ZOIDS ~Inside Story~   作:砂鴉

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第125話:好きと好き 後編

 一連の事柄ののち、一時的に意識を手放してしまったフィーネは医務室で目を覚ました。

 

「フィーネ!」

「フィーネさん!」

 

 覚醒した意識に真っ先に浴びせられた声は、バンとトーマのものだった。

 

「大丈夫、なのか?」

「……ええ。久しぶりにゾイドに乗ってあんなだったから、ちょっと驚いただけ」

 

 心配そうに顔を覗き込んでくるバンに、フィーネは小さく微笑んだ。

 

「大丈夫よ、大丈夫」

 

 そう言って、バンのほほに手を伸ばしそうになり、ぴたりとそれを止める。ここにいるのは、自分とバンだけではない。トーマも、そして、彼女もいる。

 

「いったい、なにがあったのですか?」

「それは……」

 

 トーマから不審げに問われる。出撃前に心配されていたとはいえ、トーマもフィーネが多少なりともゾイドの操縦に精通していることは知っている。また、古代ゾイド人としての特性を生かした乗り方をすることも。

 だからこその疑問なのだろう。フィーネが乗って、ゾイドが暴走するなど到底信じられない話だ。暴走という事態が起きないようゾイドの意志に配慮するのは、他ならぬフィーネなのだから。

 

「それは……ごめんなさい。後で話すわ」

「しかし」

「シャドーフォックスのシステムにはなんの異常もないわ。それだけは証言できる。あれは、あの子と私が合わなかったから……」

 

 俯きながらかろうじてそこまで話したフィーネは、そこで口を閉ざす。シャドーフォックスが暴れた理由は、すでに見当がついている。けれど、それはフィーネの信条に関係するもので、今は、彼らにも言えなかった。

 そんなフィーネの様子に、トーマはなんと声をかけてよいか分からない様子だった。そして、それは同席したリーリエも同じ。ただ、バンだけは「フィーネ……」と彼女を気遣うように呟いた。

 

「トーマ、リーリエ。悪いけど、ちょっと席を外してもらえるか?」

 

 やがて、意を決したように面持ちを持ち上げたバンが二人に頼む。トーマはやぶさかないと言った様子で頷き、先に部屋を出る。しかし、リーリエはしばしバンの目を見つめた。そして、その視線に揺るぎがないことを確認すると、小さく息を吐き、ほほ笑んだ。

 

「しっかりね、バン君」

「ああ……」

 

 リーリエが部屋を退出する。その背中に、バンは小さく「ありがとな」と呟いた。聞こえるか聞こえないか、独り言程度の小声だったが、リーリエは一瞬ピクリと反応する。部屋を辞する彼女の動きが止まり、しかしその背に何か言葉がかけられる前に彼女は退出した。

 部屋には、バンとフィーネの二人だけが残された。フィーネはバンを、そしてバンは二人が出て行った扉を見つめ、ほどなくしてベッドの傍の椅子に腰を落とす。

 

「それで、なにがあったんだ?」

 

 バンが訊ね、フィーネは少しの間を開けてから、徐に話し出す。

 

「シャドーフォックスは、私に褒めてほしかったんだと思うの」

 

 シャドーフォックスのコックピットでの出来事、フィーネはそれを一つずつ思い出す。

 

「フォックスの元になった野生ゾイドは、単独での狩りをする、それほど大きなゾイドじゃない」

 

 ガイサックに代表されるように、戦闘ゾイドの多くは元からあの大きさというわけではない。大小の個体差はあれど、その多くが戦闘用として人が乗れるサイズに体の大きさを調整される。シャドーフォックスも、野生体の大きさは実機の半分ほどしかないのだ。

 野生のフォックスは他のゾイドと比べれば小型で、単独生活だ、必然的に狩れる獲物は限られ、より大きな競合相手には獲物を譲って逃げることも少なくない。

 

 シャドーフォックスは、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の科学者が確立した、全く新しいゾイドの製造技術を導入した機体だ。その製法によりシャドーフォックスの意識は戦闘用ゾイドでありながら限りなく野生ゾイドに近く、組み込まれたリンクシステムによりそれはパイロットへと伝わりやすく、逆もまた然り。

 

「きっとフォックスは、普段の自分では狩ることすら考えない大きな獲物(ターゲット)を斃すことができて嬉しかったのよ。きっと、だからフォックスは……でも、私は、私……は……!」

