贖罪のゼロ   作:KEROTA

48 / 81
シモバシラ(Keiskea japonica)。

【原産】日本固有種。関東以南の本州から九州にかけて分布。

【シソ科シモバシラ属】 

 宿根性の多年草。毒性・薬効ともになし。

 白く、釣鐘上の花を9-10月にかけて咲かせる。初冬になると茎は枯れるが、根は地中で活動を続ける。そのため枯れた茎の道管に水が吸い上げられ、外気が氷点下になると氷柱を作成する『結氷現象』を引き起こす。これが和名である霜柱(シモバシラ)の由来となっており、人々に冬の訪れを告げる。

【別名】雪寄草(ユキヨセソウ)

【花言葉】 ―― “健気”




第43話 GUARDIAN 守護の意味

「じょう!」

 

 掛け声と共に、サバクトビバッタ型の巨体から強烈なタックルが繰り出された。その動きは砲弾さながら、速さのあまり残像すら捉えられる威力に、見守っていた第二班の班員はおろか、アークの戦闘員たちすらも思わず息を吞む。

 

 

 

 ――サバクトビバッタ型テラフォーマー。

 

 

 身長2m40cm、体重200kg超え。

 

 幼少時から動物性タンパク質を摂取することで得た筋力に加え、バグズ手術によってサバクトビバッタの強靭な脚力をも有した個体である。

 

 

 

 筋肉ダルマと侮るなかれ、生物の肉体がどれだけの速さを発揮できるかは、筋肉量に左右されるといっても過言ではない。

 

 デカい=のろまの図式が当てはまるのは漫画の中だけの話である。陸上で世界記録を出すような選手の多くを見れば分かる通り、現実では“筋肉ダルマ”こそ“速い”のだ。

 

 通常のテラフォーマーの倍以上の体重を誇る力士型の筋肉量、そこへ更に、人間大ならビルを跳び越えると言われるバッタの脚力が加わる。その一撃がどれほどの破壊力を生み出すかなど考えたくもないが……例え甲殻型のMO手術の被験者であっても、直撃すれば致命傷は避けられない。

 

 彼の腰で揺れる2本の“下がり”が、テラフォーマーとしての彼の実力の高さを裏付けているとも言えるだろう。

 

「ぐ、うっ!?」

 

 トラックが衝突したような音が響き、構えた盾ごとキャロルの体が一気に後方へ押し戻された。続けて息つく間もなく二撃、三撃とサバクトビバッタ型は次々に蹴りを打ち込んでいく。

 

「まずい、キャロルが追い込まれてる……!」

 

 アミリアの口を突いて出たその言葉は、戦況を見守る第二班の班員たち全員の内心を代弁したものだった。

 

 今はまだ耐えているが、果たしてあの怒涛の連撃を、細身の彼女があとどれだけ凌げるものか。

 

 彼女はすがるように、隣に立っていた長髪の青年を見やる。意図をくみ取った青年が変態した掌をテラフォーマーへ向けるが、しばらくすると構えを解いてしまった。

 

「無理だな。近すぎてキャロルを誤射しかねない……つーかそれ以前に、動きが激しすぎて当たるかどーか、ってとこだな」

 

「でも、このままじゃ……!」

 

 アミリアは今にも泣きそうな顔で、青年に食い下がる。理屈は分かるし、自分に何ができるわけでもない。だがこのまま、命を懸けて戦いに臨んだ仲間が嬲られるのをただ見続けることなど、アミリアにはできなかった。

 

 

 

 ――そしてそれは、()()()()()()()()()()

 

 

 

「……なら、状況を仕切り直そう」

 

 

 

 そう言ったのは、百合子だった。自分へ視線が集まるのを感じながら、彼女は注射器型の変態薬を取り出した。

 

「私の特性なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あいつが大ぶりな攻撃をした瞬間を狙って……」

 

「おっと、そいつはやめときな『14位』」

 

 しかしその言葉は、背後からかけられた声によって遮られる。振り向けば、百合子の真後ろにはライオンを思わせるたてがみを生やした、巨漢のウルバーノが立っていた。彼はたてがみへと変異した髪をわしゃわしゃと掻きながら、長髪の青年に声をかけた。

 

「ジェド、団体様のご到着だ」

 

 そう言って彼は、自らの後ろを親指で指す。その先には空を飛びながら脱出機へと向かってくるテラフォーマーの姿があった。

 

「頃合いを見て、ナディアが空中戦を仕掛ける。護衛は俺と弥太郎に任せて、お前は特性で敵の数を減らしてくれ」

 

「あいよ! ……悪いな、アミリア殿」

 

 ウルバーノの指示を受けた青年はアミリアの肩を叩くと、そのまま脱出艇の反対側へと歩き去っていく。それを見送りながら、ウルバーノは百合子へと言った。

 

「お前さんの特性は確かに強力だが、病み上がりで変態を長く持続できねぇんだろ? お前さん自身が強いわけでもない、こっちに攻撃の矛先が向いたとして他の班員を守れるか?」

 

「そ、れは……」

 

 図星を突かれ、百合子は口ごもってしまう。

 

 

 

 ――源百合子、マーズランキング同率14位(89位相当)。

 

