×第2章 クロスオーバーwith『深緑の火星の物語』
○第2章 クロスオーバーwith『深緑の火星の物語』(+インペリアルマーズ)
×第3章 クロスオーバーwith『インペリアルマーズ』
○第3章 クロスオーバーwith『インペリアルマーズ』(+深緑の火星の物語)
――人間が、大好きだった。
皆が喜んでいれば、自分は彼らを祝福したくなる。
皆が怒っていれば、自分は彼らの話に耳を傾けてあげたくなる。
皆が悲しんでいれば、自分は彼らに寄り添ってあげたくなる。
皆が楽しんでいれば、自分は一緒に笑いたくなる。
――けれど、今の僕には僕が分からない。
暗い独房の中、僕は自問する。きらきらと輝いていた日々――他ならない自分の手で穢してしまった在りし日を、思い出しながら。
答えなどない、出るはずもない問いを自分に投げつけ続ける。
――人間が好きだ。
僕に歌の楽しさを教えてくれた父も。
僕に料理のコツを教えてくれた母も。
男性も女性も大人も子供も友人も恋人も恩師も先輩も後輩も昔からの幼馴染もさっき知り合ったばかりの人も善人も悪人も聖人も囚人もポジティブな人もネガティブな人も僕の歌を聞いてくれた人も僕の料理を食べてくれた人も僕のことが好きな人も僕のことが嫌いな人も通行人も地球の裏側に住んでいる人も会ったこともない人も名前を知らない人も声も知らない人も生きている人も死んでいる人も。
皆みんな、大好きなんだ。心の底から、愛している。
――だけど、だけど。
もしもこの想いが本物なら、僕という人間はどうしようもなく狂っている。いや、この想いは本物だ、だから僕という存在はどうしようもなく、手の施しようもないほどに狂っているのだろう。
言い訳はしない、許してくれとも言わない。けれど、どうしても――僕にはわからないんだ。
誰か、誰か。誰でもいい、どうか僕に教えてくれ。
人間を××としてしか愛せない僕に、呪われた僕の血に――本当の愛を教えてくれ。
――それが彼、ダリウス・オースティンの背負いし罪。
愛知らぬ孤独な殺人鬼に科せられた、悲しくもおぞましき血濡れの十字架である。
――――――――――――――――――――
――――――――――
「あらま、あんらマァ~?」
「……騒々しいぞ、ビショップ。何だ?」
管制室の椅子に腰掛けながら、ルイスはビショップを見やった。半日前にシドとの決闘で負った傷は既に癒えているものの、その声には疲労の色が滲んでいる。いかにも困憊している様子の彼に対して、白のビショップは唇をにんまりと釣り上げた。
「んもォう、ルイス坊ちゃんってば! 恥ずかしがらなくてもいいザンス! アタクシのことは気軽に本名の『ブリュンヒルデ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル・アポリエール』と呼んでほしいザンス!」
「
「ンまァ~、失礼しちゃうザンス!」
白のビショップあらためブリュンヒルデは、球形に近い体躯をゆさゆさと揺すって金切声を上げる。その様は彼女自身のファッションもあいまって、新種のモンスターか何かのようだ。
「いいから、さっさと要件を吐け」
ルイスはその姿を、例え一秒でも視界に入れたくないとばかりに視線をそらし、吐き捨てた。
「侵入者か?」
「みたいザンスねぇ。たった今、リアルとプログラムの両面でアタクシたちは攻撃を受けてるザンス」
そう言いながらブリュンヒルデは、ゴテゴテとした指輪がはめ込まれた指でタッチパネルを操作する。ウインナーソーセージのような太さに反し、その動作は極めて機敏なものだ。
ルイスとブリュンヒルデの正面に表示されたモニターに写り込むのは、姿を隠す様子もみせずに堂々と敷地内に乗りこんでくる数十人の人影。戦闘に立っているのは、トレンチコートに身を包んだ男だ。
「敷地内の監視カメラが熱伝導探知。顔面認証は――『ギルダン・ボーフォート』との一致率98.2%。十中八九、第七特務ザンス」
「
「お言葉ザンスけど、ルイス坊や。生け捕りでは駄目ザンスか?」
食い下がるブリュンヒルデ。ルイスが視線を向ければ、彼女は赤と青のレンズ越しにふてぶてしい目で自身を見つめている。
交差する目と目。
数秒の後、主張を曲げて言葉を発したのはルイスだった。
「……好きにしろ。だが防衛が第一だ、忘れるな」
「んまァ! やっぱりルイス坊やは話が分かるザンスねェ!
