贖罪のゼロ   作:KEROTA

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第16話 DIRTY GIRL 裏切り

 ――ワシントンD.C.『国連航空宇宙局本部』。

 

 既に多くの職員が帰宅して閑散とした廊下を、クロード・ヴァレンシュタインは足早に歩いていく。季節はまだ春先だというのに、その全身からは嫌な汗が噴き出していた。

 

 ――どういうことだ? 一体、火星で何が起こっている!?

 

 頬を伝う汗を乱暴に白衣の袖で拭いながら、クロードはエレベーターに乗り込んだ。B10Fと書かれたボタンを押すと、エレベーターの扉がガコンという音を立ててゆっくりと閉まった。

 

 

 火星でバグズ2号の乗組員たちを襲った悪夢の数々をクロードが知ったのは、つい数分前のことだった。

 

 本来ならば5分の時間をかけて火星から地球へと送られるはずのその映像は、彼が監修したイヴの特殊な体内カメラを介することで、僅か1分ほどの時差で地球へと届く。 その結果、クロードはほぼリアルタイムで火星の異常事態を目の当たりにすることとなる。

 

 ――力を求め、共食いをするテラフォーマー。

 

 ――彼らを率いる王と思われる個体。

 

 ――テラフォーマーとは別の進化を遂げた、謎のゴキブリ。

 

 

 どれもこれも、クロードの聡明な頭脳で以てしてもまるで理解のできない、滅茶苦茶な進化の結果であった。

 

 

「生物の進化は常に我々の想像を超え、そして常に現在進行形で起こっている」

 

 

 かつてニュートンに言われたそんな言葉が、クロードの脳裏に浮かび上がる。だが、そんなものは何の気休めにもならなかった。

 

 

 ――あれが進化? 違う、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 エレベーターがゆっくりと下降を始めた。その速度にもどかしさを感じながら、クロードは1人思考を巡らせていく。

 

 生物の進化に、社会の発展。分野こそ違えど、これらを促進する要素にはある共通点がある。それは進化や発展が『外界からの刺激』によって引き起こされるということだ。

 生物は己の肉体を時に身を守るために、時に獲物を狩るために、その環境という外界からの刺激に合った形へと適応させていく。

 社会もまた然り。戦争であれ、交易であれ、なんらかの形で外界と関わることで社会は新たな概念を獲得し、発展していく。

 

 つまり逆説的には、外界からの刺激がなければ生物はそもそも進化しないし、社会が発展することもしないとも言える。

 

 

 だが火星のテラフォーマーたちは、この定説を覆してみせた。

 

 

 階級、強兵、嗜好といった普通のゴキブリの社会の中では得られないはずの概念を。

他生物の体内に潜み、擬態し、そして火星では得られないはずの獲物を捕食するためのメカニズムを。

 完全に隔離され、閉鎖されていたはずの環境下で彼らは手に入れたのだ。

 

 

 チン、という音と共にエレベーターが止まり、クロードの目の前の扉が開いた。まだ開き切らない扉の隙間に体を滑り込ませるようにしてエレベーターを降りると、クロードは再び足早に歩みを進めた。

 

 重ねて言うが、これは『異常事態』である。ゴキブリが人型に進化したのは百歩譲ってよしとしよう。だが、火星という閉鎖空間において先にあげたような進化が起こるなど、まず考えられないことだ。なぜなら、火星には適応すべき外敵などおらず、関わり得る外存在もいないのだから。

 それにも関わらず、実際問題としてそれが起きてしまっているということは――

 

「――()()()が、奴らに『外的刺激』を与えたということ」

 

 そう呟いて、クロードは足を止めた。ついに目的の場所へと着いたのだ。彼が懐から取り出した自らのIDカードをスキャンすると、扉は音もなく両側に開いた。

 

 薄暗い部屋の中には案の定、無数のモニターの光に照らされながら椅子に腰掛ける、ニュートンの後ろ姿があった。

 

「ニュートン博士、これはどういうことです!?」

 

クロードの詰問の声が、暗い室内に響き渡った。しかし、ニュートンは何も答えない。

 

