ZOIDS ~Inside Story~   作:砂鴉

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第97話:見守る役目

 獣の里(アルビレッジ)にある自室で、タリスは一人事務仕事に耽っていた。ついさっきも、サイツから報告書が届いたばかりだ。目を通し、集められた情報を基に各メンバーへの依頼を割り振って行く。

 ローレンジはいない。先日のリーゼとヒルツの襲撃を機に、やるべきことが出来たと出て行ったのだ。

 不満はない。彼に外に出るよう誘ったのはタリスだ。タリス自身、ローレンジが本拠地で指示を出しているだけという現状に違和感を覚えていたのだ。ローレンジは歪獣黒賊(ブラックキマイラ)の御旗であり、頭領だ。だが、その彼がちっとも現場に出ないのは、どう考えても彼らしくない。

 

 それは、頭領という役柄としてはどうなのかと疑問に思うことはあるのだが。

 

「……まぁ、動いてる方が彼らしいのは確かだけど」

 

 そう呟き、自分が少し不満に思っていることに気づいた。

 ローレンジが出て行った今、歪獣黒賊(ブラックキマイラ)の実質的リーダーは副長のタリスだ。諜報班から毎日届く情報をまとめ、各地の村や、或いは小国の軍から寄せられる派遣任務にメンバーを送り出す。その調整は、ローレンジが居るいないに関わらず、タリスの役目だ。

 だから、不満なのは事務仕事を押し付けられたからではない。

 では、何に不満を抱いているのだろう。

 

「そもそも、ローレンジって何やってたかしら」

 

 考えてみる。獣の里(アルビレッジ)に居る時のローレンジの役割は、依頼主との交渉などをこなす。彼自身元々賞金稼ぎであり、用心棒などの仕事を引き出させる話術はそれなりにある。だからこそ、自分たちの有用性を見せつけることで仕事を拾ってくるのだ。……たまに、明らかに真っ黒な依頼を持ってくるのだが。それも自慢げに。

 それ以外では何だろうか。歪獣黒賊(ブラックキマイラ)に拾われた孤児に生きる術を教えている姿があった。だからか、ローレンジは割と子供には好かれている。数ヶ月前のAfternoon warの後にやってきた少女を含む子どもたちだけで結成させ他グループからも信用を得ていた。フェイトを曲がりなりにも育てた実績があるからだろう。

 

「ローレンジ、もしかして孤児院とかで働けるんじゃない?」

 

 そう考え、子ども相手に笑顔を浮かべるローレンジを想像する。悪くはない。それなりに様になっているとも思う。だが、どうしても違和感をぬぐえなかった。彼の裏の顔を知っている所為か、どうしてもその魂胆を疑ってしまう。

 

「なにを笑っているんだ?」

「え? きゃっ、に、兄さん!?」

 

 はっと顔を上げると、そこに居たのはタリスの兄、ユースター・オファーランドだ。

 

「なにって、もう夜遅いのに食堂に来ないからだよ」

「あ、ごめんなさい。集中していたものだから……」

 

 ありきたりな言い訳に、ユースターはタリスの手元に視線を落とす。先ほどまでまとめていた歪獣黒賊(ブラックキマイラ)の活動内容や資金繰りなどの書類が書きかけのまま置かれている。

 

「ローレンジに押し付けられた作業かい?」

「いいえ、そう言うわけではないわ。……まぁ、厳密には、そうとも言うけど……でも私のやる事でもあるから」

「そっか」

「あ、兄さんコーヒーいる?」

「もらおうかな」

 

 ユースターが来たことで間が出来た。ちょうどいいとばかりに言うと、ユースターも答えた。

 

「何か作ってくるよ。タリス、昼も食べてなかったろう?」

「そういえば、そうね」

 

 集中すると時間が経つのも早い。空腹すら忘れて作業に没頭していたことを指摘され、意識すると途端に空腹が襲いかかってきた。ユースターが出て行ったのを見届け、戻ってくる間にコーヒーの用意をしておく。淹れ方は、やけに拘るローレンジに教え込まれた。湯を沸かし、少し冷ます間に豆を挽く。ゴリゴリと豆が挽かれていく心地いい音に、ふわりと芳醇な豆の香りが室内に広がった。

 