――なにが慈悲深い、だ。
大げさに喜んで見せるブリュンヒルデを冷めた目で見つめながら、白々しい、とルイスは内心で毒づいた。
――貴様の悪趣味な特性の餌食にするくらいなら、殺してやった方がまだ救いがあるだろうに。
だが、侵入者の安否などはっきり言って些事である。その処遇にわざわざ口を出す必要もないだろう。オリヴィエ様に捧げる完全勝利のためである、誤差程度の認識の相違には寛容であるべきだ。
ルイスは即座に思考を切り替えると、再び口を開いた。
「サイバー攻撃はどうなっている? 敵は割れたか?」
「こっちも第七で電子工作員をやってる娘っ子の仕業で間違いないザンスね。正規の情報工作員なら使わないような、えげつない手を使ってくるザンス…… で ・ も 」
ブリュンヒルデは色とりどりのお歯黒に彩られた歯をにんまりと剥きだして笑った。
「アタクシ、アポリエールでは情報管理を担当してたザンス。
そう言うと、ブリュンヒルデはエンターキーをタッチした。途端、次々と書き換えられていたプログラムが正常なものへと反転していく。「んっほほほ! 出直すザンス、雑魚ガキ!」という上機嫌なブリュンヒルデの声を聞き流しながら、ルイスは黙って立ち上がった。
「ってあら、どちらへ?」
「仮眠室のエメラダを起こしに……警戒を怠るなよ?」
「あンらま~、心配性ザンスねェ」
ブリュンヒルデは、小馬鹿にしたようにルイスを笑った。
「他のカメラやセンサー類に伏兵の反応はないザンス。重要拠点はアタクシの
「黙れ」
ブリュンヒルデの言葉を遮るように、ルイスの口からその言葉は紡がれた。次いで、彼の全身から放たれるのは強烈な怒気。
「“ビショップ”が、“ルーク”に逆らうな……!」
「っ……」
鋭い眼光に気圧され、ブリュンヒルデが思わず口を噤む。その様子に幾分か留飲を下げたのか、今度はルイスが彼女を見下したようにせせら笑った。
「貴様は黙って私の命令に従っていればいい……ワルキューレ!」
ルイスはそう言うと、門番のように出入り口の両脇に直立する2人の少女へと視線を移した。
彼女達の肌は病人を通り越し、いっそ死体と形容した方が適切なほどに青白い。華奢なその体には、見た目からはおよそ縁遠そうな、防刃・防弾・防爆シート製のコートを纏っている。
「一時間で戻る。危機感に欠ける貴様らのマスターと、この管制室を引き続き警備しろ。俺とエメラダ、お前達の姉妹機以外の存在が来たら消せ」
「「かしこまりました」」
ルイスの命令に少女――ワルキューレたちは微動だにせず、ただ口だけを動かして了解の意を伝える。それを見たルイスは去り際、ブリュンヒルデにわざとらしい笑みを向けた。
「――手足が優秀でも、肝心の頭が愚鈍ではな」
あからさまに自分の頭を指でつついてから、彼は扉を閉める。ブリュンヒルデの表情が露骨に歪んだのは、その直後のことであった。
「ムカつくガキだこと! あの方のお口添えがなければ、誰がお前なんかに従うザンスか!」
憤懣やるかたなしと言った様子で、ブリュンヒルデは地団太を踏む。それから彼女は、ワルキューレの片割れに向かってヒステリックに叫んだ。
