贖罪のゼロ   作:KEROTA

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狂想賛歌ADAM-8 凶竜蹂躙

 

 

 無理を押して再出撃した幸嶋が千桐との決闘に勝利し、ついに限界を迎えてぶっ倒れ、駆け付けた医療班にお叱りを受けながら緊急搬送されたのと同時刻。

 

 国家の存亡をかけた激戦が繰り広げられるワシントンD.C.中心部(チェス盤)──にほど近いオフィス街の一角にて。

 1人、1匹、そして1体によって繰り広げられていた三つ巴の死闘が、決着を見ようとしていた。

 

「こんだけやっても倒れねぇのかよ、めんどくせぇ」

 

 1人──この前線に立つ唯一の人間、第七特務の隊長である“ギルダン・ボーフォート”はぼやく。

 人為変態により両腕に発現したノコギリのような顎は所々が刃こぼれし、全身を覆う漆黒の甲皮は至る箇所が裂けている──かつて戦場において『無双』の異名で恐れられた歴戦の元傭兵は、その顔に隠しきれない疲労を浮かべている。

 

「グゥアルル……」

 

 1匹──この前線に突如乱入した猛獣、アメリカ合衆国が秘密裏に開発した生物兵器“シーザー”が低く唸る。

 一定時間ごとに放出される変態薬により、メリュジーヌとの戦いで負った傷は既に完治している。だが『万獣の帝王』の体にはそれを上回る痛々しい傷が刻まれ、少なくない量の血が進行形で流出していた。

 

 ……と。

 

 ここまでの描写を見ると、あたかもギルダンとシーザーが戦っていたかのように見えるが、事実はそうではない。両者は対峙するのではなく、()()()()()()()──共闘というと些かの語弊があるが、彼らは同じ脅威へと牙を剥いていたのである。

 

 当然ながらそれは『同じ蟻ベースのよしみで絆が生まれた』だとか、『敵の敵は味方』だとか、そう言った小難しい理由によるものではない。至極単純な話、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ハァーッ、ハァーッ……!」

 

 先の1人と1匹に相対する1体──この戦禍の元凶たる赤の怪物(モンスター)“ヴォーパル”は、息を荒げながら眼前の敵を睨む。その顔に、これまでの彼が浮かべていた余裕の色はない。この盤外戦において、追いつめられていたのは間違いなくヴォーパルの方だった。

 

 ──それはいくつもの要因が重なった、当然の帰結であった。

 

 地球に到着してから、ヴォーパルはベネズエラからワシントンD.Cまで、ほぼ休みなく進撃を続けたことで疲労が蓄積していたこと。

 

 先刻の戦いで左腕を捩じ切られ、ヴォーパルが血を流しすぎていたこと。

 

 ワシントンD.C.の最終防衛ラインで迎撃を命令されたのが、肉弾戦において『人類最強』に準ずる実力を持つギルダンと、彼の率いる第七特務だったこと。

 

 その彼すら防戦に徹せざるを得なかったヴォーパルに、黒の僧侶(ビショップ)を屠り駆け付けたシーザーが襲い掛かったこと。

 

 ギルダンとシーザーが、即座に挟撃を選択したこと。

 

 彼らのベースとなった蟻の筋力と爪牙が、ヴォーパルの全身を覆う重厚な皮骨板(オステオダーム)による防御力を上回っていたこと。

 

 あらゆる生物の中で最強の自分でも潰せない生物がいることに、ヴォーパルが少なからず動揺していたこと。

 

 ──先刻、自分が瀕死の幸嶋隆成に気圧されて逃げ出した事実がトラウマとなり、ヴォーパルの動きを少なからず鈍らせていたこと。

 

 生まれながらに外敵のいない火星という温室、そこで育った彼は思いもしなかったのだ。地球の生態系において、捕食者と被食者などあっさり引っ繰り返される立ち位置でしかないことを。

 

まじキャパい……ぴえん

 

 いつになく弱弱しく呟くヴォーパルに、しかし地球の捕食者は一切の容赦をしなかった。当たり前である。道路が砕ける程の勢いで、シーザーが飛び掛かる。

 

