『こちら『ゴルゴン』、こちら『ゴルゴン』。定時報告の時間だが……その前に、新人を紹介しよう。
『あー、あー、聞こえてるか? 第1班の担当になった『ゴールドアックス』だ。よろしく頼むぜ……って、こんなもんでいいのか?』
『そうそう、良い感じだよ! 一応改めて、第2班担当の『シンデレラ』だよ。よろしくねー』
『どーも、新人さん。第3班担当の『ノースウィンド』だ。機械とエロならそれなりに語れるんで、手持ち無沙汰な時には通信入れてくれや』
『むにゃむにゃ……はっ! ……第4班担当、『マーメイド』。食べることと寝ることが好き。よろしく……すぴー』
『第6班担当『ラプンツェル』、よろしくお願いしますね『ゴールドアックス』。どうぞ私のことは気軽にクールビューティと、 ク ー ル ビ ュ ー テ ィ と 呼んでください』
『なんつーか……どいつもこいつもぶっ飛んでな。本当に、こんなんで任務達成できんのか?』
『ああ、懸念はもっともだが……その点は安心してほしい。これでも全員がお前と同じ
『ああ、よろしく頼むぜ。何だ、まともな奴もいるじゃ――』
『――ところで『ゴールドアックス』。写真で確認させてもらったが、君は随分イイ体をしているようだな。フゥー……もしよかったら、今度俺とホテルに泊まらないか? 心配するな、初めては優しくするさ……優しく、な』
『ん? ……んん!!?!?!?』
『あー、久しぶりに出ましたねぇ『ゴルゴン』の悪癖が。とりあえず個人の趣味に口出すつもりはねーんですが、せめてワンクッション置きません? いきなり同性に口説かれると心臓に悪いんですよ』
『気にするな、俺は一向に構わん――むしろお前もどうだ、『ノースウィンド』? 三人で熱い夜を過ごそう』
『俺は女好きだって言ってるでしょこのヤロー!? あんたのお誘いは直球な上に悪意がないから断りにくいんだよ! 断るけど! あと、いきなり上司に口説かれる新人の身にもなってやれ! ほら、女性陣からも何とか言ってやってくれ!』
『ZZZ』
『『ゴルゴン』×『ゴールドアックス』……い、意外とあり、かも?』
『い、いきなりホテル!? な、なんて破廉恥な……いえ、いえ! クールに、クールになるのです私……! と、とりあえず! く、口説き文句がクールじゃありませんねぇ、『ゴルゴン』! もっと詩的でクーーーールに口説かなくては、なびくものもなびきませんよ?』
『
『テンション高ぇな。おい……で、定時報告ってのはやんなくていいのか?』
『……いけない、忘れるところだった』
『てへぺろ』
『おっと、クールに失念してましたね』
『定時報告? ……ああ、すまん。『ゴールドアックス』があまりにイイ男でつい脱線してしまった。各員、報告を開始してくれ』
『なんで新人に舵取りさせてんですかね、こいつらは? まぁいい、あんま長引くと怪しまれるし、サッサと済ませましょ。ロシアは異常なし。破壊工作については、ひとまず他のクルーに危害を加える様子はないんで、まぁほったらかしていいんじゃないですかね』
『第1班は今のところ異常はねえ。班員同士の中も良好だぞ』
『中国は相変わらずアウト……この間、
『うーん、そんな周りの被害がすごそうな花火大会行きたくないなぁ……第2班は異常なしだよ』
『第6班も特にこれと言って……ふむ、やはり国によって差があるようですね』
『
『よーし、今日もはりきっていこー!』
『よーし、今日もはりきって二度寝しよう……』
『お疲れ様でした。今日もクールに参りましょう。あ、それと『ゴルゴン』――い、いきなりホテルに誘うのは、その、さすがにどうかと……い、いえ! 何でもありません! 失礼します!』
『あ゛ぁ、疲れた……景気づけにウォッカでも飲んどくか……』
『……あん? ちょっと待て。さらっと流しかけたが、2か国くらい裏切ってないか? おい、おォい!?』
