贖罪のゼロ   作:KEROTA

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第9話 REASON 理由

「なるほど、こうなったか」

 

――ワシントン.D.C. 国連航空宇宙局(U-NASA)の最深部にて。

 

 バグズ2号計画の最高責任者――アレクサンドル・G・ニュートンはそう呟いた。

彼の視線の先では、最新のホログラム式のディスプレイに、バグズ2号内での戦闘の決着の様子が映しだされていた。

 

それは、イヴの体に仕込まれたカメラから送られたもの。彼の視点から映し出される映像は、バグズ2号に彼が密航してからの一連の流れをニュートンへと余すことなく伝えていた。

 

「兵器としての運用は期待できんな……土壇場で情にほだされるなど、論外もいいところだ」

 

 教育方針を間違えたかな、などと一人軽口を叩きながら、ニュートンはにやりと笑った。しかし彼の目は笑ってはおらず、不気味にぎらついた眼光を放ちながら、一心不乱に映像を見つめていた。

 

「とはいえ、能力としては一級品か。よくもまあ、たったあれだけの条件でここまでやったものだ」

 

 映像記録を確認しながら、ニュートンは感嘆する。そんな彼の脳裏には、バグズ2号出発の2週間前に、イヴに会った時の事が思い出されていた。

 

あの時、ニュートンがイヴにしたことはたった1つ。このままではドナテロが死ぬと彼の耳元で囁いただけ。ただのそれだけだった。

 

 ――だが、『ただのそれだけ』でイヴは事態を大きく動かした。

 

意図的に誘導をしたとはいえ、そこからイヴは1人で計画を立て、準備を整え、出発前のバグズ2号の厳重な警備をかいくぐり、密航して7日もの間存在を気取らせず、あまつさえ乗組員の中でも上位の戦闘能力を持つ者たちを壊滅寸前にまで追い込んだのだ。

 

「ネイト・サーマンには感謝せねばならんな。よもや我々に、これほどまでのモノを遺してくれるとは」

 

ニュートンの頭脳を以てしても、イヴがここまでの戦力となり得るとは想定できていなかった。それだけ、イヴは規格外なのであろう。いい意味で期待を裏切られ、ニュートンは歓喜せずにはいられなかった。

 

「いいぞ、EVE(イヴ)……君は人類(われわれ)にとって『知恵の木の実』だ」

 

 ニュートンは、誰ともなしにほくそ笑んだ。歪めた口の隙間から、加えた葉巻の煙を吐き出す。

 

「そして――」

 

「――『その実はニュートン一族(われわれ)がいただく』……ですか?」

 

 背後から聞こえたよく通る声に、ニュートンが振り向いた。

 

 そこに立っていたのは、黒い短髪と中性的な顔立ちが特徴の青年――クロード・ヴァレンシュタイン。端正に整った顔を露骨にしかめ、憮然とした様子でニュートンを見つめている。

 

「やあ、ヴァレンシュタイン博士。丁度いいところに来てくれた。ついさっき、日本の本多博士からスシが届いたところだ。よければ――」

 

「そんなことより、どういうおつもりですか?」

 

 茶化すような口調でそう言ったニュートンを、クロードは剣呑さが増した視線で睨みつけた。

 

「どういうつもり……とは?」

 

「とぼけないでいただきたい! なぜイヴをけしかけたのかと聞いているんです!」

 

 あくまでシラをきるニュートンに、クロードが声を荒げた。普段は穏やかな彼にしては非常に珍しいことである。

今にも胸倉をつかみかねない彼の剣幕にニュートンは肩をすくめると、悪びれた様子も見せずに口を開いた。

 

「何、簡単な実用テストだよ。8年間もの時間をかけた数々の実験と研究、それに教育と訓練の集大成を見るためのな」

 

「それらの成果が完全に出るまでには、まだ数年かかると私は報告したはずです!」

 

ニュートンの言葉にクロードが怒鳴り返した。彼は足音荒くニュートンが座る椅子へと歩み寄り、座して画面を見つめているニュートンを睨みつけた。

しかし、ニュートンはそんな彼の怒声にも眉一つ動かさない。それどころか、にやりとその口角を吊り上げてみせた。

 

「何を言っているのかね、()()()()()()()()()()()()()。見たまえよ、彼の戦果を」

 

 そう言って、ニュートンはディスプレイの中に映るイヴを指さした。

 

「小町小吉、ティン、ゴッド・リー、トシオ・ブライト、ルドン・ブルグズミューラー……私が選んだ昆虫の中でも、とりわけ強力な昆虫をベースに持つ彼らを、彼は僅かな利器と貧弱なベース、それに機転だけで制圧して見せたぞ?」

 

「そんなの、結果論でしかないでしょう!」

 

 ニュートンの言葉に、クロードが食い下がった。

 

「幼いイヴを過酷なテラフォーミング計画へと送り出すつもりですか!? ただでさえ、あの子の体に組み込まれているカメムシは肉体の強靭さを欠いている! イヴを火星に送り込むのは危険です!」

 

 矢継ぎ早にそう言いながら、クロードはニュートンに詰め寄った。

 

