贖罪のゼロ   作:KEROTA

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狂想讃歌ADAMー3 爬行侵食

 U-NASA本局の食堂――平時は一般職員で賑わうその場所は、今日この日に限ってはひどく閑散としていた。

 出入り口にかけられた『Reserved(貸し切り)』のプレートによって、利用客たる一般職員は入室を許されず、厨房スタッフまでもが職権によって突発的な休暇を申し付けられているのだから、それも当然といえた。

 

 そんながらんとした食堂内で会話する2人の人物がいた。

 

「……というのが、お前達にやってほしい任務の内容だ」

 

「なるほど」

 

 ――やれるか?

 

 念を押すように、そのうちの1人――ミッシェル・K・デイヴスが尋ねる。会話の相手は、彼女の対面に座る壮年の男性である。スーツ姿のミッシェルに対して、彼が身に纏っているのはトレンチコート。体中にいくつもの傷が刻まれたその男は、微かに顔をしかめた。

 

「正直に言うと、怪しいところだな。相手の勢力がとにかく未知数なのが引っ掛かるが……まぁいいだろう、その任務はウチで請け負う」

 

「……すまないな、ギルダン」

 

「気にすんな。俺たち第七特務ほど、この手の任務にうってつけの奴らはいないだろう。あんたには、それなりによくしてもらってるし――」

 

 顔を曇らせるミッシェルに対し、男――ギルダン・ボーフォートは冗談めかして笑って見せた。

 

「同じ蟻ベースのよしみだ。立場云々を抜きにしたって、多少の無茶は聞くさ」

 

「……感謝する」

 

 気にすんなってのになぁ、とギルダンはきまり悪そうに、頭を下げるミッシェルを見やった。

 

 ギルダンが頭目を務めるU-NASA第七特務支局。表向きは広報活動を担当する部門とされているそれの実態は、U-NASAが『有事』の際に対応するために組織した暗部組織である。

 

 有事の例としては闇MO手術を受けた犯罪者の始末、あるいは漏えいした情報の回収、あるいは未知の脅威に対する派遣調査など……早い話が、表沙汰にできない不祥事を内密に処理するための汚れ仕事である。

 

 そうした任務内容もあって、第七特務に籍を置くものは犯罪者を始めとする問題児たちが大多数を占めている。

 当然U-NASA内での風当たりも強く、上層部からの冷遇は当たり前、中には何かにつけて支局そのものを取り潰そうとする者も多い。

 

 逆に第七特務を冷遇しない上層部の人間は極めて希少であり――ミッシェルは、その中の1人だった。

 

 露骨に贔屓することはない、しかし自分達のような荒くれ者にも通すべき筋は通す人間。胸中でどう思っているかはともかく、その真っすぐな姿勢をギルダンは好ましく思っていた。偏見を持たず、あくまで対等な存在として自分達に接することが人物の、何と少ないことか。

 

 今回、彼女がギルダンに持ちかけた任務は、平時の彼女であれば絶対に他人に押し付けることのない、極めて危険なものだ。そのことを気に病んでいるのだろう、ミッシェルはいつも通りの鉄面皮ながらも、どこか表情に曇りが見える。

 

「どうしても収まりがつかないって言うなら、そうだな……」

 

 それを察したギルダンは、ミッシェルの背後を指さす。その意味を理解したのか、先程までとは別の意味で、ミッシェルが渋い表情を浮かべた。

 

「あれを少しばかり、ウチへの差し入れにもらおうか。構わねえな?」

 

「……好きにしろ」

 

 どこか頭が痛そうに言うと、ミッシェルは背後を見やった。彼女の視線の先にあるのは、厨房。雇われている料理人もいないはずのそこでは、3人の人物が忙しなく動き回っていた。

 

 

 

「スレヴィンさん、そろそろグラタンが焼き上がるはずなので、オーブンの様子を確認してもらえますか?」

 

 厨房に向かって声を上げたのは、天然パーマ気味の青年――ダリウス・オースティンだった。

 特徴的な赤毛の上にコック帽を被ったダリウスは、慣れた手つきで野菜のテリーヌを皿に盛りつけていく。緑、黄、オレンジ――色鮮やかなそれは、皿の白も合わさって食欲をそそる色合いで見る者の目を楽しませる。

 

「はいよ! どれ……」

 

 ダリウスの声に答えると、声の主――スレヴィン・セイバーはコンロの火を止め、オーブンに駆け寄る。彼は気だるげな眼を僅かに見開くと、小窓から橙の光と熱を発するオーブンの中を覗き込んだ。グラタン用の深皿に盛られたチーズは所々が狐色に染まり、じゅうという耳障りのいい音と共に香ばしい香りを発している。

 

「お、こっちはいい塩梅だな。ウルトル、シチューはどうだ?」

 

「あとちょっとだね。あとスレヴィンくん、できれば名前で呼んでもらっていいかな?」

 

 スレヴィンの声に返しながら、厨房でも変わらずフルフェイス姿の青年――シモン・ウルトルは、玉杓子で鍋の中をかき混ぜた。

 

 とろりとした乳白色の液体は絶え間なくクツクツと音を立て、液面に浮かぶジャガイモやニンジンがそれに合わせて細かく揺れる。液を掬いあげれば一層激しく湯気が立ち昇り、優しくも胃をくすぐる匂いで肺を満たした。

 

「もう2、3分煮込んで、余熱で火を通せばいい感じじゃないかな? 今のうちに天ぷら用の野菜も準備しておこう」

 

「ついでにシモンさん、冷蔵庫からフルーツを出してもらっていいですか? そろそろデザートの下準備に取り掛からないと」

 

「はーい」

 

「オースティン、俺の分は甘さ控えめで頼むわ。あとシモン、胡椒をこっちに寄越してくれ」

 

