贖罪のゼロ   作:KEROTA

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第31話 ARK PROJECT 箱舟計画

 

 

  アネックス計画のために集められた110人がやるべきことは多い。戦闘員ならば徒手格闘や戦術の学習、非戦闘員ならばウイルス研究を始めとした各自の担当となる役職の研修など、訓練の内容は多岐にわたる。

 

 そんな日々を様々な出会いや経験と共に過ごしていれば、半年の準備期間などあっという間に過ぎ去るものだ。

 

 

 

 時は流れ、西暦2620年3月4日。

 

 

 

 アメリカ合衆国ネバダ州南部より、人類の希望を託された大型有人宇宙艦『アネックス1号』は地球を発った。

 

 

 

 人類の未来を照らす『燈し火』となるべく――彼らは未知なる脅威が蠢く火星を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして――その日から()()()()一週間前。とある施設の広間に、『彼ら』は集められていた。

 

 集められた人間の数、実に89名。その中でも突出して目立っているのは、最前列に並ぶ7人の人間達だろう。

 

 ――フルフェイスヘルメットに拳法服を着た男、シモン・ウルトル。

 

 ――赤いドレスに身を包んだ女性、モニカ・ベックマン。

 

 ――まるで岩を削って作られたような巨体と筋肉を持つ、タンクトップ姿の老人。

 

 ――ポークパイハットを目深に被り、ボロボロのオーバーコートを羽織った青年。

 

 ――ベッドシーツを思わせる簡素な服を纏った、幸薄気な少女。

 

 ――黒皮のジャケットとけばけばしいメイクが特徴的な、坊主頭の人物。

 

 ――フードで全身を覆い隠し、輪郭以外の情報が一切読み取れない人物。

 

 

 普通に過ごしていればまず見かけることはないだろう、特異な装いをした7人が見つめているのは、彼らの眼前に向かい合うように整列している『アーク計画』に直接参加する隊員たち――より厳密にいえば、その中でも『火星実働部隊』に配属された者たちだ。

 列をなして整然と並ぶその様は軍人のそれを彷彿とさせるが、しかしこの場にいる彼らの大半は軍人ではない。

 

 警官、事務員、医者、学校教諭、傭兵、アスリート、犯罪者……職業軍人と思しき人間も見受けられるが、とにかくこの場にいる者たちの職業には統一性がなかった。

 

 否、職業だけではない。性別、国籍、年齢、宗教……人を測るにあたって用いられる一般的な指標ほぼ全てにおいて、この集団の構成員には何ら共通点を見出すことはできない。

 彼らの様子も、気楽そうな者からやる気に満ちている者、緊張している者まで実に様々だ。

 

 

 

 ――この場に集められた『アーク計画火星実働部隊』の構成員たちの共通要素は、ただ2つのみ。

 

 第1に、彼らは1人の例外もなく『MO手術』を受け、45%の門をくぐり抜けているということ。

 

 

 

 そして第2に――この場にいる全員が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。

 

 

 

 元々、彼らも含めた『アーク計画』参加者のほとんどは、団長と呼ばれる上官クラスの人物から末端の技術者に至るまで、クロードとシモンによる選考を経たうえで、彼らが直々に世界中からヘッドハンティングをしてきた者たちだ。

 

 これは未然に各国の工作員や裏切り者の流入を防ぎ、かつ任務達成率を高めるために信頼できる人格の持ち主を選好するための措置だったのだが、この過程で彼らは『ある程度戦闘に長けたベースに適合する人材』かどうかも見極めていた。

 

 こうした経緯もあって、この計画の関係者で『MO手術』を受けた者の多くは、最低でもテラフォーマーを1対1ならば仕留めることができる程度の戦闘力は持っているのだが――その中でも『火星派遣部隊』に選抜された者は、こと戦闘に関して言えば精鋭中の精鋭。

 

 本人の強さか、はたまたベース生物の強度によるものかはさておき、アネックス計画で用いられている『火星環境下におけるゴキブリ制圧能力のランキング』――通称『マーズランキング』にあてはめれば、全員が戦闘員として認識される30位圏内に収まる実力者たちだ。

 

 

 『火星実働部隊』たちは静寂を保ちながら、じっとその瞬間を待っていた。

 