「怖かった。そうなんだよな」

 

 確認するバンに、フィーネは無言で頷いた。

 単純な話だ。普段より大きな体を得て、過去を凌駕するほどの力を手にして、シャドーフォックスの心は舞い上がっていた。そんな自分と意思疎通する人間(パイロット)たちは、力を見せるたびに喜んだ。一緒になって、歓喜を分かち合った。

 けれど、フィーネが抱いた想いは、それらとは真逆のものだった。

 

「けど、それは……フィーネの気持ちと合わなかっただけさ。戦いが好きなゾイドがいれば、嫌いなゾイドだって――」

「そうじゃない。そうじゃないの!」

 

 バンの弁解を、しかしフィーネは怒鳴るように断ち切った。

 

「私、シャドーフォックスの気持ちを考えてなかった。彼に乗ることなんて、考えてなかった!」

「フィーネ……?」

「本当は、私本当は……!」

 

 

 

「バンのことしか……考えてなかったの」

 

 

 

「フィー……ネ?」

 

 呆然と、バンは呟く。しかし、フィーネはそれすら目に入らない。言葉が止まらない。

 

「バンの傍にいたくて、リーリエ(あの子)にバンの隣を盗られたくなくて……」

 

 本当は、心の中に留めておきたかった。吐き出さないつもりでいた。

 

「私には、バンしかいない。今の時代に生まれ落ちて、初めて出会ったのはバンだった。バンの傍に一生いたい。その場所を、誰にも盗られたくない!」

 

 だって、こんなに汚くて、自分勝手な言葉(セリフ)だもの。私のこと、嫉妬深い面倒な女としか思ってもらえない。

 

「だからシャドーフォックスの運用試験に立候補した! あの子に――リーリエに盗られたくなかったんだもん!」

 

 シャドーフォックスが怒るのだって無理からぬこと。

 きっと私は――フィーネは他の誰よりも深く、シャドーフォックスの意識と接触できた。なのに、フォックスのことを目的を果たす道具のようにしかみていなかったから。その上、これまでの成果を否定されるのであれば、怒って暴れるのも必然。

 

 ヒルツやプロイツェンはゾイドを戦いの道具と言い切った。それを否定した私が、滑稽だ。今日の出来事を思い返してみればいい。彼らと私と、いったい何が違う? 違わない。何一つ。

 フィーネは頭を抱えた。もう、止まらない。堰を切った言葉の濁流は、最後の汚濁まで吐き出してしまわないと、止まらない。

 

「私も、結局はヒルツと同じ。古代ゾイド人は、ゾイドを使い潰すだけだったんだわ。だから、滅んだ。私なんて、私なんて――!」

 

 ――いなくなればいい!

 

 そう、叫んだ。

 

 

 

 

 叫んだ、はずだった。

 

 フィーネの耳に、自分の言葉は響かない。

 代わりに、自分の名が叫ばれた。

 誰に? この場にいるもう一人に。

 

 バンに。

 

 

 

「フィーネ。それは違うぜ」

「……バン?」

「ヒルツ達だったら、こんなに悩んだり、悔やんだり、自分を追い詰めはしない。自分の言ったことを後悔して、自分を追い詰めるのは、フィーネが本当にゾイドのことを想ってるからこそさ」

 

 フィーネの肩を、やさしい温度が包む。胸元からは、自分とは違う鼓動が聞こえてくる。語り掛けるバンの言葉は、フィーネの耳をすぐ傍からくすぐる。

 

「でも、バン。私、バンを……」

「そりゃ、リーリエのことを目の敵にするのはやめてほしいって思うよ。リーリエは……あいつも、アーバインやムンベイと同じで、俺にとっちゃ大事な仲間なんだ」

 

 部屋の外から、咳払いが響く。そのわざとらしい響きに、バンは「あ……」と間の抜けた声を零す。

 

「トーマもな」

 

 付け加えられたその名に、フィーネはついクスリと笑みをこぼしてしまう。

 

「忘れちゃだめよ」

「いいじゃねぇか。仕返しだ」

 

 普段から言い合いの絶えない一方的な恋敵へのささやかな仕返し。本当は今の状況こそが彼への痛手なのだが、あいにくと彼の一人相撲では、二人が気付くはずもなかった。

 やがて、バンはゆっくりと体を離した。名残惜しく思うフィーネを想ってか、ゆっくりと、引きずる残滓を丁寧に処理するかのように。バンの手は、フィーネの肩に置かれたままだ。

