ZOIDS ~Inside Story~   作:砂鴉

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 お久しぶりです。砂鴉です。
 今回は珍しくバトスト風な前書きが復活しております


幕間その3:(わざわい) 後不変(ふへん) 後(しあわせ)

 『禍福は糾える縄の如し』私の人生は、その言葉に尽きる

 彼は最後に、そう語りました。祖国を亡くし、友にも裏切られた。しかし、あのギュンター・プロイツェンの支えとなることで、福を得た、と。

 そのプロイツェンも破滅した。私は再び禍に見舞われた。だが這い上がることが出来た。それは、教え子たちの成長を見守り、また彼らに助けられたからだ。

 

 私は彼の教え子の一人です。そして、この場にお集まりいただいた皆様の中にも、同じ方が居られるでしょう。

 今日、私たちは彼を失いました。偉大な師を、亡くしたのです。彼に言わせれば、これは禍なのでしょう。ですが、きっと、私たちはこの禍を飲み込み、前に進めると思います。彼の人生が、それを示してくれています。

 

 ですから、彼の言葉に倣って、祈りましょう。

 彼の――師の、新たな旅路の無事を。そして、私たちのこれからの日々の、展望を。

 きっと師も……ラボーン先生も、それを祈っておられることでしょう。

 

(元PK師団戦闘指導教官の葬儀、喪主挨拶より)

 

 

 

 

***

 

 

 

 デスザウラーの一件が解決してから数ヶ月が経過したある日。アンナは帝都ガイガロスに来ていた。

 狭いレドラーのコックピットに揺られて数時間。二人乗りに改装されたと言えど、元々さした大きさではないレドラーの乗り心地はあまりいいものではない。それを全速力で飛ばさせたのだから、若干気分も悪かった。だが、そうも言ってられない。

 

「大丈夫ですか?」

「ええ。ちょっと歩いてればよくなると思う」

「迎えは、明日の同じ時間で?」

「うん。それでお願い。じゃ、ありがとね」

 

 ここまで送ってくれた鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の同僚、サファイアに短く礼を述べると、アンナは早足でガイガロスの街中に向かった。

 ガイガロスはデススティンガーによる被害は受けなかった。デススティンガーを操ったヒルツの目的地はここだったらしいが、ガイガロスに至るよりも早くデススティンガーは撃破され、そのまま決戦の地はイヴポリスへと移行したからだ。おかげで目だった被害は見受けられない。

 

 整った大通りを駆け足になりながらも抜け、アンナは上流階級の住まう区域へと足を踏み入れる。

 ここに来るのは随分と久しぶり。鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)へと移籍し、実家を()()されて以来だ。

 久しぶりの風景にしばし想いを馳せる。そんな余裕も今のアンナにはない。アンナは歩く速さを緩めることなく、町のある一点へと向かった。

 葬儀場だ。

 

 その入り口には看板が新設され、ある人物の名前が刻まれていた。その名を読み、アンナは自身の心に陰が射すのを感じた。

 ああ、本当だった。

 信じたくはなかった。あの人は高齢だった。しかし、年齢を感じさせない身のこなしと、それにあったたたずまい。まだ十年は生きるだろうと思っていた。

 

 受付を済ませ、中に入る。思ったよりも多くの人が駆けつけており、アンナは少しばかり驚き、同時に納得もした。流石、あの人だと。

 皆が皆、思い思いに彼との別れに想いを馳せている。涙を見せる人は、意外にも少ない。そんなことをすれば、あの人は怒るだろう。だからみな、粛々とその死を受け入れている。

 

「――もしかして、アンナ?」

 

 そのうちの一人がこちらに気づいて声をかけて来た。

 誰だろう。そう思ったのは一瞬だった。訊き忘れる筈の無い声。桜色の髪はアンナのそれとはまったく似ていないが、その下に覗く顔立ちは、瓜二つなほど似ている。

 

「あ、カタリナ……」

 

 そう呟いたことで確信を得たのだろう。彼女は浮かない顔で近づいてくる。

 カタリナ・ターレス。僅か19歳にして佐官まで上ったアンナの双子の妹で、アンナが勘当された代わりにターレス家の次期当主の座に収まった。

 ターレス家はガイロス帝国の名家の一つであり、アンナが同じく名家――それもガイロス帝国の中心にある――プロイツェン家の嫡男であったヴォルフと幼なじみの間柄にあったのも、家柄が理由の一つである。カタリナが若くして佐官の地位を得たと訊き、アンナを切り捨てた実家の影響力は今だ健在なのだと嘆息したものだ。

 尤も、それを痛感しているのは、渦中の真っただ中であったカタリナ自身だろう。

 

「来てくれたの」

「ええ。あの人の訃報って訊いたら、居ても立っても居られなかった」

 

 お互いに口重く、されどとりとめのない会話を交わす。

 

「お父様が死んだ時は、来てくれなかったのにね」

「それは……ごめんなさい」

「ふふ、いいのよ。姉さんが大変だったのは知ってるから」

 

 アンナの父、前ターレス家当主が亡くなったのは、ちょうど暗黒大陸での動乱の際だ。鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の今後に関わる大事件の最中であり、アンナが訃報を知りガイロスに戻ったのは、父が亡くなった二ヶ月も経過した後だった。

 

「あ、カタリナ。話は後でいい? 今空いてるから、挨拶してきたいの」

「ええ、構わないわ。行って来て」

「ありがと。それじゃ」

 

