その頭領であるローレンジは、平和を取り戻したとも言い難い惑星Ziの微妙な世界情勢について深く知る必要があった。
ヘリック共和国とガイロス帝国が治める南エウロペ、
また、南エウロペも平穏とは言い難い。戦争が終わったことで仕事を無くした傭兵たち。戦争の間に築かれた両国の溝、惑星Ziは、表面上の平和を取り戻したといえど、まだまだ戦乱が絶えなかった。
「視察、今日だっけ?」
持ちこまれた
「GFから視察が来る予定は今日。……重要な用事くらい、把握しておいてよね……」
「あー、わりぃ。慣れないことすると頭が回らねぇんだ」
「立ち上げてからもう一年。いい加減慣れてもらわないと、みなさんに示しがつかないわ」
「……ヴォルフの奴、よくこんなめんどくせーこと苦も無くやってられるなー」
肩を竦め、立ち上がると同時に部屋の隅に用意されたコーヒーメーカーに手を伸ばす。事前に沸かしておいたため、出来立てと比べて味は数段落ちるが、この際仕方ないと割り切る。
「で、来るのって誰だっけ?」
「…………」
「悪かった。悪かったと思ってるからその目は止めろ」
「人を集めるだけ集めて、頭領としての資質がまるで感じられないのだけど」
「うるせぇよ。元々俺は現場主義なんだ。部下に指示出すよりも、自分でやったが性に合ってんだ」
「否定はできないわ」
それは、指揮官としては無能だと暗に示されているのだろうか。
「で、来んのは?」
「ガイロス帝国からシュバルツ――」
「シュバルツ!?」
思わず驚愕を表し、コーヒーの入ったカップを落としそうになる。
ガイロス帝国でシュバルツと言えば、ガイロス帝国国防軍の至宝とまで称されたカール・リヒテン・シュバルツが浮かび上がる。帝都ガイガロスでのプロイツェンの反逆の際、真っ先に戦線を切ったガイロス側の兵はシュバルツ率いる部隊だ。
また、裏では強烈な皮肉屋としての名も持っている。
「冗談じゃねぇ、何言われるか分かったもんじゃねぇぞ」
「後ろ暗い事でも?」
「大有りだ。残念ながら」
シュバルツと直接顔を会わせたことはない。だが、ガイロスに忠義の熱い男なのは確かだ。ローレンジの過去の経歴を考えると、敵意を持たれない可能性はゼロに等しい。
「確かに、見抜かれたら厄介ですね」
「だろ。他は?」
「バン・フライハイト少佐」
「少佐!?」
次に名前が挙がった人物はローレンジもよく知る少年だ。だが、彼は数ヶ月前に士官学校を卒業し――かなりの早さだったらしい――共和国軍に入隊したとか。しかし、軍に入ったとしたらスタートは尉官だ。いきなり佐官など、いったいどんな裏金を積んだのか……。
それはともかくとする。気になる事ではあるが、今問い詰めることではない。
「で、何時来んだよ」
「今よ」
「はぁ!?」
ローレンジの混乱に拍車をかけるように、部屋の扉がノックされた。
前後に交わした会話から察するに、扉の先に入る人物は想像に難くない。渋々、ローレンジはカップを机に置いて立ち上がる。
「なんでさっさと教えてくんねえんだよ」
「私に気が散るから話かけるなって言ったのは」
「……俺だな」
どこか敗北感を噛みしめながら、ローレンジは戸を開ける。開け放った戸の先には、緑髪の少女がノックする姿勢で立っていた。
「あ、ロージ遅いよ。フィーネ達、もう来てるよ」
「あー、悪い。って、フィーネも来てんのか。で、応接室か?」
「うん。来たら案内しといてって、タリスさんに言われてたもん」
「りょーかい。んじゃタリス、留守番よろしくー。あ、茶の用意頼むわ」
「はいはい」
呆れ気味な声を背に、ローレンジはフェイトを連れて応接室に向かった。
もっとも、それはローレンジにとっても馴染みのある文化であり町並みであったため、率先して村のデザインを考え出したという経歴があるのだが。