 

「フィーネはさ、戦いに出る人じゃないんだ。そういうのは、俺やトーマ、リーリエに任せてくれよ」

「……ええ」

「フィーネは、俺と一緒にいて、俺がヘマしないよう見ててくれ。そうしてほしいんだ」

「ええ!」

「ゾイドにもいろんな奴がいる。戦いが嫌な奴も、フォックスみたいにどこまでも自分の力を試してみたい奴も。――だから俺たちは平和な明日を作るんだ。力試しは思う存分できて、誰も悲しい思いをする必要のない未来を、そのために今、戦うんだ。だよな?」

「ええ。もちろんよ、バン!」

 

 万感の想いで、躊躇なく頷いた。バンが必要としてくれる。バンの傍にいてもいい、それだけで、フィーネの気持ちは晴れていった。

 

「それとさ」

 

 バンはそう一言告げる。「なに?」とフィーネは問う。その言葉を発するよりも早く、フィーネはもう一度、バンに引き寄せられるように、その胸に飛び込む。いや、引き寄せられる

 

「え!? バン……?」

「ごめんな、フィーネ」

 

 ふっと、心を冷たい風が吹き抜ける。

 

「ありがとう」

 

 続けて感謝の言葉。嫌な予感が、フィーネの心を突いた。

 

「フィーネの我儘、かな? ちょっと嬉しかった」

「バン……離して」

 

 いやだ。ききたくない。

 

「あの日から――ヴォルフさんたちの結婚式の時から。自分がどう思ってるのか分からなかった。そしたら、急にフィーネの顔を見れなくなっちまった」

 

 やめて。その先に続く言葉を、言わないで

 

「知り合いに相談もしたんだ。それで少しは整理もついたんだけどさ、今度はそれを言い出せなくなっちまって……」

 

 分かる。分かってる。あなたと同じ。私もそうだった。あなたの顔が見れなくなった。

 否定されるのが怖くて、どうしても私の正直な気持ちを表せなかった。できなくなった。

 

「でも、こんな状態を長続きなんて、らしくねぇよな。だから」

 

 あんな自分勝手な私、もう嫌よね。分かってる。シャドーフォックスの心に打ちのめされて、私の汚い気持ちを知って、もう十分に理解した。

 

「バン……!」

「フィーネ! 俺!」

 

 だからやめて。バンの気持ちが離れるのは仕方のないこと。

 けど、せめて、せめて――汚いのは分かってるけど、今まで通りでいさせて。バンが好きで、あなたと一緒に居られた。せめて、昔と同じ距離感でいさせて!

 

「バン――」

 

 バンはフィーネから離れる。けれど、肩をつかんで、瞳は真剣そのもので、

 

「バン、ダメッ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「『好き』だ、フィーネ!」

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 ほんのわずかな時間。

 フィーネの時は止まった。

 

「あ、その、仲間同士でっていうか……ヴォルフさんと、アンナさんみたいな意味で……」

 

 その沈黙が、フィーネが理解していない故と思ったのだろうか。バンはしどろもどろになって、さっきの真剣な表情は途端に崩れ、ごにょごにょと弁解する。

 実際、フィーネは理解できていなかった。正確には、思考が追い付いていなかった。なぜなら、ついさっきまで真逆の結果になると思っていたから。

 けれど、実際はそうではなかった。むしろ、フィーネにとっては喜ばしい状況だった。

 

 どうしてバンは急に? なぜ今?

 疑問は尽きない。けれど、バンが一つ一つ――冷や汗をかきながら――回答を述べていくにつれ、フィーネにも、徐々に、ゆっくりと、現実が染み込んでくる。染み込んで、全身に広がっていく。

 

 もちろん、不満や呆れもあった。バンが告白してくれたなら、私の決意や、今日のわだかまりなんかは、なんだったのだろう。

 

 いいや、無意味ではない。

 バンが告白しても、フィーネはきっと理解しきれていなかった。『好き』という気持ちを、真に理解し、自身に(それ)が起きているのだとは思えなかっただろう。

 シャドーフォックスとの一件も、『ゾイドたちを戦いから解放する』という目標に色を付けたと見ることができる。すべてのゾイドが争いを望んでいないわけではない。ただ、これまでの戦いが悲しくて、得るものがなかっただけ。

 そして、フィーネが奮起していなければ、今日バンが告白に踏み切るということもなかったはずだ。

 

 すべてに折り合いがついた時、フィーネの前にあったのは、愛しい人の顔だった。

 目を細め、フィーネは(バン)に抱き着く。

 

「フィーネ……?」

「バン、私……私も――!」

 

 

 

 ――大好き!