――――――――――――――――――――
――――――――――
「ったく、本当にコイツらは……」
――U-NASAのロシア支局、その内部のある一室にて。
バッジに偽装した小型通信機の電源を切ると、その人物はぐったりとベッドに倒れ込んだ。
くすんだ金髪の天然パーマと眠たげな三白眼が特徴的な、やや細身の青年である。平時から仲間内では気だるげと称される彼だが、今の彼は脱力感10倍増しである。
「『シンデレラ』は腐ってる疑惑アリ、『マーメイド』はマイペース、『ゴルゴン』はイイ男とみりゃ見境ねーし、『ラプンツェル』はクールビューティ(笑)。こいつらにアネックスの命綱を任せるとか、控えめに言って頭おかしいんじゃねーですかね本部」
自分のことを完全に棚の上にあげ、青年はぼやきながら冷蔵庫からウォッカの瓶を取り出した。キャップを外して中身を一気に飲み下すと、青年は袖で口元を乱暴に拭った。
「ま、四の五の考えててもしゃーないか……とりあえず、行きますかね」
支給品のスーツを羽織り、くしゃくしゃと髪を整える。それから青年は、先程までの眠たげな表情を一転、活き活きしたそれへと変えると、颯爽とドアを開けた。
「いざ――
※※※
「で……その結果がこれか、ニコライ?」
――ロシア支局のミーティングルーム内。
必死で笑いをこらえながら、アレキサンダーは第3班のメンバーを代表して、体育座りでさめざめと涙を流してる青年に声をかけた。そこに意気揚々と部屋を飛び出した彼の面影は微塵もなく、代わりに纏っているのはどんよりと濁った空気であった。
「お前はほんとーに……」
「人の不幸を笑うんじゃねーですよ、ハゲリア充」
今にも笑いそうなアレキサンダーが気に入らなかったのか、くすんだ金髪の青年――ニコライ・ヴィノグラートは顔を上げて彼を睨みつけた。じっとりとした視線を向けられたアレキサンダーは「つってもなぁ」と漏らしつつ、スキンヘッドを掻いた。
「毎度毎度、こうも滑稽な珍事件を引き起こされると、こっちとしても……ブフッ!?」
「るせー! それもこれも全部イワンのせいだバーカ! てめぇ、よくもガセネタ掴ませやがったなこの野郎!?」
そう叫ぶと同時、ニコライの表情が悲嘆から憤怒のそれへと切り替わる。そのまま彼は勢いよく立ち上がるや否や、アレキサンダーの隣に立っていた若手隊員――イワンに詰め寄り、その襟首を掴んで引き寄せた。
いきなり胸ぐらを掴みあげられたイワンだが、しかしその顔に焦りの色はない。慣れているのか、イワンはどこか呆れた様な声で反論する。
「いやいや、ニコライ先輩。『エレナ姐さんの裸覗きたいんだけど、どのシャワー室に入ってる?』って聞かれて、正直に答える奴なんていませんって」
彼の言葉に、周囲で様子を窺う男性隊員たちも一斉に首を縦に振った。
なぜ覗きをこれからしようとしている者に、わざわざターゲットの情報を親切に教えねばならないのか。しかも身内である。正直に答える者がいるとすれば、それは気狂いか余程家族仲が悪い者だけだろう。
つまるところ、ニコライの怒りは完全なる八つ当たりである。
「だ・か・ら・っ・て・なぁ!」
しかしニコライはその弁明に一切耳を貸さない。彼は鬼の如き形相で、イワンに向かって怒鳴った。
「わざわざアシモフ隊長が入ってるシャワー室を教える奴があるか!? 目が潰れるかと思ったわ!!」
――シルヴェスター・アシモフ。
身長190cm、体重136kg、年齢51歳。
歴戦の兵士たる貫禄を纏った第3班の班長にして、熊を思わせる巨体を持った巨漢である。
――もう一度言おう、 巨 漢 で あ る 。
「ぶッ、ハハハハハ! も、もう無理だっ! こんなん笑うに決まってんだろ!」
「やめろニコライ……ぷほッ! こ、これ以上俺の腹筋を割るんじゃねえ……!」
巨乳美女かと思った? 残念、ロシアマッチョ(おやじ)でした!
