贖罪のゼロ   作:KEROTA

59 / 81
冒涜弔歌OLIVIERー4 汚泥満杯

「永久楽土の礎となるがいい、凡愚。我が槍を、貴様の墓標にしてやろう」

 

「……永久楽土、ね」

 

 シモンはルイスの言葉を反復しながら、ウンカの脚力で地を踏みしめた。拾い上げた己の専用武器を構え、ルイスを静かに睨む。

 

 ――意外に思われるかもしれないが、多くの中国武術では中遠距離からの攻撃にも対応するため、素手のみではなく武器を使う戦闘術もセットで習う。

 

 それは八極拳も例外ではなく、その中でも一際有名なのは“槍”であろう。その名も“六合大槍”――全長実に3m20cmにもなる、長大な槍を用いた八極である。

 

「ヒュッ!」

 

 短く息を吐きながら、シモンは身長の二倍近い長さの槍による刺突を繰り出す。

 

 六合大槍の開祖・李書文は、牽制に放った初撃でさえ相手を葬ってしまうことから『神槍无二打(李書文に二の打ちいらず)』と謳われたという。

 

 シモンの槍術は技術こそ未だその域に達していないものの、MO手術によって強化されたその身体能力は当時の開祖を遥かに凌ぐ。故にその一撃は熾烈、並の戦闘員では到底躱しきることはできないはずのもの。

 

 だがルイスはその一撃を跳躍によって、あまりにも容易く回避してのけた――のみならず。

 

「――温いな」

 

「!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()、お返しとばかりシモンに自身の槍の刺突を浴びせる。

 

 ――回避は不可能。

 

 そう判断したシモンは、即座に自分の槍から手を放す。そのままルイスの槍を掴み、刺突の勢いそのままに引き寄せた。

 

 足場を失い、ルイスの体が虚空に舞う。この状況なら、先程のような受け流しは不可能。シモンは眼前の脇腹に肘撃ちを放った。毒棘のファランクスを展開する間もなく、ルイスの体が吹き飛ばされる。

 

「フン、興ざめだ」

 

 しかし当のルイスは、さして損耗したような様子もない。自らの得物をつっかえ棒のようにして空中で一回転すると、軽やかに地面に着地した。

 

「御大層な肩書の割に、技術が全く追いついていない。こんな男を現場指揮官にするとは……“ダ・ヴィンチの再来”も、人を見る目はからきしらしい」

 

 ルイスはシモンを嘲るような調子で続ける。

 

「かつて私が巡り合ったある八極使いは、拳1つで対物ライフルを想定した戦車装甲を砕いて見せたぞ? 真に貴様が八極を修めていれば、『こんなもの』で抑えきれるわけがない」

 

 そういってルイスは自身が身に纏う特殊なスーツを指で撫でる。それを見て、シモンは微かにその顔を強張らせた。初劇も今も打撃の瞬間、何かが衝撃の伝播を阻んだような感触があったのだ。どうやらその正体が、あの特殊なスーツらしかった。

 

 防具の際たる鎧と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、西洋甲冑にせよ日本の鎧兜にせよ、「重く、硬い」防具だろう。

 

 しかし2600年代には、この例に当てはまらない鎧が存在する。それが“リキッドアーマー”である。

 

 この鎧は内部に「ダイタラント流体」と呼ばれる、粉末粒子を混ぜこんだ特殊な液体を内包しており、衝撃が加わった際には固体のような抵抗性を発揮する。従来の防具とは対照的な「軽く、柔らかい」鎧なのだ。

 

 2018年時点では構想の域を出なかったこの防具はその600年後、2618年現在では軍用装備として世界の軍隊に広く流通している。

 

 ルイスが身に纏う体色連動式極薄リキッドアーマー 『SYSTEM(システム)Glaaki(グラーキ)』は、それを更に軽量・薄型化したもの。ダイバースーツに匹敵する薄さでありながら、極めて高い防御力を発揮する。それにオニダルマオコゼの分厚い皮膚とルイス自身の戦闘技術が加われば、生半可な打撃は通用しない。

 

「未熟な己を恨むがいい――今度はこちらから行くぞ!」

 

  言うと同時、ルイスは踵から踏み込み、シモンへと肉薄した。

 

  人間の最新品種、ニュートンの血統に生来備わる高いポテンシャル。訓練を通じてより丹念に磨きあげられたそれで以て、ルイスはシモンに躍りかかる。

 