 程なくしてユースターが夕食を皿に盛って戻ってくる。

 獣の里(アルビレッジ)の集落内に作られた畑に勝手に湧く大き目の羽虫の足を取り、軽く炒めて塩で味付けしたものを挟んだパンだ。嘗てはそう言った虫をそのまま口に運んだ経験もある二人からすれば、これでも十分なごちそうであった。

 歪獣黒賊(ブラックキマイラ)はまだまだ貧乏傭兵団で、それは食生活にも色濃く表れている。これでも結成当初よりはマシになったのだが。

 

「……ごちそうさま」

「うん。お粗末様」

 

 ユースターが微笑みながら返し、自身も夕食を終える。そんないつも見ているような兄の姿に、タリスは実はそれがいつもではないことに気づかされた。

 

「兄さんと二人でって、考えてみれば久しぶりね」

「そう言えばそうだね。歪獣黒賊(ここ)に来てから、なんだかんだで忙しかったから、二人ってことはなかったな」

 

 ユースターも少し思案するように天井を仰ぎ、小さく苦笑した。

 タリスはローレンジの補佐として獣の里(アルビレッジ)の中で動き回ったり鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)との会談に出るなど、忙しい日々だ。ユースターも、歪獣黒賊(ブラックキマイラ)の台所を担う様になり、朝から晩まで料理の事しか考えなくなってきていた。こうして二人っきりになるのは、本当に久しぶりなのだ。

 

「前に一緒に食べたのって、何時だったかしら……?」

「うーん、PKに入ってからも基本別だったからなぁ……、ああ、そっか。プロイツェンに連れて行かれる前だったね」

「あ……」

 

 ユースターが溢した言葉に、タリスは目を伏せた。

 タリスは、元々は賭博レースのレーサーとして日銭を稼いでいた身だ。ユースターはゾイド乗りとしての適性が薄かったこともあり、当時は兄妹二人で生きるために必死だった。

 

「あの頃は、料理なんてする暇なかったからね」

「食べれればなんでも、そんな日々だったもの」

「PKに入ってからはまともなものを食べられたけど」

「兄さんが料理を覚え出したのも、ナイツに居た頃からよね」

「うん。節約レシピをいくつか考案できた辺り、僕らは成長したのかな」

「そうね……」

 

 タリスはふっと息を吸い、過去を思い返す。タリスがどうにか稼いだほんのわずかな日銭は、その大半が養い親に持って行かれた。そうして僅かに残った資金で、ユースターは奇跡のようにパンや野菜くずを手に入れて来た。それも、二人が何とか食いつなげるほど。そして、それを空腹に悩まされないように調理して見せたのも、ユースターだった。

 

「ははは、考えてみれば僕はあの頃から何も変わってないね。タリスに働かせて、僕はいつも台所だ」

 

 タリスが賭博レースで稼ぐ中、当時のユースターはそんなタリスの腹を満たすために必死だった。タリスが稼いできた日銭でどうにかやりくりし、それでも足りなければ何とか食べられそうなものを拾ってくる。若しくは、スラム街で物乞いし、どうにかこうにかその日生きる糧を見つけ出す。そんな日々だ。

 

「そんなことないわ。あの頃は、兄さんが居たから――兄さんが待っててくれたから……」

 

 タリスとユースターは、戦災孤児だ。父は出兵したまま帰らず、母は病に倒れた。残された二人だけで、どうにか生きていくほかなかったのだ。

 

「でも、僕が裏方なのは変わらないだろ?」

「それは……」

「いいんだよ。気にしなくたって。僕には、ゾイドに乗る才能はない。ちょっと高望みしちゃっただけさ。タリスや……あの子には、敵わないさ」

 

 ほんの僅か、含みを持たせた言い方に、タリスはまた兄に気を使わせたと思う。気を使ってくれるのは嬉しいが、いつもそうさせてしまっているのは少し辛い。

 

「……美味しいね。このコーヒー」

「そう? ローレンジに教わったの。……こだわってるのね」

 

 机に置いてあるコーヒー豆の袋を眺める。記載されている産地はイセリナ山だ。少量ながら、イセリナ山周辺のコロニーに卸されている希少品であり、ほんのり甘みがあるため飲みやすい。特に意識せずにいたが、ローレンジの妙なこだわりが見て取れる。

 

「……なに?」

 

