贖罪のゼロ   作:KEROTA

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冒涜弔歌OLIVIERー1 痛痒聖戦

「――待て」

 

 ルイスの制止で、彼の後ろを歩くエメラダは足を止めた。時刻は夜明け前、背後に見える海の、東の水平線上を塗りつぶす濃紺が微かに薄れ始めた頃合いである。

 

「何よ?」

 

 怪訝そうに聞き返すエメラダの声には答えず、ルイスは背負っていた槍をその手に構えた。血統に由来する超感覚を研ぎ澄まし、ルイスは素早く周囲の様子を探る。

 

 現在、彼らがいる場所は巨大な樹海の中だ。乱立する樹木は姿を隠し、苔むした地面と木々の葉のざわめきは足音をかき消す。目的地まで敵に気取られず接近し、奇襲をかける――白陣営の目的にこれ以上適した経路はない、という判断の下での選択だったのだが。

 

 

 

 ここに至るまで『狩る』側だった彼は見落としていた――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「――来るぞ、敵襲だッ!」

 

 

 

 ルイスが警告を発するのと、茂みから飛び出した男が凶刃を薙いだのは全くの同時だった。

 

 一寸の狂いも迷いもなく、首を刎ね飛ばさんと迫る剣閃。それを紙一重で避けると、ルイスはカウンターの刺突を放つ。

 

 ――ガィン!

 

 硬質な物同士がぶつかる音が響き、闇の中に火花が散る。ルイスは自分の攻撃が防がれたことを悟り、一瞬遅れて腕に伝わる硬い感触でその推論の正しさを確信した。

 

 攻撃直後で体勢を崩しているはずの状況。そこに叩きこんだ一撃を、並の使い手程度が返せるはずもない。ならば必然的に、目の前の襲撃者は相応の実力者ということになる。

 

 そこまで考えたところでルイスは初めて襲撃者の姿を視認し――そして、一気に表情を強張らせた。

 

 

 

「ッ、シド・クロムウェル――!?」

 

 

 

「ご機嫌麗しゅう、白のルーク!」

 

 

 

 その言葉に、ぎらつく眼光を湛えた襲撃者――シド・クロムウェルは、獰猛に嗤う。骨のような質感の刀身の奇妙な西洋剣を上段に構えると、彼はそのまま地を蹴った。彼の視線の先には、立ち尽くすエメラダの姿。

 

「チィッ!」

 

 忌々し気に舌打ちをすると、ルイスは両者の間に文字通り『横槍』を入れた。

 

 現在、ビショップ以下の兵力は別行動をとっている。彼女らがいれば蹴り飛ばして肉壁にでもしているところだが、今この場にいる白陣営の戦力は自分とエメラダのみ。物騒な肩書こそ持っているものの、彼女本人の身体能力は平均的な女性から逸脱するものではない。変態もしていない生身では、格好の獲物である。

 

 この盤面で女王(クイーン)を落とすわけにはいかない。そう判断した結果の行動だった。

 

「下がっていろ! 死にたくなければな!」

 

「はいはい、言われなくてもそうするわよ」

 

 可愛げのない彼女の返事に文句を返す余裕は今のルイスにはない。

 

 先日送り込んだ部下を始め、この男はこれまでにニュートンの血筋に連なる人間を幾人も葬っており、その中には格闘技の世界タイトル保持者や古武術で師範を務める者も含まれている。ルイスの実力は一族全体で見たとしても相当高い部類だが、それでも気を散らして勝てる相手ではない。

 

「貴様1人だけとは、随分と舐められたものだ!」

 

「一人で十分だからな。悔しければ、俺だけでは手に余ると証明して見せろ」

 

 次々と――しかし機械的な精密さで振るわれるシドの剣閃は、その全てが人体の弱点を捉えた致命の一撃。それを凌ぐルイスが浮かべるのは必死の形相だが、その一方で攻め立てるシドは息すら切らしていなかった。

 

 その余裕は、己の殺人術の技量への絶対的な自信に由来するもの。闘争と破壊でその経歴を彩られたシドにとって、自分以外の全てはすべからく破壊の対象である。例え人間を越えた能力を有するニュートンの血族を相手取ったとしても、それは例外ではない。彼にとっては、壊れやすいか壊れにくいかの違いがあるだけなのだ。