そこに楽園があると無邪気に信じ、嬉々として覗きこんだ先に広がっていたのは地獄絵図。それを目にした時のニコライの反応は想像に容易く、班員たちは爆笑を禁じえない。
「お前、これで覗き失敗すんの何回目だハハハハハ!? いい加減懲りろブハハハハ!」
「笑い過ぎなんですよおめーら!? 少しは同情してくれてもいいんじゃないですかねえ!? くっそ、見てろよ! 次こそは成功させてやるからな!?」
普段は気だるげな眼を見開いて必死な姿がまた、笑いを誘う。百戦錬磨の軍人で構成された第3班だが、集まっている男性隊員の大半は、腹痛で戦闘不能状態だった。
「あぁ、笑った笑った……とりあえずイワン、よくやった」
隊員の一人、アーロンがサムズアップしながらイワンの背を叩く。一方、なぜ褒められたのかが今ひとつわからない、と言った様子で。当人はキョトンと首をかしげた。
「いや、よくやったも何も……アーロン先輩だって、ニーナ先輩で同じシチュエーションになったら、俺とおんなじことするでしょ?」
「当たり前だ」
自分の妻を引き合いに出され、間髪入れずにアーロンが返す。アレキサンダーもまた、ここにはいない自分の妻に置き換えて同じことを考えたのか、同意するように頷いている。
「というかニコライ先輩。覗き未遂するの、これで何回目ですか?」
思わず尋ねたイワンに、ニコライは不機嫌そうに答えた。
「そんなん、両手の指の数を超えたあたりから数えてませんよ。クソッ! 今に見てろよおめーら、必ず成功させてぎゃふんと言わせてやっからな……!」
「あんたには懲りるって概念がないんすか?」
思わずタメ口混じりでツッコミを入れるイワンだが、それも頷ける。なぜならこのニコライ・ヴィノグラート、やたらと覗きを試みるくせに、一度としてそれを成功させたことがないのである。その回数、今回を覗いて実に39犯中39未遂である。
ある時は自爆、またある時はびっくりするほどの悪運のなさ。
毎度毎度、コメディ映画かという程に滑稽な形で覗きをしくじる彼の姿は、ある意味ロシア支局の名物と言っても過言ではない。
そして今回、記念すべき40回の覗きにおいて、彼は目潰し爆弾級のしっぺ返しを食らったのである。
「もう大人しくしときましょうよ。どうせ成功しないんだし、もう覗きはやめてください。特に姉ちゃんのは」
「ああ、当たり前だがニーナも覗くなよ? もしもやりやがったら……朝日は拝めないと思え」
「おい待てふざけんな!? その2人を禁止されたら、俺は誰の裸を見りゃいいんですか!?」
「やめるっていう発想がないあたりがニコライだよな」
逆切れするニコライに、班員のセルゲイが一周回って逆に感嘆の声を上げた。なぜの情熱を、もう少し任務や訓練へと向けられないのか、という疑問を抱きながら。
その横で、ふと思いついたようにアレキサンダーが口を開いた。
「そういやお前、覗き覗き言ってる割に、アナスタシアを覗こうとはしないんだな?」
突然引き合いに出された女性隊員の名前。
それを聞いた途端、ニコライの表情が固まった。しかし、それも一瞬のこと、彼はすぐにその顔を元の表情へと戻すと、ひょうひょうと答えた。
「そりゃ、あいつは幼馴染ですからね。裸なんぞ、ガキの頃に見飽きてるんですよ。それにどーせ覗くなら、やっぱ人妻とか他人の姉の方がそそるでしょ?」
「先輩、完全に犯罪者の台詞ですよそれ」
「マジでいっぺんシメるぞ、お前」
ドン引きのイワンと青筋を立てたアーロンがツッコミを入れる。しかしアレキサンダーだけは何かを察したらしく、露骨にその口元はにやけている。ニコライはそれを目ざとく見つけると、むっとした表情を浮かべた。
「……先に言っておきますがね、アレキサンダー。俺はナスチャの奴に、あんたが考えてるような感情はこれっぽっちだって持ってねーからな?」
「ほーん?」
ニコライが釘を刺すが、アレキサンダーは表情を緩めたままだ。それが癪に障ったのか、彼の額に青筋が一本浮き上がった。
「ほーんじゃねえんだよ、ほーんじゃ。大体、あんな年齢詐称娘の裸見て、何の得になるっていうんです? しかもペチャパイだし」
「ふーん……? 誰がペチャパイ年齢詐称娘だって、ニコライ?」
「そりゃあんたのことですよ、ナスチャ。さすがにそれで18歳Cカップはねー……よ……?」
――そこでニコライは初めて、いつの間にか自分の背後に1人の人物が立っていることに気が付いた。