 袋から視線を外しユースターを見ると、ユースターはなにやら含み笑いを浮かべつつコーヒーカップを傾けた。

 

「ローレンジとはどうかなーって思ってさ」

「どうって……?」

「もちろん、大事な妹の恋路について」

「兄さん!」

 

 にっこり笑いながらとんでもない言葉を放ったユースターに、タリスは顔を真っ赤に染めた。

 

「もう帰って!」

「そうするよ」

 

 ユースターは苦笑しつつコーヒーを飲み干し、空になった皿を二つ重ねて立ち上がる。

 

「頑張ってね」

「……ええ」

 

 若干頬を膨らませながら言うタリスに微笑みかけ、ユースターは扉に手をかけた。と、そこで片目を部屋に戻す。

 

「ローレンジがいなくて寂しいからって、変なことしちゃだめだよ」

「兄さん!」

 

 コーヒー豆の袋を振りかぶったタリスを尻目に、ユースターは悠々と扉を閉めたのだった。

 しかし、ドアを閉める直前、ユースターは思い出したように足を止める。

 

「タリス」

「なに」

 

 少し頬を膨らませ、悪感情を滲ませながら顔を向けるタリスに、ユースターは努めて感情を押し殺し、告げる。

 

「僕ら、早く決めないとね」

「兄さん?」

()()か、()()()か。どちらか一つしか選べないよ」

「それは……」

「タリス。君は君の想うままでいいと思うんだ。それなら、答えは決まってるでしょ」

「でも、それでは()()()へなんて言ったら……」

「いいじゃないか。僕らはもう、()()()()で。完全にこちら側に着けばいい」

 

 背中を押すために言ったのだが、タリスはまだ何か抱えるように言い淀んでいる。自分たちの経歴を顧みれば、タリスが決断しきれないのも理解できないことはない。だが、時間もない。

 

「すでにここにも入り込まれてるよ」

「本当!?」

「ああ、()()()()()()。向こうは滞りなく進んでいるようだよ。僕はタリスが決めた方に着く。でも、できることなら、歪獣黒賊(ここ)がいいな」

 

 それ以上は、ユースターは告げなかった。重苦しく閉じられた扉の先に、書ける言葉も思いつかない。

 

 

 

 

 

 

 廊下に出ると、ちょうどタリスの部屋の前に来ていたヨハンが目に付いた。ボロボロの軍帽を被り、その下から柔和な瞳が覗く。屋外だろうと屋内だろうと帽子を外さないのは彼なりのこだわりだ。ガイロス帝国将校の帽子を傷だらけのまま愛用するのは、彼なりの反抗であった。

 

「ヨハンさん?」

「あ、ユースターさん。お疲れ様です」

「そちらも。タリスに報告でも?」

「ええ、先日の派遣の報告書をと思ったのですが――」

 

 そこでヨハンは半眼になり、帽子の下から責めるような視線を覗かせた。

 

「どこかの馬鹿兄貴がちょっかいをかけてくれやがったので、渡すのは明日にしようかと」

「それは失礼」

 

 悪びれもない笑顔を浮かべ、ユースターは歩き出した。それにヨハンも同行する。

 

「どうです? そちらの方は?」

「戦闘班の質は上々だよ。頭領が集わせた凄腕が揃っているのですから、集めた子どもたちも、意欲的な子ばかりで……。これでいいのか、とは思うのですがね」

「まだまだ完全な平穏とはいかないですし、これからも戦乱は続くでしょう。それを考慮すると、ああいった子たちが居るのは必然かもしれません」

 

 獣の里(アルビレッジ)に集った子どもたちは、みな一癖も二癖もあるものたちだ。そういった心に傷を負った者たちを従えるのが、或いは歪獣黒賊(ブラックキマイラ)頭領のカリスマなのかもしれない。そして、それは子どもたちだけでない。ヨハンやユースターもまた、ここでなければ生きて行く気にはなれない。

 

 食堂に引っ込むと、ユースターは本日最後であろう腕を振う。保存食代わりに燻していた羽虫の燻製をいくつか取出し、焼き立てのパンに挟む。

 閑散とした食堂の机にパンの乗った皿を置くと、対面するヨハンは分かりやすいほどに目を輝かせた。

 

「いやいや、いつもながらユースターさんの作るものはなんでもうまそうですね。食材に少し難はあるが、全く気にならない」

「本当ですか?」

「味も絶品」

 