「あなたのことだ、既に映像は見たのでしょう? 事前に私が聞かされていた話と、あまりにも食い違いが多すぎませんか!?」

 

 彼に歩み寄りながら、クロードがそう言う。しかし、ニュートンは何も答えない。

 

「どう考えても、今の火星は異常だ! 明らかにあのゴキブリ達には、人為的な手が加わえられている!」

 

 クロードが怒声を張り上げるが、それでもやはりニュートンは何も答えない。ただじっと、モニター画面を見つめている。ニュートンのその反応に、クロードはなおも声を張り上げた。

 

「ニュートン博士、貴方は何を隠している!? それとも、これすらもラハブとやらの仕業だと言い張るおつもりで――」

 

 なおもクロードが言い募ろうとする。だがニュートンの顔を覗き込んだその瞬間に、彼はその口を閉ざした。

 

 

 なぜなら。

 

 

 ニュートンの顔に浮かんでいた表情は――未だかつてクロードが見たこともないような、強い怒りの形相だったから。

 

 

「いや……これはラハブの仕業ではない、ヴァレンシュタイン博士」

 

 ニュートンが静かに首を振った。どうやら、怒りの矛先はクロードではないらしい。怒りを押し殺したような声音で、彼は続ける

 

「――ラハブの神々は、高度な文明社会を持っていた。仮に社会発展が彼らの仕業だとすれば、テラフォーマーの社会はより高度で完成されたものになっているはずだ」

 

 ――そうであったのならば、どれだけよかったことか。

 

 ニュートンがそんな言葉を溢す。

 

 もしもテラフォーマー達が高度な社会を形成していたのなら、今頃彼は一族の悲願達成へと近づいたことに歓喜の色を浮かべていたことだろう。

 

 だが実際に目の当たりにした彼らの社会形態は、お世辞にも高度であるとは言えなかった――いや、そのような迂遠な言葉で言い表すべきではない。今のテラフォーマー達の社会構造は低俗で、野蛮で、そして予想よりも遥かに醜悪だった。

 

 力のために仲間を食らい、その身を別の生命体に貸し出し、原始的な階級の下で形成される社会。

 

 これのどこを以て、完成された高度な社会形態であるなどと言えるだろか。

 

「……不愉快だ」

 

 ニュートンが自らの胸中を正直に呟けば、クロードは驚きに目を見開いた。

 

 日頃どんなに嫌味を言おうが、皮肉を言おうが、全く堪えた様子を見せずにニヤニヤと悪辣な笑みを浮かべているニュートンがそんなことを言ったのは、これが初めてのことだった。

 

「我が一族の悲願達成に水を差し、横槍を入れ、白けさせ、台無しにする。ああ、全く以て不愉快極まる。()()()()()()()()()()()

 

 心底忌々しそうにモニター内の画像を睨みつけ、ニュートンは吐き捨てるようにそう言った。

 

「黒幕気取りの道化師め――!」

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 ルドンがブレーキを踏んだことで、大地を駆ける六輪車は一気に失速した。無茶な停止操作に勢いを殺しきれず、タイヤが地面と擦れて悲鳴を上げる。車体は進行方向に対してその体を180度回転させると、やっとその動きを止めた。

 

「全員無事か――ケホッ!」

 

 乗組員たちの安否を確認しようとしてミンミンが咳き込み、慌てて自らの口と鼻を服の袖で覆った。

 

 彼らの周囲に漂うマーズレッドはゴキブリ駆除剤とはいうものの、実際のところは強力な殺虫剤。人よりも昆虫に近い彼らは、殺虫剤の影響を普通の人間に比べて受けやすいのだ。

 

 他の面々もミンミンを真似て口と鼻をふさぐと、すぐさま自分たちが来た方向へと向き直り、薬を構えた。もしもマーズレッドが効かなかった場合、いつ黒虫たち煙の向こうからが表れても不思議ではない。そうなった場合には、自分たちの力で奴らを駆除しなければならないのだ。

 

 乗組員たちは固唾を飲んで、白い煙のその先を睨みつけた。

 

