唐突ですが第四.五章やります(笑)
このタイミングですが、主要三組の想いの行方をお届けいたします。
って訳で『恋情報労編』始まります!
第122話:平和と予感
「すっげぇええええっ!!!!」
目の前の光景に歓声を上げるバンを、フィーネがクスリと笑いながら同意の意味で頷いた。
バンとフィーネは今日、ある目的のために西エウロペの独立都市エリュシオンにやってきていた。そして町の入り口に立ってすぐの感想がそれである。
エリュシオンは、いわゆる発展途上都市と言われてきた。四年近く前になる帝都動乱の数か月後に町の基盤が作られ、そこから急速に発展を遂げてきた。しかしながら、今日までエウロペで栄華を極めてきた帝都ガイガロス、共和国首都ニューへリックシティと比べればその土地面積も、規模も大きく離れている。
だが、今ではそんな文明の差などみじんも感じられない。地面がすべて石畳、ではないがきちんと区画整備された街道。そのわきに軒を連ねる商店。石造りで、しかし味のある建築群。そして入り口からまっすぐ続く主街道の終着点にはこの街の中枢、
エウロペ二大国の首都とはまた違った、どこか情緒あふれる街並みが形成されていた。
しかし、バンが驚いたのはそこではない。もちろん、街の発展には大いに驚愕すべきだった。だが、バンは以前にもGFの任務で近くを訪れ、その際に町の発展を目の当たりにした経験があった。
バンの目を引いたのは、主街道を埋め尽くさんばかりの人と、そんな彼らに威勢のいい声をかける露店の店主たちの生き生きとした表情、その光景である。ついこの間までデスザウラーによる被害、通称【D騒乱】の復興支援で小村を回っていたからこそ、その表情はにわ素直な驚きがあった。
「……すごいな」
思いっきり叫んで少々人目を向けてしまったことに咳払い一つ。冷静になってもう一度町の光景に目を向け、こぼれた言葉は変わらない
「ええ」
「さっすが
「本当ね。ルドルフもすごく喜んでたわ」
二人の今日の仕事は、ガイロス帝国皇帝たるルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリン三世をエリュシオンまで護衛することだった。GFとして皇帝親衛隊から名指しで――実際はルドルフが駄々をこねたらしいが――依頼され、ミレトス城からはるばる送り届けたのである。
そのルドルフは国家の主ということもあり、すぐに来賓席へと案内された。そして、そこからの護衛をトーマが請け負い、バンとフィーネの任務もそこで終了というわけだ。
「さて、そんじゃ行くかフィーネ。まずはなに食おうか」
「バン、来る前からそればっかりじゃない」
「しょーがねーだろ。最近はずっと僻地の任務で
「うーん、そうね。私も久しぶりに焼き鳥とか食べてみたいかも」
「フィーネの焼き鳥は塩に隠れちゃうんだけどな」
「おいしいじゃない」
「え、あ……うん。ま、いこうぜ」
「ええ」
互いに「ふふ」と笑みをこぼし、二人は街中へと繰り出した。
護衛が終わった後、ルドルフに言い渡されたのは次の任務内容だった。その内容は『このお祭りを二人でめいっぱい楽しむこと』。珍しいことにトーマが自らルドルフの身辺警護を買って出ており、GFに関連することでは久しぶりな二人っきりだ。
「しっかしホントに人が多いよな。まさかエウロペ中から集まってるんじゃ……」
「あいにくと、そのまさかなんだよな」
バンのボヤキに答えたのはフィーネではなかった。反射的に振り返るとそこには見知った金髪の青年が立っていた。
「ローレンジじゃん――って、なに?」
「街の警備だよ。さっきも言ったようにエウロペ中から人が集まって、おまけにVIPクラスまでゴロゴロと。警戒を抜けるわけねーだろ」
「いや、そーじゃなくてさ。その恰好」
バンが指さすと、ローレンジは少し不機嫌そうに自分の身を包む服に視線をやった。胸に黒い鵺の紋章――ローレンジが束ねる傭兵団
ローレンジの普段の格好は膝近くまであるロングジャケット。その内側には相対したものに警戒心を抱かせ、同時に彼の立場を明らかにさせるような暗器が見え隠れする。いかにもならず者の若長といった風だ。その彼が団服に身を包むというのは、かなり珍しいことだ。
「なんか見慣れねーよな」
「お前とフィーネこそ、普段とのギャップで別人と勘違いしちまう」
バンの今日の服装は普段のへそ出しスタイルではなく、共和国の軍服だった。それも式典用にあつらえたもので、ご丁寧にGF専用の少佐相当官である証、そして先の大戦ののちにルイーズ大統領から授与された勲章まで。
フィーネも同様で、同じくめったに着ることはない式典用の軍服であった。
「これ? なんか着慣れねーし、勲章ぶら下げるのも柄じゃねーんだよな」
「だな、お前のキャラとはちっともあってねぇ」
二人してお互いの格好をけなしあう二人。ここにアーバインがいればさらに発展したものになっていただろうか。だが、
「でも、せっかくの晴れ舞台ですから」
そう、フィーネが告げると、バンもローレンジもふっと微笑を浮かべて苦言を引っ込める。
「……ホントな。わざわざあいつのために、遠路はるばる、ありがとよ」