 

「クカカ……まずは貴様から解体してやろう。死に晒せ、ゲガルドの倅」

 

「ほざくな下郎! この場で死ぬのは貴様だ!」

 

 叫ぶと同時、ルイスは羽織っていた上着をシドへ向かって放り投げた。何か仕掛けがあるわけでもない、時間稼ぎのための目隠し。下らない、と手中の剣でそれを薙ぎ払い――しかしその直後、シドは少しばかり表情を崩した。

 

「ほう、これは……」

 

 ルイスが視界から消えていたのである。目の届く範囲外に逃れたというわけではない、数秒前までルイスがいた場所には彼が来ていた衣類一式と、空になった変態薬の容器が転がっている。事情を知らない者が見れば、ルイスが煙になって立ち消えたと思い込んでも不思議ではないだろう。

 

「“擬態”か」

 

 ここまで巧みな擬態であれば、通常真っ先に疑われるベースはタコやイカなどの頭足類。だが投薬形状が『座薬』であり、容器が存在しない軟体動物の可能性は低い。フェイクの可能性は否めないが、容器の形状からおそらく――

 

「魚類の一種だな? 大した錬度だ、まったく所在が掴めん」

 

 特性を見抜いたシドは、思わず称賛を口にせずにはいられなかった。

 

 魚類が有する擬態能力の多くはそれぞれの生息域に特化したものであり、サンゴ礁に住む魚はサンゴに、岩礁に住む魚は岩に似た質感と色合いの皮膚を持つ。ホームグラウンドで彼らを視認するのは至難を極めるが、その反面それ以外の環境への適応力に欠け、MO手術のベースとしては向いていない種も少なくない。

 

 生息域によっては同種でも体色が変わる種も存在するため、皮膚の配色や質感を環境に合わせて変えることも不可能ではないだろう。しかしそのためには相当な期間の鍛錬を必要とする。加えて完全な隠密行動のためには、本人の技術として足音や気流を発生させない移動術の習得が必須であり、求められるハードルは極めて高い。

 

 ルイスの動きが捉えられないという事実は、それ自体が彼の技量と練度の高さの証左なのだ。

 

 もっとも――

 

 

「全て、無意味だがな」

 

 

 

 ――あくまでそれは『人間の感覚に頼っていれば』の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 E l d e r() ― M E T A M O R() P H O S I S(変     態) 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐から取り出した薬を使用した瞬間、シドの肉体は細胞レベルで再構成される。口内に並ぶ歯は例外なく強靭な鋭さを帯び、全身は美しくも頑健な純白の皮膚に覆われていく。

 

「七時の方向、そこかッ!」

 

 シドは叫ぶや否や、その体を反転させて剣を振るう。傍から見れば、それは虚空を薙いだだけに見えるだろう。だが、静まり返った樹海に響いたのは風切り音ではなく衝突音。その後もシドが腕を動かすたびに、彼から数十センチほど離れた空中に火花が咲く。微かに空気が揺れ、ルイスの動揺が手に取るように伝わった。

 

「……何、アレ?」

 

 その光景を静観していたエメラダが思わず呟く。シドがルイスの攻撃を知覚した種の話ではない、彼女の疑問はもっと根本的な部分へと向けられたものだ。

 

 シドの姿は一見して、通常のMO手術の被験者と大差ない。特別生物学に秀でているわけでもないエメラダには見当もつかないが、おそらく手術ベースとなった生物自体は比較的オーソドックスな種類のものだろう。身体の異形化も少なく、細菌や原生生物といった高難度の生物でもないはずだ。

 

 だが――体の芯をビリビリと揺さぶる、あの圧倒的な威容は何だ?