「『例の生物』の件もある、今すぐに撤退の指示をだすべきです! 悪戯にあの子の命を失うだけだ!」

 

 半ば怒鳴るように、クロードはニュートンに提言した。1人の研究者として、1人の人間として、ニュートンの行為を見過ごすわけにはいかなかった。

だが、当然ながらニュートンがそれを聞き入れるはずもない。

 

「ほう、これはまた愉快な――いや、滑稽なことだな」

 

 そう言って、ニュートンは必死の形相を浮かべるクロードをせせら嗤った。ジロリ、と画面を見つめていた目を動かしてクロードを見つめ、彼は口を開いた。

 

()()()()()()()()()、クロード・ヴァレンシュタイン……一体、どの口でそんな戯言をほざく」

 

「ッ……!」

 

 ニュートンの言葉に、クロードが閉口した。

 彼の脳裏に甦り、思い出されるのは忌々しく、汚らわしい――しかし、決して目を背けることの許されない、自らの過去の記憶。クロードがかつて犯した、とある大きな過ちの記憶だった。

 

「前任のサーマン博士の所業も大概だったが、君もそういう意味では同類だろう? EVE(イヴ)の心配をして善人気取りかね? それとも、情にほだされたか? いずれにせよ、これほど滑稽なことはないな」

 

そう言って、ニュートンは加えていた葉巻を灰皿に押し付けた。青い煙の筋が、次第に細くなっていく。

 

「……それは、今は関係ないでしょう」

 

 俯いたクロードが絞り出すようにそう呟く。そんな彼の様子に、ニュートンは一度鼻を鳴らしただけでこれといった言及はせず、淡々と指示を下した。

 

「いずれにせよ、撤退は許可しない。ドナテロ艦長には任務を続行するよう、改めて伝えてくれたまえ、クロード博士」

 

「……」

 

 歯を食いしばり、無言のままで立ち尽くすクロードから視線を外し、ニュートンは再びディスプレイに向き直った。

 

「――さて、賽は投げられた。知恵の実(イヴ)がもたらした知識は、良くも悪くもこの先の未来を大きく変えるだろう。もっとも、事態がどう転がるのかまでは予想できんがな」

 

 背もたれに体重を掛ければ、彼の腰掛けているイスはギッと、微かに軋んだ音を立てた。

 

「この先、君を待ち受けるのは希望か、はたまた絶望か」

 

 その身を椅子に預け、ニュートンはニタリと笑みを浮かべると呟いた。

 

「――さぁ、運命を覆して見せろ、EVE(イヴ)

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 見知らぬ土地だった。木もなく、建物もなく、見渡す限り苔に覆われた緑の平原。地平線からは青い太陽が顔を出し、地上を照らしている。環境破壊が進んだ現在の地球上では滅多に見られない、雄大の景色だ。

 

 イヴは、そんな神秘的ともいえる景色のただ中に立っていた。

 

 重ねて言うが、そこは彼にとって見知らぬ場所。そもそも、物心ついた時からU-NASAに軟禁されていたイヴにとって、見知った土地などないに等しい。けれどもなぜか、イヴはその場所を知っているような気がした。

 

「……?」

 

 誰かに呼ばれたような気がして、ふとイヴは後ろを振り返る。そして、その顔をパッと綻ばせた。少し離れたところに、彼が慕う人物を見つけたからだ。

 そこに立っていたのは、ドナテロ・K・デイヴスとバグズ2号の乗組員たち。皆が顔に笑みを浮かべ、しきりに手を振ったり手招きしたりしてイヴを呼んでいた。

 イヴも大きく手を振り返すと、彼らに向かって一目散に駆け出す。一歩、また一歩とイヴとドナテロたちの距離は縮まっていく。

 それが嬉しくて、幸せで、イヴは近づいたドナテロの胸に向かって、思い切り飛び込んだ。そして――

 

 

 

 

――次の瞬間、ドナテロの頭部が消失した。

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 何が起きたのか理解できず、イヴが思わず足を止める。

血の気が引くとはこのことか、背筋をうすら寒い何かが走った。拍子抜けするほど呆気なく、ドナテロの体が力なく崩れ落ちる。ドナテロの体が地面にぶつかって立てた音は、妙に乾いた、それでいて生々しい音だった。

 

「ッ! ドナテロさん!」

 

 イヴが悲鳴を上げて、物言わぬ死体となったドナテロへと駆け寄った。ドナテロの体からはまるで飲料が入ったペットボトルを倒したかのように鮮血が流れ出て、苔の緑に覆われた地面を赤く染め上げていく。誰の眼にも、彼が死んでいるのは明らかだった。

 

「嫌だ、嫌だよ! 死なないで、ドナテロさん! 起きてよぉ!」

 

 悲痛な声で叫びながら、イヴはドナテロの体を揺する。当然ながら、返事はない。返事をするための口諸共、頭がなくなっているのだから。

 呼吸が浅くなっていくのがわかる。脳がじりじりと焼けるように痺れ、胸の奥を喪失感にも似た何かが這いずり回った。

 乗組員たちに助けを求めるため、イヴが泣きながら顔を上げる。

 

