贖罪のゼロ   作:KEROTA

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【ニュース速報】

 ここで臨時ニュースをお伝えします。

先ほど、ホワイトハウスが謎の武装勢力に襲撃されました。武装勢力の規模は約三十名程度とみられており、ホワイトハウスを警備していた合衆国警察と激しい戦闘が繰り広げられています。近隣の住民はただちに避難してください。

現在、グッドマン大統領やホワイトハウス邸内の職員の安否確認はできていません。当局では数日ほど前から国内で散発的に発生しているテロ事件との関連性があるとみて詳しく調査を進めています。



絶対凱歌EDGARー4 不撓不屈

『ホワイトハウス襲撃。大統領の安否不明』

 

 一昨日と同じ昨日、昨日と同じ今日。今日もまた、いつもと同じ1日が始まる──そんな認識で目覚めたアメリカ国民の耳に飛び込んできたのは、合衆国の心臓ともいえるホワイトハウスでテロが起きたという、ショッキングなニュースだった。

 

 そうした中で国内──とりわけ、ホワイトハウス周辺の住民がパニックに陥らなかったことは奇跡といっていい。首都警察の誘導が迅速に行われたため、混乱が伝播する前に民間人が避難したことが大きな理由だ。

 

 そのため平日の朝午前七時という、普段ならば通勤や通学でごった返す時間帯になっても、ホワイトハウス周辺の地域に民間人の姿は見られなかった。

 

「αチーム、前進!」

 

 ──そう、『民間人の』姿は。

 

 ワシントンD.Cメインストリート、ペンシルバニア大通りへと続く17番通り。まるで朝日から身を隠すかのようにビルの影を進むのは、十人ほどの人影──MO手術を受けた軍人と警察から成る、大統領救出チームの面々だった。

 

 テロリストたちの魔の手が大統領に伸びた場合に備え組織されていたこの部隊は、その役割を果たすべくホワイトハウスへと急いでいた。

 

「事態発生から1時間経過──急ぐぞ。これ以上対応が遅れれば、大統領の命に危険が──」

 

 背後に続く部下たちに隊長が告げようとしたそのタイミングでカラン、と金属音が響いた。隊員たちが音の聞こえた方へ一斉に振り向けば、そこに転がっていたのは炭酸飲料の空き缶だった。

 

 ──何だ、ただのゴミか。

 

 大統領救出という大任を前にして、気が尖りすぎていたようだ。隊員たちが安堵の息を吐き、その意識を任務に戻そうとした──次の瞬間。

 

 ボシュッ! 

 

 空き缶から空気が抜けるような音が鳴るや否や、その中から勢いよく霧状の気体が噴出して隊員たちを取り巻いた。

 

「ガス攻撃、か……?」

 

 隊長は困惑した。目にはそれなりに強い刺激があるものの、耐えられない程の激痛ではない。強い匂いはあるが、それは気管や感覚器ダメージを与える刺激臭ではなく、爽やかな香油のそれを思わせるもの。

 

 催涙ガスというにはあまりにも効果が脆弱、致死性のガスならばあえてここまで匂いを強める必要はない。一体、何のために──? 

 

 

 

「これはこれは。朝早くからご苦労なことで」

 

 

 

「ッ!」

 

 その声に振り向いた隊員たちが目にしたのは、隣接する建物の隙間から差し込む朝日のベール、その先からゆっくりと歩いてくる中折れ帽にスーツという洒落た格好の青年だった。ポケットに両手を突っ込んだ彼は無警戒に、そして呑気に隊員たちへと笑いかける。

 

「いやぁ、今日は朝から冷えますねー。こういう朝はいい匂いのアロマを炊いて、熱い紅茶を飲むに限る! どうです、一杯? なんなら、俺が淹れて──」

 

「動くな」

 

 隊長は鋭く命じると、懐から注射器を取り出して己の首筋に当てた。それを見た青年の表情が微かに変わったのを確認し、彼の疑念は確信に変わった。

 

「貴様、テロリストの一味だな?」

 

「やだなぁ、俺は逃げ遅れた善良なアメリカ市民ですよ……なーんて、信じちゃあくれそうにないな、その様子じゃ」

 

 そう言って青年、フィリップ・ド・デカルトは笑った。先ほどまでの人懐っこい、無警戒な笑みではない。それは余裕と狡猾さを含ませた、不敵な笑みだ。

 

「両手をポケットから出して、ゆっくりと頭上に挙げろ!」

 

「はいはい、分かったからそんな怖い顔しないで。うっかり手袋を買い忘れて寒いだけなんだってば」

 

 フィリップは肩をすくめると、流れるような動作で両手をポケットから取り出した。キラリ、と朝日を受けて何かが煌めき。

 

「うッ!?」

 

「ぐ──!」

 

 そして次の瞬間、二人の隊員の体を何かが呟いた。苦痛にうめく隊員たちの肩や腕には、銃で撃たれたかのような傷が刻まれていた。

 

「ッ! 全員変態しろッ!」

 

 銃声はない、何をされたかは分からない。だが隊員たちは目の前の男に、何かをされた──それだけは確か。

 

 であるならば、目の前の男が敵であることはもはや明白。素早く下された隊長の指示に従い、隊員たちはすぐさま変態薬を取り出す。

 

「おお、反応速度0.6秒! 思いのほか優秀だな、アメリカ」

 

 次々と変態薬を接種し、その身に特性を発現させていく隊員たち。それを見てもフィリップは臨戦態勢をとらず、右手でちょいと帽子の具合を直してから何てことないようにその言葉を口にする。

 

「ただ残念なことに……俺の攻撃はもう終わってる」

 

 

 

「ぎ、あああああああ!?」

 

「ぐオオオ──!?」

 

 隊員たちの口から次々と飛び出したのは鬨の声ではなく、苦痛の叫びだった。彼らの肉体はベースとなった生物の特徴を反映するにとどまらず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「これ、は──!?」

 

 内臓がはち切れそうな痛み、刻々と変異していく己の肉体──隊長は自分の体を襲うこの状態に、心当たりがあった。

 

 変態薬の過剰接種。

 

 ベース生物の力を最大限に引き出す切り札。今の状況はその副作用であるショック反応、手術成功時に説明された『ベースとなった生物への不可逆的な変態』によく似ている。

 

「何、を、した……!?」

 

 痛みに耐えながら隊長が絞り出す。自分たちは過剰摂取などしていない。訓練通り、いつも通りに変態しただけだ。なのに、なぜ──? 