めったに告げない、ローレンジの素直な感謝の言葉に、やはり彼は今日の主役たちのかけがえのないなの親友なのだと再確認できた。
街道の先、その終着点に万感の思いをはせて視線を投げたローレンジにつられ、バンとフィーネも同じように
今日は、
彼らの偉大なリーダー、ヴォルフ・プロイツェン・ムーロアとアンナ・ターレスの結婚式なのだ。
***
結婚式が執り行われることは、ルドルフ伝いでバンたちの耳にも入った。もちろんそれは驚くべき、そして祝福すべきことだったのだが、その報告の際にヴォルフが二大国の頭首に提案したことのほうがさらに驚くべきことだった。
ヴォルフたちの結婚式を種とし、エウロペ中の人々を招待できるような祭りが計画されたのだ。
エウロペは現在、先の【D騒乱】によって大きく傷ついている。財産を失った者、家族を失った者、帰るべき場所すら失った者と大勢の人々が傷つき、疲れ果てているはずだ。
その状況を憂いていた各国首脳は、どうにかこの未曽有の大災害で傷ついた心をいやすすべはないかと模索していたのだ。
そんな時にヴォルフが提示したのが、エリュシオンで開かれるエウロペ復興祭だ。
二大国と比べて被害の少なかった
もちろん
もともとはヴォルフとアンナの結婚式を予定していたのだが、現在のエウロペの情勢を考慮したうえでの判断である。両者も快諾済みで、その準備は驚くほど順調に進んだ。
エウロペに点在する運び屋たちもこの一大行事に協力を申し入れ、エウロペ史上類を見ない大規模な祭りが実行へと動いたのだった。
「おっちゃん塩二つね」
注文を受けた屋台のおじさんは満面の笑みを浮かべ、焼きあがった焼き鳥串を二本とり、さっと塩をまぶす。熱々に焼きあがった鳥の串焼きからは食欲をそそる肉の香ばしい香りが湯気とともに沸き立ち鼻腔をくすぐる。屋台を離れながら一口かじると、込められた鶏肉の味が口いっぱいに広がった。
「うま、この雰囲気と合わせて、一石二鳥のうまさだよな」
「うん!」
となりで笑顔を浮かべながら串にかぶりつくフィーネの横顔も含め、今日はいいことづくめだ。とはいえ、今は前菜のようなもの。午後からは本日のメインイベントが始まるのでそれまでには会場に向かわなければならない。
本来ならバンたちも先に会場入りし両国の主だった人々との対面しなければならない。特にバンは今回の騒乱の功労者として多くの場で前面に立つ立場であった。が、そんなバンの日々を思ってだろう。メインイベントが始まるまでは「目いっぱいお祭り気分を楽しむように」との命令が下されている。皇帝ルドルフより直々のお達しだ。
「バン、あといくつ回れるの?」
「えっと、3つくらいかな」
フィーネの問いにバンはポケットに突っ込んでいた用紙を取り出した。今回のイベントはデスザウラーやデススティンガーによって被害にあった被災者が招待されている。当然そういった人々にはお祭りを楽しむための資金はない。そこで、今回のイベントでは出店ごとにポイントを付けられ、そのポイントを一定数超えるまでは主催者側が負担する形を作ったのだ。
「ジークも連れてこれればよかったのにね」
「うーん。まぁしかたねぇよ」
ジークは残念ながら留守番である。エウロペ中から多種多様な人々が集まっているのだ。この中にオーガノイドであるジークを連れてくると悪目立ちしてしまう。騒ぎが大きくなれば、その分警備についている
ジークには申し訳ないが、あとで埋め合わせはしよう。幸いなことにローレンジのオーガノイドのニュートも暇を持て余しているらしく、彼(?)がジークの相手をしに行ってくれたらしい。
「しっかしすげぇ人だよな。フィーネ離れないようにな」
「分かってる」
「気になるもんがあるからって、勝手にふらふらすんなよ」
「もう、前みたいに子供じゃないんだから」
小さくほほを膨らますフィーネのしぐさに思わず苦笑がこぼれる。
もう三年以上は経つか。こうして街中を歩いていると、ふとサンドコロニーでの出来事を思い出す。バンはムンベイに振り回されるままに買い出しに付き合っていたが、その時にフィーネとはぐれる事態があった。あの時はデザルトアルコバレーノとの一悶着があり、結局フィーネと二人で街中を歩くというシチュエーションには巡り合えなかった。ただ、代わりにそれを体感したアーバインが辟易していたのが脳裏をよぎる。
「それに」
そう言って、フィーネはバンの手を握った。
「こうすれば、逸れることはないわ」
あ、とバンは言葉を詰まらせる。自身の手を握ったフィーネの顔が、思ったよりも近くにあった。小さく小首をかしげると同時に揺れる亜麻色の髪、その下に浮かべられる、微笑。何度も見たけど、ここまで心を揺らされたのははじめてな気がした。
気づかれぬようそっとつばを飲み込む。照れているんだという自覚はあった。そして、なぜかそれに気づかれたくないと思った。
考えろ。何か別のことを。
そう、さっきまで回想してたサンドコロニーのことでどうだ。
町について、ニューへリックまで行く計画について話して、それで山越えのための買い出しに出たのだ。その時、そういえばムンベイが何か言ってたな。なんだったっけ……?
