「ニュート!」
「ギィ!」
相棒の名を呼ぶと、純白のオオトカゲは素早く身を翻して走ってきた。フェイトに着いて行かなかったようで、今回はローレンジに着いている。気遣われているようで癪だったが、今はそれに感謝するほかない。
周囲は、驚くほど静かだった。ついさっきまでは肝試しだと騒ぐ子どもたちの声が聞こえ、穏やかな夜更けだったと言うに、今は人が一人もいないのではないかというほどの静けさに包まれている。
耳障りな羽音が響いた。一定に不快な音は、少しずつローレンジの記憶から苦痛を呼び起こす。
『なぁ、どんな気分だ? 弟子一人気遣ってやれず、妹に見捨てられるってのは?』
羽音に混じって、嘲笑するような言葉が届いた。神経を逆なでする、腹の立つ声音だ。僅かばかり無理をしているようなそれが、少し胸を穿つ。
「……るせぇよ。黙ってろ」
『ボクはさ、キミにはこんなことしたくないんだ。いちよう借りがあるからね。だから、素直にボクらに従ってくれよ』
「黙れ。決別してきたのはお前だろうが。情けとかいらねぇよ」
『……残念。キミは、ボクたちの側について欲しかったんだけどなぁ……』
声が途絶える。と同時に、なにかが大地を揺らした。巨大なゾイドの足音だ。小屋を踏み潰し、大顎の刃を炎に煌めかせ、それはやってくる。
クワガタの姿をした戦闘ヘリゾイド。ダブルソーダ。現れたのは、それを五倍ほど大きくしたような、巨大な機体だった。
「何の用だ! リーゼ!」
「別に。あの子を迎えに来たんだけどさぁ、いないんだもん。だから、キミにちょっかいをかけようと思ってね」
「ずいぶんヒマなんだな」
「そうでもないぜ。これでも忙しいんだ。ホントは、キミに構ってる余裕なんかないくらいだからね」
「だったら――」
問答の続きを口にしかけ、反射的にローレンジは飛び退いた。代わりにニュートが前に出、上空から急降下攻撃を仕掛けた
ニュートの口から炎が踊り、赤いオーガノイドを包む。しかしそれは一瞬で、すぐにオーガノイドは炎を潜り抜けるとニュートに頭から突っ込む。衝撃に押され、ニュートの身体が数歩後ずさった。
そして、建物の陰から一人の男が現れた。見覚えのある赤い髪で、不敵な笑みを浮かべる青年だ。
「リーゼ、決裂が早いぞ」
「悪い悪い。だけど、無駄だと思うぜ。こいつを引き込むなんてさ」
「ああ、だが、今なら可能性が無いわけではない」
ニュートと赤いオーガノイド――アンビエントが押し合いをする中、男は悠然とローレンジの前に歩み寄った。ローレンジは反射的にナイフを構えるが、動じた様子は一切ない。
「
「フッ、いいだろう。ワタシの名は、ヒルツだ」
ヒルツ。以前、バンとの情報交換の場で耳にした名だった。もとより、現われた時の雰囲気から大体察していたが。
「で、ヒルツさんは何の用で?」
「君に、我々と協力してもらいたい」
「すると思ってんのか」
ナイフを握る手に力が籠り、半眼で睨みつける。切っ先はまっすぐヒルツの腹を指しており、一歩踏み出せば切り殺せる位置だった。
「逆に聞こうか。なぜ、我々と手を組まない?」
「……どういう意味だ」
「簡単なことだ」とヒルツは僅かに上機嫌に笑って見せた。
「お前たちは、いや、お前の雇い主である
ヒルツの言葉に、やはりPKにもつながっていたのだと確信を持つ。
一年前の暗黒大陸の戦いの真相は、
「このままでは、お前たちの望む帝国の復活も叶わんだろう。手助けのために立ち上げたのだろう
「…………」
「……お前自身、傭兵団の運営で手いっぱいのはずだ。慣れないことをするものではない」
「……だから?」
「フッ、我々と組んで、ガイロスへリックの両国を消し去ったらどうだ? お前たちならば、その力がある」
なるほど、ヒルツは今の
ぼんやりと考える。実際、ここでヒルツ達と手を組んでも悪くないのではないか、と。どれだけ手を尽くそうと、自分たちに向けられる元犯罪者というレッテル、大犯罪者の息子の組織というレッテル、反乱を企てているのではないか、という疑惑は、覆りはしない。
そして、
――……なんてな。
「それ、俺に言うなよ」
ローレンジは、真っ直ぐヒルツを射抜く。夜のとばりが下り始めた
「俺達は、傭兵団だ。雇われた奴に従うのが道理。そして、俺達の雇い主は、
「……ほぅ」
「言うならトップのとこに行け、トップの。俺みたいな小規模組織の頭じゃなくて、それを取りまとめるトップに文句を言うんだな。……あいつがお前らと組むってんなら、お前らと組んでやる可能性がミジンコくらいなら、あるかもしれねぇ」
「絶対、ではないのだな」