「ガァルルルルル……ガッ!?」

 

 憂いを湛えたヴォーパルはしかし、戦闘生命体の名に恥じぬ反射でシーザーを迎え撃つ。ブルドッグアントの甲皮を貫き、ヴォーパルの尖爪が肉に抉り込む。それに苦し気な声を上げながらも、シーザーは吹き飛ばされる間際、その前脚をヴォーパルの頭に叩きつけた。

 

「ッ、やばたにえんッ……!?」

 

 ぐらりと傾いた体を、ヴォーパルは咄嗟に立て直す。シーザーの反撃が、軽度の脳震盪を引き起こしたのである。ブルドッグアントの脚力により強化されたライガーの一撃を受けてそれで済むあたり、怪物という他ない。

 しかしその硬直は、もう1人の戦士にとってあまりにも大きな隙だった。

 

「やっと隙を見せたな」

 

 その言葉と同時、懐を飛び込んだギルダンが大顎を振るった。これまでの比ではない激痛と共に、ヴォーパルの視界の半分が暗転する。蟻の大顎が、彼の左目を潰したのだ。

 

「ッ!?」

 

 ヴォーパルが怯んだ、僅か数秒。その数秒に勝機を見出したギルダンは、迷うことなく叫んだ。

 

「今だ、()()()()ッ!」

 

 

 

「承知しました」

 

 

 

 合図を受けて飛び出したのは、ギルダンがこの戦いに同伴させていた第七特務の隊員の一人、カローラ・プレオベール。

 この世で最も強靭な糸を紡ぐ蜘蛛『ダーウィンズ・バーク・スパイダー』の特性を持つ女性隊員である。

 

「人為変態──ノンナ、合わせてください」

 

『了解!』

 

 特性を発現させたカローラに、通信機の向こうから元気な応答が届く。彼女が無数の糸を生成すると同時、どこからともなく飛来した無数の超小型ドローンがそれを掴み、編隊を組んでヴォーパルへと向かう。

 

「 や ば た に え ん ッ ッ ! ? 」

 

 狙いを理解したヴォーパルは、滅茶苦茶に腕を振り回す。が、無駄な抵抗だった。その巨腕は何機かのドローンを叩き落すことこそ成功したものの、打ち漏らした大多数がヴォーパルを雁字搦めに縛り上げる。すかさずドローンから内蔵されたアンカーが周囲の建物や道路、設置物に打ち込まれ、悪鬼の体を完全に固定した。

 

「ぐ、ぐぬぅうぅう──!」

 

 自由の女神よろしく、右腕を上げたまま硬直したヴォーパルは身を捩じるが、束縛はビクともしなかった。

 

 蜘蛛の糸は一般に『鉛筆ほどの太さがあれば突っ込んでくる飛行機を止められる糸』と言われるが、ダーウィンズ・バーク・スパイダーが紡ぐ蜘蛛糸は、更にその倍以上の強度を誇る。

 

 例え赤の怪物(モンスター)が相手であろうと、その糸がちぎれることはない。

 

『アンカー固定完了! 皆、撃って!』

 

 ノンナの声に、建物に身を潜めていた第七特務の隊員たちの構えた銃が、一斉に火を噴いた。

 幸嶋が確保したサンプルから、ヴォーパルの皮膚強度は既に判明している。彼らの銃に装填されているのは、それを貫けるだけの威力を有した麻酔弾である。

 

「ぬ、ぬぐうぅううぅうううう!! ……ぐう」

 

 四方八方からそれを撃ち込まれたヴォーパルはなおも呻くが……間もなく、いびきを上げながら眠りについた。

 

「よくやった、お前ら」

 

「ふぅ……ここまで生きた心地のしない任務は初めてでしたよ」

 

『えへへ、まぁねー』

 

 奮闘した部下を労いつつ、ギルダンは疲労困憊といった様子で息を吐く。

 

 ──槍の一族との戦いを終えた直後、おそらくはフランスの陰謀計略により、上層部から国家反逆罪の疑いをかけられたダリウス・オースティンと第七特務。

 