  繰り出されるは怒濤の連撃。近未来的な装飾が施された彼の槍の穂先は、人体の急所を的確に狙い突く。雨のように降り注ぐ刺突に、シモンは防戦に徹さざるを得ない。

 

 ――これもまた、ルイスのベース生物であるオニダルマオコゼの特性。

 

 待ち伏せの「静」の構えから、瞬時に獲物に食らいつく「動」の動き。一瞬にして獲物を飲み込む瞬発力。それをルイスは槍の一撃に転用しているのだ。

 

 その攻撃速度、まさに神速。無論シモンもされるがままではなく、槍や拳による受け流しを試みる。しかしカメムシの知覚ではその全てに反応しきることはできず、シモンの体に刻まれる傷は刻々とその数を増やしていく。

 

「フフ、ハハハハハ! 他愛なし、シモン・ウルトル! その程度で我が君の野望を阻もうなど、片腹痛いわ!」

 

 無機質な床が次第に赤く染め上げられていく様に喜色を浮かべ、ルイスがサディスティックな嘲笑を浮かべた。

 

 ブリュンヒルデがU-NASAのデータベースから盗み出してきた情報によれば、この男の手術ベースは『カマドウマ』。バッタ目に代表される強靭な脚力はなるほど、脅威ではある。しかし所詮は直接攻撃系の括りに分類されるベース生物、特筆して警戒しなければならない能力はないだろう。本体の戦闘能力も高くはあるが、ニュートンの肉体を持つルイスであればどうとでもなるレベル。つまりシモン単独では、どうあがこうともルイスの敵ではない。

 

 懸念すべきは援軍の存在だが、要注意戦力であるミッシェルとダリウスは別の通路へと誘導済み。微かに響く銃声を聞く限り他の同行者は亡者の足止めでしばらくは手が離せないだろう――もっとも、仮に追いつかれようと自分ならば問題はないのだが。

 

「うっ……!」

 

 このままで追い詰められると、シモンはルイスの間合いから跳躍で脱する。しかしその先で彼は、膝をついた。そのタイミングで追撃の穂先が繰り出されなかったのは偶然ではない、ルイスにはわざわざ焦る理由がないからである。

 

 そう、この戦闘においては時間すらもルイスの味方である。なぜなら戦闘が長引けば長引くほどにシモンの体は消耗し、自ら敗北へと足を進めていくのだから。

 

 

 

 “オニダルマオコゼの魔毒”――それがシモンの体を蝕むモノの正体。

 

 

 

 毒物の威力を測るための尺度として「LD50値」という指標が存在する。投与された実験動物の半数が死亡する毒液用量を測定するため「半数致死量」とも呼ばれており、mg/kg(1kgあたり何mgの毒液で死亡するか)で判定される。つまりこの数値が小さいほど、少量で被毒者を殺傷せしめる危険な毒ということになる。

 

 分かりやすい例を挙げれば、推理小説でおなじみの毒物「青酸カリ」のLD50値が3.0mg/kg、毒蛇として有名な「キングコブラの猛毒」で1.7mg/kgであるとされる。

 

 だが「オニダルマオコゼの魔毒」はそれらを容易く上回る。そのLD50値は実に0.8mg/kg――単純計算にして、キングコブラの毒の二倍以上の毒性を孕んでいるのである。しかもこれは“皮下注射”の話であり、静脈に毒素が注射された場合には0.2mg/kgと魚類の中でも有数の毒性を誇る。

 

 オニダルマオコゼの毒は、間違って踏みつけてしまったダイバーや海水浴客が死亡してしまうこともあるほどに危険な代物。それが人間大のサイズで生産されるとなれば、毒棘による一撃はその身をかすめただけでも、致命傷は免れない。どうあがこうと、シモンに勝ち筋はないのである。

 

「惨めなものだ、シモン・ウルトル。その様ではもはや動くこともできまい」

 

 浅い呼吸を繰り返す満身創痍のシモンにゆっくりと近づくと、ルイスは槍をつきつけた。

 

「せめてこのルイスを相手に、五分立っていられたことは誉めてやろう。誇るがいい……あの世でな」

 

 そして彼は、シモンの喉へと槍を突き立てた。

 

 

 

 

 

「本当は、使いたくなかったんだけど」

 

 

 

 

 

「ッ――!?」

 

 

 

 しかしその直後、ルイスが槍越しに感じたのは穂先に切り裂かれる肉と筋の感触ではなくい。まるで岩に槍を突きさしたかのような固く、強い抵抗力だった。

 

 

 

 ――馬鹿な、()()()()()()()()()!?