 

 

 一見すると奇妙なこの順位は、彼女自身の特殊性によるものである。

 

 念のために入っておくが、燈と同じ環境で育ったといっても、彼女自身には何ら武道の心得はない。それどころか病み上がりであることも手伝って、彼女の身体能力は平均的な同年代の女性のそれすらも下回る。

 

 その上で、14位。

 

 このランキングは特性の強さと素体によって決まることを考慮すれば、彼女のベースがいかに強力なものであるかがよく分かるだろう。彼女の特性はアネックスの乗組員としては希少な『広域制圧』を得手とするものであることも大きい。

 

 仮に彼女の状態が万全であれば更に上位に食い込み、戦闘員としての訓練を受けていたに違いない。

 

 

 だが、彼女は非戦闘員としてアネックス計画に参加している。その理由は至って単純、()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 病み上がりの彼女の体は、多大な負荷を受ける変態に伴う細胞の入れ替えを受け付けず、強制的に変態を中断してしまうのだ(余談だが薬は一定時間体内に残留するため、連続で変態すると過剰投与状態になり、ショック症状が表れる)。

 

 

 

 彼女が戦闘員に匹敵する絶大な力を振るえるのは、10秒にも満たないほどの時間。果たしてキャロルを窮地から救ったとして、そこから攻撃対象を変更したサバクトビバッタ型をどうにかできるものか……。

 

「まぁそれに、まだ助勢に入るにはちと早い」

 

 そう言ってウルバーノは、口内の犬歯を見せてニヤリと笑う。

 

 

 

「見てな、そろそろだぜ」

 

 

 

 彼の言葉と同時に大きな衝突音が響き、戦いを見守っていた非戦闘員たちの口から「あっ!」と声が上がった。

 先程までと同じ、ある程度の重量と質量を持つ物体同士がぶつかった音。ただし先程までと違っていたのは、攻め手と受け手が逆転していたことだろう。

 

「シッ!」

 

 ぐらりと仰け反ったサバクトビバッタ型の巨体、それを見るや否やキャロルは今しがた振り抜いた盾を素早く手放すと、警戒にサバクトビバッタ型の胴体に打撃を叩きこんでいく。

 

 二撃、三撃、四撃。

 

 第一班の主力、元ボクサーの慶次ほど洗練されたものではないが、明らかに訓練された動きで彼女は拳を打ち付ける。連撃の締めとして結晶で覆われた足でサバクトビバッタ型を蹴り飛ばすと、キャロルはそのまま軽やかなステップで後退。

 

「フゥー……」

 

 息を吐いて呼吸を整えながら、彼女は地面に落ちた盾を手にとり構えた――そう、己の体そのものをすっぽりと覆い隠してしまう程の大きさ・重量の盾を、軽々とである。

 

 

 

 ――キャロル・ラヴロック。

 

 身長1m68cm、体重60kg。

 

 

 

 同年代の女性の平均を大幅に上回る体重は、彼女が太っているから――では勿論ない。ミッシェル同様、彼女の重量の大半を占めているのは筋肉である。もっともミッシェルと違い、彼女自身の血統になんら特筆すべき特徴はない。キャロルの体は純粋な訓練によって鍛えたもの、あくまで一般人の範疇に収まる程度のものだ。

 

 ではそんな彼女が、かつてのバグズ2号の中でも屈指の破壊力を持つサバクトビバッタと、動物性蛋白質で上乗せされた筋肉を持つテラフォーマーの猛攻を凌げたのか?

 

 

 理由その1、彼女に与えられた2()()()()ベースの存在。

 

 蟻の凄まじい筋力については、もはや説明の必要はないだろう。そしてそれは、彼女に組み込まれた『ミツツボアリ』もその例に漏れない。

 

 例えばパラポネラやトビキバアリのように好戦的な種類の蟻と違い、ミツツボアリたちに突出した凶暴性が備わっている……などということはない。

 しかし、自分の胴体の数倍近い大きさに膨らむまで腹部に蜜を溜め、仲間のための貯蔵庫として天井にぶら下がるその筋力は、蟻の仲間だからこそ発揮しうるもの。この特性を使えば、壁と見紛うほどの盾を振り回し、サバクトビバッタ型の猛攻を凌ぐことなど造作もない。

 

 

 理由その2、彼女自身の技術。

 

 新人ながらもSWAT候補生として注目され、また自分自身もそうなりたいと努力を続けた彼女は、勤務署内でも有数の逮捕術の使用者であった。

 

 特にSWATが常備する防弾盾(バリスティックシールド)を用いた鎮圧技術、そして近接での徒手格闘に関しては、若手ながらかなりの評価を現役隊員からも得ている。その中には無論、衝撃を上手く逃がしながら攻撃を受ける技術や、受け流しを応用したカウンター技術なども含まれる。

 

 サバクトビバッタ型の破壊力は恐ろしい、だが無軌道で精彩を欠くその攻撃は、彼女の技術をもってすれば決して捌けない物ではないのだ。

 

 

 

 そして理由その3、彼女の“専用装備”。

 

 

 

「な、なんだ……?」

 

 彼女が先程まで使っていた大盾、構え直したそれを見たウォルフは、思わず呟いていた。

 

