MO手術の前段階、手術ベースのパッチテストを受けた被験者は、大別して3種類に分けられる。
まず、何の生物にも適合しなかった者。
次に、1種類だけ適合した者。
そして、2種類以上の生物に細胞が適合した者。
ここで注目すべきは、3番目の被験者たちである。例えばある人物がスズメバチとカマキリ、そしてバッタに適合したとしよう。どれも対テラフォーマーという視点で考えた場合、非常に強力なベースである。
しかし従来のMO手術では、1人につき与えられる手術ベースは1つだけ。手術ベースでスズメバチを選択すれば、ビルをも飛び越す脚力は手に入らない。バッタを選択すれば、万物を切り裂く鎌は手に入らない。そしてカマキリを選択すれば、猛毒を手に入れることはできない――それが、これまでの技術の前提であり、限界だった。
「それはとても、勿体ないことだ」
かつてクロードは、技術を開発するため極秘裏に集めた研究員たちに語った。
「確かに複数のベースを得られたからと言って、それを実戦で活かすことができるかは別問題だ。そして万全に活かせるだけの技術を持つ者は、それほど多くはないだろう……だけど、皆無じゃない。そして、
有無を言わさぬ口調で、彼は言う。
「人道を外れていることは百も承知。これから行うのは、生命を冒涜する研究だ。MO手術の比じゃない、完成までに何十何百と命の火が消えるだろう。もしも死後の世界なんてものがあるなら、私は絶対に天国へは行けまい」
――だが。
「私達が戦う相手は、
その言葉と共に研究は始められ、そしてその技術は完成した。
“合成生物術式”MO手術ver『
ライオンの頭にヤギの胴、蛇の尾を持つとされる怪物の名を冠するこの技術は、クロード・ヴァレンシュタインが開発した3種の新式人体改造術式の1つであり、その中で最もアーク1号の戦力増強に貢献している技術である。
『Chimera』は
先程の昆虫たちを例に取り上げれば、『”カマキリの鎌”と”バッタの脚”を持つスズメバチ』を遺伝子操作で創り、この合成生物を用いてMO手術を行う、といえばわかりやすいだろうか。材料にされた生物全てに細胞が適合していれば拒絶反応は起こらず、手術も一度で済むために体への負担は小さい。
勿論、あくまでそれは理論上の話。実際に出来上がったその技術は、クロードが率いる精鋭チームの手を以てしても、不完全と言わざるを得ないものであった。
被験者に求められる適正や戦闘技術のハードル、実際には下がる成功率、改良の基盤となった生物以外の特性の発現には制限がかかるなど、問題点は枚挙にいとまはないが、その中でも最も大きな問題だったのは『生物の合成そのもの』である。
まず、合成できる数。これは2種か3種が限界であることが分かった。それ以上の生物の合成を試みても、MO手術に適した生物は存立しなかったのである。
加えて、合成する生物は近縁種でなければならない。この『近縁』の範囲が不明瞭なのが、クロード達の頭を悩ませた。
同じ○○科レベルの合成でなければ成功しないケースもあれば、○○綱レベルの合成で成功するケースもある。基準はついぞ見つからず、結果的にこの技術の成功例は片手で数えられるほど。
シモン・ウルトルはその数少ない成功例の1人であり、同時に特例中の特例だった。
かつてイヴと呼ばれていた彼。人造人間であるが故にその体は、ある特殊な性質を兼ね備えていた。それは全身の全ての箇所を合せると、『あらゆるカメムシが手術ベースとして適合する』という点。
カメムシ。彼らを一言で評価するなら『昆虫界の日陰者』という表現が相応しいだろう。進化の生存競争を勝ち抜いてきた彼らの特性は、紛れもなく
飛行において、彼らはトンボやハエに及ばない。
水泳において、彼らはゲンゴロウに及ばない。
筋力勝負において、彼らはカブトや蟻に及ばない。
掘削において、彼らはケラに及ばない。
煌びやかさにおいて、彼らはチョウに及ばない。
そして、害虫としての悪名において――彼らは、ゴキブリに及ばない。
そう、カメムシは“地味”なのだ。
オリンピック選手でもあるまいし、別に彼らもトップを目指して進化したわけでもないだろう。しかし彼らが、多くのメジャーな昆虫たちに埋没して見向きもされない、不遇の存在であることもまた事実。だからこそ実用性と、有事の際の制御性を両立するため、アダム・ベイリアル・サーマンはイヴに組み込む生物としてカメムシたちを選んだのである。
しかし皮肉にもこの選択が、アーク1号が誇る最高戦力の誕生につながってしまう。
