贖罪のゼロ   作:KEROTA

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第23話 BELIEF 譲れないもの

『ミンミン、リー。重ね重ねで悪いが――頼みたいことがある』

 

 ――バグズ2号が地球を出発してから七日目。密航者として艦に乗り込んだイヴが、バグズ2号の正式な乗組員として認められた直後のこと。

 

 ほとんどの乗組員たちが退室したミーティングルームで、ドナテロは残っていたミンミンとリーに真剣な表情で告げた。

 

『またか』

 

 面倒くさげにぼやいたリーを、ミンミンが無言で睨みつける。怒りの視線に気付いたリーは『冗談だ』と言って肩をすくめて見せた。

 

『俺はただの一兵卒、上官の命令には従うさ……で、今度は俺達に何をさせるつもりだ?』

 

 リーがそう言うと、ミンミンも彼を睨むのを止めてドナテロへと視線を向けた。彼女もまた、ドナテロの言う頼みごとが何なのか、気になるのだろう。2人の視線を受け、ドナテロは重々しく言葉を紡いだ。

 

『お前たちには、もしもの時――例えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、イヴを力づくで止めてほしい』

 

 彼の言葉にミンミンが表情を固くし、リーは眉をひそめた。そんな彼らに向けて、ドナテロは続ける。

 

『イヴは子供だ。立ち振る舞いや考え方で誤魔化されがちだが、例えバグズデザイニングの効果で身体能力や頭脳が大人でも、根本的な精神がまだ未成熟なんだ。どうしても、行動の原理が感情に傾いてしまう』

 

『……確かにそうですね』

 

 言われてみると、ミンミンもリーも思い当たる節があった。底なしとも言える優しさ、そして大切な人への献身的な態度、一部の現実性に欠ける目的意識や行動。どれも子供に見られる特徴だ。

 

『イヴの心は、俺達――特に俺を『助けたい』という思いで支配されている。そしてその感情は、妥協や割り切りを絶対に許容しない。どんな窮地に陥ろうと、あいつは漫画に出てくる正義の味方(ヒーロー)のように、最期まで全員を救おうとするだろう』

 

 イヴの優しさはどこまでも尊く、純粋なもの。多くの人間が成長していく中で忘れてしまった、大切なあり方。しかし同時に、それは非現実的なあり方でもある。

 

 この世界には、例えどんなに努力しようとも、どうにもならないこともある。だから多くの人間は成長して諦めや挫折を味わうことで、『理想』ではなく『最善』を掴み取るために妥協を学んでいく。

 

 だが、イヴにはまだそれがない。

 

 今の彼は、諦めも挫折も学んでいない。バグズ2号を地球へ引き返させるという目論見こそ失敗したものの――その根底にある『全員を救う』という点において、まだ彼の目的は破綻していないのだ。

 

 イヴに過信はなく、慢心もない。だが、その信念は妥協を知らず、最後の一線を譲らない。例えその先に待っているのが、己の破滅であったとしても――イヴは、最期の瞬間まで戦い続けるだろう。

 

『だから、お前たちに頼みたいんだ。どうしようもない状況に陥った時に、()()()()()()()()()()()()()()。その時が来たのなら、無理やりにでもイヴを押さえつけてくれ』

 

 

 

 ――あの子が優しさで、誰か(自分)を殺してしまうことがないように。

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

「ドナテロ、さん……? 何、言ってるの?」

 

 イヴのうわ言のような呟きが、重苦しい静寂に吸い込まれて消える。しかしイヴはめげることなく、目の前に立つドナテロに笑いかけた。

 

「冗談だよね、ドナテロさん? そんなこと言わないでさ、みんなで一緒に帰ろうよ! それで、地球に帰ったら――」

 

「イヴ」

 

 ――けれど、ドナテロの口からそれを肯定する言葉が告げられることはなく。その代わりに彼の口は、まるで諭すような調子で己の名前を呼んだ。

 

 ドナテロの真意を悟ったイヴの顔が、くしゃくしゃに歪んだ。

 

「だ、駄目だよそんなの! だって、だって――火星に残ったら、そんなことをしたら、ドナテロさんが死んじゃう!」

 