ギギギ、と音を鳴らしながら振り向いてみれば、そこに立っていたのは件の女性隊員、アナスタシア。人形のようなその顔には、とっても素敵な笑顔を浮かべている。
「やべっ」
逃げ出そうとするニコライだが、アナスタシアの両手が彼の頭を捕らえる方が早かった。女性かつとはいえ、さすがに軍人。手に込められた力は並の男性を凌ぎ、ギリギリと彼の頭骨を締め付けた。
「いだだだだだだ!? やめろナスチャ!? ギブ! ギブ!」
「撤回しなさい、今すぐ。私は18で、バストはCカップよ」
「ぐぁっ……認め、ねぇ……! 俺の性欲に妥協はない……! お前は29歳で、Bカップ……! 全然――全然、お前なんかに、俺の食指は動きませんよ……!?」
「……死ね」
「おぎゃああああああああああああ!?」
直後、ニコライは頭から不吉な音を響かせ、その場に崩れ落ちた。アナスタシアは痙攣する彼を冷徹に一瞥すると、何事もなかったかのように席へ着いた。
それを見たアレキサンダーはやれやれとばかりに首を振ると、隣にいるイワンに囁く。
「覚えとけ、イワン。好きな女子に意地悪したくなる男子の心理ってのは、こじらせすぎるとこうなる」
「ああ、この人そう言う……天邪鬼も大概っすね」
イワンが憐憫の視線をニコライに向けたその時、機械音と共にミーティングルームの扉が開いた。
「おう、待たせたなお前ら……って、何でコイツはわざわざ床で寝てるんだ?」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、件のロシア班の班長であるアシモフ。ヒグマを思わせる彼の背後から、イワンの姉であるエレナを始め、この場にいなかった他の隊員たちが続く。
「必要かつ最低限の処分を下しただけです」
「……こいつ、またやらかしやがったな?」
アナスタシアの素っ気ない答えで全てを理解したアシモフがため息を吐く。
「で、今度はどっちだ? エレナか? ニーナか?」
アシモフの疑問に答える者はいない。事情を知る者は、その言葉でまた思い出し笑いを始めたためだ。
「そ、それより隊長! ニコライ先輩の覗き癖、なんとかならないんですか?」
――まさか「被害者は隊長、あなたです」と言う訳にはいかない。
ただ1人まともに受け答えが可能なイワンは、露骨に話題をそらしながらアシモフを見やった。
「なんぼなんでも、犯罪行為をそのまま放置するのってどーかと思うんすけど」
「ああ、心配すんな。そいつ、そもそも覗く気ねぇから」
アシモフがさらりと言いはなったその答えを聞いて、隊員たちはまず己の耳を疑う。次いで、その顔に思い思いの『驚愕』を浮かべて見せた。
目をはち切れそうなほどに見開くエレナ、息の合った様子で「はい?」と漏らすアーロン・ニーナ夫妻。
セルゲイは痙攣するニコライを二度見し、イワンは顎が外れそうな程口を開き、眼鏡をかけていた男性隊員は衝撃のあまりレンズが吹き飛んだ。
「何だ、お前ら気づいてなかったのか?」
アレキサンダーはそう言うと、クツクツと楽し気な笑い声を上げた。
「考えてもみろ、こいつはアナスタシアと並ぶウチのエンジニアだぞ? こいつが本気を出せば、隠しカメラでもなんでも用意できるだろうよ」
確かに、と納得する一同。更に、と続けながら、アレキサンダーはセルゲイに抱き起されているニコライを指さした。
「いくらなんでもミスりすぎだろ。今回だって、「これから覗きますよ」ってわざわざイワンに声かけた。戦闘時のこいつの役割思い出してみろ、ベースの迷彩能力使った奇襲要員だぞ? フツーに考えて、わざとだって考える方が自然だ」
「な、なるほど……」
言われてみれば、ニコライに嘘の情報を伝えてから彼が覗きを実行し、もだえ苦しむまでには若干のタイムラグがあったように感じる。今になって思えば、イワンの情報が本当かどうかを確認していたのだろう。
つまり、今までの失敗は全て計算で、しかもその影には本当に覗いてしまわないように大分気を遣っていた、と。
「な、何て無駄のない無駄な努力……」
ごくりと生唾を飲み込むイワンに、アレキサンダーは呵々と笑う。
「ジャパンじゃ体を張って視聴者笑わせるコメディアンがいるらしいが、さしずめ本人もそれを気取って、俺らを笑わせようとしてるんじゃないか? こいつ、妙に気を利かせすぎるとこあるからな……どうよ、アナスタシア? 経験に基づく、俺のプロファイルは?」
「……さあ?」
いかにも興味なさげに返したアナスタシアに、アレキサンダーは肩をすくめて見せる。そんな彼らのやりとりを笑いながら見ていたアシモフは、「まぁ」と切り出しながら、未だに気を失っているニコライへと歩み寄った。