 数日に及ぶ軟禁から解放された彼らに息つく間もなくU-NASA上層部に与えられたのは、アメリカ首都の防衛任務であった。

 

『ワシントンD.C.へ進撃する『ヴォーパル』を名乗る怪物の捕獲』

 

 とんでもねぇ無茶振りである。これに対してクロードは「作戦遂行目標を『完全抹殺』とすべき」と猛抗議したらしいが、アダム・ベイリアルの脅威をいまひとつ理解していない上層部は難色を示し、最終的には『原則捕獲、やむを得ない場合に限り殺害を許可』という譲歩を引き出すとどまった。

 

 かくして可能な限りの装備を整え、休む間もなく薄氷を渡るような任務に駆り出された第七特務であったが──それも8割がた完了した。

 

「帰ったら有休と特別ボーナスを申請します。よろしいですね、隊長?」

 

「当たり前だ。セドリックの奴が何と言おうと俺が許す」

 

 ──こいつらは本当によくやっている。

 

 カローラやノンナ、そして動き出した他の部下たちを見やりながら、ギルダンは思う。自分にできることはそう多くはないが、せめてそのくらい報いてやらねば上司失格だろう。

 

「だが今は、目の前の任務に集中だ」

 

 空気を切り替えるように手を叩くと、ギルダンは指示を飛ばす。

 

「いいかお前ら、分かってると思うが絶対に油断するな! こいつは真っ向勝負で『喧嘩なら俺より強い奴(人類最強)』と引き分けた怪物だ! シーザー(未知の戦力)の件もある、警戒を怠るな!」

 

 応、と返された力強い返事を聞きながら、ギルダンは拘束されたヴォーパルへと向きなおり──

 

 

 

※※※

 

 

 

『やっほー、ヴォーパル! 聞こえてるぅ? 今、君の耳骨に仕込んだ通信機から話しかけています……』

 

『あ、返事はしなくていいよ。この通信は5分前の火星からお届けしてるし、そもそも一方通行だからね』

 

『でさー、本題なんだけど……地球暮らしはどう? あんなに小さかった(人工胚サイズ)ヴォーパルが1人で上手くやってけてるか、お母ちゃん心配やわぁ。でもお母ちゃんは、いつだってヴォーパルの味方だからね!』

 

『寂しい時は思い出して! フィンランドでは今、君の幼馴染のアストリスも頑張ってるよ!』

 

『それでも君が挫けそうな時のために、とっておきの秘密兵器を君に体に仕込んでおいたよ! 俗にいう覚醒イベント、ってやつ?』

 

『僕謹製の『赤の怪物(モンスター)専用装備』……大事に使ってちょ☆』

 

 

 

※※※

 

 

 

 ──ボコリ

 

 ヴォーパルの体が、ゴム風船のように大きく膨らんだ。

 

「お前ら、耳塞げ!!」

 

 ギルダンのただならぬ声に隊員たちが異変を察するが、あまりにも遅すぎた。周囲の視線を一身に受ける中、ギュオゥと音を立てて大量の空気がヴォーパルの肺へ流れ込み──膨張はピタリと静止する。

 

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

「ゴガアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 

 

 

 ジャンボジェット機に匹敵する爆音(160デシベル)の咆哮が、オフィス街中の窓ガラスを叩き割った

 

「~~~~~~ッ!?」

 

 ギルダンを含め咄嗟の反応が間に合った者は耳を塞いでおり、間に合わなかった者は爆音に鼓膜を破られ卒倒する。そんな彼らの頭上から、割れた窓ガラスが雨となって降り注ぐ。

 

「退避、退避―ッ!」

 

 頭上を見上げた誰かが叫ぶと同時、ガラスの雨粒が一斉に地面に打ち付けた。刃となった雫は第七特務の隊員たちの皮膚を破く……にとどまらず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「羽ばたいてるね……!」

 

 ヴォーパルは再び、全身に万力を込める。カローラが編み上げた糸は、なおも千切れない──が。

 

 バキッ! バヂンッ! メキメキッ! ガラガラガラッ! 