「イヴの言う通りです、艦長! 艦長が残って戦うんなら、俺達だって戦う!」

 

 イヴの言葉に同調するように小吉が言うと、数名の乗組員が力強く頷いた。

 

「せっかくここまで、誰も欠けずに来たんだ! こんなところで――」

 

「それで、何人死ぬ?」

 

 小吉の言葉を遮るように、リーが声を上げた。無事な右腕でイヴの左半身を押さえつけながら、彼はジロリと小吉を見据えた。

 

「な、何人って……」

 

「外見りゃド素人のお前でも分かるだろうが。外にいるゴキブリ共の数は、今までの比じゃねえ。地平線の向こう側まで真っ黒だ。で、俺達の方はどうだ? 全員ボロボロ、肝心要の戦闘員も重傷者多数ときた。こんなクソみてぇな状態で戦って、本気で誰も死なねえと思ってんのか?」

 

 リーの口から告げられた正論に、小吉は何も言い返せずに押し黙る。それを見かねて、マリアが口をはさんだ。

 

「なら、罠を仕掛けるのは? ほら、確か昨日イヴ君が落とし穴を作ってたじゃない? あれを拡大して――」

 

「無理だ、それを行うだけの時間が私たちにはない」

 

 だが、彼女の言葉に今度はミンミンが首を横に振った。

 

「既に私たちは囲まれている。こんな状態で悠長に穴を掘らせてくれるほど、奴らは甘くない。皆殺しにされるのがオチだろう」

 

 軍事経験のあるミンミンにそう言われてしまえば、マリアは何も言えない。沈鬱な表情で、彼女は唇を噛みしめた。

 

「つまりこの状況を打破するためには、誰かが囮になってテラフォーマーと戦い続けるしかない」

 

 ボソリと一郎が呟いて、顔を上げる。

 

「なら俺が――」

 

「駄目だ」

 

 だが、ドナテロは一郎がその先を言うことを許さなかった。

 

「さっきとは状況が違いすぎる。今回、助けは絶対に来ない。だから、お前をここには残せない」

 

 彼は断固とした口調で言うと、管制室にいる乗組員たちをぐるりと見渡した。

 

「一郎だけじゃない。ここにいるお前たちには、未来がある。だから、お前たちをここに残していくわけにはいかない。それに、俺にはお前たちを火星に連れてきてしまった責任がある。だから……これは俺が果たすべき仕事だ」

 

 そう言ったドナテロの口調には、強い覚悟の色が滲んでいた。その意思は鋼鉄よりも固く、何を言われようとも曲がることはないだろう。

 

「で、でもっ!」

 

 しかし、それでもイヴは食い下がる。取り押さえられ、一切の身動きが取れない状態で、イヴはすがるようにドナテロを見つめた。

 

「ドナテロさんには、家族がいる! ドナテロさんが死んじゃったら、ミッシェルちゃんはどうなるの? ミッシェルちゃんのお母さんは?」

 

 イヴにそう言われ、ドナテロが一瞬だけ遠くを見るように目を細めた。頭の中に、己の妻と愛娘の姿がよみがえる。

 

 けれど、それも一瞬のこと。ドナテロは瞳を閉じると、ゆっくりと首を横に振った。

 

「万が一の時のことは、全て妻に伝えてある。ミッシェルには寂しい思いをさせるだろうし、恨まれても仕方ないが……それでも、あの子はお前のように優しく、賢い子だ。いつか、分かってくれる日が来るだろう」

 

 確信をもって、ドナテロが言う。ショックを受けたような表情で絶句したイヴから顔を上げ、ドナテロは乗組員たちに指示を出した。

 バグズ2号の艦長として――最後の指示を。

 

「俺が外に出たらすぐにエンジンを起動して、火星を出ろ。バグズ2号の動力源はまだ生きている。ガラスが割れているが、雨戸(シールド)さえ下せば、地球までの航海は可能なはずだ」

 

 それからドナテロは、その顔に静かな笑みを浮かべた。

 

「この場にいる誰か一人でも欠けていたら、今の状況はなかっただろう。お前達がいてくれたから、バグズ2号はここまでやって来れた」

 

