう、義賊なんて名前だけさ。だから、物申しに行ったんだ。
「何があったの。もう少し詳しく教えて」
「……あいつらは、義賊だった。その活動に誇りを持って、正義の名のもとに戦っていた。けど、戦争は終わり、平和になった。あいつらが自主的に動かなきゃいけないほどの『敵』はいなくなった。残ったのは、肥大してった『組織』って空の器だけ。そこで解散してやり方を変えりゃいいのに、あいつらは武器をとることしか考えられなかったんだ。その結果が、義賊って肩書を掲げてる連中が踏み込んじゃいけない領域に、入っちまった」
彼らの評判は、タリスも聞いたことがあった。ギュンター・プロイツェンも彼らの対象となっており、、息子であるヴォルフにも手が伸びたことさえあった。しかし彼らは自分たちでヴォルフの素性を調べ上げ、害なしと判断してからは手を引いたという話だ。他ならぬローレンジも、敬意を表していた。
「あいつらが踏み込んだ領域は、
知っている。
こうして他人事のように語っているローレンジだって、自身を狂人と称しているのだ。兄妹弟子を手にかけた経験が、彼を殺人に駆り立てる脅迫概念として存在していたほどだ。タリスの説得とフェイトの存在、
「あいつらは、いくつもの行為に手を染めていくうちに、完全に狂っちまったのさ。自分たちは正義のために他人を蹴落とせる。それが許されるってな。義賊だった名残は、どこにもない。元々そっち側だった俺の説得なんて、耳に入らねぇ。なら、来るなら潰すと脅しかけるしかなかった」
ローレンジには、二面性がある。
一つは普段の彼。妹を想い、
もう一つは、今も蝕む暗殺者だった過去。
どれほど人を想おうと、幾人もの人を助けようと、付き纏ってくる罪の意識。それから逃れるように、自分は狂った人間なのだと言い聞かせる。それに耐えきれなくなったら、殺すのだ。自分に言い聞かせるように。
嘗て、フェイトと出会うまで、戦闘の度にローレンジは快感の笑みを顔に張り付けていたという。それは、自身が狂った殺人鬼なのだと言い聞かせる絶好の機会だから。そのたびになぜか殺さずに終わるのは、無意識のうちに自身をセーブしているから。
完全に堕ちてしまわないように。
狂った殺人鬼として完成しないように。
だから、襲ってきた盗賊のゾイドを斃すだけに留めた。
だから、師から伝えられた殺し屋の教示にのっとって目標以外は手にかけなかった。
だから、仇であるはずのザルカすら殺さなかった。
ローレンジは、いつだって自身が見にくい暗殺者である自覚と、そこから離れようとしてもできないことに板挟みになり続け、それでもどうにかして自分を保ち続けてきた。
「俺もあいつらも、人殺しには変わりない。けど、だからこそ赦せなかった。我慢ならなかった。血に塗れて、それでも自分たちを正義と断じれる連中を、野放しにできなかった」
ローレンジの胸の内を聞いていくごとに、タリスの心にも染み入ってくる。ローレンジの、深い後悔と怨嗟の念と、それでも止まれない決意が。
常々ローレンジは
自身を悪と断じるのは、相当に勇気がいる。
当然だ。誰だって、自分が悪いなど思いたくないし、思わない。自分の行いが正しいといつも思っている。だから自信を持って行動できる。
自分を否定するのは、自分と言う存在を殺すのと同義なのだから。
タリスは気づいた。
ローレンジは、今壊れかかっている。自ら禁じてきた殺人を犯し、過去を振り返り、自己が壊れかかっているのだ。
傷つけた痛み。それを理解できる者は、同じ痛みを持つものでしかできない。ローレンジは、
けれど、彼自身の痛みを、傷を、罪を、分かってくれるものは、あの場にすらいない。
『ローレンジを、お願い』
ティスがあの言葉を託した本当の意味が、やっと分かった。
ローレンジの痛み。それを癒せるのは、たぶん世界中のどこにもいない。それでも、ティスはタリスに託したのだ。
『ローレンジは、最高の殺し屋だよ』