 カタリナに一言言い置き、棺に向かう。アンナは小さく息を吐き、呼吸を整えると棺の前に向かった。

 開けられた扉からその死に顔を見、溢れそうになる涙をどうにか堪えた。皆が堪えている。自分だけ涙をこぼす訳にはいかない。

 けれど、別れの言葉を吐くくらいは、いいだろう。

 しばし黙し、意を決して、アンナは挨拶する。

 

「……ご無沙汰していました。ラボーン先生」

 

 元PK戦闘指導教官。アッシュ・ラボーン。

 旧ゼネバス帝国時代は親衛隊のエース、ゼネバスの双牙、穿牙(センガ)の異名を受けた人物。

 そして、アンナにジェノリッターの操縦を叩きこんだ、師でもあった。

 

 

 

***

 

 

 

 ターレス家の屋敷はガイロスの上流階級が住まう区域の中ほどに位置していた。相変わらず豪奢で無駄に立派な門構えだと思いつつ、アンナは二度と跨ぐはずはなかった敷居を跨ぎ、屋敷に入る。

 屋敷に入ると出迎えのメイドたちが待っていた。アンナに気づいて怪訝な顔をするメイドたちだが、カタリナに追い払われた。

 

「姉さん。今日は泊まってく?」

「ううん。予約取ってるからそっちに」

「ふーん。キャンセルして泊まってけば?」

「あたし勘当されてるの知ってるでしょ」

「じゃ、私の来客ってことで通すわ」

 

 ああ、これは逃げられないな。そう判断したアンナは電話を借りることにする。予約していたホテルにキャンセルを入れるのと、ついでに鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)にも泊まる場所の変更を伝えておくためだ。

 

 電話を終え、カタリナに連れられて彼女の部屋に向かう。そして、部屋に入るとカタリナは着ていた喪服を脱ぎ捨てる。

 あっさりと脱ぎ散らかされた喪服を唖然と見つめるアンナを気にも留めず、電球のほのかな明かりの下、下着一枚になった彼女は部屋の冷蔵庫からビール缶を一本取出し、振り返った。

 

「姉さんも飲む?」

「……あのねぇ、通夜の後なんだからもう少し喪に服してなさいよ。一瞬でだらけモード入らないで」

 

 あたしのしんみりを返せ。

 そんな言葉を飲み込み、代わりに態度で表すものの、だらしなくベッドに腰掛けた妹には通じない。人の話も聞かずにビール缶に手をかけ、プシュという子気味良い音を立てて缶を開ける。そして、もう一本取り出しておいた缶をアンナに投げる。それを受け取り――損ねてビール缶は床の上に落下した。少し感じためまいを抑えつつ、アンナはそれを拾い上げる。

 

「人の話聞きなさいよ。あたしは飲むなんて一言も――」

「いいじゃん。姉さんだって、気持ち紛らわしたいでしょ」

 

 その言葉に「まったく」とため息を吐き、アンナは受け取ったビール缶を持ったままカタリナの横に座った。

 

「開けないの?」

「あんたのベッド、ビール塗れにしていいなら開けるけど」

「別にいいわ。洗濯はメイドにやらせるから」

「すっかり当主の椅子に胡坐かいてるわね」

 

 勘当を受けたのは帝都での動乱直後。アンナは、少し申し訳なく思っている部分もあった。

 当時、アンナと共にPKに入団したカタリナは諸事情により軍を離れ、とある傭兵団に所属していた。その頃に軍内部の硬い空気から解放され、のびのびと生きていたことはもちろん知っている。それを、アンナが勘当されたために次期当主として無理やり呼び戻されているのだ。

 アンナ自身、ヴォルフのことで周りが見えていなかった。けれど、後々になってカタリナに役目を押し付けたという後ろめたさがあったのだ。

 けれど、カタリナがそれで気負っている風には見えない。自分が気づいていないだけかもしれないが、少し軽くなった気がする。

 

 しばらくとりとめない会話を交わし、そろそろいいだろうとアンナはビール缶のプルタブに手をかけた。プシュ、という小さな音に耳を和ませるよりも早く、アンナは噴き出した泡を吸い込もうと飲み口を唇に寄せる。

 しかし、まだ早かったのだろう真っ白な泡はアンナの手をすっかりビール塗れにしてしまった。

 

「ん」

 

 それを察していたのだろうカタリナが――なぜか――床に落ちていたティッシュケースを足で拾い上げ、アンナに差し出す。

 

「行儀悪いわよ、当主」

「面倒よね、FESに居た頃はこんなのどうってことなかったのに」

 

 渋面を向けながら受け取ったティッシュでひとまず手に着いたビールの残りを拭く。しかし、やはりこの程度では手のべたつきが消える訳もない。床のそれもきちんと拭き取っておかねばならないと、アンナは妹に布巾を借りようと顔を向けた。

 

「カタリナ、拭くもの――」

「あれ? 姉さんそれ……」

 

 そう言ってカタリナが指差したのは、アンナの左手だった。アンナの左手には、指輪が嵌められている。先ほど照明を反射して小さく瞬いたのだろう。それをカタリナが見つけた。それだけのこと。

 

「これ?」

 

 指摘されたことで、アンナは「ふふ」と小さく、鼻歌を歌いそうな気分で言った。今日のこともあって打ち明ける機会はなかったものの、いつかは言おうと決めていたのだ。

 

「結婚、したの」

「へぇ、ヴォルフさんと」

「そう」

「そっか」

「式は?」

「まだ挙げてないわ。忙しいんだもの」

 

 それを決めたのはもう数ヶ月前、デススティンガーの騒動が終わって少し経った頃の事だった。。

 言い出したのはヴォルフからだ。ゼネバス帝国復興という大望にしっかりとした現実味を帯びた頃、ヴォルフからこの指輪を渡された。

 