 

 それはエメラダが初めて認識した感覚、しかし彼女はその名をよく知っている――これは、『恐怖』だ。

 ホラー映画を見た時に感じるような陳腐なそれではない、もっと原始的で純粋な「食われる」という、生物の本能に根差す原初の感性。それをたった一人の人間が喚起したという事実に薄ら寒さを感じながら、エメラダは戦況を見守る。

 

「忌々しい! 貴様、感知能力持ちか!」

 

 完全に捕捉されていることを悟り、ルイスは擬態を解いて姿を現した。ダイバースーツのような衣装に身を包んだ美丈夫、その額には玉のような汗が浮かんでいた。

 

「クカカ……さて、な!」

 

 言いながらシドは大地を蹴り、一気にルイスとの間合いを詰めた。次の一合で決着を付ける腹積もりらしい。

 

「舐めるな――!」

 

 それを察したルイスは、槍の刺突でシドを迎撃する。ニュートンの筋力とルイスの技量、そしてベース生物由来の瞬発力を相乗した渾身の穿撃。しかしシドはそれ容易く受け流すと、大きく一歩踏み込んだ。槍の間合いから、太刀の間合いへ。今から槍を引き戻しても、ルイスに反撃のチャンスはなかった。

 

「――終わりだ」

 

 刹那の空白。永遠とも思えるほどに長い一瞬に、シドは嘯く。だが、その言葉を聞いたルイスが浮かべた表情は絶望でもなければ諦観でもなく――“喜色”だった。

 

「ああ……貴様がなァ!」

 

 シドの眼前、ルイスの腹部にボコボコとした隆起が幾つも生まれ――次の瞬間。踏み込みの勢いのまま接近するシドの真正面から、ダイバースーツに設けられた隙間を縫って射出された十数本の槍が彼に襲い掛かった。

 

 この一撃こそ、ルイスが狙っていた本命の攻撃である。長槍による刺突は、本来背中に備わる器官である棘を腹部に生成するための時間稼ぎにすぎない。

 

「串刺しになれ、狂犬め」

 

 勝利を確信し、ルイスは愉悦に顔を歪めた。あとは自分が何をする必要もない、ただシドが自分から槍に刺さりに来るのを待てばいいだけだ。

 

 彼の思考は決して的外れな物ではない。この時のシドは速攻を目指していたためにその速度は速く、簡単には止まれなかった。いわば、自分から針の筵ならぬ槍の筵に飛び込んでいるようなものだ。

 

 仮に体が反応できたとしても、彼がその場で踏みとどまり、体を逸らし、爪先と踵に力を込めて背後の安全圏へと離脱するまでの間に――勢いよく飛び出した槍のどれかが、彼の体を抉るだろう。そしてこの十数本の槍のどれか一本、たった一本でも標的の体に傷をつけることが叶えば、その瞬間にルイスの勝利は確定する。

 

 ――繰り返すが、この時のルイスの思考は決して的外れなものではない。それどころか、適切な思考だったとさえ言えるだろう。普通ならば、この状態からの逆転はあり得ない。

 

 だが彼はこの瞬間、失念していたのだ。目の前の男が普通ではない存在(黒のクイーン)だということを。

 

 

 

 

 

「  邪  魔  だ  」

 

 

 

 

 

 迫りくる槍の穂先。それを認識した瞬間、シドは左下から右上へ、逆袈裟切りとでもいうべき軌道で力任せに剣を薙ぎ、十は下らない槍のことごとくを強引にへし折った。

 

「な……ッ!?」

 

 驚愕するルイスへ、シドは刀身を振り下ろす。縦一文字に刻まれた傷から紅がほとばしり、ルイスは崩れ落ちた。

 

「貴、様ァ……!」

 

「無様だな。そこで寝ていろ、死に損ない。その傷では何もできんだろう」

 

 地に這いつくばるルイスにシドが言い放つ。本来ならこのままとどめを刺すところであるが、未だ白の女王(エメラダ)が健在。彼女がどう動くか分からない以上、迂闊な真似はできない。

 

 ルイスを脅威にはならないと断じ、彼は標的をエメラダへと切り替えた。

 

「次はお前だ、白のクイーン。遺言はあるか?」

 

「別に……それより、一応聞いておきたいんだけど」

 

 淡々とした口調でエメラダが言う。自らに剣を向けるシドにも、苦し気に呻くルイスにも興味を微塵も抱いていないような、冷めきった目だ。

 

「私が『この戦争から降りる』って言ったら……お前、私を見逃すつもりはある?」

 

「何だと?」

 

 さすがに予想外だったのだろう、眉をひそめるシドにエメラダは言う。

 

