機械的な高い音が鳴り、リーゼは襟から脇に突っ込んだ棒を取り出す。それをレイヴンが受け取り、じっと見つめた。
「37度8分。微熱だが、風邪だな」
不覚だった。
一度ならず二度までも。前回は疲労困憊だったための熱だが、今回は完全に自己管理不足だ。
「食べられそうか?」
「いや、今はいいや」
ちらりとベッド脇の棚に視線をやる。朝早くだというに、みんなの朝食の用意と並行してユースターが用意してくれた粥があった。けれど、あいにくとそれに口をつけたいという気にはなれなかった。「そうか」と告げたレイヴンは椅子に腰を下ろす。
「なぁレイヴン。もうすぐ時間だろ? 僕のことはいいから行ってきなよ」
レイヴンは今日、用事があった。
レイヴンは
そして今日は、その少女とエリュシオンまで買い物に出る予定だった。それにリーゼもついていく予定だったのだ。けれど、昨夜の辺りから頭痛を覚え、今朝になってだるさを感じ、計ってみれば案の定だ。
「お前をほったらかしていけないだろう」
「僕はいいさ。元々リイとレイヴンの二人で行くところを、僕が入ってきたんだ。いいから行ってきなって」
レイヴンはなおも渋ったものの、リーゼが根気良く説得し続けたおかげか、十分後にようやく重い腰を上げた。
「……じゃあ、行ってくる」
「ああ、お土産期待してるよ」
小さくはにかむように笑ったリーゼをみて、レイヴンもようやく――無理矢理顔に張り付けたようなものだったが――微笑を返し、部屋を後にした。
そのさらに十分後。
「何やってんのよ!」
布団にくるまったリーゼは、一喝を浴びせられた。
「静かにしてくれよフルミネ。頭に響く」
「だってあなた……あーもう!」
濃い海色の髪をしたサイドテールの少女、フルミネはもどかしいという感情を体全体で表現しつつ、肺に溜まった空気を押し出すように言葉を吐くと、つい数分前までレイヴンが座っていた椅子にドカッと腰を落とす。
「風邪なら風邪でたっぷり甘えればいいじゃないの! せっかく甘えたって文句言われないシチュなのよ!?」
「でも、レイヴンに悪いし……」
「だからって……。好きなんでしょ、レイヴンのこと」
リーゼは頭から布団を被った。それはもうずいぶんと前に自覚していた感情だが、改めて他人の口から言われると恥ずかしい。顔に一気に熱がこもる。それはもう、風邪の所為だけとは思えない。
「分かってるのリーゼ? レイヴンが今日誰と買い物に出るか」
「……弟子だよ」
「そう、弟子よ。リイはレイヴンの弟子。けど、三つしか年の離れてない男女でもある」
「師弟関係でそういうのなんて聞いたことがない。ローレンジの師匠だって女性だって話じゃないか」
「頭領とその師匠の年の差は軽く半世紀以上。例えに出すものでもない」
「じゃあ……あいつとフェイトは? いちようあれも師弟関係みたいな感じじゃないか?」
「あれは師弟よりも兄妹の面が強い。しかも、絶対に一線を越えることはない完成された兄妹よ。そもそも、頭領はもう副長で決まってるようなものよ」
例え、というか逃げ道代わりに挙げた人物についてはあっさり両断された。
「そもそもレイヴンに悪いって、気にすることないじゃない。その話はもう終わったはずでしょ」
「うん。けど……」
リーゼはレイヴンが好きだ。それを自覚したのは、イヴポリス決戦の最中。三体のジェノザウラーに苦戦するレイヴンを目の当たりにし、また大切な人が消えるのかと思った。どうしようもないほど、苦しかった。心臓を握りつぶされそうなほど、心をぎゅっと締め付けられたような、苦しみを感じた。
確信した。リーゼにとって、レイヴンは大切な人だ。それも、ニコルやラインとも違う。ずっとそばにいてほしい愛する人として、大切なのだ。
けれど、
「僕は、レイヴンから安らぎを奪った」
リイが小さく息を吐き、しかし先ほどまでのように唾を飛ばしながら反論するのではなく、静かに言葉の続きを待った。
「僕が、レイヴンの記憶を、
レイヴンは元々ローレンジの庇護にあった。その状態のレイヴンの精神を壊したのはリーゼであり、さらにレイヴンがここを離れてヒルツに利用されるきっかけとなったのは、嘗てのリーゼの影響だ。
レイヴンの人生を大きく乱した。その自覚があった。