 ――1秒、2秒、3秒。

 

 時間は刻々と過ぎていく。やがて数分の時間が経過して白い煙の晴れ、一同はやっと緊張で強張らせていた体から力を抜いた。

 

 彼らの視線の先にあったのは、地に落ちた黒虫たちによって黒く彩られた火星の地面だった。大部分は既に息絶えたのかピクリともせず、まだ辛うじて生きている黒虫も弱々しく地面を転がり回るばかりだ。

 

「……マーズレッド、効果はあったらしいな」

 

 口元を覆っていた袖から顔を放しつつ、ティンが呟いた。同時に、後方から「おーい」という声が聞こえた。

 

「無事か、お前ら!」

 

 乗組員たちが振り向けば、ジョーンとトシオが慌てたように駆け寄ってくるところであった。余程急いできたのか、散布時の防護マスクをかぶったままの二人に、小吉が手を上げて応える。

 

「ああ、大丈夫だ! それより助かったぜ! あと数秒遅かったら、俺ら全員虫食い状態になってたとこだ」

 

「ちょっ、ゾッとすること言わないでよ」

 

 小吉が笑いながら縁起でもないことを言うと、横から奈々緒が彼をどついた。全員の無事が確認できてほっとしたのか、トシオとジョーンは揃って気の抜けたような声を上げた。

 

「それにしても、イヴにはまた助けられたな」

 

 元気そうな小吉達に安堵の息を吐くイヴの頭に、ミンミンがポンと手を置いた。既に変態が解けたその腕で撫でられ、くすぐったそうにしながらもイヴは否定の声を上げる。

 

「そんなことないよ。あいつらを止めてたのはほとんどリーさんだったし、ボクが止めれたのは本当に一瞬だったし……」

 

「謙遜するな、イヴ」

 

 そんな彼らの横から、ティンが口を挟んだ。

 

「その一瞬があったから、俺たちは今こうして生きているんだ。本当にありがとう、イヴ」

 

「……ど、どういたいしまして」

 

 ティンの言葉に照れくさそうに頬を染めるイヴ。その時、リーがふと何かに気付いたかのようにトシオに向けて口を開いた。

 

「……おい、メガネ。艦長達はどうした?」

 

 彼の言葉に、乗組員たちは我に返って辺りを見渡した。周囲に人影はない。ただ緑の荒原が、太陽の上りつつある地平線の向こうまで広がっているばかりだ。

 

 キョロキョロと頭を動かす乗組員たちに、ジョーンが首を振った。

 

「さっき確認した限り、少なくともこの周囲にはいない。艦長も、一郎も、ウッドも、あれだけいたはずのゴキブリも――何も見当たらなかった」

 

 彼の言葉にイヴが顔から血の気が引いた。彼の脳内で最悪の想像が広がっていく。もしも、もしも仮に一郎の作戦が失敗したのだとしたら、ドナテロは――

 

「落ち着け、イヴ」

 

 肩に置かれた手の感触に、イヴの不吉な思考が霧散する。彼が振り向くと、背後には小吉が立っていた。

 

「まだ艦長達がどうなったのかは分かんないぞ。ひとまず、バグズ2号の中を探してみようぜ」

 

 小吉の声に少しだけ落ち着きを取り戻したイヴは頷くと、クルリと体を後ろへと向けた。そこには、既に数十メートルまでの距離に近づいた、バグズ2号があった。

 

つい数時間前には自分たちが乗っていたはずの艦が、今はぽっかりと口を開けて獲物を待つ、不気味な怪物のように見えた。その威圧感にイヴは思わず飲み込み――そしてふと気が付いた。

 

視界の上隅、空の上で何かが輝いたことに。

 

「……?」

 

 不審に思ったイヴは顔を更に上へと向け、青く澄んだ空を見上げた。

 

 銀色に輝くそれは始め流れ星のようにも見えたが、徐々にそれは大きくなっていく。やがてそれがビー玉程の大きさになった時、常人よりも数倍優れた視力を持つイヴの目が、落下してくる物体の表面に書かれている文字を捉えた。