 

 

 

 

 

「さて……よくぞ集った。我が同志、我が同胞(はらから)たちよ。ククク……我に従属せし72柱の魔神どもも、歓喜に打ち震えておるわ」

 

 

 

 それを破って朗々と声を響かせたのは、ポークパイハットの男だった。

 

 

 

 彼はカツカツと靴音を鳴らしながら数歩前に歩み出ると、自らに視線を向けた82人を一瞥した。

 

「同志諸君、我は諸君らに問おう。百戦錬磨の勇者たちよ、一騎当千の英雄たちよ――諸君を凶星へと駆り立てる物とは、何ぞや?」

 

 ――答える者はいない。

 

 男も口に出しての回答は求めてはいないのだろう。その顔に意味ありげな笑みを浮かべると、彼は歌うように続けた。

 

「永遠の愛を囁いた恋人か? 破れることなき友情を誓った友人か? 曲げることのできぬ矜持か? 何であろうとも大いに結構。

 戦いの理由に貴賎なく、それが神愛より出る献身であろうと、欲望より出る闘争であろうと、我らが求めるはその先にこそ見いだせるものなれば。理由の如何は問わぬ」

 

 ――されど。

 

 男は戒めるように、そう言った。

 

「されど、ゆめ忘れるな。我らが求めるものとは、即ち『誰一人欠くことなき凱旋』である。其は大衆が理想と嗤い、其は民衆が絵空事と嘲るものだ。これを勝ち取ること、まさに茨の道を踏み越えるが如く険しく、寡兵で以て万軍を退けるが如く難きことを知れ」

 

 息を吐き、男はじっと数える。1、2、3……そして己の言葉の意味を、隊員たちが最も強く意識したであろう瞬間に、彼は再び口を開いた。

 

「ならば、何とする? いかにして諸君らは、この命題を成し遂げるか? ――考えるまでもないことだ。諸君らが為すべきことはただ一つ。即ち、()()()()()()()()()

 

 男は眼前の戦士たちを睥睨し、声を張り上げた。徐々に激しさを増す彼の身振り手振りは、まるでオーケストラを指揮する指揮者のようにも、悪魔召喚の儀式をする邪教徒のようにも見える。

 

「同胞たちよ、『アーク』に集いし我が同志たちよ! 諸君らは煌々と燃え盛る大火であり、諸君らは轟轟と押し寄せる濁流である! 蔓延る茨は野焼きの如く焼き払い、迫る徒党は子が蟻の巣に水を流し込むように押し流せ! 

 我ら箱舟(アーク)にして禁断の匣(アーク)! 我ら希望を囲い絶望を撒き散らす、救済と災禍の権化なれば! 凶星の悪魔ごとき、鎧袖一触に蹴散らしてくれよう!」

 

 男はピタリと動きを止めると、ゆっくりと両手を大きく広げた。そしてこの場にいる全員の視線が集まったその瞬間、彼は不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

「生ぬるい『生存競争』しか知らぬ害虫共に、お教えして差し上げろ! 仇敵を殺し尽し、略奪の限りを尽くし、国一つを喰らい尽くしてなお止まらぬ、我ら人間の『戦争』を! 

 奴らの脳髄に刻み込め! 種族郎党この宇宙から消え失せる『絶滅』の恐怖を! マンモスのように、モアのように、絶滅種の目録に『テラフォーマー』の名を書き連ねるのだ! 

 歓喜するがいい、諸君らにはそれを成しうる力がある!」

 

 男の言葉は過激であり苛烈であったが、しかし聞く者の意識を当人すらも気づかぬうちに引き込んでいた。

 

 ――話し手に意識が集中した瞬間に、語り始める。

 

 ――聴衆を一度非難し、その後で褒めたたえる。

 

 ――何度も同じ内容を繰り返す。

 

 ――身振り手振りを大きく行う。

 

 ――抑揚をつけて話す。

 

 演説において大切なのは言葉そのものではなく、むしろそれ以外にある。ポークパイハットの男は職業柄それをよく熟知しており、また使いこなすことにおいて卓越した技量を誇っていた。

 