 

「ふふ、マジシャンにマジックのタネを聞くのは無粋だぜ?」

 

 必死の問いをさらりと受け流し、フィリップは告げた。

 

「ま、じっくり考えなよ、あの世でね──やれ、『猛毒部隊(ポイズナス)』」

 

 フィリップが静かに告げると同時、周囲の建物に潜んでいた猛毒部隊の面々が飛び出した。彼らは突然の事態で迎撃もままならない救出部隊の隊員たちを包囲し、間髪入れずに襲い掛かる。

 

「まともに戦おうとするなよ! ほっといても死ぬんだ、ヒット&アウェイを徹底!」

 

 フィリップの指示で猛毒部隊は効率よく敵を屠殺していく。もはやそれは、戦闘でも暗殺でもなく、ただの作業──その様子を見て勝ち目がないことを悟った隊長は、すぐさま大地を蹴った。

 

「ウ、オオオオオオオオオッ!」

 

 過剰変態によって身体能力は高まっている。どうせ燃え尽きる命なら、せめて敵の1人も道連れにしてやる──! 

 

 猛然と突進した隊長は、目を丸くして立ち尽くすフィリップに全力で飛び掛かり──。

 

「ッ!?」

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()。直接命に関わるような傷ではない、だが全身の肌を襲う焼けるような痛みは、隊長の行動を一瞬だけ鈍らせた。

 

「ほいっと」

 

 そして、その一瞬で彼の命運は決まった。ノーモーションでフィリップが放った指弾が、隊長の額を撃ちぬいた。

 

 末期の瞬間、彼が伸ばした手はフィリップに届くことなく。ばったりと俯せに倒れた隊長は、そのまま動くことはなかった。

 

「ご苦労様、それじゃあ再散開! このまま警戒を続けてくれ」

 

 建物の中に、路地の裏に──次々と姿を消していく猛毒部隊の面々を見送り、フィリップはため息を吐く。

 

 此度の攻勢に当たってフィリップが任されたのは、猛毒部隊の別動隊を率いての遊撃だ。シドの本隊がホワイトハウスを陥落させるその時まで可能な限り増援の到着を遅らせ、敵を混乱させるのが役割だ。

 

 やれやれ、面倒な役回りを任されちまったぜ。

 

 フッ、とフィリップはその顔に笑みを浮かべ──。

 

 

 

「……冷静に考えて無理でしょ」

 

 

 

 そっと頭を抱えた。

 

「いや分かるよ? 最高戦力のシドは論外、ちぎちぎに将は無理、金で雇ったゲレルんは裏切る可能性があるし、ぶっちゃけ俺の下位互換。だったら消去法で俺に回ってくるのは分かるけども」

 

 それにしたって十人で国を相手に時間稼ぎは無茶振りが過ぎる。

 

 はははマジで覚えてろよ叔父さんに参謀長(あのキングども)任務が終わったら、報酬でエリゼの庭にオリアンヌたんとセレスたんの銅像建てさせてやるからなこん畜生。

 

 ブツクサと文句を言いながら、フィリップは建物の隙間にその体を滑り込ませ──そして17番通りには、静けさだけが取り残された。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 近づいてくる足音に、風邪村千桐は顔を上げた。彼女の目に映ったのは自分を──正確には、自分の背後を目指してホワイトハウスへと駆けてくる救出部隊の隊員たちだった。

 

「む、来ましたか」

 

 ルークである彼女に任されたのは、黒陣営にとっての最終防衛ライン『ホワイトハウス正面玄関』の死守である。

 

 現在、ホワイトハウスへのまともな侵入口はこの正面玄関に限られる。通常ならば裏玄関からもホワイトハウスへは入ることができるのだが、そちらはフィリップの『飴』でこちらに寝返らせた国防長官の息がかかった軍人たちと、猛毒部隊がせっせと仕掛けたブービートラップの数々によって封鎖されているためだ。

 

 よってホワイトハウスに踏み入ろうとするものは、必然的にこの正面玄関を通らざるを得なくなる。遊撃部隊が打ち漏らした増援を1人残らず斬り捨て、何人たりとも通さないこと──千桐に課せられた役割は、それだけだ。

 

「ええと、確かこの辺に……あったあった」

 

 千桐は風呂敷包みの中をガサゴソとまさぐっていたが、目的の見つけるとひょいと手を引き抜いた。その手に握られていたのは吸入薬型の変態薬──U-NASAの公的な記録にはない、特殊な系統のベース生物に変態するための代物であるらしかった。

 

 千桐は吸入口を唇で咥えると、思い切り中の粉末を吸い込む。

 

「──ケホッ、コホッ!?」

 

 ……どうやら、勢いよく吸いすぎたらしい。

 

 涙目で咽ながら胸を叩く千桐。だが薬の接種自体は成功しており、すぐにその体にベース生物の特性が反映された。

 

 大和美人を象徴するかのような美しい黒の長髪は、ガラスのような色合いのそれに変化した。頭頂部にはミニチュアの富士山のような形状の突起がちょこんと顔を出し、そこから四本のアンテナのような器官が伸びる。一方で体が何周りも太くなったり、腕に毒針だの鎌だのといった付属器官が現出したりすることもなく、身体に大きな変化は見られない。

 

「ん、んんっ……では、始めましょうか」

 

 おそらくその行為に、完全な敵だと認識したのだろう。変態した救出部隊の隊員たちの中でも敏捷性に長けた数人が、千桐へと狙いを定め一直線に駆ける。

 

 

 

「ゆうびんやさん ゆうびんやさん ハガキが10枚おちました♪」

 