「私の目的は『もう一度、あの人に会うこと』――ただそれだけ。一応、解放してくれたルイス(そいつ)には義理と実益で従ってはいるけど、命をかけてまで付き合うつもりはない。そいつとオバサンが尻尾を振ってるオリヴィエ様とやらにも、全然興味ないしね」

 

「エメラダ貴様、裏切るつもりか……!」

 

「裏切るも何も、勝手に女王だなんだって色々押しつけてきたのはそっちでしょ」

 

 面倒くさそうにエメラダはため息を吐くと、睨みつけるルイスを尻目にシドを見やった。

 

「お前が見逃すなら、私もお前達の邪魔はしない。ルークは瀕死でクイーンは離脱。美味しい話だと思うんだけど?」

 

「なるほど、悪くない――と、言うとでも思ったか?」

 

 シドの言葉に、今度はエメラダが顔をしかめる番だった。

 

「理由、聞いてもいい?」

 

「第一に、お前の言葉には根拠がない。第二に、俺の任務は「白陣営の皆殺し」。第三に、お前の考え方が純粋に気に入らない。このくらいで満足か? ――では、死ね」

 

 そう言った瞬間には既に、シドはエメラダとの間合いを詰め、剣を上段に構えていた。

 

「踊って見せろ、小娘」

 

 ――歴戦の殺し屋は、警戒している標的にさえ、正面から気付かれずに間合いを詰めることができる。

 

 それは足運びや視線誘導、会話術を巧みに組み合わせた移動術のなせる業。気付いた時には既に間合いの中、標的は正面からの奇襲によって命を落とすことになるのだ。

 

 一朝一夕で身につけられるものではない。天賦の才と後天的な学習、そして数えきれない程の死線をくぐり抜けた経験――その全てを兼ね備えた者だけが身につけることのできる技法である。人間としての次元が違うのだ。シドはまさしく、ヒトの姿を借りた修羅であるといえるだろう。

 

 

 

 

 

 だが、シド・クロムウェルが修羅ならば――エメラダ・バートリーは怪物である。

 

 

 

 

 

「あっそ。それじゃ、私も答えてあげる――お前みたいなダンスパートナーは、願い下げよ」

 

 

 

 ――ポタ、ポタ、と滴る紅の雫が、苔むした樹海の地面に赤い水たまりを生み出す。

 

 しかしその出所はエメラダの柔肌ではなく――分厚い皮膚に覆われた、シドの脇腹だった。

 

 

 

「……!」

 

 ミシミシと肉が軋み、傷口が押し広げられていく感覚。攻撃がまだ終わっていないことを察したシドは、咄嗟に後方へと飛び退いた。ずるりと体内の異物感が消失し、栓のなくなった傷口からドクドクと血が流れだす。血は止まる気配を見せず、見る見るうちに膿んで赤く腫れあがっていく。異様な灼熱感と違和感はあるが、不思議と傷の痛みはなかった。

 

「なるほど、これが薬を使わない変態……便利ね」

 

 そう言いながらエメラダは、生物の特性を反映させたそれへと変異した自身の体を物珍し気に眺めた。

 

 ――αMO手術。

 

 成功率0.3%の壁を乗り越えて彼女が手に入れた恩恵の1つ、“薬を使わない人為変態”である。

 

 投薬時に比べると出力が低下し、更には心身がベース細胞に不可逆的な侵食を受けるリスクこそあるが、一瞬の隙が明暗を分けるMO手術被験者同士の戦闘において、投薬の一手間が省けるメリットは大きい。

 

 先の一合も、エメラダの変態があと少し遅れていれば回避が後れ、彼女は呆気なく切り捨てられていただろう。

 

「それで、まだやるつもり?」

 

 エメラダは喜怒哀楽のいかなる感情も見せず、強いて言うなら鬱陶しそうにシドを見やった。

 

 その全身に黒く薄い甲皮を纏い、両腕からは巨大なメスや注射針や開創器など、手術器具か拷問器具を思わせる禍々しい器官が幾本も生やしている。凶器の十徳ナイフとでも表現すべき形状に展開されたそれは、シドの目の前で収束すると束になり、一本の奇形の槍を象った。

 