 

 

 

 

 

――『大鯉魚一三號(グレイトカープ13ごう)

 

 

 

 

 

 

「皆、逃げてッ!」

 

 イヴは自らが認識するその前に、ありったけの声を張り上げていた。

 

 

 落下物の正体は、テラフォーミング計画の進捗状況確認のために火星へと送られ、長らく通信を絶っていた無人惑星探査機の中の一機であった。

 

 惑星探査機がテラフォーマー達の手に落ちたことは既に乗組員たちには分かりきっていたことであった。当然、上空からグレイトカープが落とされたのもテラフォーマーの仕業であろうが、イヴを焦らせた理由はそこではない。イヴが焦ったのは、彼らが惑星探査機を落とした理由に気付いたからであった。

 

 惑星探査機がテラフォーマー達の手に確保されたということは、当然その中身もテラフォーマー達が手にしているということである。では、その中身とは何なのか?

 惑星探査機に備えつけてあるものは主に各種制御装置、土や大気のサンプルを回収するためのキット、そして――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そこまで考えた時、イヴはテラフォーマー達の狙いに気付いた。即ち――

 

 

 

「――爆撃だ! このままここにいたら、皆吹き飛ばされる!」

 

 

 

 ――この時、イヴの言っていることを瞬時に理解できたのは、極数名だった。

 

 そしてその中で真っ先に動いたのは、ティン。

 

 彼は咄嗟に、足元に埋まっていた人間の頭部大の岩を爪先で掘り起こすと、その強靭な脚力で岩を上空のグレイトカープ目掛けて蹴り上げた。

 

 蹴り上げられた岩は勢い衰えることなく上空へと突き進むと、果たして落下しつつあるグレイトカープを正確に打ち据えた。直後、腹の底に響くような音と閃光が、乗組員たちを襲う。

 

「ッッ、おお――!?」

 

 多くの乗組員たちは訳も分からずに耳をふさぎ、真っ白に塗りつぶされた空から目を背けた。

 

 

――仮に惑星探査機の燃料が爆発したのなら、周囲数百メートルは火の海と化す。

 

 それが、ティンの脳裏に直感的に浮かんだ推測だった。

 

 今から逃亡を開始したところで、そんな規模の爆発から逃れる術などあるはずもない。加えて、バグズ2号を失えば自分たちが火星を脱出する手段はいよいよなくなる。ならば、惑星探査機が空にあるうちに処理しなければ、自分たちに未来はない。

 

 先ほどの行動は、そんな考えの末に起こしたものであった。

 

 賭けの要素こそ大きかったものの、結果としてその行動はまさしく現状においての最善手であり、彼は見事乗組員とバグズ2号を同時に守ることに成功した。紛れもない英断であったと言うほかないだろう。

 

 

 

 

 

 ――英断ではあったが、しかし。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「う、おッ!?」

 

 横から押し寄せた熱気に、小吉は両脇にいたイヴと奈々緒を抱き寄せ、咄嗟に後方へと飛び退いた。それに気が付いたミンミンが振り向いたその瞬間。

 一瞬前まで小吉達がいた場所を紅蓮の炎が舐めるようにして駆け抜け、驚愕の表情を浮かべたミンミンの姿は炎のベールの向こう側へと消えた。

 

「なんッ――!?」

 

 驚く小吉をよそに炎は熱気を撒き散らしながらなおも地面を這いまわり、瞬く間にバグズ2号と乗組員たちを包囲した。

 

「お、落ちてきた破片から燃え移ったのか!?」

 

「けど、炎が大きすぎる! 苔がこんなに燃えるなんて……!」

 

 小吉と奈々緒が揺らめく炎の壁にそう漏らすと、その向こう側から声が聞こえた。

 

「お前ら、大丈夫か!?」

 

 ミンミンの声だ。小吉が無事を知らせるために炎の向こうへと声を張り上げる。

 

「こっちは無事です! それよりもそっちは!?」

 

