『どうして黙ってた!』
通信越しに鼓膜を破るような怒声が響き、ローレンジは顔をしかめた。
「いきなり通信入れて来たと思えば、主語がねぇぞ。何の話だ」
『とぼけるな!』
これは正直に言わねば落ち着かないだろう。声音からバンの怒りを感じ取ったローレンジは、わざとらしくため息を吐く。
「少しは落ち着け。そんな脅迫されたんじゃ、素直に話す気にならねぇな」
バンはしばし沈黙し、やがて意を決したように怒気を強めて告げた。
『……レイヴンのことだ』
ようやく告げられたその名に、ローレンジは息を飲む。直接その名を告げられると、胸中に言いようのない想いが張り巡らされた。
だが、それはあくまでローレンジ個人のことだ。
『ハーマンから聞いた。レイヴンは、二年前からお前と一緒に居たんだな』
「……ああ」
『つまり、俺たちが暗黒大陸に行った時も、一緒に居たってことだよな』
「……そうだ」
電話口の向こうで、バンの歯が噛み合わされる。ギリリと鳴らされたそれが、バンの怒りと憤りを表していた。
『どうして黙ってた。どうして俺たちに教えてくれなかった! あいつが生きてるって知ってたら、俺は――』
「――また、戦うのか?」
今度は、バンが息を飲む。
話の中心にあるのはレイヴンだ。その実力は、宿敵であるバンが最もよく知っていた。その脅威も、恐怖を抱かざるを得ない、圧倒的なまでの力も。
再び戦うとなれば、その恐怖に打ち勝たねばならない。一度は勝ったと言えど、もう一度勝てるかといえば、それは絶対ではない。ゾイド乗りとして、軍人として心身共に成長したバンだからこそ、弱みとなってしまった部分があるのだ。
それが、以前の『無知』だからこその、『無鉄砲』故に勝てた恐怖への、再挑戦だ。
「お前はなぜあいつと戦う? あいつに執着する理由は、お前の中で答えは出てるのか」
今度はこちらの番だ。ここぞとばかりにローレンジは言葉を畳み掛けた。
『……答えなんて、分かんねぇよ』
沈黙の末、バンは絞り出すように言った。
『でも、あいつがどんなことをしてきたのか、そしてこれからどんなことをするのか。それは、絶対に平和を崩すものだ。だから、俺は戦うんだ。もう二度とあいつに残酷な戦いをさせないためにも、俺はあいつを倒さなきゃならない!』
バンの言葉には、確かな使命感があった。自身が仕留め損ねた存在が、今を生きる人々の平和を脅かしている。自身の甘さが、世界を危機に追いやった。そして、バン自身のケジメでもあるのだろう。
バンがこの日ローレンジに通信を叩きつけたのも、その使命感から来るものだろう。
一年前の暗黒大陸行きで、バンとレイヴンはすぐ近くにいたのだ。お互いがお互いを認識できるほど近くにいて、されど、両者共に気づくことはなかった。
そんな自分が、バンは許せないのだろう。そして、レイヴンの脅威を知っているからこそ、それを見過ごしたローレンジを許せなかったのだ。
「……お前に告げなかったのは、謝っておくべきなんだろうな」
愚痴る様に、ローレンジは呟いた。
「お前にとっちゃ、レイヴンはどうしても許せない相手だ。お前の口からそれを知っていて、その上で俺は告げなかった。あいつが暴れている今を作った原因は、俺にある」
『いや、別にお前を責めてる訳じゃないんだ。悪い』
真摯な態度にバンも自分が冷静さを欠いていることに気づいたのだろう。殊勝に謝ってくる態度に、やはりバンは大きく変わったと思ってしまう。
「いや、あいつの危険性を認識したうえで様子見してた俺の責任はでかい。すまなかった」
『ああ。それでさ、こっからが本題なんだ。あいつはどうやらジェノザウラーを手に入れたらしい。今、共和国の基地であいつを迎え撃つ準備を整えて……』
話を聞きながら、ローレンジは「さて、どうしたものか」と思考を巡らせた。
バンの言いたいことは、大体分かっている。十分な戦力を整えたいから、恥を忍んで協力を持ちかけようと言うのだ。つまりは、傭兵団『
だが、ローレンジの思考は全く逆へと向かっていた。それを言葉にした時、バンはどんな反応を示すだろう。せっかく冷静さを取り戻した思考を、またも沸騰させてしまうだろうか。怒鳴り散らして、理由を問い立たされるのか。
『
言うしかないか。自分の意志は、誤魔化せるものではない。バンと自分では、彼に対する考え方がまるで違うのだ。
諦め、ここが決定的な分岐点になるのだろうと感じつつ、ローレンジは言葉を吐き出す。
「――悪いがバン。お前たちと協力してあいつを倒そうってんなら、俺は手を貸さない」
『なっ……』
「もちろん、俺の部下たちの貸し出しもねぇ。俺たち
言い切る。僅かな後悔が頭を過り、しかしもう後戻りはできない。
『どうして!?』
怒り、というよりは驚愕を声に浸みこませ、バンは問い返す。
「こっちはこっちで好きにやるって言ってんだ」
