エリュシオンで最も活気のある商店街。そのうちの一軒から出てきたレイヴンは、手に持ったリーゼへのお土産を感慨深く見つめる。ようやく買うことができた。その気持ちが、心の奥から湧き上がってくる。
「なーレイヴン。ホントにそれでよかったのか?」
「ああ」
リイの疑問はもっともだろう。レイヴンが買ったのは暗青色のリストバンドだ。ブレスレットも考えたが、あいにくとそんな高価なアクセサリーを買うお金は持ち合わせていない。仕方ないとはいえ給料も大した額ではない。高価なものには手が出せなかった。
けれど、落胆はしていない。
「これでいいんだ。リーゼもきっと喜んでくれるさ」
確信めいた言葉にリイは問いかけるような視線を向けてくる。
「……リーゼは、少し自分に自信を無くしてるんだ」
「そーか?」
「ああ。
「レイヴンはそうじゃねーのか?」
「俺は前にローレンジと旅をしていた。その時に、あいつやフェイト、それにザルカから――いや、ザルカはないな。ともかく、あの二人からたくさんもらった。けどリーゼは慣れてない。そして、俺がリーゼから離れてしまうんじゃないかって思ってるみたいだ」
「それ私が指摘してやった奴だからな。だから今日の買い物だって、リーゼが言ってきた時は迎えてやっただろ? ……ま、私とフルミネの策みたいなモンだけど」
後半、リイが小さく呟いたがレイヴンには聞こえていない。町の喧騒に飲まれてしまっていた。
「だから、揃いのリストバンドを送ろうと思う。指輪の代わりだ。あいつから離れることはないと、こいつに誓う」
指輪を思いついたのは、ヴォルフとアンナの結婚式を見たからだ。愛し合う二人の証である指輪。それに倣ったものが、自分とリーゼの、切らせないつながりの証になればと、そう思った。
数歩早い指輪でない理由は、金がないから。
「へぇ、意外だな。レイヴンもロマンチストなとこがあるんだな」
「そうか? ただの思い付きなんだが」
「影響されやすい方だったか」
くっくとリイは忍び笑いを浮かべる。本当なら、こうして男女二人で出かけているだけでもリーゼは心休まらぬだろう。そのさざ波経ち始めた心を、このリストバンドで収めてやることができればと思う。
と、
「そうだ。リイ、これを」
「へ!?」
「今日付き合ってくれた礼だ。服も選んでもらったからな」
「な、なんだよ。何悩んでるかと思ったら、私のも選んでたのか? ……ありがと」
ぶっきらぼうに告げるとリイはひったくるように包みを受け取る。視線で「開けていいか?」と問われ、レイヴンは頷いた。
「……これ」
レイヴンが渡したプレゼントは赤いバンダナだった。中には黒で小型の肉食竜のデザインが刺繍されている。
「お前、相棒のマーダを好んでいたからな。少しデザインは違うが、きっと似合うと思う――って」
ぼうっとプレゼントのスカーフを見つめていたリイは、単純に唐突で驚いただけだろうと思った。けれど、
「なぜ、泣いてるんだ……?」
リイの頬を伝う滴。それが目に付いてしまった。
リイは「ったくよー、簡単に言いやがって」とブツブツ呟き、ぐいと両目を腕でこすると、レイヴンの腕を握り、引っ張った。
引かれるがままにレイヴンは適当な商店の軒下に引きずり込まれる。店の壁に背を預けるリイに、レイヴンも倣った。
「私さ、もともとはけっこーいいとこのお嬢様だったんだ」
ぽつりと呟く。口を挟む話題ではない。そう感じ、レイヴンは黙って続きを促す。
「レイヴンだって名前聴けばピンと来るくらいの、ガイロスの大家なんだぜ。分家だけどな。けど私は、ほら、髪が白いだろ。それで本家のお偉いさんたちには気味悪がられてたんだ」
リイは、先天性のアルビノというものだ。詳しい原理はレイヴンにも分からないが、肌の色が白っぽく、髪も色素を失くして真っ白に。加えて、目は少し赤らんでいる。肌の露出を避ける服を着ているのも、それが理由だ。
「親もそうなるのが分かってたんだろうな。私がアルビノだって分かってすぐ、本家と袂を別っちまった。ま、結局どこに行っても気味悪がられて独りぼっちだったんだけどな」
「……そうか」