 

 それを固定する周辺物がもたなかった。街灯が引っこ抜け、アスファルトが抉れ、支柱がへし折れた建物が倒壊する。

 

「さて」

 

 拘束を解いた彼は、すぐさま変態薬を飲み干した。途端、その全身の細胞が作り直され、ヴォーパルの体を覆う鱗がチェス盤を彷彿とさせる白と黒に染まっていく。

 変態を終えたヴォーパルは、ゴキリと首を鳴らす。何事もなかったかのようにワシントンD.C.の中心部への進撃を再開しようとし。

 

 

 

「──何どっか行こうとしてんだよ、テメェ」

 

 

 

 その前方に、ギルダンが立ちはだかった。その後ろに、余力のある第七特務の全戦闘員が整列する。

 

「あーくそったれ、まさか俺がアベンジャーズの真似事することになるとはな」

 

「日陰者の俺達がアメコミのヒーローってか? いいじゃねえか、夢がある」

 

「スパイダーマンはカローラか? ならアイアンマンは俺がもらおう」

 

「んじゃ俺、キャプテンアメリカで!」

 

「オメーはハルクだろ」

 

 軽口を叩きながら次々と変態し、彼らは各々の得物を構える。それを目の当たりにしたヴォーパルは不揃いな牙を剥きだし、小馬鹿にしたように嗤う。

 

「貴様ら全員アリよりのナシ。いいだろう、我を止めて見せるがいい──」

 

 ──()()()()()()()()()()()()()

 

「『SYSTEM:Typhon(テュポーン)』、起動(あげぽよ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た】

 

 

 

 

 

 

「ぶちかませ、兄弟!」

 

「よし来た!」

 

 仲間の声に威勢よく叫び、真正面からヴォーパルへと突進したのは大柄な隊員だった。その彼の全身は黒くツヤのある甲皮に覆われ、刈り上げの頭からはベースとなった生物を象徴する大顎が角のように生えている。

 

 ──MO手術ベース“パワランオオヒラタクワガタ”。

 

 多くのマニアが『クワガタの中で最も強い』と口を揃える、昆虫界屈指のファイター。その脚は踏ん張る力に長け、真っ向勝負ならヘラクレスオオカブトと組み合おうとビクともしない。またその大顎は一度挟めば、時に人の指を切り落とす程の切れ味とパワーを持つ。

 

「ぬォらァッ!!」

 

 大顎の咬合力を以て左右から振るわれた彼の腕を、ヴォーパルは両腕で受け止めた──そう、『両腕で』だ。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ、再生だと──がっ!?」

 

 動揺した隊員の脳天に、ヴォーパルの頭突きが落ちた。テラフォーマーの拳も凌ぐパワランオオヒラタクワガタの甲皮、それがただ一発の頭突きで粉々に砕ける。それをつまらなそうに見つめる左目もまた、元通りに修復されていた。

 

 

【これには十本の角と七つの頭とがあった。

その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった】

 

 

「ザコい」

 

 額から生えた短く太い二本角から、血が滴る。昏倒した隊員にとどめを刺そうとするヴォーパル。その無防備な背中に、絶影が襲い掛かった。

 

 ──MO手術ベース“アオメアブ”。

 

 ムシヒキアブと呼ばれる虻の一種である。彼らの武器は、『二枚の翅』と頑強な『口吻』のみ。素早く背後をとり、ただ一突きで対象を抹殺するその業は、時にオニヤンマやスズメバチでさえも餌食となる程。

 

(喰らえ──!)

 

 ヴォーパルのうなじ、より厳密にはその下の脊椎へ、女性隊員は狙いを定める。

 

 彼女に限った話ではないが、既にこの場にいる人間は『捕獲』という作戦目標を捨てていた。間違いなく息の根を止めるため、彼は鱗の継ぎ目へと口吻を振り下ろした。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「マジうざいんですけど」

 

「がッ!?」

 

 しかし瞬きの後、隊員は何かによって死角から叩き潰された。彼女を襲ったのは、亜音速で振るわれたヴォーパルの屈強な尻尾だった。丸太の如き腕より更に太い筋線維を纏ったその凶器は、丁度人間がコバエをはたき落すように、人間大のアオメアブを撃ち落としたのである。ただの一度も振り返ることなく、正確に。

