荒れ地のど真ん中に、ドーム状の岩場が形成されている。自然界が地盤隆起を起こしたのか、それとも周囲の岩場が削られ、このドーム状の岩場だけが残されたのか。はたまた、嘗ての戦争で利用された天然の防壁だったのか。それは定かではない。だが、隠れ家として絶好のポイントなのは確かだった。
ドーム状の岩場は、その中心を切り裂くように割れ目がある。巨大な一枚岩を真っ二つに切り裂いて形成した姿をした底に、一風変わったものがある。
真紅に輝く、八面体の何かだ。周囲には言いようのないエネルギーが立ち込め、内側に何かが潜んでいることを周囲に知らせている。そして、その傍らには一人の青年がいた。
青年は持ちこんだ簡易コンロで湯を沸かし、即席のコーヒーを作るとそれを一口飲み、顔をしかめた。
「……うまくないな」
ポツリと呟いた言葉に、青年は――レイヴンは再度、自虐するように顔をしかめた。いったい何を口走っているんだ、と。コーヒーなど、口内を湿らせ、暇をつぶせるならば何でもいい筈だ。味など関係ない。
だが、一度意識すると、もう一度同じコーヒーを飲む気にはなれなかった。しばし茶色く濁った液体を見つめ、無言でそれを捨てる。
インスタントだからか、それとも淹れ方か。たしか、沸かして直ぐではなく、少し冷ました湯を使った方が、味が良くなるはずだ。それから、先に水をコップに入れてスプーンで粉を練るのも効果があったはずだ。
なんとなく実践し、少し冷ました湯で淹れてみる。
「……うまい」
たったこれだけのことなのに、さっきよりも格段とマシになった。
だが、自分はいったいどこでこんな知識を身につけたのだろうか。プロイツェンの元に居た頃から戦いの事だけを覚えてきたこともあって、こんな雑学を記憶した覚えはない。
そして、レイヴンはぼんやりと、昔を思い出そうとする。思い出せるのは、バンのことばかりだった。
初めて出会った時は、ただの馬鹿で無知なゾイド乗りとも呼べない未熟者という印象だった。だが、バンは我武者羅に、何かに取りつかれたように自分との距離を詰めていた。気付いたら自分もそうやって歯向かってくるバンとの戦いを楽しみにしていた。
大概の相手は、一度戦えばそれっきりだ。戦い、倒し、結果的に殺している。二度と、戦うことはない。生き残ったとしても、もう一度戦おうとする者は居なかった。
だが、バンは違った。
戦い、打ちのめし、しかしまた立ち上がってくる。そのたびに、以前とは格段に強くなって。
最初に戦った時は、レイヴンの圧勝だった。二回目は、Eシールドを発動させたことに驚いてしまい――前回の戦いで見縊っていたことも含め――土を付けられた。だから、シャドーの力も使い、バンのジークに瀕死の重傷を負わせるまでに叩きのめした。
三度目の時は、思った以上に動きが良かった。当時は腕を上げたのか程度に思っていたが、考えてみればあの時はもう一人乗り合わせていた。助言があったのだろう。だが、それを含めても、以前より格段に動きが良かった。
四度目は、三度目の戦いの屈辱を晴らすため、乗機のセイバータイガーを大破させてまで、自分のやり方を見せつけてやった。所詮は、
五度目の遭遇は、ジェノザウラーのお披露目だった。これまでは自分についてこれないゾイドばかりで辟易していたから、あれほど乗っていてやりがいを感じたゾイドはなかった。邪魔は入ったが、今度こそバンとシールドライガーの息の根を止めてやった。
そして、記憶に焼き付いている六度目。プロイツェンがデスザウラーを復活させた日。その早朝に、バンと決着をつけるべく戦った。思えば、初めて会った時はこんな展開になることは予想していなかった。ここまで面白く、楽しませてくれるゾイド乗りに成長するとは、まったく考えていなかった。
ジェノザウラーとブレードライガーの死闘。その戦いは、レイヴンの敗北に終わった。荷電粒子砲を真っ向から切り裂き、一歩、また一歩とゆっくり迫ってくる必殺の刃。ジェノザウラーの口内から喉を貫き、ついにバンに敗北したのだ。