カメムシは戦闘に向いていない……認めよう。多くのカメムシたちの特性は、決して戦闘のためだけに発達したものではない故に。
カメムシは地味である……認めよう。多くのカメムシたちには、上位互換が存在している。
しかし忘れてはならないことが、2点。第一に、彼らの生態は昆虫界でも非常に多様であるということ。そして第二に、彼らは度を越して強力な特性を有することが少なく、それゆえに細胞の自己主張が少ない。つまり他生物と組み合わせた際に、拒絶反応が起こりにくい。
それがどうした? 以下に多様であっても、MO手術で手に入れられる能力は1つではないか――否。
その問題は既に解決した。不完全ながらも完成した、MO手術ver『Chimera』によって。
それでも、思い通りに
その問題は考慮に値しない、自己主張の少ないカメムシ同士をかけ合わせる場合に限っては。
しかしだからと言って、カメムシをいくらかけ合わせた所で弱いことには変わりない――否!
彼らは決して弱くない。なぜなら彼らは種の生存競争に勝ち残り、未だに繁栄しているから。
地球という命の坩堝に君臨する人間が本気で駆除に挑もうと、環境の激変に襲われようと、疫病が蔓延しようと。彼らは決して、滅ばない。それは紛れもなく、生命の歴史の中で彼らが勝ち続けてきたという証左である。
昆虫界でも屈指の多様性を持つ、カメムシ目の昆虫たち。その中から選りすぐられた16種を、合成生物術式『Chimera』とツノゼミ累乗術式『Hyde』を併用して、肉体に組み込んでいく。
こうしてアークの最高戦力の一角、
※※※
――とはいったものの、さすがにミッシェルちゃんを抱えたまま戦うのはまずいな。
シモンは周囲を見渡しながら、冷静に戦略を練る。
敵はカンディルをベースとしたMO手術を受けた小型のテラフォーマーが100匹以上、更に体格のいいゲンゴロウ型のテラフォーマーまでいる。シモン単体であればどうとでもなる相手だが、ミッシェルがこの場にいると打てる手が限られてしまう。何より地上において最高戦力に数えられる彼女を、わざわざこの危険地域においておく必要はない。
トントン、とシモンはミッシェルの肩を叩く。何事かと視線を向けた彼女の目の前で、シモンは遥か上方にある湖面を指さした。
――さぁ、行って。
その意図を理解して眼を見開いたミッシェルに微笑みかけると、シモンは彼女の体を上へと突き飛ばし、自らは湖底へ向かって水を蹴った。
無論、それを黙って見過ごすテラフォーマーたちではない。ゲンゴロウ型が指示を出すと同時、カンディル型の大群は無防備にシモンへと手を伸ばすミッシェル目掛けて一斉に泳ぎ出し――。
「――!」
その直後、身を翻すや否や一直線にシモンへと向かい始めた。
――見た目は魚でも、性質はゴキブリのままか。
心の中で呟いたシモンの両腕には、握りつぶされたカンディル型テラフォーマーの死体があった。
ゴキブリは体内で『集合フェロモン』を合成し、これを散布することで仲間を引きつける特性がある。ゴキブリとして獲得したこの特性は、テラフォーマーとなった今でも健在。小型のテラフォーマーなら、握りつぶせば散布できるだろうと考えての行動だったが、推測はあっていたようだ。
水中のゴキブリを全て引きつけたことを確認すると、シモンはミッシェルと反対側に向かって高速で泳ぎ出した。釣られて泳ぎ出すカンディルの群れ。だが、獰猛なその牙はシモンの体を――否、シモンが身に纏う服をかすめることすらも、敵わない。
理由は、シモンの脚の形状にあった。普段の彼のそれとは違う、オールのような形状の脚――ゲンゴロウ型テラフォーマーと同じく、水中での移動に特化した構造だ。これはシモンの手術ベースであるカメムシキメラη、それを構成する“ミヤケミズムシ”の特性である。
タガメを始めとする水生カメムシの多くは他生物を捕食する肉食性であるが、ミズムシはその中にあって珍しく、藻類を主食とする草食性の昆虫だ。普段は水底でじっとしていることも多いミズムシであるが、一度泳ぎ出せばその速度は非常に速い。加えて彼の体に先天的に組み込まれている“ウンカ”や、カメムシキメラβの片割れ“タケウチトゲアワフキ”といった脚力増強の特性が、その速度を後押しする。
縦横無尽に水中をかけるシモンに、カンディル型テラフォーマーは追いつけない。ゴキブリの習性を利用され、いいように翻弄されるばかり……そう、カンディル型テラフォーマー達は。
――おっと!?