『お前……レイヴンは一人で何とかできる相手じゃない!』
「俺のとこには、信頼できる仲間がいる。軍隊に後れをとりはしねぇし、負ける気もねぇ。それに、群れから逸れた孤独な鴉をよってたかって殺すなんて、どうにもやる気がでねぇからな」
『主義の問題じゃない! レイヴンは、俺たちとお前たちが手を組んだとしても、勝てるかどうか分からないくらいだ。ジェノザウラーの脅威は、お前だってよく分かってるだろ!』
「ああ、分かってるさ。一度叩きのめされてるからな。だけどな、それでも、お前らと俺とじゃ、
『どういう意味だよ!』
前置きにグダグダと話してしまった。バンは、純粋に自分の真意を問いただしたいのだろう。
もし、それを告げれば、バンは自分のことをどう見るだろう。全く異質な考え方として、首を傾げるのだろうか。
「なぁバン。お前にとってあいつは、倒さなきゃならない敵、なんだよな」
『ああ。それがどうしたんだよ!』
「……たとえ世間を敵に回した奴でも、国家にとって脅威とさえ言えるとんでもない奴でも、他の連中からすればとっとと消えて欲しいって思われてる世捨て人でも、
『……ローレンジ?』
「バン。俺とお前じゃ、全く違うんだよ」
これが、決別の一言目だろうか。これを機に、自分とバンは、少しずつ離れて行く。それを予感しつつ、ローレンジは想いを言葉に乗せ、表す。
「お前の見てる
混乱を表に出しつつも食い下がるバンに、ローレンジは強引に通信を切った。通信切断のボタンを押した後も、指は名残惜しげにその上から動かない。
「……まだ迷ってるのね」
「うるせぇよ」
背後からの声に、ローレンジは無理やり指を離した。
「団員は少しずつ増えてる。ここでの生活を考えたら、これ以上ない仕事だったと思うけど」
「……だな。俺は、リーダー失格なんかね」
「そうかもしれない。あなたには、リーダーという立場は向いていない。いえ、まだ慣れていないのよ」
まるで責めるような口ぶりに、ローレンジは肩を落とした。
ヴォルフの助けとなるため。そのために作り上げた傭兵団『
「でも、ここに集まったみんなは、あなたをという頭を慕ってやってきたのよ」
「……は?」
タリスが示した窓の先では、夜闇に包まれていた。しかし数時間前、日中は」
「ここの長はあなたよ。あなたが集めたから、みんなはここに来た。そして、それぞれがそれぞれでやるべきことを成すべく働いている。頭領不在でも、ここは回っていられる」
「それってさぁ……俺なんていらねぇってことか?」
「現場主義だものね。みんな、それに合わせて動いているだけ」
タリスの苦笑交じりの言葉には、覚えがあった。
それから一年と経ち、
「大丈夫よ。今回の依頼は私しか聞いていない。だから、嘘を吐くのはあなたと私。メンバーには知られない」
「おいおい、頭領と副長で共謀かよ。あいつらが知ったらなんて言うか……」
「トップの思考に、下は従ってもらわないと」
「……最悪のトップだな。だがまぁ、今日は乗っかるしかないな」
にやりと悪戯な笑みを浮かべ、ローレンジは窓口から離れる。
「ありがとな、タリス」
「いえ、この程度で揺らぐようでは、頭領とは呼べないもの」
「ひっでぇ言い草」
愚痴を吐きつつ、ローレンジはタリスに感謝する。
思えば、彼女には迷惑をかけてばかりだった。暗黒大陸での戦いは特にそうだった。ハイデルに対し憎悪をむき出し、懐の奥にしまい込んでいた刃を抜き出したローレンジは、タリスが居なければ止まることはなかっただろう。
それだけではない。フェイトが傍にいない時のローレンジは、どこか暴走しやすいきらいがあった。タリスは、それに対する抑止力となってくれているのだ。
また、
慣れない組織運営。その上、ローレンジにはリュウジという存在もついた。ローレンジが自ら背負って行く枷は、さらに重さを増してきたのだ。
それを傍で支え続けたタリスの功績は、計り知れないほど大きなものだ。
――こいつには、ずっと世話かけっぱなしだな。
ふと、ローレンジは思う。以前、ずっと昔にも抱き、もう縁の無いものと考えもしてこなかった想いだ。どう、自分の中で噛み砕こうか、それすら分からない。ただ、一つ言えるとしたら……、
……タリスには、これからも傍に居て欲しいということだけ。
――はっ、なーに考えてんだ、こんな時に。今は、やることが山積みなんだよ。
湧き上がる想いを、意識してしまい込んだ。まだ、それを発露すべきではない。
「……わりぃな。いっつも情けなくてよ」
「それを矯正するのが、私の役目よ」
「そーかい」
言いつつ、ローレンジは頭をフル回転させた。当面の問題は、ついに表舞台に顔を出してしまったレイヴンについてだ。
レイヴンはいくつかの基地を無差別に攻撃した末、とある帝国基地でバンと邂逅し、目覚めたらしい。それも、ローレンジと出会う以前の姿。黒いオーガノイドを連れた、ガイロス帝国最強のゾイド乗り出会ったレイヴンとして。