これまでは、負けた覚えなどない。負けてやったか、決着つかずに逃がしたか。だから、この時の戦いが、初めて味わうの敗北だった。
「……ッ、バン……ッ!」
思い出しただけで、怒りの感情が全身を駆け巡った。抑えきれず手を硬く握りしめ、敗北の際に受けた掌の傷が開く。赤い液体がポタポタと流れ落ち、無機質な砂の上に赤の波紋を生み出す。
「うぁああああああああ!!!!」
叫んだ。胸の内に留まり、弾けそうな想いを、声に乗せて解き放つ。叫び、荒く息をし、呼吸を整える。
意識を落ち着け、レイヴンは紅い宝石のような物体を見つめる。この中には、ジェノザウラーが入っている。シャドーと共に。
先日のことだ。ジェノザウラーを手にしたレイヴンは、バンが居る共和国基地に襲撃を仕掛けた。迎撃に出たのはバンとアーバイン。ブレードライガーとコマンドウルフだ。バンは以前戦った時よりも格段に腕を上げていた。ジークとブレードライガーの力を使いこなし、アーバインと連携し、一流のゾイド乗りとして恥じない戦いを見せた。
だが、勝ったのはレイヴンだ。とどめを刺す一歩手前まで追い込んだ。しかし、シャドーがジェノザウラーの制御を奪い勝手に戦場から離脱したため、とどめを刺すことは出来なかった。
バンにとどめを刺せなかったことは残念だ。だが、今はむしろ感謝していた。この巡り合わせに。
シャドーはジェノザウラーを進化させようとしている。ジークがシールドライガーをブレードライガーへと進化させたように、シャドーもジェノザウラーを生まれ変わらせようというのだ。より強力なゾイドへと。
ならば、バンとの決着はそれからでいい。より強力なゾイドを手にし、より強大な力を手にし、それすら扱いきり、バンを叩きのめす。それでこそ、長年の宿敵を倒すのにふさわしいというものだ。
「……フッ、今から楽しみで仕方ないな」
笑みをこぼし、レイヴンはもう一杯コーヒーを作る。
程よい苦みと、豊かな香りが鼻孔をくすぐる。その感覚は、思い出した記憶の中にはなかった、しかし確かに覚えている、安らぎの感覚だった。
「……うまいな。それに――懐かしい」
ぼんやりと浮かんだ言葉を口にするが、その意味を見出すことは、できなかった。
岩場の割れ目を走る車の駆動音が聞こえて来たのは、ちょうどそんな時だった。
傾けたカップを止め、口から離して周囲に視線を走らせる。やってきたのは、ガイロス帝国の兵士だった。数は十人ほど。レイヴンならば、突破するのは容易な数だ。ただ、その先頭に立って悠然と歩いて来た人物を目にし、抵抗することの無意味さを感じる。いや、端から抵抗する気はなかったのだが。
「レイヴン。無駄な抵抗はせずに、我々と来てもらうぞ」
レイヴンを逮捕しに来たのだろう。現れたのは、カール・リヒテン・シュバルツだ。
「ずいぶんとおおげさだな、シュバルツ」
「相手は、他ならぬあのレイヴンだからな」
言葉通りの警戒心を滲ませながら、シュバルツは言い放つ。その言葉は、なぜかレイヴンの心に棘を刺す。チクリとした痛みは、酷い嫌悪感を植え付ける。
なぜだろうか。呼ばれ慣れているはずの名であるのに、ここまで嫌味に感じるのは。理由は――分からない。分からなければ、反応する必要もない。
レイヴンは小さく苦笑しながら両手を差し出す。手錠がかけられ、レイヴンの身柄は帝国基地へと移送された。
***
牢獄内の簡素なベッドの上で、レイヴンは外から聞こえる物々しい駆動音に晒されていた。今日は久しぶりに誰かと口を利いたのだ。多少疲れもたまっていたのだが、それを邪魔する音には不愉快と――若干の愉悦が混ざった。
意識だけで耳を塞ぎ寝に入ったレイヴンの耳に、ゾイドと思しき駆動音とは別の音が届いた。硬い牢獄の床を踏みしめる足音だ。そして、ここに来る人物が誰なのか。レイヴンにはおのずと導き出せた。
「五月蠅くて眠れないだろう?」