レイヴンも、両親が研究にかかりきりで、年の近い子供と会う機会はほとんどなかった。孤独という点では同じだが、境遇はまるで違う。リイは、同い年の子にすら、気味悪がられてきたのだ。
「ああ、別に寂しかったって訳じゃないんだぜ。親以外にも本家の跡取りだった奴、年はすげー離れてるけど、やさしい兄ちゃんが二人いた。けど……」
そこでリイは言葉を濁し、小さく息を飲んだ。鼻をすする音も聞こえる。周囲は変わらぬ雑踏だが。二人の間だけは、時が止まったように静かだ。
「私たちの家は帝都にあった。けど、デスザウラーの所為で、家はなくなった。私たちはちょっと離れたとこに引っ越すことにしたんだ。んで、その引っ越しの途中で、ある村の近くを通りかかったんだ。そこで、親にせがんで村で作ってたバンダナを買ってもらったんだ。これまでは一様いいとこのお嬢さんってことでそれなりの恰好しなきゃって思ってたけど、帝都を離れるんならハメ外してもいいだろって。腕に巻いたりしたらさ、カッコいいじゃん? ……でも、そん時に村が賊に襲われた」
当時、帝都の事件でガイロス中が混乱に見舞われていた。レイヴンはシャドーに守られながら放浪していたためよく覚えていないが、軍の力が弱まった当時、あちこちで盗賊の横行が流行ったと聞く。
レイヴンの脳裏に、いやな予想が成り立つ。リイの語る境遇は、最悪な方向に転がり始めている。
「金目のものは全部盗られて、私とおふくろが人質にされて、親父は何もできずに殺された。その後は……っ」
「リイ……」
「話さなくていい」
「いや、いい機会だ。言わせてくれよ。経緯はどうあれ、おふくろも長くはもたなかった。私も、散々な目にあった。そんなときに頭領に救出されて、あそこで厄介になってるって訳さ。……バンダナ見てつい思い出しちまった。全く、ドンピシャなもん貢いでくれるよな」
活動的な少女だった。きっと似合うだろうと思って、バンダナを選んだ。けれど、まさかこんな話を聞かされるとは思ってもみなかった。
「すまない」
「謝ることじゃねーだろ。それに、私は今は満足だぜ。フルミネにレビン、クルム。いい仲間にめぐり合わせてもらった。あんなことがなけりゃ、あいつらにも、頭領にも、
強い少女だな。そう、レイヴンは思う。
レイヴンは、そしてリーゼも、これまで自身に降りかかった境遇を呪ってきた。恨んできた。そして、腐っていた。
けれど、不幸なら
ローレンジは家族を村ごと失い、裏社会を必死に生き延びてきた。
フェイトも家族を失い、いくつもの修羅場に身をさらされてきた。
タリスも、誰の助けも受けられない中、兄と泥にまみれながら生きてきた。
ほかにも幾人かの身の上話を聞いた。酒の席でだが、どれも笑いごとで済まされない悲惨なものだ。けれど、彼らはたくましく生きている。傷を分かち合い、自身の犯した罪を受け止め、償い、そして自らも幸せになるために生きている。
レイヴンは、彼らと会わなければ自分が幸せになろうと考えることはなかっただろうと思っている。
世界を恨み、憎みながら死んでいったか。もしくは、罪を自覚したとして、一生をその償いのためにささげて生きただろう。
こんな自分でも幸せになる権利がある。そう努力することができる。それを実感したのは、
自信を持て。俺たちだって幸せになれる。人並みの幸せを掴む。その夢を見ることができる。
今も自分の罪に悩んでいるリーゼに、そう伝えてやりたい。
「ともかくありがとなレイヴン。嬉しいぜ」
「ああ」
それは俺のセリフだ。
けれど、今言ったところで正しい意味は伝わらないだろう。なら、もう少しこの気持ちは留めておこうと思う。
ふと、疑問がよぎる。
「……そういえば、憧れってどういうことだ?」
リイはレイヴンが憧れの相手だと言った。その言葉の意味が、まだ図り切れなかった。
するとリイは、涙をぬぐって快活な笑顔になった。
「ああ。さっきの話でさ、頭領に助けてもらったって言ったけど、そん時にレイヴンもいたんだぜ」
「そう……なのか?」