 いい年の大人の男3人が、まるで家庭科の調理実習か何かのように、わいわいと騒ぎながら忙しく厨房の中を動き回る。その様子を見て、ミッシェルは憮然と鼻を鳴らした。

 

「お料理教室開くために集めたわけじゃねぇんだぞ、あのアホ共」

 

「まぁ、なんだ……いがみ合って任務に支障きたすよりはいいんじゃねえか?」

 

 彼女の額には青筋を立ち、今にも人為変態を始めそう――というか既に触角が生え始めている。それを見たギルダンは触らぬ神に祟りなしと、思いつく限り最も当たり障りのないフォローの言葉を返すのだった。

 

 

 

 ※※※

 

 ミッシェルがワシントンDCに呼び出されたのは、今から半日前のことだった。

 

 

 

「――デイヴス少佐。君には、国内で活動するテロリストの掃討を頼みたい」

 

「テロリスト、ですか?」

 

 そう答えたミッシェルの顔は、いつもに比べて少しばかり強張っていた。多少のことでは動じない彼女が少なからず動揺している理由は、他ならない彼女が対話している人物にあった。

 

 ――ジェラルド・グッドマン。

 

 彼女が今話しているのは他でもない、アメリカ合衆国の最高責任者なのだ。

 

「そうだ。MO手術の技術を使い、テロを企む勢力が存在すると――ある筋から報告が入った。既に中央情報局(CIA)の捜査で裏はとれている」

 

 そう語ったグッドマンの表情は険しい。平時のように上層部を通してではなく、大統領が直々に自分に話を持ちかけているという時点で、かなりの非常事態であることがうかがえる。ミッシェルは事態の深刻さを察し、より気を引き締めながら、グッドマンの言葉に耳を傾ける。

 

「人員の選抜、制圧の方法……全て、君に一任しよう。既にCIAやFBIが捜査に乗り出し、米軍の一部はいつでも動けるように待機している。彼らから得られた情報と、可能な限りのバックアップも約束する。いざとなれば、責任は私が取ろう――引き受けてくれるか?」

 

「勿論です、大統領」

 

 ミッシェルは即座に頷く。断る、という発想は欠片もない。人々の営みを守ること……それが軍人としてのミッシェルに課せられた責務だからだ。

 

 ミッシェルの強いまなざしに頷くと、グッドマンは彼女にファイルを手渡した。その資料に目を通すにつれ、彼女の予想を数倍上回る被害の全容に、手にこもる力が強まっていく。

 

「――21世紀以降、合衆国(我々)の歩む道には常に、テロリズムとの戦いがあった」

 

 顔を上げたミッシェルに、グッドマンは「独り言だ、聞き流してくれて構わん」と断ってから、なおも言葉を続けた。

 

「国家転覆、宗教紛争、報復、差別……その全てを我々はねじ伏せ、勝ち続けてきた。今のアメリカ合衆国は、その影に倒れた無数の犠牲者の上にあると、私は思っている。傷つけられた国民だけではない、彼らを守るために戦った者やテロの首謀者たちも含めて、だ」

 

 グッドマンは静かに目を伏せた。

 

「――正直に言えば、先達の選択が本当に正しいものだったのか、私には分からない。勿論、国を守ってきた歴代の大統領たちの選択は、決して間違ったものではないだろう。ただ、私はたまに考えるのだよ」

 

「テロリストたちはただ、手段を間違えただけなのではないか? もしかしたら我々は、話し合いによって歩み寄り、共存できたのではないか? 彼らの思想は、その命を踏み躙ってまで否定すべきものだったのか? ……とね」

 

 ――だが。

 

 そう言ったグッドマンの目には、力強い闘志と敵意の炎が燃えていた。

 

 

 

「今回ばかりは、確固たる確信の下にこう言おう――奴らは、ゴキブリ以下の『悪』だ」

 

 

 

 ぐしゃり、と彼の手中にあった万年筆がひしゃげる。しかしそれにも構わず、彼は静かなる怒りを吐いた。

 

 

 

()()()()()()()()などという戯言、断じて許すわけにはいかない。その言葉は、これまで我々が積み上げた犠牲の全てを否定するものだからだ。そんな言葉を軽々しく口にする連中に屈していいほど――我々合衆国(ユナイテッド・ステイツ)が背負う歴史は軽くない」

 

 そう言うとグッドマンは、ミッシェルの双眸を見つめた。美しく真っすぐな青の瞳に、老いた大統領は告げる。

 

「アメリカ大統領として保証する――これは正義の戦いだ、デイヴス少佐。どんな手を使っても構わん、テロリストどもを叩き潰せ」

 

「……了解しました」

 

 それに応えるとミッシェルはすぐに席を立ち、ホワイトハウスを後にした。そして彼女はU-NASAに戻ると、すぐに電話の受話器を手に取ったのだ。

 

 彼女が知る中でも指折りの実力者たちを、招集するために。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「――それが、どうしてこんなことになってんだ?」

 

 ミッシェルは思わずぼやいた。「用事がある」と先にこの場を去ったギルダンが大量に料理を持ち帰ったはずだが、それでもなお食堂のテーブルには所狭しと料理が並んでいる。フレンチ、イタリアン、和食……高級料亭でもめったにお目にかかれない、文字通り和洋折衷のフルコースメニューである。

 

「……」

 

 ミッシェルは手近にあった皿を取り寄せると、こんがりと焼きあがったフィレ肉にナイフを差し込んだ。ぱちぱちと油が跳ねるプレートの上、ほのかに赤い断面からはじゅわりと肉汁が溢れる。フォークで刺したそれを口に運べば、舌の上では凝縮された肉の旨味と脂の甘味が躍る。

 

 美味い。いや、美味いんだが……だからこそ、余計に釈然としない。こいつら(自分も含む)はこの非常事態に何をやっとるんだ。

 

「落ち着けっての、ミッシェル。緊急だとしても、1分1秒を争うもんでもねぇんだろ?」

 