 更に背中から生えた二枚の翅が忙しなく細動し、聞く者の嫌悪感を喚起する耳障りな羽音を奏でる。その様子はまるで、地獄の最下層から招来された悪魔のそれを思わせた。

 

「ここで退くなら、見逃してあげてもいいけど?」

 

「退く? ク、ク……クカカカ! 寝言は寝て言え、女殺人鬼(レディ・オースティン)

 

 9割の面倒くささと1割の善意から、エメラダの口をついて出たその言葉。しかしシドはそれを一笑に付すと、戦意をたぎらせながら再び西洋剣を構える。

 

()()()()()()()()()()()()()()()! 手足は動き、心臓は未だ止まらず、脳は冴え渡り、内なる衝動は壊せ壊せと哭き叫ぶ! 俺を退かせたくば、半身を吹き飛ばすくらいのことはしてみせろ!」

 

「あっそ」

 

 億劫そうに吐き捨て、エメラダは変態薬を接種する。刹那、彼女の体は一陣の風となって飛翔する。その速度はまさに電光石火と呼ぶに相応しく、彼女はシドの背後へと瞬間移動すると、無防備な背中から心臓を目掛けて槍を繰り出した。

 

 対するシドは辛うじてそれを察知し、体の軸をずらすことで致命を免れる。しかし攻撃そのものを回避するには至らず、エメラダの槍はその左肩を貫いた。

 

 そして槍は、()()()()()()()()()()。展開されたメスが刺し傷を切開し、開創器が拡大した傷を強引に押し広げる。

 

 変態したシドの皮膚は天然の防刃スーツと形容してもいいほどの強度を誇り、並の攻撃は通さない。しかしエメラダの槍は、まるで豆腐を切り裂くかのような滑らかな動きで、シドの肉体をズタズタに切り裂く。左腕が引きちぎられて地面に落ち、滝のような血が流れ出した。

 

「シッ!」

 

 だがシドは、それを意にも介さない。彼は身を翻すと、背後のエメラダを無事な右腕に構えた剣で薙ぎ払う。

 

 並の人間ならば反応することの敵わない、神速の太刀。しかしそれも、特性を発動させたエメラダには止まって見えた。当然だ、エメラダとシドでは速さの次元がまるで違うのだから。

 

 切っ先をひょいと避け、エメラダは翅を羽ばたかせて剣の間合いから離脱する。宙返りした彼女が手近な木の幹に着地した頃にようやく、シドは振り切った。

 

 ――押し切れる。

 

 そう判断したエメラダは知覚される前にその場を飛び立ち、再び彼の背後に回り込んだ。少々拍子抜けであるが、これで『お終い』だ。彼女は歪な槍を振りかぶり、再びシドの心臓へと突進する――

 

 

 

「――捉えたぞ、エメラダ・バートリー」

 

 

 

 だが、それが三度シドの肉体を傷つけることはなかった。防御のためにシドが構えた西洋剣、その側面で穂先が食い止められたのである。

 

「っ!?」

 

 シドが反撃に転じるより速くエメラダは反転し、すぐさま別角度から彼の急所を狙う。しかしそれも、シドが右腕のみで振るう剣によって防がれた。その後もエメラダは絶え間なくシドへと攻撃を繰り返すが、最初の二撃が当たっていたのが嘘のように、エメラダの攻撃は見切られていく。

 

 次第に攻防の形勢はやがて逆転し、十数合と打ち合った後、ついにシドの剣先がエメラダを捉えた。

 

「……お前、何をした?」

 

 木の枝に止まってそう尋ねたエメラダの頬の傷から、血が筋となって顎へと伝っていく。

 

「別に、大したことでもない。ただお前の速度と動きの癖に、俺の動きを合せて対応しただけだ」

 

 飄々と返されたその答えに、さすがのエメラダも顔を引きつらせた。

 

「さて、これでお前の優位は1つ消えたな。そして――」

 

 そう言うと同時、シドが右腕に持つ西洋剣の刀身に、幾何学的な文様が浮かび上がった。それと同時、粗雑に引き裂かれた左肩の傷跡の肉が蠢いたかと思えば、()()()()()()()()()()()()()。脇腹の傷も見る間に塞がっていき、最終的には赤い腫れこそ残ったものの出血は止まる。

 