「あいつと約束したんだよ。あいつが過ちを犯すなら、俺があいつを殺すって。もしあいつがお前らと組むってんなら、それは過ちだろうな。レッテルに押しつぶされて、テロリストと組むようじゃ、俺の見込み違いだったってわけだ。残念ながらな」
ニュートとアンビエントの押し合いに、ニュートが競り勝った。四足で安定感のある身体が、正面からの押し合いを制したのだ。アンビエントを押し飛ばし、ニュートはローレンジの傍らに滑り込んだ。口内から高温の炎をチラつかせ、牽制する。
「残念だよ。君たちと組めば、ワタシの計画はより万全だったと言うに」
「そーかい。生憎だったな。俺が理由なしに手を貸す奴なんて、一人だけだ」
「裏切るつもり満々で、か」
「それが俺と
「そうもいかない。君たちの協力が得られないのなら、やはり君たちには盤上に立ってもらいたくないのでね。部外者どもには」
不敵に笑い、ヒルツが片手をあげる。と、リーゼのダブルソーダが動いた。昆虫型ゾイドとは思えぬ巨大な脚で大地を踏みしめ、ゆっくりと歩み寄る。大顎を擦らせ、無数のダブルソーダ野生体を解き放つ。
「少々厳しいが、支配下に置かせてもらうよ。捨て駒はいくらでも居た方がいい。そういうことだ」
リーゼの放つ野生体ダブルソーダは、蒼いオーガノイド――スペキュラーと合わせることで高い洗脳能力を有している。それは、ローレンジも身を持って知っている。心の弱い部分に付け入り、すり減らし、弱らせ、消耗した精神を支配する。無意識だったリーゼのそれに、ローレンジも危うく落ちかけたことがある。
迫る野生体ダブルソーダ。ニュートが構え、ローレンジはじっとそれを睨む。徐々に距離が迫り、あと僅かという距離に迫った、その瞬間――左手に取り出した小型の円筒物を放り投げる。
「今だ! ルフィナ! ヨハン!」
ローレンジの合図と同時に、投げられた円筒は聞き苦しい爆音と金属片を撒き散らす。放たれたそれに小型の昆虫たちは狂ったようにのたうち、落下していく。
同時に森に潜んでいたゾイドたちの火砲が唸りを上げた。連続で発射される小型のビーム砲が、強力なリニアキャノンが、ダブルソーダの二本の大顎を叩き、リニアキャノンに晒された片側を破壊する。
昆虫ゾイド独特の無機質な呻きを洩らし、ダブルソーダはのけ反った。そこに、二体のゾイドが駆け込んだ。敏捷な動きと特殊光学迷彩で位置を掴ませないのは嘗てのローレンジの愛機でもあったゾイド――ヘルキャット。そしてもう一機は、真紅の角を有する大型ゾイド、クリムゾンホーンだ。
ヘルキャットに乗るのは元ガイロス帝国軍人だった男だ。家がゼネバスの家系だったことから冷遇されていたところをローレンジにスカウトされ
そしてもう一人は、
二人は要請があったために各地の戦場に派遣されていたが、ちょうど帰って来る途中だった。それを、ローレンジは利用したのだ。
「ほぅ、流石は傭兵団。奇襲はお手の物か」
「すかしてんじゃねぇよ。お前を捕らえりゃ、俺達の疑いもちったぁ晴れるだろうさ!」
ニュートとともに駆け出す。だが、ヒルツはすでにアンビエントの背に乗り、脱出を開始していた。飛行能力を有していないニュートでは、追撃は不可能だろう。同時に、ダブルソーダも乗り捨てられたようだ。機能を停止し、その場に崩れ落ちる。
「諦めの早い奴等だ」
『愚痴を吐くのは後回しだ。頭領、指示を』
『言っとくが、あたしと
二人の容赦ない言葉を訊き、ローレンジは小さく息を吐いた。なんだかんだと愚痴を吐いたが、タリスの言う通り、自分はここの頭領という立場を当てられているのだ。
「……追跡は、イサオに任せる」
『了解』
潜んでいたのだろうイサオがすぐに返答し、一機のヘルキャットが
「ルフィナはお疲れさん。負傷者を運ぶの手伝ってくれ」
『分かった』
「ヨハンも頼む。終わったら、今後の話をするから俺の部屋に来てくれ」
『了解だ』
速やかに指示を下し、ローレンジ自身も事態の収拾に努めるべく歩き出す。
***
リーゼのダブルソーダによる襲撃は、そんな無関係な一般人にも及んだ。ほとんどの者が昏倒し、意識を奪われ、操られ、そして放置された。
まるでゾンビのように屋外をふらつく者たちは、襲撃の傷跡を色濃く表している。
ヨハンに連れられて戻ってきた派遣チームに彼らの対処を任せ、ローレンジが真っ先に向かったのは
入口の戸に手をかけ、足元に落ちている羽虫の残骸に目を止める。「ちっ」と舌打ちをすると、ローレンジは振り返った。
「いいか、絶対に怪我させんなよ」
ヨハンから振られた男にきつく言い、扉を勢いよく開ける。
案の定と言うべきか、中には意識を失くし、ふらふらとおぼつかない足取りの子供たちが居た。