 

 

 一方、千桐はさして慌てた様子も見せない──どころか、呑気に鼻歌を歌い始めた。耳慣れないメロディに救出部隊の隊員たちは怪訝な表情を浮かべるが、彼女は全くお構いなしだ。

 

「ひろってあげましょ♪」

 

 まったくの脱力。いっそ緊張感に欠けるとさえ表現できそうな自然体で、千桐は車椅子に取り付けられた日本刀の鞘に手をかけると──

 

「1枚♪」

 

 一閃。真っ先に飛び掛かった隊員の首が宙を舞う。

 

「2枚♪」

 

 一閃。返す刃で接敵した隊員を袈裟切りにする。

 

「3枚♪」

 

 一閃。滑らかな剣筋が隊員の胴体を上下に両断する。

 

「4枚、5枚♪」

 

 一閃。捨て身で特攻した大柄な隊員と、その死角から隙を討とうとした小柄な隊員をまとめて切り捨てる。

 

「6ま──はいないみたいですね。ええと残りはひぃ、ふぅ、みぃ、よ……7人ですか。ならば」

 

 ひとまず攻撃の波が止んだことを確認すると、千桐は刀身に纏わりついた血脂を払い落として鞘に納める。真正面から挑んでも勝ち目がないと直感したのだろう、隊員たちは千桐を取り囲むように陣形を組み、じりじりとその包囲を狭めていた。

 

「かーごめ かーごめ♪」

 

 千桐は呟くと車椅子に取り付けられた刀を鞘ごと取り外すと、鞘の底でドンと地面をたたいた。

 

「──うしろのしょうめん だぁれ?」

 

 ボコリ、と芝生が盛り上がる。思わず隊員たちが足を止めると、地中から分厚いガラス質の壁がせりあがって行く手を遮った。ハの字型に左右から出現した壁の、唯一の通り道と言っていい場所に千桐は陣取った。

 

「ッ、なんだ!?」

 

 隊員の一人が変態で向上した筋力任せに壁を殴りつけるが、壁はビクともしない。脆そうな見た目に反して、その強度はかなりのものだ。それなりの高さがあるために、脚力に長けた特性でもなければ壁を跳び越すことも難しい。そしてこの部隊に、それを成せる特性の持ち主はいない。出入り口は狭く、精々人が一人通れる程度。

 

 それが意味するのは。

 

「ここを通りたければ、この浄玻璃の死合舞台にてわたくしを討ち果たしてください。男らしく、一対一で」

 

 目の前の剣鬼に、一対一で挑まなければならないということ

 

 唖然と立ち尽くす彼らに、修羅に堕ちた大和撫子はたおやかに笑いかけた。

 

 

 

「さぁアメリカ軍の皆さん。いざ尋常に──生死、です」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「はい、サヨウナラ♡」

 

 ゲレルは妖艶に呟くと、敵に突き立てた腕の毒牙を引き抜いた。勇敢にも立ちふさがったシークレットサービスはそのまま地面に倒れ落ち、数度その体を痙攣させた後に動かなくなる。

 

「隊長、こっちも片付いたぜ」

 

 その声にゲレルが視線をやれば、次の指示を待つ部下たちの姿が目に入った。彼らの周囲に転がるのは、物言わぬ死体となった警備員たちだった。いうまでもなく、ゲレルと彼女が率いる『猛毒部隊』の凶行による成果である。

 

「ご苦労さまです。先日の失態分は取り返せましたかね」

 

 そう言ってゲレルはほぅとため息を吐く。先日の襲撃ではスレヴィンたちに後れを取りはしたものの、それは慣れない『陽動』という役割を与えられていたがため。そもそも彼女らの本領は戦闘ではなく暗殺である。

 

 世界でも最大規模のマフィア『黒幇(ヘイバン)』お抱えの粛清部隊、その肩書は伊達や酔興ではない。彼女たち『猛毒部隊』は事前の下準備と然るべき補助さえあれば、国家規模のセキュリティをも食い破り、標的にその毒牙を突き立てる。

 

「ま、多少武装しようと生身の人間ならこんなものでしょう。それより問題は──」

 

 ゲレルはそう言って、通路を塞ぐように閉め切られた分厚い鋼鉄の壁を見やった。耐火、耐爆、耐衝撃性──設置型対テロ用シールドである。

 

「さすがにこんなものまで用意してるとは計算外でしたね。まったく、余計な手間を……」

 

 皮肉交じりにゲレルは呟く。先刻、彼女たちの目の前で閉ざされたこの通路は、ホワイトハウスの大統領執務室に続いている。グッドマン大統領と彼らの警護を務める精鋭のSPたちはこの先に籠城しているのだ。

 

 この隔壁をこじ開けない限り、標的であるグッドマンの下へはたどり着けないのだが……。

 

「くそっ、ビクともしやがらねえ……隊長! この調子じゃあ、開ける前に日が暮れちまう!」

 

 扉を開けようと四苦八苦していた猛毒部隊の隊員の一人が、八つ当たり気味に隔壁を蹴り飛ばす。攻撃力も何もない、ただ頑丈で通路を塞ぐだけのシールドはその実、殺傷力に長けているだけで破壊力に長けているわけではない猛毒部隊にとって、武装した兵士の部隊よりも厄介な相手だった。

 

 隊内でも屈指の筋力を持つ“アカヒアリ”の特性を持つ彼でさえ、こじ開けることは適わない。しかしだからといって、このまま立ち往生していては──

 

「日が暮れる前に敵の増援が来て、蜂の巣にされるのがオチでしょうね」

 

 ゲレルの眉間にしわが寄った。現状、敵の救援はフィリップ率いる猛毒部隊の別動班、正及び面入り口に陣取った千桐が阻んでいる。しばらく邪魔は入らないだろうが、しかしいつまでも食い止められるわけではない。ステファニーが通信で告げたように、この作戦は『短期決戦』こそが肝なのだ。

 

 時間の浪費は大敵である。彼女は力技での突破を早々に諦めると、次善の策に移った。

 

