贖罪のゼロ   作:KEROTA

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第5話 THE PURPOSE 目的

 クモイトカイコガの糸が、密航者を前後左右から包囲する。体が小さな密航者であっても逃げられない程に、その包囲網は綿密。もはや密航者は袋の鼠――否、クモの巣にかかった虫のようなものであった。

 

「ターゲット、捕獲!」

 

 奈々緒が無数の糸のうちの一本を思い切り手繰り寄せた。他者から見れば違いが判らないが、奈々緒は一本一本の糸を把握していた。彼女が今引っ張ったのは、包囲網を縮めるためのもの。

 これで密航者をとりまく包囲網は一気に収束し、逃げ場をなくした密航者を雁字搦めに拘束する――はずだった。

 

 

  ギリッ

 

               ギリッ

 

                           ギリッ

 

 

 糸が収束を始める寸前、奈々緒の耳に何かをこすり合わせているかのような音が聞こえたような気がした。

 

 

 

                 カチッ

 

 

 

 今度は確実に聞こえた。何かがかみ合ったかのような音だ。思考が追いつくよりも早く、糸の包囲網は収束を始める。

 

 

 そして、ギュルルルルという何かの回転音の様なものが聞こえかと思うと。

 

 

 

 

 

 

 

 その直後、密航者は奈々緒の真上の天井に()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

「――なっ!?」

 

 奈々緒が驚いている間に、密航者は天井を蹴って彼女の背後に降り立つ。その速さに反して、着地音は異様なほどに静かであった。

 奈々緒が振り返った時には既にそこに密航者の姿はなく、廊下の向こうの角を曲がるところであった。角に消えていく密航者の姿を、彼女は呆然と見送る。

 

「アキ! 大丈夫か!?」

 

「あ、うん……アタシは平気……」

 

 駆け寄ってきた小吉の言葉で、奈々緒が我に返る。あまりの事態に、未だに考えが追いついていなかった。

 

「小吉……あんたあれ、どう思う?」

 

「……す、スパイダーマン的な?」

 

「否定できないのが怖いわね」

 

 苦し紛れに小吉がひねり出したその解答に、奈々緒がうめいた。彼の言葉があながち外れてはいないように思われたのだ。

 奈々緒が糸を張り巡らして標的を包囲、収束させるまでの時間は僅かに数秒。四方に張り巡らされた糸の檻をかいくぐるために密航者がとった方法は、『上方への跳躍』だった。

 天井まではざっと5、6m程の高さがある。ただジャンプをしただけでは、触れることすら不可能なはず。

 

「普通じゃない……咄嗟にそれを思い付いた判断力も、実際にそれをやってのける身体能力も」

 

 リーが取り逃がしたという時点で薄々感じてはいたが、この密航者はどうやら本格的にただの子供では――否、()()()()()ではないようだ。

 

「と、とりあえず、艦長に報告だ。さすがにこれは、動きが素早いとかそういうレベルの話じゃねえ。説得にしろ拘束にしろ、何か対策を考えないと……」

 

 小吉の言葉に奈々緒が頷き、2人は乗組員を集めてもらうためにドナテロの下へと向かった。

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

「成程……」

 

 小吉と奈々緒の報告に、ドナテロとその場にいた乗組員たちが顔をしかめた。説得ができなかったのはある程度想定内だったとしても、まさか変態をしても逃げられるとは――。

 

「すいません、艦長。私の技量不足で……」

 

「いや、気にするな。俺の見通しも甘かった」

 

 謝罪する奈々緒にドナテロがそう答える横で、乗組員の一人であるルドンが不可解そうに呟いた。

 

「だが……それほどまでの脚力を、子供が持つものなのか? どう訓練したとしても、そんな芸当ができるようになるとは思えないんだが……」

 

 彼の言葉に、その場にいたほぼ全員が頷いた。実際に自分たちがやれと言われても不可能。それを子供がやってのけるなど、逆立ちをしても無理だろう。

 

「まさか……ニンジャか!」

 

「アイエエエエ!?」

 

「ふざけてないで真面目に考えろバカ共!」

 

 悪ノリを始めたルドンと小吉の頭に拳骨を落としながら、奈々緒が怒鳴る。頭を押さえてうずくまる2人を尻目に、一人の人物が口を開いた。

 

「……バグズ手術じゃないか?」

 

 小吉、奈々緒と同じく日本国籍の乗組員、蛭間一郎(ひるまいちろう)だ。一見すると肥満体にも見えるその体を壁に預けつつ、彼は言った。

 