建物は基本木造。床も周囲の木材から作られ、古めかしい廊下の床は踏むたびに軋んだ音を立てた。
復興間もない
「バンとフィーネ、どうだったよ」
二人と会うのは、実は暗黒大陸での一件以来だった。何度か
だからこそ、シュバルツという予想外の人物はあれど、ローレンジは今日の対面を少し楽しみにしていた。
「んー、……すごかったよ」
「なんだそりゃ……?」
フェイトは自分の胸元を見下ろしながら、よく分からない答えを溢した。
一抹の不安を覚えつつ応接室にたどり着く。
応接室の戸を開けると、彼らは座布団に腰をおろしていた。黒髪を逆立て、後髪を縛った活発そうな青年。特徴的な亜麻色の髪形をした美しい女性。そして、いかにも堅物に見える金髪の男性。彼等は、居心地悪そうにあたりを見渡し、現れたローレンジに安堵の表情を見せる。のだが、
「……誰だ、お前ら……?」
少なくとも前者二人は見知った顔の筈だが、ローレンジは思わずそう呟く他なかった。
「オイ! 第一声がそりゃないぜ! 俺だよ、お・れ!」
非難の眼差しを向けるのは黒髪の青年。顔立ちや髪形、炎を宿したように熱い瞳など、彼は確かにローレンジの記憶するバン・フライハイトの特徴を色濃く残している。だが、
「俺なんて知り合いは、一人もいねぇけど……」
「アーバインみたいなこと言うな! 俺! バンだ!」
「いや、俺の知ってるバンは、俺より頭一つ小さかったはずだ。こんなにデカいなんて……しかも、ガタイまでまるで……」
「だから! 俺は正真正銘のバン・フライハイトだ!」
いきり立って立ち上がり、しかしバンは途端に地面に突っ伏して蹲った。フェイトとバンの隣にいた女性が目を丸くし、もう一人の青年は呆れかえって目頭を押さえる。
そして、ローレンジはにやりと笑った。
「よし、そうやって情けねぇとこ見せるのは間違いなくバンだな」
「どーゆー意味だよ! ……っっっ」
「無理して正座なんかすることねぇってのに、相変わらずだ」
クックと笑い、バンの恨みがましい視線を受け止める。
一瞬判別がつかなかったのは事実だ。記憶にある姿とは大きく様変わり――成長したバンは、これまで足りなかった精悍さを得て、大きく成長したのが見て取れる。ゾイド乗りとしても、一人の人間としても。
未熟だったころを知っているからこそ、一目見ただけでもその成長が分かった。そして、それを見るのは喜ばしいことだ。いつか、フェイトもバンのように成長するのだろうか。たくましく……いや、それはちょっと困る。
足のしびれに悶絶するバンを一旦放置し、立ち上がったフィーネに向き直る。
「お久しぶりです。ローレンジさん」
「おう。久しぶりだ、フィーネ。バンもそうだが、お前も随分成長……」
差し出されたフィーネの手を握り、握手を交わす。バンほどではないが、フィーネも大きくなった。以前ならまだまだ子どもだと思っていたが、バンの成長に比例してフィーネも成長している。
さっと上から下まで視線を流し――胸部で一時停止したが――ローレンジはしみじみ思う。そして、口にも出た。
「……ああ、でかくなったな」
「そうですよね! 私もこの一年で随分と背が伸びました」
フィーネも、相変わらずだ。
「ロージ……」
「なんだよ」
「別に」
不機嫌そうに頬を膨らませるフェイト。対面する前のフェイトの態度から察するに、まぁ、初対面で打ちのめされたのだろう。
「おい」
さて、次は何故だか怒りを滲ませている青年だ。もう一人は帝国軍のシュバルツとのことだが、噂で聞く人物とはかけ離れている。正直言って、一番の謎は彼だ。
「あんたが、シュバルツ中佐?」
「違う! 俺は帝国軍のトーマ・リヒャルト・シュバルツ中尉だ」
「トンマ?」
「トーマだ!」