水の流れが変わったことを鋭敏に察知した瞬間、シモンは進路を90°反転させた。その直後、おそらく直進していたらシモンがいただろう場所を、巨影が突っ切った――ゲンゴロウ型テラフォーマーである。
シモンは水中を無作為に泳いで仕切り直そうとするが、カンディル型と違ってゲンゴロウ型を振りきることはできない。当然だ、草食性のミヤケミズムシは『水中を移動する』ことに重きを置いて足を進化させたのに対し、肉食性のゲンゴロウは『水中で獲物を捕食する』ために足を進化させたのだから。
加えて生態上、ゲンゴロウはミズムシを餌とする。いうなればミズムシにとって、ゲンゴロウは不倶戴天の天敵。ミズムシは一流の泳ぎ手だが、ゲンゴロウは超一流の泳ぎ手である。多少の増強がかかったとて、彼らの相性関係はそう易々とは覆らない。
『――』
ついにゲンゴロウ型が、シモンに追いついた。水の抵抗もあるため万全の力は発揮できないが、力士型の筋力を有する彼にとって、人間の息の根を止める程度はわけのないことである。
シモンの細い首をへし折るべく、ゲンゴロウ型が手を伸ばす。そして――。
『!?』
彼は瞬時に、シモンから距離をとった。なぜかは分からない、だがこのまま近くにいては危険だと、生存本能が彼に語り掛けたのである。
――拘束制御装置第1号、
シモンの脳が電気信号を発すると同時、彼の体に変化が現れた。
それまで彼の体を覆っていた、茶色や緑と言った地味な色合いの甲皮が、金属光沢を帯びた美しい緑へ。更にその背には、身の丈ほどもある発達した翅が表れる。
平時、彼は過重ベース発現による肉体への負荷をさけるため、専用装備である拘束制御装置『封神天盤』によって手術ベースの発現を抑制している。これを状況に合わせて解除していくことで、肉体への負荷と引き換えにシモンの特性は解放されていくのだ。
それゆえに、彼のアークランキングは“不定”。完全拘束(生来のベースしか発現していない)時点でマーズランキング6位相当の実力は有しているのだが、特性の組み合わせ次第で戦法が無限に代わるため、厳密な計測ができないのである。
今回、シモンが解放した手術ベースはカメムシキメラα。本来ならば空中戦を想定して合成された生物であり――
――同時に、シモンが有する中で
追いついたカンディル型が一斉にシモンを食い殺すために牙を剥く。しかしそれを見ても、シモンはもはや逃げようとはせず。彼はゆるりと笑うと、ただ腹部に力を込める。
そして次の瞬間、彼に向かっていた100以上のカンディル型テラフォーマー達はあまりにも呆気なく、
シモンが行ったのも、それと原理は同じもの。しかし、それは間違っても“ガチンコ”などという生易しいものではない。それを正確に言うのであれば、“爆殺”という表現こそ相応しい。
まず、彼の至近距離に迫っていたカンディル型は何が起こったのか理解する間もなく、木っ端微塵に消し飛んだ。砕けた体からゴキブリの脂肪体が撒き散らされ、火星の湖中にマリンスノーが漂う。その向こうには、白目を剥いたカンディル型が力なく浮いている――もっとも、辛うじて魚だったことが分かる程度に原型をとどめているだけで、彼らが動くことは二度とないのであるが。
――“クマゼミの咆哮”。
シモンが有する特性の中では数少ない、オフィサーに匹敵する力を秘めた昆虫。その特性を利用した、広域殲滅手段である。
セミと聞いてほとんどの人が思い浮かべるのは、あの大きな鳴き声だろう。彼らが求愛のために響かせるその音は、夏の風物詩として親しまれる一方、そのうるささから辟易とされることも多い。