「エンジンカッターの準備を。しばらくの間は、ルークとビショップが敵の増援を防いでくれます。その間に、この邪魔くさい壁を刳り貫いて──」

 

「いや、必要ない」

 

 しかしそんな彼女の指示は、静かに響いた男の声によって遮られた。

 

「退いていろ」

 

 声の主──シドは猛毒部隊の隊員を押しのけると懐からパッチ状の変態薬を取り出し、首に押し当てる。

 

「原始変態──」

 

 ミシ、と骨肉が軋む音と共に、その肉体が分厚くも滑らかな純白の皮膚に覆われる。肉食獣の犬歯のように鋭利な歯をむき出し、シドが笑みを浮かべた──次の瞬間。

 

 

 

 空気が震え、軋んだ音と共に隔壁が吹き飛んだ。

 

 

 

「ッ!?」

 

 猛毒部隊の隊員たちはぎょっとしたように目を見開く。アリの筋力ですらビクともしなかった隔壁を、こうもあっさり吹き飛ばした破壊力──否、否、注目すべきはそこではない。

 真に恐るべきは、シドが何の予備動作もしなかったことである。それはまるで見えない拳──仮に自分が目の前の男と戦うことになったらと想像して、猛毒部隊の隊員たちは鳥肌が立つのを感じた。

 

「先に行っている」

 

「了解。私は残党の始末を。部下を数人残すので、好きに使ってください」

 

 ゲレルの言葉に「ああ」と短く答えると、シドは専用武器である剣を抜き放ち、散歩にでも行くような気軽さで通路の奥へと歩みを進めていく。

 

「ッ、隔壁が突破された!」

 

「大統領をお守りしろ! 絶対に──」

 

「邪魔だ」

 

 鬱陶しそうにそう言ったシドの体から、隔壁を打ち破ったのと同じ不可視の衝撃波が放たれる。それは机と椅子で築かれた簡素なバリケードごと、テロリストに立ち向かおうとしたSPたちの命を叩き潰す。

 

「フン、口ほどにもない……さて」

 

 シドは辛うじて蝶番で壁に繋がれているだけのドアを蹴り飛ばした。床の上に倒れたドアを踏みつけて、彼は執務室の中へと入る。彼の目は執務机で沈黙する壮年の男性の姿を捉えると、真っ直ぐに彼に向って歩みを進めていく。

 

「お初にお目にかかる、ジェラルド・グッドマン。この国を頂戴しに参上した」

 

「……アポイントもなしにずかずかと」

 

 その男性──アメリカ合衆国大統領、ジェラルド・グッドマンは取り乱すことなくシド達を見やった。

 

「品がないことだ、テロリストよ」

 

「生憎と、これ以外に語る術を持たないのでな」

 

 グッドマンの批難を一笑に付し、シドはどっかりと応接用のソファに腰を下ろした。

 

「さて、単刀直入に用件を言おうか。()()()()()()()()()()()()()()。そうすれば、命だけは助けてやろう」

 

「自分の命惜しさに、国を売り渡すような真似をするとでも?」

 

 ほんの少しでもシドの気に障れば、一瞬にして彼は殺される。そんな状況下にあって、しかしグッドマンは一歩も引かない。殺したければ殺せ、とばかりに眼前のテロリストを睨みつける。

 

「クカカ、勇猛なことだ!」 

 

 一国を収める首魁はこうでなくては、とシドは鷹揚に笑い「だが」と続ける。

 

「勘違いしているようだな。俺は『お前の命を助けてやる』とは、一言も言っていないぞ?」

 

「──なんだと?」

 

 楽し気なシドの声に、それまで少しも変化がなかったグッドマンの顔が微かに歪む。だがその真意にグッドマンが気付く前に、シドは背後の猛毒部隊の隊員たちを振り返った。

 

「大統領は交渉のテーブルに、誰の命が乗っているのかわかっていないご様子。お見せして差し上げろ」

 

 シドの言葉に応じると、1人の隊員が手荒にその人物達を執務室へと引き込んだ。その瞬間──グッドマンの顔から血の気が引いた。

 

 

 

 ──猛毒部隊が連れてきたのはグッドマン大統領夫人と、その娘だった。

 

 

 

「──!」

 

 後ろ手を縛られた彼女たちは、猛毒部隊に指示されるまま歩くことしかできない。口に噛まされた猿轡のせいで悲鳴も上げられず、彼女たちは恐怖の涙を浮かべた目で夫を、父を見やる。

 

 危険を察知していたグッドマンは、事前に護衛をつけて安全な場所へ避難させていた。()()()()()()()()()()、入念に入念を重ねたはずの彼女たちの居場所がなぜばれた。

 

「さて、品のないテロリストらしく交渉──いや、脅迫と行こうか」

 

 動揺するグッドマンに、シドは再び切り出した。

 

「今からお前には、大統領としての声明を発表してもらう。『娘と妻が人質に取られている。家族の命を救うため、テロリストの要求に従い、合衆国大統領を辞任する』とな。そうすればお前の家族と、お前自身の命も見逃してやろう」

 

「──その言葉を信じろと?」

 

「信じたくなければ断ればいい」

 

 突き放すようにシドはせせら笑う。

 

「その場合、お前の家族は全員殺すがな。俺はどちらでも構わん──どうあがこうと、貴様が大統領の席を空けるという結果は変わらない。辞任か殉職か、貴様の首が社会的に飛ぶか家族諸共に物理的に飛ぶかの違いがあるだけだ」

 

「……ッ」

 

 その瞬間、老いた大統領はその生涯において最大級の岐路に立たされた。

 

 提示されるは、究極の二択──最愛の妻を、娘を見捨て、合衆国を統べる大統領としての矜持を貫き死ぬか。あるいは自らを信任した合衆国民を裏切り、家族を愛する父親として生き恥を晒すか。

 