 本日何度目かのお褒めの言葉を授かり、ユースターはクスリと笑みを浮かべる。

 

「しかし、どこでこのような腕を磨かれたので? 確か、PKに属する前はスラム街に居たと……」

 

 余所であれば突っ込むのも憚られる過去だが、ここに居る者たちは皆が似たような境遇にあったのだ。それに、二十を越すと昔の苦難はただの苦労話として消化できてしまう。自分ももうそんなことを考える年なのかと若干複雑に思い、しかし話さないで置くのもなんだと思い、ユースターは口を開いた。

 

「PKに入団した後ですよ。ただ、それ以前からも如何に貧相な食材であの子たちの腹を満たすか、と……頭を悩ませたもので」

「なるほど」

 

 あの子たち。その言葉には幼いころのタリスも含まれているのだろう。真面目で実直な歪獣黒賊(ブラックキマイラ)副長を想い、ヨハンは「これは失礼」と一言溢す。ただ、そこで言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

「あの子たち、というと――兄妹二人きりではなかったのですか?」

 

 スラム街での暮らしとなれば、身内以外は敵であるという印象が強い。助け合って生きて行くと言う道もあるだろうが、それも賢い選択とは言い難い。苦難に塗れた生活を生き抜くには、いかにずるがしこく、狡猾に修羅を潜り抜けるかだ。少なくとも、ヨハンはそう思っていた。

 

「タリスが拾ってきた子が居ましてね。その子と僕とタリスの三人、プロイツェンに拾われるまでどうにか生き延びていたんですよ」

 

 「ナイツに入った後は、ゾイド乗りの腕でおいてけぼりでしたがね」と、ユースターは呆れ顔で付け足した。

 

「その子は?」

「分かりません。PKの別部隊に移動して、それっきりです。タリスとも仲が良かったんですが……」

 

 PKはすでに壊滅した。つまり、嘗てユースターやタリスと共に生きていたその子の行方は分からず仕舞いだ。

 

鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の構成員は重い過去を背負っている者が多いが――」

「うちはそれ以上でしょうね。なんでこんな面子が揃うのでしょうか」

 

 頭領であるローレンジ然り、ユースターと共に今日まで生きてきたタリス然り、ローレンジの弟子(ほぼ確定)であるリュウジ然り。歪獣黒賊(ブラックキマイラ)の主要メンバーは誰も彼もいろいろ背負っている。それは、今ユースターと談笑しているヨハンも、数日前までヨハンと共に方々で戦場に出ているルフィナも同様だった。

 

「先日、食器を下げに来た子供らに訊かれたんですよ。ジョイスはいつ戻って来るのか、とね」

 

 つい数時間前にもあったその光景に、ユースターは目を細めた。

 

「こんな場所だから、レイヴンを受け入れる余地もあった」

 

 ヨハンが溢した言葉が、全てだった。

 レイヴン――ジョイスは、ローレンジに連れられて意識の無いまま歪獣黒賊(ブラックキマイラ)のメンバーとなった。それも創立のメンバーだ。まだ立ち上げて一年だが、その中でもレイヴンの居る場所は出来上がっている。

 彼を連れ戻すことは、ガイロス帝国やヘリック共和国から見れば異端なことかもしれない。嘗ての犯罪者を仲間として扱う歪獣黒賊(ブラックキマイラ)は――ひいては鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)すら、奇異の目を向けられてもおかしくないのだろう。

 だが、例え世間の流れに逆行するのだとしても、レイヴンは連れ戻す。それは、歪獣黒賊(ブラックキマイラ)の総意だった。

 

「一刻も早く彼を連れ戻して、元の歪獣黒賊(ブラックキマイラ)に戻したい。それが我々の総意、そして、俺個人としての望みですよ」

「そうですね」

「うわべだけではありませんよ。俺だけじゃない。頭領に脅さ――誘われてここに来た連中は、思いのほか、個々の生活が気に入っているんだ」

「ええ、僕もそう」

「着のみ着のまま、根無し草。そんな生活で、世間に顔向けできないことばかりやっていた俺たちに、頭領は居場所をくれたんだ。ここだから、おれたちは笑っていられる。安心して呼吸が出来る。みんな、ここでの生活が気に入っているんだ」