ローレンジの師は、そう伝えるように言った。きっと、ローレンジを励ますために、それでいて、彼が罪から逃げないようにするために。
「俺は理不尽にあいつらを殺した。結局、俺も奴らと変わらねぇってことだ」
「それは、違うわ」
反射的に、タリスはローレンジの言葉を否定する。
怪訝な表情を見せる彼に、タリスは思う。ここが正念場だ。今が、伝える時だ。
「ねぇローレンジ。最高の殺し屋って、なんだと思う」
「あ? ……らしくねぇな。俺に殺すのやめろって誓わせたのはお前だぜ。そのお前が、なんでそんなこと」
「いいから、あなたの価値観で答えて。あなたの言葉で」
ローレンジは言葉に詰まる。
きっと、既視感を覚えているのだろう。
つい最近にも、タリスは同じ言葉を――紙面だが――ローレンジに言った。それを受けたローレンジは、半ばやけくそ気味に、友人代表として、結婚祝いの挨拶を行ったのだ。
「最高の殺し屋は――
少しの迷いもなく、ローレンジは断言した。
タリスは頷く。黙って、続きを促した。ローレンジは、口火を切って止まらない。
「自分のしてることが汚れ仕事だって知ってる。どんなに酷い悪党でも、そいつを手にかけちまったら、それは同じ人間同士で、同族を殺し合ったことだ。理由つけりゃ生物としては間違っちゃいないかもしれないが、秩序ある社会を理解している人間の中ではそれはタブーだ。それを犯すことを前提とした殺し屋は、どれだけ取り繕ったって悪党に変わりはない。人殺しに誇りを持っちゃいけない。たとえそれで喜ぶ人がいたとしても、それに慰められたとしても、心の中では常に考えなきゃいけない。人を殺した事実を。それをなした己の業を。どんな悪党だって、過去や未来には、そいつを認めて、共に歩もうとした人がいる。人殺しは、そんな人の想いを踏みにじることだ。だから殺し屋に誇りなんていらない。仕事だからやむなく殺すとしても、それ以外を殺すのはただの殺人鬼に過ぎない。まぁ、結局やっちまってるから言い逃れできねーけどさ」
「きっと、私に会う前から、後悔していたのよね」
「……ああ、そうだ」
ローレンジは、ずっと後悔し続けていた。
それこそが、後悔こそが、誇れない、誇ってはいけない『殺し屋』という
「俺はこれからも後悔をし続けるさ。俺が殺めてしまった人たちのことを、その人たちが生きていた未来を。そして、俺がしてきたことの業を、俺という存在に常に刻み続ける。そうやって生きていく。……けど、俺のメンタルは案外強くなくてな。たまーにこうやってナーバスになっちまう」
「そうね。だから、私は、あなたの傍にいるわ。あなたが耐えきれなくて壊れてしまわないよう見ている。そして、支えていきたい」
「頼むぜ」
「ええ。……なんだ、分かってるじゃない。わざわざ、私から言う必要があったかしら?」
「ふふ」と微笑を見せると、ローレンジは少し照れくさそうに顔を逸らした。だから、だろうか。そうやって顔を逸らしたから。この言葉を送れるのだろう。
「そうやって後悔して、でも前を向いて歩ける。そんなあなたを支えていきたい。私は、そうやってこれからも一緒に居たい」
ローレンジは、ふっとタリスを見た。いつの間にか夕日がさしてきた村の跡地で、赤光に照らされた彼女の姿がまぶしく映る。
「俺もだ」
好きかどうか、ではない。これからも一緒に歩んでいけるかどうか。相性の問題で、互いに支え合えるかどうかで、二人は歩んでいくのだ。
これからも、ずっと。
ローレンジは持参した荷物袋から酒瓶を取り出す。それを互いの、コーヒーの入ったコップに注いだ。
「これからもよろしく」
「ええ、よろしくね」
滅びた村の、人気のない一角で、二人はコップをぶつけ、交わした。
そんな二人を、一機のオーガノイドは目を細めて見つめる。
やっと安心できる。そんな言葉を零すように、オーガノイドは体を丸めて眠りにつくのだった。
「キィ~」
今回の『恋情報労編』は以上です。
明日はエピローグと後書き、本章はエピローグを持って完結となります。
お楽しみに。