贖罪のゼロ   作:KEROTA

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狂想賛歌ADAM-7 最強と最凶

「クカカ、じゃじゃ馬め! 食い荒らした分はしっかり働いてもらうぞ」

 

「二度目はねえ。今度こそ、俺は守ってみせる」

 

「もう一度、彼と果たし合うためならば……わたくしは喜んで修羅に堕ちましょう」

 

「立ちふさがるなら、貴女はボクの敵だ──押し通る!」

 

「さて、それじゃあ戦争だ。土地も誇りも魂も、力づくで奪わせてもらおう」

 

「やれるもんならやってみろ。お前らにゃ何一つ、奪わせねぇ」

 

 

 

 それぞれの想いを胸に、駒は盤上を征く。空気は張りつめ、交錯する闘争本能が激情と共に燃え盛る。決戦の幕は今まさに切って落とされた。

 

 

 

 そしてだからこそ、()()()()()()()()

 

 

 

 最後にして最強の駒、“赤の怪物(モンスター)”が盤上に迫りつつあることに。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「総員、構えッ!!」

 

 焦燥にかられた指揮官の言葉に、戦列を組んだ米軍の歩兵が一斉にアサルトライフルを構えた。10以上の銃口の射線の先に立つのは、鬼の如き巨体の大男──ヴォーパル・キフグス・ロフォカルス。

 

 アダム・ベイリアルが地球に送り込んだ二騎の追加戦力の片割れ、“妖魔”アストリスと対成す絶対的な暴力の権化たる“悪鬼”である。

 

「──撃てッ!」

 

 指揮官の指示と共に、兵士たちのアサルトライフルが一斉に火を噴く。常人ならばコンマ秒の間すらも置かずミンチになるだろう弾丸の雨。しかしそれはヴォーパルを殺すどころか、彼の全身を覆う灰白色の鱗を傷つけることすら能わない。

 

「痒い」

 

 欠伸交じりに呟くと、ヴォーパルは乱雑に右腕を振りぬいた。指から生えた肉切り包丁の如き爪を叩きつけられた兵士たちの肉体は、呆気なく上下に両断された。爪にこびりついた血脂を舐めとり、彼は嘆息する。

 

「弱たにえん……む?」

 

 背後から響くエンジン音に振り向いたヴォーパル。その目に映ったのは、猛スピードで地震に向かって突進してくる軍用の装甲車──ヴォーパルを轢き殺そうとしているのは明らかだった。

 

「力比べか……ナシよりのアリ」

 

 轟音と共に、装甲車とヴォーパルが真正面からぶつかった。時速80km近い速度で衝突した装甲車は勢いのまま、鬼の如き彼の肉体を数mほど後退させる。

 

「だが。我のテンションに着火ファイアするには足りない」

 

 ──しかし、それだけだった。

 

 ヴォーパルは強靭な両足と腰から延びる太い尾で体を支えながら、左腕だけで装甲車を受け止めていた。空回りするタイヤの音に混ざり、ギシと金属がへこむ音が響く。彼の爪が車両を覆う防弾装甲に食い込んだのだ。

 

「この程度で我を殺せると本気で思っているのか? だとすれば──」

 

 そのまま彼は空いている右腕を車の下に入れ、装甲車を抱え上げる。そうしてぐるりとその体を反転させると、パッ、とヴォーパルは手を放す。遠心力と共に空中に放り出された装甲車は、空中からヴォーパルへと狙いを定めていた軍用ヘリへとぶつかり爆発を引き起こす。

 

 

 

「──超ウケるんですけど」

 

 

 

 つまらなそうにぼやいて、ヴォーパルは首をゴキリと鳴らす。数トンは下らない装甲車を玩具のように放り投げる膂力に、生き残った兵士たちは恐怖の視線を向けた。

 

 3m近い巨体が振るうは、『怪獣』と形容するに相応しい理不尽なまでの暴力。

 

 口から紡がれる言語は人間のものでありながら、まるで話が通じない。

 

 そして何より恐ろしいのは、()()()()()()()。何かを壊す時も、誰かを殺す時も、その瞳に感情の色が浮かぶことがないのだ。何の感慨も感傷もなく、彼は全てを蹂躙する。言動から推察するのなら、落胆らしき情動を抱いてはいるのだろうが……それすらも、ひどく希薄。

 

「マジアリエンティ……あまりにも、弱過ぎる」

 

 虚ろな嘆きと共に悪鬼はその眼球をぎょろりと兵士たちへ向けた。その目は兵士たちをまともに捉えていない。人が蹴飛ばす小石に、むしり取る雑草に意識を傾けることがないように、ヴォーパルはこれから踏み潰すだけの敵に、いちいち意識を割くことはしないのだ。

 

「畜、生……」

 

 ──こんな化け物、どうしろってんだよ。

 

 兵士の一人が愕然と呟いたその瞬間、ヴォーパルは大地を蹴った。アスファルトがひび割れるほどの威力で接近したヴォーパルは、棒立ちになる兵士たち目掛けて鉤爪を振りぬく。

 

 

 

 

 

 ──いや、()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

「──?」

 

 ガギン! という音が響く。それと同時に伝わった手応えに、ヴォーパルは微かに首を傾げた。それが標的を潰した時のものではなく、何か硬いものにぶつかった時の感覚に近かったためだ。

 

 ──どうやら、何かが自分の攻撃を阻んだらしい。

 

 その考えに至って初めて、どこか遠くを見つめていたヴォーパルの目は現実へと焦点を合わせる。

 

 

 

 ──視界に映ったのは、金髪を束ねた東洋人だった。

 

 

 

 ヴォーパル程ではないがかなりがっしりとした体格の、人間の雄。兵士たちの一歩前に立つ彼の左腕は頑丈な甲殻に覆われ、ヴォーパルの鉤爪を受け止めていた。

 

「よぉ。随分派手に暴れてるみてぇだな、お前」

 

 男は咥えていた葉巻型の変態薬を吐き捨てると、その目を正面から見据えた。

 

「──俺とも遊んでくれよ」

 

 言うや否や、男は右腕で強烈なボディブローをヴォーパルの鳩尾に叩き込んだ。ただ振るっただけの拳はしかし、3m近いヴォーパルの巨体を軽々と吹き飛ばす。コンテナの山に叩きつけられたヴォーパルはそのまま、崩れた貨物に呑まれ生き埋めになった。