『シャワー浴びるくらい、いいんじゃない?』
「――――ッッッ!」
脳裏をよぎったのは、思い出してはいけないことだった。この場、そしてフィーネと隣り合っている今は特に。けれど名残惜しく脳裏に居残り続けるのは、陶磁器のような美しい肌色……。
「バン? どうしたの?」
「なんでもねぇよっ!」
焦って早口で言うが、それでは嘘がバレバレだ。フィーネの瞳に素朴な疑惑が宿る。こんな時でも自分を疑わず、単純に不思議がってくれるのはフィーネの昔から変わらないところ。それはありがたいが、今は心苦しい。
「ホントに?」
「な、なんでもねぇって――」
そうやって視線を逸らす。苦し紛れの抵抗のつもりだった。
ただ、そうやって明後日に逃がした視線の先に、彼がいた。
最初は「あれ?」という疑惑だった。彼はあの戦い以来行方不明だ。いまだその行方はつかめておらず、いや、噂では意図的に秘匿とされているようだった。
だから、なぜ彼がここにいるのか、見当もつかない。だが、深くかぶったフードの下に除く横顔は、忘れるはずもない。そんな彼に同行する同じくフードを被った
「レイヴンっ!?」
「え!? 待ってバン! 危な――」
フィーネの忠告は一歩遅かった。人ごみの中で駆け出したバンは――直前の思考混乱も相まって――周囲の状況が完全に見えてなかった。ちょうどバンが走り出した方向を横切ろうとする女性がいたことなど、ちっとも気づかなかったのだ。
「きゃっ!」
ぶつかった女性はとっさのことに対応しきれず倒れる。
「あ――す、すみません! 大丈夫ですか!?」
「え、うん。大丈夫です。気にしないで」
さっと女性の様子を見、怪我がないことを確認しバンは「ふぅ」と息を吐いた。そして思い出したように先ほど見つけたレイヴンのいた方へ視線を投げたが、
――いない。気のせい、だったのかな。
「え、っと、立てます?」
「心配ないですよ」
そう言って彼女は左手を突きながら立ち上がる。
フィーネと同じ亜麻色の髪色の女性だった。その表情はローレンジの妹に似た小動物めいた愛らしさがあり、風貌も相まってキツネを思わせる。それ以上に目を引いたのは彼女の右手だ。一切動くことなく、無機質だ。肌色が覗いているが、その色はどうにも作り物めいている。
「これ? 義手なんです」
ぶしつけな視線に気づいたのだろう。女性は小さく会釈しながら右手を持ち上げ、肩の付け根から外して見せる。
「ほら」
「いや! 外さなくていいから!」
外聞悪いだろうからつけているだろうに、こともあろうに自ら外し、それを何でもない風にプラプラと振って見せる女性に、バンは冷や汗をかいてしまう。
「兄さんから外出るならつけとけーってもらったけど、かゆくなるし汗でべっとりだし、大変なの」
「いいからつけなおしてください! ほら、すげー見られてるから!」
祭りの会場で突如右腕を――言葉通りの意味で――外す女性。当然注目の的で、それにかかわってしまったバンも周囲の視線を痛く感じてしまう。
「はいはい」と面倒そうに義手をつけなおす女性にバンはため息をつかずにいられない。つい先ほどぶつかってしまった申し訳なさなど、もうどこかに吹き飛んでいた。
「誰かお探しだったんですか?」
女性が義手をつけなおし、周囲もバンたちに興味を失ったのを見計らってフィーネが問う。直前に見かけたレイヴンらしき影に意識が向いていたバンと違い、フィーネはぶつかる直前の女性の様子が見えていた。
フィーネの問いに、女性は一瞬――ほんの一瞬だけ鋭い警戒心をあらわにした。それにバンが気付き、反射的にフィーネをかばうように動こうとする。だが、その前に女性の対応は先ほどと変わらないものに戻っていた。
「ええ、会いたい人が……」
「どなたです?」
「うーん、もうずっとあってなくて、でもここにいるのは確かなんですよ。分かるかな、ローレンジって名前なんだけど」
少し砕けた口調で彼女が告げたのは、バンとフィーネのよく知る名であった。というか、つい数十分前に話した青年である。
その名が出たことで、バンは先ほど彼女に感じた感覚に気づいた。雰囲気というか所作というか、ちょっとした隙のない仕草が、どこかローレンジに通じるのである。
「あれ? 知ってるの?」
「え、ええ。私たちも何度かお世話になったから……」
フィーネの説明に、彼女はことさら嬉しそうに何度もうなづいた。
「お知り合い、ですか?」
「うん、まぁ……古い友人ってとこかな。それでこっちに慣れてる知り合いに案内頼んできたんですけど。でも、そっかぁ……ローレンジったら、あなたたちとも知り合うほどに……」