 

 

 

 やっと言えた。

 やっと、気持ちが通じた。

 

 ほんの少し、溝を感じていた二人の想いは、ついに結ばれたのだった。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「フィーネさん……」

 

 心を通じ合わせ、ついにお互いの想いを吐露し合った二人は、新たなステージへと昇った。

 それは喜ばしいこと。

 周囲からすればやきもきさせることこの上ない状態だったが、これでもう、心配はない。後は時間が過ぎていく中で、二人が共に、新たな人生のパートナーとなる日を待つばかりだ。

 

 喜ばしいことだ。

 祝福すべきことだ。

 

「……おめでとう、ございます」

 

 なのに、この胸をチクリと刺す痛みは、なんなのだろうな。

 

 

 

 部屋から漏れ聞こえる会話を背に、基地内の廊下を当てもなく進んだトーマは、ふと目についた自販機に足を運んだ。ポケットから小銭を取り出して投入し、ぼんやりとそれができるのを待つ。やがて「ピー」という小さな音が鳴り、トーマは自販機から出来立てのコーヒー取り出した。

 くいと口に近づけ、出来立ての熱さに顔をしかめる。舌を火傷してしまったようだ。

 

 目についた椅子に腰かけ、「ふう」と誰ともなくため息を吐いた。

 

「二人の愛に、メガロマックス……」

 

 呟いた言葉は、バンがデスザウラーを撃破し、無事帰還した時に口走ったものだ。

 デスザウラーを斃したバンと、そんなバンを信じ、惑星Ziの明日を託したフィーネ。二人の、互いを想う愛ゆえになしえた奇跡だ。そんな意味を込めた、トーマなりの祝福の言葉。

 けれど、その祝福には、もう一つ意味がある。

 

 バンとフィーネ。二人が共に歩んでいくだろう未来(あした)を祝福するための言葉。

 互いを想い合う、()()()()の二人を祝福する言葉だった。

 

「我ながら」

 

 あの時に、自分の想いには決着をつけたはずだった。

 いや、そもそもだ。バンが行方不明になった時、今にも泣き崩れそうなほどになりながらもバンを探すフィーネを見たあの日。あの日で、もうトーマは叶わぬ恋だと自覚していた。

 ノーデンスの村にたどり着いて、現実を知った。

 デスザウラーとの決着がついたときに、断ち切った。

 無骨な軍人として見出した『初恋』は、終わったのだ。なのに、

 

「未練がましいな。情けないことだ」

 

 こんな時はどうすればよいのだろう。兄さんを飲みに誘ってみようか。普段だったら我が兄得意の皮肉が飛ぶかもしれないが、きっと、兄さんなら黙って酒の席に付き合ってくれる。けれど、肝心の兄さんは、ここにはいない。

 

「……ん?」

 

 その時だった。声が聞こえた。

 むせぶような、それでいて潜められた、誰にも聞かせたくないような、そんな声。

 

 トーマは自販機の周囲を見渡す。基地に設けられた休憩スペースだ。夜も遅い今、そこに居るのは自分一人――ではなかった。部屋の片隅、二台設置された自販機の影、トーマのいる位置とは反対側で、死角になっていた。けれど、呆れるほど近くにいた。そんなところにいる人に気づかぬほど、自分は物思いに没頭していたらしい。だらしないものだ。

 

「誰だ?」

 

 ぶしつけな、そっけない言葉をトーマは投げた。

 それに気づき、()()は恐る恐る顔を持ち上げる。オレンジ色のおかっぱ頭。小柄で、同年代よりも一回り幼く見える容姿、それをごまかすような、精一杯の背伸びを感じさせる目元。それを飾り付けるメガネは――かかっていない。小さな手の中に、きつく握られていた。

 

「クルーガー少尉……」

「え? シュバルツ中尉!? お見苦しいところを!」

 

 慌てて目元をこすり、彼女はパタパタと立ち上がった。その動作は少し緩慢だ。

 

「なにを、していたんだ」

「あ、いえ……その、ほら、バン君と――あの二人、いい感じだったじゃないですか。少し、感傷に浸っちゃって」

 