「喧しい奴だな。噂のシュバルツとは大違いだ」
「お前の言うシュバルツは、俺の兄さんのことだ!」
「あー……弟居たんだ」
「悪いか!」
「いや、別に。そもそも、あんたの兄貴に会ったことねぇし」
トーマは怒り心頭なのを見せつけるかのように拳を握りしめ、詰め寄ってくる。
「それよりもだ、何時までフィーネさんと手を繋いでいる!」
「は?」
「もういいだろう!」
「あー、まぁいいけどさ」
手を離し、形式上必要だろうと今度はトーマに手を出した。が、そっぽを向かれる。
「お前、感じ悪いな」
「ふん、どこの馬の骨とも知れん男と、手を交わす必要などない」
随分と関わりづらい男が来たと思う。何にイラついているのかは知らないが、そっちがその態度を取るならばこちらも相応の対応で行くしかない。そう、内心で刃を磨き始める。
「トーマさん。ローレンジさんは信用できる人よ。挨拶くらいは」
「ですよねー。すみませんフィーネさん」
一瞬で手を取られた。痛いほど握りしめられる手は、彼の内心を強く物語っているような、そんな気がする。
トーマの態度の変わり様から、大体の性格は把握できた。なれば、ローレンジはまだ悶絶するバンに憐みの視線を送った。
「バン、苦労するな」
「…………まぁな」
言葉の意味を知ってか知らずか、バンは悶絶しながら曖昧に答えるにとどまった。
***
「失礼します」
障子をゆっくりと開け、タリスが盆にお茶を乗せて入る。各人数分のお茶を置くと、来た時と同じように静かに去っていった。
「お前、コーヒー好きじゃなかったっけ?」
「ここで飲むときの雰囲気には、茶が一番あってんだよ。ま、紅茶なんて風情もへったくれもない腐った汁じゃなくて、緑茶だ」
あえて紅茶を――激しく――否定し、ローレンジは茶を啜った。バンとフィーネは、しばしそれを見つめる。
「……なんだよ」
「いや……なぁ、フィーネ」
「ええ。すごく、様になってると思って」
「様になるって……」
ただ茶を啜っただけで、一体何があるというのか。バンは考え込み、思考の底から絞り出すように答える。
「なんか、ほら、隠密集団のトップ、みたいな……」
「そのまんまじゃねぇか」
苦笑が零れる。おかげで、場の空気はかなり和んだといえよう。そこにトーマが咳払いを挟み、場の空気が引き締まる。
ローレンジとバン、フィーネ、フェイトにとって今日は久しぶりの対面なのだが、生憎とのんびり和やかに話せる状況ではないのだ。
「さて、情報交換だったな。バン」
「ああ」
バンは持ってきた資料を出した。受け取り、流すように目を通す。内容自体はバンたちが来る前に読んでいた報告書と同じもので、把握するのに時間はいらない。
先日、ガイロス帝国が所有する危険兵器廃棄場で、事件があった。責任者の男が突如として錯乱したと思われる通信を残し、廃棄場の爆破を図ったのだ。異変に気付いたシュバルツ中佐が調査に向かったのだが、あろうことか彼も連絡が取れなくなったという。
その後、バンとトーマが別々に潜入。トーマは何者かに
「それで、俺に訊きたい事ってのは」
「ああ、この事件に関わっているのは青いオーガノイドを連れた奴だ」
青いオーガノイド。その言葉に、ローレンジは片眉を持ち上げる。
――やっぱり、それか。
犯人――主犯であるリーゼが起こした事件については、ローレンジもすでに掴んでいる。その目標は掴めず、狙いも漠然としていた。だからこそ、バンは情報を得るためにやってきたのだろう。リーゼと繋がりがあるかもしれない
その理由は、むろん、自分の手で決着をつけるためだ。そして、万が一にもコブラスが両国に捕縛された時、
ローレンジの僅かな変化にバンは視線を鋭くし、続けた。
「名前はリーゼ。おそらく、古代ゾイド人の
小さく息を吐くように、ローレンジは笑みをこぼした。