「あの盾、()()()()()……!?」

 

 

 

 ――対テラフォーマー凍結式バリスティックシールド『ハボクック』。

 

 それが彼女に与えられた1つ目の専用武器であり、専用防具。この盾は平時、底に取っ手が付いた巨大なタライのような形状であるが、大量の水を流し込んで凍結させることで、何度でも再使用可能な永久防具としての機能を発揮する。

 

 ここで当然問題になるのが、たかが氷塊ごときでテラフォーマーの攻撃を凌ぐことができるのかという点である。

 

 

 

 ――答えは、YES。

 

 

 

「ジョウ、じッ!」

 

 地面がひび割れるほど力を溜め、サバクトビバッタ型は渾身の蹴りを放つ。その威力に後ずさりながらも、キャロルは蟻の筋力とその盾で以て、その一撃を正面から受け止めた。

 

 無論、ただの氷ではどれほど厚みがあっても壊れてしまうだろう。しかしこの盾を構成しているのは、ただの氷ではない。

 

 

 

 “パイクリート”。

 

 

 

 それは第二次世界大戦中、イギリスの発明家ジェフリー・N・パイクによって提案された「氷山空母」を実現するために開発された複合材料である。

 

 氷山を空母に改造して運用するという奇天烈な発想の下に生まれたパイクリートは、重量比14%のパルプ(おがくずや紙など)と86%の水を混ぜ合わせて作られ、凍結させると通常の氷と比べて溶けにくく、強度・靭性に優れた氷になるという特徴がある。

 

 その強度は至近距離でライフル銃を撃ち込まれても貫通しないほどで、空母の装甲ほどの厚みがあれば魚雷や爆撃・砲撃すらも寄せ付けない。加えて、仮に空母が損傷したとしても、海水を流し込んで再凍結すれば無限に補修が可能。

 

 残念ながら氷山空母は予算や建造期間の都合で実現されることはなかったが、仮に実現していれば、敵側にとって悪夢の不沈艦として恐れられていただろう。

 

 そして当時から実に650年以上もの時を経て――かつての天才によって開発されたパイクリートは今、悪魔の猛攻を凌ぐ盾としてキャロルの手にある。

 

「せいっ、やあ!」

 

 本来は防具としての運用が想定されているバリスティックシールドであるが、蟻の筋力を備えるキャロルが扱うことで、総重量100kgは下らない鈍器として極めて凶悪な威力を発揮する。

 

 辛うじて跳び退くことに成功したサバクトビバッタ型の鼻先をかすめ、盾が地面に叩きつけられる。重々しい一撃は大地にクレーターを刻み、軽度の地震すらも発生させた。

 

「――そこッ!」

 

 一瞬、サバクトビバッタ型がよろめいた隙をついて、キャロルは再び彼の懐に飛び込んだ。拳にパイクリートを作成し、力士型の顎に叩きつける。メリケンサック状に凍結したパイクリートはミシリ、という嫌な感触と共にテラフォーマーの顎を砕く。

 

「じ、ぎ……」

 

 地面へと巨体が沈む。キャロルは捕獲用虫取り網を手に取るとネットを射出し、サバクトビバッタ型を捕縛した。

 

「よいしょ、っと……さて、これからどうしようかな?」

 

 銃身を肩に担ぎ、キャロルは考える。脱出機に戻って守りを万全にするか、未だオニヤンマ型と戦う燈の補助に入るか、それともミッシェルを救助しに行ったシモンの安全を確保するか。

 

 3つに1つ。少しばかりの思考の末に、彼女は最初の選択肢を選ぶことにした。スピードに優れない自分の特性ではオニヤンマ型に勝つのは難しいだろう。

 

 シモンの補助も同様で、水泳に関する特性を持たない彼女ができることは、精々上がってくる岸辺の安全を確保することくらいだ。だが目視できる範囲に脅威はなく、わざわざ集団から孤立してまで警護する火急の必要があるとは思えない。仮に上がってきた2人のために毛布なり温かい飲み物なりを渡すにしても、どのみち脱出機には戻らなければならないだろう。

 

 そう結論付けてキャロルが体の向きを180度回転させたその瞬間……ただ1人、その鋭敏な嗅覚で『予兆』を察知し、顔色を変えたウルバーノが警告を叫んだ。

 

 

 

「油断すんなッ! まだ終わってねぇ!」

 

 

 

 ――キャロルが咄嗟に反応できたのは、日頃の訓練のたまものだろう。

 

 盾には手が届かない。振り向きざま、咄嗟に虫取り網の銃身を、胴体を庇うように構えた。

 

「がッ……!?」

 

 そして次の瞬間、彼女の体は衝撃と共に「く」の字に折れ曲がった。銃身がひしゃげた一瞬の後に、キャロルは背中から脱出機の装甲に叩きつけられる。

 口から洩れたのは空気の音ではなく、水気を帯びた嫌な音。口から咳混じりにこぼれたのは、赤い血だった。

 

「じょうじょ」

 

 不気味な声を発しながら、サバクトビバッタ型は()()()()()()。既に脳震盪は収まったのだろう、その足はしっかりと巨体を支えている。彼の足元には、力任せに引きちぎられたと思しきネットの残骸があった。