『私たちの夢は、必ず実現する。その時、実現した瞬間、君に隣に居て欲しいんだ。だから、――アンナ!』

 

 いつになく緊張した、見たこともない険しい顔つきのヴォルフに思わず笑ってしまった。あの日のことは、何日、何週間、何か月たっても忘れられず、そして何年経とうが色あせることはないだろう。

 今はエウロペの復興で手が離せない。だが、それが落ち着いたら、きっと式を挙げよう。そう、約束したのだ。

 

 その経緯を話した。カタリナの反応は「そう、良かったね。姉さん」という、少し寂しいものだった。

 思いのほか、あっさりとした結婚報告だった。だが、それも無理もないか、とアンナは思う。

 今日あったのは、お互いに共通する師、アッシュ・ラボーンの通夜だ。とても、おめでたい話をする時ではない。カタリナに触れられなければ、アンナも決して話しはしなかった。

 それに、カタリナに対する負い目もあった。

 アンナはターレス家を勘当されて鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)に転がり込んだ身だ。アンナが家系から抹消され、なし崩し的にカタリナが当主として呼び戻されたのだ。当時、あるチームに属し、生き甲斐を見出していたカタリナを、だ。

 

「いろいろあったけど、姉さんも幸せを掴んだんだ。そう……」

 

 その呟きは、カタリナの心がふっとうっかり出てきてしまったようなものだろう。それが、アンナの心にちくりと刺さった。

 確か、カタリナが属していたチームは、デススティンガーに……。

 

「『禍福は糾える縄の如し』か……」

 

 もう一度呟いた言葉は、ラボーン先生が自らの人生を総括した言葉。それを、アンナとカタリナに当てはめているのだろう。

 自分は、そしてカタリナは……。

 

 

 

「こういうのって、唐突ね」

 

 しばし沈黙が続いたのち、ぽつりとカタリナが言葉を溢す。誰の事かは訊くまでもない。

 

「ホント。聞いた時は、現実って思えなかったから」

 

 アッシュ・ラボーンは、アンナの印象では他人にも自分にも厳しい人だった。その教えを受けていたアンナにとっては、余計にだ。

 彼のゾイド乗りとしての指導方針は、ゾイドが生き物であることを重視したものだった。普通ならば操縦方法に慣れ、機械の動く手順を理解する。そこから始め、基本的な動作を深めていく。

 ラボーンの教え方は、それをすべて無視したものだ。「ゾイドは生き物だ。乗り手である自身の意識の在り方や感覚が、ゾイドの動きを左右していく」。それが彼の指導方針だ。

 具体的に言えば、基本的な行動はゾイドに任せ、そこに自分の感覚を投影、一体化させ、ゾイドを導いていく。

 前者が車などの機械を操作する感覚なら、後者は馬上の騎手のような感覚だ。

 だからといって、乗り手である自分が剣術の稽古をさせられるとは思わなかったが。剣を扱う上での間合いの取り方を把握し、それをジェノリッターの間合いに反映させるためだとか。

 おかげで、披露する機会はないものの、アンナには身の丈ほどの剣を振う心得がある。

 

「ねぇ、姉さん」

「なに?」

「ちょっとお願いがあるんだけど……」

「なに? 改まって」

 

 カタリナは一度口を噤み、缶の中身をくいと含み、飲み込む。そして、小さな微笑を浮かべながら告げた。

 

「私と、模擬戦やってくれない?」

 

 唐突な誘いに、少し驚いた。

 戦闘の誘いは何度かあった。暗黒大陸に滞在していた際には、血気盛んで向上心旺盛なニクスの民から何度も模擬戦を依頼された。だが、長らく会うことのなかった一見物静かな印象の妹からの頼み。それも好戦的な笑みを浮かべたそれには――カタリナという双子の妹への印象も含め――二重の意味で驚かされた。

 

「……どうして?」

「うん。ほら、ラボーン先生って二言目には訓練だ模擬戦だって五月蠅かったでしょ。私たちが喪に服してるよりは、元気にやってる風に見せた方が喜ぶかなって。それに」

 

 と、言葉を切り、カタリナは微笑する。挑戦的で、挑発的な笑み。

 

鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)四天王の一人『太刀風』なんて呼ばれてる姉さんの腕前、なまってないか見てあげるわ。色ボケしてないかも、ね」

 

 挑みかかるような眼差し。PKに所属して、アッシュ・ラボーンの教えを受けていた時、訓練の中で競い合ったカタリナはいつもそんな目をしていた。越えて見せると、その目が伝えてくる。ならば、それに応えるのがアンナのすべきことだろう。

 そして、成長した自分を見せることが、きっと亡き先生に捧げる贈り物に相応しい。

 

「分かったわ。帰ったらヴォルフにかけあって……?」

 

 ふと、めまいを感じる。頭痛もした。まさか、もう悪酔いしたのだろうか。まだ一缶も飲み切っていないのに。

 

「どうしたの?」

「ごめん、もう酔ってきちゃったみたい」

「そう。葬式は明日だから、もうやめましょっか」

 

 「ごめんね」と言葉を残し、アンナは数年ぶりの自室へと引き上げる。服を脱ぎ散らかし、そのままベッドにダイブ。これじゃカタリナの事だらしないって言えないなぁ、と心中で愚痴るも、アンナの意識はそのまま夢の中へと沈んでいった。

 

 

 

***

 

 

 

 アッシュ・ラボーンの葬式から一週間。

 アンナは鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)のゾイド格納庫に居た。久しぶりに着るパイロットスーツはどこか窮屈に感じる。すっかり女性として成長しきった身体が強調される格好はあまり好きでなく、その上から上着代わりの団服に身を包んでいる。