 既に、場を支配する空気の質は大きく変化していた。この空間を満たす静寂は、始めのうちは『傾聴』のための物であったが、今この場を包む静寂は()()()()()()()

 

 大きくうねる隊員たちの戦意を嗅ぎつけ、男は仕上げとばかりに口を開いた。

 

「聖戦の時は来たれり! 二十年の雌伏は、今ここに終わりを告げる! 今こそ、愛しき者のため、矜持のため、金のため、諸君らが勝ち取りし禁断の力を携え、凶星へと歩みを進める時である! されど、進軍の号令を発するは、我が役目にあらず! 聖戦の火蓋を切る栄誉は、我らが総帥にこそ相応しかろう!」

 

 そういって男は、その場から一歩横へと己の位置をずらした。代わりに、入れ替わるようにして男が今までいた場所に立ったのはシモンだった。ポークパイハットの男は笑みを浮かべると、うやうやしく彼に頭を垂れた。

 

ご命令(オーダー)を、我が主よ。今こそ我ら死兵88名、盟約を果たしましょう。貴公の御言葉を以て我らはこの身を捧げ、凶星へ赴き、悪魔を驕る害虫に真の地獄を知らしめる所存」

 

 男の言葉に、シモンはただ静かに頷いた。そして彼の語り口とは対照的に静かな口調で隊員たちに命じた。

 

「アーク第1団から第7団、並びに特務部隊『イース』特務部隊『ユゴス』、これよりアーク1号への搭乗を開始」

 

 シモンはフルフェイス越しに、眼前の隊員たち1人1人の目を見つめた。彼らの瞳に宿るのは、研ぎ澄まされた戦意。それを認めて多くの言葉は必要なし、と判断した彼は、ただ一言こう告げた。

 

 

 

「――行こう、皆」

 

 

 

 ――悲劇を、覆しに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (カイ)延超(ヤンチャオ)がU-NASA第四支局『中国支部』に到着したのは、不審船打ち上げの一報から30分後のことだった。

 

「どういうことだ!?」

 

 管制室に入るや否や、凱が発した第一声。それを受け、室内にいた職員たちは作業を中断して起立すると、一斉に凱に向かって敬礼する。

 

「なぜ打ち上げを事前に察知できなかった!? 工作員たちは何をしていた!?」

 

 凱が苛立たし気に声を荒げると、職員の内の一人が恐る恐ると言った様子で答えた。

 

「し、しかし凱将軍、我が国がクロード博士の下に派遣した工作員たちは……」

 

「馬鹿者、そんなことは分かっている!」

 

 見当違いな答えを返す職員に、凱は舌打ちをする。

 

 ――不審船の正体は分かっている。おそらくは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう。

 

 中国の上層部は、アネックス計画に参加する主要6か国の中で唯一、クロード達が水面下で何か行動を起こしていることを事前に察知していた。

 

 とはいえそれは、彼を取り巻く経済の動きや、人の流れから割り出しただけの、証拠らしい証拠は何もない推測に過ぎず。だからこそ彼らは、疑念を確信に返るため早い段階で、彼の下へと多数の工作員を送り込んだのだが……その結果は散々なものだった。

 

 ほとんどの工作員は彼に取り入ることすらできずに門前払いをされ、辛うじて潜入が叶った工作員たちも、満足な情報を持ち帰ることはできなかった。

 放逐されたり社会的に殺されたりするのはまだいい方で、音信不通になったり、不審死を遂げたり、ひどいものではクロードの側へと寝返ってこちらの情報を漏らす者まで出始める始末。

 

 多くの費用と人材をつぎ込み、断片的な情報に仮定や推測を重ねて得られたのは、『どうやら、クロードが独自に救助艦を用意しているらしい』という憶測のみ。

 軍部の威信を傷つけるこの件には凱も随分と苦い思いをしたものだが、しかし今彼が問題にしているのはそこではない。

 

「私が言っているのは、各地の打ち上げ場に派遣した者たちのことだ!」

 

 ――中国の対策に、抜かりはなかったはずなのだ。

 

『救助艦』を手配していることしかわからなかったが、逆に言えばそれだけは分かった。ならば、()()()()()()()()()()()()()()()というのが、軍部の出した結論。

 