 

 ――捕獲用虫取り網のネットは、非常に頑丈な繊維を材料にして編まれている。その強度は実際に耐久テストを行った技術者たちが、テラフォーマーの3倍の筋力でも切れないと太鼓判を押しているほど。

 

 ただしそれは裏を返せば、テラフォーマーの3倍を超える力であれば、引きちぎられてしまう可能性もあるということでもある。

 

 元々、通常のテラフォーマーの数倍の筋力を持つ力士型、そこにサバクトビバッタの脚力が加わったのだ、いかに対テラフォーマー用のネットであろうと耐えきれるはずがない。それを見誤った代償が今、キャロルに牙を剥いたのだ。

 

「キャロルッ!?」

 

 脱出機から悲鳴が上がるが、それに応える気力はなかった。体はぐったりとして重く、動かない。

 もはや興味も尽きたとばかり、こちらへと背を向けて脱出機に向かうサバクトビバッタ型をぼやけた視野で見つめながら、彼女はぼんやりと、走馬灯のように過去の記憶を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アタシの中の一番古い記憶は、3歳の頃に巻き込まれた強盗事件だ。

 

 目だし帽を被り、拳銃を持った犯人たちの怒声に怯え、泣いている幼い日の自分。しかしその記憶を見ている今のアタシに、恐怖はない。知っているからだ――この直後に助けが来ることを、アタシにとってのヒーローたちが駆けつけてくれることを。

 

 ガシャン、という音とともに扉が破られ、盾を構えたSWAT部隊が建物になだれ込む。彼らは手慣れた様子で犯人たちを鎮圧すると、すぐに人質になっていたアタシ達を解放してくれた。泣きじゃくるアタシを落ち着かせるように隊員の人が見せた笑顔と、「もう大丈夫だよ」というその言葉を忘れることは、多分一生ないだろう。

 

 幼児というのは存外に逞しいもので、恐怖はいつのまにか、尊敬の感情に塗りつぶされていた。そしてその時、アタシは幼いながらに決意する。自分も彼らのように、弱い人々を助けられるような人間になろうと。

 同年代の男の子たちがコミック・ヒーローに憧れるように、アタシは警察――特に、SWATに憧れるようになった。

 

 強くなって、かつての自分のように弱い人を「守りたい」――その思いを支えにしてここまでやってきた。例え何と言われようと、この想いだけは本当だって断言できる。

 

 それは警察官になってからも、変わらなかった。だからアタシは、警察署の掲示板の片隅に小さく貼りだされた「アネックス計画の参加人員募集」の広告を知った時、迷わず志願した。

 

 多分、普通の人なら「ありえない!」って言うと思う。実際、警察関係者からの志願者はアタシだけだった。配布元のU-NASAすら、まさか志願者が出るとは思っていなかったらしい。何度も何度も、色んな人から本気かどうかを確認された。

 

 それでも、アタシは志願を取り下げなかった。

 

 アネックス計画の参加者の多くは、お金に困っている人たちだ。社会そのものが見捨て、もうすがる先がそこしかないような人たち。それでも自分のために、人類のために、命を燃やして這い上がろうとしている。それを知ったアタシの中には、ある疑問が浮かんでいた。

 

 ――全てに見放された彼らを、誰が守るんだろう?

 

 今にして思えば、凄く傲慢な考え方だった。究極の自己満足だった。お前は何様だ、って怒られても何も言い返せない。だけどその時のアタシは、正義感に燃えていた――多分、ちょっと間違った方向に。

 

 自分の原点、「弱い人を守りたい」という思いを曲げてしまったら、アタシはこの先警察官として胸を張れないと思った。

 

 だからアタシは休職届を出して、その足でU-NASAへと向かった。手術適性のパッチテストの結果を待つまでの間に、今の日米合同班の皆とも仲良くなった。

 

 彼らがすごく良い人達だって言うことを知って、「ああこんないい人たちなら、やっぱり守らなくちゃな」なんて、無意識に上から目線で考えながら何日か過ごして……そしてアタシは、現実を叩きつけられることになる。

 

 テラフォーマーは怖くなかった。手術の成功率を聞いても、ケロッとしていた記憶がある。だけど、手術ベースの適性を調査するパッチテストの結果を見せられて、アタシは愕然とした。

 

『ノシバ』『シロツメクサ』『タンポポ』『ススキ』……リストに載せられていたのは、どれも戦闘には不向きな雑草だった。

 

「こんなに多くの生物に適合する被験者は珍しい。そしてこれほど多くの生物に適合しながら、一切任務適性のない植物ばかりが適合するのも」

 

 アタシにそう説明した科学者は、果たしてどんな顔をしていただろうか?