 どちらかを選ぶしかない、どちらかしか選べない。そしてどちらを選ぼうとも──その先に待つのは、破滅だ。ジェラルド・グッドマンという人間は、ここで死ぬだろう。それが生命活動の話か、それとも人間性の話かはともかくとして。彼は何かを、取りこぼしてはいけない大切な何かを失うことになる。

 

「貴様が是といえば、俺は全米に貴様の声を届けよう! 貴様が否といえば、俺は貴様らの首を掻き切ろう! さぁ選んでもらおうか、グッドマン! 国を捨てるか! 家族を捨てるかを!」

 

「ぐ、う……!」

 

 

 

 グッドマンは葛藤する。葛藤して、葛藤して──そして。

 

 

 

「──全米に、通信を繋げろ」

 

 

 

 観念したように、その言葉を絞り出した。

 

「……結構」

 

 言葉とは裏腹に、シドはつまらなそうにそう言うと、クイと顎で合図を送る。それを見た猛毒部隊の一人がスマートフォンを取り出し、数秒ほど操作してからそれを無造作に放る。右腕の人差し指と中指でそれを挟んでキャッチして、シドはグッドマンの前にそれを差し出した。

 

「公共電波はジャックした。これで貴様の声は全米中に流れるだろう──では、感動的なスピーチを期待する」

 

 そう言ってシドは、軽やかに通話ボタンをタッチした。1、2、3……と通話時間のカウントが始まったのを確認すると、グッドマンは口を開いた。

 

 

 

 

 

『国民の皆さん。アメリカ合衆国大統領、ジェラルド・グッドマンです。まずは突然、このような放送で皆さんを混乱させてしまったことを謝罪します』

 

 ──ですがどうか、このような形での放送は私も本意ではないことをご理解いただきたい。

 

 グッドマンはそう前置きをして、続きを切り出した。

 

『既にご存じかもしれませんが、ホワイトハウスは現在、武装勢力により襲撃を受けています。そして今、私の目の前にその実行犯たちがいます。彼らは私の娘と妻を人質にとり、二つの要求を提示しました。第一に、大統領を辞任すること。そして第二に、そのことを合衆国民に向けてこの場で、公共の放送で宣言すること──この二つと引き換えに、妻と娘を開放すると彼らは言いました』

 

 グッドマンが口にしたその言葉をリアルタイムで耳にした人々の反応はさまざまであった。

 

 ある国民は「大統領は家族のためにみすみす国を混乱させるのか」と憤慨し、またある国民は「大統領といえど人間、その決断もやむなし」と同情の意を示す。

 

『悩みに悩んだ末に、私はこの放送をすることに決めました。どうか皆さん、お許しいただきたい──』

 

 けれど、その放送を聞いていたほとんどすべてのアメリカ国民は、その胸中に同じ感情を抱えた。

 

 それはいいようのない虚無感であり、喪失感。ジョージ・ワシントンから始まったアメリカ合衆国が、今日という日を以てテロリズムに膝を屈する。誇り高き国旗に煌めく50の星は、歪んだ暴力の黒に汚されてしまう。

 

 アメリカという国が、テロに負ける。グッドマンの語り口から、ついにその悪夢が現実となってしまうのだ──と、誰もが嘆息した。

 

 そしてだからこそ、誰もが耳を疑った。

 

 

 

 

 

 

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 テレビが、ラジオが、スマートフォンが伝えた、グッドマンの言葉は。想像とは、まるっきり正反対のものだったから。

 

「な……!?」

 

「ッ、こいつ……!」

 

 それはグッドマンを監視している猛毒部隊の隊員たちも例外でなく。彼らは直前までその顔に浮かべていた嘲りと侮りが混ざった表情を、驚愕と怒りのそれで塗り替えた。

 

「ほう……?」

 

 唯一シドだけが怒りも驚きもせず、少しばかり興味が湧いたとばかりに肩眉を吊り上げて見せた。面白がっているのか、あるいは必要性を見出せないのか、本来の要求とは違う内容を口走り始めたグッドマンに対して、制止の声を上げるようなことはしない。

 

『私には合衆国を統べるものとしての責任と矜持がある! 先人たちが遺してきたものを受け継ぎ、より高め、次世代へと引き継ぐこと──それこそが合衆国大統領、ジェラルド・グッドマンに課せられた使命! 例えホワイトハウスが陥落しようと、家族を殺されようと、合衆国の歴史を私の手で貶めることはできない!』

 

 

 これから妻と娘は殺されるだろう。ただ殺されるだけならばいいが。思い通りに自分が動かなかった憂さ晴らしに彼女たちが痛めつけられ、尊厳を踏みにじられながら死を迎える可能性も高い。その最悪の未来は他でもないグッドマン自身が選んだ結果であり、捨てた結果である。

 

 だが例えそうなるとわかっていたとしても……星条旗を背負い立つ者として、グッドマンにアメリカを捨てるという選択肢はなかった。

 

 合衆国がテロに屈する? 国旗に輝く50の星が暴力に汚れる? 

 

 否、否、否──そのような無様は、断じてあってはならない。

 

 その選択は、先人たちが積み重ねてきたものを否定することだから。その選択はここに至るまでの自分の軌跡と、それを支えてくれた家族を裏切ることだから。その選択は、未来に紡がれる顔も知らない誰かの幸せを突き崩すことだから。

 

 だからグッドマンは、例えそれが自己満足に過ぎなかったとしても、“合衆国大統領として死ぬ”ことを選んだのだ。

 

「ッ、放送を止めろ!」

 

 猛毒部隊の隊員の一人が、スマートフォンを取り上げようと駆け寄ってくる。だが、まだ話すべきことは残っている。グッドマンは隊員を突き飛ばし、スマートフォンへと語り掛ける。

 

『どうか許してほしい! 家族を守れず、志も半ばで倒れる愚かな大統領を! そしてそのうえで、厚かましいのは承知の上で言わせてほしい!』

 

「いい加減に黙れ、この老いぼれ!」

 