 軽く身体の調子を確かめる。なぜだろうか。あの日以来、少し体がだるい。以前よりも、身体に重りをつけているような、そんな感覚がする。ほんの偶にではあるが、頭痛を感じることもあった。

 

「大丈夫なのか?」

 

 そう心配してくるヴォルフに「大丈夫よ」と軽く返す。

 

「いいじゃねぇか。負けた時の言い訳に使えるだろ」

「ローレンジ。アンナ、無理はしないでよ。戦闘なんて久しぶりでしょ」

 

 憎まれ口を叩くローレンジとそれを小突くタリス。二人の様子は相変わらずだが、ヴォルフと同じくこちらを心配しているのは分かっていた。実際、タリスの言う通り戦闘行為は久しぶりだ。以前やったのは、デススティンガーとの戦闘だったはず。それ以来だから、実に数ヶ月ぶり。腕が鈍ったと言い訳しても通用するくらいには、戦闘から離れていた気がする。

 だから、アンナはこれまでの戦いでは持ってこなかった、背に負ったそれを引き抜く。格納庫の武骨な明かりに照らされたそれは、ぎらりと銀色の()と漆黒の腹を輝かせた。

 

「おい。タリスの言う通り冗談だからムキになるなよ」

 

 半ば本気で怯えるような態度を見せるローレンジにちらりと視線を向ける。そして、徐に振り上げた刃を大上段から一振り。その後もしばし得物を――ローレンジに向かって――振い、最後に構えを取る。その切っ先を彼の瞳に合わせ、ピタリと止める。

 

「問題ないでしょ」

「……そうだな」

 

 降参とローレンジは両手を挙げた。

 

「アンナ、それは……」

「実家に寄って、取って来たのよ」

 

 問いかけるタリスに微笑を浮かべる。アンナの持つ大刀の銘は「水月」。亡きアッシュ・ラボーンより贈られたものだ。嘗ては彼の愛刀であり、彼の愛機であった大刀を背負ったセイバータイガー――ミズツキタイガー――の名にも使われた名刀だ。

 アッシュ・ラボーンへの哀悼の意を表明するためにも、そしてアンナ自身の決意を示すためにも、今日携えて来たのだ。

 

 もう二・三度振い、背に収める。鎧も身に着けていると様になるのだろうが、さすがにそれでは十分に動けないし、ゾイドに乗る上では邪魔になる。

 体調の不自由はないわ。そう証明するための演舞であったが、効果は半々と言ったところだ。ローレンジとタリスは呆れたような笑みを浮かべていたが、ヴォルフはまだ疑念が晴れないらしい渋面を浮かべている。

 

「大丈夫よヴォルフ。心配しないで。ゾイドに載ってないとはいっても鍛錬は欠かしてないし、体調管理もバッチリ。久しぶりに、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)四天王の腕前を披露してあげる」

「ああ……」

 

 大丈夫だと笑顔で告げるも、ヴォルフはまだ疑っている。

 

「こんだけ動けりゃ問題ねぇって。お前と夜を楽しめるくらいだ――ぐっ……」

 

 余計なことを口走るローレンジの鳩尾を殴り――タリスにも足を踏まれた――アンナはヴォルフらに背を向け、愛機ジェノリッターに乗り込む。

 起動したジェノリッターは、しかしすぐにはアンナの意志に従って動かず、気を使う様に唸った。

 

「なにグラム。あんたも心配してくれてるの? 大丈夫よ。――今日はラボーン先生に捧げる戦いよ。あの子とやれる機会なんてもう滅多にないだろうし、ふがいない真似はできないわ」

 

 しかしなおもジェノリッターはアンナを気遣い動こうとしない。しかたないとアンナは操縦桿を握り、愛機の意に反して機首を動かす。

 不服そうに、しかし諦めたのかジェノリッターは力強く格納庫の地面を踏みしめ、出たと同時にホバー移動に移る。久方ぶりの愛機の起動に心を弾ませながら、アンナは演習場に向かった。

 

 

 

 演習場に着くと、対峙する相手はすでにそこに居た。

 最愛の双子の妹、カタリナのゾイドは、ジェノザウラーだ。

 ガイロス帝国はイヴポリス決戦の際に起動前だったジェノザウラーを数体捕獲し、その解析に努めたという。皇帝ルドルフは難色を示したが、家臣の多数がそれを押し切ったと言うのだ。

 その背景には、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の新鋭機や、ブレードライガーやストームソーダーといった新鋭機の量産に成功したヘリック共和国があった。

 ガイロス軍が近年で開発した機体はライトニングサイクスのみ。それも開発は滞り、傭兵アーバイン専用機以外はまだ試作段階だった。

 嘗てはエウロペで最も進んだ技術力を有していたガイロス帝国軍だが、最近は共和国にすら劣っている。ガイロス軍技術開発部の意地とプライドが、他の勢力の後塵に配している現状を許せなかったのだ。

 ジェノザウラーの量産、主力機への移行計画はプロイツェンの失脚の後にも上がっていた。だが、実験機の脱走などの事態もあり、なかなか進んでいなかったのだ。

 そして、カタリナ他数名に与えられた機体は、イヴポリスで捕獲した機体を基にようやく完成した、純正ガイロス帝国軍のジェノザウラーだ。

 