 えへへと、とってつけたような笑みを浮かべる。彼女の姿は痛々しい。

 リーリエが嘘をついていることは、分かり切っていた。彼女はバンとフィーネの会話を途中まで盗み聞きしていたのだが、席を外してしまった。

 苦しい言い訳を述べるリーリエを、トーマは黙って見つめていた。傷心の彼女を、傷心の自分がなぐさめることなど、傷のなめ合いでしかない。そんなことをトーマは求めていないし、彼女も求めていないだろう。

 けれど、リーリエはトーマの沈黙を違う意味と捉えたらしい。「なんて、通用しませんよね」と呟くと、自分の分のコーヒーを用意し、一口含み舌を湿らせる。舌を火傷させるくらい熱いのだが、彼女はお構いなしだった。

 

「相談されたんです。ある人から」

 

 リーリエは窓辺に移動する。基地の様子がよく見え、見晴らしのいい場所だ。

 

「『自分の気持ちがどういうものかわからない。他人から見て、どう思うか判断してほしい』って。端的に言えば、その人は恋をしていたんです。でも恋心が分からない。笑っちゃいましたよ。滑稽ですよね。その人は、本当に分かってないんです。自分のことが、……人のことさえも。自分が、どんな風に思われているのかって」

「それは……」

 

 ――あの、馬鹿が。

 

 トーマは珈琲を持ってない方の手をきつく握りしめた。リーリエの語るある人は、トーマもよく知る人物で間違いないだろう。彼に怒りを覚えたことは何度かある。けれど、これほど煮えくり返るような呆れと怒りは、初めてだった。

 

「まったくあいつときたら……今度、俺からも一つ言っておこう」

「お願いします。鈍感にも限度がありますから」

「ああ、まったくだ」

「でも」

 

 そんなトーマの心情に冷や水を刺したのは、リーリエだ。

 

「本当に滑稽で、なさけないのは、私なんです」

 

 もう一口、リーリエは珈琲を含んだ。こくりと液体を喉の奥に送り込む音が嫌に響く。

 

「だって、その相談を、親身になって聞いちゃって、アドバイスまでしたんですよ。しまいには、私が確かめてあげるからって。それで蹴落とすなりなんなりすればいいのに、馬鹿正直に、フィーネ、さん……の、気持ちを探って、わざと煽って。それで、それ、で……」

 

 少しずつ、言葉が続かなくなってくる。ごまかすようにまたコーヒーを飲み、瞼をしぱたかせ、震えそうな唇を意識的に抑え込んで。

 

「あの、人に、は……今しか、ないよっ……て。きっ、と、きっ……と、大、丈……夫。だから……て」

「あいつの、背中を押したのか」

「だ……て。わ、たし。あの……人の――うっ、――バン君のこと、大好き! だから。だか、ら」

 

 だから、バンの恋路を応援したかった。バンが本当に好きな相手に素直な気持ちを伝えられるよう、支えたかった。

 だから、リーリエはフィーネの恋敵になった。フィーネの本当の気持ちを確かめるため。

 結果的に、フィーネのそれは並々ならぬものだったが、それはそれでいい。相手にとって不足はないと、彼女の想いの強さを見せてもらうだけだ。

 結果は、フィーネのバンに対する想いは他の誰の追随も許さぬもの。バンの相手として、十分なものだろう。

 

 潔く、リーリエは身を引くことができた。

 

 

 

 けれど。

 

 

 

「私、本当はお父さんみたいな軍人になって、今日まで育ててくれたお父さんに恩返ししたくて、軍学校に入ったんです」

 

 しばらくの沈黙の後、すんと鼻を鳴らしたリーリエは語りだした。

 

「けど、そこでバン君と会って、そしたらもうバン君のことしか考えられなくて……。一目惚れなんです。それで、それだけで、私が軍学校に入った目的は、崩れちゃった。配属の時も、バン君とは別で寂しかった。フィーネさんと再会したって聞いて、なんで私はって、思っちゃった。フィーネさんに嫉妬した。そんなことばっかり頭にあって。実戦もそう。バン君となら合わせられる、けど、他の人とだと、バン君ほどうまくはできない。どうしても、どこかで違和感を覚えちゃう。何回も練習して、結果はよくなっても、私は納得できない」

「少尉……」

「バン君一筋に気持ちをシフトして、パリス中尉にも頼んでGFに入れてもらえるよう図ったのに、結果は。……もう、私、これから何を目標にすればいいんだろ……」

 