 

 

 

 ルイスはその事実が信じられず、目を瞠った。

 

 ルイスが得物として用いる槍は、彼の主君たるオリヴィエの専用武器である“対生物コーティング西洋槍”『ペルペトゥウム・ロンギヌス』の量産型試作機である。当然ながら性能は完成品に遠く及ばないものの、それでも有象無象の槍など足下にも及ばない攻撃力を秘めている。

 

 特殊なコーティング技術で表面の摩擦係数が限りなく0に近づけられており、雑に使ってもツノゼミの甲皮を容易に穿通せしめる程で、ルイスの技量であれば甲虫の外骨格程度は豆腐にフォークを刺すように貫くことができる。防がれるとすれば甲殻型か防御に特化した一部の生物のみであり、“カマドウマ”にその一撃を防ぐことは不可能なはず。

 

 

 

「――拘束制御装置第1号、解錠」

 

 

 

 鼓膜に響く、静かなシモンの呟き。ルイスは瞬時に、眼前の死に体の男が奥の手を隠していたことを悟る。

 

「チッ!」

 

 バックステップを切り、ルイスはシモンの間合いから逃れようとし――しかしその直後、彼の後退は「何か」によって阻まれた。思わず振り向いた彼の眼球は、その正体をすぐに認知する。

 

 ――糸だとッ!?

 

 それは、目に見えない程に細い糸だった。いつの間にか彼の背後に張り巡らされた無数の糸が、まるでリングコーナーのようにルイスの退路を塞いでいたのである。

 

「ぜあッ!」

 

 次の瞬間、眼前に迫ったシモンの脚から豪速の膝蹴りがルイスへと放たれる。毒槍のファランクスを展開する暇はない、ならば専用武器と技術で受け流すまでとルイスは防御の構えを取り――。

 

「ご、はッ――!?」

 

 その直後、2重の防御を貫通して体の芯を打ち抜いた衝撃に苦悶の声を溢した。しかしそれでも、膝を着く様な無様を晒すことはルイスのプライドが許さなかった。崩れ落ちる前に彼は右手を床につき、側転の要領で今度こそシモンの間合いから逃れた。

 

「貴様ァ……ッ!」

 

 シモンを睨むルイスの形相は屈辱と怒りに歪み、余裕の色は跡形もない。

 

「なぜ私の一撃を防げる!? なぜ私は、今の一撃を――いや、()()姿()()()()!?」

 

 喚きたてるルイスの視線の先で、シモンは悠然と槍を構え直す。その姿は数秒前から一瞬にして様変わりしており、今は金属光沢を帯びた美しい甲皮が彼の全身を包みこまれている。

 

 

 

 ――カメムシの多くは緑や茶といった地味な色彩が多いものの、中にはモルフォチョウやタマムシと同じように特殊な構造の外皮で光を反射し、美しい光沢を持つものがいる。

 

 

 

 それがシモンの体に組み込まれた害虫の遺伝子の20分の1、『ナナホシキンカメムシ』を始めとするキンカメムシ科のカメムシたちである。自然界の光を乱反射する彼らの甲皮は金属や宝石に例えられるほど美しく、好事家の間ではしばしば、カメムシでありながら『世界で最も美しい昆虫』の1種として名が上がることもあるという。

 

 しかし、キンカメムシたちの外皮は煌びやかなだけではない。彼らの最大の特性は、カメムシの中でもトップクラスと言っていい防御力にこそある。

 

 翅が生えた昆虫の多く(特に甲虫、カメムシ類)は中胸・後胸の背中側、二枚の前翅の間に『小楯板』と呼ばれるV字の形をした甲皮を持っている。本来であれば翅の付け根やその下の柔らかい胸部を防御するための局所的な防具であるのだが、キンカメムシたちはこの小楯板を極端に発達させることで全身を防御している。言うなれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 加えて彼に与えられたとある専用武器により、小楯板の強度は段違いに増している。防御に長けたナナホシキンカメムシの特性を発現させている彼に、生半可な攻撃は通用しない。

 

「教える必要はない……けど。君なら答えを知ってるんじゃないかな?」

 