「本当にやらかすような奴なら、とっくの昔に俺が足腰立たなくなるまで殴って叩きだしてるさ……ほれ、そろそろ起きろバカタレ」
言いながら、アシモフはニコライの頭に拳骨を落とした。「いってえ!?」という叫びと共に飛び起きたニコライを見て頷くと、アシモフは声を張り上げた。
「ようし、全員席に着けぇ! ちと遅くなったが、ミーティングを始めるぞ!」
アシモフの号令一下、表情を引き締め直した班員たちが動き始めた――瞬間、ニコライの目の色が変わった。
彼は意識を回復したばかりとは思えない俊敏さで、動き始めたロシア班の班員たちの合間を縫ってちょろちょろと動き周り、事前に準備しておいたものを用意し始めた。
「とりあえずお前ら、差し入れにピロシキ買ってきたんで、1個ずつ持ってってください。隊長お墨付きの店のやつだ、味は保証するぜ」
「ほれ隊長、お飲み物……は? ウォッカ? 真面目な会議中に酒飲むんじゃねーぞ軍神。次から、始まる前に飲んで来てください……あーもう、そんな顔すんなっての! 終わったらスピリタスあげるんで、それまで我慢してください!」
「おっとセルゲイ、今回のミーティングの資料、人数分刷ってきたんで回しといてくれや。あ、5ページの3行目と8ページの12行目に誤植あるんで、各自修正頼みます」
先程までとはまるで別人のように、ニコライはてきぱきと作業を進めていく。そんな彼の様子を見ながら、アナスタシアは呆れたようにため息を吐いた。
「余計なことしなきゃ、気遣いのできるいい同僚なのにね……なんでわざわざ、自分で評価を下げにいくの、あんたは」
「あいにく、俺はエロと機械に関しちゃ嘘はつかないって決めてるもんで。お、そうだった――」
とげとげしいアナスタシアの言葉を軽く受け流してから、ニコライは用意していた手提げ袋に手を入れる。その中から何かを取り出すと、彼はそれをアナスタシアの前に差し出した。
「ほれ、ナスチャ。お前、前回のミーティングの時に足元寒そうにしてたよな? これ、やるよ」
彼の手に握られていたのは、1枚の毛布。見た目は無地の味気ないものだが、手に取ると保温性に優れたものであることがよく分かる。支給品ではない、恐らくニコライが自分のために買ってきてくれたものだろう。
「……ありがと」
「どーいたしまして。お礼は最新式のパソコンでいいぜ?」
「調子に乗るな」
ポカリ、と頭を叩かれたニコライは、ペロッと舌を出してから、忙しなく自分の席に向かって駆けていく。その背中を見ながら、アナスタシアはもう一度深くため息を吐く。
――ホント、黙ってればそれなりにいい男なのに。
「ほい、お待たせしましたっと。いつでも始められるぜ、隊長」
彼女の内心など知る由もなく、所定の席についたニコライが言った。記録をとるためのノートを開き、彼が準備を整えたのを確認してから、アシモフは鷹揚に頷いて見せる。
「よし、では今から会議を開始する。そうだな、色々と言わなきゃならんことはあるんだが――まず真っ先に言うべきはこれだろうな」
そう言って、アシモフはその表情を引き締めた。
「今現在、地球上で確認されている
――――――――――――――――――――
――――――――――
「……
――ロシアでミーティングが始まったその頃。
奇しくも同じ時刻、同じタイミングで。U-NASAドイツ支局でも同じ議題が展開されていた。
日課である戦闘訓練が終わった直後の男性更衣室で、班員の一人であるエンリケはチラリと、隣の男に視線を向けた。
「それって、例のウイルスの名前だよな、バズ?」
「ああ、そうだ」
その言葉に、『バズ』と呼ばれた男――本名、バスティアン・フリーダーは頷いて見せた。
坊主頭と、身長200cmにも届こうかという長身が特徴的な男だ。その肉体はまるでギリシア彫刻を思わせる美しい筋肉で覆われ、圧倒的な存在感を放つとともに、見る者の目を釘付けにする。
「俺達が火星に行く最大の理由だな。」
普段着であるトレーナーに袖を通しながらバスティアンは言うと、手にした水筒に口をつけた。
テレビCMのように音を立てながら中身を喉へと流し込む彼に、「でもさ」と別の班員ジョハンが疑問の声を呈した。
「そのウイルスに対するワクチンは、試作とは言えU-NASAの科学者の人たちが、一応完成させたんだろ? なら、俺達が火星に行く理由ってもうなくなったんじゃないか?」