 

「U-NASAからの援軍か!」

 

「おう、遅くなって悪かった。あんたらは近隣住民の避難誘導に回ってくれ──あの人型ゴジラは俺が相手をしよう」

 

 男の言葉に異論を唱える者はいなかった。そもそも彼らの任務は援軍が到着するまでの足止めだった、ということもあるが……何よりも、彼らはこの短い時間の間で思い知ったからだ。

 

 あの怪物に、自分たちではまるで歯が立たないことを。

 

 その怪物を一撃で吹き飛ばした、男の強さを。

 

 そして両者が正面から闘うとき、自分たちの存在は邪魔にしかならないことを。

 

「……武運を祈る(Good Luck)

 

 兵士の一人が告げた激励に、男はサムズアップで応える。そのまま撤退していく兵士たちを見送る彼の耳にガラガラと何かが崩れる音が届く。

 

「これは神対応」

 

 大量のコンテナを蹴り飛ばすようにして這い出し、ヴォーパルは男に好奇の視線を向けた。重量数トンの貨物の雪崩を受けながら、その肉体に目立った傷はない。その事実が、ヴォーパルという怪物の肉体の頑強さを何よりも雄弁に物語っていた。

 

「マジルンルン御機嫌丸……!」

 

 その目に隠しきれない喜色が滲ませ、彼は笑う。これまでに地球で対峙した生物の大部分に対し、ヴォーパルは『気付いたら踏み潰していた虫』以上の感慨は抱いていない。

 

 ベネズエラで対峙した槍の武人と拳法使いの軍人は幾分マシだったが、それでも精々『狩られる瞬間に抵抗する小動物』程度のもの。

 

 ──初めてだったのだ。

 

 潰すでも狩るでもなく『戦う』という、明確な“敵”になりうる存在に遭遇したのは。己と対等のステージに立ちうる存在に、ヴォーパルは柄にもなく心を躍らせた。

 

「名乗れ、人間。貴様に興味が湧いた」

 

 ズシン、ズシン、と重々しい足音を響かせながら近づいてくるヴォーパル。それを見た男は、まだ新しいアネックスクルー用の制服のボタンをはずした。

 

 

 

 ──とある少年の話をしよう。

 

 日本の片田舎に生を受けたその少年は、子供たちに虐められていた。

 

 自室に引きこもり、鬱屈とした日々の中で心を腐らせていく彼を変えたのは、動画投稿サイトで偶然目にした、とある格闘技の動画だった。

 

 その格闘技とは、『プロレス』。

 

 ぶつかり合う鋼の如き肉体、一撃に全てを賭ける戦士たちの覚悟、場内を震わせる歓声。どれもこれも、少年にはないものだった。他人から見ればあまりにも些細な切欠。けれどそれは、彼にとっては紛れもない転機だった。

 

 その日から少年は、無我夢中で自分の体を鍛え始めた。全身が悲鳴を上げようと尿が血で赤く染まろうと気にも止めない。あの日、己の魂を震わせた高みを目指して──少年は特訓を続けた。果たして、その努力はすぐに報われることになる。

 

 半年後、彼はいじめっ子たちを拳骨で叩きのめした。

 

 14歳になると、村一番の力自慢でも相手にならなくなり、少年は村を出た。

 

 各地を放浪し、強い奴に喧嘩を売り続ける間に、少年は青年になった。

 

 そして彼は18歳の時、ボクシングの世界チャンピオンを野良試合で倒す。それを皮切りに拳一つで次々と強者を打ち倒していったその青年を、人々は異口同音に『路上最強』とたたえた。

 

 

 

「──アネックス計画、日米合同第一班所属」

 

 

 

 男は羽織っていたアネックスの制服を脱ぎ捨てた。露になった全身の筋骨を包むは、頑強な青紫の甲殻。その大きな手に宿るは、あらゆるものを握り潰す万力。握り締めた拳でドンと胸を叩き、彼はニィと不敵に笑う。

 

 空手の無制限大会優勝者を倒した。

 

 合気道の達人を倒した。

 

 ムエタイで死神と呼ばれた男を倒した。

 

 古武術を極めた怪僧を倒した。

 

 剣聖と謳われた女性剣術家を倒した。

 

 アネックス計画の艦長を倒した。

 

 名だたる強者と拳一つで戦い続け、語らい続け、勝ち続けた。

 

 そして今──彼はU-NASA最強の切り札として、狂人が生み出した『赤の怪物(モンスター)』と同じ戦場(リング)に立つ。

 

 

 

 

 

 

幸嶋隆成(ゆきしま たかなり)だ」

 

 

 

 

 

 幸嶋隆成

 

 

 

 

 

 

 

 国籍:日本

 

 

 

 

 

 

 

 20歳 ♂

 

 

 

 

 

 

 

 MO手術 “甲殻型”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────── ヤシガニ ────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──路上最強(幸嶋隆成)宣戦(リングイン)

 

 

 

 

 

 

「……我が名はヴォーパル。ヴォーパル・キフグス・ロフォカルス」

 

 ヴォーパルは幸嶋の目の前で立ち止まると、再び右腕を振り上げた。

 

「では試してやろう、オキシマタカフミ……貴様が我の『敵』たりうるのかを」

 

 そしてその鉤爪が、ギロチンの如く振り下ろされた。先ほどの「目障りな虫を潰す」ためのものではない、「敵を殺す」ための本気の攻撃。

 

 並の昆虫程度の強度であれば比喩でもなんでもなく、文字通りに一撃で挽肉(ミンチ)に変えるほどの威力──! 