そしてそれは、この
もしもニクスでレイヴンの精神を壊していなければ。
もしもコブラスの
もしもリーゼが
もしも、そうであったなら、レイヴンはもっと早くに、この里に馴染んでいたかもしれない。
「今日の買い物だってそうだ。やっと、レイヴンは外出を許可されたんだぞ」
リーゼはもうフルミネの顔を見ながら話すこともできず、俯く。
レイヴンとリーゼは、実のところ今日まで里の外に出ることを許されていなかった。
二人とも、一歩外に出れば一級の犯罪者だ。それを、
それが緩和され――エリュシオンの街に出るまでだが――正式な許可を得るのに数ヶ月もかけた。ニクスの事件以降レイヴンがずっとここにいれば、許可が出るのはもう少し早かっただろう。
自分はレイヴンの足手まといだ。彼の愛を受ける権利も、また彼を愛する権利も――ない。
「だから、レイヴンには僕のことなんて気にせず楽し――ひやぁあ!!!?」
懺悔の最中で急に背筋が冷える、いや凍る。凍るようなひんやりとした温度が首筋から背筋へと侵入し、リーゼは素っ頓狂な悲鳴を上げた。
思わず顔を上げると、氷嚢を破って中から氷を出したフルミネがそれをリーゼの背筋に入れていた。
「な、なにを――ってやめろ、やめ、ひぃいいいい!!!!」
今度は無言で氷をつかみ、リーゼの襟を引っ張って胸元に放り込む。ツーと胸の中心を流れ落ちる氷粒の感覚に、リーゼは全身を抱きしめるようにしてフルミネから遠ざかろうとベッドの上で後ずさる。
「フルミネ! 僕は病人だぞ!」
「うるさい。つまんないから定番のいたずらをしてやったのよ。文句ある?」
さも当然と言わんばかりに告げると、氷嚢の口を締め直してリーゼのベッドの上に置く。そして、彼女らしからぬ真剣な面持ちを覗かせた。
「いいリーゼ。率直に聞かせて頂戴。あなたはレイヴンのことが好き? 嫌い?」
「好きさ。けど……」
「けど、なんていらない。女の子はその感情だけあれば十分、罪悪感なんてティッシュにくるんでポイよ」
「な、僕は真剣に悩んで――」
「リーゼ。今日、レイヴンはリイと二人っきりで街に出る。これをデートと言わずなんて言うの? 無理にでも同行しちゃえって言ったのはあたしよ。忘れた?」
そう、今日の買い物にリーゼも加わるよう言ったのはフルミネだった。買い物の話が出たとき、言い知れない感情を抱いたリーゼはフルミネに相談し、そして彼女から着いていくよう言われたのだ。
「リーゼはレイヴンが他の女の子と一緒に買い物に行くのが気に食わない。ヤキモチ焼いてる」
「それは、納得したけど。でも仕方ないじゃないか。せっかくの日なのに僕は風邪を引いて。でもレイヴンにとっても数ヶ月ぶりの外出だ。楽しみじゃない訳ないだろ。なら……」
つい数週前、ヴォルフとアンナの結婚式にこっそり内緒で見物に行ったのは言及しない。
それをさしおいても、やっと正式な外出だった。その機会を、自分のために台無しにさせたくなかった。他ならぬ大事なレイヴンのためなのだから。
押し黙ったリーゼにフルミネは「全く」と呟く。
フルミネは、
あれ以来、フルミネはリーゼの良き相談相手になってくれた。偶に――週三回くらいのペースで――彼女のいたずらに付き合わされるが、それも楽しく感じていた。普段は調子のいいことばかり言う少女だが、いざとなったらとことんまで付き合ってくれるフルミネは、リーゼの新たな支えの一人になっている。
「まぁ、レイヴンを追い出しちゃったのなら仕方ないわ。でも、それであなたが一人ヤキモキしてたって精神安定上よくないと思うの」
それは、確かにそうだ。
はっきり言って――口に出しはしないが――レイヴンが今日一日でどんなことをしているか、気になって仕方がない。弟子であるリイと自分以上に深い仲になってしまわないか、不安で眠れそうにない。
病は気からと言うが、こんな精神状態で、風邪が治るなど到底思えない。
「そこで、ちょっとあの二人を覗いてみたらいいんじゃないかしら。リーゼの風邪の治りが悪くなるかもだけどさ」
「どうやって?」
「分からない? いつもの手口を使いましょう」
「え、でもレイヴンとの約束が……」
「いいじゃないの。あなたはいつもそう言ってるけど、結局使ってるわ。もういまさらよ」