 一瞬の間をおいて帰ってきた「怪我人はいない!」というその返事に、小吉と奈々緒がほっと胸を撫で下ろす。しかしそれもつかの間、小吉は自分たちを取り囲む炎に再び顔をしかめた。

 

「マズいな、副艦長達と分断されちまった。ツイてねぇ、まさか爆発の余波でこんな――」

 

「やられた」

 

 小吉の言葉を遮るように、イヴが言った。小吉が目を向ければ、イヴは地面にかがみこんで、手に取った何かを見つめていた。

 

「どうした、イヴ?」

 

 こちら側――小吉、奈々緒以外に唯一視認できる場所にいるティンが尋ねると、イヴが勢いよく顔を上げた。その顔には熱気のせいなのか、あるいは焦燥のせいなのか、尋常ではない量の汗が浮かんでいた。

 

「あいつらの作戦、二段構えだったんだ……!」

 

「何っ!?」

 

 驚く小吉の顔前に、イヴは手にした何かを突き出した。それは、火星の地面に生えている苔だった。炎に照らされて朱色に染まっているものの、特に異変はないように見えた。

 

 ――だが。

 

「ぐっ!?」

 

 

 イヴに苔を突き付けられたその瞬間、()()()()()()()()()彼は思わずうめき声を上げると距離をとった。同時に、イヴの言わんとすることを理解した。

 

「この臭い……まさか、ガソリンか!?」

 

 小吉の顔に驚愕の色が浮かぶ。

 

「あいつら、爆撃が防がれたときの保険に、こんなもんを撒いてやがったのか!」

 

 もしも爆発でそのまま吹き飛べばそれでよし。仮に何らかの方法で防がれたとしても、分断した上で炎の檻に閉じ込め、じわじわとなぶり殺しにすればいい。

 

「そんな、じゃあこれって……」

 

「ああ」

 

 奈々緒が言わんとしたことを察し、ティンの頬に冷汗が伝った。

 

「――俺達は奴らに、まんまと嵌められたらしい」

 

 

 

 ティンが言った次の瞬間、小吉達の周囲の地面を突き破って、一斉に何かが地表へと顔を出した。

 

 

 

「じょうじ」

 

 

 

 現れたのはテラフォーマーだった。まるで春になると庭先に生えるツクシのように、その上半身を地面から突き出している。ボコッ、ボコッという音を立てながら、黒いツクシの数はどんどん増していく。

 

「ひッ――!」

 

 奈々緒の目の前の地面が爆ぜ、にょっきりとテラフォーマーが顔を出した。突発的なそれに体が対応しきれず、奈々緒が短く悲鳴を上げた。

 

「アキッ!」

 

 テラフォーマーが右腕を振り上げる。咄嗟に小吉は彼女を庇うように前に出ると、その胴体に毒針を叩きこんだ。テラフォーマーはギィと鳴くとそのまま前のめりに倒れ込み、一度だけ体を大きく痙攣させて、それきり動かなくなった。

 

「ミンミンさん、罠だ! ボクたち、あいつらの作戦に引っかけられた!」

 

 再び変態し、警杖を構えたイヴが叫ぶ。

 

「副艦長、今すぐ合流を! 全員でバグズ2号の中へ!」

 

 黒いツクシたちに向けて蹴りを放ちながら、間髪入れずにティンが言葉を続ける。すると一拍おいて、炎の向こう側からミンミンの返答が返ってきた。

 

「――残念だが、それは無理そうだ」

 

 その返答に、思わず小吉達が耳を疑う。その目の前で一瞬だけ炎の壁が揺らぎ、向こう側にいるミンミンたちの様子が目に映った。

 

 立ち尽くす乗組員たち。

彼らを庇うように背後に回した、ミンミンとリーの後ろ姿。

そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!」

 

 ティンが目を見開いたと同時に、炎が燃え上がり、紅蓮のベールの向こうへと彼らの姿は隠されてしまった。

 

「お前達は艦内へ行って、艦長達を探してこい! その間、私たちでこいつらは食い止めておく!」

 

 ミンミンの凛とした声が、彼らの耳に届いた。

 

「で、でも――」

 