 

 

 

「名前ぐらいちゃんと覚えろ、()()()()()

 

 

 

 だが次の瞬間、轟音と共に仰け反ったのはヴォーパルだった。ヴォーパルの尖爪は幸嶋の肉体を守る甲殻に罅を入れるにとどまり、幸嶋の掌底(カウンター)はヴォーパルの頑強な胸板を強かに打ち据えた。

 

「……!」

 

 ヴォーパルが数歩後ずさる。一見隙だらけのその様子に追撃の二字が脳裏によぎるが、幸嶋は咄嗟に思いとどまる。人生の半分を闘争に費やした彼の直感が告げる、まだ時ではないと。

 

 腰を切り、呼吸を整える幸嶋。そんな彼の耳に、数十分前に分かれた人物の声が届く。

 

『幸嶋君、聞こえているかな?』

 

『まだ生きているならば返事をしたまえ』

 

「おう、感度良好。ばっちり聞こえてるぜ、クロード博士にヨーゼフ博士」

 

 耳に取り付けた通信装置から聞こえてきた声に、幸嶋は返した。通信の相手はクロード・ヴァレンシュタインと、ヨーゼフ・ベルトルト。U-NASAが抱える科学の二大権威であり、幸嶋をこの場に送り込んだ張本人たちである。

 

『心拍数、血圧共に平常値。免疫反応は陰性、バイタルオールグリーン。経過が良好なようで何よりだ──術後間もない君を引っ張り出した人間のセリフではないがね』

 

 淡々と告げるヨーゼフ。しかしその声色には微かに、彼の胸中に渦巻く罪悪感が滲んでいた。彼に追随するように、クロードが謝罪を口にする。

 

『どうか恨んでくれ、幸嶋君。碌に情報も装備も与えず、こうして死地に送り出すことしかできない私たちのことを』

 

「恨む? おいおい馬鹿言わないでくれ、むしろ感謝してるくらいだ! 期待通り──いや、()()()()()()()()()()()()!」

 

 だが幸嶋は、そんな彼らの言葉を一蹴する。建前や取り繕いではなく、心の底から彼は感謝の言葉を口にした。

 

「く、はははははは! すっげぇなU-NASA! まさか初っ端から、こんな化け物みたい

 な奴とやりあえるなんて思っちゃいなかった! いいねぇ──」

 

 そう言って路上最強は、白衣を纏った魑魅魍魎が生み出した最悪の怪物を前にして一歩も退くことなく。

 

「──腕が鳴る」

 

 心底楽しそうに、子供のように無邪気に笑って見せた。

 

 

 

 

 ──ワシントンD.C.に最も近い米軍基地からU-NASAへの緊急通信が寄せられたのが、今から一時間半ほど前のこと。

 

 アメリカの重要軍事施設が相次いで陥落した先日の一件から、平時以上の警戒態勢を敷いていたアンドルーズ基地。そこに人型の怪物が現れたというのが第一報であった。

 

 その知らせを聞いたクロードが管制室に駆け付けるのとほぼ同時、飛び込んできた第二報は『その怪物が手当たり次第に兵士たちを蹂躙している』というもの。

 

「これは……ッ!」

 

 U-NASAに送られてきた赤外線カメラの映像を確認したクロード。彼は二つの点からその怪物が、アダム・ベイリアルが火星から地球へと送り込んだ『未知の戦力』の片割れであると確信した。

 

 一点はその怪物の戦闘光景。片っ端から引き裂かれ、叩き潰され、文字通りの血祭りにあげられていく兵士たち。苛烈な攻撃の余波で大地に刻まれる爪痕。ついでとばかりに破壊された周囲の物体。

 その惨状は、地球に着弾した二機のロケットのうち、ベネズエラの熱帯雨林に落下したロケットの発見状況と酷似していた。

 

 そしてもう一点は、その怪物の背に『食い尽くされた林檎の芯に巻き付く幼虫(ニュートンの反逆印)』を象った刺青が彫られていたこと。国や集団のシンボルとしてはあまりに悪趣味なそのデザインは、アダム・ベイリアルたちの象徴に他ならない。

 

「い、いかがなさいますか……?」

 

 オペレーターの問いに、クロードはすぐに答えることができなかった。

 

 一刻も早く手を打たねばまずい、それは分かっている。だが、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──リストを表示してくれ」

 

 クロードの指示で巨大な電子モニターの画面に表示されたのは、U-NASAのデータバンクに記録されたMO手術被験者の一覧だった。ずらりと並べられたプロフィール画像の隣には一人一人の名前とベース生物、能力テストの結果が詳細に記されていた。

 

 

 

 ──どうすればいい? 

 

 

 

 クロードは画面をスライドさせる手を速めながら、思考の海へ沈む。アダム・ベイリアルが地球外からわざわざ送り込んできた戦力だ、生半可なものであるはずがない。チェスになぞらえた代理戦争の盤面を根底からひっくり返す力を持っていると考えていい。

 

 それに対抗するとなれば、一般戦闘員程度では話にならない。万全を期すのならオフィサークラスの戦闘員を派遣すべき。だが今、合衆国内でこの条件に該当する者はホワイトハウスの奪還やフランスの工作による軟禁、U-NASAの防衛といった種々様々な要因で、全員手がふさがっている。クロードが自由に動かせる戦闘員を総結集したとしても、アダム・ベイリアルの兵器に対抗できるかは怪しいところだ。

 

「……一体誰なら、あの怪物を止められる?」

 

 思わず口をついて出たその疑問に、彼は回答を期待していなかった。

 

 だからこそ。

 

 

 

 

 

「んじゃ、俺が行くわ」

 

 

 

 

 

「!」

 

 背後から明瞭な答えが返ってきたことに、彼はひどく驚いた。振り向いた彼の目に映ったのは、髪を金に染めた日本人男性。一瞬記憶を辿ったクロードは、彼がつい最近MO手術を受け終えたばかりの戦闘員であったことを思い出す。

 

「君は……幸嶋隆成くん、だったかな?」

 

 水面下で進行するアーク計画の総指揮に加え、最近では痛し痒し(ツークツワンク)の情報収集や勃発した侵略行為への対応、更には『狂人病ウイルス』のワクチン開発と数々の業務に忙殺されていた彼は、最近になってアネックス計画に参加した幸嶋隆成という人間をよく知らない。「小町小吉が『路上最強』と呼ばれる人材を直々にスカウトした」と他の職員経由で小耳にはさんだ程度。

 

 なぜ彼がここにいるのか? という疑問よりも先に、彼の脳裏に浮かんだのは「無謀」の二文字。

 

 路上最強──なるほど、大した肩書である。だが、人間同士の喧嘩で負けを知らず。その程度の実力者を、白衣を纏った魑魅魍魎の兵器の前にむざむざ放り出すわけにはいかない。

 

 アダム・ベイリアルの狂気には底がない。クロードはそれをよく知っている。尋常な強さでは、あの狂人が創り上げた怪物に勝つことはおろか抗うことすらもできない。

 