 しかめ面のミッシェルに声をかけたのは、ステーキを焼いた張本人であるスレヴィンだった。

 

 U-NASAの敷地内に立てられた、MO手術被術者用の寮。そこで寮監を務めている彼は、この場で最もミッシェルと付き合いが長い人間である、といっても過言ではない。

 もっとも、その関係は惚れた腫れたの色っぽいものではなく……どちらかといえば腐れ縁や、悪友のそれに近い。

 

 公私ともにミッシェルと交流のある彼は、眉をひそめる彼女にスレヴィンはニヤッと笑って見せた。

 

「なら、腹ごしらえをしてからでも遅くねえだろ。コイツの料理も食いたかったしな」

 

 スレヴィンはそう言うと、手にしたフォークでパスタを絡めとった。固めに茹で上がった麺は絶妙な()()があり、鼻の奥に広がるバジルとガーリックの香りが心地よい。

 

「シンプルな料理ならともかく、こういう細かいメニューは本業に任せるに限る。さすがだ、オースティン」

 

「元、ですけどね。そう言ってもらえると、腕によりをかけて作った甲斐があります」

 

 スレヴィンの言葉に、食器類を一通り片付けて厨房から出てきたダリウスが、柔らかに笑う。エプロンを外しながらテーブルへと向かってくるその様子は、一見すれば優し気な好青年にしか見えない――いや。実際に彼自身も、穏和な性格なのだろう。

 

 

 

 ――人畜無害、というわけではないんだろうけど。

 

 

 

 和やかにスレヴィンと談笑するダリウスの様子をフルフェイス越しに伺いながら、シモンは野菜のスムージーを啜った。

 

 ――ダリウス・オースティン。

 

 先の一面だけ見れば物腰が穏やかな料理人にしか見えない彼。

 

 しかし彼は、アメリカ合衆国に在籍するMO手術の被術者の中でも最強クラスの実力者であり、かつて全米を震撼させた最悪の――。

 

「シモンさん、シモンさんってば!」

 

「はいッ!?」

 

 呼び声に思わず身をすくませれば、フルフェイス越しに件のダリウスがこちらを見つめていた。その顔にはなぜか、困ったような表情を浮かべている。

 

「気に入ってもらえたのは嬉しいですけど、スムージー(それ)以外のものも食べませんか?」

 

「あ、うん。いや、ボクは――」

 

 ダリウスの言葉に頷きかけるも、断ろうとするシモン。しかしそれを見越していたのか、スレヴィンが彼の肩に手を回すと、言葉を遮るように声をかけた。

 

「いいから、もっと食え! ほら、このグラタンも美味いぞ!」

 

「うっ……」

 

 ゴトッ、とシモンの前に置かれた取り皿。その上ではホワイトソースを纏ったマカロニと、その上に覆いかぶさるチーズがほかほかと湯気を立ち昇らせている。流石にここまでされると、気の弱いシモンとしては非常に拒否しにくい。

 

 助けを求めてシモンはミッシェルを見やるが、彼女の表情はどことなく冷たい。ミッシェルはスープ皿のシチューをぺろりと平らげると、ナプキンで口を拭きながら言い放った。

 

「こうなったのは八割お前のせいだろうが。責任とって食え」

 

「……はい」

 

 こうなっては、腹をくくるしかない。シモンはフルフェイスヘルメットの食事用ハッチを開けると、ほかほかと湯気を立てるマカロニにフォークを突きさした。

 

 

 

「大丈夫……ボクは負けない」

 

 言い聞かせるように呟くと、シモンは覚悟を決めてマカロニを頬張った。

 

 

 

 

 

 

 

「~~~~ッッ♥!」

 

 

 

 その直後、口内をあまりにも乱暴に、しかし優しく蹂躙するホワイトソースの旨味に、シモンは悶絶した。予想外の事態にうろたえるダリウスと、対照的に大げさすぎる反応に笑い転げるスレヴィン。

 

 ミッシェルはその光景をより一層冷めた目で見つめながら、手にした野菜のホットサンドにかじりついた。

 

 

 

 ――ミッシェルが任務達成のため、職権を使って招集したのは全部で4人。

 

 

 

 数あるU-NASAの実働部隊の中でも実践経験が豊富な第七特務、その部隊長たるギルダン・ボーフォート。

 

 広域制圧に優れた特性を持ち、自らも面談の上で裏アネックス計画の幹部候補にと推薦したダリウス・オースティン。

 

 幼少期……兄と慕っていた人物が事故で帰らぬ人となったその少し後から、現在に至るまでの付き合いがあり、気心の知れたスレヴィン・セイバー。

 

 そしてこれまで、MO手術に関する任務において何度も行動を共にしてきた、特別対策室のシモン・ウルトル。

 

 

 

 ミッシェルとこそ面識があるものの、彼らはほぼ全員が初対面。どうせなら飯でも食いながら話すか……と小吉(上司)を真似て、食堂を貸し切ったところまではよかった。

 

 

 

「ギルダンが遅れるらしい。先にデリバリーでも頼んどくか。お前ら、何か食いたいもんあるか?」

 

「あ、なら俺が作りましょう。厨房の材料は使っていいんですよね?」

 

「そうか? なら頼む」

 

 気を利かせて立ち上がったダリウスの言葉に、ミッシェルはとり出しかけた通信端末をポケットにしまい込んだ。

 

 以前、彼との会談で振る舞われた料理は非常に美味だった。基本的に野菜料理しか作らないのが唯一の難点だが、そこはそれ。味は高級レストランのそれに全く劣らない。

 

「皆さん、何かリクエストはありますか? 肉料理はできませんが……それ以外なら、基本的に応えられます」

 

「ホットサンドを頼む」

 

「それじゃあ俺は……バジルとガーリックのパスタでも頼むわ」

 

「分かりました。シモンさんはどうしますか?」

 

 そう言ってダリウスはシモンを見やるが、声をかけられた本人の反応は芳しくなかった。

 