 カタリナの機体は、それにさらに改良を加えていた。

 背部には機動力強化のためのスラスター。脚部にウェポンバインダー。そして機体側面を覆う攻防を兼ね備えたエクスブレイカー内臓のフリーラウンドシールド。

 先の事件で両国に多大な被害をもたらした魔装竜ジェノブレイカーと同等の装備だ。

 『ブレイカーユニット』と呼称された装備は、ただでさえ常人には扱いの難しいジェノザウラーの操縦をより一層困難なものへと昇華させてしまっている。ガイロス帝国で実戦配備にこぎつけたジェノザウラーとその専属パイロットは現段階で十数名程度。その中でブレイカーユニットを扱える者は、カタリナ・ターレスただ一人だ。

 

「ジェノブレイカー、ね……。さすがカタリナ」

『どう? 私のゾイドは、きれいでしょう?』

「ええ、そうね……」

 

 ジェノブレイカーの機体色は赤だ。灼熱の中から生まれたような、真紅の装甲だった。だが、カタリナのそれは違った。美しい、桜色をしている。それは、まるで春の霞む蒼天の中にひらひらと舞う花びらのように、それをバックに舞う巫女のような、本来のジェノブレイカーとは違った美しさだ。

 機体の色彩だけでこうもイメージが変わるものだろうか。ともかく、カタリナのジェノブレイカーからは魔装竜と恐れられた破壊者のイメージはない。

 

 ジェノブレイカー・スリジエ。

 カタリナの髪と同じ色合いの機体は、彼女の愛機に相応しい。

 

 

 

 開始の合図とともに挨拶代わりのビーム砲が来る。それを躱し、アンナとジェノリッターはジェノブレイカー・スリジエの周囲を旋回し始めた。

 今回の模擬戦はアンナとカタリナの要望により実現したようなものだが、実際のところはそれ以外にもいくつかの要因がある。その最も大きなものは、ガイロス製ジェノブレイカーの性能テストだ。

 配備自体は始まっているものの、実際の所ガイロス製ジェノが実戦で活躍した記録はまだない。性能テストも内輪で納めたようなもので、その相手もレッドホーンやセイバータイガーといった既存の機体がほとんどだ。

 先の事件でヒルツ達が扱っていたジェノザウラーはガイロスが回収したものだけでなく、実の所ブラックマーケットを伝って各地の賊の手にまで渡っていた。すでにその脅威が伝えられるようになっており、対ジェノザウラーを意識した戦闘経験が必要になって来たのだ。

 今回の模擬戦が実現した背景には、そんな事情があった。

 

 「さて」とアンナは小さく呟き、じっくりとジェノブレイカー・スリジエの様子を窺う。模擬戦とはいえ、相手は共に師アッシュ・ラボーンの下で切磋琢磨した双子の妹カタリナ。油断すれば一瞬で仕留められてしまう。

 ジェノブレイカー・スリジエは旋回するジェノリッターに向きを合わせながら牽制のビーム砲を撃ちこんでくる。

 問題はここだ。ジェノブレイカーにある牽制用のウェポンバインダーに対し、ジェノリッターにはそれが無い。荷電粒子砲の威力を極力抑え、細いビームとして放とうにも、一度足を止めて正対しなければならない。その隙を、カタリナは見逃さないだろう。

 ジェノリッターは接近戦に重きを置いた機体だ。機動力を駆使して近づき、反撃を許すことなく一撃のもとに叩き伏せる。騎士(リッター)の名を冠した機体ゆえに、小細工用の小火器など持ち合わせていない。

 

 ――相手が馬鹿正直にやり合おうとする黒龍のパイロット(ジーニアス・デルダロス)みたいな奴だったらやりやすいんだけどね。

 

 正面から、力と力で、正々堂々と、殴り合うならジェノリッターは最大の力を発揮できる。ただ、カタリナはそれをしない。戦いの中で――その前から――相手の長所を見抜き、それを潰す。戦術の常識(セオリー)と呼ぶべきそれを的確に行ってくる。あの人の教え通り。

 

 ――なら!

 

 アンナはジェノリッターの右の大剣を起動させ、地面に強く突き刺した。こちらの動きを先読みして放たれた高出力のビーム砲が機体前方を通り過ぎるのを視認しつつ、突き刺した剣を起点に旋回し、ジェノブレイカー・スリジエと正対する。

 相手がこちらを抑制する様なら、それを崩して自分のペースに切り替える。戦いとは、常に自分と相手とで支配権を奪い合うものだ。どちらがこの戦闘を支配するか、それこそが、勝利に直結する。ラボーン先生の教えだ。

 

「カタリナ、勝負!」

 

 引き抜いた大剣を収め、スラスター全開に突進する。ウェポンバインダーからミサイルが撃ち込まれるが、それは見抜いた。振り抜いた右の刃がミサイルを爆散。爆風を突っ切り、右の刃を収めると共に左の刃を振り下ろす。

 「ガギィン!」と鉄と鉄がぶつかり合う音が響き渡る。振るわれたジェノリッターの刃は、受け止められた。ジェノブレイカー・スリジエが展開したエクスブレイカーにがっちり挟み込まれている。

 

『姉さん。今、頭叩っ斬ろうとしなかった?』

「遠慮はなしでしょ。ラボーン先生との特訓で何回死にかけたか覚えてる?」

『三ケタ越えたくらいで数えるの辞めたわ』

「でしょうね!」

 

 ジェノブレイカー・スリジエの左のエクスブレイカーが起動する。鋏の先端を合わせ、一本の剣に見立てたそれが突き込まれる。それをジェノリッターのもう一本の大剣の腹で受ける。挟まれた方のドラグーンシュタールを強引に引き戻し、さらに攻勢に出た。

 二本の大剣を振りかざして戦うジェノリッターの性能は強力無比。初めてその存在を世に示してから二年以上経過しているが、今現在、現存するゾイドの中でも最上位に近い戦闘能力を有している。