 それを実行するために彼らが取った対策は、世界中に存在する()()()()()()()打ち上げ場に工作員を忍び込ませ、更には衛星なども用いて監視の目を光らせることだった。早い話が、人海戦術である。

 

 内容こそ単純だが、しかしだからこそ有効で防ぎようがない作戦。以下に天才とはいえ、たかが個人の立てた計画。世界の覇権を握る中国が後れをとることは決してあり得ない――はずだった。

 

「……なぜだ、なぜ気づけなかった? ワシントンにモスクワ、日本の種子島に至るまで、監視の体制は万全だったはずだ」

 

 一通り怒鳴り散らし、少しばかり冷静さを取り戻した凱は考える。中国の工作員たちの錬度は、決して低いものではない。しかも監視の対象は不審船、仮に工作が失敗したとして、情報すら入らないというのは妙だ

 

 ――どこだ? 奴らはどこから、救助艦を打ち上げた?

 

 胸中で呟いたその時、奇しくも凱の疑問に答える形で、モニターと格闘していた職員が顔を上げた。

 

「凱将軍! 救助艦を打ち上げた場所が判明しました!」

 

「ッ! 今すぐ報告しろ!」

 

 意識を浮上させた凱が聞くと、その職員は生唾を飲んでから、モニターに表示されたデータの解析結果を読み上げた。

 

「南緯77度31分、東経167度09分――打ち上げ場所は、()()()()()()!」

 

「何だと!?」

 

 ギョッとしたように眼を見開く凱。そこに追い打ちをかけるように、別の職員が声を上げた。

 

「衛星画像の解析結果が出ました! 打ち上げ場は()()()()()()()()()()! 打ち上げの数分前に、地下から地上へと施設が浮上しています!」

 

我操(クソ)ッ、そういうことか……!」

 

 合点が言ったとばかりに、凱は歯噛みする。

 

 実に単純な話だった。なるほど、こちらが把握していない打ち上げ場からなら、いくらでも不審船など打ち上げることができるだろう。地下に打ち上げ場を作れば、確かに衛星の目も欺ける。

 

 衛星画像で確認する限り、打ち上げ場の付近には世界でも最南端の活火山である『エレバス山』が存在している。地熱発電の設備を整えれば、南極大陸に巨大な打ち上げ場を作ることは可能だ。

 

「……()()()()()

 

 凱は呟くと、ぎろりと衛星画像を睨みつけた。そこに映し出されているのは、アネックス1号とほぼ同サイズの大型宇宙艦。ただしアネックス1号と違っているのは、外装部に大量の兵装が備え付けてあることだ。

 一目見ただけで、その艦が最先端技術を集めて作られたものであることがよく分かる。

 

 

 

 だからこその、不自然さ。

 

 

 

「南極の基地化に宇宙艦の開発……これだけの開発資金、どうやって集めたんだ?」

 

 

 

 職員の一人が口にしたその言葉は、この場にいる全ての者の心の内を代弁していた。

 

 おそらく、これだけの物を一式揃えるのは、中国でも難しいだろう。途方もない技術と、優れた人員、そして何より莫大な費用が必要だ。だが、それだけの資金を、一科学者がどうやって集めたのだ?

 

 シンと静まり返る管制室。そこへ、扉を開けて1人の男が入ってきた。

 

「遅れてすまないね、不審船の情報はどうなったかな?」

 

「……(バオ)将軍」

 

 のんびりとした声に凱が振り向くと、そこには彼の予想通り、白髪の中年男性が立っていた。その男性――(バオ)宇嵐(ユイラン)は、凱の肩越しにひょいと衛星画像を覗きこんだ。

 

「ウチの『九頭竜』の倍近い数のフレキシブルアームに、日本の東京タワーに備え付けられているのと同じレーザー迎撃システム、こっちはロシアの『ピョートル巨砲』をコンパクトにしたものか……参ったね。これでは我々の作戦を遂行するどころか、下手をすればこちらが全滅させられかねないな」

 

「そのようだな……それで、爆将軍。用件は何だ?」

 

 言葉とは裏腹に、余裕すら伺える爆に、凱は尋ねる。度重なるトラブルに言葉尻に刺々しくなっているが、幸いにして爆はそういったことを気にする男ではなかった。彼は「ああ、そうだった」と思い出したように呟くと、右手に持っていた書類の束を凱に手渡した。