 シモンはアクセントにいかにもといった含みを持たせながら、ルイスに語り掛ける。この男は聡明だ、嘘は見抜かれてしまいかねない。だから騙すのではなく()()()()()()――あたかも彼にとって既知であるかのように嘯き、思考のどつぼに落とし込む。

 

()()()()()()()()()()()……いや、あの糸と脚力も考えれば更に……ッ! 貴様まさか、アヴァターラと同じ“特定部位複合型”か!?」

 

 ――かかった。

 

 シモンはフルフェイスヘルメットの下で小さく笑んだ。この場における最悪は自分が殺されることともう一つ、ゲガルドの者に正体がばれてしまうこと。

 特定部位複合型という推理は当たらずとも遠からず、だが本当の種が割れさえしなければ、それでいい。

 

「さぁね。だけど、一つ言えることがある」

 

 強力な特性、しかしそれに頼り切りではない、知能・身体共に磨き上げられた確かな実力――だからこそ自信家であり、プライドが高い。この手の人物は往々にして、一度その自信を崩されれば脆い。

 

 故にシモンは、すかさず言葉を続けた。挑発の言葉、相手を逆上させ冷静さを奪うための言葉を。

 

「――君はもう、ボクには勝てない」

 

「……ッ!!」

 

 図らずもそれは、ルイスにとっては禁句ともいえるワードだった。

 

 憎悪に染まったルイスの視界で、シモンの姿に忌々しい女の姿が重る。あの日――ゲガルドの当主の座をかけて争い、惨敗を喫し、這い蹲ることしかできない自分を虫のように見下す、怨敵の目。

 

 

 

 

 

『残念だったっすねぇ、ルイス兄。貴方は私には勝てないんすよ』

 

 

 

 

 

「黙れ――黙れ黙れ黙れ  黙  れ  ェ  ! ! 」

 

 激昂したルイスが吠える。専用防具である『Glaaki』を貫通したダメージは抜けきっていないが、それを意識の外へと追い出されてしまう程に彼の怒りは煮えたぎっていた。

 

「毒に侵された死に損ないが、思いあがるなッ! 貴様如きに、我が君の野望を阻ませるものか――! 次の一合で、その減らず口ごと貴様を葬ってくれる!」

 

「……そうだね。()()()()()()()

 

 シモンはそう言うと、真っすぐにルイスを見返した。フェイスガード越しにもその真っすぐさが分かるようで、それがまたルイスの癪に障る。

 

「ッ、なめるなァ!」

 

 ルイスは口から血混じりの泡を飛ばし、一気に駆け出した。それを迎撃すべく、シモンもまた槍を構える。

 

 ――()ッ!

 

 シモンの槍が鳴き、鋭い切っ先がルイスへと迫る。それを紙一重で躱し、ルイスは鬼気を纏い迫る。咄嗟にシモンは腕を引くが、間合いは既に大長槍の射程から長槍の間合いに入っている。

 

 ルイスは勝利を確信する。この間合いならば、()()()()――!

 

「死ね、シモン・ウルトル!」

 

 槍が効かない頑強な鎧を持つベース生物への対策をしていないルイスではない。

 狙い穿つは甲皮と甲皮の継ぎ目――如何に頑強な外骨格であっても、そこまではカバーしきれない。

 

 本来であれば目玉か排泄器官を狙うべきだが、ヘルメットをしているシモンの眼球の正確な位置は分からず、排泄器官をとれるほどに隙がある相手ではない。

 

「楽園の土くれと果てろッ!」

 

 オニダルマオコゼの瞬発力が、幾何学を刻んだ槍を撃ち放つ。寸分の狂いもなく、その穂先はシモンの胸部の継ぎ目へと放たれ――。

 

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 

 シモンの手は、確かにルイスの槍を掴んでいた。

 

「な、にィ……!?」

 

 瞠目するルイス。その耳が、シモンの小さな呟きを捉えた。

 

「拘束制御装置第4号、解錠」

 

 ――”ベニツチカメムシの経路積算”

 

 子育てするカメムシとして知られるこの昆虫は、光源を参照して自らの位置を同定し、離れた場所からでも最短距離で巣へ帰ることができるという(余談だが、この時に必要とする光量はほんのわずかでよく、星や月が見えない真夜中でもその計算は正確だという)。

 

 この特性を発現させたシモンは、視覚情報から物理運動の軌道を正確に計算することが可能。即ち防御においては”相手の攻撃を正確に見切る”ことを可能とし――

 