 そこで言葉を切ると、ドナテロは乗組員1人1人の顔を見つめた。彼らはもう、自分が何を言おうとも止まらないことが分かっているのだろう。ある者は悲痛な表情を、またある者は険しい表情を浮かべ、けれど誰一人として目を背けることなく、ドナテロのことを見据えている。

 

「一緒に戦ってくれて……俺を艦長(キャプテン)と呼んでくれて、ありがとうな。お前たちと共に任務に挑めたことを、誇りに思う」

 

 そう言って、ドナテロは彼らに背を向けると、窓の外のテラフォーマーたちを見つめた。彼らが攻撃を仕掛けてくるまで、それほど時間はないだろう。

 

 ――言うべきことは全て言った。あとは己の魂が燃え尽きるまで、希望の舟がこの星を飛び立つまで、全霊で戦い続けるのみ。

 

 ドナテロは、ガラス窓に穿たれた穴へと歩みを進める。

 

「まって……まってよ、ドナテロさん」

 

 その背中を見ながら、イヴは震える声でドナテロを呼ぶ。だが、ドナテロは振り返らず、足を止めない。イヴの胸の中で急速に絶望が膨れ上がり――そして、爆発した。

 

「嫌だ、行っちゃ嫌だ! こんな別れ方、ボク嫌だよ!」

 

 激情のまま、イヴが叫ぶ。およそ普段の彼らしくない駄々をこねる子供のように論理性に欠けていて、しかしどこまでも必死さの滲む言葉だった。そのあまりに痛ましい様子に、数人の乗組員がイヴから目を背ける。

 

「ボクも最期まで戦う! 絶対に皆を、ドナテロさんを守るから! だからお願い、ボクを連れていって! ボクを置いていかないで!」

 

 イヴは何とかドナテロについていこうと、体をよじる。だが、いかに彼の身体能力が子供の域を外れていたとしても、ミンミンとリーが2人がかりで押さえつけているその体を動かすことは叶わない。もがいている間に、ドナテロの背中は遠ざかっていく。

 

「まだ話したいことが一杯あるんだ! ドナテロさんに教えてほしいことも、たくさんある! それに――」

 

 赤く染まった瞳から涙をこぼして、イヴは吐き出すように言った。

 

 

 

 

 

 

「――ボクはまだ、ドナテロさんに何も返せてない」

 

 

 

 

 

 

 ポツリ、ポツリとイヴの口は、その想いを言葉へと紡いでいく。

 

「ドナテロさんと会ってから、ボクは色んなことを知ったんだ。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、辛いこと……全部、全部、ドナテロさんが教えてくれたんだ」

 

 俯いたイヴの頬を、涙が伝う。涙の雫は床に滴り、小さな跡を残した。

 

「ドナテロさんは、人形だったボクを人間にしてくれたのに、ボクに色んなものをくれたのに! ボクは、ドナテロさんには何も……」

 

「――そんなことはないさ」

 

 耳に届いたその声に、イヴは泣きながら顔を上げる。そこには、割れた窓の前に立っているドナテロの後ろ姿があった。

 

「イヴ。お前は自分で思っている以上の物を、俺にくれた。大きいものから小さいものまで、お前がくれた物はたくさんありすぎて、俺には数えきれない。お前に会えたこと、お前と友人になれたことは……俺にとっての何よりの宝物だ」

 

 肩越しに振り返ったドナテロの視線と、イヴのすがるような視線がぶつかる。涙で顔をぐしゃぐしゃにしたイヴとは対照的に、ドナテロの顔に浮かんでいたのはどこか達観したような、何かを悟ったような、そんな表情。死を目前にしてなお穏やかな口調で、ドナテロは別れの言葉を投げかけた。

 

 

 

 

 

「じゃあな、イヴ。地球に帰ったら――ミッシェルのこと、よろしく頼む」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言うとドナテロは二度と振り返ることなく――窓に空けられた穴から、その身を外へと躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 イヴの口が、掠れた声を上げた。もはや、誰の影もなくなった窓を凝視するその目からは、尽きることなく涙が溢れる。

 

「う、あ」

 