 

 

「いや、ボクは遠慮しておくよ」

 

 

 

「……そう、ですか」

 

 控えめだが確かな拒絶の言葉。それを聞いたダリウスは微かに顔を曇らせ……しかし、すぐに取り繕うと、元の穏やかな表情を浮かべる。

 

「分かりました。もし気が変わったら、声をかけてください」

 

「ごめんね」

 

 申し訳なさそうなシモンの声に、気にしないでくださいと笑いながらダリウスは厨房へと向かう。

 

「おい、シモ――」

 

「待て、ミッシェル」

 

 シモンの対応に思わず苦言を溢そうとするミッシェルだが、それはスレヴィンによって制された。そのまま彼は、ミッシェルに小声で囁く。

 

「思うところがあるのは分かる。だがあいつの経歴を知ってるなら、この反応がむしろ正常だ」

 

「それは……」

 

 スレヴィンの言葉に、ミッシェルは押し黙った。彼の言葉が正論だったからだ。そう、ダリウスは()()()()()()()()()()()()()()()――例え本人の人格が善人のそれであろうとも、犯した罪は消えることがない。

 

 ましてシモンは第七特務と並ぶ実働部隊、クロード・ヴァレンシュタイン直属の特別対策室のメンバーである。()()ダリウスを相手に警戒を緩めろという方が無理な話だ。

 

「……いや、お前の言う通りだな。すまん、少し出てくる」

 

「おう」

 

 だが、正論だからといって需要できるものでもないのだろう。ミッシェルは深く息を吐くと、食堂を後にした。それを引き留めるようなことはせず、スレヴィンはそれを見送ると懐から煙草を取り出した。

 

 シモンとスレヴィンの間に会話はなく、食堂内は静寂に包まれる。厨房の方から聞こえる、トントンとダリウスが野菜を切り刻む音だけが、リズミカルに響く。

 

 ――とはいえ、あんまり警戒心が強すぎても、今後の任務には支障をきたすな。

 

 スレヴィンはマッチで煙草に火を灯すと、静かに紫煙を吐きだした。ここは1つ、それとなくフォローをしておくべきだろう。

 そう考えたスレヴィンは、灰皿に煙草の灰を落としながらシモンの方を見やり――そして、目を剥いた。

 

「……おい。そりゃなんだ?」

 

「へ? 何って……」

 

 きょとん、とした様子でシモンは首を傾げた。

 

「ボクのお昼ごはんだけど……」

 

「はぁ!?」

 

 その声に思わず調理の手を止め、ダリウスが厨房から顔を出すが、それに構わずスレヴィンは「こいつ正気か?」とばかりにシモンを見つめた。

 

 しかしその反応も当然のもの、シモンの前に並べられ、彼が「お昼ごはん」と言い切ったそれは、十粒前後の錠剤だったのだ。

 

 何かの薬、というよりは栄養剤のようなものなのだろう。よく見ると錠剤は一つ一つ形状や色が違っており、紛れ込んでいるカプセルには小さく「ビタミンC」やら「鉄」やらの文字が刻んである。

 

 そして次の瞬間、スレヴィンの脳内で凄まじく嫌な予想が完成した。これまでの彼の推理がぶち壊される感覚。彼は恐る恐る「なぁ」と声をかけた。

 

「お前、まさかと思うがオースティンの料理を断ったのって――」

 

「ああ、うん。お昼ご飯もう用意しちゃってたし、せっかく作ってもらったのに残すといけないなと思って……」

 

「あいつの経歴から、何か盛られるんじゃないかとか疑ったりは?」

 

「まったくないわけじゃないけど……特に気にしてはいないかな? ミッシェルさんが推薦した時点で、人格面は信用してもいいと思うし」

 

「反応に困るぞ、おい……」

 

 信頼関係云々に関しては完全に自分の誤解だったらしい。とりあえず、最大の問題は解決したのだが、今度は全く別の問題が浮上した。

 

「もう1つ聞くが……まさかこれが普段の昼飯じゃねえよな? 習慣化してねえよな?」

 

「あー……ちょっと違うけど、まぁそんな感じかな? 一応、公式の食事会の時とかは普通の料理もちょっとは食べるけど。基本的には、三食こんな感じ」

 

「嘘だろお前!? おい、いつからだ! いつからそんなことになった!?」

 

「うえッ!? え、えぇーと、確か……8歳くらいからだったかな?」

 

「8歳だァ!?」

 

「だ、大丈夫! これクロード博士が開発した栄養剤だからちゃんと食事は賄えるし! 実際、健康診断でも身体に異常なしなんだよ、ボク!」

 

「そう言う問題じゃねぇだろうが!?」

 

 ――スレヴィン・セイバーは、U-NASAの寮監という立場上、クロードからアーク計画の詳細について知らされている、数少ない人間の1人である。

 

 しかしそんな彼でさえ、シモンの正体は知らない。そのためこれは知る由もないことであるが――このどう見ても、病院食や監獄の方が幾分マシと言えるような凄惨な食事は、シモンが自分に課した数ある自罰の内の1つだ。

 

 18年前、シモン――かつてイヴと呼ばれていた少年は、バグズ2号の乗組員を助けるために、密かに艦へと潜り込んだ。事前にテラフォーマーの存在を知っていたイヴは、自身の特性を駆使。結果として彼は、バグズ2号の乗組員たちを生存させることに成功した。

 

 彼が最も慕っていたドナテロ・K・デイヴス艦長ただ1人を除いて。

 

 その一件以来、シモンと名を変え、かつての己痕跡を消し去った今でも、シモンは己に様々な苦痛を課している。「大切な人を救えなかった」己を責めることで少しでも罪の償いとしているのだ。

 

 その一環が食事の制限である。彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 生命活動を維持し、肉体を鍛え上げるために必要な栄養のみをサプリメントによって賄い、滅多なことでは食事を口にしない。