 貴重な戦力をみすみす使い捨てられるほど、U-NASAは人材が豊富なわけではない。故にクロードは、幸嶋の申し出を断ろうと口を開き。

 

「彼の実力は私が保障しよう、クロード博士」

 

「! ベルトルト博士」

 

 幸嶋の後ろから入ってきた同僚──ヨーゼフ・ベルトルトの姿を認め、棄却の言葉を飲み込んだ。

 

「この状況下で彼以上の適任を選出することはほぼ不可能だろう──幸嶋隆成は、現状を打開しうる唯一の戦力だ」

 

「それほどですか?」

 

 手放しで幸嶋を評価するヨーゼフの言葉に、クロードは目を丸くした。痛し痒し(ツークツワンク)が勃発するまでほとんど交流はなかったが、ヨーゼフが非常事態につまらない冗談を言うような人間ではないことは承知している。それでも、幸嶋隆成という人間ただ一人で、あのアダム・ベイリアルが用意した兵器に対抗しうるとは俄かに納得しがたかった。

 

「たった今、彼のマーズランキングのテスト結果が出たところだ。確認してみるといい」

 

 今は無駄な問答に割く一分一秒すらも惜しい。ヨーゼフもまたクロードの事情を知っているためだろう、百の言葉よりも説得力を持つ一の証拠を彼は提示する。その意図を理解したクロードは言われた通りにタッチパネルを操作し、電子モニターに表示された幸嶋のデータに目を通す。

 

 パッと目に飛び込んできたその情報に、まずクロードは眉をひそめた。

 

 マーズランキング10位。軍人でも格闘家でもなく、純粋に喧嘩の腕だけでこの評価を得ていることから、相応の実力者であることは分かる。だがそれだけで、表アネックス以上に強豪揃いの裏アネックス計画を統括する幹部のヨーゼフが絶賛するとも思えない。

 

「! これは……!」

 

 しかしその疑問は、その下にずらりと並ぶ様々な戦闘結果を目の当たりにして即座に氷解した。

 

 ──通常、MO手術被験者の能力検査は、30以上の項目をA~Eの五段階で評価していく。それらを総合することで各人のマーズランキングを決めていくのだが──

 

「握力A、持久力A……白兵戦闘適性、A+だと……!?」

 

 クロードの口から零れた単語に、研究員たちがどよめく。なぜならばその評定は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そもそも過去にこのテストでA+評定がされたのは、ダリウス・オースティンの『広域制圧適性』の項目のみである、といえばその異常性がわかるだろうか。小型戦術核に匹敵する攻撃を数秒スパンで連射するその領域で得られる評定こそが、A+なのである。

 

「『路上最強』──小町艦長曰く、この異名は文字通りの「喧嘩において負けなし(ストリートファイトで最強)」という意味ではない」

 

 驚愕するクロードに、ヨーゼフ言った。停止した彼の思考を再開させ、かつ、幸嶋の派遣を決断させるために。

 

「その異名が真に意味するのは『()()()()』。初めて聞いたときには大袈裟だと思ったものだが……テストの結果を見る限り、あながち間違いでもなさそうだ」

 

「……やむをえない、か」

 

 少しの沈黙の後、クロードは決断する。

 

 幸嶋はその強さこそずば抜けているものの、正真正銘の一般人。そんな彼をアダム・ベイリアルという闇に触れさせるような真似は極力控えたかったが……事態が事態だ。

 

「幸嶋君、君の力を貸してほしい……君に倒してほしい者がいる」

 

「おう、任せとけ。大船に乗った気持ちで、ドーンとな!」

 

 かくして、幸嶋の戦線投入が決定した。

 

 ──なお、まったくの余談ではあるが。

 

 この後も世界各国で数えきれないほどの人間にMO手術が施されたものの、この時のヨーゼフの言葉通り、そして予見通り。

 

 ついぞ、幸嶋隆成以上の戦闘力を持つ人間が現れることはなかった。

 

 

 

 

 喉を目掛け繰り出される、幸嶋の貫手。それを躱したヴォーパルは、その巨大な拳を振り上げた。

 

「ここまで我と打ち合ったマジヤバなオラオラ系は久しぶりだ、ツキシマタカナリ!」

 

「 幸 嶋 だ っ つ っ て ん だ ろ う が !! 」

 

 隕石の如く脳天へと落とされる、ヴォーパルの拳。それは負けじと振り上げた幸嶋の激突し、互いにその一撃は弾かれた。

 

「くっそ、ふざけた喋り方の癖に強いなこいつ! しかも固ェ……!」

 

 幸嶋はヴォーパルの手を見る。青紫の甲殻に覆われたその拳は、鉄のごとき硬度を持つ。真正面からぶつかったとなればテラフォーマーでも拳は砕け、下手をすれば腕ごと粉砕される。だというのに、ヴォーパルの拳には傷一つ見られないのである。

 

「あの鱗が厄介だな……少し攻め方を変えてみるか」

 

 幸嶋は大地を蹴って再びヴォーパルへと飛び掛かる。反撃に繰り出された鉤爪をくぐり抜けて懐に飛び込み、その太い胴体に両腕を回す。

 

「その体、潰してやるよ」

 

 言うや否や、幸嶋は力任せにヴォーパルの胴体を締め上げる。

 

 鯖折り(ベアハッグ)。両腕で相手の胴を抱き込み、締め付ける事で相手の背骨から肋骨にかけてを圧迫する技巧である。

 

「ぐ、ゥオォ……!?」

 

 ヴォーパルの口から苦し気な声が漏れる。ヴォーパルの防御は瞬間的な衝撃には強いが、継続的な圧迫にまで強いわけではない。更にはこの技が幸嶋の手術ベースとなった生物との相性が非常にいいのも、幸嶋にとって追い風だった。

 

 

 

 ──椰子蟹(ヤシガニ)

 

 

 

 地域によって多少異なるが、青紫の甲殻と巨大な鋏を有する、陸上最大の節足動物。蟹と名に付くようにその形状はカニに近いが、分類上はむしろヤドカリに近い種だ。

 

 この生物の特徴は、甲殻類の中でも上位に食い込む頑丈な甲殻と瞬時に手足再生を行う高い再生能力。そしてもう一つ──あらゆるものを粉砕する、圧倒的な握力。

 