フルミネはいたずらっ子の笑みを浮かべると、人差し指を立てる。そこに、小さな
***
時刻は朝の八時を回ったところ。多くの人が本格的に活動を始める時間で、集落の中もにわかに人の姿が目に付きつつあった。
黙し、目を閉じながらレイヴンは集落の囲いに背を預けていた。数分ほど経過したのち、レイヴンは目を開く。半開きになった瞳には、こちらに向かってくる少女の姿があった。
「……遅い」
レイヴンは憮然と一言呟く。
「おいおーい、女の外出準備は時間かかるって決まってんだぜー。レイヴンもちったぁそういうのを理解してくれよなー。つーか、格好ひでぇな」
やってくるなり苦言を投げつけてくるレイヴンに少女は頬を膨らませながら、その可憐な見た目にそぐわない荒っぽい荒い口調で返した。
「恰好?」
少女の言葉にレイヴンは自身の姿を見返す。嘗て
「なにかあるのか?」
「せっかく二人で街に繰り出そうってのに、それはねーよ。普段着と変わらねーじゃねーか。それじゃあリーゼが可哀そう――って、リーゼは?」
「聞いてないのか? あいつは風邪ひいたから休ませたんだ」
「風邪?」
レイヴンの言葉にリイは怪訝な表情を浮かべた。
「どうした?」
「いや、フルミネが様子見てくるつってたから。んでなんも言ってなかったし、てっきり来るもんかと」
どうやらレイヴンとフルミネは入れ違いになったらしい。しかし、なぜそれをリイに伝えなかったのか、不思議なところだ。
リイとフルミネは
「つかよー。それならそーとレイヴンも直接言いにくりゃいいじゃねーか。今日中止なんだろー」
リイは幾分残念そうに呟いた。彼女も彼女なりに、三人でのショッピングを楽しみにしていたのだ。
「いや、行こう」
「へ?」
「そのリーゼから行ってこいと念を押された。看病に残ろうとも思ったが、それではあいつが這ってでも出ていきそうだった」
リイはぽかんと呆けた表情を浮かべ、しかしすぐに「あ」と一言呟くと「そーか」と気のない返事をする。
「あーそれでフルミネの奴何も言わなかったな……」
ぶつぶつと何かつぶやいているが、レイヴンはあえて言及しないことにする。彼女たちには彼女たちなりの事情があるのだろう。
「けど、だったらなおさら格好はしっかりしてくれよなー。予行演習も兼ねてだったはずだろ」
「予行演習?」
「あんたらのデートの、だよ」
そう。そもそも今回のショッピングはレイヴンが提案したものだ。やっと出られるのだから、街でリーゼに何か買ってやりたい。相談できる相手として、身近な少女となったリイに白羽の矢を立てた。
するとリイは「なら私と一回出ようぜ」と即決した。師事してくれるお礼も兼ねて案内を買って出てくれたのだ。そして彼女は「ついでに二人のデートプランを考えてやる」とまで言い出したのだ。
うっかりリーゼにその話が漏れてしまい、結局ぶっつけ本番のような感じで出かけることになったのだが、それもリーゼの風邪でなしになった。つまり、本来の予定であるデートの予行練習という訳だ。
デート。改めてそれを意識し、レイヴンは自分の格好を、そしてリイの格好を見比べる。
「あーあ」とため息交じりに肩を落とすリイは、七分丈のズボンにTシャツとその上から羽織ったチュニック。ズボンの下から覗く生足は長めの靴下で覆い、さらに鍔広の帽子とできる限り肌を覆うスタイルだ。
一見すれば、エウロペのきつい日差しを嫌った、活動的な性格の彼女らしくない服装。ただ、彼女の肌はあまり強くない。帽子の下から覗く、バッサリと肩上でカットされた白髪。それに赤道に近い西エウロペでは目を引く、陶器のような薄い肌色だがそれを物語っていた。
対して、自分は普段着のそっけない服の上に外套を羽織った程度。
「……ダメか?」
「ダメダメだな」
教えている立場の相手からまるで子供に言い聞かせるような口調で諭され、レイヴンは憮然とそっぽを向いた。
「まぁいい。行くぞ、リイ」
「おーう。あ、街に着いたらあたしがレイヴンの服選んでやるよ」
「そんな金は」
「あるだろー、頭領に頼んで給料前借してんの、知ってんだぜ。それに、そんな味気ねぇ格好じゃ、せっかくの
一言二言言ってやろうかと考えていたレイヴンだが、リィが続けて告げた言葉には押し黙るしかなかった。言い負かされたことに釈然としないまま、先にゾイド格納庫に向かい始めるリィを、レイヴンはため息交じりに追った。