 イヴが食い下がろうとするも、リーの声がそれを遮った。

 

「どのみち、これ以外に方法もねーだろうが。第一、お前に心配されるほど俺達ゃ弱くないぜ? いいからさっさと行ってこい」

 

「そうだそうだ、さっさと行ってこいお前ら!」

 

「私達のことは気にしないで、行って!」

 

 次々と聞こえたその言葉に、ぐっとイヴが歯を食いしばった。胸の奥が躊躇いと逡巡にざわめき、それが束の間の沈黙を生み出す。

 

「……イヴ」

 

 促すようにティンが呼びかける。

 事態は動き続けている。いつまでも、何もしないでいるわけにはいかない。イヴは大きく息を吸うと、口を開いた。

 

「ありがとう、皆!」

 

 そう言って、イヴは後ろ髪を引かれる思いでバグズ2号の方へと向き直った。

 

「ティンさん、小吉さん! 露払いをお願い!」

 

 イヴの声に「任せろ!」という2人の返事が重なった。ティンと小吉は押し寄せるテラフォーマーを任せ、イヴは奈々緒を守りながら一気にバグズ2号の入り口まで走り抜けた。やがて2人の退避の完了を確認すると、小吉とティンも隙を見てバグズ2号へと駆け込み、その扉を閉ざした。

 

「……行ったか」

 

 ミンミンそう言うと、目の前の力士型に向かって両腕の大鎌を構えた。その背後で変態したトシオとルドンが力士型に向かって構えるが、リーがそれを手で制する。

 

「やめとけ、こいつはお前らじゃ無理だ。それよりも、周りの雑魚共を潰して他の奴らを守れ。こいつらの相手をしてる間、こっちは手が離せねぇからな。任せたぞ」

 

 リーの言葉に一瞬だけ躊躇うような素振りを見せたものの、2人はすぐに頷き、通常型のテラフォーマーとの交戦を開始した。

 

「では、私たちは奴らの相手か」

 

「フン……副艦長よぉ、一応聞いとくぜ。足止めなんてケチ臭ぇこと言わずに、殺しちまってもいいんだよな?」

 

「ああ、構わん」

 

 ミンミンが大鎌に変化した両腕を構え、リーがナイフを引き抜く。それを見たテラフォーマーも腰を落とし、迎撃の姿勢をとった。

 

 ミンミンは静かに、しかし明確な戦意と殺意を込めて言った。

 

「――いくぞ、リー。奴らを狩る」

 

「了解」

 

 直後2人は大地を蹴ると弾かれたように飛び出し、力士型のテラフォーマーへと躍りかかった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 艦内に入ったイヴたち4人は、管制室を目指してひたすらに廊下を走る。彼らの足音以外に物音は全くなく、艦内は不気味なほどに静まり返っていた。

 

 ――また、テラフォーマーの死体だ。

 

 足を動かしながら、イヴがチラリと目を廊下の隅に向ければ、何体目かのテラフォーマーの死体が目に入った。

 

 すれ違いざまに見た限り、その個体にも外傷らしい外傷は見られない。それが指し示しているのは、今までの個体はいずれもドナテロや一郎によって倒されたわけではないということ。だが、外傷をあまり残さないウッドの能力では、テラフォーマーを操ることはできても殺すことはできないはずだ。

 加えて、艦内には何かが焼けたような焦げ臭さが充満していた。そこから推測できる最も妥当なテラフォーマー達の死因は――

 

「火災による酸欠、か」

 

「やっぱり、一郎さんの作戦自体は成功してたんだ」

 

 ティンの呟きにイヴが頷く。同時に、疑問を抱かずにはいられなかった。作戦が成功しているのに、なぜドナテロ達の姿が見えないのか。先程まで息をひそめていた不吉な予感が、イヴの中で再び鎌首をもたげ始めたその時、奈々緒が声を張り上げた。

 

「見えたよ、管制室!」

 

 イヴが顔を上げると、廊下の突き当りには管制室の扉が見えた。付近には、数体のテラフォーマーの死体が転がっていた。

 