 苛立った隊員がグッドマンの頬を殴り飛ばす。変態していないとはいえ、成人男性の殴打は相当な威力だ。頬骨がミシと嫌な音を立て、口の中に鉄さびの味が広がる。だが、グッドマンの瞳から炎は消えない。彼は通話が途絶するその寸前、渾身の力を振り絞って叫んだ。

 

 

 

 

我々は気高き星条旗(We are united states)! 暴力でしか語る術を持たないものに、決して負けるな!』

 

 

 

 

 

 その瞬間猛毒部隊の隊員が力任せにスマートフォンを叩き割り、ホワイトハウスから全米への中継放送は途絶えた。

 

「この、老いぼれッ! なめた真似しやがって!」

 

「ぐ、がっ……!?」

 

 猛毒部隊の隊員が、グッドマンのスーツの胸倉をつかみ上げるや否や、その腹に膝蹴りを叩きつけた。たまらずうずくまるグッドマンだが、それだけでは溜飲が下がらなかったのか、男はその背を執拗に踏みつける。グッドマン夫人が声にならない悲鳴を上げて駆け寄ろうとするが、別の隊員に押さえつけられてそれはかなわない。

 

「ハァ、ハァ……このクソが」

 

 血走った眼で隊員はいうと、注射器型の変態薬を首筋に突き立てた。両腕に発現するは、特定外来生物“ツマアカスズメバチ”の特性である猛毒の針。

 

「そんなに死にてえなら、お望みどおり殺してやるよ──―!」

 

 苛立ちと嗜虐性をないまぜにした表情で、その隊員は毒針を振り上げ──

 

 

 

「──誰が私刑を許可した?」

 

 

 

 背後から声が響く。だがその声が誰のものなのかを理解するよりも早く、別の電気信号を受け取った。

 

「あ、え……?」

 

 胸から感じる、冷たい灼熱感。咄嗟に視線を下げた隊員の瞳に映ったのは、自分の体を背面から貫く西洋剣の刃だった。

 

「命令を待つこともできん駒に価値はない──死ね」

 

 ずぶり、とシドが剣を引き抜く。その隊員は何が起こったのか理解できずに地面に倒れ込み──そのまま息絶えた。

 

「馬鹿が失礼した、大統領。で、話を戻すが──」

 

 味方を手にかける凶行に、グッドマンのみならず猛毒部隊の面々すらも愕然と立ち尽くす。そんな中、それを成した張本人である猛獣の如き騎士だけはなんてことないように死体から目を離すと、再びグッドマンを見やった。

 

「先ほどの宣言が貴様の遺言でいいんだな?」

 

「──」

 

 シドの視線に微かに体を強張らせこそしたが、グッドマンは沈黙を貫いた。語るべきは全て語った、殺すならば殺せといわんばかりに。老いた大統領の覚悟をくみ取り、シドはその口元に笑みを浮かべた。

 

「いいだろう──()()()覚悟に敬意を表し、痛みを感じる間もなくあの世に送ってやる」

 

 猛獣の如き騎士が西洋剣を構える。その様子をしり目に、グッドマンは人質となった家族たちへ視線を向けた。この状況に怯えてこそいるが、しかしその目にグッドマンへの非難の色はない。それは夫の、父の、選択が正しいと信じているからこその、凛とした態度であった。

 

 ──すまない、お前たち。

 

 胸の中で一度だけ謝罪の言葉を口にして、グッドマンは再びシドへと視線を戻す。最後の瞬間まで、決して目の前の男から目を逸らすまいという、彼の大統領としての最後の意地だった。

 

 シドが腕に力を籠めた。そのエネルギーが柄を通じて西洋剣に込められ、その刃が己の首を切断すべく迫る。その一連の流れは、異様にゆっくりと遅く感じられた。そして、その切っ先がまさにグッドマンの首を断ち切ろうとした、そのタイミングで。

 

 

 

 

 

 ガシャン! 

 

 

 

 

 

 

 グッドマンの背後、大統領執務室の大窓にはめ込まれたガラスを突き破り、その人物は中に飛び込んできた。彼は粉々になったガラス片と共に室内に降り立つと同時に、彼は銃を構えた。

 

 左右の手に加え、人為変態によって腰から生えた3本の触手に握られた5丁の拳銃が、爆音と共に一斉に火を噴く。

 

「がッ!?」

 

「ぴゃッ!」

 

「ぐぁ!」

 

 三発の弾丸が、それぞれ室内にいた猛毒部隊の隊員たちを貫く。彼らは反撃もままならず床の上に盛大に倒れ込み、苦し気にうめき声を上げる。

 

「フン」

 

 一方シドは襲撃者の挙動を見るや否や、即座に手中の剣を振るい、自らを狙い迫る銃弾を弾き飛ばした。ガィン、という音と共に軌道がそれ、室内の壁に弾痕が一つ刻まれる。対人を想定したハンドガン程度、今のシドにとっては子供のおもちゃのような物だ。

 

「──?」

 

 だがそのタイミングで、彼は異音に気が付いた。

 

 彼が耳にしたのは、高速で何かを巻き取るような音──そして次の瞬間、襲撃者の体が何かに引っ張られるように宙を舞った。目を凝らしたシドは、襲撃者が持つ拳銃のうちの1丁から伸びる、ひも状の金属に気が付いた。

 

「ワイヤー銃か!」

 

「大統領ッ!!」

 

 シドと襲撃者の声が重なる。ワイヤーを切断すべく、剣を持つ手に力を籠めるシド。しかし襲撃者が再び拳銃の引き金を引いたために、その剣は防御のために振るわざるを得なくなる。

 

 その隙をつき、襲撃者は伸ばされたグッドマンを掴むと、ワイヤーを巻き取る勢いに任せ、彼の体をシドから引き離した。

 

 そのまま彼はグッドマン夫人とその娘の前でワイヤー銃から手を離し、転身。シドから守るよう射線上に立つと、四つの銃口全てを彼に向けた。

 

「ああ、来ると思っていたぞ、スレヴィン・セイバー」

 

 先日切り伏せた標的──スレヴィンに、シドは語り掛ける。

 