「バグズ手術なら、その異常な運動能力も説明がつく。バッタみてえな脚力特化の生物(ベース)なら、天井まで跳ぶこともできるだろ」

 

「! なるほど、それなら確かに……」

 

 その場にいた全員が、彼を見つめた。その視線に混じっているのは、納得と疑問が半々といったところだ。

 

「でも、どうして子供がバグズ手術なんか受けているんだ? いや、そもそもその言葉の通りだとすると、その密航者はU-NASAの差し金ってことにならないか?」

 

 全員の心中を代弁するように、小吉が一郎に聞く。バグズ手術の技術は、今現在アメリカーーつまりはU-NASAが独占しているはずだ。密航者がバグズ手術を受けているということは、必然的にU-NASAに所属している人間ということになる。

 

「知らん。だが、忍者よりは可能性はあるはずだ」

 

 一郎にそう返され、約2名が視線を逸らした。

 

「それで、一郎くん。密航者を捕まえるための、何か具体的な名案はないのかね?」

 

 下手な口笛で誤魔化そうとして奈々緒にど突き回されている小吉とルドンを眺めながら、女性乗組員のウッドが聞いた。ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、彼女は目線を一郎に向けた。

 

「ないな」

 

「あり? 一郎くんの家って11人兄妹の大家族じゃなかったっけ? 何かないの、こう……動き回る弟たちをささっと捕まえる系のテクがさ?」

 

「忍者に間違われるほどアクロバティックな動きをする弟妹はいないからな」

 

 無表情ながらもどこか憮然とした様子で一郎が言い返すと、ウッドが肩を竦めて話し相手を切り替えた。

 

「うーん、それじゃあ……ジャイナちゃーん、何か名案ないー?」

 

「え、私?」

 

 指名されたジャイナが意外そうに自分を指さすと、「そうそう」とウッドが人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「う、うーん……一応、ないわけじゃないけど」

 

 指名されたジャイナがポツリとそう言うと、乗組員たちが一斉に彼女を振り返った。ドナテロが「本当か!?」と聞き返すと、彼女は自信なさげに両手を振った。

 

「あの、でもこれ、成功するかどうかわかりませんし……」

 

「構わん。どのみち、今のままでは打てる手がほとんどない。やるやらないは別にしても、お前の提案を聞いておきたい」

 

 ドナテロがそう断言すると、ジャイナはおずおずと口を開いた。

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

「いたぞ! 密航者だ!」

 

「出番だ、小吉! ティン!」

 

 角の向こうから聞こえたトシオとルドンの声を合図に、ティンと小吉は目の前に姿を現した密航者に飛び掛かった。

 いきなり飛び出してきた彼らにやや狼狽えた様子の密航者だったが、例の跳躍力を使うことで辛うじて2人から逃れる。宙返りをして彼は地面に降り立ち、そのまま別の廊下へと駆け出した。

 

「これは……確かに速いな」

 

「だろ?」

 

 ティンの言葉に小吉が答えていると、2人が駆け寄ってきた。

 

「逃げられたか……」

 

 難しい顔で呟いたルドンの肩と、トシオがポンと叩いた。

 

「気にするな。奴のニンポーはヤバかったが……これで終わりだ」

 

 クイッとメガネを押し上げてそう言ったトシオの言葉を、ティンが肯定する。

 

「ああ……この先にいるのは俺らの中でも一番運動神経があるリー。仮にうまく逃げたとしても、あるのは備品倉庫だけ。完全に行き止まりだ」

 

 ――15名の乗組員を各要所に配置。交代で密航者を追わせて、最終的に行き止まりまで誘導してから可能な限り大人数で確保する。これが、ジャイナの立てた作戦であった。

 

「散々てこずった密航者をここまであっさり追い込むとは……ジャイナさまさまだ」

 

「カザフスタンからアメリカの大学まで飛び級した頭脳は伊達じゃないな」

 

 小吉とルドンが口々に言う。結果として、彼女発案の作戦は見事に成功した。本人の知らないところでジャイナの株はうなぎ上りである。

 

「行くぞ、皆。大丈夫だとは思うが、早くしないとまた逃げられかねない」

 

 ティンの言葉に3人が頷き、密航者の後を追うように廊下を駆けだした。

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

 さして時間もかからず4人が倉庫に着くと、空きっぱなしの入り口を背に倉庫内にリーが立っていた。

 