彼女の呟いた言葉に、バンは「え?」と疑問を呈した。彼女とは会ったばかり、そして自分たちの素性について話す機会はまったくなかった。なのに、彼女の方は「あなたたちとも」と言う。その言い方は、バンとフィーネの素性をほぼ把握しているようなものだった。
「そっか。ひとまず、あいつはここにいるのね。それだけ分かれば十分。もう行きますね」
それだけ言うと、彼女はすっと人ごみに紛れ込む。「待って!」とバンは後を追うが、追いつく暇もない。森の木々の隙間をすり抜ける狐のように、その姿は消えてしまった。ただ、そんな彼女が別の探し人を見つけた声音だけは不思議と吸い込まれるようにバンとフィーネの耳に届く。
「あ、いた! ちょっと
その名は、お祭り気分だった二人に冷や水をかけるには十分すぎた。
一方、そんなバンたちの様子を陰から伺うものがいた。目深にかぶったフードで顔を隠し、若干挙動不審気味に周囲の様子に気を配る。
「隠密は苦手かい?」
「お前は、そうでもなさそうだな」
「まあね。
「あいつか。お前にトラウマを刻み付けられたと聞いていたが、もう順応したのか」
「たいした娘だよ」
「まぁそれはいいが、あまりそいつらを使いすぎるなよ。リーゼ」
そうフードを被った青年――レイヴンは傍らの女性、リーゼに忠告する。だが、リーゼは意に介した様子もなく「ふふ」と小さく笑うのみだった。
「でも今回は必要だろう? 僕たちがだれにも見つかることなく、このお祭りを楽しむには」
「確かにそうだが、それにしてはバンたちの接近に気づけなかったな」
「黙ってたんだ。スリルがあると思って」
「…………」
「ごめんごめん。レイヴンと一緒なのが楽しくて、気づくのが遅れちゃった」
ぺろりと小さく舌を出して謝罪するリーゼに、レイヴンは「全く」とあきれたように肩を落とした。
「ところで、さっきの女のことはどうするんだい」
「ジーニアス……か」
リーゼに促されるように、レイヴンは件の女性が口にした名前を呟いた。彼がこの大陸に潜んでいるのは明白。そのことはローレンジにも報告済みで、
ジーニアス・デルダロスの存在が今後の争点になりうる可能性は十分にある。その引っ掛かりともなりえる彼女のことはできうる限り知っておきたい。だが、
「しらばっくれよう」
レイヴンの決断はそれとは真逆だった。
「いいのかい?」
「このことを報告すれば、まず間違いなく俺たちが【謹慎中】であるにもかかわらずここに来ていることについて尋問を受けさせられる」
「でも……、ああ、あいつならとっくに気づいてるだろうって?」
「俺たちが勝手に祭りに来てることも、な。今なら気づかなかったと見過ごしてもらえるだろう。余計な騒ぎを起こさない方がいい」
「分かったよ。じゃあレイヴン。さっきフィーネが食べてた焼き鳥が食べたいから行こうよ」
「ああ、ただそろそろ時間だ」
そう言ってレイヴンは時計を示した。時刻はお昼を回ったくらい。予定通りなら、もうすぐ今日のメインイベントが始まる時間だった。
***
会場は
参列者の一人として招待されたバンとフィーネは多大な緊張に――また直前の出来事もあり――心身を支配されながら用意された椅子に腰を下ろす。
「遅かったな」
隣に座るロブ・ハーマンからの言葉に、バンは「ちょっとな」と呟くように言った。
「ジーニアス・デルダロス、知ってるだろ」
「ああ」
バンが告げた名に、ハーマンは表情を引き締めた。ハーマンは直接あの戦いに関わったわけではないが、軍部の有力者として警戒すべきゾイド乗りである彼の名を把握していた。
「街のどこかにいるみたいだ」
「確かか」
「直接確かめたわけじゃない。けど、警戒するに越したことはないだろ」
「そうだな」
そう呟くと、ハーマンは徐に立ち上がり席を外す。
「バン……」
「ま、大丈夫さ。トーマが警戒してくれてるし、ローレンジやあいつの部下、それに
「ううん、そうじゃないの」
「え?」
「バン、さっき――」
フィーネが続けようとしたが、それは叶わなかった。司会進行役の声が入り、参列者は一斉に立ち上がる。
「とにかくさ、今日を楽しもうぜ」
バンの言葉にフィーネは、若干の迷いを見せながらもうなづくしかなかった。
ざわめきが近くなるにつれて、バンもフィーネも否応なく緊張した。二人がヴォルフとアンナの姿を見るのは、最後に見た日から数えて実に二年近くの月日がたっていた。
その間にバンは共和国軍人としてたくましく成長し、またフィーネもそんなバンに並び立つにふさわしく、心身ともに大きくなった。
バンとフィーネにとって、ヴォルフとアンナは恩人と言える存在だった。暗黒大陸での経験と、それをバネにした成長。それをなすことができたのは、あの時バンたちの旅をバックアップしてくれたヴォルフのおかげだった。