「ヘリヤ! こっちに来てコートを脱ぐザンス!」
おそらくそれが識別名なのだろう、少女の内の1人が歩み出ると、慣れた手つきでコートを脱いだ。
バサリ、とやや重厚感のある音と共に地面にコートが落ち、その下から痩せた少女の肢体が露になる。おそらく元々は肌の色もあいまって、その体は雪の妖精のように美しかったのだろう。だが彼女の体には夥しい数の古傷と手術痕が刻まれ、更には真新しいミミズ腫れや青痣がいくつも刻まれていた。
「アタクシを誰だと思ってるザンスかッ!?」
「かひゅッ……!」
ブリュンヒルデの拳がワルキューレの腹に打ち込まれる。途端、無表情だった彼女は苦し気に顔を歪めると、床にうずくまった。ワルキューレは苦し気にえづくが、ブリュンヒルデはそんな彼女の様子など知ったことではないとばかりに、ボンレスハムのような太い足にはめたハイヒールで執拗に踏みつける。その度、ワルキューレの体には生傷が生まれていく。
「誰の! おかげで! 白陣営が成り立ってると! 思ってるザンス!」
「う、ぐ……!」
早い話が八つ当たりである。ルイスに対するやり場のない怒りを、彼女は自身の部下をはけ口として発散しているのだ。ふと顔を上げると、ブリュンヒルデは自らを見つめるもう1人のワルキューレと目があった。
「――何ザンス、ヒルド?」
彼女は肩で息をしながら、彼女は少女に怒鳴った。
「人形の分際で、アタクシをそんな目で見るんじゃないザンス! お前はそこにつっ立っていればいいザンス!」
「……はい、申し訳ありません」
ワルキューレの謝罪にブリュンヒルデは舌打ちすると、自らを見つめる虚ろな空色の瞳に背を向け虐待を再開した。視界の片隅に写り込んだ監視カメラの映像が
※※※
ノックの音が響く。一拍置いて、仮眠室の中からは眠たげに入室を許可する声が上がる。それを確認したルイスは扉を開け――そして、顔をしかめた。
「……女王陛下。お前には恥じらいってものがないのか?」
ルイスの視線の先には、眠りから目覚めたらしい
豊満な、とまでは言わないものの、彼女の肢体は脱獄した数日前に比べ、健康的で女性らしい柔らかな肉付きを取り戻していた。血色も良好であり、収監中にはぼさぼさだった長髪も、今は美しい艶と滑らかさを帯びている。今の彼女の姿を見て劣情を抱く男性がいたとしても、何ら不思議ではないだろう。
「別に。お前に見られたところで、恥ずかしくもなんともないし」
目をこすりながら、エメラダは言う。その口調から羞恥を押し殺しているような情動は読み取れない。その言葉は、紛れもない彼女の真意であることが分かる。
「それとも――まさかとは思うけど、欲情したの? 押し倒そうとしたら殺すわよ」
「馬鹿も休み休み言え。貴女の裸体程度で、私の食指が動くものか」
そう返したルイスの言葉もまた、本心からのもの。ニュートンの一族に連なる女性は、誰も彼もが――あの忌々しい従妹も含め、絶世の美女揃いである。幼少時より彼女らに見慣れて目の肥えたルイスにとって、エメラダは美醜云々以前にそもそも性の対象ですらない。
「そ、ならいいわ。お前は私をそういう対象として見ないし、私もお前がそう言う奴だとは思ってない。それでいいでしょ?」