「たった一年でここまでの規模になった。対したものですよ」

「ええ。ですから、余計な異物は速やかに排除したいところ」

 

 ヨハンの言葉にユースターが返すより早く、その喉元にナイフの切っ先が突きつけられる。

 一瞬の変化に、ユースターは反応すらできず、視線だけをその銀色の輝きに落とす。

 

「ユースター・オファーランド。あんた、『奴ら』のスパイか」

「何の話かな」

「思うに、一年前のPK動乱におけるあんたたち兄妹の一件、あれも演技なんじゃないのか?」

「違う! あれは……」

 

 心臓が早鐘を打つ。だが、その鼓動を抑えることはどうしたってできない。

 

「俺はね、歪獣黒賊(ここ)が好きなんだ。頭領に脅され、無理やり引き込まれたわけだが、それでもうまいことやってる。なかなか居心地がいい、ガイロスにこき使われたころと比べて、反抗して賊に落ちてたころと比較して、ずっといい。だから、壊されるのはまっぴら御免だ」

 

 ヨハンの藍色の瞳がぎらつく。ユースターは生唾を飲み込んだ。ここの連中は、どいつもこいつも、一癖も二癖もある過去を背負いこんでいる。自分たちはもちろん、ヨハンも、拾われた子どもたちだってそうだ。

 台所の水道管から水滴が落ちる。その音が嫌に響き、ほんの数秒の沈黙だったそれが数分にも数十分にも感じてしまったことを今更ながら自覚した。

 

「あれがお前たちの()()だったのか。はたまたイレギュラーが起きてアンタがゾイド乗りの生命線を失い、副長が頭領に泣き着くことになったのか。それはまぁ、聞かないでおこうか。幸い、あんたたちはまだ()()()()()()()ようだ」

 

 シュッと風を切り、刃がヨハンの懐に仕舞われる。軍帽の唾をつまみ、後頭部に回しながらヨハンは立ち上がった。

 

「決めるなら早くしてくれよ。頭領の指示があるなし関係なく、団内の不穏分子は速やかに切り捨てる」

「ヨハン……さん」

 

 かろうじて溢せた声でその名を紡ぐと、ヨハンは乾いた声で「ははっ」と笑声を響かせる。

 

「その名前になって、何年だろうか?」

「え?」

「その名の、本当の主は、数年前から海の底だ」

「それは、どういう……」

「さぁて、俺が幻影(ファントム)の成り損ない。あの人に仕込まれてからは(ミスト)と名乗っていたよ」

 

 ヨハンは手元のナイフをくるくると弄ぶ。切っ先が向けられては明後日に向きを変え、再び向けられる。その度に、ユースターは肉をすり抜けて忍び寄る霧のような殺意を感じた

 

「頭領は……あなたのこと……」

「知ってるさ。俺のことを誰よりも、若頭領やプロイツェン様よりずっと、あの人は俺を理解している。理解できないはずがない」

「ヨハンさん。あなたはいったい……」

「俺と頭領は、同じ()()の中で育った。違うと言えば、頭領は本流で、俺は支流で育った。それだけのこと」

 

 ボールでも投げるようにナイフが宙を舞い、キャッチと同時にヨハンの懐に収まる。「もう一度言う。俺も、もちろん頭領も、ここが大好きだ」と撫でるように語るヨハンの目は、しかし僅かほどの油断も見せられない。

 

「頭領の下に着いていた忍びどもではなく、俺が戦闘班の主任に任ぜられたことには、それなりの理由があるんだ。そこのところ、よぉく吟味しておくといい」

 

 失礼するよ。

 そう言い残して去って行くヨハンに、ユースターは無言を貫くしかなかった。やがて、その姿が夜闇に完全に消え去ってから、大きく息を吐く。

 

「……まったく、油断ならないね」

 

 コーヒーの入ったカップを掴み、一口含む。そして、ため息交じりに呟いた。

 

「タリス。やっぱり僕らは、あちらには居られないよ。僕はここのみんなに、君はローレンジに、情を抱き過ぎた。潮時、いや、これをきっかけにしよう」

 

 もう、テラガイストとは縁を切るんだ。 

 




 この話書いてて思った事。
 読者のみなさん絶対混乱する。筋道立てて書いてるはずの作者(わたし)も少し混乱しながら書いてますもん。

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