「それは……いや。これも、ミーティングの時に話そうか」
その返答に若干不満げな表情を浮かべるエンリケとジョハン。バスティアンは彼らに「もったいぶるようですまんな」と苦笑いを浮かべた。
「女性陣もひっくるめて話した方が手っ取り早いし、これは立ち話で話せるような内容じゃないんだ。もう少しだけ待ってくれ。それより――」
そこで一度言葉を切ると、バスティアンは手中の水筒をエンリケへと手渡した。
「お前ら、トレーニング後の水分補給はちゃんとしておけよ? この大事な時期に脱水症状はシャレにならんからな」
「お、サンキュー……ってうまいなコレ!?」
中の飲料を一口飲んだエンリケが驚きの声を上げる。その声につられて集まり始めた第5班の同僚たちに向け、バスティアンが少しばかり得意げに開設する。
「蜂蜜とレモンをベースに、生姜をブレンドしたドリンクだ。疲労の回復とエネルギー補給、それに代謝活発化の効能がある。よかったら飲んでみてくれ」
「すげー……ドイツ空軍の特殊部隊じゃ、こういうのも調合してんのか?」
しきりに飲みたがっているアントニオに水筒を手渡しながら、エンリケが感心したように聞くと、バスティアンは首を横に振った。
「どちらかといえば、それは今のジムトレーナーの仕事に就いてから趣味で始めたんだ。あと、特殊部隊の肩書には『元』って但し書きがつくことを忘れるなよ?」
「ああ、そう言えばそうだったか」
すっかり忘れていた、とばかりのエンリケに、バスティアンは苦笑いを浮かべた。
「暫定のマーズランキングもさほど高くないしな。特殊部隊時代の経験なんて、辛うじて脱出機の操縦に活かせるかどうか……って、今は俺のことより、味の感想を聞かせてくれ。どうだ?」
「いや、滅茶苦茶美味いぞ。なんなら、毎日でも飲みたいくらいだ」
「これあるんなら、俺毎日の訓練もっと頑張れるよ!」
バスティアンが質問すると、班員たちからは次々に肯定的な感想が返ってくる。一通りそれを聞いてから、彼は満足げに頷いた。
「気に入ったなら、明日からは多めに作ってくるか」
その言葉に歓喜する班員たちを見て笑い声を上げると、バスティアンは腰かけていたベンチから立ち上がった。
「さて、それじゃあ俺は先に行ってるからな。ミーティング、遅れるなよ?」
そう言ってバスティアンは更衣室を後にしようと、彼らに背を向け――
「おっと、そうだ」
出入り口付近まで来たところで、背後を振り返った。何事かと顔を向けてくる第5班の班員たちにバスティアンは――その頬を桃色に染め、怪しい笑みを浮かべた。
「――間接キス、だな」
「「「「「……」」」」」
黙り込んだ男性陣をよそに、バスティアンは今度こそ更衣室を後にした。何とも言えない空気が十数秒ほど続いたころ、誰かがポツリと溢した。
「たまにこういう爆弾突っ込んでくるところ以外、本当に頼れる奴なんだけどなぁ……」
その言葉に、男性陣一同は激しく首を縦に振った。
※※※
「さて、今現在地球で流行が危惧されている『A・Eウイルス』――名称はともかく、大方の内容についてはお前たちも知っていると思うが、一応おさらいしておこう」
そう言ってバスティアンは、ミーティングルームに集まった班員たちを一瞥した。
ちなみに、本来ミーティングを進めるのは班長であるアドルフの役目なのだが、彼は現在新人のエヴァと共にアメリカへ渡っており、不在。そのため今回は、アドルフによって副班長を任命されたバスティアンが代理で進行する形式をとっている。
「現在の地球上で猛威を振るっているこのウイルスは、火星由来のものだ。これに感染した場合の致死率は100%。臓器移植って言う物理的な手段以外に有効な治療法は、ワクチン接種しかない。だが、このA・Eウイルスは通常のウイルスと違い培養が難しく――というよりも不可能なため、これまでワクチン制作は難航していた」
そう言ってバスティアンは、プロジェクターが操作すると、スクリーンにA・Eウイルスの写真が映し出された。その形状は記号の『♀』の形に酷似しており、どこか物々しい雰囲気をかもしだしている。
「だが……先日、ついに1人目の完治者が現れた。お前らもテレビやSNSで見たことがあるだろう。日本人女性の『源百合子』だ」
頷く班員たちの前でスライドが切り替わり、百合子の顔がスクリーンに映し出される。バスティアンはアドルフから送られてきた資料を開くと、該当項目を要約して読み上げた。