「ふーん……ま、俺がそいつを知ってるかどうかってんなら、答えは
務めて普段通り、ローレンジは答えた。バンの鋭く力強い眼光を浴びても、表情は崩れない。
「本当、なんだな」
「もちろん」
詰め寄るバンの瞳からは、以前とはまるで違う人間のように感じられる。熱血一辺倒の人間と思っていたバンが、これほどまでに冷静にこちらを見つめる。まるで、物差しで計られているような気分だ。品定め、いや、真偽を確かめる思慮深い視線だと感じる。
少し、バンが苦手になったと感じる。
「じゃぁ、ヒルツってのは」
「初耳だ」
「…………」
バンの沈黙が、ローレンジの心に突き刺さる。が、今回ばかりは動揺の感触を得られてはならない。
「おいおい信用ねぇな。『英雄』バン・フライハイトに、嘘は吐かねぇよ」
「やめろって。俺には似合わねぇよ」
「そうか? 今のお前なら、十分重荷を背負ってられると思うけどさ」
「そーゆーお前はどうなんだよ。
「さぁてな、どこの誰が言い始めたんだか」
あえて否定せず、ローレンジは苦笑する。
黒龍ガン・ギャラドと一対一で戦い、逃がしはしたものの戦闘続行不可能となるまで追いつめた熱き
PK師団との戦いで先陣を切り、獅子奮迅の活躍を見せつけた竜騎士の女性。『
目立った活躍は薄いものの、ガイロス軍所属時代の名声と、比較的若いメンバーが多い
そして、
この四人は
「その変な呼び名。他の奴と違って、俺は
「知ってる奴ならすぐに分かるぜ? パリスさんとか、レイも話を聞いてピンときてた」
「そーゆーの、恥ずかしいから御免だな」
いつの間にか、というわけでもない。
ローレンジは
だが、仕方なかったといえど、暗黒大陸の戦いでは表に出過ぎた。へリックガイロス両軍と合流してからは実質的
「まぁさ、お互い変な呼ばれ方は苦労するってことで」
「それってさ、ロージもバンも苦労するってこと?」
「あーそういうこと、かな」
バンのその一言で、納得も出来た。と同時に、バンの言葉にそこまでの意味を裏付けられることにも、内心驚きだ。バンという人間が、ここまで大きくなっているのか。
「おい、話がだいぶ逸れているぞ」
トーマの言葉に、全員が気づく。トーマ以外全員が見知った仲であるという関係上、どうしても話題が和やかなものに移ってしまう。
「そうね、ごめんなさい。それじゃあ後は……」
フィーネが話し出したのを皮切りに、それぞれの情報交換は進む。
主な内容は昨今世間を騒がせているリーゼについて、そして彼と繋がりがあるだろう赤いオーガノイドを連れた男、ヒルツについてだ。
そして、一通り情報交換を終えた頃、すでに時刻は日暮れだった。
「バンたちは、エリュシオンに下りるのか?」
「いや、タリスさんには泊まってけって言われてるぜ」
「……あー、また俺が聞いてなかっただけか」
このことをタリスに言えば、またお小言が続けられるのだろう、鬱屈なのは御免だと、ローレンジは立ち上がる。
「そんじゃ、部屋に……あ、えーっと――」
部屋を見渡し、フェイトの顔を見る。一度片目を閉じ、直ぐ開くとフェイトが小さく頷いた。何度かこういった場面を経験させたからか、フェイトはすぐに頷いてくれた。
「フェイト、案内頼むわ」
「はーい。さっ、バンにフィーネ、それからトーマさんだよね。こっちだよ」
「うん」
「あ、待ってくれ、また足が……」
「情けないぞバン。GFたるもの、常に毅然とした態度を……」
トーマの愚痴にバンが悶絶しながら反論するのを尻目に、ローレンジも部屋を後する。
「何かあったら俺の部屋に来てくれ。今日はそこにいるからよ」
そう言い残して。
***
部屋に戻って五分。コーヒーの用意をしていると、すぐにノック音が響いた。声をかけると、先ほどよりも硬い表情のトーマがいる。