 彼らの鋏は椰子の実の繊維を引きちぎり、人間の指すらも切断するほど。自重の約90倍というその力は文句なしに甲殻類最強であり、ライオンの噛む力にも匹敵するという。それが人間大となり、更に人類最強の技量で以て相手を締め付ける技に転用されればどうなるか。

 

 想像するだけで背筋が凍る話だ。

 

「ぬ、ゥん!」

 

 しかしヴォーパルとて、ただ手をこまねいて自分の死を待つばかりではない。彼は自身の鉤爪を、思い切り幸嶋の顔に叩きつける。ヤシガニの甲殻が防具となって致命傷を割けるが、無傷とはいかない。額のあたりの甲殻にひびが入り、どろりと血が流れだす。それが目に入って幸嶋の拘束が緩んだ刹那、ヴォーパルは体をねじって強引に抜けだした。

 

「──チッ、逃げられたか」

 

 血を拭い、幸嶋はヴォーパルを睨む。最強VS最凶の戦いは一進一退の状況が続いていた。

 

 

 

『──彼の甲殻に罅を入れるか。とんでもない膂力だ』

 

 戦いの様子を映像越しに確認していたヨーゼフは、感嘆とも焦燥ともつかない感想を呟く。

 

 甲殻型MO手術の特徴の一つに、防御力がある。炭酸カルシウムを中心とする物質で構成された甲殻類の鎧は、理論上力士型テラフォーマーの一撃すらも凌ぐ硬度を持つ。

 

 特に幸嶋の手術ベースとなった生物の甲殻は、同じ型の中でもとりわけ固い部類。それを拳一発で破損させたヴォーパルの筋力は驚異の一言に尽きる。

 

『クロード博士、あの怪物のベースとなった生物の検討はつくかね?』

 

『素直に身体的特徴から考察するなら、ヴォーパルを名乗る彼のベースは恐らく『爬虫類型』でしょう』

 

 ヨーゼフの問いに、同じく隣で推移を見守っていたクロードは答える。

 

『全身を覆う頑丈な鱗、肉切り包丁のように鋭い爪、臀部から生えた鞭のような尾。これらの特性を有する生物として考えられる候補としては……トカゲかワニ』

 

『なるほど、確かにその通りだ。しかし──』

 

『ええ。おそらく今、私はベルトルト博士と同じことを考えているでしょう』

 

 

 

 ──()()()()()()()()()()()

 

 

 

 U-NASAで最も優秀な頭脳を持つ両者の見解が一致する。それはあまりにもヴォーパルの戦闘能力が高すぎる、というものだった。

 

 まずは先ほどヨーゼフも口にした『膂力』。仮に通常のMO手術の数倍近い出力での変態が可能になるαMO手術による施術をしたとしても、先に挙げた爬虫類では幸嶋の甲殻を砕くほどの怪力を発揮することは不可能だ。

 

 加えて、異常なまでの『打たれ強さ』。テラフォーマーを甲皮ごと叩き潰せるほどに重い攻撃を幾度となく受けながら、ヴォーパルの体に目立った傷はない。度重なる打撃もまるで意に介していないのである。

 

『あの怪物が見た目通りの強靭な素体を有していることを踏まえても、現生の爬虫類をベースにしてあれほどの戦闘能力発揮できるとは思えません。そしてさらに言えば……アダム・ベイリアル(あの人)が、そんなまともな発想をするはずがない』

 

『……一理あるな』

 

 クロードの言に、ヨーゼフは顔をしかめながら頷いた。その脳裏によぎるのは、半日ほど前にクロードから見せられた奇妙な写真──アダム・ベイリアルが火星から送り込んだ二機のロケットのうち、南米に不時着したロケットの発見状況を捉えた画像だった。

 

 異形と化した木々、奇形と化した動物たち──捻じれ歪んだ狂気の庭園。それはおそらく、たった一人の人間がMO手術によって得た特性で創り上げた情景。たった一人で周囲の環境を狂わせるような人間、それと対なす戦力に施された手術が()()()()()()()()()()

 

『複合生物型、未知の新種、あるいは現生生物ですらない可能性も……いずれにせよ、油断は禁物です。奴を造ったのはアダム・ベイリアル──』

 

 

 

 ──何をしてくるか分かったものじゃない。

 

 

 

 果たしてクロードが抱いたその懸念は、直後に現実のものとなる。

 

「アリよりのナシ……ならば」

 

 数合めの打ち合いを終えた後、ヴォーパルは大きく後方へと跳躍する。それを見た幸嶋は「あ?」と怪訝な声を上げる。

 

 これまで彼の攻撃でノックバックすることはあっても、ヴォーパルは自ら間合いを離脱することはなかった。実はこれまでのダメージは確実に蓄積していて、仕切り直しのために一度殴り合いをやめたのか? あるいは正面からの殴り合いでは埒が明かないと踏み、別の角度から攻めることにしたのか? 

 

 

 

「──これには対応できるか?」

 

 答えは、後者。

 

「……ん?」

 

 真っ先に異変に気付いたのは、幸嶋だった。ヴォーパルの姿がぐにゃりとぼやけたのだ──まるで陽炎のように。

 

 ゴシゴシと目をこすってみるが、どうやら自身の目は正常らしい。そして幸嶋の目の前で、ヴォーパルの3m近い巨体は()()()()()()()()()()()()

 

『た、対象ロスト!』 

 

『落ち着きたまえ、ただの擬態だ。赤外線センサーで熱反応を追跡』

 

『そ、それが……先ほどまであったはずの熱反応がありません! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()!』

 

『『ッ!?』』

 

 管制員の言葉に一瞬、ヨーゼフとクロードは言葉を失う。そしてほとんど同じタイミングで、同じ結論に思い至った。

 

『まさか、体温調節で熱放射を抑制しているのか!?』

 

『しまった、この局面でこんな小技を──! 電波ソナー探知に切り替え、急げ!』

 

 ──いや、それじゃ間に合わねえ。

 

 俄かに慌ただしくなる管制室の声。それをどこか遠くに感じながら、幸嶋は静かに目を閉じる。直感があった。おそらく管制室の捕捉を待っていれば自分は死ぬという、直感が。

 

 信ずるべきは視覚でも、聴覚でも、嗅覚でも、触覚でもない。最強を目指して歩み続けた8年間と、その中で磨き上げられた己の中の最も原始的な闘争本能。

 