「これで条件は五分。さあ白の女王よ、殺し合いを再開しよう」

 

「……」

 

 どこまでも楽しそうなシドに対し、エメラダの苛立ちは頂点に達しつつあった。既に暁闇は薄れ、東の空は白み始めている。エメラダにとってこの作戦の成否などどうでもいいが――やられっぱなしというのは性に合わない。

 

 だから、エメラダは決断した。

 

「いい加減、めんどうね――()()()()使()()()()()()()

 

 “最悪の害虫”と称される、エメラダのベース生物――それが有する禁断の特性と、それを如何なく発揮するために科学者と倫理委員会の反対を押し切り、一部のU-NASA上層部が開発を断行した禁忌の専用武器の発動を。

 

 ――ブン、ブン、ブゥン! ブン、ブン、ブゥン!

 

 エメラダはその場から動かず、一定のリズムで翅を振動させる。先程までとは対照的な、静の挙動。それに対してシドが違和感を覚えた、その時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――なんの前触れもなく、()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がッ!?」

 

 もはやそれは、本人の技量やベース生物の特性云々で対応できるものではない。無防備に倒れそうになるのを辛うじてこらえ、シドはその場で膝を折る。

 

 ――ブゥン、ブゥン、ブゥン!

 

 シドが動けなくなったのを確認したエメラダは輪唱のように、別の羽音を重ねる。その途端周囲の木が、草が、苔が――まるで映像を早送りしたかのように腐敗を始めた。

 

 

 

 ――それは、悪魔が奏でる忌まわしき葬送曲。あらゆる生命を凌辱する、死神の音色。

 

 

 

 自重を支えきれなくなった大木の一本がミシミシと軋んだ音を立て、シドを目掛けて倒れ込む。今の彼にはそれを避けることも、防ぐこともできない。だからこそ彼が取った行動は防御でも回避でもなく、『迎撃』だった。

 

 

 

「ゴ、ガアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 

 

 獣のような雄叫びを上げたシドが放ったのは、超威力の衝撃波。大気を震わすそれは無差別な爆撃ではなく、一定方向への指向性を持った砲撃とでもいうべきもの。

 

 

 

 ――それは、君臨者が奏でる厳かな行進曲。立ちはだかる一切を蹂躙する、魔王の音色。

 

 

 

 波動はシドの正面延長線上に存在するあらゆる物体を粉砕しながら、葬送曲を奏でるエメラダに迫る。

 

「くっ……!」

 

 咄嗟に飛び立つも完全に避けることはできず、エメラダはきりもみになりながら地面へと叩きつけられた。

 

 全身に細かな傷が刻まれ、強かに頭を打った彼女の視界に星が散る。内臓を引っ掻きまわされたような感覚に咳き込めば、めくれ上がった茶色の地面にぼたぼたと血が零れた。

 

 掠めただけでもこの威力、直撃していたらどうなっていたことだろうか? エメラダは一直線に木々が薙ぎ倒された樹海を、肝が冷える思いで見つめた。

 

 ふらつきながらもエメラダが立ちあがると、眼前ではシドが態勢を立て直したところだった。既に心臓も正常に動き出しており、エメラダに比べて目立った外傷は少ない。だが槍の刺突や内臓への攻撃は蓄積し、見た目以上の消耗を彼に強いていた。

 

「見事、ここまで俺を追い詰めたのはエドガー以外には貴様が初めてだ……だが! 俺を殺すには! まだ足りない!」

 

 満身創痍、と言っても過言ではないだろうポテンシャル。しかし、シド・クロムウェルは止まらない。己を殺しうる敵と戦う歓喜に震え、狂騎士は高らかに笑う。

 

「白か黒か、どちらかが塗りつぶすまでこの聖戦は終わらない! 今この瞬間、この場所こそが二局の(ことわり)の最前線! さぁ続けようじゃないか、女殺人鬼(レディ・オースティン)! 善悪も際限も御託もかなぐり捨てた、生存競争(ツークツワンク)を!」

 

「しつこい……!」

 

 純白を纏いし黒の女王が剣を、漆黒を纏いし白の女王が歪の槍を構えて対峙する。最早、戦闘の加速は止めようもなく。両者がまさにその命を喰らい合おうとした、その刹那。

 