 目の前の光景を受け入れることを、心が拒む。けれどそんな思いとは裏腹に、聡明なイヴの脳はたった今起きたことを理解してしまう。それは徐々に実感として胸を蝕み、心をギリギリと締め付けた。

 

「ああああああああああああああああああ!」

 

 枯れる程の大声で叫び、イヴがドナテロの後を追いかけようとするが、ミンミンとリーがそれを許さない。数cmの距離を這ったところで2人の重さと力で押しつぶされ、しかしそれでもイヴは諦めずにもがき続ける。

 

「手の空いてるものは全員、持ち場につけ。(ふね)を出すぞ」

 

「ですが、副艦長……」

 

 ミンミンの指示にトシオが難色を示す。だが彼が続けようとした反論の言葉は、己を睨みつけるミンミンの眼光によって遮られた。

 

「早くしろッ! 艦長の遺志を無駄にするつもりか!」

 

 張り上げられたその声に、どこか呆然としていた乗組員たちは一斉に我に返った。

 

 そうだ、立ち尽くしている場合ではない。己の命を懸けて時間を稼いでくれているドナテロの為にも、今は生きるために動かなくてはならない。例えそれが、仲間を見捨てるという非情な選択であったとしても、自分達は生きなければならないのだ。

 

「サーバーの起動が完了したら、すぐに雨戸(シールド)を下ろせ! 速やかに火星圏を離脱し、地球へ帰還する!」

 

 今度は、ミンミンの言葉に意見する者はいなかった。胸の奥の苦い悲しみを押し殺し、乗組員たちは操縦席へと向かっていく。

 

(これで、艦は直に出航する。あとの問題は――)

 

 ミンミンは視線を下へと向け、もがき続けるイヴを見つめた。

 

「ミンミンさん、リーさん、離して! 早く追いかけないと、ドナテロさんが死んじゃう!」

 

 完全に冷静さを失い、錯乱したイヴがわめく。暴れもがく彼を押さえる手に力を入れ直し、ミンミンは隣の人物を見やった。

 

「絶対に力を緩めるなよ、リー」

 

「たりめーだ」

 

 イヴから1秒たりとも視線を逸らすことなく、リーがミンミンに答えた。その声に普段の皮肉気な雰囲気はなく、どこまでも真剣な口調だった。

 

「ここでコイツを行かせちまったら、全てが水の泡だ。何が何でも……!?」

 

 不意にリーの言葉が途切れる。異変を察知したミンミンが再びイヴへと視線を戻すと、彼の体はミシミシと音を立てながら、昆虫の特性を反映したものへと変形しているところであった。その腕は青い斑混じりの黒へ、その脚は赤い斑混じりの白へ、そして尾てい骨からはファイバーの尾が伸びていく。

 

(薬なしの変態? いや、それにしては進度が――まさか!)

 

 嫌な予感が脳裏をよぎり、ミンミンがイヴの手中を見る。その手の中には、空になった注射器が握られていた。

 

「しまった――!」

 

「チィッ!」

 

 ミンミンとリーが咄嗟に全体重をかけると同時に、イヴの力が明らかに強まった。ツチカメムシの腕力と、ウンカの脚力を発揮したイヴの抵抗はすさまじく、満身創痍のミンミンとリーは2人がかりでも振りほどかれそうになる。

 

「待ってて、ドナテロさん……ッ! ボクも、最期まで戦うから……!」

 

 拘束しているミンミンとリーごと体を引きずり、イヴは床を這って窓の穴へと近づいていく。

 

「だから、だから一緒に――」

 

「悪いがイヴ、お前を行かせるわけにはいかない」

 

 だがその時、そんな声と共にイヴの脚が再び強い力で押さえつけられ、再び彼はその場から動けなくなった。驚き振り向いたイヴの目が見たのは、一郎の姿。彼はミンミンやリーの手が回らない足をその両腕で掴み、イヴがドナテロの後を追うのを食い止めていた。

 

「行かせて、一郎さん! お願い、お願いだから――!」

 

 3人がかりで拘束されたとなれば、さすがに変態したイヴであっても拘束を解くことは不可能だった。イヴは必死で訴えかけ、何とか逃れようと足をばたつかせる。だが一郎の腕力は乗組員の中でも最も強く、加えて今の状態では足を踏ん張って力を籠めることもできない。どんなにイヴがもがこうとも、一郎が足を放すことはなかった。