「早かったな」
「まぁな」
「さて、改めて挨拶しとこうか。傭兵団『
「ガーディアンフォース所属、トーマ・リヒャルト・シュバルツ中尉だ」
改めて、という前置きになぞって握手を交わす。だが、その握手は、バンたちの前でのものと違い、硬かった。
「バンたちは、一時間ほど引き留めておくようフェイトには言ってある。存分に話せよ」
言いつつ椅子に腰かけ、準備しておいたコーヒーを出した。
ローレンジの部屋は畳敷きでなく板張りに椅子を置いた簡素なものだ。雰囲気では畳敷きの方が好きだが、実用性を考慮するとこちらの方が使いやすい。事務仕事は基本イスと机であるため、身体はそれに慣れているのだ。
「では、用件は――」
「――レイヴン、だろ?」
トーマの言葉に割って入る。
「そうだ」
「バンに話さないのは、あいつを刺激しないようにって言われてんのか」
「そこまで分かっているのか。ならば、俺が来た理由も分かっているんだろう」
口調は治さないのか。そう、心の中で愚痴をこぼした。
トーマ達と別れた後、ローレンジはタリスから改めてトーマについての情報を訊いていた。年はローレンジの一つ下。兄であるシュバルツ中佐とは、実に十歳の差がある。確か、腹違いということだったはずだ。
バンたちとの場では、バンが完全なタメ口であったためトーマのそれも気にはならなかった。だが、こうして両者の立場をわきまえた上での会話だと、口調が余計に目立った。ローレンジは傭兵団の頭だ。傭兵団と言えば聞こえが悪いかもしれないが、一つの会社の社長と言ってもいい。それに対し、軍から派遣されてきた兵士の態度としては、いささか高圧的だ。
「軍には何度も言ってるが、俺がレイヴンを匿ってたのは事実だ」
「…………」
「それに、ここが襲われた時にレイヴンが行方をくらましたのも事実。レイヴンは、今ここにはいない」
「信ずる証拠は?」
「今日にでも里中探ってみればいい。レイヴンがいた痕跡はあっても、レイヴン本人はどこにもいない」
言い切り、コーヒーを口に含む。トーマの視線は硬く、鋭い。鉄槍を突きつけられているかのように、剣呑だ。
「嘘吐いてると思うか?」
「……ああ」
だろうな。でなければ、ここまでの警戒はない。やはり、自分たちは帝国軍からの信頼が薄い。それは、分かりきったことだ。
「そっちはレイヴンの行方を掴めたのか?」
「いいや。帝国も共和国も、密かに捜索隊を出しているが、消息は掴めん」
「こっちは話せること全部伝えたぜ? そっちも答えろよ。あの場で話さなかったこと、あるんだろ?」
「お前たちを警戒している。それについて話せば満足か?」
「十分。そっちの腹の内を知りたい」
僅かに逡巡し、トーマはゆっくりと語りだした。それに応える形でローレンジも返す。今の両者――
トーマの答えは、あらかた予想通りだった。レイヴンの行方が掴めないからこそ、彼はここにやってきたのだ。そして、ローレンジたち
「お前、帝国軍の中尉殿だろ。レイヴンに会ったことはあんのか?」
「ない。だが、噂だけは轟いていた。ゾイド乗りとしては天才。雲の上の存在だとな。しかし、バンに倒された。間違いはないのだろう?」
「ああ、それは間違いない。俺が見つけた時も、敗北のショックで記憶を無くした有様だったからな」
トーマの受け答えは、言葉の端々にある感情を覗かせる。見たこともないレイヴン。だが、尾ひれがついてなお、現実感のある噂は、同じ戦場に立った時を想起させある感情を芽生えさせる。
「
「戦えるならば武者震いが――いや、虚勢は無駄か。……怖くない奴など居るのか? バン以外にはいないだろう」
強気な口調で――しかしそれを取りやめ、当たり前のようにトーマは言い切った。ガイロス帝国軍における、レイヴンの立場を。しかし、それを訊いたローレンジは鼻で笑う。