 そんなジェノリッターにも、弱点は存在した。攻撃、防御、機動性、全てが高水準に達している機体だが、穴は存在する。それは、射撃兵装がないことだ。

 厳密には荷電粒子砲と言う一撃必殺の大技を有している。だが、その破壊力と引き換えに大きな隙が生じるのもまた事実。その他の兵装は接近戦用のものしか存在しない。

 本来ならば味方の援護を受けて最前線に突出し、その驚異的な近接戦闘能力を発揮することを想定された機体だ。これまではアンナの技術と突出した性能を武器に戦ってきたが、それで弱点をだまし続けるのも限界だろう。

 

 現に、今距離を取れば敗北するのはアンナなのだ。

 それに、問題はそれだけではない。

 

 ――っ、やっぱり、ちょっとまずいかも……。

 

 久しぶりのゾイド戦だから、だろうか。少し身体の調子がおかしい。カタリナと再会したあの夜から、いや、それ以前からも少し不調を感じることはあった。

 ゾイドに乗るという行為は、口で言うよりもはるかに身体を、さらには精神を酷使する。加えて乗り慣れているとはいえジェノリッターだ。並みのゾイド以上に、パイロットにかかる精神的負担は大きい。

 せっかくの誘い、それもカタリナからだ。断りたくはなかった。だから、無理を押してでも引き受けた。それでも、長時間の戦闘は困難だ。

 ジェノブレイカーの性能を確かめる意味合いもある戦闘だが、しかたない。短期決着を目指す。

 

 ――距離を空ければ不利なのはこっち、多少無理してでも!

 

 少しずつ距離を取る様にフリーラウンドシールドでの防御を交えながら後退するジェノブレイカー・スリジエに対し、アンナとジェノリッターはさらに前に出た。

 ジェノブレイカーは総合的なバランスのとれた性能を持つジェノザウラーを、格闘戦に特化したブレードライガーに対抗させるべく格闘戦能力を強化した機体だ。最初のジェノブレイカーのパイロットとその相棒(オーガノイド)が意識しただろう力は、流用したブレイカーユニット装着体であるジェノブレイカー・スリジエにも受け継がれている。

 だとしても、最初から格闘戦に主眼を置いたジェノリッターならば遅れは取らない。

 

『姉さん、ちょっと焦ってない?』

 

 さすが、長らく会っていなかったが双子の妹だ。アンナとジェノリッターの動きから、異変を察知したらしい。それは、これ以上悟られたくはない。

 

「当然、みんなの前で無様な真似は見せられないから」

『そう……、でも、今日は私のお披露目でもあるんだから、ね!』

 

 振るわれたドラグーンシュタールがフリーラウンドシールドに斜めから入り、いなされる。勢い余って大地を切り裂いた大剣を横目に、エクスブレイカーが突き込まれた。それをアンナはジェノリッターの反射を頼りに回避する。

 連撃には向かない大剣を矢継ぎ早に繰り出すが、ジェノブレイカー・スリジエには届かない。いや、最初の内は届いていた。しかし、徐々に躱されるようになっていた。それも流れる様に。

 フリーラウンドシールドでいなし、機体を回転させながら振るわれる大剣から身を躱し、時に小ジャンプを加えてジェノリッターを翻弄する。

 

 そう、翻弄されていた。そう察した時には、掠りもしない。

 

 ジェノリッターは『騎士』の名を冠したゾイドだ。武骨な仮面と二本の大剣を負った姿は、仕えるべき主君を守る騎士に他ならない。

 そして、対峙するジェノブレイカー・スリジエは目を奪われるような桜色の機体だ。盾とするフリーラウンドシールド揺らしながら、相手を誘う様にゆらゆらと翻弄する。その盾が、一瞬、扇に見える。

 二つの扇を掲げた踊り子。舞姫。破壊者(ブレイカー)の名を冠していながら、それとはまるで違う姿を、ジェノブレイカー・スリジエは見せていた。

 

 何度目かの打ち合いの末、両者は距離を取った。

 

「……はぁ、はぁ、なぁにカタリナ。あんたすごいじゃない」

『褒めてくれてありがとう。逆に言いたいんだけど、姉さんは本気? さっきも言ったけど、ちょっと無理してない?』

「散々あたしを振り回しておいて気遣うとか、あんまり舐めないでよ」

『姉さん……』

 

 カタリナの言葉が、徐々に胸に染み込む。

 視界が一瞬霞んだ。胃の中身がこみ上げるような気持ち悪さを、しかしアンナは飲み込んだ。

 そこまでするほどの戦闘ではない。ただの模擬戦だ。代替の時間はいくらでもある。けれど、それをしたくはなかった。

 アンナは、次期ターレス家当主の座を投げ捨てた。ヴォルフのために、ヴォルフの目指す国を傍で見ていたい。そんな我侭のために、実家を飛びだしたのだ。

 

 負い目があった。

 カタリナに、ガイロスと言う国で続いて来た家の存続という重荷を押し付けた。彼女から、彼女が羽を伸ばしていられる居場所を奪った。

 だから、双子の妹からのせっかくの頼みを、断りたくはなかったのだ。

 

 二本の大剣を背に収め、ジェノリッターは腰を落とす。爪牙をギラリと輝かせ、主の闘志を全身に充満させた。

 

「勝負はまだまだこれから。さぁ、グラム――!」

 

 その時だった。唐突に頭痛が走る。あまりの衝撃で視界がぶれる。

 ジェノブレイカー・スリジエからの先制攻撃かと思った。だが違う。次いで感じるだろう、機体が横転する衝撃が来ない。

 揺らいでいるのは愛機じゃない。

 まして世界でもない。

 

 ()()()だ。

 