 

「サーバー、起動完了!」

 

 フワンが液晶モニターを操作しながら声を張り上げる。彼はそのまま、緊急用雨戸(シールド)の開閉スイッチに手を掛けた。

 

「雨戸――閉鎖!」

 

 一瞬だけ躊躇うように口をつぐみ、しかしフワンは雨戸のスイッチを閉鎖へと切り替えた。起動部が機械音を発し、雨戸が徐々に窓ガラスを上から覆っていく。

 

「そんな、駄目ッ! 小吉さん、奈々緒さん、ティンさん――誰か、誰でもいいんだ! 誰でもいいから、雨戸を閉めないで!」

 

 イヴの口から悲鳴が飛び出し、乗組員たちの耳をつんざいた。もはや涙は枯れ果て、叫び続けた喉は掠れた声しか紡がない。それでも、彼は訴え続ける。

 

「ミッシェルちゃんと約束したんだ! 必ず、ドナテロさんと帰るからって! ドナテロさんは、ボクが守るからって!」

 

 痛哭なその声に耐えかね、数人の乗組員が顔を俯かせる。それからほとんど間をおかず雨戸は完全に閉まり、火星とバグズ2号の艦内を断絶した。

 

「だから、だから……ッ!」

 

 もはや見えぬ火星の大地へ、ドナテロへ。イヴが届くはずのない手を伸ばしたその時、床から大きな振動が伝わり、彼らの体を揺らした。それは、バグズ2号のメインエンジンが起動したことを告げる揺れ。その意味を悟り、イヴの顔が絶望に歪む。

 

「待っ――」

 

「離陸、開始ッ!」

 

 まるでイヴの言葉と、罪悪感から目を背けるように、ミンミンが声を張り上げる。直後、乗組員の体を、まるで持ち上げられているかのような浮遊感が包み込む。それが、バグズ2号が飛び発った証であることは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 ――こうなってはもはや、彼に成す術などなく。

 

 

 

 己の無力を呪いながら、少年はただ慟哭するしかなかった。

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

 

 爆音と土煙を巻き起こし、バグズ2号が地上を離れていく。それを見た無数のテラフォーマーたちは一斉に翅を広げて後を追おうとするも、『・|・』のテラフォーマーがそれを止める。

 

 そんな光景を、肥満型は忌々しげに見つめていた。

 

「……じじ」

 

 彼は『・|・』のテラフォーマーから目を逸らすと、力士型が担ぎ上げる石の神輿の上から、土煙の向こう側に立つ1人の人間を不機嫌そうに見つめた。するとその人間――ドナテロ・K・デイヴスもまた、鋭く肥満型を睨み返す。

 

「じょうじ」

 

 肥満型が贅肉で象られた手を振る。途端、群れの中から三匹のテラフォーマーが飛び出した。彼らはドナテロに躍りかかり――その直後、全員が絶命することになった。

 

 一匹目は近づいた瞬間にドナテロが振り払った腕で首をへし折られた。続く二匹目も攻撃動作に移る前に、反対の手で顔面を握りつぶされた。

 唯一、三匹目のテラフォーマーはその人間に攻撃することができたものの、彼が振るった拳は容易くドナテロに受け止められてしまう。拳を引き戻す間もなく、そのテラフォーマーは地面へと頭から叩きつけられて、動かなくなった。

 

「じぎ……」

 

 肥満型はそれを見て、苛立たしげに鳴いた。既にドナテロの周囲には、数十を超える同胞の死体が積みあがっている。

 

 本来ならば、とっくにあの人間どもを駆逐して、未知なる技術を自分達の手中に収めることができていたはずなのだ。

 だが実際はどうか? 人間どもを駆逐せんと送り込んだ同胞たちは残らず返り討ちに合い、未知の技術も突如現れた『・|・』のテラフォーマーのせいでみすみす取りこぼすことになった。

 

 ギリリ、と肥満型が歯ぎしりする。気に入らない。自分の思い通りにいかないこの現状は、どこまでも不愉快だ。

 

「じょうじ! じじょう、じょう!」

 