 

 皮肉なことに――本人は無自覚なようだが、自罰行為こそがシモンの精神的な傷を緩和するのに最も適した方法だった。だからクロードは、それを快くは思わなかったものの、今の今まで放置せざるを得なかったのである。せめて、数値上は通常の食事のよりも身体の健康には良い栄養剤を開発するほか、彼に選択肢はなかった。

 

 もっとも、先に述べたことの繰り返しにはなるが――

 

「オースティンッ! いったん調理止めてこっちに来い!!」

 

 ――そんな事情を、スレヴィンは知る由もない。仮に知っていたとしても、同じ反応をしただろう。

 

「これは……あまり言いたくないですけど、いくらなんでもひどすぎますね」

 

「だろ?」

 

 事情を聞き、シモンの食生活の不健全さに顔を引きつらせるダリウス。それを見たスレヴィンは、深く息を吐いた。

 

「オースティン、俺も手伝う――作れる限り飯を作って、こいつに美味いもんをたらふく食わせるぞ。このアホには食の再教育が必要だ」

 

「わかりました。さすがにこれは、料理を生業にしていた者としても看過できません。多少作りすぎるかもしれませんが、大丈夫ですか?」

 

「問題ねぇ、経費も料理の始末も責任を持って、ミッシェルがなんとかする」

 

「い、いやあの、気持ちは嬉しいんだけどスレヴィン君、ボクは別に――」

 

「何か言ったか?」

 

 シモンは抵抗しようと声をあげるが、スレヴィンの眼光に出かけた言葉を飲み込んだ。

 

 ポルノ雑誌を平然と読んで風紀を乱す、喧嘩があれば賭けの胴元になると、寮監とは思えないような行動が目立つスレヴィンだが、こと面倒見の良さとマジギレした時の怖さについては寮生たちも一目置く存在である。あまり押しの強くないシモンが勝てる道理はない。

 

 

 

「……せ、せめてボクも料理を手伝おうかなー、なんて……」

 

 

 

 かくしてこの場で最年長のはずのシモンは凄みに負けてあっさりと折れ、ミッシェルが途中で合流したギルダンと共に帰ってくる頃には、男3人による奇妙な調理大会が開かれていたのである。

 

 

 

 

 

「だ、駄目だ……この味を知ったら、ボクは栄養剤に、戻れなく……!」

 

「普通の食事をすればいいんじゃないかな?」

 

 フルフェイスヘルメットの下で幸せそうな、しかし苦しそうな表情を浮かべながらカボチャの天ぷらを咀嚼するシモンに、思わずダリウスも素の口調に戻る。本人は至って真剣に言っている辺りが、余計にシュールだ。

 

「お前ら、いい加減本題に入っていいか?」

 

 そんな彼らの前で、ミッシェルは最後の一切れとなったローストビーフを飲み下すと、呆れたように口を開いた。

 

「っと、悪い悪い。随分待たせたな」

 

 ミッシェルに続きを促しながら、スレヴィンはダリウスが用意したシャーベットを掬った。レモンをベースにした柑橘の爽やかな酸味が、口内に残る料理の後味を消し去る。このシャーベットのように、幼馴染が持ってきたらしい案件もすっきりとしたものであればよいのだが――

 

「お前達には私と一緒に、テロリスト排除の任務についてほしい」

 

 ――生憎と、そう美味い話はないらしい。

 

 彼女の口から語られるのはテロリストの排除という、おそらく数ある任務の中でもとりわけ危険な任務内容。

 

 しかもその目標は、『アメリカ合衆国の破壊』というトチ狂ったものだ。止めようとするならば、血みどろの戦いはどうしても避けられないだろう。

 

 後味の悪い任務になりそうだ、とスレヴィンは紅茶を煽るとミッシェルへと視線を向けた。

 

「大体の事情は分かった。俺としては協力するのもやぶさかじゃないが……聞いときたいことがある」

 

「なんだ?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ティーカップを置くと、スレヴィンは続ける。

 

「俺とシモンは分かる、特性が直接戦闘型だからな。この手の任務には持って来いだろう。だが、こいつは違う――こいつの能力は、本気を出せば数時間で都市を壊滅させることだってできる代物だ。どう考えても、闇MO手術を受けたテロリスト程度に差し向けるもんじゃない。違うか?」

 

「……さすがに鋭いな」

 

 ミッシェルはそう言うと、ビジネスバッグから書類を取り出すと、3人に手渡した。

 

「18時間前、米軍管轄の軍事機密施設が襲撃されていたことが分かった」

 

 ミッシェルは資料を読み進める三人に概要を――ほんの数時間前に、同じアメリカという国の中で起きた惨劇の全容を語りだす。

 

「職員は警備のために駐屯していた米軍も含めて、おそらく全滅している。ほとんど破壊された監視カメラのデータをハッキングして解析した結果は――()()()()1()()

 

「1人だと……!?」

 

 ミッシェルの言葉に、スレヴィンが瞠目する。例え歴戦の軍人が直接攻撃型の手術ベースを得たとしても、職員を一人残らず殺害するなどという芸当はまず不可能だ。

 

 考えられる可能性としては兵器を使ったか、新式のMO手術か広域制圧に長けたベースを持っているか――あるいは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「襲撃後の足取りは掴めていない。加えて、調査のために送り込んだ部隊すら帰還せず音信不通だ。現状、対策から情報戦までこちらは完全に後手に回ってる」

 

「それだけでも不味いけど、ミッシェルさん。ここって……」

 

 資料を読み終えたシモンがミッシェルの方を見やった。資料に記載されていた襲撃場所は、おそらくアメリカの中でもおそらく5指に入るであろう、()()()()()()()()()()()。そこを襲った襲撃者の意図は明白だ。そして職員が全滅したということは、おそらく彼の目的も達成されている。

 

 非常に不味い状況である――アメリカの滅亡が、現実味を帯びてくる程度には。

 