二人とも大きく成長した。その姿を誰かに見せたい気持ちは当然ある。そして、その相手にはヴォルフとアンナも含まれている。
けれど、
「……すげ」
「きれい……」
二人とも、自信が意図することなく、素直な思いを吐露してしまう。もちろん、会場に現れたヴォルフ・プロイツェンとアンナ・ターレスの二人に対する言葉だった。
純白の飾り気がないウェディングドレスに身を包んだアンナは、美しかった。それだけだ。ほかの言葉で言い表すことなどできようもない。別の表現で例えようとも思えない。
そして、ヴォルフもそうだ。ふっと涼しげな、自然体の笑みを表情に宿し、それを見せつけるでもなく、ただ当たり前のように会場のすべてのものに向けていた。どこか影を孕んでいるような印象はどこにもない。胸元に記された【赤い蛇と短剣】のしるしが、ことさら彼の晴れ晴れとした姿を引き立たせる。
やがて、二人は会場の中心――壇上に立つ。設置されたマイクを握り、一度感慨深く瞳を閉じたヴォルフが、目を開く。
「今日は、私たち二人のために、ありがとう」
そして、いよいよメインイベントが幕を開けた。
***
会場から少し離れた一室の戸の前にフィーネは立った。小さく深呼吸し、意を決する。そんなことをする必要はないはずなのだった。彼女とは共にドラグーンネストでの海旅を経験し、その中で少なからず交流があった。改めて居住まいを整えたりなど――プライベートな場なのだから――彼女が喜ぶことではない。けれど、なぜか今日はそうしなければならないと思ったのだ。
呼吸を整え、ノックする。「どうぞ」という軽い言葉は、すぐに返された。
「失礼します」
「ハイハイ――ってフィーネ? もぅ、そんなかしこまらなくていいのに」
「すみません。つい……」
曖昧な言葉で濁しつつ、フィーネはお色直しに行ったアンナの控室に入る。当のアンナはというと、いくつかある椅子の一つに腰かけ、肩やら腰やらを揉んでいる。
「えっと、改めて――おめでとうございます、アンナさん」
「ありがとう。ホントずいぶんと待たされたけど、やっと迎えられたわ」
普段のアンナなら笑って謙遜するだろう。けれど、アンナはフィーネからの祝福を素直に受け入れた。それだけで、アンナがどれほどこの日を待ち望んでいたか感じられた。
「やっと」
「ええ。フィーネには話してなかったかしら。あたしとヴォルフは幼馴染って奴でさ……」
ヴォルフの母――ギュンター・プロイツェンの妻であった女性は虚弱な体であり、ヴォルフを生んですぐ、出産の疲労から体調を崩し、そのまま息を引き取った。
生まれて間もなく、母の顔を知らずに育つこととなったヴォルフに、ギュンターは不器用ながら愛情をもって育てようと努力した。そこには、デスザウラーという強大な悪意に飲み込まれたギュンター・プロイツェンの本来に気質の一端が垣間見える。
母を亡くしたヴォルフの乳母となったのは、アンナの実家に長く勤めていた給仕の女性であった。その関係からアンナとも接点が多く、やがて共に育ち、そしてアンナがヴォルフに惹かれていくのもある意味当然の成り行きであった。
しかし、狂い始めていたギュンターの思惑はそんな二人を引き裂き、帝都動乱の際に二人は敵対する関係として対峙した。フェイトやローレンジ、その他多くの尽力により二人はついに本当の意味で再会することが叶った。
フィーネと知り合ったのはそれから少ししてからのことだ。
アンナがポツリと話し始めた身の上話は想像以上に波乱万丈で、フィーネも思わず聞き入った。あった当時から仲睦まじかった二人にそのような亀裂があったなど、想像だにしない。
「まぁ、いろいろあったわ。でも」
「それで、やっとこの時なんですね」
多くの苦難を乗り越え、二人はついに今日の日を迎えたのだ。
「でも、まだこれからよ」
そう、にっこりと笑いながらアンナは言った。その裏にある言葉を、先ほどのヴォルフの挨拶から思い起こす。
挨拶の場を借りてヴォルフが告げたある宣言。それは、ヴォルフとアンナの待望であり、
今日だからこそ、戦乱の時を終えた場として催された今日という祭りの日だからこそ、告げられたのだ。これから訪れる恒久の平和を願って。エウロペの復興と発展を願って。
「よかったんですか?」
けれど、フィーネにとってはそれは少し疑問を感じるものだった。
「なにが?」
「だって、今日はせっかくの結婚式なんでしょう? なのに、そんな発表の場に使われるなんて……」
今日という日にヴォルフが告げた言葉は、その宣言は、