「やっぱ覚えてねーか。えーと、ジョイスだったころ、でいいのか? 頭領とフェイトとザルカ博士と旅してた頃に助けてくれたんだよ。しかも、私を人質にしようとしたヤロウをぶっとばしたのはレイヴンなんだぜ」
「そうだったか。すまない、記憶があいまいで……」
ローレンジに修行と称して賊のアジトへの殴り込みに付き合わされた覚えはある。あの時はなぜか体が覚えているとばかりに戦えることに疑問を感じ、助けた相手のことなど気にしてなかった。
「あんの時のレイヴンはかっこよかったなぁ。いつか私も誰かを守れるくらい強くって決めたんだ。ま、まだまだ半人前だけどな。いつもクルムたちと四人一組でやっと一人前みたいな戦果しか挙げれてねーし」
「へへ」とリイは照れくさそうに笑う。
レイヴンは、少し不思議な気分だった。自分が誰かのあこがれになる。そんな資格はない。自分は、たくさんの罪を犯してきた。称賛を浴びるべき人間ではない。そう、自分を卑下してきた。今もそう感じる。
けれど、
「俺も、こんな気持ちになっても、いいんだな」
リーゼに伝えたい、胸を張って生きてほしいという言葉。それはそのまま自分にも当てはまる。
俺たちはまだまだだ。これから、胸を張って生きていくために、自分を大切にしなければな。
「そうそう、私の憧れで、初恋した奴はそうでなきゃな」
「は!?」
「あー気にしなくていいぜ。レイヴンが帰ってきた時に失恋は解った。んで私には似合わねーって思ったら完結しちまった。それに、私はそんなことにかまってらんねーからさ。無茶するクルムの馬鹿を、私が守ってやんねーと」
「それはよかった。断るのに負担が減る」
「お? 言うじゃねーか。なら今日一日は付き合えよ、私との最初で最後のデートだ。しっかり踏み台にしてくれよな」
「ふっ、そうさせてもらおう」
明け透けなくもの言う少女だが、おかげでレイヴンも変に気を使う必要がない。
軒下を出ると、西エウロペのまぶしい日差しが二人を迎える。そんな日差しすら、レイヴンは心地よく感じるのだった。
***
「よー、見舞いに来てやっ――て、どうした?」
「別に」
ノックもなしに入室したローレンジに、リーゼはそっけない返事をする。
「なんだよその顔。頬膨らまして、怒ってんのかと思えば涙出てるし、ムカついてんのか悲しいのか、いったいどっちだ」
「両方さ」
「レイヴンとリイの方で何か見たのか?」
「……どうして一発で見抜くかな」
ごく自然に、当たり前のように、ローレンジはリーゼの行いをズバリ的中させる。フェイトのように前振りや探りを入れない辺り、まさにあの妹にしてこの兄だ。
「風邪の方は本当に大したことなかったみたいだからな。暇してるなら、その辺りだと思った」
だからと言って的中など信じたくない。僕はそんなに分かりやすい性格なのだろうか。
そんな自問をしている間に、ローレンジは見舞い用の椅子に腰を下ろす。頭領として、
「で、どうだったんだ?」
「リイの身の上話を聞かされたよ」
「へぇ、あいつが話す気になるとはな」
ローレンジは少しばかり嬉しそうに表情を緩ませながら言った。
リイの性格上、そういったことは自身の内に留めようとするらしい。だから、吐露するだけでも随分と気が楽になるものなのだとか。レイヴンがそれを聞く側に立ってくれたことも含めて、ローレンジは嬉しそうだった。
「ローレンジは、一様みんなの事情を把握してるのかい?」
「まぁな、知らねぇ奴もいるが。――ああ、もちろん言いふらしたりはしねぇよ。知ってても、自分のことは自分でしゃべるもんだ。他人の解釈含めて好き放題しゃべられることほど、腹の立つ話はねぇ」
ローレンジは、彼自身も一癖も二癖もある経歴を持っている。その経歴を話すときは哀しそうに、けれど聞く相手が気負わないよう茶化しながらだ。嘘や誇張の含まれない本当の過去を聞いたことがあるのは、おそらくヴォルフとタリスくらいだろう。
経歴を話すのは、自分の全てを相手に見せつけること。他人に話され、それが元で木津着く者だっている。それが分かっているからこそ、ローレンジはそう付け足したのだ。
事実、リーゼの経歴だって好き放題に話されたくはない。
「それが泣いてた理由か。で、怒ってたのは?」