「だけど、僕が必要な理由はよく分かりました」

 

 ――できれば、分かりたくありませんでしたけどね。

 

 そう言うとダリウスは乾いた笑い声を漏らし、机の上に資料を置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

α()M()O()()()()()()()()()()()()()()()……まさか最初の任務が、御同輩の始末とはね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――18時間前、アメリカ合衆国ネバダ州南部。

 

 サイト66(ダブルシックス)と呼ばれるこの軍事機密区域は、アメリカにとって非常に大きな意味がある場所である。その主たる要因は、この場所が国内でも数少ない“αMO手術”の研究をするための施設であるということだ。

 

 手術の成功率は僅か0.3%、おまけに手術コストは通常のMO手術の4倍という極めてコストパフォーマンスが悪い技術である。

 

 ではなぜそんなコスト面では劣悪なαMO手術を研究するのかといえば、それはこの技術が極めて強力無比なものだからに他ならない。

 

 投薬によって引き出される力は、通常MO手術の被術者が過剰変態によって辛うじて得ることのできるそれ。

 

 通常のMO手術では適合しない生物でも手術を施せる、応用範囲の広さ。

 

 更に細胞がよりベース生物に傾いているからこそ可能になる、薬を使わない変態。

 

 成功率は1000分の3、理論上は1000人に3人しか成功しない技術。しかし、手術に成功したその3が得る力は、犠牲となった997を補って余りある。だから各国はこぞって、この技術の研究を続けている。

 

 目下のハードルは、何と言ってもその成功率の低さにある。まず適合者の頭数を揃えなければ、研究も何もあったものではない。このハードルを乗り切るため、各国は知恵を絞った。

 

 ある国では無数のクローンを使い、母数を増やすことで成功者数を増やそうとした。

 

 またある国では、被術者の肉体への負荷とベース生物の制限を引き換えに、手術の成功率を引き上げようとした。

 

 そしてアメリカが選択したのは、“死刑囚を実験体に用いること”。歯に衣着せぬ物言いをすれば、「死んでもいい連中を実験材料にしよう」という発想である。

 

 だが――『例え死刑囚であっても、人権は存在する』。

 

 それが建前であったとしても、国としてそれを謳う以上体裁は守らなければならない。だから、サイト66(ダブルシックス)が設けられた。

 

 表沙汰にできないような研究を、密かに行うための施設。そこでは日々、政府直属の軍人に警護された研究者の手によって、国中から運ばれてくる死刑囚たちが命の灯を消されていく場所……だった。

 

 

 

 

 

 今まさに命をかき消されているのは、昨日まで命を“かき消していた”側の人間なのだが。

 

 

 

 

 

「う、わああああああああ!」

 

 狂乱に駆られた警備隊の1人が機関銃を乱射する。無差別に放たれた弾丸は、ただむき出しの岩肌に弾痕を刻むばかり。標的には全く届かない。

 

 冷静さを欠いた仲間を叱咤すべく、別の軍人が声を上げた。

 

「取り乱すな! 隙を――」

 

「作るな、か?」

 

 しかし次の瞬間、その言葉を言いきる前に、彼の胸から一本の槍が生えた。

 

「カ、ハッ――!?」

 

「人を気にする余裕があるなら、自分の背後に気を付けるべきだったな」

 

 背後からそう囁くと、ルイス・P・ゲガルドは槍を引き抜いた。心臓を一突きにされた軍人はふらりと倒れ込むと、既に鮮血の海に沈む他の3人の死体と同様に動かなくなった。

 

「あ、あぁ……!」

 

 残された隊員は、ルイスへと機関銃を向ける。しかしその隊員が瞬きをした刹那、彼の姿は忽然と姿を消した。

 

「ッ……どこだ、どこにいるッ!?」

 

 同じ班に配属されていた4人の仲間は皆、この特性によって葬られた。一度姿を見せたとしても、瞬きほどの時間があれば襲撃者は煙のように消えてしまう。索敵に適した特性を持っていれば、まだましな対応ができたのかもしれないが……不幸なことに、探知能力を持った隊員は真っ先に襲撃者によって潰されている。

 

 今の彼にできるのはやみくもに銃を乱射するか、さもなくば――

 

「あ、ああああああああ!!」

 

 ――恐怖におののいて、逃げ出すことばかりである。

 

「おい、そっちは……いや、言うだけ無駄か」

 

 ぬぅ、と。

 

 まるで岩から滲みだしたかのように姿を見せたルイスは、呆れるようにそう言った。その体にはダイバーを思わせるウェットスーツのようなものを着こんでおり、密着した布地越しに人体の黄金比を体現した肉体が見て取れる。

 

 彼の視線に射貫かれながら、隊員は通路の向こうへと走っていく。このまま逃げ切れるか、と錯乱のさなかで、淡い希望が芽生える。

 

 だが彼が曲がり角に差し掛かったその時、角の向こうから伸びた無数の腕が、彼を絶望の淵へと叩き落とす。

 

 おそらく十人分以上はあるだろう、夥しい数の人の腕。それは戦闘服の袖やベルトを掴むと、悲鳴を上げてもがく隊員を角の向こうへと引きずり込んだ。

 

 そして――耳を塞ぎたくなるような、凄惨な断末魔。やがてそれは徐々に弱まっていき、次第に掠りきれるように消えた。

 

 後はぐちゃ、ぐちゃと肉を引き潰すような嫌な音と、薄気味悪い無数のうめき声が響くばかりだ。

 

 若き警備兵の末路を見届けたルイスは、興味をなくしたように通路に背を向けると、壁にかけてあったスーツの上ポケットから通信端末を取り出した。

 

「おい、聞こえているか? 本当に女王(クイーン)はこの先であってるんだろうな、僧侶(ビショップ)

 

『ンフ、勿論ザンス!』

 