「……追い詰めたぜ、密航者」

 

 リーの言葉に4人は作戦の成功を確信する。彼らが部屋の中へと入ると、そこには案の定密航者の姿があった。ガスマスクをつけているために表情は分からないが、こちらの様子を注意深く窺っているようだ。

 

「今は俺達だけだが、直に艦長や他のやつらもここにくる。お前の負けだ、ガキ。命が惜しけりゃ大人しく投降することを勧めるぜ」

 

 ドスの利いたリーの脅しにも、しかし密航者は全く反応をしなかった。こちらを見つめるその様子は、何かを思案しているかのようにも見える。

 

「……なぁ、何でこんなことをしたんだ?」

 

 小吉が一歩進み出て、密航者に呼びかけた。責めるような口調ではなく、純粋に問いかけるような口調で、彼は言葉を続けた。

 

「何でお前はこの艦に乗って、わざわざ見つかる危険まで冒して警告文を書いた? どんなメリットがあって、こんなことをしたんだ?」

 

「……みんなが火星に行くのを、止めたかった」

 

 5人の耳に、聞き覚えのない声が届いた。くぐもってはいるが、その声は女声と聞き間違える程に高い。それが密航者の声であることは、想像に難くなかった。

 

「……何で俺達が火星に行くのを止めたかったんだ?」

 

「火星に行ったら、みんなが死んじゃうから」

 

 小吉がなおも聞くと、密航者はシンプルにそう答えた。彼の今の発言は、警告文の内容と一致していた。

 

「お前が警告文に書いた『火星の怪物』っていうのと、何か関係があるのか? 怪物って何だ? 火星人でもいるのか?」

 

「……言えない。多分、言ってもみんなは信じない」

 

 微かに俯いた密航者に、小吉とティンが顔を見合わせた。

 

「お願いだから、火星に行かないで。ボクは、皆に死んでほしくないんだ」

 

 淡々とした口調でありながらも、密航者の言葉には嘆願にも似た響きがあった。乗組員たちが思わずその言葉を聞き届けたいと思ってしまう程に、彼の言葉には強い意志がこもっていた。

 

 だが、それでも彼らは密航者の願いを聞くわけにはいかなかった。

 

「――無理だ。君が、俺達のことを思ってくれていることは何となく分かる。けど俺達は……この任務をやり遂げなくてはならない」

 

 思わず黙り込んでしまった小吉に代わって、ティンが静かにそう言った。

 

 そう、彼らがこの任務から逃げることは許されない。もはや彼らは、この任務なくして生きていくことなどできないのだから。

 

 ――バグズ2号の乗組員たちは皆、金のない者たちである。

 ある者は多額の借金を押し付けられ、またある者は起業に失敗し、またある者は家族を支えるために。

 事情は個人によって違うが、彼らはU-NASAからの莫大な報酬と引き換えに成功率36%のバグズ手術を受け、人間であることをやめた者たち。多額の金を得る代わりに、任務を絶対に果たさなければならない。

 

 例えそれが、どんなに危険な内容であったとしても。

 

「……それでも、火星には行っちゃダメだ」

 

 しかしそれでも、密航者は引き下がらなかった。頑として、彼は譲らない。

 

「お金なら、地球に帰ればボクが用意できる。それでも足りなかったら、ボクが働く。だから、今すぐに地球に――」

 

「フン……埒が明かねえな」

 

「! リー……」

 

 痺れを切らしたリーが、小吉の肩を掴んで引き戻した。

 

 密航者の言葉は、届かなかった。それはそうだろう。自分たちの手に負えない程の金を目の前の幼い子供が払えるなど、誰が信じられるだろうか?

 例えそれが事実であっても……子供の苦し紛れと思われてしまうのが関の山だった。

 

「説得は無理だ、小吉。予定通り拘束に移るぞ」

 

「け、けどよ!」

 

 食い下がる小吉に、リーが「甘ぇ」と舌打ちした。

 

「俺らの任務を思い出せ。宇宙でピクニックして帰ってくるために、俺らはクソムシになったわけじゃねえだろうが……もういい、俺だけでやる」

 

 そう言うが早いかリーは注射器を取り出し、自らの首筋に突き立てる。すぐさま、リーの体は昆虫の物へと造り変えられていった。

 

 

 

 

 

 

 ――その昆虫は、数多の生物の中でもとりわけ奇怪な防衛機能を持っている。

 