 

 SWAT次期候補生、と言われていただけのことはあって、自分の身体能力にはちょっとばかり自信があった。けどそれは『戦闘向きの特性を持った軍人や格闘に秀でた被験者』を押しのけられるほどのものではない……いや。

 

 下手をすれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、対テラフォーマー戦でアタシは劣るかもしれない。

 

 意気消沈して帰ったアタシをアミリアやペギー、八重子は慰めてくれたけど、それが余計に惨めだった。彼らには技術職や研究職という役割がある。でも、アタシは? 戦闘員にあぶれ、秀でた技術があるわけでもない。あるのはただズタボロになった自尊心と、彼らに対する申し訳なさだけだった。

 

 

 ――アタシはアネックス計画の、皆のお荷物に来たわけじゃないのに。

 

 

 とにかく今の自分が情けなくて、気が付くとアタシは、U-NASAの研究棟の裏で1人泣いていた。そんなとき、アタシは出会ったんだ。

 

 

 

「あれ? 君、こんなところで何してるの?」

 

 

 

 ――フルフェイスヘルメットを被り中華拳法服を纏った、不審者に。

 

 

 

「ア゛ッ!? ちょ、ちょっと待って! 通報しようとしないで!? ボク怪しい者じゃないから! ちゃんとした正規職員だから!?」

 

 スマートフォンを取り出したアタシに、必死で職員証(なぜか証明写真もヘルメットを被っていた)を見せながら、彼は弁明した。

 

 とりあえず何とかアタシにスマホを仕舞わせた彼は、「それで、どうして泣いてたの?」と改めて聞いてきた。

 

「何があったのかは分からないけど、それくらい辛い何かがあったってことは分かるよ。相手がボクでよかったら、話してみない? 気が楽に……なるかは分からないけど、聞くことぐらいならできるからさ」

 

 その声はとても優しかったことを覚えている。先程のあたふたとした反応を見ていたこともあって警戒を解いていたアタシは、自分でもびっくりするほどあっさりと、これまでの経緯を話していた。

 

 とりとめもなく、思いつくままに自分の感情を吐露していく。きっとアタシの話は支離滅裂だっただろう、それを彼は聞き流すことなく、静かに聞いていた。

 

「誰かを守るってさ……すごく、難しいよね」

 

 全てを話し終えたアタシに彼は言った。「ボクは、守れなかったんだ」――と。思わず顔を上げたアタシに、彼は続ける。

 

「大事な友達が、守りたかった人がいたんだ。だけどその時のボクは非力で、多分覚悟も足りてなくて……取りこぼしてしまった」

 

 彼はそう言うと、どこか遠くを見つめた。守れなかった友達に、思いを馳せているのか、それとも自分を責めているのか、アタシには分からなかった。けれど、彼が背負うものがあまりに凄絶なことを、何となくだけどアタシは理解して、だから声をかけられなかった。

 

「ごめんね、本当は慰めるつもりだったんだけど……これに関して、ボクは嘘をつけない。だから今から、とても厳しいことを言います」

 

 そう断った彼の纏う雰囲気は、さっきまでのうだつの上がらない青年のそれじゃない。研ぎ澄まされたそれは、刃だった。そして同時に、鏡でもあった。意識の奥に秘された無意識を暴く刃であり、それを突きつける鏡。

 

「――誰かを守るために必要なのは、力だと思う。そして力を得るために必要なのは才能でも、綺麗ごとでも、適性でもない」

 

 フェイスガード越しに、彼と目があった気がした。黒のそれに阻まれて視線は見えないけど、アタシの瞳は何かを捉えて離さない。

 

「月並みだけど、覚悟だよ。“どんなことをしてでも”、“何があっても”――その思いがあれば力は自ずと身につくし、どんな逆境でも足掻いて、希望を見出せる。自分の中の絶対に譲れない一線を譲らないために、どこまでも貪欲に最善を求め続ける姿勢。それが覚悟だと、ボクは思う」

 

 ――君には、それがある?

 

 短く告げられたその質問に、アタシは答えられなかった。けどそれが、アタシの決意の薄っぺらさを表していたんだと思う。

 

「もし答えられないなら、帰った方がいい。アネックス計画の参加者なら、君が守るつもりだった非戦闘員だって即答できる質問だ。生半可な覚悟で臨むのは彼らに失礼だし、任務にだって支障をきたすからね」

 

 なにより、と彼は先程までと変わらぬ口調で、しかしどこか寂し気に言った。

 

「覚悟が足りなかったから、ボクは大事な人を死なせてしまった。生半可な覚悟の成れの果てが、今のボクだ。自分勝手だけど……君には、ボクみたいになってほしくない」

 

 そう言うと彼はもう一度だけ「ごめんね」と謝罪して、アタシの前から立ち去った。

 

 それからアタシはしばらくぼうっとした後、アミリアたちからの夕飯の誘いも断って、フラフラと自室に戻った。そしてベッドに腰を下ろすと、枕に顔を押し付けた。

 

 ――決意に酔っていた自分が恥ずかしくて、顔から火を噴きそうだった。

 

 アタシはきっと、自分でも知らないうちに優越感に浸っていた。自分は強いから、弱い人を()()()()()()()()。そんなの、覚悟でもなんでもない――ただの独りよがり、押し付けだ。

 

 ああ、恥ずかしい。目の前にさっきまでの自分がいたら、きっとアタシは殴り飛ばしていたと思う。

 

 枕に顔を埋めて、ベッドの上でばたばたと足をばたつかせ、うーうーと声にならないうめき声を上げて……それからアタシは、火照った顔で考える。

 

 アタシにとっての覚悟って何だろう?