せっかくの晴れ舞台を、人生に一度きりしかない最高の舞台を――言い方は悪いが、そんなことの発表に使われてしまうなんて。フィーネが抱いた疑問、不安はそれだった。だが、
「別にいいのよ」
アンナは何食わぬ顔であっけらかんとそれを肯定した。
「だって、あれを宣言するよう進言したのは、そもそもあたしなの」
「え!?」
「フィーネ。あたしたちが宣言したのは国家の樹立。その意味が分かる?」
そう問われ、フィーネはもう一度ヴォルフが告げた言葉を思い起こす。確か、亡国を――ゼネバス帝国を再建する、と……。ヴォルフ・プロイツェン・ムーロアの名に懸けて……。
「ゼネバス帝国…………皇帝?」
「そ、ヴォルフとあたしは、ゼネバス帝国の皇帝陛下と皇后って立場になる。あたしたちの悲願だもの。必ず直面することになることだった。だから、今日という日だからこそ、その決意を固めたかったの。ヴォルフからルドルフ陛下とルイーズ大統領、それに両国の主だった人たちには事前に宣告済み。そして今日を、決意の日にしたかった」
アンナは、目の前のフィーネを見ながら語った。だが、フィーネにはその瞳に自分以外の誰かを捉えているように感じた。フィーネに語りながら、ほかの誰かにも語り掛ける、そして自分自身にも、これでもう引き返せないと、覚悟するために。
しばし黙したアンナは、やがてもう一度その焦点にフィーネを収める。「それにね」と前置きし、語りだした。
「フィーネなら、あたしの気持ちも解ってくれるかなって思ったんだけどな」
「え、っと……それって?」
「あら? 分からない? この星の命運をバンに託したあなたなら、って思ったんだけど」
そう、アンナは告げるもフィーネはなおも疑問をぬぐえない。そんな様子のフィーネにアンナはゆっくりと、語り掛けるように言った。
「本当に大事な人になら、自分の未来でさえ預けてしまえる。あたしと同じように、バンが大好きなあなたなら、理解してくれるって思ってたんだけど」
くすりといたずらっぽい笑みを浮かべるアンナに、フィーネはとっさに答えられない。
バンは好きだ。でもそれはアンナさんとヴォルフさんの間の好きとは違う……。そう思ってた。
恋愛ではなく友愛。
遥か古代から続いた永い眠りから覚めて、失くした記憶を追い求める過程でバンと出会って、その中で築いてきたバンへの想いは、きっとヴォルフさんとアンナさんが築いてきた幼馴染という間柄と変わらない。だからきっと、私とバンの絆は友愛に分類されるはず……。
いや、同じ……?
ヴォルフさんとアンナさんと同じなら、私が抱いたこの気持ちは、もう、そこまで昇華されたのだろうか。だとしたら……。
でも、そんなこと……。
押し黙ってしまったフィーネをよそにアンナは立ち上がる。すでに着替えは済ませた。
「フィーネ、悩む必要なんてないわ。あたしは叶ったから、次はあなたたちの番よ」
***
フィーネがアンナと話しに行った一方で、バンもその片割れと話すべく会場の中心に向かった。
バンは今では知らぬ人がいないほどの有名人だ。必然的に、このような会では多くの人から声をかけられ、自身から動くことは難しい。ただ、それはこれからバンが話そうとする人物も同じ。どうにか話をつけて輪を抜けると、まっすぐ会場を見渡せる舞台に向かう。すると、件の人物もバンが向かってくるのに気づいたのだろう。腰を上げてバンを迎えるべく席を立った。
「お久しぶりです、ヴォルフ・ムーロア殿。この度は――」
「はは、君らしくもない言葉だな。バン。気にしなくてもいい」
幾度か行われた各国の重鎮との会談で培ったバンの言葉遣いであったが、やはり自分をよく知る者の前では違和感がぬぐえないらしい。バンは「それじゃあ」と言葉を置いて、改めて祝辞を述べることにする。
「おめでとう。ヴォルフさん」
「ああ、ありがとうバン」
「それから、挨拶の時に言ってたのって……」
「ははは、君も、やはりそちらに気が行ってしまったか。だから今日発表すべきではないと言ったのだが」
苦笑しながらヴォルフが話したのは、アンナがフィーネに語ったことと同じ内容であった。亡国再建の覚悟を、この結婚式で明確にする。せっかくへリック共和国とガイロス帝国という二大強国のトップが出席し、エウロペ中から多くの人が集っているのだ。エウロペを変えていく決意を発するには、これ以上の時と場所はない。
「そちらに関しては、実は明確な期日が決まったわけではないのだ。ただ、この一年のうちには必ず。そこだけは確定している。そのために、ズィグナーやハルトマンが動いていくれている」
「そっか」