「あの程度で死ぬ雑魚でなくて何よりだ。だが随分と早いな。ビショップとルークを足止めに回したはずだが?」

 

「仲間がいるのはお前だけじゃねぇってことだ」

 

「……そういうことか」

 

 スレヴィンの言葉に得心がいった、とばかりに。事情を察したシドは、その口元を凶悪に歪ませた。

 

 

 

※※※

 

 

 

 ──17番通り。

 

「お、今のを避けたか。やるねぇ」

 

 感心半分、意外半分。そんな声音で呟いたフィリップは、眼前の人物を頭上から爪先までくまなく観察して、その目を喜色に輝かせる。

 

「そして聞きしに勝る、素晴らしい筋肉だ! 特に上腕二頭筋の造形、滑らかな曲線が美しい。よっぽど鍛えぬいたんだろうな……いいね、ムラムラしてくる!」

 

 ──だからさ。

 

 そう言ってフィリップは、微かに目を細めた。

 

「その殺気を抑えて俺の筋肉談義に付き合ってくれない? 大人しくしてくれたら、ひどいことはしないからさ──ミッシェル・K・デイヴス少佐」

 

「お断りだ、このセクハラ野郎」

 

 底冷えするような声と共に、変態したミッシェルが睨む。

 

「テメェの性癖に付き合ってやる時間はねェ」

 

「おっと、そいつはおっかない……じゃあ仕方ないな」

 

 そう言ってフィリップは袖口から素早く銃弾を取り出し、それを握り込んだ。

 

「恨みっこなしだ。どうなっても知らないよ?」

 

「こちらの台詞だ──私たちの誇りを踏みにじっておきながら、ただで帰れると思うな!」

 

 

 

※※※

 

 

 ──ホワイトハウス正面玄関

 

 

 

 ガン、ギン、キィン! 

 

 硝子の壁に八方を塞がれた決闘場。そこで打ち合い火花を散らすは剣と槍、車椅子に座した風邪村千桐と、フルフェイスヘルメットを被ったシモン・ウルトルである。

 

「通りゃんせ 通りゃんせ♪」

 

「せッ、発ッ!」

 

 刀が首を刎ねようとすれば槍が防ぎ、槍が心臓を貫こうとすれば刀が阻む。目にもとまらぬ速さで繰り返される衝突。更に数合打ち合った彼らは一度距離を置くと、仕切り直しといわんばかりに再び己の武器を構えた。

 

「ふふ、お見事です。ここまでわたくしと打ち合った方は、久方ぶり。花丸あげちゃいます」

 

 コロコロと鈴の音のような声で笑いながら、千桐は続ける。

 

「さぁ続けましょう? わたくしを倒さない限り、ここから先へは進めません……先ほどはタコの人をうっかり通してしまいましたが、それはそれ。わたくしが健在のうち、ここから先は通せんぼ。ここから先は通りゃんせ、です」

 

「……」

 

 そんな千桐の言葉に、シモンはフルフェイスヘルメットの下で微かな困惑の表情を浮かべて槍を構え直す。一瞬の逡巡……その後、彼は意を決したように口を開いた。

 

 

 

「ゴメン、今言うことじゃないかもしれないけど……さっきから貴女が歌ってる『通りゃんせ』って、『通りなさい』って意味だよ?」

 

「えっ」

 

 ──やりづらい。

 

 ピシリ、と衝撃を受けたように固まる千桐の姿に、シモンはそっとため息を吐いた。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ダリウス・オースティンが来れば音で分かる。察するに足止めを買って出たのは、シモン・ウルトルにミッシェル・K・デイヴスか……クカカ、確かに奴らならば、ルークとビショップの相手も務まるだろう! だが悪手だったな──」

 

 一度言葉を切ったシドは試すように、スレヴィンに問いかけた。

 

「お前1人で、俺と猛毒部隊を相手に勝てるとでも?」

 

「んなもん、やってみなくちゃわかんねえだろうが!」

 

 スレヴィンは叫ぶと同時、シドに照準を合わせた四つの銃口が一斉に火を噴く。

 

「大統領、家族を連れて走れ!」

 

 ひっきりなしに鳴り響く銃声。それに負けない声量でスレヴィンが怒鳴れば、いち早く立ち直ったグッドマンがすぐさま妻と娘の手を引いて部屋を飛び出した。

 

「無駄だ、その程度の銃で俺は殺せん!」

 

 巧みな体捌きでシドは銃弾を躱し、あるいは己の専用武器で弾く。マダコの特性を最大限に活かした弾幕に晒されながら、その体には未だ傷がついていなかった。

 

「そうかよ。だったら──」

 

 ──コイツならどうだ? 

 

 そんな言葉と共にスレヴィンが取り出したのは、他の自動式拳銃とは形状が違うリボルバータイプの拳銃。特筆すべきは、銃身が通常のリボルバーに比べてかなり太いことだろう。

 

「ッ!」

 

 スレヴィンが引き金を引く。咄嗟にシドが半身を逸らした、次の瞬間。

 

 

 

 ── ド ゴ ン ッ ! 

 

 

 

 今までとは桁違いに重々しい銃声が響き、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「ク、ク──クカカカカッ!」

 

 その光景を見たシドは、何がおかしいのかその手を額に当て、ゲラゲラと大笑いする。

 

「『S&W M500』の改造50口径銃か! しかもこの威力は被覆鋼弾(フルメタルジャケット)じゃない、膨張炸裂弾(ホローポイント)だな?」

 

 それは、スレヴィンが特注で用意した対テラフォーマー用の装備。

 

 長い歴史の中で人類が開発した最強の武器、『銃』。相手に近づくことなく、離れた位置から一方的に敵を葬り去ることができるその武器はしかし、痛覚が存在せず、食道下神経節が存在する限り活動を続けることができるテラフォーマー相手には効果が薄い。

 

 二年後のアネックス計画に配備される人員が完全装備の軍人ではなく、MO手術を受けた民間人である最たる理由だ。

 

 だからスレヴィンは、徹底的に威力を上げることにこだわった。

 