レイヴンの居る牢屋の前に立ったバンは、投げるように告げた。
「ああ。祭の準備か何かかい?」
「帝国軍と共和国軍が総出で準備してるのさ。あの繭を攻略するためにな」
「ツイてないな。久しぶりにベッドで寝れるっていうのに」
繭、というのは、つい今朝まで見つめていたジェノザウラーを包み込んでいるもののことだ。
「いくらジェノザウラーでも、両軍の勢力が合わされば終わりさ。待ってたって、助けはこないぜ」
強気に言い放つバンだったが、その声はほんのわずかに震えていたように思えた。絶対に勝てるという自信をにじませながら、心の底では不安が燻っている。そんなバンの心境が、レイヴンには感じられた。
バンは嘗て、ジークとフィーネの協力を経てシールドライガーをブレードライガーに進化させている。ゾイドの進化によってもたらされる性能の大幅な向上も、身を持って知っているのだ。
だからこそ、バンは恐れているのだろう。ジェノザウラーというゾイドを。そして、それに乗るレイヴンの存在を。
「もうジェノザウラーじゃない」
溢した言葉に、バンは強く反応した。自身の動揺を悟られないよう振舞っているが、レイヴンには顔を見なくともその心意気はよく分かった。己を恐れる者たちの心境は、手に取る様に分かる。
「……くそっ」
小さく舌打ちし、バンはその場を後にした。
バンの足音が遠ざかるにしたがって、レイヴンの意識に持ち上がってくる音は外のゾイドたちの駆動音だけとなっていた。音に注意深く耳を傾ける。喧しすぎる音は、ホエールキングが発着するときのものだ。最初から基地に有ったゾイドは一個師団ほど。ホエールキングには一個大隊ほど積み込めることを考えると、実際に対峙するのは二個師団の戦力だろう。
「フッ、敵になりもしないな」
バンはおそらく気づいている。自分自身、ブレードライガーを進化させたという経験から、勘が働いているはずだ。ジェノザウラーの進化は、もう時間の問題だと。そのバンとの決着ももうすぐ。楽しみで仕方がない。
明日、繭への総攻撃が始まる頃に自分は移送となるだろう。その時まで、しばし眠って過ごす。そう考え目を閉じたレイヴンだが、ふと何かの物音に目を覚ました。天井だ。通気口から、何かの物音と共に、何者かの気配がする。訝しく思い顔を挙げたレイヴンは、ちょうど通気口の金網に現れた男と顔を合わせた。
見覚えの無い男だ。ただ、どこか懐かしく感じてしまう自分が居ることを、レイヴンは不思議に思う。
「誰だ……?」
「……やっぱり、覚えちゃいねぇか」
通気口から顔だけ覗かせた青年――ローレンジは、表情を曇らせながら呟いた。
「覚えていない? 俺は、お前に会ったことがあるとでも?」
「ああ。つっても、もう一人のお前ってとこだけどよ。な、ジョイス」
「……ジョイス? それは……誰のことだ? それに、お前は?」
「ローレンジだ。少しは、思い出してくれたっていいんじゃねぇの? なぁ、戦友」
親しげに語りかけるローレンジに、レイヴンの思考は珍しく混乱した。見覚えの無い、知らない男の筈だ。なのに、どこか見覚えがあり、懐かしい。告げられる言葉が、素直に嬉しく思えてしまう。
「勝手なことをぬかすな。俺が、お前の知り合いとでも?」
「ああ、一年、いや二年か。お前がバンに負けてフラフラしてた時から知ってるぜ」
「なに……?」
バンに負けた。そのセリフを他者から聞かされると、余計に苛立つ。そんなレイヴンの心境を察してか、ローレンジは誤魔化すように顔の前で両手を振った。
「いきり立つなって……。はぁ……んじゃ、用件だけ言っとくぜ」
「用件か」
「ああ。俺の――あー、弟子名乗ってるリュウジってのが居てな、そいつがお前と戦いたがってる」
「フン、雑魚に用はないな。俺はバンと戦う。それ以外の奴に用はない」
「いや、戦えって言ってる訳じゃねぇ。戦わないでほしいんだよ」
「なに?」
ローレンジの頼みに、レイヴンは眉をひそめた。