「み、皆! ドナテロさんが――」

 

 ――結果として彼は、更なる絶望の淵に叩き落されることになる。

 

「あ……う、嘘だ……」

 

 周りにいたバグズ2号の乗組員たちも皆、地面に倒れ伏していたのだ。それは断じて、どれ一つとして綺麗な死にざまではなく。

 あるものは首をへし折られ、あるものは胴体を真っ二つに引き裂かれ、またあるものは四肢を引きちぎられ。各々が恐怖と苦悶に顔を歪めながら、息絶えていた。

 

 その様子は、まさしく地獄絵図。惨劇以外の何者でもない。

 

「うっ……」

 

 悲しみよりも生理的不快感が勝り、イヴは吐いた。視界が涙で滲み、胃の中のものを全て出し切ってもなお、彼の吐き気は収まらない。

 

 やっと吐き気が収まった頃、イヴはふと、自分に誰かの影がかかっていることに気付く。もしかしたら、誰かが生き残っていたのかもしれない。一縷の希望を託して、イヴが顔を上げた。

 

 だが、そこにいたのはバグズ2号の乗組員などではなかった。また、更に言うのであれば――そこにいたのは、人間ですらなかった。

 

 それは、成人男性ほどの背丈をした一匹の生物だった。

 

 その姿をあえて形容するのであれば『原始人』という表現が近い。しかしながら、全身を覆う黒い甲皮、頭部から生えた触角、そして臀部から生えた何らかの器官が、彼らが霊長類の仲間でないことを如実に示している。

 

「こ、これって……」

 

 その正体を悟り、イヴの顔が青ざめた。そう、彼はこの生物を知っていた。なぜならば、これこそがイヴが最も恐れていた『火星の怪物』だったから。

 

「がっ!?」

 

 次の瞬間、イヴの体は空中に浮いていた。いつの間にか喉を鷲掴みにされて、怪物の顔と同じ高さにまで持ち上げられていた。その握力は強く、とてもではないが振りほどくことはできない。

 

「く、あっ……!」

 

 呼吸ができず、苦しそうにもがくイヴを、その生物はまじまじと観察するように見つめた。一切の感情が見えない無機質な眼で、まるで機械か何かの様にイヴの瞳を覗き込んでいる。

 

「――」

 

 息が吐きかかるほどの距離で、その生物は口を動かして何かを呟いた。同時に、イヴの喉に加わる力が一層強くなる。

 

「……!」

 

 いよいよ呻き声すら漏らせずに、イヴが声なき悲鳴を上げた。骨が軋み、ひび割れ、砕けていく音が体の中から鼓膜に響く。口から血泡を吹くイヴを、その生物は相変わらず無感情に見つめ続けた。

 

 やがて何かが潰れたような、折れたような音が聞こえたかと思うと、イヴの意識は、闇の中に飲まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁっ!」

 

 自分の悲鳴で、イヴの意識は一気に覚醒した。上半身を思い切り起こしたせいで、体に掛けてあったタオルケットが床に落ちる。

 

「……って、あれ?」

 

 イヴは慌てて自分の喉元に手を当てた。ぺたぺたと何度も触って確認するが、折れているようすも千切れている様子もない。

 続けて、周りを見渡す。そこは屋外ではなく、人工建造物の中であった。

 

「夢……?」

 

 先ほどまでの光景が夢であったことを悟り、イヴは安堵の息をついた。未だに彼の心臓は早いペースで胸を叩いており、先程見た夢の恐ろしさの余韻をイヴに味わわせていた。

 

「フン。目ェ覚ましたか」

 

 背後から聞こえた低い声に、イヴは振り向いた。そこにいたのは、バンダナとマントを身に纏った強面の男性――ゴッド・リー。彼は壁に背中をあずけるようにして床の上に座り、ナイフの手入れをしていた。

 

「リーさん? あれ、そういえばボクって……」

 

「十二時間」

 

 イヴの言葉を遮るように、リーが言った。

 

「あれから十二時間程経った。その間、お前は寝コケてたわけだが……」

 

「は、半日も!?」

 

 イヴが素っ頓狂な声を上げた。緊張の糸が切れたからとはいえ、随分と長い間眠っていたようだ。

 

「ああ、爆睡だったぜ。もっとも、随分うなされてたようだがな」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 リーの状況説明を聞いていると、イヴはふと室内が騒々しいことに気が付いた。

 

 騒がしさの原因と思われる方向へとイヴが視線を向けると、そこでは小吉を始めとした乗組員たちが何やら話し合いを行っていた――というより、どちらかといえば言い争っていた。

 

「リーさん、あれって……」

 

「ああ……丁度、お前のことで話し合ってるところだ」

 

 未だイヴが起きたことに気が付いているものがいない。おそらく、それだけ議論が白熱しているのであろう。乗組員たちはどうやら2つのグループに分かれているらしく、テーブルを挟むようにして分かれて座っている。

 

「かなり揉めてるぜ。なんせ、意見が真っ二つに割れてるからな」

 

「……」

 