 

「彼らの資金の出所が分かったよ。どうやら、してやられたようだね」

 

「? どういう――」

 

 凱は続けようとして、しかし書類に書き連ねられた文字列を見た瞬間に閉口する。

 

「我々は、クロード・ヴァレンシュタインと他の5か国に気をとられすぎたんだ」

 

 爆のその言葉は、既に凱の耳には入っていなかった。

 

 

 

 ――確かに蹴落としたはずだ。

 

 

 

 胸中に渦巻くのは、混乱と怒り。握りしめた書類がぐしゃりと折れ歪んだことにも気づかず、凱は歯ぎしりした。

 

 

 

 ――なぜ、なぜこいつらの名前が出てくる!?

 

 

 

 そこに書かれていたのは、中国の妨害工作によって完全にアネックスから遠ざけられていたはずの者たち。同時に、もはや歯牙にかけるまでもないと、自分も含めた多くの人間が気にも留めていなかった者たちだった。

 

「追い払うだけじゃなく、無理をしてでも潰しておくべきだったね」

 

 怒りに我を失いかけている凱と対照的に、爆は冷静な口調で言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に我々が注意を向けるべきは――()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついさっき、クロード博士から連絡が入った。『アーク計画』は無事に第一段階を終えたとのことだ。協力、心から感謝する」

 

 中国支局で凱が怒りのままに報告書を破り捨てた、その頃。

 

 第502代日本国内閣総理大臣『蛭間一郎』は、執務机の上に置かれたパソコンのモニター画面に向かって語り掛けていた

 

「おいおい、一国の総理が俺達みたいなのに頭下げるなっての」

 

「そうだよ。私達はイチローに言われたからやったわけじゃなくて、私達の意志で決めたんだからさ」

 

 そんな一郎に、画面の向こう側から次々と言葉が返ってくる。それは、一国の首相に対して使う言葉とは思えない程、フランクなもの。しかし一郎はそれに対して怒る様な素振りは少しも見せず、それどころかその表情を微かに緩めると、画面に映る6人の人物たちを見つめ返した。

 

「それでもだ。『アーク計画』の第一段階を無事に終えることができたのは、お前たちが資金を手配してくれたからこそだ。一国の首相としても、1人の人間としても、礼を言わせてほしい」

 

 そう言って一郎は、モニターに向かって深々と頭を下げた。

 

 

 

「ジョーン、マリア、フワン、ジャイナ、テジャス、ウッド……本当に、ありがとう!」

 

 彼のその言葉に、画面の向こうに座る旧バグズ2号の乗組員たち――かつての戦友たちは、どこか照れくさそうな表情を浮かべた。

 

 

 

 

 ――旧バグズ2号の乗組員たちの中で唯一、一郎はクロードとシモンから事前に『アーク計画』の概要を知らされていた。

 

『アーク計画』――仰々しい名に反して内容はシンプルなもので、『クロード直轄の救助艦を極秘裏に手配し、大量の戦闘員と共にそれを火星へ送り込む』というもの。

 

 燈の件を始めとして、アネックスの搭乗員たちの安全確保を第一に動いていた日本にとって、その計画の内容はまさに渡りに船。

 そのため一郎は密かに『アーク計画』への支援も行っていたのだが、他国に計画の存在を秘匿しなければならない都合上、どうしてもその内容には制限をかけざるを得なかった。

 

 特に深刻だったのが、資金の不足だ。一時は救助艦の開発に支障が出るほどに追い詰められた『アーク計画』。それに頭を悩ませる一郎に手を差し伸べたのは、地球に帰還してから様々な組織のトップまで上り詰めた、バグズ2号の仲間たちだった。

 

 

 

 ――中国大手の企業グループ『楼華社』社長、陽虎丸。

 

 

 

 ――オーストラリア最大の面積を誇る『ウェルソーク牧場』経営者、ジョーン・ウェルソーク。

 

 

 

 ――インド有数の巨大IT企業『株式会社Techno』会長、テジャス・ヴィジ。

 

 

 

 ――ロシアの輸出入を支える一流貿易会社『ビレン・トレーディング』社長、マリア・ビレン

 