荒んだ目で呟いたエメラダに、ルイスはこれ以上食い下がるのを止めた。まだ数日の付き合いだが、この女は相当な頑固者だ。長々と常識を説いてもいいが、エメラダは煩わしがるだけだろう。第一、自分がそこまでしてやる義理もない。
ならば、とルイスは早々に本題を切り出した。
「先程、襲撃があった」
「ちょっと、勘弁してよ……あんな奴の相手をするの、二度とごめんなんだけど?」
げんなりとしたエメラダの脳裏に思い浮かぶのは、今朝がた自分達を強襲したシド・クロムウェルの姿。脇腹を抉り、左腕を切り飛ばし、心臓を止めてなお、戦いを続けようとした修羅の如き男。
「今回の襲撃者は、対MO手術被験者に長けたU-NASAのエージェント――簡潔に言えば
「……あのね、だったら一々私に報告しないでくれる? あんたと違って、こっちはまだ朝の疲れが抜けきってないの。報告がないとか騒いだりしないから、用がないなら出てって」
「そうもいかない。この襲撃作戦にはおそらく、
ルイスの言葉に、エメラダは怪訝そうに眉をひそめた。
「なんでそんなこと、分かるのよ?」
「簡単なことだ。本気を出せば気付かれずに建物内にも侵入できるような奴らが、馬鹿正直に正面から乗りこんできている。何か裏があると見るのが当然。更に言えば、
――
ルイスが愚鈍な部下への苛立ちで説明を締めくくると、エメラダが呆れたように首を振った。
「言ってることは分かったけど、そのいるかもわからない別動隊とやらの対処に、私を動かすつもり? 嫌に決まってるでしょ、面倒くさい」
取り付く島もない、とはこういう態度を言うのだろう。微塵も興味なさそうにエメラダは吐き捨てると、再びベッドに寝転がって目を閉じる。
「いいのか、女王陛下?」
そんなものぐさな様子のエメラダに、ルイスは殺し文句を投げかけた。
「――別動隊には”ダリウス・オースティン”が来ているぞ」
「ウソッ!?」
ガバッ、と布団を跳ね飛ばす勢いで起き上がったエメラダに、ルイスは「おそらくな」と付け加える。
「αMO手術を受けた死刑囚が占拠する基地の攻略だ、攻略部隊にαMO手術の被験者が組み込まれるのは必至。そしてアメリカ側の被験者事情を考慮すれば、奴が最も都合がいい。なにせ最悪の場合、
「やだ、なんで早く言わないのよ!? こんなはしたない格好じゃダリウス様の前に出られない! 早く着替えなきゃ……というか化粧、化粧!」
「――まぁ、好きにしろ」
嘆息したルイスはクルリと回れ右をしてドアノブに手をかける。その背に向かってエメラダは、「ああ」と声をかけた。
「1つだけ言っておくわ、ルイス。お前たちが何をしようと、何を企もうと私は関知しない。何をしようと勝手だし、それを邪魔するつもりはないけど――」
「もし
「……仰せのままに、女王陛下」
ルイスは振り返らずそう返し、肩をすくめると仮眠室の扉を閉めた。仮眠室の扉の前で警護をするワルキューレに警備を怠らないよう指示を出し、彼は1人廊下を歩きながら考える。
――オリヴィエ様は、どのようなお考えの下にこの白陣営を編成したのか?