 リーの言葉に、思わずイヴは俯いた。自分がしたことが間違いであったとは、決して思わない。だが、自分のせいで乗組員たちが険悪な状況になっていると知れば、罪悪感を感じるのも無理からぬことであった。

 それを見たリーが鼻を鳴らした。

 

「……と言っても、お前が気にする必要は微塵もねぇが」

 

「えっ?」

 

 リーの言葉の意味が分からずに、イヴが驚きの声を上げる。リーは気休めや慰めでそのような言葉を口にするタイプの人間ではない。七日間、乗組員たちを密かに観察してきて、イヴはそれを理解していた。だからこそ彼は、リーの言っていることが理解できなかった。

 

「あいつらが言い合ってる内容をよく聞いてみろ」

 

「……?」

 

 心底どうでもよさそうなリーに促され、イヴは疑問を抱きながらも頷いたその時、小吉が苛立たし気に声を張り上げた。

 

「だーかーらー! さっきから言ってるだろ! 『チャーハン』と『カイコガのフライ』にしとくべきだって、ここは!」

 

「……えっ?」

 

 先程とは違うニュアンスで、イヴは驚きの声を漏らした。

 

「チャーハンならきちんと野菜系の栄養もとれるし、カイコガは普通の肉レベルのたんぱく質がある! ここはがっつり行くべきだ!」

 

 小吉の力強い言葉に、彼のサイドに座っていたジョーンとフワンが激しく頷き、トシオとルドン、ウッドが「そうだー!」と賛同した。

 

「だーかーらー! それこそさっきからこっちも言ってるだろ!?」

 

 そんな小吉に、負けじと奈々緒が言い返した。

 

「シンプルに『野菜入り豆乳がゆ』と『味噌汁』にすんのが絶っっっっっ対にいいってば! こっちの方が胃に優しいでしょ!?」

 

 奈々緒の主張にマリアとジャイナが同意の声を上げ、ティンが静かに頷く。本気で耳を疑ったイヴだったが、どうやら聞き間違えではないらしい。

 

「あの、リーさん」

 

「……何だ?」

 

「皆、何について話し合ってるの?」

 

 イヴの至極もっともな疑問に、リーは深いため息をつきながら、いかにも面倒くさそうに答えた。

 

「……今日の晩飯の献立を何にするかって話だ」

 

「いや、それは聞いてればわかるんだけど……」

 

 困惑するイヴに向かって、リーは「言葉が足りなかったな」と言ってさらに口を開いた。

 

「より厳密には、()()()調()()()()()()()()()()()()()()()()についてだな」

 

 彼の言葉に、イヴは思い出した――バグズ2号に乗り込んでから、一度も食事をとっていないことに。

 

 実はカメムシ類は、基本的に飢餓への耐性が高い。種類によっては飲まず食わずで50日もの間生き続けることができるという研究結果さえ出ているほどだ。当然ながら、一週間の断食断水など屁でもない。

彼はこの特性を利用し、見つかる可能性をより低めるために、絶食状態を維持していたのだが――。

 

「艦長の話だと、イヴは大分痩せちまってるんだろ? だったら、精のつくものをがっつり食わせた方がいいって! こっちには『チャーハンの鉄人』フワンがいるから、絶対に美味いチャーハンができるぞ!」

 

「逆だ逆! いきなりそんなギトギトの物を食べたら、お腹壊しちゃうでしょうが! こっちには『豆乳の申し子』であるティンがいんのよ!? 美味しくてヘルシーで、しかも満腹になりそうな料理を作ってくれるに決まってるでしょ!」

 

「いや、俺はただ好きなものが豆乳ってだけなんだが……」

 

 ――どうやら、絶食の情報はドナテロ経由で伝わったらしい。がっつり派とあっさり派の二つに割れた彼らはそんなイヴ本人の事情などつゆ知らず、夕飯メニュー談議で盛り上がって(?)いた。

 

「お前の処遇は見ての通りだ。詳しいことは後で艦長から説明が入るだろうが……状況が状況だ。酷い目には合わねぇはずだから、安心しろ」

 

 どいつもこいつも甘ぇとぼやき、リーは手入れを終えたナイフを鞘へと納めた。

 

「ってああー!? イヴ君が起きてる!?」

 

 その時、イヴが起きたことに気付いた奈々緒が声を上げ、乗組員たちが一斉にイヴの方へと顔を向けた。その声の大きさと自分に向けられた視線に、イヴがビクリと身をすくめた。

 

「マジで!?」

 

「あ、ホントだー」

 

「俺、艦長呼んでくる!」

 

 それまでテーブルについていた乗組員たちは口々に言いながら、イヴを取り囲むようにわらわらと集まってきた。皆、非常に興味深そうな表情を浮かべながらでイヴのことを見つめている。

 

「何だ、起きてたんなら一言言ってくれりゃよかったのに!」

 

「体調は大丈夫なのか?」

 

「半日も寝てたから、心配したぞ」

 

 小吉、ルドン、ジョーンが次々に話しかけてくるも、いきなりのできごとに硬直したイヴは答えることができない。どうすればいいのか分からずにおろおろとしているイヴを見かねて、奈々緒が声を上げた。