「!」

 

「む――」

 

 鳴り響いた耳をつんざくようなサイレンに、2人は一斉に音がした方向へと顔を向けた。

 

 音源は樹海を抜けた先、エメラダたち白陣営が急襲を仕掛けようと目指していた米軍基地であった。耳障りなその音が警報アラートの類であること、その警報の対象が自分達であることなど言うまでもなかった。

 

「――少々派手に動きすぎたか」

 

 忌々しそうにぼやくシドの視線の先、基地で一瞬だけ光が閃いた。そこを起点として、朝焼けの空に煙を噴き上げながら打ち上げられるのは、対地ミサイルだった。ミサイルは搭載された衛星信号による誘導で標的に狙いを定めると、シドとエメラダ目掛けて一直線に飛来した。

 

「水を差すな、アメリカ人(ヤンキー)ども」

 

 白けたように言いながら、シドは構えた拳から衝撃波を放つ。強力なそれを諸に受けたミサイルは2人のいる場所まで届くことなく、空中で雅さの欠片もない花火となった。

 

 舌打ちをすると、シドは剣を鞘へと納めた。どうやら戦意が萎えたらしく、突き刺すような殺意もぱったりと途絶える。

 

「興が醒めた。続きはまたの機会としよう」

 

「……お好きにどうぞ」

 

 自分から吹っ掛けておきながら何を勝手な――エメラダはそんな言葉を発しかけるが、休戦の提案自体は彼女にとっても望ましいもの。喉までこみ上げた悪態を飲み込み、エメラダはぶっきらぼうに返した。

 

「ではご機嫌よう、女殺人鬼(レディ・オースティン)。次に会った時に生きていればその首、俺が斬り落とそう」

 

 踵を返したシドは、軽い足取りで木の間に消えていく。

 

 ――今なら殺せるか? 

 

 一瞬だけエメラダの脳裏にそんな考えがよぎるが、すぐさまその考えを打ち消した。

 

「……くっっっだらない」

 

 せっかく面倒ごとの方から遠ざかってくれたのだ、わざわざ自分から追いかける必要もないだろう。

 

 ため息を吐くエメラダの視界の隅で、再び光が閃く。どうやら二発目が発射されたらしい。

 

 気だるげにエメラダが二枚翅を羽ばたかせると、迫っていた弾頭は180°方向を転換し、自身が飛来した軌跡を辿るように飛び去っていく。

 

「あーぁ、無駄に疲れた」

 

 

 

 ――自分とルイスが内部に侵入して攪乱。その後、基地内での爆弾の起動を合図として、ビショップの率いる本隊が基地を制圧する。

 

 

 

 当初の予定は狂ってしまったが自分達の戦闘が攪乱に、今のミサイルが合図代わりになる。

 あとはビショップが率いる別動隊がどうにかしてくれるだろう。どうにもならなくとも、それは自分には関係のない話である。

 

 彼女は地べたに座りこむと、懐に大事にしまっていたブロマイドをそっと取り出した。そこに写っていたのは、赤毛の青年。楽しそうに笑う彼の表情を見て、エメラダは無意識のうちに自分の頬が緩むのを感じた。そこに普段の刺々しさはなく、その様子は恋する女性そのもの。

 

 エメラダはブロマイドの青年にそっと口づけを落とすと、静かに呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「早く会いたいな、ダリウス様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【オマケ①】定時報告 白

ルイス「狂犬に切り伏せられるわ、小娘の専用武器に巻き込まれて心臓が止まるわ、挙句に衝撃波に吹き飛ばされて気を失うわ……まったく、貴様のせいで(※完全な濡れ衣)散々な目に遭ったぞ、希维!」

希维「はいはい、私のせい私のせ……というかよく生きてたっすねルイス兄!?」



【オマケ②】定時報告 黒

シド「楽しい殺し合いだったぞ、エドガー。少しでも長く楽しむためにクイーンは見逃し、うっかりルークにとどめを刺すのも忘れたが……最終的に皆殺しにするから問題ないな?」

エドガー「クハハ……貴様には帰国次第、変態した近衛長のアイアンクローをくれてやる」

シド「なぜだ」

エドガー「むしろなぜその報告で余が許すと思った?」




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