 黄色の体に褐色の斑点を持つその虫は、自然界における小さな射手である。彼が放つ弾丸の名は、ベンゾキノン。

 リーの手術ベースとなったこの虫は、過酸化水素とヒドロキノンと呼ばれる物質を体内で混ぜ合わせてベンゾキノンを合成し、超高温ガスとしてそれを敵に向かって放つことで捕食者から身を守るのである。

 

 その温度――実に摂氏100℃。

 

 最大連射回数――なんと29回。

 

 体内において複数の物質を組み合わせてガスを製造する機能、そしてそれらを噴射するための機能を同時に発達させたその虫はしばしば、ダーウィンが提唱した進化論の反例として取り上げられている。

 

 その生物は僅か2cmにも及ばぬ小さな虫でありながら、その生物は驚くほどに精密で複雑な銃をその身に宿す、炎の狙撃手でもあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 ゴッド・リー

 

 

 

 国籍:イスラエル

 

 

 

 26歳 ♂

 

 

 

 180cm 80kg

 

 

 

 バグズ手術ベース   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ――――――――――――ミイデラゴミムシ――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「手加減はしねぇぞ、ガキ」

 

 そう言ったリーの頭髪は既に触角へと変化し、両腕は黄と褐色の甲皮に包まれている。完全に昆虫の特性は引き出され、いつでも戦闘を始めることが可能な状態だ。

 

 

 

「ボクは絶対に、皆を死なせない……」

 

 

 

 臨戦態勢に移ったリーに密航者が言うと、彼の顔をガスマスク越しに睨みつけた。そんな彼の感情の高ぶりを体現するかのように。密航者の腕もまた、変異を始めていた。

 

「っ! やはり、ヤツもバグズ手術を受けていたのか!」

 

 予想通りではあったが、それでも驚愕を隠しきれずにティンが叫ぶ。いつの間に薬を使ったのかは分からないが、これでほぼ確定した。

 

 やはりあの密航者は――バグズ手術を受けている。

 

 

 

 

 

 

 ――その生物種に分類される昆虫は、多くが害虫である。

 

 動物界 節足動物門 昆虫綱 カメムシ目・カメムシ亜目。

 

『カメムシ』として知られるこれらの生物は、一般的には多くが農業に被害を及ぼす害虫である。加えて彼らは、追い詰められると悪臭を放つという特性を持つために、文字通り人々からは鼻つまみ者として扱われている。

 

 だが、一体どれだけの人が知っているだろうか。そうして蔑まれているカメムシの仲間は昆虫界でも――否、自然界の中でも、とりわけ多様性に富んでいる生物群であるという事実を。

 

 陸生と水生。

 

 肉食性と植物食性。

 

 翅の有無。

 

 毒の有無。

 

 

 多くの生物種はこれらのいずれか、あるいはどちらかに該当するのに対して、カメムシ類はこれらのいずれにも該当しうる。矛盾するこれらの特性を、近縁であるはずのカメムシ科の昆虫たちは当たり前のように持っていた。それほどまでに彼らは多様であり、多彩であり、多才であった。

 

 

 数え上げていけばきりがないカメムシの仲間たち。密航者の腕に宿っているのは、その中でも一際『地中生活』に適したカメムシの遺伝子である。

 

 

 

 

 

 

 変異を一通り終えた密航者の腕は、先ほどまでのものとは一変していた。

 

 ――可愛らしい幼児の腕は成人男性程度の大きさになり、より頑強に。

 

 ――僅かに見えていた白い肌は墨のように黒い甲皮になり、より頑丈に。

 

 変態の影響で破れた服の袖口から、密航者は筋肉質な両腕を露出させていた。

 

「……絶対に、みんなを地球まで連れて帰るんだ」

 

 漆黒の両手を握りしめ、密航者は拳を打ち合わせた。

 

「例え皆を傷つけても、そのせいでどんなに皆に嫌われても」

 

 確固たる意志を込めて、彼はリーを見据えた。

 

「必ず、助ける」

 

 

 

 

 

 

 ???

 

 

 

 ベース生物

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ――――――――――――ヂムグリツチカメムシ――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【オマケ】

ミンミン「密航者の運動神経の正体はニンジャじゃなくて、実はドラえもんの秘密道具っていう可能性が」←公式プロフィールの好きなもの:ドラえもん

フワン「ありませんよ」

ミンミン「……いや、スーパーシューズという秘密道具があってだな。密航者がそれを履いてる可能性も」

ジョーン「ありませんて」


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