現状は不明だ。バンには伝えていないが、諜報班のイサオがレイヴンのジェノザウラーを目撃したらしい。そして、近くでグスタフに運ばれる破壊されたディバイソンも確認したとか。
ディバイソンのパイロットは少し前にバンと
GFとの協力は断った。これは、早過ぎたのかもしれない。だが、もう後戻りはできなかった。
「……この件で
「ええ。彼の管理はヴォルフ様が無理を通して承諾を得たようなものでしたから、確実に突っ込まれる」
「あいつには悪いが、また矢面に立ってもらうしかない。……今度、謝っとかねぇとな」
「それもあるけど……あの二人も」
「だな、面倒事残しやがる」
ローレンジが愚痴ったのは、リュウジのことだった。
先日、執務室にやってきたリュウジは間の悪いことに、レイヴン復活の報を聞いてしまった。レイヴンの存在に自身の存在感を奪われかけていると感じていたリュウジは、自分が彼を倒して見せると言い張り勝手に飛びだしていったのだ。
もちろん、ローレンジは無理やりにでもそれを止めようとした。だが、
『あいつは……僕の居場所を壊しかけたんだ! 例えあなたが止めようと、僕は――もう我慢できない!』
必死な形相のリュウジに、ローレンジは己が誤解していたことを察した。
リュウジは、確かにローレンジが意識したように自身の存在感で悩んでいた。ジョイスとのいざこざも、それに拍車をかけていたのだろう。だが、それだけじゃない。
リュウジは、
それが、今の
そして、それは、嘗て居場所もなく彷徨っていたローレンジにも通ずることだった。
それが理解でき、痛いほどその想いを感じたから、ローレンジに今のリュウジを止めることは出来なかった。
理由はもう一つある。ローレンジが立場を持ったことだ。
だが、それはもう一つの不和を生んだ。
『ロージ、……どうして追いかけないの?』
そのローレンジの対応は、今までに無いものだった。だからこそ、これまでを知る
『あいつ一人のために、離れる訳にはいかねぇよ』
『違う! そんなのロージのすることじゃない!』
『フェイト。今いろいろ……』
『理由なんかどうでもいいよ! リュウジはロージの弟子で、ロージは師匠なんだよ! 嫌がってても、そう言う関係になったんでしょ! だったら……突き放しちゃダメだよ!』
ローレンジの態度に憤慨し、フェイトも飛びだしていった。そうして、二人は
「あいつら、無駄に隠れるのはうまいな。まさかホントに行方不明とか」
「あなたが、対応を遅らせた所為よ」
「……辛辣だな。否定はしねぇけど」
「ここまで言って、まだあなたはここに留まっているもの」
「まだ、なんかあんのか」
言いつつ振り返ると、タリスは真剣なまなざしで一歩踏み出した。まだ、タリスには言い足りないことがあるのか。
「それは、自分で気づいて」
「なんだそりゃ」
冗談めいたセリフに苦笑を浮かべる。が、タリスの目は変わらなかった。先ほどのそれとは違う、彼女が言いたいことは別にあるのだろう。
「タリス……?」
「ローレンジ、いえ、頭領。実は、黙っていたことがあるんです」
タリスがローレンジを頭領と呼ぶときは、いつも
「なんだ?」
「ニクスの一件から、いえ、それ以前から、私は――PKに潜入していたの」
言葉通り、初耳だ。だが、驚くことではない。どこかしら、彼女が自分に接触を持った時から、違和感があった。彼女が、タリスがPKの人間として自分に近づいたとするなら、それはPKの真の目的とズレている。
タリスがPKの正式メンバーならば、自ら破滅に向かっていたPKの目的に疑問などない。しかし、タリスはオーダイン・クラッツから真実を聞かされた時、初めて知ったような状態だった。
単に若いメンバーには――組織の末端の者には伝えられていなかっただけかもしれない。現に、後から合流したハイデル・ボーガンは己の欲のままに突き進んでいた。その下に居たタリスが知らないのも、無理はない。
だが、若者の巻き添えを嫌った老人たち――PKの正式メンバーが破滅に向かう作戦に彼らを連れていくだろうか。
そこから導き出される結論は、タリスたち若いメンバーは、PKの真の隊員ではなく、別の組織から派遣された者である、ということだ。
その、もう一つの組織とは……
「頭領、ローレンジ、私は……」
その時だった。
踏み出したタリスは、そのままピタリと意識を無くしたように倒れ込んだのだ。
「――おいっ!」
慌てて抱き留め、気付いた。タリスの首筋に、蒼い小さな虫がついている。いや、虫というには嫌に金属質だ。青い、大顎をぎらつかせる、小さな昆虫型ゾイド。
ローレンジの記憶から、苦い記憶がよみがえった。
「くそっ……
ひとまずタリスは床に寝かせ、一気に外へと走り出た。
喧しい羽音は、
作者視点ですが、この話のあのシーンは第四章の中でもかなり気に入ってます。