 通信端末の液晶画面にデカデカと表示された太った中年女性の顔に、ルイスは思わず顔をしかめた。

 

 彼女を一言で形容するならば、とてもカラフルだった。安物の3D眼鏡のように、赤と青のレンズがはめ込まれたデカいサングラス。ショッキングピンクの口紅で彩られた分厚い唇の隙間から覗く歯は、その一本一本が七色のお歯黒で塗り分けられている。パンチパーマの髪は紫の染料で染められ、厚ぼったくけばけばしい化粧と合わせて、その様相はまさしく怪人と言う表現が相応しい。

 

『? 何ザンス? アタクシの顔に何か?』

 

「強いて言うなら、何 も か も だ」

 

 ルイスは自分の中の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。ミシ、と手中の通信端末の画面にひびが入る。

 

「何のために貴様を牢から出したと思ってる! 武器を確保し、人兵(ポーン)を強化するというから貴様に自由行動を許したというのに! 化粧をしている暇があったら、さっさと役目を果たせ!」

 

『ンマァ、人聞きの悪い坊やザンスねェ。化粧は女の武器ザンショ? それにアタクシはこれでもちゃあんと、やるべきことはやってるザンス。ええ勿論、アポリエール上級司祭の肩書に懸けて』

 

「……なら、さっさと終わらせて合流しろ。この施設の陥落はそう遠くないうちに伝わる。包囲されたら、脱出には骨が折れる」

 

『ハイハイ、分かったザンス。適当に切り上げて、そっちに合流するザンス』

 

 ビショップがそう言ういや否や、一方的に通信が切断された。ルイスはそれを見て不機嫌そうに鼻を鳴らすと、乱暴に通信端末をポケットにしまう。

 

「まぁいい、この先だな?」

 

 ルイスはそう言うと、槍を担いで通路を奥へと進んでいく。しばらく進むと、彼の前には銃で武装した兵士たちが表れた。

 

「いたぞッ!」

 

「撃て、蜂の巣にしろ!」

 

 

 

「――邪魔だ、凡人め」

 

 

 

 銃を構える、照準を定める、引き金に指をかける、引き金を引き、無数の弾丸が迫る――随分と悠長な攻撃だ。その数秒の時間に、こちらは何動作もできるというのに。

 

 ルイスは三角跳びの要領で壁を足場に、通路に立ちふさがった軍人たちを跳び越えた。その背後に降り立った彼は、何が起きたかを理解する間も与えず、無防備な軍人たちを背中から飛び出した十数本の棘槍で貫いた。

 

「がッ……!」

 

「あぎっ!?」

 

 心臓や脳などを貫かれた者は即死し、そうでない者も血を流しながら苦し気に悶える。おそらくそう長くは持たないだろう。

 

「ッ、お前ら――!?」

 

「……一人仕留め損ねたか」

 

 ただ1人、ルイスの一撃を受けて傷を負っていなかったのは、辛うじて変態が間に合った隊員だった。彼の手術ベースが、昆虫型でも上位に数えられる肉体強度を持つ甲虫だったことも大きい。

 

「黄褐色の翅、腕から伸びる黒い(レイピア)――ヘラクレスオオカブトだな、お前?」

 

 即座に彼の特性を見抜いた彼はすぐさま体を反転し、背後へと跳び退いた。

 

「フン、下らない。装甲が脆弱な部位を狙えばいいだけのことだ。覚えておくといい、例え人為変態でも――」

 

 突進してくる隊員、ルイスはその心臓部を目掛けて槍を構える。咄嗟に左腕で胸部を庇う隊員。

 

 

 

 

 

「――眼球と排泄器官は硬化しない」

 

 

 

 

 

 次の瞬間、ルイスの槍の穂先は隊員の右目を刺し貫いていた。やや上向きの角度、本人の技量とベース生物の特性が相乗した絶速によって抉りこまれた一撃は、そのまま隊員の脳を破壊する。

 

「フン、他愛のない」

 

 引き抜いた槍にべったりとこびり付いた血と脂を丁寧にぬぐい取ると、ルイスは目の前の重厚な鉄扉を見つめた。

 

 ――この奥に収監されているのは、研究所内で最も凶悪な経歴と手術ベースを持つ死刑囚である。

 

 U-NASAと各国が水面下で進めている『裏アネックス計画』。その計画においてアメリカが派遣する補充人員を束ねる幹部候補としてダリウスと共に名を挙げられながら、協調性の低さや精神面の不安定さ、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ゆえに計画参加を見送られた、正真正銘の怪物。

 

 ルイスはあらかじめ用意していたカードキーで、重厚な扉を開錠する。電動でゆっくりと開かれた扉の先には、また扉。極めて厳重な収容プロトコルである。総計3枚の扉を開けた所で、ルイスはようやく独房の中に足を踏み入れることができた。

 

 

 

 

 

「止まれ」

 

 

 

 

 

 女の声に、ルイスはピタリと足を止めた。独房の中には照明がない。空気清浄機の稼働音が響くばかりで、指先すらも見えない程の闇だけが空間を満たしている。しかし幸運なことに、ルイスの特性は比較的夜目が利く。辛うじて彼は、声の主の姿を視界に収めることができた。

 

「名乗りなさい……お前は、何者?」

 

 こちらを警戒しているのだろう、声の主は唸るように尋ねた。それを受け、ルイスは口元を歪めた。

 

「お初にお目にかかります、女王陛下(クイーン)。私はルイス・P・ゲガルド――貴女をお迎えに参上しました。不躾なお願いで誠に恐縮ですが、我々が直面している戦争に貴女のお力をお借りしたく」

 

「そう、遥々ご苦労サマ。その口説き文句は0点よ――失せなさい、キザ男」

 

「……まったく、こちらが下手に出れば」

 

 不機嫌そうにぼやくが、ルイスは逆上するような真似はしなかった。ここでこの女を殺せば、開戦前に最大戦力を失うことになりかねない。ルイスは高慢な男ではあるが、決して無能ではない。