 肥満型は声を荒げ、口から唾を飛ばしながら周囲のテラフォーマーたちに指示を下す。すると更に二十匹程度のテラフォーマーたちが、ドナテロへと駆け出した。彼らは四方八方から、波さながらにドナテロへと飛び掛かる。

 

 

 

(――ここまでか)

 

 迫りくる黒い死に、ドナテロは胸中で呟いた。ダメージと疲労が蓄積した今の自分では、どんなに奮戦しようともこの状況を打破することはできないだろう――否、そもそもこの状況には先がない、といった方が正しいだろうか。

 

 仮に全てのテラフォーマーを倒しきったとしても、今のドナテロに火星を脱するための術がない。自分の命と言う点で見れば、完全に詰んでいるのだ。

 

 バグズ2号は出航した。ならば既に、()()()()()()()()()()()

 

 そう判断したドナテロは、構えを解く。もはや、戦い続ける必要もない。幸か不幸か、テラフォーマーには他者をいためつける残虐性はない。おそらく、一瞬の内に死を迎えることができるだろう。

 

 そっと、ドナテロは瞳を閉じた。意識は深く深層へと潜り行き、雑音が徐々に遠のいていく。途端、瞼の裏の暗闇に、これまでのことが走馬灯のようによみがえった。

 

 幼少期の記憶、他愛のない思い出、挫折の経験、バグズ2号の皆との出会い。今まで自分が見聞きした全ての出来事が、とりとめもなく浮かんでは消えていく。

 

 

 けれどそんな中にあって、ドナテロの想いの多くを占めるのは二つのことだった。

 

 

 一つは、地球に遺してきた家族のこと。

 自分の死は妻や娘に深い悲しみを与え、彼女らがこの先の人生を歩んでいくにあたって大きな負担を与えるだろう。彼女たちに何も残せず、この先を見届けることもできないことが、ドナテロにとっては無念でならなかった。

 

 

 そしてもう一つは――己の小さな友人であるイヴのこと。

 

(お前にはたくさんの物を貰ったのに――すまない)

 

 届かないことを分かっていながら、ドナテロは謝らずにはいられなかった。自分の選択はきっと、イヴの心に深い傷を残すだろう。伸ばした手が届かない苦しみは、よく分かっているつもりだ。

 

(何も返せなかったのは――俺の方だ)

 

 命を懸けて宇宙まで助けに来てくれた友人に自分が贈ったものは、底なしの喪失感と絶望だけ。結局自分は、イヴに何も遺せなかった。それが、ドナテロは悔やんでも悔やみきれない。本当は自分に、彼を友人と呼ぶ資格などないのだ。

 

 

 けれど、それでも。今の自分の胸の内を、イヴが聞いたのなら。きっと彼は笑って、首を横に振るのだろう。

 

 

 

 ――例えドナテロさんがどう思っていても、ドナテロさんはボクの大事な友達だからと。

 

 

 

 きっと、一点の曇りもない笑顔で、そう言うのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が浮上し、感覚が戻る。鼓膜は黒い悪魔の進撃の音を聞き、体は彼らの突撃の揺れを感じていた。

 

 

 

「俺はお前に、何も返してやれなかった」

 

 ――既に、目的は達した。

 

「だから」

 

 ――これから自分がするのは、勇敢な友へのせめてもの手向け。

 

「だからせめて、お前の友人として誇れるように」

 

 ドナテロはその手に4本の注射器を握りしめ、ゆっくりと目を開けた。その胸に、一度消えかけた闘志の炎が再び熱く燃え上がらせて。

 

 

 

 

「俺は……()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 そう言ってドナテロは笑みを浮かべると――()()()()()()()()()己の首筋に突き刺た。

 

 

 

 

 

 刹那、ドナテロの姿がテラフォーマー達の影に隠れる。そして次の瞬間――テラフォーマーたちの体は、一斉に弾き飛ばされて宙を舞った。

 

「……ッ!?」

 