「お前とリュウジが戦ったって意味が無い。あいつのために成りはしないんだ。今のお前ならさ」
今のレイヴンなら。その意味は、レイヴンには分からない。それに、ローレンジの意図さえ、今の段階では読めなかった。
「お前が何をしようと、今俺は関与する気はない。しても無駄だろうからな。でもよ、少しでも俺のことを思いだしてくれたなら、無駄な戦いはやめてくれ。頼む」
「俺が何をしようと、俺の勝手だろう。なぜお前にそんなことを言われなきゃいけないんだ」
「そりゃ、俺がお前の戦友だからな。悪友とも言うか」
「ふざけるな。俺に友などいない。俺は――」
独りだ。そういいかけ、レイヴンは言葉にしてそれを発することが出来なかった。通気口の隙間からこちらを覗き込む男には、なぜかそれを発することが出来ない。まるで、
「今はお前を助けてやれない。フェイトやリュウジ。勝手なことしやがるあいつらを見つけねぇと。それに、俺自身も考え方を変えねぇといけないからな。――でもま、そのうち迎えに来てやるからよ、そん時までには思い出しといてくれよ。な」
そう言いきると、ローレンジはごそごそと通気口の奥へと下がって行く。やがて、その音すらも牢獄の中には届かなくなった。
夜通しで作業なのだろう。繭攻略のためのゾイドが動き続ける音が牢獄に響き、酷く喧しい。そんな中、レイヴンは独りだった。
ぼんやりと通気口を眺め、やがて無意識に一言溢す。
「……お前の教えてくれたコーヒー、うまかったよ」
それは、夜も暮れた、午前二時のことだ。その日、レイヴンは眠ることができなかった。
***
翌日の午前九時、レイヴンは予定通りガイガロスへと移送されることになった。レドラーの狭いコックピットに押し込まれ、繭から遠く離されていく。……そのはずだった。
――始まったか。
遠く、繭がある場所から爆音が響き始める。繭が攻撃されているのだ。だが、それは同時に目覚めの時が来たことをレイヴンに伝えている。
「おい、何をする!」
レイヴンは自由な脚でレドラーのコンソールを蹴りつけた。一度ならず二度、三度、何度もけり続ける。制止の声など聴く耳持たず、ひたすら蹴り続ける。やがて、後に座るパイロットが止めるより早く、レイヴンの足がコンソールを破壊し、同時にレドラーの操縦を不安定なものに変えた。
レドラーのパイロットはそれなりの精鋭なのだろう。必死に操縦し、空中で機体を制御できなくなったレドラーをなんとか不時着させようとする。幸か不幸か、そのパイロットの尽力により、レイヴンは命を拾った。
地面に叩きつけられ、レドラーは内部から爆発した。だが、パイロットの男が起動させた脱出装置の御蔭で、レイヴンは着地することに成功する。手枷を無理やり壊し、パイロットの男を殺し、レイヴンは歩き出す。
「……さぁ、早く来い」
血を流しながら歩くレイヴンの脳裏には、昨夜の会話があった。彼は自分にとって何か意味のある者だったのだろうか。もしかしたら、思い出す気もない過去に関わりがあったのだろうか。いや、
――そんなことはどうでもいい。俺は、バンとケリをつける。あいつと決着をつけられるのなら、悪魔の手先になったって構いやしない!
無理やり思考を一つに絞ったレイヴンの前に、一体のゾイドが現れる。真紅の機体色に、鋏と盾を一体化させたような武装を備えたティラノサウルス型ゾイド。そのゾイドは、誘う様にコックピットの座席を降ろした。
乗り込もうとしたレイヴンに、追手の姿が見える。ブレードライガーとディバイソン、それにコマンドウルフだ。やっと現れた、宿敵との決戦の時。その準備は、すべて整った。
「フッ、今日は、デモンストレーションといったところか」
迫りくる三体の内の一機、コマンドウルフが速度を上げた。一気に仕留めるつもりだろう。なるほど、性能を試すのにはちょうどいい。
「さぁ、見せてやろうじゃないか。お前の力を。なぁ、ジェノブレイカー」
その日、惑星Ziに悪魔が降臨した。