 神経を研ぎ澄ます。

 

 静寂に包まれた空間を静かに探る。

 

 息を潜める強者の気配を辿る。

 

 

 

 ──見つけた。

 

 

 

「そこだ」

 

 

 

 確信と共に幸嶋が振りぬいた腕は見えざる敵を確かに捉えた。ぐにゃりと空間がぼやけ、ヴォーパルの巨体が虚空に滲みだす──幸嶋の拳に頬をめり込ませながら、ヴォーパルは驚愕に目を丸くした。

 

「マ?」

 

「──殺気が漏れすぎだ」

 

 幸嶋は電光の如くヴォーパルの懐に飛び込むと、畳みかけるように技を打ち込んでいく。鱗の鎧が薄くなる脇腹付近を狙って、

 

「フンっ!」

 

 膝蹴り(ニースタンプ)

 

「せッ!」

 

 上段蹴り(ハイキック)

 

「ハァッ!」

 

 肘打ち(エルボースマッシュ)

 

 怒涛の猛撃を諸に浴びたヴォーパルの体がぐらりと傾く。その隙を見逃す幸嶋ではない、彼は完全に動きを止めたヴォーパルの顔面を鷲掴みにし──

 

「そら、ぶっ倒れなッ!!」

 

 ──アイアンクロー・スラム(叩きつけ)

 

 幸嶋はその巨体ごと、彼の頭を力任せに地面に叩きつける。ドゴッ! という音と共にアスファルトの地面が砕けて凹む。

 

「ぐ、が……!?」

 

 ヴォーパルの口から苦悶の声が漏れる。彼は一瞬だけその手を幸嶋へと伸ばすもそのまま両手をぐったり投げ出し──そのまま起き上がる気配を見せなかった。

 

『勝っ、た……?』

 

 管制員の一人が呟いた直後、幸嶋は口を開いた。

 

「──3カウント」

 

 薬の効果が切れたのだろう、既に幸嶋の体は人間のそれに戻っていた。彼は肌色に戻った腕でゴシ、と口端の血を拭い、その手を天高く突き上げた。

 

 

 

「俺の勝ちだ!」

 

 

 

 瞬間、通信装置から溢れた騒音が彼の鼓膜を撃ちぬいた。

 

『すごいぞ人類最強! あの化け物相手に真っ向勝負で勝ちやがった!』

 

『やりましたね幸嶋さん! あいつを見失った時はもうだめかと……!』

 

『ユキシマ! ユキシマ!』

 

 己の名を連呼する歓声に一瞬だけ目を丸め、それから幸嶋は静かに笑う。強者との対決を切望し、進み続けたその心が少しだけ満たされたような気がして。

 

『やれやれ……この短時間のうちに何度目になるか分からないが。私はまた、評価を改めねばならんようだ。まさかあの怪物を相手に、ここまで完全に勝ち切るとは思っていなかったよ』

 

 ずり落ちかけた眼鏡をクイと押し上げ、ヨーゼフは安堵の息と共に呟いた。

 

『これで懸念材料だったベネズエラのロケットの問題は片付いた。あとは南米のロケットの戦力の行方捜索を残すばかり──』

 

『ッ、幸嶋君ッ!』

 

 しかしその言葉を遮るようにして、クロードは叫んだ。彼はヨーゼフの手から通信用のマイクをひったくると、周囲の視線も音割れも気にせず怒鳴る。

 

 

 

 

 

 

 

 

『油断するな、()()()()()()()()!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── ド ス ッ 

 

 

 

 

 

 その瞬間──背後から幸嶋を襲ったのは、研ぎ澄まされた一穿。

 

 幸嶋はその目で自分の脇腹から生える巨大な鉤爪を確認すると同時、少し遅れて喉の奥から熱い何かがこみ上げる。

 

「ごほッ」

 

 思わず咳き込めば、びちゃり、とアスファルトに真紅が撒き散らされる。そこで幸嶋はようやく、自分が攻撃を受けたことに悟った。

 

 

 

 

 

「『ユキシマタカナリ』──その名、覚えたぞ」

 

 

 

 

 

 耳に届く静かな、しかし圧倒的威容を持つ怪物の声。

 

「……なん、だよ」

 

 幸嶋は血の気が失せていく顔に強がるように笑みを浮かべ、肩越しに背後を見やる。

 

 

 

「まだ戦えんじゃねえか、お前……!」

 

 

 

「貴様は、アリよりのアリだ」

 

 

 

 致命傷を受けた人類最強の視線の先。残忍に笑った悪鬼は、口に咥えた変態薬を容器ごと噛み潰した。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……あら?」

 

 

 

 ──同時刻、フィンランド。

 

 涜神的に狂わされ歪まされた異形の森。その中心で午後のお茶会に興じていたアストリス・メギストス・ニュートンはふと顔を上げた。頭の上に乗せられた兎の耳を模した髪飾りがぴょこん、と揺れる。

 

「この感じ……ヴォーパルが本気を出したのかしら?」

 

 森の中はシンと静まり返っている。それは冬の気配であり、死の気配。どこまでも不気味に澄んだ静寂に、この森は支配されていた。

 

 だがその空気がほんの一瞬、微かに震えたのをアストリスは見逃さなかった。力強く暴力的な生の咆哮。己の片割れが抱いたその歓喜に、アストリスは思わず高揚してしまう。

 

「アメリカの勇士様、どうか用心くださいな。喰らいつく顎、引き掴む鈎爪──」

 

 ほぅ、と吐きだした彼女の息が白く流れる。木々の隙間から微かに差し込む零れ日に目を細め、彼女はカップの淵に口をつけた。

 

 

 

「次にヴォーパルの剣が首をちょん切ってしまうのは、誰かしら?」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──なんだ、あれは? 