 

 

 ――カザフスタンを代表する鉱業会社『シャイン』社長、ジャイナ・エイゼンシュテイン。

 

 

 

 そして――南アフリカ共和国第532代大統領、ヴィクトリア・ウッド。

 

 

 

 

 

 ――詳細は明かせない、何をするかも教えられない。

 

 

 

 クロードとシモンから告げられたその言葉を彼らは笑い飛ばし、二つ返事で支援を了承した。

 

 ――自分達は火星で助けられた。ならば今度は、自分達が助ける番だ。

 

 そう言って彼らは、一切の躊躇うことなく多額の資金を計画へと投資したのだ。

 

 彼らの助けを得て編み上げられた希望の舟は、本来なら取りこぼしてしまったかもしれない者たちをも救うだろう。それを思えば、一郎は彼らに礼を言わずにはいられなかった。

 

「ったく、相変わらず律儀な奴だなー、イチロー君は! 二十年前の卑屈だった頃が嘘みたいだ」

 

 そんな彼を見て、ウッドは照れ隠し気味にからからと笑い声を上げた。その顔には若干のしわが刻まれており、彼女が一国の首相に上り詰めるまでの苦労を雄弁に物語っている。

 

「ま、冗談はさておいて……2人には、内戦を終わらせるときに作った借りもあるしな。それを返すには絶好の機会だったってわけさ。ウチの周りの国も、あいつらのためならって喜んで出資してくれたよ」

 

「私も採掘のための技術とか装置とかでお世話になったし……これで少しでも力になれてるといいな」

 

 ニンマリと笑みを浮かべて見せるウッドに追随して、ジャイナが頷く。

 

「それにしても、まさかこんなに大規模な計画だったとはなぁ……」

 

「さすがに、アネックス規模の宇宙艦を打ち上げるとは思わなかったよね」

 

 テジャスとジャイナが苦笑交じりに言う。

 

「欲を言えば、俺達も同行できればよかったんですけどね」

 

「ハハ、その分搾り取られちまったから、おあいこだな。これで失敗したら承知しねーぞ、イヴ!」

 

 少しばかり残念そうなフワンの隣で、ジョーンが冗談めかして笑う。

 

 

 

 

「大丈夫だ。あいつなら、絶対にやり遂げる。お前たちの想い、お前たちの覚悟――あいつはそれを、一欠片だって無駄にはしない」

 

 顔を上げた一郎が、確信に満ちた声で言った。

 

「だから、俺達はそれを見届けよう。これからイヴが為すこと、これからイヴがやり遂げること――そして、その先の結末を。それが、あいつに力を貸した俺達の義務だ」

 

 一郎の口から重々しく告げられたその言葉に、6人は静かに頷いた。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

 ――隊員82名。

 

 ――団長6名。

 

 ――艦長シモン・ウルトル。

 

 

 西暦2620年2月25日 現地時刻17時00分。

 

 バグズ2号が地球を発ってから21年と7日が経ったその日、大型有人()()宇宙艦『アーク1号』は地球を発った。

 

 彼らはアネックスと似て、しかし非なる軍勢。アネックス計画が人類の未来を照らし出す『燈し火』ならば、アーク計画は立ちはだかる者を焼き尽くし、道なき道を切り開く『業火』だ。

 

 

 

 彼らに与えられた任務は、ただ2つ。

 

 

 

 Mission1、アネックス1号の任務遂行を補助し、そして110名の乗組員を()()()()()()()全員を生かして連れ帰ること。

 

 

 

 そしてMission2――アネックス計画の任務遂行の障害をいかなる手段を用いても排除し、可能であればこれを殲滅すること。

 

 

 

 2つの使命を与えられた89人の戦士たちを乗せ、もう一つの希望は凶星を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――箱舟(アーク)計画、始動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 錆び付いた運命の歯車が今、再び回り出した。

 

 

 

 

 




【オマケ】

シモン「ちなみにこのアーク1号、奥の手として巨大ロボに変型することができるよ!」

男性陣「おおおおおお!!」ガタッ!

モニカ「座ってなさい、そんな機能ないから……ないわよね博士?」

クロード「……」ニコッ

モニカ「ちょっと?」



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