 

「ほら、男共は下がってろ! イヴ君怖がってるでしょうが!」

 

 奈々緒が邪魔だと言わんばかりに手を振ると、数人がブーイングの声を上げた。「何だとゴリラ!」「ゴリラはどっちだこのゴリラ!」の言葉を皮切りに、イヴそっちのけで小吉と奈々緒の口喧嘩が勃発した。

 

「イヴ君、よく眠れた?」

 

 小学生レベルの舌戦を繰り広げる2人を尻目に、マリアが聞いた。明るくも落ち着きのある彼女の口調に、イヴの緊張が僅かにほぐれる。

 

「う、うん」

 

 ぎこちないながらもイヴが返事をすると、マリアは「よかった」と柔らかい笑みを浮かべた。すると、彼女の背後からひょこりと一人の少女が顔を出した。

 

「え、えっと……イヴ君? どこか痛いところとかはない?」

 

 ジャイナだ。イヴに怯えているのか、あるいは単純に子供に接するのに慣れていないのか、やや表情を強張らせながら彼女はイヴに聞いた。

 

「だ、大丈夫……」

 

 イヴが頷くと、ジャイナは安堵の表情を浮かべてほっと胸をなでおろした。イヴのことを相当気にかけていたのだろう。つられてイヴもため息をつく。

 自分を挟んで繰り広げられる微笑ましいやりとりに笑みをこぼしながら、マリアはイヴに話しかけた。

 

「色々と聞きたいこともあると思うけど……汗を一杯かいてるみたいだし、まずはシャワーを浴びて来たほうがいいんじゃないかな。風邪をひいちゃうとよくないし」

 

「あ、それもそうだね」

 

 マリアとジャイナの会話で、イヴは初めて自分が大量の汗をかいていることに気が付いた。おそらく、先程見た夢の影響だろう。着ていた衣類は不快に湿り、前髪は濡れてぺったりと額に張り付いている。

 イヴの額に浮かんだ汗を、ピンクの刺繍が施されたハンカチでぬぐいながら、マリアはティンに呼びかけた。

 

「ティン、悪いけどイヴ君をシャワールームまで――」

 

「あ、あのっ!」

 

 マリアの声を遮るように、イヴが大きな声を上げた。子供特有の高い声は予想以上にミーティグルーム内に響き渡り、喧嘩をしていた小吉と奈々緒も含めた全員が、再びイヴを見つめた。一斉に向けられた視線にイヴの心臓が跳ね上がるが、それでも言葉を続ける。

 目が覚めてから、ずっと抱いていた疑問を解消するために。

 

「どうしてボクに、そんなに優しくしてくれるの?」

 

 それが、イヴには不思議でならなかった。なぜ彼らが、こんなにも親し気に自分に接してくれるのかが。

 

「ボク、密航者なのに」

 

――自分は密航者である。任務を遂行する上では邪魔者でしかないはずだ。

 

「皆に、ひどいことしたのに」

 

――自分は加害者である。乗組員たちと交戦し、そして手傷を負わせた。

 

「なのに、何で?」

 

 それにも関わらず、この場にいる者は誰一人としてイヴに悪感情を向けていない。それどころか、気遣うような様子さえ見せている。

 

 一体、なぜ?

 

「なんだ、そんなこと気にしてたのか」

 

 その言葉を発したのは、小吉だった。彼はどこか後ろめたそうなイヴに向かって、呆れたような顔で続けた。

 

「別に気にしなくていいぜ? つーか、俺らもそこまで気にしてないしな」

 

「で、でも――」

 

「小吉の言う通りだよ。だって君、()()()()()()()()()()()()()()()? いや、あたしらも詳しく聞いたわけじゃないから、細かい部分は分かってないんだけど」

 

 奈々緒がそう言いながら「ねぇ?」と周りに同意を求めると、全員が一斉に首を縦に振った。

 

「君が寝てる間に、艦長からある程度の話は聞いたよ。イヴ君がこの艦に乗り込んだのは、私達を助けるためなんだよね? だったら、君がやったことは絶対に間違いなんかじゃない」

 

「そうそう、会ったこともない奴らのために密航するなんて、誰にでもできることじゃないって」

 

「お前のおかげで俺達も前もって危険を知ることができたしな」

 

「そもそも、お金がない私達のために命を懸けてくれたってだけでも嬉しいしね」

 

「ほら、皆もこう言ってるぞ?」

 

 小吉がニヤッと笑いながら言ったその言葉に、イヴは自分の胸がスッと軽くなったのを感じた。

 

――責められると思った。

 

――怒鳴られると思った。

 

――嫌われると思った。

 

 そうなることも全て覚悟の上で、イヴは行動を起こしたつもりだった。しかし、いざ彼らに嫌われるかもしれないという状況下におかれ、今の今までイヴの胸には重い不安がのしかかっていた。

 それが今小吉たちによって払拭され、代わりに彼の心を温かい何かが満たした。

 

「あ、えっと……」

 