バンには国を立ち上げる意味やそれにかける強い意志はよくわからない。バンにとって、ゼネバス帝国と言えば自分が生まれる前に戦乱で滅んだ亡国の一つ。その程度の認識だ。黎明期の共和国軍兵ならばゼネバスとヘリックの間にある埋めがたい巨大な溝を想うのであろうが、あいにくとバンはそのような歴史には疎かった。
「少なくとも、我が子が生まれる前にはと思うが」
「子供か。……そっかぁ、結婚てったら、その先があるもんな」
ヴォルフが嬉しそうに零した言葉に、バンは築地新の両親を思い出す。バンが物心つく前に母は流行り病で亡くなり、その後父は戦乱の中で命を落とした。家族と言えば、今も故郷の村で暮らしているだろう姉のマリアただ一人。
「他人事のように言ってくれるが、君はどうなんだ?」
「俺?」
「フィーネとのその後だ。少しは情勢も落ち着いてきたんだ。進展はあったのか?」
「はぁ!?」
ヴォルフが笑いながら向けてきたそれに、バンはつい大声で返してしまう。その所為で会場中から奇異の視線を向けられ、バンはバツが悪そうにそっぽを向いた。
「いきなり何を言い出すんだよ」
「まさか、なにもないのか!?」
唇を尖らせながら反論するバンに、ヴォルフは「そんな馬鹿な」と言わんばかりに目を見開いた。よく見ればヴォルフの顔には若干赤みがさしている。ヴォルフはあまり酒に強くないうえ悪酔いすることがある。と、彼の親友から聞いた覚えがある。だからといって各国の代表も集った晴れ舞台でそんなに飲むなど、と思ったが、ヴォルフの瞳の力は失われていない。おそらくだが、若干酔っているだけで理性は残っている。残っているのに、これなのだ。
「なにもないって、なんだよ」
ため息をつきそうな心境をどうにか抑え込み、バンはそう返した。
「君とフィーネは、フィーネがこの時代で目覚めてから一緒なのだろう。それにイヴポリスでのことはローレンジから聞いた。私とアンナのように、君たちも進展があったのかと思っていたが……」
バンの返しに思案顔でヴォルフは告げた。その顔は、酔った調子でカマをかけたような調子のよさではなく、本気で二人の関係を疑っている様子だった。
改めて、バンはヴォルフの言葉を心の中で反芻する。
二人の進展。
それはつまり、バンとフィーネが、ヴォルフとアンナのような仲へと発展するか否かということだろう。人のことを勝手にとも思うが、そう容易く反論することもできなかった。
思い返してみる。
初めてであった頃のフィーネを……、
「うっ……」
「? どうした?」
「いや、なんでも……」
触れるな、と言葉に意思を込め、バンはそれ以上の問答を遮った。
そうだった。初めて会った時は、それはそれで鮮烈過ぎだった。ジークの兄弟とか思ってあらぬ
改めて、旅の日々を思い返してみる。
最初は、フィーネとジークの三人だった。そこにムンベイが加わって、成り行きでアーバインも同行してくれて。何も知らなかったフィーネは旅の日々を重ねるごとに感情を得ていった。知識を得た。
ルドルフをガイガロスに送り届ける時に、ついに記憶を少しずつだが思い出した。
暗黒大陸に渡った際の経験から、一度別れたりもした。再会したフィーネは、かつての面影もありながら一人の女性として大きく成長していた。
そして、ヒルツの暗躍した一件を経て、フィーネはついにすべての記憶を取り戻した。ゾイドイヴの謎も解き明かし、バンと最初にあったころに約束した『フィーネの記憶を取り戻す』『ゾイドイヴの謎を解き明かす』ということは、すべて解決した。
そして、それを達した今。
フィーネは。今日までの日々を回想して、フィーネは……、
俺にとって、なんなんだろう。
***
「この度のご結婚、誠におめでとうございます」
マイクの前に立ったローレンジは、彼らしからぬ緊張を言外に発しながら、しかし表面上は堂々と、傭兵団
「ねぇバン。ローレンジさんすごい緊張してるね」
「ああ」
「ローレンジさんっていつもすまして何でもこなす感じだけど、ああやってぐらぐらしてる時もあるんだ」
「ああ」
「……バン?」
「ああ」
「バン!」
「え? な、なんだよ」
「聞いてた?」
少しほほを膨らまし、怒ってますよアピールをしながらバンの顔を覗き込んでくるフィーネ。そんな彼女の顔を正面から見ているのがなんだか気難しくて、バンはふいと視線をそらしてしまう。
「もう」とフィーネは小さく呟きながら、それ以上言及しなかった。
バンは、そんなフィーネの様子にすら気が回らなかった。ヴォルフと話してから、戻ってきたフィーネとどうにも顔を合わせ辛い。なぜか気恥ずかしくなって正面からフィーネの顔を見られない。