「クロード博士が作った『試作型ワクチン』と『MO手術』を組み合わせることで、完治に至ったらしい。現在、医療チームがワクチンの量産体制の確立を急いでいる、とのことだ」
「……ん? ちょっと待てよ、バズ」
そこまでバスティアンが話した時、女性班員であり、アドルフと並ぶ第5班の主力であるイザベラが声を上げた。
「アタシらが火星にいかなきゃいけない理由は、『ワクチンを作るためのサンプルが不足してるから』だったよな? そのワクチンが完成したなら、わざわざ火星に行く必要はないんじゃないか?」
「ああ、ついさっきジョハンにも同じことを聞かれた。そしてお前達の言う通りだ、
そう言って、バスティアンは右手の指を二本立てた。
「ワクチンが完成して、それでもなお俺達が火星に行かなきゃいけないは二つある。まぁ、一つ目は簡単でな……ワクチンは、まだ不完全なんだ」
首をかしげる班員たちに、バスティアンは説明を続ける。
「さっきも言った通り、ウイルスが完治したのは今のところこの子だけ。それも『MO手術』を併用してやっと、という程度のものだ。当然、患者全員に施すだけのMOのストックはないし、何より成功率が低すぎる。だから、より完成度を上げるためにも、やはりサンプルの確保が急務なんだ」
また話の本題を切り出すため――バスティアンはプロジェクターに手をかけた。
「そして二つ目の理由だが……皆、これを見てくれ」
切り替えボタンが押されると同時、スクリーンに映し出されたのは、先程のA・Eウイルスによく似たウイルス。ただし、先程のものと違って、その形状は『♂』の記号マークに近い。
「何だこれ?」
イザベラが写真を見て首をひねる。一方、事前にある程度事情を聞いていた男性陣は、顔色をサッと青ざめさせた。そんな彼らの様子を見ながら、バスティアンは重々しく口を開く。
「地球で流行し始めている、
「――はぁ!?」
バスティアンが答えると、イザベラがギョッとしたように眼を見開いた。
「ちょ、ちょっと待て! ってことは、A・Eウイルスは2種類あったってことか!?」
「そうらしいな。ブラックジョークよりも性質の悪い話だが」
バスティアンは顔をしかめながら、2枚の『A・Eウイルス』の画像を表示する。
「試作型のワクチンが完成してるのは、最初に見せた『♀』型の方だけだ。つまり、こっちの『♂』型についてはワクチンが開発されておらず――依然、致死率は100%のままだ」
「で、でもよ……」
そこで男性班員の一人、アントニオがおずおずと口を開いた。
「『♀』型のワクチンは、作れたんだろ? だったら、『♂』型の方だって――」
「ああ、俺もそう思った……
そう言って、バスティアンは左手を強く握りしめた。尋常ではないその様子に思わず息を飲んだ班員たちに、彼は『♂』型のA・Eウイルスのワクチンが作れない理由を述べた。
「――『♂』型のA・Eウイルスは増殖するとき、
――それは、通常ならば考えられない特性。
いかに突然変異のウイルスといえども、ある程度決まった『型』というものは存在する。なぜなら、増殖のための遺伝子情報は一定であるから。
例を挙げよう。普通の犬が、突然変異によって特殊な毛色をした子犬を生むことはあるだろう。遺伝情報の一部に設計ミスがあれば、こう言った事態はしばしば起こり得る。だが何をどうまかり間違ったところで、犬が猿を生むことは絶対にない。
だが――この『♂』型A・Eウイルスは、それをやってのける。
「このウイルスの遺伝子は増殖する際、周囲の遺伝子情報を手当たり次第に取り込んで、己の遺伝子情報を書き換えるんだ。極端な話、条件さえ整えばさっきまで熱病でうなされてた奴が、数分後には性病で苦しんでるってことだってありうる。こんなんじゃ、対処療法すらままならない。完治の可能性があるとすれば、やはりワクチンくらいなものなんだが――」
――変化の規則性を読み解かない限り、このウイルスのワクチンを作ることはできない。
バスティアンは険しい表情で告げたその言葉に、班員たちは誰一人の例外なく――普段は強気なイザベラでさえも、その顔から血の気を引かせた。
今はまだいいかもしれない。だがこのウイルスは特性上、いつパンデミックを引き起こしてもおかしくない。
取り込む遺伝子によって性質が変わるのならば。感染性の高いウイルスや細菌の遺伝子を取り込んだ場合にはどうなる? もしも、狂犬病ウイルスを始め、より危険性の高い遺伝子と融合し、それらが変異を続けながら伝染していったのなら、どうなる?