 コックピットの中で大きく自分が揺れた。持ち上がってくるナニカを抑えきれず、遠慮なくぶちまけてしまう。

 ああ、ごめん、グラム。あなたの操作盤を汚してしまった。

 ジェノリッターが緊急停止する際のアラーム音が耳に残る。どうやら、グラムが自ら判断し、自発的に動きを止めたらしい。

 

『姉さん? 姉さん!?』

『アンナ!? どうした!? しっかりしろ!』

 

 カタリナの、そしてヴォルフの声が脳に響く。

 

 そこまで認識し、アンナの意識は、途絶えた。

 

 

 

***

 

 

 

 目覚めた時、最初に目に入ったのは、最愛の人(ヴォルフ)の顔だった。

 

「アンナ……」

 

 表情は酷く崩れている。手に力を籠め――思ったよりも持ち上がらない――、なんとかヴォルフの頬に当てる。手の甲を流れ伝う滴の感触が、嬉しかった。

 

「大丈夫よ。心配しないで」

「……ああ」

 

 小さく頷くヴォルフの顔に、アンナは自分を心中で詰った。大切な人に、こんな顔をさせてしまうなんて、随分と馬鹿をしたものだ。

 

「なにが大丈夫、よ」

 

 その声に顔を傾けると、呆れ顔のカタリナがいた。医務室の壁にもたれかかって腕を組み、呆れと、僅かな怒りが滲みだしているような顔だ。

 

「調子が悪いなら無理しないでよね。私との戦闘で倒れたなんて、寝覚め悪くなっちゃうじゃないの」

「カタリナ、その……ごめんなさい」

「姉さんが私を気遣ってくれたのは、まぁ分かるけどさ。これじゃ逆に迷惑よ」

 

 調子がすぐれなかったのは事実。そして、無理を押してカタリナとの演習を引き受けたのも、また事実。見透かされていたことに情けなさを感じつつ、アンナは小さく謝罪を口にするしかなかった。

 そんなアンナのしおらしい姿に、カタリナは「まったく」ともう一度吐き捨てる様に、小さく息を吐いた。

 

「とりあえず、()()()()無事でなによりね」

「ええ、本当に……?」

 

 続けられた言葉に同意を示しつつ、しかしてアンナの思考に水滴が落ちる。思考に広まった波紋は、だがアンナはその意味をイマイチ理解しきれない。

 アンナの様子を見かねたのか、カタリナはふっと息をつくと、寄りかかっていた壁から背を離し、ベッドの上のアンナに近寄ると徐に片手を持ち上げ、アンナのお腹に置いた。

 

「姉さんは昔からヴォルフさん一筋で他に目がいかないとこあるけど、そんなところまで鈍感だとは思わなかったわ」

 

 瞬間、アンナの思考に一筋の光が差し込む。思い出せそうで思い出せない何かを必死に探り、頭の中を虱潰しにして、それでも見つからなかった何かがふと見つかった。そんな感覚。

 もしかして、という直感は間を置かずに確信へと変わる。

 

「アンナ」

 

 ヴォルフが、そっと語りかけた。ベッドに横になっている状態だから上目づかいでその瞳を見つめると、ヴォルフは小さく頷き返した。

 

「ありがとう」

 

 その言葉で、確信はより高まる。カタリナの手が当てられた自分のお腹に、今度は自らの手を置いてみる。

 実感はあまりない。感触も、まだちっともわからない。

 だが、確かにアンナは分かった。アンナには分かった。

 己の手が撫でるそこには、新しい命が宿っているのだと。

 

「アンナ」

 

 もう一度、語りかけるヴォルフに目を向ける。

 

「来月だ」

「……うん」

 

 ヴォルフが、何を言おうとしているのか、すぐに分かった。でも、黙ってその先を待つ。

 

「ズィグナーが、準備は整えておくと言ってくれた。実はもう計画は進んでいてな、ルドルフ陛下や、ルイーズ大統領も来てくれる」

「うん……!」

「だから、改めて言わせてくれ」

 

 その言葉は、もう聞いている。

 紙面の上では、独立都市エリュシオンの法律上は、すでに()()()()だ。

 けれど、改めて。そうヴォルフは前置きした。そして、告げる。

 

 

 

「結婚しよう」

 

 身体を寄せてそう告げたヴォルフを、アンナはめいっぱい抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 一組の恋人が、本当の夫婦になった小さな一室。そこから、彼女は音を立てずに退室した。

 

 ――よかったね、姉さん。

 

 心の中で祝辞を述べつつ、カタリナは俯いた。

 

 姉さんは、幸せを掴んだ。

 プロイツェンの陰謀によって引き離され、気付かぬうちに愛する人との戦いを強いられてしまった。それを乗り越え、幾度となく死地を潜り抜けた。多くの禍を乗り越え、アンナ・ターレスはついに幸を掴んだ。

 アンナ・プロイツェン・ムーロア。

 

 そう、彼女が名乗る日は、遠くない。

 

 『禍福は糾える縄の如し』

 禍と福は糾える縄のように交互にやって来るのだ。長い禍の時を越え、アンナは幸に至った。

 

 なら、私は?

 居場所と感じていたチームから引き離され、やる気もなかった当主の重圧を背負わされ、あげく唯一の便りだった師をも失った私の幸は、いつ来るの?