 21世紀のアメリカで『世界一強力な銃弾を撃つ』ために開発された50口径拳銃、『S&W M500』。『世界最大口径の拳銃』というギネス記録は600年たった現在でも破られておらず、並の銃とは桁違いの威力で弾丸を吐き出す。

 

 また装填する弾丸も通常のそれではなく、ホローポイント弾と呼ばれるやや特殊な形状のそれ。着弾と同時に弾頭がキノコ状に膨らむことで、効率よくエネルギーを与えターゲットを内部から破壊する凶悪な仕様。

 

「当たりどころが悪ければテラフォーマーでも粉々、文字通り一撃必殺だ。人間に向けて使う代物じゃないだろうが」

 

「──その一撃必殺を剣で受け流しやがった奴には言われたくねえな」

 

 渋い顔で吐き捨てたスレヴィンの目にはシドの西洋剣があった。おそらく50口径の威力に耐えられなかったのだろう、象牙のような質感の奇妙な刃は戦端が三分の一ほどかけていた。しかしそれは裏を返せば、彼は己の武器を完全に破壊せず、人体を上下に切断するほどの威力を秘めた弾丸を受け流してみせたということ。

 

(──人間技じゃねえ)

 

 ゾッとするような悪寒が走る。間違いなく眼前の男は、スレヴィンがこれまでに出会ってきた人間の中で最も強い。ともすればアネックス計画の幹部たちでさえ、油断すれば喰われしまうほどに。今の自分では到底及ばないだろう。

 

 

 

「だが、それでいい……()()()()()()()()()

 

「ッ、そうきたか──!」

 

 スレヴィンの言葉の真意をシドが理解した瞬間、大統領執務室内には眩い閃光と凄まじい音響が溢れた──スレヴィンが用意しておいたフラッシュバンが炸裂したのだ。

 

 シドは咄嗟に目と耳を塞ぎ、口を半開きにして襲い来る五感への攻撃をやり過ごす。しかし再びシドが視線を向けると、そこにスレヴィンの姿はなかった。

 

「してやられたな。まあいい」

 

 この程度の時間では、ほとんど距離も稼げないだろう。そう判断したシドは大統領執務室を後にしようとするのだが。

 

 

 

【オ ア、ア ア ア ア ア ア ア ア !!】

 

 

 

 耳を劈く甲高い悲鳴のような音が響く。騒騒しいその音に舌打ちをして、彼は手中の西洋剣を見下ろした。

 

「刃が少々かけた程度でガタガタと騒ぐな」

 

 その言葉に抗議するように、手中の西洋剣は柄から機械製の触手を伸ばし、先端部の針状の物体をシドの腕に突き刺した。

 

 ──このままでは戦闘に支障をきたすか。

 

 そう判断したシドはもう一度舌打ちしてから、渋々といった様子で告げた。

 

「……三十秒だ」

 

 そう呟くと同時、まるでその言葉を聞いていたかのように、柄から延びる触手の攻撃がぴたりと止んだ。

 

「それ以上は待たん」

 

【──キャ、キャ】

 

 先ほどと一転、どこか楽し気な音を響かせながら──アダム・ベイリアルが鍛えた西洋剣『元帥(マーシャル)』は、その刀身をバックリと四つに分裂させる。

 

 露になった刀身の内側にあったものは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。不気味に脈動する平たいピンクの器官、至る所から粘性の液体を滴らせるそれは、どこかホラー映画に出てくる怪物の口のように思える。

 

『剣に擬態していた怪物が本性を現した』──そんな表現が相応しい光景だった。

 

 分裂した『元帥(マーシャル)』の刀身は不気味にうねり、まるで植物の成長を早回ししているかのようにゆっくりと、スレヴィンの攻撃で戦闘不能になった猛毒部隊の隊員たち目指して伸びていく。

 

「ひ、やめろ! 離せェ!!」

 

「来るな、来るなああああああああ!」

 

「い、嫌だ! 死ぬのはいい! だが、あんたの『元帥(マーシャル)』で殺されるのだけは嫌だ!!」

 

 猛毒部隊の隊員たちが、口々に絶叫する。一人の例外もなく優れた暗殺者たちである彼らが、泣きながら懇願する。

 

 しかし、あの程度の奇襲にも対応できない兵士の命乞いにシドが耳を傾けることはない。そしてさらに言えば、アダム・ベイリアルが鍛え上げた魔剣に死にゆく者の嘆願を聞き入れるなどという慈悲深い機能が付いているはずもない。

 

 抵抗も逃亡も命乞いも意味はなく、隊員たちは触手のような刃に捕らえられ、そして。

 

 

 

 

 

【 ギ ャ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ! !】

 

 

 

 

 

 ザシュグシャグチャバキメリゴリッメキョベキボキガツガツズルッジュルルル! 

 

 

 

 

 

 そんなおぞましい音と共に、文字通り()()()()()()()。剥き出しになった怪物の口は断末魔を上げる隊員たちに牙を突き立てると、肉を食み、血を啜り、骨をむさぼる。荒々しい捕食行動で飛び散った血飛沫が、返り血となってシドの顔を汚す。

 

【キャ、キャ──】

 

 先に殺されていた隊員を含めた四人分の人間をものの二十秒ほどで平らげると、怪物は満足したように元の剣の形態へと収束した。その様子を見て、呆れたようにシドは呟く。

 

「相変わらず、行儀の悪い女だ──さて、急がねば」

 

 とんだ足止めを食ってしまった。

 

 シドは取り出した眼鏡クリーナーでレンズにこびりついた血糊をふき取ると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、執務室を飛び出した。

 

 

 




【オマケ①】

エドガー「『その程度の銃じゃ俺は殺せない』といったかと思えば『人間に向けて使うもんじゃない』……注文が多いな貴様」

シド「戦闘中の発言に突っ込むな。無粋だろうが」



【オマケ②】

元帥【ツギ、サイキンガタタベタイキャアアアアアア!】

シド「注文が多い。誰に似たんだこいつ」

エドガー「鏡を見てみるがいい」


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