だが、人々が彼らの声を「趣がある」だの「やかましい」だのと評することができるのは、あくまで
この事実を知って「へぇ、すごい」……程度の感想しか出てこない者は、人間大になったセミの恐ろしさを理解していない。
通常、人間の鼓膜が耐えられる音の大きさは一説によれば120~150デシベル程度とされ、これを実際の音に当てはめると暴徒鎮圧のために用いられる音響兵器規模の爆音である。だがある種のセミは、これほどの音を
理論上は240デシベル程の音量があれば人間の頭部を破壊できるとされるが、人間大になったセミ、そこに『封神天盤』のもう1つの機能である”生物特性の増幅”が加われば、その音量は240デシベルを遥かに上回る。
クマゼミが出せる音はピーク時でも90デシベル程度が限界だが、人間大のシモンにとっては誤差の範囲。ひとたび彼に本気の発声を許してしまえば、小型戦術核にも匹敵する爆音によって、周囲一帯は瓦礫の山と化す。
『……ッ!?』
一瞬にして葬られた100以上もの同胞の残骸を、ゲンゴロウ型はただ呆然と見つめることしかできない。
テラフォーマーに恐怖という感情機能はなく、だからこそ彼らはどんな窮地でも合理的な判断を下すことができる。だが防御も回避も許されず、水の抵抗がある状態ですら加害半径数十mは下らない攻撃など、どのように対処しろというのだ?
――残ってるのは、こいつだけ!
シモンは水を駆り、ゲンゴロウ型へと接近する。この時逃走を選んでいれば、ゲンゴロウ型だけは辛うじて逃げ延びることもできただろう。だが、彼が取った行動は『迎撃』。この瞬間、彼の敗北は確定した。
ゲンゴロウ型に油断はなかった。だが、シモンの特性が水生昆虫だけだと思い込んでしまっていたことと、その特性が自身の下位互換にすぎないと判断してしまったこと。この2つが彼の敗因となる。
シモン・ウルトルの戦闘員としての強みは、20のカメムシに由来する適応力と殲滅から補助までこなす多様な特性、そしてそれらを使いこなすシモン自身の応用力である。
空、陸、水中。あらゆる環境は彼の土俵。
近距離、中距離、遠距離。あらゆる距離は彼の間合い。
力技では下せない相手は搦め手で、搦め手では下せない相手は技巧で、技巧で下せない相手は力技で。
あらゆる状況に対応し、相手に決定的なアドバンテージを作らせず、多彩な手札で相手を圧倒する。団長達の中には彼よりも強力な手術ベースを持つ者、彼本人よりも高い実力を持つ者は少なくないが、この一点においてシモンに及ぶものはいない。
即ち、俗な言い方ではあるが“器用万能”。専用武器も合わせれば、他の生物にできてシモンにできないことを探す方が難しい。
『――!』
数分程攻防の応酬を行った後、ゲンゴロウ型が突如して進路を上へと切り替えた。
ゲンゴロウは翅と背中の間に空気を溜め、水中で酸素と二酸化炭素のガス交換を行うという『プラストロン呼吸』によって長時間の潜水を可能としている。その活動時間は水質にもよるが10~数十分と、純陸上生物のヒトに比べて破格の性能を誇る。
しかし裏を返せば、それは水生昆虫のゲンゴロウであっても
『――』
活動時間の限界は残り2分ほど。ゲンゴロウ型は水面を目指して泳ぐ、が――
『――?』
おかしい、いくら泳いでも水面が近づいてこない。なぜ? と、ゲンゴロウ型は視線を巡らせ、ようやく気が付いた。無数の糸に、己の体がからめとられていることに。
『!!??』
糸を引きちぎろうと、万力の力を込める。だが、鍛錬を重ねて練り上げられた“カハオノモンタナの糸”の強度は、20年前の比ではない。クモの糸に勝るとも劣らないそれは、周囲の岩に結び付けられており、力士型の筋力を以てしても振りほどくことは不可能だった。