「いいや、俺は
その時、トーマの目に初めて動揺が走ったように思えた。とすると、帝国兵士の間ではレイヴンの武勇伝は知れ渡り、怖い存在であるのが当たり前なのだろう。
たった一人で幾多のゾイドを倒し、共和国の深部まで潜入し、悪魔と呼べる機体を犬のように飼いならした少年。
「それは、『本当』のあいつを知らないからだ。奴がガイロスに居た時なにをしたのか。知らない訳が無かろう?」
「そうだな。噂を聞いた時は怖かったさ。出くわした時の準備を整えたくらいに。でもな、噂は所詮噂でしかない。それが分かった。『本物』のあいつを知ったから、俺にとってあいつは怖くなくなった」
トーマが口にするレイヴンへの恐怖心。それは、噂に基づいて作られた虚実だ。本当のレイヴンは、決して恐れられる存在じゃない。宿敵として戦ったバンでは、このセリフは使えないだろう。
本当の意味で『仲間』だったローレンジだから、口にできた
「孤独を恐れて、強がって、でもやっぱり一人を恐れる。全てを失くして、目の前に敷かれたレールの上をただ歩くだけ。その先を見るのも怖くて、ただただ自分の興味に逃げる。一人ぼっちの孤独なゾイド乗りを、あのよわっちい
ローレンジの問いかけに、トーマは答えなかった。答えられないのだ。レイヴンに関する話題で、このような答えを出した人物はただの一人もいない。おそらく、バンですらローレンジの様には答えないだろう。
そして、トーマからの答えをある程度予測しつつ、答えない現状を理解したのもローレンジだった。
それに、苛立ちすら覚えた。
――だよな。そんなだから、あいつはそれしかなかったんだよ。
「なぁ、そこまで警戒するほど、俺たちが
嘲笑う様に、笑みを深めながらローレンジは言った。
「なに……?」
そして、予想通りトーマの目つきが変わった。先ほどまでの警戒から、より強く、敵意を発する。
「怖いだと? 俺は
「お前だけじゃない。お前も、お前のお仲間たちのことも言ってんだ」
トーマの中に疑惑が生まれる。言葉足らずである分仕方がないとは思いつつ、どう説明したものかとローレンジは口を開いた。
「あんたら
「その通りだ」
「だったら、なぜ俺たちを
今の
以前、ヴォルフはそんな疑惑を払拭する為、自らに罪を刻み付けて芝居をうった。それは、
だが、実際は違った。払拭するために、世界のためという大義名分の下に戦ったことで、新たな疑惑が生まれたのだ。そして、それが今のヴォルフ達にのしかかっている。重く、強く、そのまま押しつぶしてしまわんほどに。
「ジェノザウラーを保有しているから……。元々プロイツェンの元にいたレイヴンの身柄を預かっていたから……! ヴォルフがギュンター・プロイツェンの息子だから! それで俺たちがまた反旗を翻すんじゃないか、ってか? その視線が、俺たちの中に燻ってる
「……詭弁だな。仮にお前たちが反旗を翻すつもりだったとしよう。それを未然に防ぐことが出来なければ、平和など保てん。ことが起きた後では遅いのだ」
「ああそうだ。その通りだ。けどな、防ぐ側もちっとは考えといてもらいたいね。そうやって『レッテル』張り付けた目を向けるから、こっちの黒く燻る
ローレンジに譲る気はなかった。
先日、ヴォルフがここにやってきた。疲れた顔で「印象を覆すのは、難しいな」と語った。その時の顔を、ローレンジは良く覚えている。
ヴォルフが疲労している原因には、少なからずローレンジのことも含まれている。ローレンジがレイヴンを
それは、ヴォルフが疲労した要因の一つでしかない。だが、ローレンジが負うべきだった責を、組織の長であるヴォルフが肩代わりしたのだ。それは、ヴォルフが「あの日の誓い」を忘れていないからこそ。