足早に中へと踏み込み、操られ襲いかかってくる子どもたちから的確に意識を奪う。
「後味悪いな。晩飯がマズくなる」
共に踏み込んだ男が苦虫を噛み潰しながら言った。
賞金稼ぎと言う荒れた印象の肩書を持つ者たちだが、誰も彼もが他人よりも自分最優先という訳ではない。むしろ、
そんな保護者である自分たちが、被保護者である者たちに手を上げる。気分のいいものではない。
「まったくな。デリス、とっとと終わらせるぞ」
「りょーかい」
言いながらローレンジは率先して踏み込んでいく。長屋の奥は、それぞれの部屋だったはずだ。とにかくここの騒動は一刻も早く鎮める。十にも満たない子どももいる。トラウマになりかねない現状は、速やかに収束させたい。
「こっから別れるぞ。部屋を一つ一つ確認、無事な奴が居たら、すぐ報告しろ」
返事を待たずにローレンジは真っ先に奥へと向かった。事前に打ち合わせはしてあり、ローレンジは奥から、もう一人が手前から攻めていく。
少しずつ、音が大きくなっていく。見ると、一番奥の部屋の扉に数人の子が寄りかかっていた。閉めきられた戸をどうにか開けようともがいている。そして、限界が訪れた戸がついに倒れた。同時に、中から悲鳴が上がる。
「くそっ!」
一歩遅かった。いや、ぎりぎりでも間に合わせる。
駆けだした勢いはそのままに、加減しながら手刀を振う。苦虫を噛み潰す想いで意識だけを刈り取りつつ、倒れた子をどけて下敷きになった少女を引っ張りだす。
「おい! しっかりしろ!」
助け出した少女は、ローレンジにも覚えがある。自ら志願し、はるばるニューヘリックシティから
一瞬呆然としていた少女は、ローレンジの姿を視認するとその瞳が潤んだ。そして、声もなく抱きつく。
声を押し殺して泣く少女の背を撫でながらローレンジは部屋を見渡した。部屋には数人の子供たちが手足を縛られて転がされている。目立った傷もない。おそらく、襲われてやむなく抵抗されないように対応したのだろう。
そしてもう一人の少女が居た。そちらも先の少女と同じくリーダー役を任せていた者で、今は安心しきったのか壁に背を預けて気を失っている。
彼女たちは必死に自分たちの居場所を守ろうとしたのだ。そして、ローレンジが任せたリーダー役という役目をどうにか全うしようと必死だったのだ。部屋の惨状を見れば、それが良く分かった。
同時に、彼女たちにも守るべき子どもたちを傷つけると言う罪を背負わせたことでもあった。
それは、全てここを取りまとめるローレンジが背負う筈だった業である。少なくとも、彼女たちのような年端もいかぬ者に背負わせるべきではない。
「……ありがとうな。よくやったよ」
声を押し殺してすすり泣く少女の頭を撫で、噛みしめるようにローレンジは言った。そして、口には出さないものの、心の中で呟く。
「すまない」と。
組織を束ねるものとして、子どもたちを受け入れ守るはずだった者として、ローレンジはこの日を生涯忘れることはないよう、心に刻み付けた。
自身の代わりに苦痛を背負った、少女のすすり泣きを耳に滲み込ませながら。
***
意識を取り戻したメンバーの安否を確認しつつ、ローレンジの脳裏は激しく思考を巡らせていた。
リーゼは、ここに「あの子」を回収に来たと言っていた。ひょっとしたらレイヴンのことかもしれないが、だとしたら「あの子」という表現はおかしい。ただ、可能性なら、もう一人あった。
――フェイト、か?
フェイトは古代ゾイド人の模造品から生まれた存在であり、古代ゾイド人としての力も有している。リーゼとヒルツの目的は不明瞭だが、もしかしたら、フェイトも何らかの形で関わっているのだろうか。
そう考えると、一つの仮定が生まれた。フェイトは、
――とすれば、あいつらの目的は……デスザウラー?
導き出された仮説に心底が凍えた。また、あの機体を相手にしなければならないのか。そんな予感がする。
そして、組織運営にかかりきりだった自分に嫌気が射していた。もう、自分たちの目的や暗躍で時間を浪費している場合ではないのではないか。
やるべきことはあった。レイヴンの確保。勝手に出て行ったフェイトとリュウジの探索。そして、自分のやるべきことの再確認。
『そういうことなら、俺よりも裏社会に詳しい
以前、リムゾンに投げかけられた言葉が木霊した。
もう会いたくもなかった。関わろうと言う気もなかった。今の己は、
――いいかげん、動くっきゃねぇよなぁ……。
ぼんやりと、だが――直感的に感じ取った。
名前だけ出しましたデリス。彼はメッテルニヒの配下だった人です。いつの間にかロージに引き込まれてます。