今回白陣営を編成するにあたって選出された駒は、オリヴィエ自らの差配によるものだ。深謀遠慮の主君が揃えた、一族最上位のエドガー・ド・デカルトとの対決のために揃えた精兵たち……己が指揮するに相応しい、さぞかし優秀な人材なのだろうと思っていたが。
いざ蓋を開けてみれば、その期待は悪い方向に裏切られたと言わざるを得ない。
まず見た目通り、身体能力はからきし――遠縁とは言え、一応はニュートンの血族でありながら、である。同じような体形でもそれなりの使い手であるロドリゲス卿を見習ってほしいものだ。
次いで頭脳。アポリエールで情報管理を任されていただけのことはある、その系統の分野ではそれなりの切れ者と言っていいだろう。しかし、それ以外はてんで駄目だ。二手三手と先を読む洞察力に欠けた愚物というほかない。
そして精神――これは最悪の一言に尽きる。自分のように名実が備わった者が慢心するのはいい、しかしそのお粗末さを虚栄心で繕う様の何と醜いことか! どれをとっても、主君の駒に相応しいとは言えない。こんな者に陣営維持の要を任せざるを得ないという内情が、我がことながら嘆かわしい。
だが、その最終指揮権は彼女達の主であるブリュンヒルデが握っているのが頭痛の種だ。一応、立場上は彼女の上司である自分にも命令権はあるのだが、ブリュンヒルデのそれに優先順位では劣る。
なんという宝の持ち腐れだろうか――優れた兵士が自分のような優れた指揮官ではなく、無能な上官の下で雑に使われるなど。先日、主君と忌々しい従妹が保護した『上月家の少女』の境遇にも言えることだが、下位連中にはものの価値と適切な使い方が分からない愚物が多すぎる。
そして――
彼女に与えられた力は、オリヴィエが集めた協力者たちと比べても何ら遜色ない、あるいはそれ以上と言ってもいいほどに強い、
しかし肝心の本人には(ブリュンヒルデすら表向きは従っている)ゲガルド、ひいてはオリヴィエに対する忠誠心が微塵もない。それだけならばまだ許容できるが……こともあろうにあの女は先刻、自分の都合であっさりと裏切ろうとした。
自分勝手な兵器と共に戦うなど、いつ爆発するかもわからない爆弾を抱えているようなもの。しかも下手な核などよりもずっと危険な爆弾である。主君の意向次第だが……必要ならば聖戦の幕引きと同時に始末しなければならないだろう。
一手を打つにも一苦労する内情だが、失敗するわけにはいかない。彼の脳裏によぎるのは、かつてオリヴィエと交わした問答の記憶であった。
『――ルイス。私が新しく作り上げる世界で、君は死ぬ事になる。理想のために、
『言うに及びませぬ、オリヴィエ様。どうして槍が、主に穂先を向けることがありましょうか。貴方様の理想が結実するその時まで、この身はあらゆる万難を排し、勝利を献じ続ける槍として、貴方と共にありましょう』
かつて主に問いかけられた時、己はそう答えた。そして、槍の約定を違えるつもりは毛頭ない。
――で、あれば。
主君が目指す理想郷のため、邪魔者はことごとく消す。黒も白も灰も――有象無象の区別なく、一切を穿壊する槍。それこそが『槍の一族』の急先鋒として己に課された使命である。
「――とはいえ存外、私の出番はないやもしれんな」
廊下を行くルイスの姿が次第に周囲に溶けていく。やがてその姿が完全に消え去る刹那、彼は静かな笑みをたたえながら呟いた。
「
※※※
「
進路の様子を窺っていたシモンが言うと、静かに足を踏み出した。静かに、しかし迅速に。隠密に歩みを進める彼の背後に続くのは、七人の人影――その中にはダリウスとミッシェルの姿もあった。
現在、彼らがいるのは“66-E ”のコードネームで呼ばれる施設。
アメリカ合衆国がいくつか保有する極秘軍事研究拠点『
――もっとも、それも十数時間前までの話。
“66-E”の職員から米軍に救援要請の通信が入ったのは今朝のことだ。その内容は「100匹程のテラフォーマーと20人前後の少女、そしてその混成部隊を指揮する1人のけばけばしい中年女性に襲撃を受けている」というもの。襲撃者はいずれも、MO手術を受けているらしかった。