 

 

 

 ヨーゼフは映像越しに見ている光景が俄かに信じられず、自問する。

 

 慢心がなかった、とはいえない。幸嶋が勝利を宣言したあの瞬間、クロード以外の誰もが事態の収束を信じて疑わなかった。今にして思えば浅慮は否めないだろう。

 

 加えて幸嶋はMO手術から回復したばかりで、能力の調整を十分に行えていなかった。万全のコンディションを発揮できる状態ではないことは承知していた。

 

 他に方法は、これ以外に術はなかった。だがそれでも勝ち目があると踏んで、自分とクロードは幸嶋を送り出した。病み上がりの測定テスト時点で、幸嶋は先に挙げた結果を叩きだしたのだから。

 

 それを──

 

 

『それを、こうも一方的に蹂躙するとは……!』

 

 

 

「まッ! マンモスうれぴいいいいいいいいいいッ!!」

 

 歓喜と共に、ヴォーパルは幸嶋を片手でぶん投げた。野球選手のようなフォームから宙に放り投げられた幸嶋は数回地面をバウンドして、仰向けに転がった。

 

「ぐッ……!」

 

 全身から伝わる痛みを無視して、幸嶋は起き上がろうとする。だが、それよりもヴォーパルの追撃の方が早かった。ヴォーパルは左人差し指の鉤爪が幸嶋の右腕を変態によって再発現したヤシガニの甲殻ごと貫き、標本の昆虫を止めるピンのように地面へと固定。

 

 ヴォーパルはう片手で幸嶋の左腕を押さえて動きを完全に封じると、べろりと舌なめずりをしてその口を開けた。蛇のように大きく割けた口。そこにギラリと生えたナイフのような牙の隙間から、粘性の涎が滴る。

 

 ──やべぇ! 

 

 幸嶋が青ざめるが、遅い。

 

 

 

 

 

「 い

 た    だ

 き

 ま

 ァ

 

 す」

 

 

 

 ヴォーパルはその口で、幸嶋の左肩に食らいついた。

 

 

 

「が、ああああああああ!?」

 

 バリ、バギという音と共に、その顎と牙は幸嶋の甲殻を煎餅か何かのように容易くかみ砕いた。ものの数秒で頑丈な甲殻がはぎとられると、悪鬼は容赦なく露出した肉を貪り、噴き出した鮮血を飲み干す。

 

 甲殻型や軟体動物型を始めとする、一部のMO手術被験者にしばしば見られる再生能力は、言うまでもなく強力な武器の一つだ。通常ならば戦線離脱を余儀なくされる手足の欠損をリカバリーし、ベース次第では頭を砕かれようと心臓を貫かれようと戦闘続行が可能になるのだから。

 

 ただし、この再生能力には限界が存在する。MO手術は科学法則を超越して、無から有を生み出す技術ではないからだ。

 

 被験者が再生能力を発揮するには、損傷の度合いに応じて栄養分が必要。だからこそ『死ぬまで殺しきる』という漫画のような戦法が、高い再生能力を有する被験者を相手にする際の有効手段となりうる。

 

 そしてそのための手段として有効なのは打撃よりも切断である。打撃で粉砕したとて、肉や骨が周囲に残っていれば、能力者はそれを材料として再生を行ってしまう。一方で体から切り離してしまえば、能力者は自身の栄養を費やし、その部位を一から構築しなければならない。

 

 だが実際には、切断よりも更に有効な手段が存在する。それこそが、今まさにヴォーパルが行っている捕食である。

 対象の栄養となる部位を残さず、歪な傷口は再生速度を遅らせ、負荷を増大させる。加えて人間の口内には数千億もの雑菌が繁殖しており、体内に侵入したそれらは戦闘後に病という形で牙を剥く。

 

「ぐ、あァ……!」

 

 最強へ至る道を選んで久しいが、幸嶋はこれまで対戦相手を捕食するような蛮族と戦ったことはない。さすがの彼も、生きたまま喰われるという未知の攻撃に恐怖を──

 

「ん、のヤロッ……!」

 

 ──感じてはいなかった。

 

 その目に諦めの色はない。その目に放棄の色はない。幸嶋隆成という人間の生態(生き方)に、闘志に、魂に、一切の陰りはない。

 

「フンっ!」

 

 ブチン、という音と共に幸嶋の両腕が千切れた。それはヴォーパルの攻撃ではなく、幸嶋の意思によるもの。甲殻類が天的に襲われた際にしばしば見せる『自切』によって、彼は腕を犠牲に拘束を解く。

 

 地面を転がってヴォーパルの真下というデスゾーンから逃れ、幸嶋は腕を再生する。だが多くの血を失った幸嶋は右腕しか再生できず、それも本来の彼の腕に比べて細く弱弱しいものだった。

 

「やはり貴様はレベチ。この間のヴラ……ヴラなんとかはこの方法で仕留めたのだが」

 

 賞賛を口にしながら立ち上がり、ヴォーパルは幸嶋を見やった。

 

 人為変態によって更に一回り大きくなった肉体。それを覆う鱗は先ほどまでの白一色から白と黒の二色へと変化し、まるでチェス盤のような文様をその全身に浮かび上がらせている。

 

 双眸は赤と黄金のオッドアイ、両頬には原住民の装飾を思わせる黄色のライン。耳元まで裂けた大きな口に生えそろう不揃いな牙を剥きだして嗤うその姿は、元々の赤い頭髪も相まって、まさしく地獄の鬼のようであった。

 

「テンションあげみざわ! いいぞ、いいぞユキシマタカナリ! もっとだ、もっと我を楽しませろ!!」

 

『幸嶋君、もういい!』

 

 通信機の向こうからクロードが叫ぶ。

 

『近隣住民の避難は完了し、敵の戦闘データも収集できた! これ以上危険を冒す必要はない、すぐに待機している米軍と合流して撤退を!』

 

「……悪ィが博士、そいつはできねぇ相談だ」

 

 けれど幸嶋は、その言葉に首を縦に振らなかった。

 

「『任せとけ』って言っときながら『実際に戦ったら敵が予想以上に強かったんで撤退します』、何てカッコ悪い真似できるかよ」

 

『ッ、そんなものに囚われなくていい! 君は十分に……いや、十二分によくやってくれた! そんな軽口に、命を投げ打つな! 馬鹿か君は!』

 

「あんたにとっては軽口かもしれないが、俺にとっちゃ一大事なもんでね。それに、知らなかったのかよ博士? 男ってのは大なり小なり馬鹿な生き物なんだぜ──」

 

 ──なぁ、ヨーゼフ博士? 