その二人の様子を窺う、青いクワガタ虫に気づかないまま。
***
「おーいレイヴン。終わったのかー?」
「……ああ」
エリュシオンにある一軒の衣料品店。町にたどり着いたレイヴンは、有無を言わさずリイに連れ込まれた。
地味過ぎる。そんなあんまりな感想を叩きつけられたあげく「これでいいかな、着てみろよ」とどっちが格上なのか分からないような物言いで試着室に押し込まれたレイヴン。わざわざエリュシオンまで下りてきた理由はこれではなかったはず。そんなボヤキを心の中でつぶやきつつ、レイヴンは押し付けられた服を手にしばし見つめる。
黒のスラックスに紫色のTシャツ。上に羽織るのは少し焦げたような紅色の丈の短いジャケット。その色合いは、どことなく以前乗っていたジェノザウラーを、そしてジェノブレイカーを思わせる配色だ。
「んじゃ開けるぞー」
リイは自分で女だと言っておきながらその言動にはまるで女性らしさがない。訓練の時も散々汚い言葉を吐き潰し、血走った目でレイヴン相手に奮闘し、顔面に拳を叩きつけたことだってある。
そんなある意味男らしい彼女の選んだ服とはいったい。服のセンスなど今まで一度も考えたことのないレイヴンにとって、与えられたそれが似合うのか似合わないのかはまるで分らなかった。
「どうなんだ」
ぼんやりと自分を見つめるリイを見つめ返す。対するリイは、そしてなぜか同席している若い店員もそろって言葉を失くしたままレイヴンの姿を凝視している
「おい……」
「いやー……レイヴンはネガティブ感のある顔だけどさ、素材は悪くねぇんだな」
「どういう意味だ」
「コーディネートした私が言うのもなんだけどさ、普通にかっこいいって思う」
これは、褒められているのだろうか。リイは自分の感情を素直に表現する性格ではない。それらをごまかすかのように、強がって得意げな自分を表に見せようとする。そんな娘だ。強行して服を選んでくれたのだって、普段教えを乞うているレイヴンとの立場が逆転するほんの小さなきっかけを手に入れたからこそ。
そんな彼女が拍子抜けな顔でそういうのだ。普段は見れない、本心だ。つまり褒められていると、そうとっていいだろう。
生意気な部分も多い奴だが、案外かわいいところもあるじゃないか。
「そうか、ありがとう」
「な、なーに! ひっでー格好から多少はマシになったんだこれでやっと街中を堂々と歩けるぜ。いいか、街中だといろんな奴がいるんだ! 見れる格好じゃねぇとぼろくそに陰口叩かれたりすんだよ。そーゆーやつを黙らせるためにも、レイヴンはもうちっと自分の格好に気を使うべきって話で……」
「ああ、分かった」
言いたい奴には言わせておけばいい。周りが何を言おうと、自分は自分だ。ずっとそう思ってきたが、周りからの評価を気にし、委縮する者だっている。きっと、リイも周囲と自分を推し量りながら生きているものの一人なのだろう言葉遣いは汚いかもしれない。けれど、だからと言って傍若無人ではない。繊細な部分だってもちろん持っている。
それはレイヴン自身も、そして、この場にいない
彼女への対応を頭の中でシミュレートし、ともかく今日の目的を果たそうとレイヴンは財布に手をかける。
「いい」
けれど、そのレイヴンの手をリイが遮った。
「私が無理やり連れてきたんだ。私が出してやる」
「だが、これは俺のだろう? ならば俺が払うのが――」
「いいんだ! 稽古つけてもらってるお礼だよ! それに、レイヴンはこの後で使うために給料前借してきたんだろうが。素直に甘えてくれよ」
そういうとリイは自分の財布からレイヴンの服の代金を出した。何を思ったのか、一連のやり取りを見ていた店員が値引きしてくれたのは、ほんの小さな心遣いなのだろう。
若干、焦点の合わない虚ろな瞳をしていた気がするが、それはきっと気のせいに違いない。
***
「やっほーリーゼ。……リーゼ?」
「……あ、フェイトか。いつの間に来たんだ?」
「ついさっき。大丈夫? 微熱って訊いてたけど、熱上がってきたんじゃない?」
リーゼの寝室に訪ねてきたフェイトは「たたっ」と軽快にリーゼに駆け寄り額と額を突き合わせる。突然のそれにリーゼは「うっ」と息を飲むが、緑髪の少女は構わず意識を額に集中した。