――こんなところかな。
シモンはそれを、少し離れた位置で見つめていた。ゲンゴロウ型と違い、シモンが酸素不足で苦しんでいる様子は見られない。シモンが身に宿すカメムシの特性の1つ、“ナベブタムシの微毛”によって彼もまたプラストロン呼吸を行えるためだ。
ミッシェルがシモンの胸に顔を押し付けた際に呼吸ができた理由がこれなのだが、ナベブタムシとゲンゴロウの間には決定的な差が存在している――彼らは、
その特性を宿したシモンに、水中での活動時間という枷は存在しない。ミッシェルがされたことへの意趣返しも込め、ゲンゴロウ型を縛り付けたシモンは数える――死に至る2分を。
『窒息・第Ⅰ期』、血中のCO2増加のために苦痛を伴う。
『窒息・第Ⅱ期』、Ⅰ期より30秒~2分の間、血圧上昇・筋肉のけいれん・チアノーゼや失禁を伴う。
『窒息・第Ⅲ期』、Ⅱ期より更に進行後、意識を完全に消失。痙攣は止まり、非常に危険な状態となる。
そして――『窒息・第Ⅳ期』。
白目を剥いたゲンゴロウ型が動かなくなったのは、それから間もなくのことだった。
※※※
「……ミッシェルさん」
「……わかってる。けど、もう少しだけ待ってくれ」
キャロルの声にそう答え、ミッシェルは湖岸に座り込んだまま、再び水面を見つめた。己の体は冷たい、だがそんなことは気にならなかった。
――やはり、無理にでも引っ張ってくるべきだった。
ミッシェルは数分前の己の選択を悔い、唇をかみしめた。シモンが水中でミッシェルを救出してから、10分以上が経過している。常人ならば間違いなく溺死している時間だ。ましてこの湖の中には、カンディルとゲンゴロウがいる。例え複数のベースを持っていても、シモンに勝ち目があるようには思えない。だが、それでも彼女はシモンが浮上してくるのを待ち続けていた。
「……そろそろ暖をとってください。服は乾いてますけど、このままだと風邪を――」
「わかってるよッ!」
思わず荒げた声に、キャロルはビクリと体をすくめた。それを見たミッシェルも、ハッと眼を見開く。自分が思っている以上に取り乱していることに気が付いた彼女はすまない、と謝罪の言葉をかけてから、視線を伏せる。
「……あいつとは、何回も任務をこなしてきた。少なくとも私は、あいつを戦友だと思ってたし、それなりに理解してると思ってた……けど。さっき私が見たのは、私が知らないシモンだったんだ」
年齢が比較的近いこともあるのだろう、ミッシェルはキャロルに胸中を吐き出す。
「あいつには、聞きたいことがたくさんあるんだ。なのに、あいつは私を助けて……」
そう言って、ミッシェルが俯く。一方、その背中にそっと手を添えたキャロルの内心は、かなり複雑である。
――どうしよう。この人、団長が死んじゃったと思い込んでる……。
いや、話を聞く限りではそう思うのも仕方ない。実際、自分もミッシェルと立場が同じだったら、同じ気持ちになるだろう。しかしシモンの手術ベースについて、大まかにだが概要を知っているキャロルにとって、この状況はとても反応に困るのだ。
「あのー、副艦長……?」
「だからせめて、
駄目だ、聞く耳を持ってない。
ミッシェルの言葉から察するに、助けられた時に水中戦特化形態になった団長の姿は見ているはずなのだが、どうやら本当に取り乱しているらしい。
瀕死の状態で
あちゃー、とキャロルが額に手を当てると同時に、湖面から水飛沫が上がった。シモンを仕留めたゲンゴロウ型が姿を現したと思ったのだろう。ミッシェルは怒りの形相で岸に上がってきた影を睨み――しかし、実際に彼女が見たのは全く真逆の光景だった。