 

 ……厳密な意味において、ヴォーパルは人間ではない。

 

 凶星から送り込まれた刺客、その片割れたるアストリス・メギストス・ニュートンが『人と■■■■の融合体』であるように。ヴォーパル・キフグス・ロフォカルスは『人と■■の合成獣』なのである。

 

 そして“種が違う”とは、“圧倒的に違う”ということ。

 

 人間は受け取る情報の80%を視覚に頼るが、ヴォーパルはそうではない。彼にとって視覚とは、()()()()()()()()()()()()()()()。眼で視ずとも、彼には敵を見る方法が他に存在する。

 

 例えばそれは、嗅覚。

 

 イヌ科の生物が優れた嗅覚を持つのは周知の事実だが、その鼻の良さは数値にして人間の100万~1億倍ともいわれる。何しろ30億種の匂いを嗅ぎ分け、分子単位で世界を嗅ぎ取るのだ。呼吸、眼球運動、筋肉の動き……それら全て、手に取るようにわかる。イヌ科の生物が人間大になれば、1億倍の精度で敵の意表を突く優れた猟兵となるだろう。

 

 ──そしてその生物は、()()()()()()()()()()()()

 

 ハイイロオオカミは2.4km先の獲物の匂いを嗅ぎつけることができるが、その生物は10kmの先の獲物を嗅覚で発見できるという。

 ヴォーパルは隙をつく精度も敵を見つける探知能力も、1億倍のイヌ以上。

 

「!」

 

 当然、危機察知能力も1億倍以上である。

 

 何かに気付いたヴォーパルは大地を蹴り、宙へと跳びあがる。直後、彼が数秒前まで立っていた場所を、極細の糸が通過した。間髪入れずに迫る別の糸は、張り巡らされた糸の一本を足場に回避。その後も次々と襲い来る糸を、ヴォーパルは曲芸のような動きで躱し続ける。

 

「動体視力、反射神経、バランス感覚……どれをとっても一級品。なるほど、化け物ですね」

 

 糸の攻撃を奏でるのは人間大の “ダーウィンズ・バーク・スパイダー”カローラ。その巨体からは想像もつかない俊敏さで動き続けるヴォーパルへ、彼女は「ですが」と続けた。

 

「巣の中で蜘蛛から逃げられると思わないことです」

 

「ぬっ!?」

 

 カローラが中指の糸を切り離した瞬間、ヴォーパルが足の踏み場としていた糸が大きく弛んだ。

 無論、そのまま尻餅をつくような間抜けは晒さない。それでも、アスファルトに着地をしたヴォーパルは僅かな時間、その態勢を大きく崩した。

 

 そしてその隙を、歴戦の第七特務は逃さない。体幹を立て直すまでのコンマ秒を経ぬうちに、三方向から三人の隊員が同時に飛び掛かった

 

「そらッ!」

 

 右後方、ヴォーパルとの間合いを一足で詰めたスキンヘッドの隊員。体長2mmの時点で20cm、人間大になれば150mもの大跳躍を可能とする“ヒトノミの脚力”でハイキックを放つ。

 

「シッ!」

 

 左後方、顔に入れ墨を入れた隊員。生物大でさえ人間を殺傷しうる“ベトナムオオムカデの毒牙”を、肉の柔い脇の下を目掛けて繰り出す。

 

「死に腐れェ!」

 

 前方、サングラスをかけた隊員。昆虫同士を戦わせる番組で数多の強敵を下した“ダイオウサソリの鋏と毒針”による三連撃。

 

 それは並の敵──闇MO手術を受けた裏社会の人間程度であれば、回避も防御も許さずに命を刈り取っただろう、見事な波状攻撃だった。

 

 

【竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた】

 

 

「さりげヤバくね?」

 

「「「!?」」」

 

 しかしそのいずれも、届かなかった。傷つけることはおろか、彼の体に触れることすらできなかったのである。

 

 理由は至極単純、標的であるヴォーパルが一つ残らずそれらを捌ききったためである──調()()()()()()()()(もの)()()()()