「うーん、ちょっと熱いけど、それほどでもなさそう」
「ま、まぁね。軽いもんだよ。寝てれば治るさ」
リーゼは内心でびくびくしていた。フェイトはローレンジの妹だ。兄ほどではないが、本能的な勘の鋭さは
自分が今も継続して行っている『行為』がばれるのではないか。心配は尽きない。
「だったら寝てないと――あ、もしかして寝かけてた? だったら邪魔してごめんね」
「いや、別に構わないさ。一人で退屈してたんだ」
嘘だ。退屈などしていない。見惚れていたんだ。
けれど、それを素直にいう訳にはいかない。彼女のことだ、絶対に怒られる。
フェイトは「そっか」というと椅子にしゃがみこんだ。変わらぬ微笑を浮かべ、お見舞い品の中から乾燥させた烏賊の切り身を取り出しかじる。
「見舞いって、それなのかい?」
「これはわたしの。リーゼにはサボテンの実があるよ」
フェイトが持ってきた皿のもう一つには切ったサボテンの実が盛られている。ドラゴンフルーツというらしい。
ちなみにフェイトが烏賊を持ってきたのは単純に彼女の好物だから。曰く、
リーゼはフォークをとり、ドラゴンフルーツを一つ口に運ぶ。酸味と甘みが調和された不思議な味だ。もう少し甘ければ、などと考えてしまうが、これはこれでおいしい。
「それで? レイヴンはどうしてたの?」
「ああ、リイに服を選んでもらってたみたいだ。本当は僕が選びたかったけど――」
と、そこまで口にしたところでリーゼの思考は凍結した。二切れ目のドラゴンフルーツに伸ばした手をぴたりと止め、ギギギと機械的な動きでフェイトに視線をやる。
フェイトは、にんまりと笑みを浮かべていた。笑いをこらえるの必至だとか、そんな感じだ。
「あー……その、フェイト、僕は――」
「ストーカー、してたの?」
ぐ、と言葉に詰まる。
事実、その通りだ。フルミネに提案されたのはリーゼが使役するクワガタの小型ゾイド――スタッグで追跡することだった。
スタッグの意識はリーゼとリンクさせることが可能だ。以前はスタッグを相手の身体に着け、それを起点に対象の意識に入り込み、支配し、思うがままに操る。または対象の精神の深いところに入り込み、直接痛手を負わせるのだ。
リーゼが蒼い悪魔と呼ばれた所以の一つである。
そして、彼らはリーゼのもう一つの目にもなる。スタッグが見聞きしたものを、リーゼも把握することが可能だ。
今回はそれを利用してレイヴンとリイのショッピングを覗いていたのだが、フェイトにはあっという間にばれてしまった。
「ああそうだよ。どうしても気になって、おちおち寝てられなくて……スタッグを使ってレイヴンたちを覗いていたのさ。悪いかい!?」
少しやけっぱちに怒鳴った。
リーゼは
そしてその中でも特に大きかったのは、バンとフィーネに向けていた敵意だ。それを最初に自覚させたのが、今目の前でニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているフェイトである。
「レイヴンがリイにとられちゃうんじゃないかって不安で――、君が前に言ってたようにまた八つ当たりする種を探してた訳だよ」
リーゼはバンとフィーネを恨んでいた。自分と似た境遇で、されど自分とは違い幸せになっていく二人が恨めしくて、何度も理不尽な怒りをぶつけた。
今日のそれも同じだ。もしもレイヴンとリイが今日で一層深い仲になってしまったら、リーゼはリイも、そしてレイヴンも許せない。またやり場のない怒りと憤りをぶつけてしまう。
そういう、『前科』があるのだ。
前と同じように、また説教されるのだろう。ぷいとそっぽを向くリーゼだが、いつまで経ってもフェイトからお小言は飛んでこない。
不思議に思ってちらりと見ると、フェイトはまだ笑っていた。
「な、何を笑ってるんだ!」
「えー、だって……リーゼここ来てかわいくなったなぁって、思ってさ」
「……怒らないの?」
フェイトは「なんで?」というように小首をかしげる。しばし二人して相手の顔を見合わせながらつながらない意思疎通を続け、やがてフェイトが把握したように頷いた。
「あーそういうこと。だって、リーゼのなんてただの嫉妬じゃん。そんなのアンナさんいっぱいしてたよ」