 イヴは少しの間恥ずかしそうに口ごもっていたが、やがて思い切ったようにその言葉を口にした。

 

「……ありがとう」

 

「いいってことよ!」

 

 照れたようにそう言ったイヴに、乗組員を代表して小吉が返した。それから「ああ、でもお礼は艦長に言ってくれ」と、彼は言葉をつけ足す。

 

「あの人、お前のことを『本当は優しくて、思いやりのあるいい子なんだ』って何回も言っててさ。普段の艦長からは考えられないくらい必死に、お前のことを擁護してたんだ。だから、あの人にもちゃんと「ありがとう」って言うんだぞ?」

 

 小吉の言葉にイヴが力強く頷いた丁度その時。鉄製の自動ドアが開き、ドナテロを先頭にして、この場にいなかった乗組員たちがぞろぞろとミーティングルームに入ってきた。

 

「おっ、丁度いいな。ほらイヴ、言ってこい!」

 

小吉に背中を押されたイヴはベンチから降りるとドナテロに駆け寄った。

 

「ドナテロさん! ありがとう!」

 

 イヴは元気よくドナテロにそう言うと、彼の両足にギュっと抱き着いた。いきなりの出来事にドナテロが一瞬動きを止めるが、イヴに向かっていい笑顔で親指を立てる小吉を見つけ、彼は合点がいったと言わんばかりの表情を浮かべた。

 

「やっぱりお前か、小吉。イヴには言うなとあれほど念を押しただろう」

 

「まぁまぁ、いいじゃないですか艦長。減るもんじゃないですし」

 

 呆れたようにため息をついて見せながらもどこか嬉しそうなドナテロに、小吉が言った。部下に内心を見透かされた照れ隠しに、ドナテロはもう一度だけ大仰にため息をつくと、乗組員たちに言った。

 

「……全員着席。今から、イヴを交えてミーティングを行う」

 

 ドナテロの指示を受け、乗組員たちが再び席に着く。ドナテロはイヴの手を引くと、艦長用の席に最も近い位置へと座らせ、自らも席に着いた。

 全員がその場にいることを確認すると、ドナテロが口火を切った。

 

「では、ミーティングを始める――と言っても、今からするのは事実確認の側面が強いがな」

 

 そう言うと、ドナテロはイヴの方へと顔を向けた。

 

「まずは密航者、イヴの処遇についてだ」

 

 ドナテロの真剣な眼差しに、思わずイヴはピンと背筋を伸ばした。

 

「先ほども皆には伝えたが、これからイヴには『バグズ2号の乗組員として』火星での任務へと同行してもらう。地球側にも協議したが、やはり撤退は許可できないとのことだ」

 

 彼の口から告げられた事実に、イヴは落胆の色を隠せなかった。寝ている間に地球へと引き返すよう指示が出ているかもしれない、という淡い希望は断たれた。

 

 しかしイヴは、乗組員達を助けるという目的もまた、諦めるつもりはなかった。

 

 思い通りにはならなかったものの、まだ自分にできることはたくさんある。ならば自分はその状況下での最善策を打ち、目的を達成するだけ。

 

「乗組員である以上、イヴにもしっかりと働いてもらう。過度に仕事を押し付けるような真似はしないが、甘やかすつもりもない。与えられた仕事はきっちりとこなすこと。いいな?」

 

「はっ、はい!」

 

 決意と共にイヴが返事をすると、ドナテロは「よし」と言って話を続けた。

 

「さて、ではここからが本題だ。イヴ、今からお前にいくつか質問するから、答えられる範囲で答えてほしい」

 

 イヴが神妙に頷いたのを確認して、ドナテロは最初の質問を投げかけた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉に、ミーティングルーム内の空気が一気に張りつめたのをイヴは感じた。普段は陽気な小吉でさえ、その顔に険しさを浮かべている。全員に注目される中、イヴはゆっくりと喋り始めた。

 

「テラフォーマー。それが、火星の怪物の名前だよ」

 

 静まり返った室内に、彼の言葉はどこか不気味に響き渡った。

 

 

 

 

 ――21世紀。火星を人類の生活圏とすべく実行された『テラフォーミング計画』により、火星には二種類の生物が放たれた。

 

 苔と、ゴキブリである。

 

 当時、火星の温度は平均マイナス58℃。北極の平均気温はマイナス34℃であることから、想像を絶する気温の低さであることがわかる。気圧が低すぎるがゆえに太陽光を吸収できない極寒の火星は、到底人間が住みうる環境ではなかったのだ。

 

 そこで科学者たちは、火星の地表を黒く染め上げ、太陽光を集めて火星の温度を高めようと考えた。

 そして選ばれたのが、ゴキブリ。過酷な環境下でもしぶとく生き残ることができ、適応し、瞬く間に繁殖していくこの生物は、この計画にはまさしく適任であった。科学者たちは彼らのエサとなる苔と共に、ゴキブリを火星へと放った。

 

 ――それが、大きな過ちであるとも知らずに。

 

 

 

 

「そのゴキブリ達が500年の間に進化した生物が、テラフォーマー。一言で言っちゃうと、『ゴキブリ人間』っていうのが一番近いと思う」

 