 

 考えて、考えて、いつの間にか居眠りしてしまって、慌てて目を覚まして……そんなことを何度か繰り返して、ふとアタシは気付いた。何も難しく考えなくていい、答えは最初から出ていたのだから。

 

 

 

 

 東の空が白み始めた頃、こっそりと部屋を抜け出して、昨日の場所へ向かった。何となく、予感があったから。案の定そこには、1人でポツンと立っている彼の姿があった。

 

「答えは、出た?」

 

 アタシに気が付いた彼は、ヘルメット越しに問いかける。彼の柔らかい雰囲気は、アタシが下したのがどんな結論であれ、受け入れると言っているかのようだった。

 

「はい……私は、帰りません」

 

 反応はないけれど、拒絶や怪訝の色も見られない。だからアタシは、自分の想いを吐きだした。

 

「『守る』っていう想いは、今の自分の原点なんです。だから、この想いだけは変えられない。この想いだけは本物だから……だから私は自分なりに、最期まで皆を守りたい」

 

 喋りながら、自分の言葉に力と熱がこもっていくのが分かる。きっと、これなんだ。これがアタシの、本当にやりたかったこと。アタシにとって譲ることのできない、一閃。

 

「だから、帰りません。戦闘向きのベースが適合しなくたって、皆に勝てるような技術がなくたって、関係ない。皆が弱いからじゃなくて……大切な友達を失わないように、かけがえのない友人をこれ以上傷つけないために。あくまで対等な仲間として、私は最後まで守り抜く」

 

 ――これが、私の覚悟です。

 

 そう言いきって、吐き切った息を吸い戻す。どんな反応が返ってくるかは分からない、けど自分の中のモヤモヤが綺麗さっぱりと消えて、とても清々しかった。

 

 それを見てとったのだろう、彼は静かに頷いて「そっか」と呟く。そして彼――シモン・ウルトル団長は、アタシにこう言ったのだ。

 

 

 

「君の力が必要だ、キャロル・ラヴロックさん。君さえ良ければ、ボク達の計画に協力してほしい」

 

 

 

 ――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……俺に、何か用か?」

 

 燈は眼前のオニヤンマ型から目を離さず、背後から近づいてくる重い足音の主に言った。

 

 

 ――現在、燈側の戦況は膠着状態にあった。

 

 周囲に張り巡らされている糸は、燈がMO手術で手に入れた特性だ。鉛筆程の太さに束ねれば、ジャンボジェット機すら繋ぎとめると言われる蜘蛛の糸――()()2().()5()()()()()()()()、地上最強の糸。

 

 

 

 ――『マーズランキング』6位、膝丸燈。MO手術ベース ”日本原産” オオミノガ。

 

 

 

 糸の結界はオニヤンマ型の無尽蔵の機動力を大幅に制限、死角からの奇襲をほぼ完封していたのだ。しかしそれでもなお、蜻蛉の機動力は脅威。迂闊に攻めれば、次の瞬間に胴体を両断されていてもおかしくないのだ。

 

 互いに攻めあぐね、静止した戦闘。それはまるで、コップ一杯に注がれた水のようなものだ。たった一滴、雫が滴れば立ちどころに水は溢れるだろう。

 

 その一敵が今まさに、水面に落とされようとしていた。

 

「大方、邪魔者を片付けたから味方の援軍に来た、ってところか。随分気が早いな」

 

 燈は己の専用武器である対テラフォーマー振動式忍者刀『膝丸』を構えた。しかしそれは、背面の巨漢を迎え撃つためではない。己の敵を、確実に仕留めるためだ。

 

 

 

 

 

「俺が背中を預けた仲間を、あの程度で()れると思うなよ?」

 

 

 

 

 

 その瞬間、サバクトビバッタ型の尾葉は、こちらへと駆けてくる何者かの気配を鋭敏に感じ取った。カウンターとばかり、背後を回し蹴りで薙ぎ払おうとするも自慢の脚は頑丈な盾で阻まれた。

 

 

 

 ――なぜ、壊れていない?

 

 

 

 サバクトビバッタ型は、目の前に立つキャロルを見つめた。かつてこの特性を持った人間の前に、多くの同胞たちが命を落とした。目の前の人間どもは、自分達よりも遥かに脆弱な生物。それなのになぜ、自分の一撃でこの人間を壊せないのだ?

 

「っじ……!」

 

 否、壊せないはずがない。一度でダメなら二度、二度でダメなら三度……何度だって叩きつければいい。この脚で砕けぬものなど、この火星に存在はしないのだから。

 

「攻撃が雑になってきたね……不思議かな? どうして、その自慢の脚でアタシを壊せないのか」

 

 一撃一撃が必殺の威力を帯びた、猛攻などという言葉すら生ぬるい攻撃の嵐。しかしそれをいともたやすく受け止め、受け流し、受け切りながら、キャロルは言う。

 

「『覚悟を決めた』……独りよがりに守ろうとしてた時とは違う。アタシの力はもう、アタシだけのものじゃない!」

 

 キャロルは吠えると、サバクトビバッタ型の蹴りを正面から押し返した。形勢が傾いたことを察したサバクトビバッタ型は距離をとって仕切り直そうとする――が、動けない。

 