「……」
「レイヴンか?」
「……そうだよ。レイヴンを盗られそうだったから。レイヴンは優しいから、あんな話されたらあいつに情が移って……僕よりもあいつに揺れてしまうんじゃないか? 怖いんだ。レイヴンが、僕から離れていくのが……って」
こみ上げた不安を一気にまくしたてると、ローレンジは「はっ」と小さな笑声を響かせた。嬉しいことや気に食わないことがあるたびに、一言告げる前に挟んでくる、ローレンジの口癖のようなものだ。今回のそれは、嘲笑の意味が全く含まれていない、前者の意味合いだ。
「君もか」
「何がだ?」
「僕のこれは、嫉妬なんだろう? そんなに嬉しいのか?」
あまりよくない、負の感情だ。
けれど、誰だって持つことはある。
そう、フェイトは教えてくれた。
「そりゃあな。お前がそれを自覚して、制御できてるんだ。嬉しいことさ」
「みんなそう言うよ。僕が可愛いんだとか」
「なんだ、嫉妬じゃなくて羞恥で不貞腐れてんのか――ってみんな?」
「ここの連中だよ」
時刻はそろそろ十二時になる。午前中ということもあって皆仕事に忙しいだろうに、合間を縫ってはリーゼの見舞いに来た。
フルミネはレビンを連れて、改めて状況報告を求めてきた。
ヨハンは暇つぶしになればとか言って数冊の本を持ち込み、持って帰った。何しに来たんだ。
デリスという構成員の一人は仲間内での度胸試しとかで様子を見に来させられた(と本人は言っていた)。
ついさっきもタリスとユースターが早めの昼食を持ち込んできた。
その他にもあまり会話した覚えのない
と、そのことを話すと、ローレンジは今日一番の――というよりも、
「どうしたのさ。そんならしくない顔して」
「はっ。……安心したのさ」
「安心?」
「あいつらのことは信頼しちゃいたが、それでも不安だった。
ふっと、目を細めながら、ほほえましいものを見るように、ローレンジは穏やかな口調で告げる。
その瞬間、リーゼも同様の気分になった。今までずっと感じてきた、フルミネたちに諭されて一員になった気でいたが、彼らから受ける厚意の度に、自らの中に積み重なってきた罪悪感。それが、ようやく音を立てて流れ落ちていったように思う。
まるで、ニクスの寒冷期が過ぎ、暖かな日差しの下、雪が解けて川に流れていくように。
「それで、あいつらはどうしてんだ?」
「え、あ、ああ。これから昼ご飯ってとこかな。ああ、夕飯も食べてくるみたいだ」
「そっか。腹立たしいか?」
「そうだな……うん。レイヴンが僕以外の奴と一日中べったりってのは、気に入らない。というより、やっぱり怖い」
ローレンジはおかしげに笑う。気に入らないと言いつつ、リーゼの言葉や表情にはその感情が薄かった。きむしろ不安感の方が表出している。
「大丈夫だ」
ローレンジは、余計な言葉で飾らず、ただ告げた。
「レイヴンはお前を捨てたりしねぇ。あれは、最初に惚れた女に尽くすタイプだ。だから、大丈夫だ」
ローレンジがそう言うと、なぜか少し安心できた。レイヴンは帰ってくる、お土産を持って、今日あったことを話してくれる。
そう思うと、今から楽しみでならない。レイヴンが自分への土産を買うところ、実はお見舞い人の相手をしていて見れなかったのだ。
よかったと思う。せっかくのレイヴンからのプレゼントなのだ。楽しみは後で、二人で分かち合いたい。
「ま、これでここでのことは心配いらねぇな。けど」
と、ローレンジは何かを含ませるように言葉を止める。なんだろうかとリーゼが彼の方を見ると、ローレンジは椅子から立ちあがったところだった。
「忘れるなよ。俺たちは解りあえてる仲間だが、それでもシャレにならない『前科持ち』なんだ。誰もが俺たちを理解しているわけじゃない」
「解ってるさ。そいつらからの直接攻撃を浴びないための、ここなんだろ。あんたが作った、僕たちのシェルター、かな?」
「ああそうだ。
ふと、リーゼはローレンジの言わんとしていることに意識を向ける。この場で、あえて組織としても盟友とも呼べる
「俺たちに理解を示せない奴は、近くにもいるんだ。『灯台下暗し』ってな」