2日前に同じサイト66――
襲撃から1時間が経過した頃に無線の先から激しい戦闘音が聞こえたのを最後に、一切の通信は途絶してしまった。
合衆国にとって大きな痛手だったのは、攻略が遅れていた”66―B”への攻略の最中に襲撃が行われたことだろう。軍の多くはそちらへと差し向けられており、対応が完全に後手に回ってしまったのだ。
こうした制圧戦では初動こそが重要。しかし米軍部隊の大部分は身動きが取れず……苦肉の策として、合衆国政府とU-NASAの最高本部は、手が空いている戦力によるテロリストの討伐を決定した。
作戦の内容はまず、陽動部隊としてU-NASA内でも
本命の部隊は当初、高難度の任務にのみ駆り出されるU-NASA最高幹部直属の部隊……第七特務のような荒くれ者でも、スカベンジャーズのような一般人上がりでもなく、素行の良いエリート軍人を中心に編成された『虎の子』とも言える部隊に任される予定だった。
だが――敵集団にはαMO手術の被験者が、複数人いることが予測される。いかに彼らであっても、流石に分が悪い。そこで“αMO手術を相手に単騎で渡り合える”と太鼓判を押されたミッシェルたちが増援として派遣されたのだ。
「ミッシェルさん、スレヴィンくんとの通信はどう?」
先頭を虎の子部隊の隊員の一人に譲り、ミッシェルと歩調を合わせたシモンが聞く。ミッシェルは耳に取り付けた通信装置を数秒程あれこれと操作する。彼女の耳に流れてくるのは、聞き馴染みのある男の声である。
――ミッシェルが声をかけた人員の中で唯一この場にいないのが、U-NASAの寮監であるスレヴィン・セイバーである。
外部で動き回れる人間がいた方がいいという総意の下、彼は
もっとも――
「……駄目だ。話しかけてきてるのだけは分かるが、ノイズがひどすぎて聞こえやしない」
――向こう側から聞こえる声は、ノイズがひどすぎてろくに聞きとれないのだが。
ミッシェルの言葉に、シモンは嘆息した。
「最新の軍用端末でも駄目かぁ……施設が施設なだけあって、通信系統のセキュリティも段違いってことかな」
「今回に限っては完全に裏目だけどな。第七特務のハッカーがセキュリティを掌握しきるまで、通信はお預けだ」
そう言ったミッシェルの顔は晴れない。理由は、耳に着けた通信端末から聞こえるスレヴィンの声にあった。
『……! ……!』
何を言っているかは分からない。だが、断続的に聞こえるその声は喚いている……というより、緊急の案件を少しでも伝えようと焦っているように聞こえるのだ。
「……それにしても、いやに静かですね」
ふと気づいたように、ダリウスが漏らした。他の面々と違い、身体能力の面では特筆すべきものを有さない彼だが、幸いにして行軍に遅れるほどではないらしい。額にうっすらと汗は浮かんでいるが、喋る余裕はあるようだ。
「これ、やっぱり職員の皆さんは――」
「全滅、だろうね」
ダリウスの言葉にシモンは頷くと、右側を指さした。そちらに目を向ければ、飾り気のない研究所の白い壁には激しい戦闘を思わせる弾痕、タイル張りの床には生渇きの赤黒い血だまり。その面積範囲を見たダリウスは、一目で人間1人分の致死量を超えていることを悟った。
「もしかしたら、何人かは人質として生き残ってるかもしれないけど……突入前にスレヴィン君と通信してた時点では、”B”で生存者はまだ確認できてなかった。あまり期待しない方がいいと思う」
「ですよね……少し、気になることがあるんです」
そう前置きをしてダリウスは告げる。この施設に足を踏み入れた時から感じていた、彼だからこそ気付いた違和感を。
「職員の死体は、どこにあるんでしょうか」
「言われてみれば……」
シモンはフルフェイスの中で目を見開き、周囲に視線を巡らせた。そこかしこに刻まれる戦闘と殺戮の痕跡、しかし不自然なほどに
テロリストたちが死体を片付けた? ……ありえない。職員を皆殺しにしていれば、死体の数は優に100を超す。片付ける暇も必要性もないだろう。