おそらくは誇張でも比喩でもなく――
「『♀』型と違って、『♂』型のサンプルは腐るほどある。だが、そのどれもが『変異済み』のもので、規則性を読み解くことができていない。俺達人類がこのウイルスに対抗するための、手段はただ一つ――まだ変異していない『原種』を、火星から採集してくることだけだ」
バスティアンはプロジェクターのスイッチをオフにしながら班員たちの様子を窺う。俯いてしまった班員たちの顔に浮かんでいるそれは、彼にとっては見覚えのあるものだった。
即ち、責任感に追い詰められた新兵の表情だ。
まだ実物に深くかかわっていない彼らにとって、例の火星生物の危険度は今ひとつピンと来ないものだろう。『♀』型のA・Eウイルスについても、ワクチンという『対抗策』が提示されたために、脅威度は下がっていると考えていい。
だが、『♂型』のA・Eウイルスについては話が別だ。まるで『悪意』と『殺意』の塊のようなこの未知のウイルスが、気まぐれで『パンデミック』を引き起こす可能性があるという事実。しかもそれに対する対抗策は一つもなく、頼みの綱は自分達だけ。
つまり彼らは、人類の命運が自分達にかかっていると、具体性を伴って宣告されたのだ。彼らは勇者でもなければ英雄でもない、普通の感性を持った人間だ。追い込まれない方がおかしい。
(――やはりこうなったか)
バスティアンは心の中で呟く。
本心を言えば、彼はこの情報を開示することには反対であった。追い込まれれば人は力を発揮するが、追い込みすぎれば士気は落ちる。士気の低下はそのまま、任務の成功率・生存率の低下へと直結することを、バスティアンは経験上良く知っていた。
だがそれでも、アドルフは「伝えろ」と言ったのだ。
『例えそれが、どれだけ不都合な真実であったとしても。上に立つ者として、俺にはあいつらに真実を伝える義務がある』
渋る自分に対して、電話の向こう側から彼は淡々と、しかし断固とした口調で告げた。
『真実を隠蔽することは、命懸けで任務に臨むお前達に対する侮辱だ。だから、この情報は必ず全員に伝えろ――責任は、俺が取る』
アドルフの判断は、決して戦略的には最適解とは呼べないもの。しかしバスティアンは、それをとても好ましいと思った。
なぜならアドルフの言葉は、彼の真摯さと、誠実さと、信頼の裏返しだったから。
彼は任務の達成効率よりも、自分達への誠意を選んだのだ。例え士気が低下すると分かっていても、アドルフは部下の信頼を裏切ることを良しとしなかった。
――ならば自分は副官として、彼の信頼に応えなければなるまい。
「……本音を言えば、俺はこのことを話すのには反対だったんだ」
言葉を飾る必要はない、内容を偽る必要もない。
アドルフと同じように、バスティアンもまた班員たちを信頼しているから。彼は自分の本心を、彼らに打ち明けた。
「アネックスの乗組員は、俺も含めて大半が金を求めて流れ着いた人材だ。人類の命運なんてもの、そんな奴らが背負うにはあまりにも重すぎる……そう思った」
だが、とバスティアンは続けた。
「それでもアドルフ班長は、『必ず伝えろ』と言った。責任の重さを知ってほしかったわけじゃない。あの人はな、俺達を信じてくれたんだよ」
顔を上げた班員たちに、バスティアンは笑って見せた。
「俺達の責任は重大だ。大げさじゃなく、世界の命運がかかってるからな。けど、だからといって、自分を追い詰めすぎないでほしい。訓練の成果は着実に出ているし、他でもない班長が太鼓判を押してくれてるんだ。大丈夫だ――」
――俺達なら、この任務は絶対にやり遂げられる。
力強く断言してから、バスティアンは空気を変えるように数回、手を叩いた。
「以上でミーティングは終了とする! この後は各自、自由に過ごして羽を伸ばしてほしい!」
明日の訓練に遅れるなよと告げ、バスティアンは席を立つ。それからミーティングルームを後にしようとしたところで――
「バズ、ちょっといいか?」
――イザベラが、彼を呼び止めた。
「もしこのあと暇なら、アタシのトレーニングに付き合ってくんねーかな?」
「それは構わないが……今日はもうフリーだぞ?」
聞き返すバスティアンに、イザベラは「ばーか」と笑みを浮かべた。
「あんなこと言われたら、頑張らないわけにはいかないだろ? 班長から期待されてるんなら、アタシはそれに応えたい」
な? と振り返る彼女に、他の班員たちも頷いた。その顔には先程までの暗い表情はなく、代わりに強い決意の表情が浮かんでいる。それを察し、バスティアンは口を開いた。
「そこまで言うなら、いいだろう。それなら20分後、余力のある者はもう一回訓練場に集まってくれ」
そう言ってバスティアンは――彼にしては珍しく、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「せっかくやるんだ。ガツンとスコアを上げて、帰ってきた班長を驚かしてやろうじゃないか!」
「「「おー!!」」」
バスティアンのかけ声に合わせ、第5班の班員たちは決意を新たに、一斉に右腕を突き上げた。
【オマケ①】
アレキサンダー「ちなみに過去に1回だけ、ニコライがアナスタシアを覗こうとしたことがある。そん時こいつは、シャワールームの前で30分近く葛藤してたんだが――」
ニコライ「おいばかやめろ」
アレキサンダー「――中からナスチャの鼻唄が聞こえた途端、「可愛すぎかよ」と言い残してその場を去った」
ニコライ「ぐああああああああ!?」
イワン「ああッ!? ニコライ先輩が羞恥のあまり、服を脱ぎ捨てて外(-30℃)に!?」
【オマケ②】
バスティアン「お前たちも、最初に比べてイイ体になってきたなぁ……。どうだ? 今夜まとめて、俺の部屋で夜の訓練もしてみないか?」
男性陣「「「「遠慮させてくれ」」」」
イザベラ「男色趣味がなければ好みのタイプなんだけどなぁ……」