 

 計算高い彼は知っている、この聖戦を勝ち抜くためには彼女の力が必要なことを。

 

 ルイスの情報網によれば、黒陣営の切り札はかの“シド・クロムウェル”。加えて今この時も、自らの主とエドガーは盛大な盤外戦(マインドゲーム)を繰り広げているはずだ。乱入対策として『あの危険因子』を解きはなった以上、滅多なことは起こらないはずではあるが――自衛のための手段はあるに越したことはない。

 

「フン、まぁいい……どのみち、貴様は自分から行くと言い出すことになるんだからな」

 

「? お前、何を――」

 

 訝しむような女へ、ルイスは『それ』をひょいと放ってやった。女の手中にぴったりと飛び込んだそれは、一枚のブロマイド。既に闇に慣れている彼女の目は、そこに写っている人物の姿を確認し――。

 

「ッ!」

 

 初めて、感情を顔に出した。怪物といえども所詮は人の子か、とルイスは口元を歪めながら言葉を続ける。

 

「この戦争に参加していただければ、かなりの確率で彼と出会うことになりますよ。さて、もう一度聞きましょう……お力添えをいただけますかな、女王陛下――いや」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「“女殺人鬼(レディ・オースティン)”、エメラダ・バートリー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――かくして、駒は出揃った。

 

 

 先手は白――真白に淀んだ泥人形は今、星条旗に血濡れの聖槍を突きつける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            『戦乙女の虚ろな涙』

 

 

 

 

 

 

   『極彩色の悪意』

                           『認知を侵す心影』

 

 

 

  『メルトダウン』

 

 

 

           『愛で私を殺してください(シンデレラコンプレックス)

 

 

 

 

 

                             『人喰らいエスメラルダ』

 

 

 

 

                      『伝染する狂気』

 

 

 

最悪の害虫(The Pest)

 

 

 

 

       『呪歌の残響』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               『穢れた聖槍(オリヴィエ・G・ニュートン)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 To be continued second song ―― 冒涜弔歌 OLIVIER ――

 

 

 




【オマケ①】 女子力検定出張版(100点満点)

ダリウス・オースティン
料理:100(超一流に片足を突っ込んでる)
洗濯:70(手練れのオカン級)
掃除:68(小姑並に細かい汚れに気付く)
裁縫:32(白い糸が縫い終わるころには赤くなる)
礼儀作法:50(一番反応に困る数値)

スレヴィン・セイバー
料理:78(料理漫画で主人公張っても大丈夫)
洗濯:69(手練れのオカン級)
掃除:62(綺麗な人で大体こんなもん)
裁縫:89(歴戦のお婆ちゃん級)
礼儀作法:74(マナーのうんちくを語って良いレベル)

シモン・ウルトル
料理:93(自分の食生活と料理の腕は必ずしも相関しない)
洗濯:98(クリーニング界の神)
掃除:34(汚☆部☆屋☆)
裁縫:61(家庭科が得意だった人レベル)
礼儀作法:83(マナー講座を開いても許される)



総評:全体的に女子力高い。



【オマケ②】 出演キャラ・設定紹介
ダリウス・オースティン(深緑の火星の物語)
手術ベース:???
 コラボメインキャラ①。アネックス計画を支援するために企画された『裏アネックス計画』において、北米第一班を指揮するオフィサー。
本体は腕相撲大会で情けない姿を晒す程度に弱いが、ベース生物は兵器という言葉が相応しいくらい強い。知名度はドマイナーな生物で、長らくベース予想を生きがいとする読者たち(主に私)を苦しめてきた。
 人当たりがいい好青年二しか見えないが、彼の背負う救いようのない十字架とは……?


スレヴィン・セイバー(インペリアルマーズ)
手術ベース:???
 コラボメインキャラ②。MO手術被験者が寝泊まりするU-NASA寮の寮監。ミッシェルとは幼馴染で、小さいころから彼女の母親に片思い中。
ダリウスとは対照的に本体は元軍人でかなり強いが、ベース生物は近所のスーパーでパック詰めになって売ってるあいつ(ただしスペック的には普通に強い)。
 真面目に不真面目なおっさん系だが実はシモンより年下。そんな彼もまた、とある十字架を背負っている。

※二人の詳細な紹介は本編中にて

“アポリエール”(深緑の火星の物語)
 ニュートン一族の分家の1つ。ファティマ曰く「木っ端も木っ端」とされる程に小さな家柄。一族郎党宗教に傾倒しており、しかも腐敗が進んでいる。二つの意味で一族の面汚し。

白ビショップ「いつもニコニコ、笑顔が絶えないアットホームな宗派ザンス」ニチャァ

ロドリゲス「学歴不問、年齢問わず、信仰未経験者も歓迎しております」ニチャァ

不死の修道女「ホモ・サピエンス(ヒト)として成長できる環境です」ニチャァ

虹色の枢機卿「どなたでも、お気軽に『救済』されていただきたく!」ニチャァ

教皇「少しでも興味ある方はお電話を。皆さまのお電話――」

「「「「「お待ちしてます」」」」」ニッッッチャァ

(笑顔が素敵なアポリエールの皆さんより)



ギルダン・ボーフォート(深緑の火星の物語)
 U-NASA第七特務支局の隊長。かつて『無双』と恐れられた傭兵であり、豪胆な性格で荒くれ揃いの第七特務をまとめ上げる。手術ベースは蟻の一種、息子がいるらしい。

モブ部下A「ギルダンさん? ああ、ホントいい人だよな。ついさっきも差し入れ持ってきてくれたし」

モブ部下B「俺らみたいなゴロツキも見捨てねえ。どこまでもついていくぜ、俺は」

モブ部下C「あの人の下で働けて、俺たちは幸せもんさ!」


 ――2年後に起こる惨劇を、彼らはまだ知らない。




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