「え……そうなのか?」
思わぬところでその名を聞き、リーゼは問い返す。
「うん。ヴォルフさんさ、誘いは断らない主義とかでウィンザーさんにそういう店に何度も連れ込まれたことあるんだよ。偶にロージも巻き込まれてた。そのたびにヴォルフさんはアンナさんに怒られてた。もう行かないって言っても、結局ウィンザーさんの誘いを断り切れなくて行っちゃうんだけどさ。あ、ロージもタリスさんに怒られてたなぁ」
それは、初めて聞く話だった。
リーゼはヴォルフとアンナとはそれほど見知った仲というわけではない。恩人であるローレンジの上司であり、かけがえのない友の二人。その程度だ。
けれど、あの結婚式の場には恩人の友人ということで、そして結婚式を見たくて――正確には自分が立つことを夢見て――こっそり見に行ったのだ。
その場で目の当たりにした二人は、とてもそのような諍いが起きるようには思えなかった。互いに互いを信用し、それ以外には目もくれない、そんな仲睦まじさを目の当たりにした気分だった。
「リーゼがバンとフィーネに向けてきた感情は認められるものじゃないよ。酷く歪んだ、負の感情だから」
「うん」
「リーゼはそれを解って、理解してる。だから今日だって寛容になろうとジョイスを行かせたんだよね」
「ああ、そうさ」
「だったら問題なし! そのくらいの嫉妬なんて、誰だって持ってるもんね。好きな人のことになったら、みんな少しくらい盲目になっちゃうんだよ。きっと」
フェイトはにっこりと笑みを浮かべ、そう締めくくった。
少し、救われた気がする。
リーゼは、そういった感情すら持つべきではないのだと思っていた。けれど、違った。誰だって負の感情は持ってる。大事なのは、それを制御できるか否か。
フェイトは自分よりも年下だ。けど、なぜか彼女の言葉には不思議な説得力があった。年に似合わない達観した感情も含めてる。それでいて、年相応の無邪気さも。
それはきっと、彼女の兄の影響なのだろう。
あの兄の元で、不相応な修羅場をいくつも潜り抜け、その多感な年ごろにありすぎな経験を押し込まれた。なのに彼女がこうもまっすぐ育っているのは、きっとあの男のおかげ。
リーゼは、その多感な時期を『実験台』という名の牢獄で過ごした。育むものと言えば、恨みと憎しみしかなかった。
ふと思う。リーゼは、フェイトにさえ憎しみを向けられる要素を持ち合わせている。けれど、今この幼い少女に向けるのは、純粋な好感だ。
改めて、バンとフィーネを思い出す。
バンはレイヴンと正反対だ。根ざした想いも、その性格も。けれど似ている部分もあった。
二人は対だ。
そして、自分の対はフィーネだろう。
なら、それをそれぞれの周りに広めていけば、どうだろうか。
ローレンジは、たぶんだがアーバインという傭兵だ。ならフェイトは――ムンベイという運び屋、だろうか。
「どうしたの?」
「いいや、なんでもないさ」
ふっと頭をよぎった妙な想像を頭を振って追い払う。代わりに、この少女にも聞いてみよう。
「ならさ、フェイトも嫉妬したことってあるのかい?」
「んー、タリスさんにあるかな」
「タリス――副長にか?」
「うん。暗黒大陸の事件が終わった後、タリスさんがロージと一緒にいることが多くてさー、ロージの傍はわたしの場所なのに盗られちゃった気がして。それでレイさんにどうなんだろうって聞いたんだ」
レイ、という名にリーゼは聞き覚えがない。ただ、彼女にとっては慣れ親しんだ相手なのだろう。その名を口にするときの表情が和らいでいた。
「そしたらわたしのロージが好きって気持ちと、タリスさんの好きって気持ちは種類が違うってことに気づいてね。それですっきりしちゃった」
あっけなく終わった嫉妬だが、フェイトは朗らかに笑っていた。きっと、その気持ちを乗り越えたらそうやって過去の笑い話と笑える時が来るのだろう。
リーゼも、きっとリイのことを敵意なく見れる時が来る。それには、リイとレイヴンが本当に深い仲にならないという確証が必要なのだが。
気づけば、風邪でだるかった体調も、少しマシになっていた。
先に言っときます今回の幕間
レイヴン×リーゼですが、二人が語らうシーンはほとんどありません!