 先頭を走っていた小吉はそう言ってスピードを上げ、扉の前まで一気に駆け寄った。彼は手でイヴと奈々緒に止まるように合図すると、慎重に壁のタッチパネルを操作し、扉を開錠した。

 

 緊迫した空気の中でどこか場違いな軽い電子音が鳴り、扉が両側に開いた。中からテラフォーマーが飛び出してきてもすぐに応戦できるよう、小吉とティンが神経を研ぎ澄ました。

 

 数秒後、扉が完全に開き切る。何かが襲ってくる気配はない。小吉とティンは顔を見合わせると、慎重に中へと足を踏み入れた。

 

 管制室の中は惨状であった。ここまでの道中など比にならない程の焦げ臭さと、死体の数々。廊下のものと同様、酸欠で死んだと思われる個体の死骸もあったが、胴体が引き裂かれているものや頭部が砕かれているものなど、損壊しているものも多い。ここで激戦があったことは、疑いようがなかった。

 

 そこまで確認した時、小吉は床に倒れ伏す一郎の体を発見した。

 

「一郎ッ!」

 

 小吉は声を上げると、警戒も忘れて思わず一郎に駆け寄った。他の3人もすぐに後ろから続く。

 

「おい、一郎! しっかりしろ!」

 

 小吉が大声で名前を呼ぶが、一郎は微動だにしない。急いでティンが一郎の手首を握って脈を取るも……やがて、何も言わずに首を横に振った。その様子に、奈々緒が顔を歪める。

 

 ――せっかく、ここまで一人も欠けずに来たのに。

 

 そんな思いが小吉達の中に湧き上がる。

 

「クソッ!」

 

 小吉が床を力任せに殴りつける。静まり返った管制室内に、鋼鉄がひしゃげる音がどこか虚しく響き渡った。

 

「うそだ……」

 

 呆然の表情を浮かべたイヴの口から零れたのは、そんな言葉だった。まるで靄がかかってしまったかのように、思考が上手くまとまらなかった。

 

絡まり、ほつれる無数の思考の糸の中に、イヴはふと自分の家族のことを話してくれた一郎の顔を見つけた。いつもしかめ面の彼が兄弟のことを話している時ばかりは表情を和らげていたことを、今更のようにイヴは思い出す。

 

 

 一郎があの優し気な顔を自分に見せてくれることは、もう二度とない。

 

 

 数秒の時間をかけてやっとその事実を認識した時、イヴの脚から力が抜けた。カクン、と筋肉の支えを失ったイヴの膝が床に落ちる。

 

「そんな……」

 

 痺れた脳が正常に回り始めるにつれ、イヴの中で虚しさと悲しさが入り混じった、どろりとした感情が膨れ上がった。

 

 だがそれが最高潮達する寸前、膝をついたイヴの視界の隅にあるものが映りこんだ。同時にイヴの中に湧き上がる黒い感情は、一気に別の何かで塗りつぶされる。頭に一気に血が上り、心臓がやけにうるさく胸を叩くのを、イヴはどこか他人事のように感じながら、その方向へと顔を向けた。

 

 

 

 

 

 イヴの青い瞳に飛び込んできたのは、無数のテラフォーマーの死体に紛れるようにして地面に横たわるドナテロの姿だった。

 

 

 

 

 

「ッ!」

 

 考える前に、イヴの体は動いていた。跳ねるように立ち上がると、床を蹴ってドナテロの下へと駆け寄り、その傍らに膝を折る。彼の名を呼びながらの体を揺するも、反応はない。

 押し寄せた黒い不安にイヴは我を失いかけるも、突然彼はハッとしたような表情を浮かべた。

 

「っ、そうだ! 脈拍!」

 

 イヴは閃きのままに素早くドナテロの太い腕を持ち上げると、手首に指を押し当てた。目を瞑り、指先の神経に意識を集中すると、微かにではあるがトク、トクと心臓の鼓動が感じられた。

 

 即ち――ドナテロはまだ、息がある。

 

 それを知った時のイヴの安堵は、一体どれほどのものであったのだろうか。イヴは大きく息を吐くと、張りつめていた糸がフツリと切れたかのように一気に脱力した。

 