 

「ッ、私の糸を!?」

 

 自らの出した糸を強奪さ(うばわ)れたのだと、カローラは瞬時に気付く。咄嗟に糸の支配圏を取り戻そうと力を籠めるが、如何せん地力が違いすぎた。

 

 張り巡らされた糸をカローラごと手繰り寄せ、無防備で目の前に飛んできた巣の主を肘打ちで昏倒させる。そして怪物は空になった玉座に堂々と居座る、奪い取った糸を十本の指で器用に操り始めた。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「うおォ!?」

 

 ノミは一瞬にして宙づりにされる。

 

「ウっ……!?」

 

 ベトナムオオムカデは毒牙ごと絡めとられる。

 

「ク、そ ッ!!」

 

 ダイオウサソリは簀巻きにされ、地面に引きずり倒される。

 

 そうして糸を繰り、彼らを一纏めに縛り上げたヴォーパルは、それを鎖鉄球(フレイル)のように振り回し……追撃を試みる他の隊員たちへと投げつけた。

 

「なっ!?」

 

 数名の隊員が巻き添えになり、すぐさま武器の一部になって滅茶苦茶に全身を打ち付けられた。回避しようにも、本来の特性の持ち主(カローラ)のそれに匹敵する巧妙な手さばきがそれを許さない。

 

「プルいプルい」

 

 一掃。そう形容するに相応しい圧倒的な暴力を以て『雑魚戦』を終わらせた彼は、飽きたと言わんばかりにボロボロの武器を投げ捨てる。

 

 

【わたしの見たこの獣はひょうに似ており、

その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった】

 

 

「……てめぇ」

 

 唸り声が聞こえた。純然たる殺意と憎悪に溢れた、低い唸り声が。

 

「!!」

 

 刹那、ヴォーパルの右手首が千切れ飛んだ。飛び散る血飛沫に目を見張った彼の眼前、『暴虐たる蟻王(ギルダン)』が静かな激情を爆発させた。

 

「 誰 の 部 下 に 手 ェ だ し て や が る 」

 

「ぐ、ォおおおッ!?」

 

 ギルダンは右腕を掴んでヴォーパルを引き寄せると、肘から生えた毒針を鱗の継ぎ目へと突き立てた。傷を焼く毒素の激痛に、悪鬼の口から悲鳴が上がる。すかさずギルダンは、のけぞる怪物へ追撃を仕掛けた。

 

(正攻法でコイツを殺すのは無理だ)

 

 息をもつかせぬ攻防、激昂の最中にあって、しかしギルダンの思考は冷静に回る。彼は優れた直感と長年の経験を以て、眼前の怪物との戦力差を本能的に理解していた。

 

「フッ!」

 

 ギルダンはトレンチコートを翻す。裾に仕込まれた刃がギラリと光り、咄嗟に身を捻ったヴォーパルの赤髪を切り裂いた。

 

「おこ? おこなのォ?」

 

 こちらをおちょくるヴォーパルの顔には、幾分の余裕がある。現にギルダンが本気の攻勢に転じても、右腕を潰されたヴォーパルと互角に打ち合うのが精々。この時点で彼は、白兵による決着を早々に慮外へ追いやった。

 

 しかし勝利を諦めたわけではない。そもそも自分は『人類最強(喧嘩屋)』ではなく『無双(始末屋)』、勝利の前提条件が違う。馬鹿正直に、相手の土俵で戦ってやる必要などない。

 

 そこで彼が選んだのが、毒殺である。

 

 彼の手術ベースとなった虫が分泌する毒は、昆虫大の時点でも相当に強力なものだ。毒はヴォーパルにも通用するようで、右手は遅々として再生しない。ならば、それを使わない手はないだろう。

 致死量を上回る量をぶち込むのが理想だが、そうでなくともアナフィラキシーショックを起こせれば勝負は決まる。いずれにせよあと一回以上、毒針を打ち込む必要がある。故にギルダンは命を賭して探る──致死の一打を撃ち込む、一瞬の隙を。

 

「ッぐぅ……!?」

 