 遠くからその光景を見ていた肥満型が、ギョッとしたように目を見開いた。配下のテラフォーマーたちが吹き飛ばされたからではない。彼は見てしまったのだ。テラフォーマーたちを打ち払ったドナテロの背後に浮かび上がる――自分達に牙剥く、強靭な顎と体を持った赤黒い虫の幻影を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昆虫界においてカブトムシは、「力持ち」の代名詞として広く一般に知られている。

 

 ある実験報告によれば、カブトムシは自重の50倍の重量を引きずって歩くことができるとされ、その筋力で彼らは(エサ)の取り合いを制してきた。

 

 ――だが、彼らは知らない。自分達の住む木の下には、自重の100倍近い重量を()()()()()()()()()()()()()筋力を持つ虫がいることを。

 

 

 ――全ての昆虫種を同じサイズに揃えた時、最も筋力が強いのはどの虫か?

 

 

 その答えはカブトムシでもなく、クワガタムシでもなく、ゴキブリでもない。答えは、アリである。

 

 

 推定2万種に分化し、世界各地に生息する昆虫『アリ』。ドナテロの手術のベースとなったアリは、その中でも一際戦闘に特化して進化した種だ。

 

 自分達の進路上にある物は全てを食らい尽くすグンタイアリの群れが唯一避けて通ると言われる『凶暴性』。

 

 ただの一噛みで与えられる、まるで銃に撃たれたかのような『激痛』。

 

 これらの要因から、そのアリは『弾丸蟻(バレットアント)』の異名を持つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ミッシェル、アリさんが好きなのかい?』

 

 押し寄せる無数のテラフォーマーを前にしてドナテロが思い出すのは、かつて庭先でアリの行列を眺めていたミッシェルに、己がかけた言葉。

 

『うーん……ふつう!』

 

『――そうか』

 

 にっこりと笑って即答した彼女に、自分はどんな表情を浮かべたのだったか。

 

『だけどね、ミッシェル――知ってるかな?』

 

 その時の自分は確か、ほんの少しだけ悔しくて。目の前でキョトンとしている彼女に、こんなことを言ったのだった。

 

『アリさんはね、全部の虫さんの中で一番――力持ちなんだよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【なまけ者よ ありのところへ行き そのすることを見て 知恵を得よ】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変態薬の過剰接種(オーバードーズ)。ドナテロの全身を黒く頑強な甲皮が全身を覆い始め、腕からは巨大な毒針が生える。

 莫大な体への負荷、燃焼する命を代償にして――最強の昆虫が、目を醒ます。

 

 

 

【ありは かしらなく つかさなく 王もないが 夏のうちに食物をそなえ 刈入れの時に かてを集める】

 

 

 

「フンッ!」

 

 ドナテロが大きく腕を薙いだ。それはただ触れただけでテラフォーマーの体を吹き飛ばし、まともに当たればテラフォーマーの体を甲皮ごと引き裂く。押し寄せるテラフォーマーは、彼に近づく端から死体となって地に転がった。

 

 

 

【なまけ者よ いつまで寝ているのか】 

 

 

 

 ――ゾクリ。

 

 ドナテロと目が合ったその瞬間、肥満型の背筋を何かが走った。

 

 ――それは恐怖。

 

 このままでは自分が殺されるという、ゴキブリの生存本能が告げた警鐘に、脳が発達した肥満型が感じた、死への恐れだった。

 

 

 

【いつ目をさまして起きるのか】

 

 

 

「ギィイイイイィイ! じぎ、じぎぃいいいいいい!」

 

 わめく様に、肥満型のテラフォーマーが叫ぶ。その顔は、怒りとも恐怖ともつかない表情でくしゃくしゃになっていた。

 

 

 

【貧しさは盗びとのようにあなたに来り 乏しさは つわもののようにあなたに来る】

 

 

 

 おそらくそれは、全軍を突撃させる指示だったのだろう。彼の声に応じ、『・|・』のテラフォーマーを除く全てのテラフォーマー達が一斉に駆け出した。石の神輿を担いでいた力士型も、肩からそれを下ろして大地を蹴る。

 

 

 

【よこしまな人 悪しき人は 偽りの言葉をもって行きめぐり】

 

 

 

 肥満型が苛立たし気に『・|・』のテラフォーマーを見やる。だが、『・|・』のテラフォーマーは肥満型の指示に従うつもりなど毛頭ないようで、素知らぬ顔をして事の推移を見守っていた。