「少尉……いや、リーリエさん」

 

 トーマは、リーリエの隣に立った。そのまま感極まった彼女を抱きしめることだってできた。肩を支えながら、自分も同じだと、その苦しみを分かち合うこともできた。

 けれど、トーマはそのどちらもしなかった。ただ、その隣に立って、彼女の名を、呼んだ。

 

「ちゅ、尉……ううん、トーマ、さん?」

「自分は、愛だの恋だの、そういうものとは無縁と思ってきました。ただ、自分を信じる道を。軍人としての責務を果たすことが、自分の生きる道です。それはあなたにも言えます。けれど、自分の信じる道と、あなたの信じる道は、違うものでしょう?」

「それ、は……」

「自分もあなたも、目的があって(ここ)に入った。自分の目的は、多少揺れはしましたが、矯正しました。もう、揺るぎません。けれど、あなたは歪んだ。歪んで、別の道に変わった」

 

 リーリエは、答えなかった。それは、肯定の意味だとトーマは思う。

 

「変わった目的を。けれどあなたは変えるつもりはない。それでいいじゃないですか。最後まで、愛した人のために、この道を歩み続ける。どこもおかしくありません」

「でも、もうバン君の傍は……」

「自分は、GFのメンバーとしてあの二人を見守る所存です。あなたは、それでは納得できませんか?」

「……あ」

 

 ふと、リーリエは言葉を止めた。それは、トーマの出した答えが、自然と、ぴたりと、今のリーリエの行動指針にはまり込んだから。

 バンの自覚した恋心に手を貸したのは、バンが好きだから。好きな人が、彼が真に想いを寄せる人と一緒になってほしいから。バンの望む結果になったんだから、それでいい。

 私は、望みの一つは叶わなかったけど、もう一つの希望は叶ったんだから、それでいいじゃないか。

 

「もう、大丈夫そうですか?」

「はい。……ありがとうございます、トーマさん」

「いや、俺は何も」

「そんなことないですよ。私の気持ちを全部見透かしてるみたいに……紳士ですね」

「なっ……! そ、そんなこと!」

 

 つい照れてしまうあたり、やはり自分は女性に免疫はないのだろうと思う。特にきれいな女性に対しては。

 そう意識してみると、リーリエという女性も美しい。小柄で、オレンジ色のおかっぱ頭。チャームポイントの眼鏡。そしてその小さな体に似合わぬ、フィーネのそれと同じくらいな大きさの。小柄でか弱い女性は、庇護欲を掻き立てられるが、彼女の場合はそこに母性もプラスされそうだ。

 

「あ、でもだからってトーマさんに鞍替えとかないですよ。タイプじゃありませんから」

「な……お、俺はそのような浮ついたことなど考えては――」

「嘘はダメですよ。パリス中尉が一発で見抜いたって豪語してました。あの人ブルーガー少尉と仲いいからそういうことには目ざといんですよね」

「んな……」

「トーマさんに言われましたから。決めたんですよ、私は一生、バン君とフィーネさんのために生きるんだっ、て」

 

 ふふ、と得意げに笑んだ瞳から、一筋の滴が流れ落ちる。

 彼女は、失恋した。自らの手で、そうなるように仕向けたのだ。だから、もう振り返らない。この選択が正しかったのだ。信じられる自分の道なのだと、ただ前へと進む。

 

「もう絶対、バン君たちが引き裂かれることのないように」

 

 そう呟くリーリエに、強いなとトーマは思う。気持ちにケリをつけていたつもりでいた自分と違って、すっぱりと、心の底からこの結末に向き合い、自分の在り方を見出した。それも、決して嘘偽りのない形で。

 

 自分も、彼女のようにフィーネさんへの想いにケリをつけよう。そして、あの二人を祝福し、いつかは……。

 

 

 

***

 

 

 

「どうしたバン? 眠そうな顔だな」

「ああ、変な夢見ちまってさ」

 

 あの日からいくつかの任務をこなし、数ヶ月が過ぎた日の朝だった。バンがいつになく崩れた表情で表れた。

 

「たるんでるんじゃないか?」

「大丈夫、少し休めるようかけあってみようか?」

 

 当初はバンとフィーネの不調、新メンバー、リーリエ・クルーガーの加入もあり任務遂行に支障をきたす場面もあったが、ある日を境にそれは改善。

 バンとフィーネのコンビによるブレードライガーの洗練され、突出した格闘戦。

 後方からのトーマとディバイソンの大火力砲戦。

 さらに状況に応じて的確に指示を下しつつも両者をサポートするリーリエのシャドーフォックス。

 