 蹴りをはなった際に軸足としていた左足が、大地に固定されていたのだ。キャロルが足の裏に生成した氷柱状の杭ごと踏みつけることによって、サバクトビバッタ型の足は地面に磔になっている。

 

 

 

 ――キャロルのMO手術のベースとなった『シモバシラ』には、何かを凍らせる能力はない。

 

 彼女がパイクリートを作ることができているのは、彼女に与えられたもう1つの専用武器によるものだ。

 

 対テラフォーマー過冷却式パイクリート生成装置【アイス・エイジ】。

 

 バックパックに扮したそれは、ミツツボアリの特性で胸部に貯めた水を、0℃以下でありながら液状形態を保つ『過冷却水』へと加工・保持する機能を持つ。

 

 キャロルの脳信号をキャッチすると、装置内部ではパルプ――即ち、シモバシラ(キャロル)の細胞や老廃物――と過冷却水との混合が起こる。そうしてできた『過冷却状態のパイクリート原液』は彼女の葉脈を通り道として、全身へと運ばれる。

 

 さて、過冷却水には『刺激を与えると、急速に状態変化を起こす』という特徴がある。流し込まれた直後に過冷却原液は形状変化を起こし、パイクリートとしてキャロルの体――あるいは、彼女が流し込んだ先に発現する。これが、彼女がパイクリートを操る仕組み。

 

 シモバシラ、ミツツボアリ、専用武器。このどれを欠いても、彼女は潜入員(サイドアーム)として戦うことはできなかっただろう。キャロルの体にこの3つが揃ったのは、彼女が覚悟を決め、それを示したから。そしてキャロルが覚悟を決めたのは……彼女に覚悟を自覚させた者と、彼女が心から守りたいと思える者達がいたから。

 

 

 

「だから、()()()()()()()。何十回殴られても、何百回蹴られても――」

 

 

 

 そう呟く彼女の右腕に纏わりつくように、巨大な氷柱が形成されていく。それはまるで槍のようであり、釘のようでもあった。サバクトビバッタ型はそれを蹴り壊そうと右足を振り抜くが、彼女が構えた盾に防がれ、届かない。

 

 逃げようともがくサバクトビバッタ型に、キャロルは宣言した。

 

 

「アタシは、“何があっても”皆を守るんだ」

 

 

 キャロルの右腕が振り抜かれる。それは食道下神経節ごとサバクトビバッタ型の胴体を貫き、今度こそ彼を戦闘不能へと追いやった。キャロルは口元の血をぬぐうと、自分を心配そうに見つめる脱出機の面々へ向かって笑いかけ、親指を立てた。

 

「サバクトビバッタ型テラフォーマー、捕獲完了っ!」

 

 

 

「――ジョウジ!」

 

 その瞬間、弾かれたようにオニヤンマ型は飛び出した。勝利に気が緩んだその一瞬こそ、生物界においては最大の隙。手負いの人間の雌一匹を仕留める如き、オニヤンマ型の機動力をもってすれば赤子の手をひねるよりも容易い。

 

 彼は風を切り、張り巡らされた糸をかいくぐってキャロルへと向かう。そして……。

 

 

 

 

 

「おい、俺を忘れるなよ」

 

 

 

 

 

 彼は地面へと衝突した。咄嗟に上半身を起こしたオニヤンマ型の複眼に、ハラリと宙を舞う何かが映る。

 

 それは2枚の翅だった。本来の長さの半分ほどになった、蜻蛉の翅の先端が2枚分。オニヤンマ型が背後を確認すると、右側の翅が2枚とも、半分程の位置で綺麗に切断されていた。

 

「俺はあいつに背中を預けたし、あいつは俺に背中を預けた。だったら、俺がお前を通すわけないだろ?」

 

 この状況から離脱しようとオニヤンマ型は翅を動かすが、しかしその体が地面を離れることはない。

 

「お前の攻撃を誘導するのは簡単だったよ、あえて糸が少ない道を作っとけばいいだけだったからな」

 

 ――トンボは翅を一枚失ったとしても、飛行を続けることができる。しかし、片側の翅を2枚同時に失えば、彼らは二度と空へ戻れない。あとはただ、捕食者に食われるのを待つばかりの、哀れな生餌になり下がる。

 

 忍者刀を鞘へ納め、燈は指を2本立てて見せた。

 

「2つ覚えとけ、オニヤンマ。1つ、どんなに速くても攻撃は読まれたら意味がない。2つ――」

 

 蜻蛉の武器である翅を奪われたオニヤンマ型は、ゴキブリの武器である肉体で燈へと襲い掛かる。燈はそれを認めると、反対の手に握られた糸をぐいと引き上げる。その途端、周囲に張り巡らされた糸が、まるで意志を持っているかのように、一斉にオニヤンマ型の体へと絡みついた。

 

「これが人類の生み出した武道、その中でも最強無敵の膝丸心眼流だ――地球を、嘗めんなよ?」

 

 まるでミノムシのように固められ、身動きすらままならなくなったオニヤンマ型は、成す術なく火星の大地に転がされる。

 

 地上での戦闘が決着した瞬間だった。

 

「お疲れ、燈くん」

 