「拘束制御装置第6号、解錠」

 

 攻撃においては”相手の急所を的確に突く”ことを可能とする。

 

 シモンの腕を構成する筋肉が何倍にも膨れ上がり、衣類の袖を引き裂いた。鬼の剛腕を思わせる屈強なその腕は、ミッシェルやその父であるドナテロが『パラポネラ』の特性を発現させた際のそれによく似ている。

 

 ――拘束制御装置第6号が制御するベースは、カメムシキメラζ(ジータ)

 

 この合成虫を構成する遺伝子は、カメムシの中でも特に発達した前脚を持つ“ヒゲナガカメムシ”と、自分と同サイズの獲物を口吻だけで吊り上げる筋力を持つ“チャイロクチブトカメムシ”。言うなれば、腕力に特化した合成虫である。

 

「スゥ――」

 

 時間にして1秒にも満たない刹那の時間。

 

 シモンは肺一杯に空気を吸い上げ、非常に小さな震脚によって気を練り上げる。ただの打撃では駄目だ、ルイスの専用防具に阻まれる。ゆえにシモンはその一撃を、爆発とまで形容されるその衝撃を、相手の体内へ伝えるように打ち出す。即ち――!

 

 

 

()ッ――!」

 

 

 

 

 

 ――  発  頸  !  !

 

 

 

 

 

「ご、ぱっ……!!」

 

 練り上げた気と、腕力に長けたカメムシの層状による衝撃。ダイタランシ―による防御を許さず、その一撃を内臓にもろに受けたルイスは口から血を噴き出し、今度こそ床の上に崩れ落ちた。広がる鮮血の海に浸り、美しい金髪が赤褐色に汚れる。打撃を受けた腹部は陥没しており、素人が見ても致命傷と分かる程の損傷を受けていることは明らかだった。

 

「全制御装置施錠――勝負あり、だね」

 

 血だまりの中でもがくルイスにそう言葉を投げると、シモンは静かに背を向けた。

 

 骨を砕いた感覚があった、肉が爆ぜた感触があった――修練を積んだシモンには分かる、ルイスはもう戦えない。再生能力に長けた軟体動物であれば時間をかければ再起は可能だろうが、その頃には決着はついているはず。そうでなければ、今後の戦線復帰は絶望的。いずれにしても、これ以上シモンはルイスに時間を浪費するつもりはなかった。

 

「な゛……ッ、ま……!?」

 

 弱弱しい彼の声にも構うつもりはない。シモンは管制室へと向かったミッシェルを追うために足を踏み出し――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやお見事っす、シモン様!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その直後、背後からかけられたその声に、シモンは躊躇うことなく槍で背後を突いた。

 

 死角から、完全に虚を突いたタイミングで迫る穂先をあっさりと躱し、声の主はこの場に似つかわしくない緊張感に欠ける声音で続ける。

 

「戦闘に関しては一族内でも私に次ぐルイス兄を、まさかこうもあっさり倒しちゃうとは思わなかったっす。お強いんすねぇ」

 

「……君は、誰だ?」

 

 シモンの前に立っていたのは、ビジネススーツに身を包んだ、ポニーテールの女性だ。しかし、この女性が味方ではないのは一目瞭然。腰に下げた二丁銃は明らかに正規職員のものではないし、なにより声をかけられるまでシモンは彼女の存在を認識することができていなかったのだ。

 

「あ、自己紹介が遅れて申し訳ないっす。私は希维(シウェイ)・ヴァン・ゲガルド、そこに転がってるルイス兄の従妹っす。今日は――」

 

希维(シウェイ)……!? 貴様、なぜここにいる……!?」

 

 そんな女性の言葉を遮って声を上げたのは、血だまりの中のルイスだった。出鼻をくじかれたことに女性――希维・ヴァン・ゲガルドはムッとしたような表情を浮かべ、ジトリとした一瞥をルイスへと向けた。

 

「人の話は遮っちゃいけないって習わなかったんすか、ルイス兄? ……ま、いいっす。で、なんで私がここにいるかって話っすけどズバリ、オリヴィエ様の指示っすね。そうじゃなきゃわざわざ、アメリカまでルイス兄の後を追ってくるわけないじゃないっすか」

 

 奇しくもその瞬間、ルイスとシモンの脳裏に浮かんだ言葉は同じものだった。

 

 “援軍”。

 