初対面のお堅い軍人に会って、ふと思った。こういう目線を持つ者がいるから、自分たちはいつまでも世間に顔向けできないのだ。裏の道を踏んだ者が表に顔向けできないのは、そういった者がいるからこそなのだ、と。
彼らこそが、世の中の犯罪者を生産し続ける真の害悪なのだ、と。
だが、ひとしきり言葉を発して思う。
そんなこと、当の昔に分かりきっているのだ。
世間に張られたレッテルは、どうあがいたところで剥がせるわけがないのだ。例え他人に張られたレッテルだとしても、簡単に覆ることなどありはしないのだ。そうして奇異の視線を向けられるのは当然。印象を覆すために長い時をかけるしかない。
結局、どこかで、自分の中でケジメをつけ、
「…………あー」
髪を握りしめ、頭をがしゃがしゃとかきむしる。それで、少し整理がついた。
「なんだ」
「トーマ、だったな。すまない、少し当たっちまった。……俺もだいぶヤキが周ってるな……」
「なんだ、急にいきり立ち、一体何を考えて……」
「悪い悪い。こっちに居るとさ、つい当たりたくなっちまうのよ。――レイヴンに関しては、まぁ刺激しなけりゃ今すぐ暴れ出すなんてことはねぇよ。探せば、どうにか見つかるさ。幸い、まだ昔に戻ったってわけじゃない」
残っていたコーヒーを飲み干し、新しく注ぎつつ続ける。
「バンにはこのこと話すな。レイヴンの生存は軍の重要機密だろ。それに、宿敵のあいつに話したら余計な混乱を呼びかねない」
「そんなことは分かっている。それよりもお前、レイヴンのことを何か知ってるのだろう!? 俺はそれを訊くために来たんだ」
「話したことで全部だ。他までは知らねぇよ。それより、俺たちを警戒したいんなら、うまくやるんだな。こっちは端から裏の組織だったんだ。潜入したりされたりは、日常茶飯事だったんだぜ? よっぽどうまくやんねぇと、そっちが嵌め殺されるぞ」
「
挑発されればすぐにのる。この程度なら、煙に巻くのは造作もない。
必要な情報は訊き出せた。伝えたいことも伝えられた。それをトーマがどう伝え、どう解釈されるかは、この先を見なければわからない。ただ、先の見えない茨の道は続くのだろう。
自身の中でそうまとめ、ローレンジはにやりと笑みを浮かべる。
「ところでよぉ、お前――フィーネに惚れてるな」
「なっ、な、な、なぜそうなる!!!!」
「その慌て振りが」
「あ、慌ててなど――」
トーマがそこまで口走ったところで、再び部屋をノックされた。バンとフィーネはまだ足止めされているだろう。とすれば、
「頭領、失礼します」
「おう、タリス。ちょっとこのお若い中尉殿の恋の相談に乗ってやってくれ。俺じゃ相手しきれない」
「こっ、ここ、恋!!!? なんでいきなりそんな話が!」
タリスまでもが狼狽するのは想定外だった。口調が素に戻っているのも、その証拠である。
「俺にはそんなの縁遠いことだしさ、ほら、お前なんかないのか? 一目惚れとか、初恋とか」
「縁遠い……」
「おい、タリス?」
「え? あ、……そう、覚えが、ないことは……ないけど……」
歯切れの悪い言い草だが、このまま押し付けるのはちょうど良いかもしれない。トーマは
そう考え、ローレンジは部屋を後にする。
「では色恋軍人のお二人で今後の作戦でも練ってくれ。俺はガキどもに会って、癒されてくるわ」
「お、おい待て! まだ話しは終わって――!」
「ローレ――いえ、頭領! 私からもお話が――!」
言い寄る二人を私室に残し、ローレンジは速やかに離脱した。
廊下を踏みしめ、ぎしぎしと床板が軋んだ。それを耳にし、ローレンジの中で決意が固まる。
――ガイロス、へリック。どっちに見つかったところで、ジョイスの未来はねぇ。だったら、あの馬鹿な悪友は、俺が取り戻すしかない。
犯罪者同士だから、な。