 それに気づいた肥満型は忌々しそうに歯ぎしりすると、落ち着きなく足を揺すりながらドナテロへと視線を戻した。

 

 

 

【目でめくばせし 足で踏み鳴らし 指で示し】

 

 

 

 押し寄せる死の黒い津波に、ドナテロは雄叫びを上げると自ら突進した。

 

 その腕は金棒、その足は金槌、その体はさながら装甲車。

 

 過剰接種によってよりベースとなった昆虫の力を引き出した今、ドナテロは全身が凶器。その一挙一動が破壊につながる。

 彼はその腕で薙ぎ払い、その足で踏みつぶし、その体ではね飛ばしながら、テラフォーマーの大群をかき分け、一直線に突き進む。

 

 ――敵の首魁、肥満型のテラフォーマーへと向かって。

 

 

 

【よこしまな心をもって悪を計り】 

 

 

 

 ――こちらへ近付いてきている。

 

 それに気づいた肥満型が悲鳴を上げる。同時に一体の力士型が、肥満型を守るかのようにドナテロの前へと立ちはだかった。

 力士型が目の前の人間を始末すべく、人間の胴回りほどもある巨大な腕を振り上げると、ドナテロもそれを迎撃すべく呼応するように拳を構えた。

 

「ジョウッ!」

 

 両者の拳がぶつかり合い、車が正面衝突したかのような轟音が響き渡る。

 

 

 

【絶えず争いをおこす】

 

 

 

「……ッ!?」

 

 驚きの声を上げたのは、力士型のテラフォーマー。ぶつかり合った拳が拮抗したかと思ったのもつかの間、鍛え上げてきた自慢の腕が、押しつぶされるようにしてひしゃげてしまったのだ。

 

「そこを――退けッ!」

 

 よろめいたその瞬間、ドナテロのボディブローが力士型の腹部に叩きこまれた。その衝撃に内臓がめちゃめちゃに引っ掻き回され、全身の骨が粉々に砕ける。白目を剥き、力士型の巨体が崩れ落ちた。

 

 ――自分達の中でも強力な個体が、あろうことか力勝負でねじ伏せられた。

 

 その事実に、さしものテラフォーマー達も一瞬だけ理解が遅れ、動きを止める。その隙にドナテロは、肥満型のテラフォーマーの前に立った。

 

 

 

【それゆえ 災は にわかに彼に臨み】

 

 

 

「じょッ……!?」

 

 逃げる間もなく肥満型はドナテロに顔面を鷲掴みにされた。その握力で彼の頬骨を砕きながら、ドナテロは球体の様な肥満型の体を持ち上げた。どれだけ肥満型が暴れようと、胃にも介さない。

 

 高く高く、ドナテロはその巨体を掲げ――そして。

 

「オオオオオオオオオ!」

 

 渾身の力で以て、肥満型の頭部を地面に叩きつけた。

 

 火星の大地が、音を立てて抉れる。肥満型はビクリと体を痙攣させると、それきり動かなくなった。

 

 

 

【たちまちにして打ち敗られ 助かることはない】

 

 

 

                             ――『箴言』より、抜粋

 

 

 

 

 

「どうした、動きが止まってるぞ」

 

 動かなくなった肥満型から手を放すと、ドナテロは周囲のテラフォーマー達へと一歩足を踏み出した。その覇気に気圧されたのか、テラフォーマーが――死をも恐れないはずの彼らが、思わず一歩後ろへと引き下がる。

 

「来いよ、テラフォーマー……俺の力が尽きるまで、何度だって言ってやる」

 

 そう言って、ドナテロは彼らを睨みつけた。

 

 

 

 

 

 ドナテロ・K・デイヴス

 

 

 

 国籍:アメリカ

 

 

 

 30歳 ♂

 

 

 

 188cm 90kg

 

 

 

 バグズ手術ベース   

 

 

 

 

 

   ―――――――――――― パラポネラ ――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――人間を嘗めるなよ、ゴキブリ共」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔弾の蟻王(パラポネラ)猛進(リベリオン)

 

 

 

 

 

 

 


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