 GFが誇るエースチームの戦果はとどまることを知らず、惑星Ziの平和を守り通すべく奮戦していた。

 噂された不和は、欠片ほども感じられない。

 

「それともだバン。お前とフィーネさんのことは理解しているが、まさか任務に支障が出るような……!」

「は?」

「バン君……まさか! 夕べは楽しんじゃったの!?」

「ばっ! ちげーよ! そうじゃねーって!」

「フィーネさんがそのような失態をするなど考えられんから、犯人は貴様しかいない!」

「バン君、やっぱり……!」

「なわけねーだろ! やっぱりってなんだよ、リーリエ! トーマを煽らないでくれ!」

 

 軍の宿舎ではバンたちは個別の部屋を貸し与えられている。ただ、昨日はリーリエがフィーネの部屋に上がり込んで女子会を開いていたらしいのは周知のことで、すなわち昨夜にバンとフィーネの間でそんなことがあるはずがない。フィーネとリーリエは、そういったことができるくらいには打ち解けていた。

 

「だって、フィーネちゃん寂しそうだったよ? やっぱりバン君と甘い夜を過ごせないからって……」

「リーリエ! 私そんなこと言ってないわ! そもそもあなたと私、部屋一緒じゃない!」

 

 収拾のつかない現場にフィーネが現れ、早々に慌てふためく羽目になる。

 最近の四人は、このような状態だ。バンとフィーネは恋人同士になった事実を隠すこともせず、トーマとリーリエはあっさりそれを受け入れた。ただ、トーマは今だやっかみをやめることはなく、リーリエはそれを助長して笑っている。

 

「さて、そろそろ行くぞ。今日は少々面倒な案件だからな」

「誰が話をややこしくしたんだよ。たくっ」

「うんうん、それじゃみんな、気をつけてね」

 

 バンとトーマは連れ立ってゾイド格納庫に向かった。今日の任務は久しぶりのリーリエを除いた三人体制。リーリエは調べごとがあるため居残りだ。

 バンとトーマを追ってフィーネも格納庫に向かう、しかし、はたと足を止めて振り返った。

 

「ねぇ、リーリエ」

「なに?」

「その……」

 

 フィーネが何を言わんとしているか、リーリエには分かった。

 フィーネはなかなかに勘が働く。バンとの関係性に悩んでいた時は余裕がなく、さらに告白されて感極まったおかげで回りに気が回らなかった。だが、少したって思惟を巡らせ、その裏でのことにも気が付いたのだ。

 

「私、あなたに……!?」

 

 何かを言おうとしているフィーネ。彼女を、リーリエは抱き寄せた。身長はフィーネの方が上で、童顔なリーリエがそれをしては、傍から見ればちぐはぐだ。

 

「何も言っちゃダメ」

 

 リーリエは背伸びして、フィーネの耳元に聞こえるようささやく。

 

「あれは私が自分に自信を持てなかったから。バン君のことを、自分から離しちゃっただけ。そして、あなたはバン君の気持ちと、自分の気持ちに応えた。それでいいの」

「でも、私……」

「謝らないでよ。そんなのはいらない。バン君の想いに応えてあげて。それが、私の望むことだから」

 

 体を離し、リーリエはごく自然な笑顔で、告げる。それにフィーネも自然な笑顔で返した。

 

「それじゃあ、今日も頑張ってね!」

「うん!」

 

 そして、バンとフィーネは、その日の任務に向かって駆けだした。

 

 

 

「フィーネ今日の任務って」

「発見されたジェノザウラーの改造機と、見たことのないゾイドの調査」

「へぇ、面白そうじゃん」

 

 新ゾイドの調査と聞いてバンの顔が少年のようにほころぶ。

 そうだ、バンは無邪気だ。ゾイドが大好きで、未知との邂逅を楽しみにする純朴な少年の様。それでいて大切な人のために戦える強さと、それを成し遂げる強い意志がある。

 

 それが、フィーネの、大好きな彼。

 

 

 

「いつもみたいに無茶はしないでねバン」

「分かってるよ、さぁ、今日もめちゃくちゃ動きまくっていこうぜ!」




 バン×フィーネ編終了

 次回はレイヴン×リーゼです。あまり盛り上がるとこはないかも。

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