 新手の出現にシモンは渋面を浮かべるが、それ以上に屈辱を耐えきれない様子なのはルイスだ。自分を気遣い、増援を寄越してくれたオリヴィエの気遣いはありがたい。だがよりにもよって、それが便所のゴキブリよりも不快なこの女とは。

 

「手出しは無用だ、希维……!」

 

 そう言うとルイスは、槍を支えによろけながらも立ちあがった。それを見たシモンは、思わず目を疑った。既に内臓がいくつも破裂し、常人ならば死んでいてもおかしくない傷である。なぜまだ、立ち上がることができるのか。

 

「オリヴィエ様に通信をお入れしろ、『何も問題はない』と……すぐにあの凡愚を始末し、アメリカ合衆国を貴方に献上すると……!」

 

 朦朧としながらもプライドで意識を保ち、ルイスは言う。しかしその直後、希维の口から飛び出したのは予想外の言葉だった。

 

「いや、何を都合のいい勘違いしてるんすか。私が来たのは、仕上げと後始末のためっすよ」

 

「後始末、だと……?」

 

 訝し気に眉をひそめたルイスの反芻を、なんてことないように「そうっすよー」と肯定する。希维はニコリともせずに口を開き――

 

 

 

 

 

 

 

 

「――笑っちゃうような無様を晒したルイス兄の、後始末っす」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイスの首筋に、複数の『それ』を押し当てる。

 

 ――それは、シモンにとっても馴染みのある物。人為変態のための変態薬であった。

 

 ただしそれは、昆虫用の注射器でもなければ、魚類用の粉末でもない。パッチ状のそれは、哺乳類型のMO手術を受けた者のためのものだ。今の状態は、『自分の手術ベースとは違う型用の人為変態薬の過剰投与』状態である。

 

 ――その行為に、何の意味が?

 

 そんなシモンの疑問は次の瞬間、最悪の形で氷解することになる。

 

「貴様、何を――」

 

 ルイスがその疑問を、最後まで言い切ることはなかった。次の瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 陥没した腹が波打ち、内部で内臓が作り直されて元の膨らみを取り戻していく。加えて全身に刻まれる細かな傷も、まるで映像を逆再生したかのように修復されていく。

 

 

 

「ぎ、がああああああああああああ!?」

 

 

 

 ――だが、ルイスの口から飛び出したのは苦悶の悲鳴。

 

 内臓が爆ぜようともうめき声程度しか漏らさなかった彼の口から、まるで地獄で責め苦を受ける囚人の如き絶叫が飛び出した。

 

「――おかしいと思わなかったんすか?」

 

 苦しむルイスを無感動に見下しながら、希维は淡々と告げる。

 

「シド・クロムウェルから受けた刀傷が数時間で治ったことはまぁいいっす。でもエメラダちゃんの専用武器に巻き込まれて心臓が止まったのに、シドの衝撃波に巻き込まれたのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「――っ!!」

 

 ルイスがぎょっとしたように目を見開いた。その様子に「これだからルイス兄は……」と、希维は頭を横に振った。

 

「まさか、自分の運が極端によかったとでも? だとしたらお笑いっすね、ルイス兄が今この瞬間まで生きていられたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「何、を……!?」

 

 だらだらと脂汗を流して苦しむルイスに、希维は告げた。本人すら知らず、数刻前までは自分も知らされていなかったその事実を。

 

 

 

 

 

「ルイス兄の手術ベースは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 “オリヴィエ様から賜った力のおかげ”“オニダルマオコゼだけじゃない”――その言葉に込められた真の意味を理解した瞬間、ルイスの顔から血色が一気に失せた。

 

「ところでルイス兄、“命を捨ててもいい”と、“捨て駒にされても構わない”には大きな差があるっす。「自分は命を捨てられる」ってだけじゃ、ただの自己満足。本当の忠誠っていうのは「ゴミのように扱われようと、最後まで忠義を通す」ことっす」

 

 ――ざらざらと、自分という人間が壊されていく感覚がする。自己意識を異物が塗りつぶし、まるでカビのように広がっていく。

 

 それは、『認知を侵す心影』。

 

 その正体に、ルイスは心当たりがあった。これは主の研究を応用した技術の1つ、裏アネックス計画での使用を視野に入れ、実用化が進められているはずの技術。

 

 

 

 ――まさか、まさか! ()()()()()()()()()

 

 