では職員たちが生きているのか、と言われればその可能性も低い。やはりテロリストたちに職員を生かしておく必要性はないためだ。
――嫌な予感がする。
この領域を支配する空気は、自分の腹の奥底に渦巻く不快感は、
粘つく狂気、殺意の糸で編まれた蜘蛛の巣。例え監視カメラを誤魔化し、センサーを欺き、完全に敵の目から免れたとしても。それは知らないうちに、着実に自分達を絡めとっていく。
「!」
しかしそのタイミングで、ダリウスは思考の海から浮上することになった。先行していた隊員が、ハンドサインで進軍停止のサインを送ってきたのだ。
廊下の向こうに広がる闇に耳をすますと、何者かの足音が聞こえた。足音のリズムと、その合間を縫って聞こえる荒い呼吸音から、音の主はこちらへと走ってきているようだった。
「――止まれ!」
「ひっ!?」
隊員が警告を発すると驚いたような声が上がり、次いで転倒音が聞こえた。先行していた隊員が、肩から下げるアサルトライフルの銃口を廊下の先へと向けると、銃に取り付けられた懐中電灯の光に人物が照らし出される。
ブロンドの髪を三つ編みに纏めた年若い女性だ。そばかすに銀ぶち眼鏡をかけた彼女は、怯えたような表情を浮かべて一行を見つめている。“サイト66-B”の制服である白衣を身に纏っていることから、この施設に勤めている職員の1人であると見て取れる。
「――生存者のようです」
「U-NASAの腕章……! も、もしかして、救助隊の方ですか!?」
銃口を向ける一行に怯えたような表情を見せた女性だったが、U-NASA所属の部隊であることを確認すると目を見開いた。
「大丈夫ですか? 今手当を――」
「ち、治療はあとで大丈夫です!」
救急箱を片手に近寄るダリウス。しかし彼女は治療を受けようとはせず、必死の形相で彼に縋った。
「それより、助けてください! 早くしないと、早くこの場を離れないと、奴らが……!」
「うわっ!? と、取りあえず落ち着いて……!」
半ば錯乱状態にある女性をなだめようとダリウスが四苦八苦する。その様子を見守っていたミッシェルだったが、通信端末から聞こえるスレヴィンの声が少しずつ明瞭なものへと変わりつつあることに気が付き、そちらへと意識を向けた。
『……ッシェ……! 応答しろ……ミッシェル! おい、聞こえてるか!?』
「! こちらミッシェル。今繋がった……どうした?」
『ミッシェル、無事か!? 身体に異常はないか!?』
やがて完全に回復した通信装置に、ミッシェルが応答する。その途端、通信機の向こう側から、思わずミッシェルが顔をしかめる程の声が鼓膜を貫いた。どうやら、彼が取り乱すほどの「何か」があったらしかった。
「あ、ああ。特に異常はない」
『他の連中は?』
「今のところ、他の奴らにも変わった様子はないが……」
念のために周囲を窺うが、突入部隊の他の7人にも、これと言った異変は見られなかった。
そこまで聞いて初めて、通信口のスレヴィンは安堵の息を溢す。しかしその語調から緊張を解くことは決してせず、彼はミッシェルに告げた。
『よく聞け、ミッシェル――今すぐ全員を引き返させろ、作戦は中止だ』
「は? おい、何を言って――」
『いいから早く撤退しろ! このままじゃ間に合わなくなる!』
ただならぬ剣幕にミッシェルが眉をひそめた――瞬間、彼女の鋭敏な聴覚は、廊下の向こうから響く何かの音を聞きとった。
それとほぼ同時に精鋭部隊の隊員5人が一斉にアサルトライフルを構え、シモンはすぐさま専用武器である伸縮式の槍を展開する。ただならぬ様子から事態を察したのだろう、ダリウスは怯える女性職員を立たせて背後へと回すと、自身も薬を片手に身構えた。
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
ザりっ ザ リッず ズ ザ ッ じゃりっ ざりッ
――次第に大きくなるその音は、足音のようだった。しかしそれは、先程女性職員が立てていた軽やかなそれとは別もの。まるで足を引きずっているかのようにひどく歪で、不規則な音。それが、複数。