 意外にもそれは、すぐに訪れた。ヴォーパルが突然顔を歪め、怯んだように体を強張らせる。毒が本格的に回ったか、あるいは蓄積したダメージがここにきて発露したか。理由はさておき、待ち望んだ好機に違いなかった。

 

「──そこだ」

 

 相手が隙を晒したのなら、例えそれが悪鬼であろうと、やることは変わらない。踏み込み、刺す。その二動作のみ。

 戦場で幾度となく繰り返したその行動を、ギルダンは思考するよりも早く行動へ移し──

 

 

 

「 て っ て れ ― 」

 

 

 

 その一動作目を挫かれた。

 

「な゛に……!?」

 

 膝側面に鋭い痛み。踏み下ろした左足は、踏ん張りがきかずにガクリと崩れる。咄嗟に転倒をこらえたギルダンは、視界の端に自らの足を貫く鉄の矢を捉えた。

 

「あっはァ」

 

 “してやったり”──そう言わんばかりに、ヴォーパルが口角を釣りあげる。空中に滲みだしたその右手には、小型のボウガンが握られていた。

 

 

【頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、

その致命的な傷も直ってしまった】

 

 

(やられた──!)

 

 その瞬間、ギルダンは己が嵌められたことを理解する。先ほどの隙は、意図的に作り出された罠だった。

 右手に関してもそうだ、ヴォーパルはとっくに右手を再生させていた。それを擬態により、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(しかもコイツ、俺の暗器をスりやがったのか……!)

 

 ギルダンは全身に銃やナイフなど、数々の暗器を仕込んでいる。ヴォーパルが手にしているボウガンもその一つ。敵を牽制し、あるいは不意を打つためのそれを、まんまと怪物に利用された。

 

 ──その生物は時に、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ッ」

 

 悪鬼が左腕を大きく振りかぶる。直撃すれば致命傷は免れない──ギルダンは無事な右足で地面を蹴り、咄嗟に離脱を計る。

 

「 あ ー ん 」

 

 しかし間合いを脱した直後、ギルダンは突如として間合いの内へ引き戻された。

 

 ──()()()()()()()()4()0()0()0()m()()()()()()()()()()()()()()()3()()()()()()

 

 気が付けばギルダンの体は、ビルの壁を5枚ほどぶち破り、二つ先の通りへ放り出されていた。

 

 捨てられた空き缶のように弾みながら、体は無人の車道を転がる。立ち上がろうにも、その体はもはや満足に動かない。霞む視界は、見通しがよくなったビルの向こう側で攻撃の構えを解いたヴォーパルの姿を映す。

 

「畜……生……」

 

 小さな悪態を吐き切ると同時、ギルダンの意識は闇へと呑まれた。現場へ派遣された第七特務の全滅……戦闘が始まってから、5分を数える頃のことであった。

 

 

【そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い】

 

 

【その獣を拝んで言った、

「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」】

 

 

『隊長っ!? 誰か、誰でもいいから応答を──』

 

「ちょーうざいんですけど」

 

 転がるインカムから、ノンナの呼びかけが虚しく反響する。それを踏み潰したヴォーパルの上空から影が差した。

 

「! 猫チャンッ!」

 

「ガァアアアアアアア!」

 

 咆哮を轟かせながら戦線に復帰したシーザーは、王の領土を踏み荒らす無礼者へ飛び掛かった。

 シーザーの体重は400kg、もはやスーパーヘビー級などという形容詞ですら生温い超重量。ここに“ブルドッグアントの脚力”が加われば、その突進は生物に限らず大抵の物体は容易く轢き潰す。

 

「噴ッ!」

 

 ヴォーパルはそれを、タックルで迎え撃った。さすがに威力を完全相殺するには及ばず、その体は数十mに渡って押し戻されはしたものの……しかし彼は潰れることなく、シーザーの巨体を止めきった。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは『何をするための筋肉か』? 『後肢を尾に引きつける』、つまり『踏ん張る』ための筋肉である。

 

「マジウケるんですけど……()ッ!?」

 