 私に圧を押し付けた姉が幸を手にし、私は……いつまで燻り続けるの? まさか、このまま消えてしまうのか。

 そんなの、そんなのって……。

 

 ――なにを、考えてるのかしらね。

 

 そんなこと考えてはならない。

 双子の姉を恨むなんてそんなこと、あってはならない。あっちゃいけない。そもそも、父が亡くなって傾きかけたターレス家を引っ張り上げ、当主になることを受け入れたのだって、元はと言えば勘当された姉と大手を振って、仲のいい双子として、会うためだった。

 恨むこともある。でも、それを飲み込んででも、笑顔で迎え入れるためだった。

 

 でも……でも……、

 

 心の中に、ふとして現れた黒いシミは、消えない。どんどんと広がり、やがて心の全てを覆い尽くす。

 この意味は、つまり、私は、姉さんが、にく――

 

 

 

「おい」

 

 その声にはっとし、カタリナは自分が思った以上に思考に沈んでいたことに気づいた。

 出し抜けな言葉に反射的に視線を向けると、そこには一人の青年が立っていた。

 気にならない程度のぼさつきの金髪。腰より下まで伸びたロングジャケット、その下に着ている服の胸元には、漆黒の(キマイラ)をあしらったマークが刻まれている。

 

「あなたは」

 

 ローレンジ・コーヴ。タリスとの雑談でも名前が出た、いつの頃からかヴォルフの親友になっていた、ある傭兵団の頭。

 カタリナは彼があまり好きではない。それは、彼の人間性が理由ではない。

 カタリナは知っていた。彼の立ち上げた傭兵団歪獣黒賊(ブラックキマイラ)は、別の傭兵団から教えを乞い、そのノウハウと頭領である彼のカリスマ性を活かして成長を遂げたということを。

 その元となった傭兵団は、昔カタリナが属していたチームであった。

 

 『Fullmetal Elite Squad』通称FES。

 

 ガイロス帝国、ヘリック共和国、そのどちらにも属さない者たち。様々な事情を抱えた者たちが集まり、一つのチームだった。その内情調査も兼ねて入団したカタリナが、思わず心を許してしまうほど、その結束は強かったと思う。

 裏を抱えた者も確かにいたかもしれない。だが、それでも、軍で過ごすよりは、そこは自由だった。カタリナにとって、新たな(ホーム)だった。

 

「あんたに、伝えることがあってさ」

「……なにかしら」

 

 FESはもうない。デススティンガーが各地で暴れ回ったあの時。偶然にもその進撃ルートの上にFESの拠点があった。結果は、言うまでもない。

 たまたまデススティンガーの進撃ルート上に拠点があって、そこを守るために立ち向かい、壊滅した。それだけのことだった。

 

 カタリナがローレンジを好まない理由は、分かっている。自分の属した傭兵団は滅び、この男の傭兵団は健在だ。要するに、ただの逆恨みなのだ。

 そして、ローレンジ自身も、そのことを理解しているのだろう。カタリナが向ける敵意の眼差しを、当然のように正面から受け止めていた。

 

「あいつらには世話になった。俺の傭兵団がここまでの規模になったのも、あいつらが気前よく指導してくれたおかげだ。感謝してる。俺が尋ねた時に、あんたはもういなかったが、そんなことは関係ねぇ」

「……それで、何が言いたいの?」

「俺も、心苦しいんだよ。だから、探してたんだ。そして――」

 

 そう告げると、ローレンジは懐から一枚のカードを取りだし、カタリナに投げ渡す。ひらひらと落ちてきたそれを拾い上げ、カタリナは目線を落とす。そして、はっと目を見開いた。

 

「――会えたんだよ」

「これって……!」

「あの連中、流石だよな。あんなことがあったってのに、もう立ち直りを始めてやがる。あいつらの分もって、傭兵派遣業界を独占できるかと思ってたのにさ」

 

 本家の底力はすげぇもんさ。

 そう、にやりと笑みを浮かべながら告げたローレンジは、手を振りながら背を向ける。

 

「それに乗ってる番号にかけてやれば、タイガー乗りのおっさんに繋がるぜ。アンタの口からも言っといてくれ。俺とあんたからの、生きててありがとうって言葉を、さ」

 

 ローレンジからの言葉は半分ほどしか受け取れなかった。

 やっと、自分の禍も終わった。やっと、幸を得ることが出来た。……もう一度、彼らに会える。

 私の、本当の、居たかったところに。

 

 『禍福は糾える縄の如し』

 アッシュ・ラボーンという偉大な師を亡くす禍に見舞われた二人は、幸を手にした。

 まるで、師が、自らの人生の大団円をもって、二人の背中を押すように。

 

 

 

「ヴァンスさん、みんな……私、こっちで頑張るから。だから、偶には顔見させてよね」

 

 受け取ったカード――名刺に刻まれた誇り高い『Fullmetal Elite Squad』の名を、カタリナはいつまでも見つめていた。

 




 ゾイドFORやってた方々、誠に申し訳ございません。
 カタリナ嬢は本作流に弄った上での登場。そしていつの間にか壊滅していた『FES』でございます。
 ターレス姓だったがためにゾイダーに注目されたカタリナ嬢のことは砂鴉も見逃すはずもなく、どうしても本作に輸入したかったのです。そして登場させるなら彼女の所属である『FES』も出したい、でもゲームプレイしてないから内情をよく知らない。気づいたら攻略サイトも消えてて情報収集のしようが無い。

 って状態なので、カタリナ嬢以外はたぶん、今後登場することはありません。そもそも名前を憶えてるキャラはあとヴァンスしかいない……(汗) カタリナもガイロス帝国所属って形での登場ですし。
 彼女の愛機スリジエは単純に桜色のジェノブレイカーです。桜色の竜だからいっそ某狩人ゲーの桜火竜っぽいカスタムを――って考えてもイマイチまとまらなかったので、カラー変更しただけのゾイドです。

 ではでは次回をお楽しみに。

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