 説明するイヴの脳裏に浮かぶのは、夢に出てきた黒い人型の怪物。ゴキブリの特徴を残しながらも、地球のゴキブリとは似ても似つかぬ異形の生物だった。

 

 

 

 ゴキブリは、不気味なその見た目と衛生的な被害をもたらすことから人々に『害虫』の烙印を押され、淘汰されている。しかし、多くの人々は知らない。害虫と侮蔑するこの虫が、驚くべき数々の能力をその身に秘めていることを。

 

 例えば、筋力。条件さえ整えば、ゴキブリは時にカブトムシにも匹敵するほどの力をみせることさえあるという。

 

 例えば、瞬発力。諸説あるが、ゴキブリは人間大にすれば一歩目から時速320kmもの速さで走り出すことができるという。

 

 例えば、知能。昆虫でありながらエサを与えてくれる者に懐くだけの『知性』が報告されており、追い詰められればその知能はIQ340にも及ぶと言われている。

 

 

 

「そういった元々ゴキブリが持っていた能力を、テラフォーマーは人間大で使うことができるんだ。ちょうど、バグズ手術を受けた皆みたいに」

 

 その言葉に、乗組員たちは、身の毛がよだつのを感じた。

 

 バグズ手術によって、自分たちは生身の人間とは比較にならない程強靭な肉体を手に入れている。だが話を聞く限り、テラフォーマーという生物はそれと同等の――あるいはそれ以上の力を持っているらしい。であれば、それはまさしく『怪物』。何も感じない方がおかしい。

 

「は、話し合いとかはできないのか? ほら! 某SF映画みたいに、指と指を合わせてお互いにわかり合うー、とかさ!」

 

 小吉が冗談めかして言うが、イヴは首を横に振った。

 

「小吉さんは、ゴキブリと指を合わせたいと思う?」

 

「死んでも嫌だ。触りたくもねぇ」

 

「うん、そうだよね。だけど、()()()()()()()()()()()()()。あいつらも、ボクたち人間を強く嫌ってる」

 

 イヴの言葉に、乗組員たちは言葉を失った。ゴキブリ側から自分たちがどう思われているのかなど、考えたこともなかった。

 

「ボクらは遺伝子レベルで、お互いへの憎悪が刻み込まれてしまってる。だから、分かり合うのは無理なんだ。実際、20年前に火星に行ったバグズ1号の乗組員たちは皆、テラフォーマーに殺されてしまっている……ボクが知ってるのは、このくらいかな」

 

 イヴが話し終わると、乗組員たちがざわつき始めた。事前にドナテロから聞かされてはいたものの、改めて言われると応えるものがあった。

 

 ――そして同時に、恐怖を抱かずにはいられない。

 

 もしも奴らとの力関係が逆転した場合――果たして、害虫として駆除されるのはどちらなのか?

 

「全員、静粛に」

 

 不安げな表情を浮かべる乗組員たちに向かって、ドナテロは手を鳴らした。乾いた音が室内に響き、全員が再び口を閉じた。

 

「テラフォーマーについての具体的な対策は、また後で話し合うことにする。幸い、火星に着くまで時間はあるからな。それよりも今は、認識のすり合わせと情報共有を優先するぞ」

 

 ドナテロの指示で、浮足立っていた乗組員たちが徐々に落ち着きを取り戻す。完全に場が静まったのを確認したドナテロは、再びイヴへと視線を向けた。

 

「イヴ、次の質問だ。その情報をどこで知った?」

 

 ドナテロにそう問われたイヴは、困ったような表情を浮かべながら答えた。

 

「えっとね、ボクが自分で調べたんだ」

 

「……何だと?」

 

 ドナテロが思わず聞き返すと、イヴは慌てて手を振った。

 

「あ、一から十まで全部調べたわけじゃないよ!? まず最初に、ニュートンさんがボクにテラフォーマーの存在を教えてくれて、その後でボクが資料を探して調べたの」

 

「……詳しく聞かせてくれ」

 

 ドナテロにそう言われ、イヴは自分がテラフォーマーのことを知るに至った経緯を説明し始めた。

 

 

 

 遡ること三週間。バグズ2号打ち上げの二週間前のことである。ドナテロとイヴが別れた直後、謀ったかのようなタイミングで現れたニュートンはイヴに言った。

 

『このまま放っておけば、デイヴス艦長は死ぬぞ。進化した火星のゴキブリによって、彼は殺される』

 

 ――と。

 

 当然ながら、その言葉を鵜呑みにする程イヴは馬鹿ではない。しかし同時に、イヴはそれを戯言と切って捨てる程に軽率でもなかった。その場は適当に取り繕ったものの、ニュートンの言葉は、まるでしこりのように彼の心に違和を残した。

 

「だからボクはその日の夜、クロード先生の資料を漁ってみたんだ。研究総責任者の先生なら、何か知ってるかもしれないと思ったから」

 

 ――果たして、彼の予想は的中した。

 