 しかし当然ながら、シーザーの攻撃はそれで終わりではない。余裕を浮かべるヴォーパルの首筋に、大口を開けたシーザーが喰らいついた。

 人間が歯を『食いしばる』力は平均70kgに達するが、ライオンの顎はそれを遥かに凌ぎ400kgにも及ぶ咬合力を発揮する。これに加えて、『牙針蟻』の和名を持つブルドッグアントの牙を持つシーザーの攻撃は、頑丈な皮骨板(オステオダーム)を貫く。更にシーザーの前肢の爪は鱗ごと体表を引き裂き、頑強な守りなどお構いなしにヴォーパルの体を傷つける。

 

「ぬぐ、ウオオオオオ!?」

 

 白と黒の鱗の上に赤が滴り、悪鬼を凄惨に彩る。たまらずヴォーパルは苦悶の叫びをあげ――

 

 

【この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、

四十二か月間活動する権威を与えられた】

 

 

「やはりヴォーパルしか勝たん」

 

 そのまま、シーザーの肩へ食らいついた。組み合った両者が、互いに咬合で勝負を決めようとしたのは、ある意味必然だろう。ヴォーパルのベースとなった生物もまた、大多数の捕食者の例にもれず、強力な顎を持つが故に。しかし彼のそれは、少しばかり特殊だった。

 

 ──()()()()()()()()

 

 繰り返すが、種が違うとは圧倒的に違うということ。ヴォーパルの、ひいては彼のベースとなった生物の咬合力はなんと1万400kgにも達し、文字通り桁が違う破壊力を持つ。先の戦いにおいて、幸嶋のベースたる“ヤシガニの甲殻”すら煎餅感覚で噛み砕いたその威力の前に、蟻の甲皮などあってないようなもの。

 

「!?」

 

 怯んだシーザーの首根っこを掴むと、ヴォーパルは自分の肉が抉れるのも気にせず、力任せにその巨体を自ら引き剥がす。そのまま彼は、宙づりになったシーザーの腹へ膝蹴りを叩き込む。

 

「ッ、カ……!?」

 

「まだまだァ!」

 

 衝撃が滞留し、シーザーの体は一瞬空中で静止した。そこへヴォーパルは、渾身の鉄槌を打ち下ろす。アスファルトにクレーターを刻みながら叩きつけられたシーザーの体をおもむろに踏みつけ、ヴォーパルは鋭爪を突き立てた。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「死ねぽよォ!」

 

 弱弱しく抵抗する獣の王を地面に押し付けたヴォーパルは、その巨体を力任せに引きずり回し、サッカーボールを蹴り飛ばすかのように宙へと放る。シーザーをクッション代わりに受け止めた建物は衝撃に耐え切れず、轟音を立てて倒壊した。

 

 

【彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、

また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた】

 

 

「マジウケる、マジウケる、マジウケるぅううぅうぅうぅうう!」

 

 死屍累々のオフィス街、そこにただ一人立つ怪物は勝利の雄たけびを上げた。この星にもはや、敵はいない。自分こそが最強なのだと、誇示するかのように。

 

 

【地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、

その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう】

 

 

 

『ヨハネの黙示録』より、抜粋

 

 

「──さて」

 

 そして悪鬼は再び歩み出した。次なる蹂躙、次なる虐殺を求めて。

 ついにチェス盤の上へ踏み込もうとする赤の怪物(モンスター)。それを止められる者は、もはや盤の外には残っていなかった。

 






【オマケ】 他作品出張キャラ紹介 ~作者の妄想を添えて~

カローラ・プレオベール(深緑の火星の物語)
 第七特務の女性隊員。見た目はいかにも仕事のできるキャリアウーマン風だが、ド級のサボり魔。でも見た目通り仕事はできる。
 出身国がローマ連邦、名前の響き、残念美人と、拙作のカリーナと収斂進化を遂げている疑惑が浮上している。

ノンナ(深緑の火星の物語)
 第七特務の女性隊員。ハッキングや情報解析など、部隊のバックアップを担当している様子。普段の格好は裸白衣らしい。素敵ですね。
 白陣営との戦いの時、ブリュンヒルデに情報戦を仕掛けてたのはこの子。


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