「ふぅ、疲れた……」
ビシャビシャと全身から水を滴らせながら首を鳴らしたのは、シモンだった。その背後には網状に編まれたカハオノモンタナの糸と、それに包まれた瀕死のゲンゴロウ型、及びカンディル型の残骸。
「あ、キャロルちゃん……と、ミッシェルさん? あれ、なんでここに――」
その言葉をシモンが言い切ることはできなかった。駆け寄ってきたミッシェルに襟首を掴まれたからである。驚くシモンに、ミッシェルは短く問いかけた。
「無事か」
きょとんとするシモンへ、ミッシェルはもう一度同じ言葉を繰り返す。それを聞いてようやく理解が追いついたのか、シモンは静かに頷いて見せた。
「うん。ボクは大丈夫だよ」
「……そうか」
彼の返答に、ミッシェルはそっと手を離す。ようやく安堵の色を浮かべた彼女に、シモンがほほ笑む。
「心配かけてごめんね」
「……ああ、その通りだよ。土壇場だったとはいえ、もうちょいちゃんと説明しろっての」
先程までの弱弱しさを覆い隠すように、ミッシェルは悪態をついた。普段ほどの切れはないが、それをあえて指摘しするような真似をシモンはしない。ただ穏やかに笑っていうだけだ。
「ったく、ヒヤヒヤさせやがって……」
そう言った自分の頬が、思わず緩むのを感じる。ミッシェルが忘れて久しく、もう何年も感じていなかった感覚に満たされるのを感じた。
誰かを頼るということ。『共に並び立つものに任せる』のではなく、『自分よりも大きな存在にもたれかかる』感覚。最愛の父と大切な兄替わりを亡くし、自分が生涯感じることはないだろうと思っていた感情だった。
ずっと、1人で生きてきた。頼るのではなく、頼られ続ける立場に彼女はいた。その生き方を、彼女は今更どうこう言うつもりはない。ただ――。
――誰かに頼るのも、存外に悪くないのかもしれないな。
「ミッシェルさん? どうかした?」
「……何でもねーよ」
どうやら、思っていた以上に顔に出ていたらしい。同時に、自分が柄にもないことを考えていたことに気付かされ、ミッシェルは顔が熱くなるのを感じた。
「いや、でも今笑って……」
「何でもないっ!」
照れ隠し気味に怒鳴り、彼女は気恥ずかしさから思わず視線をそらす。
そして偶然目に入ったのは、何やら地面に伏せて悶えているキャロルと、その横で微妙な表情を浮かべている巨漢、ウルバーノだった。
「おう、若いお2人さん。映画のラブシーンみたいな雰囲気のとこ、邪魔して悪いな」
なんかよくわからないが、そう言う雰囲気だったと勘違いされたようだ。普段通りなら「アホなことを言うな」の一言で一蹴できるような冗句なのだが、酸欠のせいか上手い切り返しが思いつかない。ますますミッシェルの顔が赤くなる……が。
「報告だ。脱出機のエンジニア組が、他班との通信に成功した」
その瞬間、2人の顔は一瞬で任務に臨む兵士のそれへと戻った。
「どこと繋がったの?」
シモンが問う。それに答えるべく開かれた彼の口から飛び出したのは、実に意外な単語だった。
「――
【オマケ】
キャロル「何あの二人のやり取りすごく尊い!? ちょっと乙女の表情を見せたのに気付かないシモン団長に、ついつい素直になれなくてツンとしてみせるミッシェルさん可愛い! ここで団長が優しくハグしてミッシェルさんがちょいデレすればパーフェクトあああああああああ!」
百合子「キャロルさんがお姉さん気質をこじらせたぁ!?」
燈「落ち着けキャロル! 今お前、ツ○ッターによくいる腐女子みたいになってるから!」