 

「最後のお仕事っすよ、役立たずのルイス兄――文字通り、その身をオリヴィエ様に捧げるっす」

 

 

 

 ――実験動物(モルモット)

 

 

 

「あ、ああ――!?」

 

 冷徹に放たれたその一言は、既に自我が虫食い状態に侵食されて弱っていたルイスの心をへし折るには、十分すぎた。

 

「どうしてですか! どうしてですかおりヴぃえ様! どうしてしえいを選んだのですか!」

 

 ルイスは彼方に座す己の主君へ、届くはずもない声で訴え続ける。変態薬の過剰摂取によって遺伝子のバランスを崩された肉体はミシミシと音を立てて、刻々と()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「わたしじゃない! 捨てられるべきその女だ! こんな結末は、あんまりではないですか! わたしが、この×××・×××・××××こそが、○○○○○様には相応しいはず――あ、れ? わたし、わたし誰ダっけ――?」

 

 

 

 

 

 ――深淵の玉座で、泥人形が静かに笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひっ――やだ、やだやだやだやだやだやだぁ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事態の推移を見守ることしかできないシモンの眼前で、ルイスの自我はついに決壊した。もはや先刻までの傲慢さなど見る影もなく、彼は幼児のように泣きわめいて見えない何かに許しを乞う。

 

 

 

「ゆるしてください! ゆるしてください! おねがいやめて! わたしを……わたしをけさないでええええええええええええええええええええええええ!」

 

 

 

「オリヴィエ様への忠義はその程度っすか」

 

 希维はその目に侮蔑の色を浮かべながら、底なしの泥に飲まれいく従兄の自我を看取る。

 

 

 

 

 

 

 

「αMO手術まで受けておきながら……情けない従兄っすね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――凄惨な悲鳴が止んだのは唐突だった。

 

 ストン、とルイスの顔から一切の表情が抜け落ちる。気味の悪い静寂が周囲に満ちる。

 

 そして次の瞬間――ゴキリ、という鈍い音と共に。一人でにルイスの首がへし折れた。首皮一枚で胴体と繋がっているだけの頭部はぶらんとだらしなく垂れさがり――そして。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!」

 

 ――放置してはまずい。

 

 我に返ったシモンが攻撃を仕掛けようとするも、希维がその動きを牽制するように銃撃を繰り出すために、ルイスの肉体へと近づけない。そうする間にも、肉体の変異は続く。

 

 首皮を突き破り、まるでツクシかタケノコのように現れたのは、人間の頭部だった。始めは胎児ほどの大きさだったそれは、悪趣味なホームビデオを早送りするかのように急成長していく。やがて数十秒ほど経つと、そこには金髪碧眼の青年の顔があった。

 

 ルイスにどこか似た顔立ちだが、彼のような鋭さがない。美しく整っていて、しかしどこか薄気味悪さを感じさせる造形だ。

 

 

 

「――お加減はいかがっすか?」

 

 希维は恭しく一礼して、来訪した主君に窺う。ルイスの体を乗っ取った青年は、調子を確かめるように肩を回しながら「うん、悪くない」と返した。

 

「アダム君とこの『【S】EVEN SINS』と(バオ)君の出芽を参考にしてみたんだけど、いい感じだ。やっぱり、遺伝子が近いからかな? 君との相性もあるし、どのみちルイスはどこかで使い潰さなきゃだったんだけど……彼を実験体に選んでよかった」

 

 青年はそう言うと、首の脇から皮一枚でぶら下がるルイスの生首を引き千切り、希维へと手渡す。嫌そうにそれを受け取った希维の無言の抗議を無視すると、彼はシモンへと向き直った。

 

 

 

「さて……初めましてだね、シモン君。言いたいことは色々あるけれど……ひとまずは自己紹介をしようか」

 

 

 

 そう言って青年は、不気味な微笑を浮かべるのだ。

 

 

 

「私はオリヴィエ・G・ニュートン――一連のテロ事件の首謀者の一人だよ」

 

 

 

 

 

 




【オマケ】白陣営控室

ルイス『ワタシヲケサナイデエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!』

ワルキューレ「…!?」ビクゥ!

ブリュンヒルデ「ヒエッ」

エメラダ「ダ、ダリウスサマ……」

プライド「2章でまだ戦闘シーンを控えている白陣営のメンバーが予防接種待ちの幼稚園児みたいな顔に!?」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。