加えて、その音が大きくなるにつれて別の音が聞こえ始める。
「ア……あ゛おォ……」
「うウウウゥウう……」
「ヴぁあ、イイィイイィイイィ……!」
――苦し気なうめき声。地の底から響くかの如きその声は、この世の全てを呪っているかのような、あるいは救いを求めているかのような。
そんな、おぞましさがあった。
「き、来た……ッ!」
声にならない声で、女性職員が小さな悲鳴を上げる。そして――声の主たちが姿を現した。
――闇の中からおぼつかない足取りで現れたのは、怪物でもなければ魔物でもなく、人間だった。
戦闘服、白衣、作業着……衣装に統一性こそないものの、彼らがこの施設に勤務していた職員たちであることは一目瞭然。
だが彼らの姿を一目見た瞬間、この場にいる誰もが理解した。彼らが最早、人ではない何かに成り下がったことを。
切り裂かれた腹から、大腸が飛び出している者がいた。
全身を串刺しにされたかのような傷を負っている者がいた。
左胸に棍棒が突き刺さりながら、歩く者がいた。
下あごから喉にかけての肉を喪失し、舌をだらしのない蝶ネクタイのように垂らしている者がいた。
廊下の向こう側まで埋め尽くすような、人の群れ。その誰も彼もが、普通ならば動くこともできないような致命傷を負っていたのである。
更に異様なことに、群れの中にはしばしば、人体の一部を貪っている者がいた。それは人の生足であったり、指であったり、内臓であったり、髪であったり。とにかく人体器官の一部を、他ならない人間が食しているのである。
「おいピース、何の冗談だこれは……!」
冷静を取り繕い、しかし動揺は隠しきれず。思わずかつての名前で幼馴染に問うと同時、無数の虚ろな眼光が9人を補足した。
その視線は死肉を狙うハイエナ、打ち捨てられたゴミ袋に目を付けたカラスのものによく似ている。半開きになった彼らの口から粘々とした唾液が垂れ、地面へと糸を引いて滴った。
人間とまるきり同じ姿をしながら理性はなく、好んでかつての同族を襲う存在。そう、それはまるで――
「何がどうなってやがる! B級映画じゃねえんだぞ!?」
――ホラー映画に登場するクリーチャー、“ゾンビ”に酷似していた。
異様な空気に吞まれた廊下、狂気以外の何者も介在しないその空間で聞く幼馴染の声は、随分と遠く感じられた。
『奴ら、細菌兵器を使いやがった! サイト66-E全域で、
白陣営
研究登録ナンバー 第426号
研究責任者:アダム・ベイリアル・アブラモヴィッチ
研究正式名称――
『リアリティのあるゾンビ映画製作を目的とした、改良型狂犬病ウイルス開発のための研究 ~カンヌ国際映画祭ノミネートも視野に入れて~』
研究成果物:アダム・ベイリアル謹製『狂人病ウイルス』
備考
バイオハザードセーフティレベル:
【オマケ】 出演キャラ・設定紹介
『上月家の少女』 上月千古 (深緑の火星の物語)
ニュートン一家下位、「上月家」の少女。コラボ時間軸で9歳、深緑本編でも11歳と年齢的には小学生だが、一族に由来する生来の才能と、血反吐を通り越して七孔噴血の特訓により、ジョセフに匹敵する戦闘力を有している最強幼女。現在、オリヴィエ様に初恋中。
アダム(真)「『おしゃべりロドリゲスくん』不評だし、『着せ替えチコちゃん』に生産を切り替えたいんだ。ちょっと画像使用許可もらってきてくれない?」
出向中のアダム「私にもう一回死ねと!? あーッ! 今こうしている瞬間にも後ろから、後ろから鯉口を鳴らす音がァ!?」
虎の子部隊(深緑の火星の物語)
U-NASA最高幹部直属の戦闘部隊。ヤバい(重要度が高い)上にヤバく(難易度が高く)、更にヤバい(信用できる者でなければ任せられない)任務にのみ駆り出される。
個々人の詳細な設定は明かされていないが、いずれもマーズランキングのトップランカー級の実力者であると推定される。彼らの活躍が見たい方は、『深緑の火星の物語』の第64話を見てみよう!