 

 幸嶋が意味ありげに呼びかける。このタイミングでヨーゼフに問いかけた意図を理解できず困惑するクロード。一方で声をかけられた本人は何かを察したのだろう。眼鏡を押し上げると、口を開いた。

 

『一応聞くが、正気かね? 今の君では損傷が大きすぎる、下手をすれば死ぬぞ?』

 

「構わないさ。自分を曲げて生き延びるより、億倍マシだ」

 

『そうか……ならばもう止めん』

 

 頭が痛そうにため息をついて。それからヨーゼフは淡々と告げた。

 

()()()()()()()()()。それ以上は体がもたない』

 

「りょーかい」

 

『ベルトルト博士、何を──!?』

 

 ぎょっとしたように問いかけるクロードに、ヨーゼフは応えない。ただ彼の疑問への答えは、すぐさま映像越しに幸嶋が提示した。

 

「人為変態、二重投与(ダブル)

 

 二本。幸嶋はポケットから取り出した葉巻型の変態薬を口に咥え、煙を吸い込む。途端、幸嶋の全身を包む甲殻はその重厚さを増し、眼球はベースとなった甲殻型に近い黒い真珠のようなそれへと変化する。

 

「んで、一本ずつか」

 

 幸嶋は次いで取り出した注射器と電池のような形状の物体を、左肩の傷口に突き立てる。その途端彼の全身の筋肉が爆発的に隆起し、更には太くたくましい左腕が傷口から生える。しかしその腕は赤と白の、本来の幸嶋の変態姿から考えると少々おかしなもの。

 

『出撃前、彼には第三位の専用武器である『試作型圧縮栄養芽』と『アナボリック・ステロイド』を渡しておいたのだよ。本当に追いつめられた時の保険としてね』

 

『ステ……!?』

 

 ヨーゼフの言葉に、クロードは絶句する。

 

 過剰摂取はまだいい。幸いにも幸嶋は内臓系統に傷を負っていない、ヨーゼフが指示した量ならばギリギリ戻れるはずだ。

 

 圧縮栄養芽についてもあまり問題ではない。試作型の専用武器の持ち出しは本来免職ものだが、今は非常事態。あとで事情を説明すれば、始末書という雑務が一つ増える程度で済むだろう。

 

 問題は最後、アナボリック・ステロイド。それの投与が意味するのは、身も蓋もない言い方をすれば『ドーピング』である。

 

 その効果を平たく説明すれば、『超強力な筋力の増強』。副作用は数えきれず、後遺症のリスクも高い。未来(明日)と引き換えに、(今日)誰よりも強くなる、禁断の薬物。

 

 それを幸嶋は惜しみもせず、己に使ったのである。

 

『ッ……1時間だ! 医療班を編成し、1時間以内にそちらへ向かう! それまでなんとか持ち応えてくれ!』

 

 その通信を最後に、クロードの声が通信機の向こう側から聞こえることはなかった。おそらく管制室を飛び出していったのだろう。

 

「恩に着るぜ、クロード博士……ってもういないのか」

 

『生き残って直接伝えたまえ。それが最高の礼になるだろう』

 

 ヨーゼフの言葉に幸嶋は神妙に頷いて、「だけどよ」と少しだけ不満そうに口を尖らせた。

 

「持ちこたえてくれ、って言い方は少しだけ気に入らねぇな。別に──」

 

 

 

 ──こいつをぶちのめしちまっても、いいんだろ? 

 

 

 

 幸嶋は眼前に佇むヴォーパルを見上げた。目と目が合うや否や、悪鬼は隠しきれない残忍の色を浮かべ、ニンマリと牙を剥く。それに呼応するように拳を握ると、路上最強は力強く吠えた。

 

 

 

 

 

「来いよ、怪物(ヴォーパル)! 小技なんて捨てて、全力でかかってきな!」

 

 

 

 

 

「ゥ゛ォーパルとュキシマゎ……ズッ友だょ……!!」

 

 

 

 

 

 ──そして、人類最強と生物最強の、本当の戦いの幕は上がった。

 

 

 ※※※

 

 

 

 クロード率いるU-NASAの医療班が米軍の部隊を連れて基地内になだれ込んできたのは、45分後のことだった。

 

「無事か、幸嶋君!」

 

「ん? おォ、クロード博士か……」

 

 クロードは血だまりの中に腰を下ろす幸嶋の姿を見つけると、素早く彼に駆け寄る。

 

「悪いな、仕留め損なった。あと一歩までいったんだけどなぁ……」

 

「喋らなくていい! それ以上、体に負担をかけるな!?」

 

 幸嶋の体は惨憺たる状況であった。おそらく、医療の心得がない素人目にも危険な状態であることがわかるだろう。何しろ右肩から胸にかけて、胴体の四分の一が消し飛んでいたのだから。

 

「すぐに輸血と、搬送準備を! 生きてるのが不思議なくらいの怪我だ! 搬送次第、治療を開始するぞ!」

 

「おう、頼むわ……あ、けどその前に一つだけ」

 

 そう言って幸嶋は、残っている左手で『それ』を指さした。

 

()()()()。何かの役に立ててくれ」

 

「ッ……ありがとう幸嶋君。必ず、次に繋げるとも!」

 

 親指を立てると同時に担架に移され、車両へと運ばれていく幸嶋。それを見送ったクロードは、すぐさま通信機に語り掛けた。

 

「ベルトルト博士、至急ラボの準備を」

 

『いいだろう……何か戦果があったのかね?』

 

 途中から通信装置もカメラも破損したために、管制室にいたヨーゼフは戦闘の全容は知らない。そんな彼に「大戦果ですよ」とクロードは告げる。興奮を隠しきれない、そんな口調で。

 

「ヴォーパルの細胞サンプルが、手に入りました。それも、()()()()

 

 そう言ったクロードの視線の先。そこには『悪鬼』、ヴォーパル・キフグス・ロフォカルスから幸嶋がねじ切った左腕が転がっていた。

 

 




【オマケ】他作品の登場人物紹介

幸嶋隆成(インペリアルマーズ)
 インペリアルマーズ名物、『強いから強い奴』1号。戦いに戦いを重ね、いつしか人類最強と謳われるまで上り詰めた、正真正銘の強者。アネックス計画においては日米合同第一班に所属。コラボ時空だと裏表第一班だけで天下一武道会が開けそう。

幸嶋「人類最強!」

チャーリー「MO手術最強!」

大河「町内最強! ほれ、慶次さんも!」

慶次「え、せ、世界チャンピオン……?」

シーラ「肉体派多いなこの班」

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