「ああ、そっちもな」

 

 キャロルと燈は互いに短い言葉をかけ、ハイタッチで健闘をたたえ合った。

 

「とりあえずゴキブリ達を虫かごまで運ばなくちゃなんだけど……」

 

 そう言いながらも、キャロルは作業に取り掛からない。彼女の顔の曇りを見て取ったのだろう、燈も表情を険しくした。

 

「ああ……ミッシェルさんたちが、上がってこねぇ」

 

 ミッシェルが水中に引きずり込まれてから、そろそろ2分以上の時間が経過する。もし何の処置もできていないのなら、既にミッシェルの肉体は後遺症が懸念される程に危険な状態に陥っていてもおかしくない。

 

 だが――。

 

「どのみち、アタシ達が水中でできることはない、か……」

 

 燈も、キャロルも、手術ベースは陸上での活動を想定したもの。水中戦はさすがに専門外だ。

 

 あるいは魚類型の手術ベースを持つ団員、ラウルなら……と考えた所で、キャロルはその考えを打ち消す。ミッシェルの救助に向かったのは、自分達の団長であるシモン。彼が向かった以上、下手に自分達が行動をするとかえって事態を悪化させてしまう可能性もある。

 

「……今は、信じるしかない。ミッシェルさんとシモンさん、2人のことを」

 

 

 自分に言い聞かせるように燈が言ったその言葉に、キャロルはただうなづくしかうなかった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 既に光は頭上の彼方へと遠のき、薄暗さと静寂だけがその場を支配している。ミッシェルは酸欠でまとまらない思考で、必死に打開策を練っていた。

 

 目の前にいるのは、力士型のテラフォーマー。ブラシ状に変化した足に、特徴的な丸い翅。おそらくは、ゲンゴロウのバグズ手術を受けた個体なのだろう。この個体だけならば、対処法はある。

 

 

 

 いや――対処法は“あった”と言った方が正しいだろうか。

 

 

 

 彼女は、頭の片隅で理解していた。自分の置かれたこの状況は完全に『詰み』であると。

 

 起死回生の一手は潰された。彼女の打開策から逃れたゲンゴロウ型は離れた位置に陣取り、高みの見物を決め込んでいる。

 

 彼女が窒息で苦しむさまを見て、楽しんでいる? ――否、そうではない。彼は観察しているのだ。これから目の前の人間が肉塊へと変わり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を。

 

 

 

 先の言葉を繰り返そう、対処法はあった――水中にいたのが、()()()()()()()()()

 

 

 

 ブチリ、と右腕に鈍い感触。痛みはなかったが、水中に立ち昇った赤い筋を見て、自分の腕が傷つけられたことをミッシェルは悟る。

 

 次いで下半身――女性のデリケートゾーンをまさぐる様な感覚。()()()()()()()()、とミッシェルは気力を振り絞って手を伸ばし、アンダースーツの布地を食い破ろうとしていたそれを握りつぶす。

 

 だが、果たしてそれは意味のある行為なのだろうか? 今の一撃を防いだとして、それはただ恐怖と苦痛を先延ばしにしているだけ。いずれ自分がむごたらしく死ぬという運命は、すでに避けられない距離まで近づいてきていた。

 

 

 

 ――誰か、誰か。

 

 

 

 薄れゆく意識の中、温もりなど欠片もないその空間の中で。ミッシェルは絶望し、それでもなお祈らずにはいられなかった。

 

 

 

 ――誰でもいい、助けてくれ。

 

 

 

 自分の周りを泳ぐ()()()()()()()()()()()、惨めな自分を嘲笑っている様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アダム・ベイリアル特製 “手乗りテラフォーマー”

 

 

 

 

 

 

 

 産地:火星

 

 

 

 

 

 

 

 18cm 20g

 

 

 

 

 

 

 

 個体単価:398円(税込)

 

 

 

 

 

 

 

 MO手術 “魚類型”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ―――――――――――― 泥中の強食者(カンディル) ――――――――――――

 

 

 

 

 




【ARK計画極秘ファイル①】 アーク計画参加者の専用武器について
・アーク計画における全団員には、専用武器の傾向を許可する。
・特に団長(メインアーム)潜入・護衛員(サイドアーム)の等級の者については、最大で3つまで専用武器の携帯を許可する。
・他の規定はアネックス計画のそれに準ずるものとする。なお、技術開発部との打ち合わせの如何によっては、必ずしもテラフォーマーに奪われた際の危険性は考慮しなくてもよいものとする。


【オマケ】

ペギー「↑参考にするなら、キャロルの専用武器ってもう1つあるんだよね?」

キャロル「そうそう。アタシのは、蟻の体内酵素でしか分解できない素材でコーティングされた、特殊なスポーツドリンクの素(粉末)だね」

ペギー「何の役に立つの、それ?」

キャロル「栄養補給剤兼、変態薬の予備だね。ミツツボアリの特性で貯め込んだ水に溶かして使うんだ。それで、肝心の補給方法は………(赤面して黙り込む)」

ペギー「あっ(ミツツボアリの生態を見て)……だ、大丈夫よ! 私も似たような特性だけど、こういうのは慣れれば恥ずかしくないから! ね?」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。