こんな感情は、初めてだった。いったいなぜ、どうしてだろう……。
「……末尾になりますが、これからの
淡々と祝辞を――カンペを読みつつ――述べていたローレンジの言葉がぴたりと止まり、バンはふとした変化に気づいて思考の渦から解放された。視線を持ち上げると、ローレンジが固まっている。しかも、祝辞の書かれた紙を握りつぶさんばかりに――実際にはそのようなことはないが傍目に――力を込めている。
「……リ……の……ウ」
小さく、マイクで拾われた言葉が会場に飛ぶ。しかしそれを意味を理解して聞き取れたものは皆無だった。
ほどなくして、ローレンジは祝辞の紙を丁寧に折りたたむと、大きく息を吐いた。そして備え付けだったマイクを乱暴に取り外すと、普段の彼をよく知るものなら見覚えがあるだろう。いつもの何かをたくらむような悪人面が顔をのぞかせる。
「ご来席の皆様。ここからは少々汚い言葉がお聞かせすることとなりますが、どうかご容赦ください。……皆様にも覚えはありますでしょうか。自身の気持ちを偽ることなく吐き出せる人がいることを。その相手に、飾った言葉は必要ないことを。ここからは、傭兵団
そう、少し長めの前置きを告げ、ローレンジはにやりと笑った。もう、どうにでもなれといったような、しかし晴れ晴れとした笑みだ。
「おいヴォルフ。いつ挙げんのかと随分と待たされたがやっとだな。お前からどんなふうに求婚したらとか、アンナからはいつになったらヴォルフは言ってくれるのかとか、二人そろって散々散々俺を愚痴吐き相手にしやがって。ま、それもこれでひと段落ってーワケだ」
ローレンジは言葉通り、一切飾ることなく話し始めた。話しながら気持ちが収まりつかないのか、わざわざしまい込んだ祝辞の紙を取り出し、ぐしゃぐしゃに握りつぶし、握りしめた拳の中で念入りに細かくちぎっていく。その姿に会場ではざわつきが起こるが、不思議なことに非難するようなヤジが飛ぶことはない。
「いつだったかな。このバカップルはよりによってギュンター・プロイツェンのヤロウに騙されて敵対したことがあった。まぁ、紆余曲折あって元鞘に納まり、今日を迎えることができた。だから、俺はこの場を借りてお前ら二人に一つだけ言っておきたい。……俺はなぁ、お前ら二人の仲互いのせいで死にかけたんだ。とばっちりなんてちゃちい規模じゃねぇ。噴火の余波で火山岩くらったみてぇなもんさ」
いつしか会場には、苦笑が広がっていた。不思議と、憤慨する者はいない。
「つまるところ、俺だけじゃない。
ローレンジはマイクをもとのように戻す。そして、軽く一礼して、その場を離れようとした。が、それより早くヴォルフが立ち上がった。次いでアンナも。そして、
「ああ、約束しよう! 私たちは、この場で、このエウロペで――いや、この大陸を必ずや、幸せにして見せる!」
ヴォルフの宣言は瞬く間に伝播し、会場に集った人々の心に打ちつけられる。誰とは言わず立ち上がり手を叩く。最初にそれをしたのは誰だったろう。そんなことは関係なかった。感染するかのようにそれは瞬く間に会場中に広がり、さらには会場で起こったことが見えていないはずの祭り会場にまで広がる。
いつしか、拍手の音はエリュシオン全体から響いていた。
それは、記念だった。
ヴォルフたちが、本当の意味で、エウロペ大陸の各国に認められた瞬間だった。
ある意味では、ゼネバスという亡国が、認められた日でもあった。
その意味を正しく理解したのはごく少数だ。そのうちの一人である
拍手に包まれた会場で、しかしただ一人、その渦に飲まれなかった者がいた。
彼は――バンは、もちろん会場中を包んだ感動を身にしみて感じてはいた。しかし、心の底からそれを喜ぶことはできなかった。その理由は、きっと直前まで考えていたことなのだろう。傍らで、感動の渦に飲まれているだろう彼女のことだ。
ふと、彼女が――フィーネがこちらを見た気がする。おそらく、予想だが、フィーネも自分と同じように、何かを感じているのだろう。会場の雰囲気に、飲まれることができずにいる。
その原因は、おそらくヴォルフとアンナ。皆に祝福され、彼ら自身も望み続けたからこその今日という日。その姿を見たから、つい思ってしまったのだ。
なら、俺は――私は――どうなんだろう。
その可能性を考えたとき、もっともそれに近しい人は、隣にいる。すぐ隣に、肩と肩が触れ合うほど近くにいる。
なのに、なぜだろう。今日という日だけで、ずいぶんと距離を感じてしまった。
その理由は、まだわからない。
バンにも、フィーネにも、答えを自分の中で消化できていない。
ただ、決着をつけられるとしたら、それは、きっと……近いうちに…………。