 クロードが持つデータには、進化した火星のゴキブリ『テラフォーマー』についての詳細な情報が記されていたのだ。そしてそのデータは、皮肉にもニュートンの言葉を肯定するものでもあった。このまま何も知らずに火星への任務に赴けば、文字通りバグズ2号の乗組員たちが全滅しかねない。テラフォーマーは、それだけの危険性をその身に秘めていた。

 

 ――一刻も早く、バグズ2号の火星行きを止めなくては。

 

 それが、真っ先にイヴの頭に浮かんだこと。

 しかし同時に、それが難しいことにも彼は気づいていた。これ程までに重要な情報をドナテロ達が知らないのは、何者かが裏で情報操作をしているからに他ならない、ということに。

 

 クロードを頼っても無駄だろう。おそらく彼も情報操作を『している』側の人間だ。手元にこれだけデータが揃っているにも関わらず、乗組員にそれを伝えていないのが動かぬ証拠。意図は不明だが、彼を迂闊に頼ることは、結果的に自分で自分の首を絞めかねない。

 

 ――ならば、どうするか。

 

「それでイヴ君がとった手段が、この艦への密航?」

 

 奈々緒の問いにイヴが頷くと、また思い切ったことをしたなぁ、と言わんばかりに数人が苦笑いを浮かべた。

 

 ――自らがバグズ2号に密航し、計画そのものを頓挫させる。

 

 それが、彼の立てた計画。誰かを頼れないのならば、自分でやるしかない。そんな思いと共に、イヴは密かに準備を始めた。

 

 ――友達(ドナテロ)のため、友達の友達(乗組員達)のために。

 

 彼は全霊を賭して計画を進めていった。

 

電気警杖(スパークシグナル)とか手錠とかの道具は、二週間かけてU-NASA中の研究室から集めた。皆の細かい情報は、先生が管理してるデータを直接見たんだ。略歴とか、ベース生物とかもこの時に覚えた」

 

 イヴの説明に、小吉が納得したように手を打った。

 

「成程! だから俺達のベース生物を知って――」

 

「いや待て、小吉。こいつの話は腑に落ちねェ部分がある」

 

 しかしそこで、彼の言葉を遮るようにリーが声を上げた。自分に集まる注意を気にも留めず、リーはイヴに聞く。

 

「おい、ガキ。今更お前の言うことを疑うつもりはないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 リーの発言に、一同がはっと顔を見合わせた。

 

「セキュリティに守られた情報の閲覧、厳重に管理されている武器の持ち出し、計画の隠蔽……とてもじゃねぇが、ガキにできることじゃねぇ」

 

「た、確かに……」

 

 ――なぜ、言われるまで気づかなかったのか。

 

 リーの言葉を聞いた乗組員達は、一様に同じ思いを抱いた。

 言われてみれば――否、言われるまでもなく、イヴの行動は明らかに子供にできる範疇を越えている。あるいは、例え大人であったとしても難しいだろう。スパイ映画の主人公ならばいざ知らず、現実でそれだけのことを実行するには相当な労力と技術が必要なはずだ。

 

「……俺もずっと疑問だったんだが」

 

 と、それまで聞きに徹していたティンが口を開いた。

 

「なぜイヴにはバグズ手術のベースが三つもあるんだ? いや、そもそも……お前が俺達との戦闘の時に見せたあの力は、本当にバグズ手術で得たものなのか?」

 

 ティンの言葉にイヴが黙り込んだ。その顔には難しそうな表情が張り付いており、何かを躊躇っているかのようにも見える。言うべきか、言わざるべきか。2つの相反する意見が、彼の中でひしめき合う。

 少しの沈黙の後に、彼は多少踏ん切りがついたような様子で口を開いた。

 

「……そうだよね。言わなくちゃ、ダメだよね」

 

 その呟きは、まるで自分に言い聞かせているかのように聞こえた。どこか辛そうな彼の様子に、小吉が慌てて口を挟んだ。

 

「い、言わなくたっていいんだぞ、イヴ! そんなに辛いことなら無理しなくても――」

 

「ありがとう、小吉さん」

 

 しかし、小吉のそんな言葉にイヴは頭を振らなかった。

 

「でもね、ボクは皆のことを全部知ってるのに、自分のことを隠すのは不平等だよ。それに……皆には知っててほしいんだ、ボクの事」

 

 そう言ってイヴはほほ笑むと、佇まいをスッと直した。それから、自身を見つめる乗組員たちの目をゆっくりと見つめ返していった。

 

「えっとね……リーさんとティンさんの疑問に答えるためには、まずボクが()()()()を説明しなきゃいけないんだ。だからちょっと不愉快かもしれないけど、最後まで聞いて欲しい」

 

 そう言うと、イヴは大きく息を吸った。一瞬だけ止めてから、肺の中の空気をすべて吐き出す。それから更に一拍置いて呼吸を整えると、イヴは話し始めた。

 

 

 

「ボクの本当の名前は、EVE-325。ボクは7年前に1人の狂人(かがくしゃ)に造られた、人造人間なんだ」

 




【オマケ】 U-NASAにて

クロード「あ、それはそれとして、スシはもらいますね」

ニュートン「えっ」

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