「よ、よかった……」

 

 胸の奥から湧き上がる数多の感情の波に、イヴの瞳から涙の粒が零れた。

 

悲しみはあった。苦しみもあった。悔しさも、虚しさもあった。

 

 だがそれでも、一郎のみならずドナテロさえも失うという最悪の事態を避けられたことに、心の底から安堵した。確かに命の鼓動を感じられるドナテロの腕を、イヴは慈しむように、強く握りしめる。

 

 

 

 

 緊迫したティンの声が響いたのは、その時だった。

 

 

 

「イヴッ! 後ろだ!」

 

 彼の声に反応し、イヴは素早く背後へと振り返った。

 

 

 

 

 先程まで転がっていたはずのテラフォーマーの死体の顔が、イヴの目の前にあった。

 

 

 

 

「なっ――」

 

 驚く間もなく、テラフォーマーはイヴの首筋に何かを突き立てた。鋭い痛みが電気のように走った。刺されたそれが注射器の針だとイヴが理解したのと、その先端から液状の物体がイヴの体内へと流し込まれたのはほぼ同時であった。

 

「うぐっ!?」

 

 ビクンッ、とイヴの体が痙攣し、大きく背後に仰け反った。その直後からイヴの体はまるで何かに悶えるかのように、小刻みに震え始めた。

 

「っ、テメェ!」

 

 小吉が怒声を上げると、毒針のついた腕を振り上げ、テラフォーマーに殴りかかろうとする。それを見たテラフォーマーは焦る様子もなく、小吉に向かって何かを投げつけた。

 

 反射的に投げつけられたそれを小吉が殴りつければ、彼の針はその物体を容易く貫いた。途端に内部に詰まっていた透明な液体が周りにまき散らされた。

 

「なっ、水かこれ!?」

 

 テラフォーマーが投げつけたのは、飲料用としてバグズ2号内に設置されているただの水だった。これといって毒物が溶かしこんであるわけでも、何か特別な効用があるわけでもない、ただただ純粋な飲料水。何のひねりもなく投げつけたところで、精々数秒の足止めにしかならないものだ。

 

 だがテラフォーマーはその数秒の合間に、目的を達成していた。

 

「そんな!」

 

 奈々緒の悲痛な声が、管制室内に響く。彼女の視線の先では、まるで幽鬼が如き虚ろな様子で、イヴがテラフォーマーの隣に立っていた。その目は焦点が合っておらず、口の端からは涎を一筋垂らしている。どう見ても、正常な状態ではない。そんなイヴの様子を見たテラフォーマーは鷹揚に頷くと口を開いた。

 

 

 

 

 

「いやー、意外とやってみれば何とかなるもんだ」

 

 

 

 

 

 ――と。

 

 そのテラフォーマーは、()()()()()()()()()()

 

 

 

「正直、イヴ君が1人で近づいてきてくれるかどうかは賭けだったんだけど……イヴ君がおバカで助かったわ~」

 

「ッ!」

 

 見た目からは考えられないような軽い口調で饒舌に語るテラフォーマー。その声質、そのしゃべり方に3人は聞き覚えがあった。

 

「お前まさか……()()()()?」

 

 ティンが焦りと驚きを隠しきれない様子でそう尋ねると、「およ?」と、テラフォーマーの顔がクルリと三人に向けられた。それからぐにゃり、とその顔がいびつに歪む。

 

「……何だ、思ったより早く気付いたじゃん」

 

 茶化すような調子でそう言いながら、テラフォーマーは自らの顔面を右手で掴むと、それを力任せに引き剥いだ。まるで仮面のように剥されたテラフォーマーの顔の下から表れたのは、褐色肌の女性の顔。

 

 ドナテロや一郎と共にバグズ2号に残ったはずの、ヴィクトリア・ウッドの顔であった。

 

「ハロー、ハロー、さっきぶりだね皆の衆。元気にしてた?」

 

 ウッドは無邪気な笑顔を浮かべ、小吉達に手を振って見せた。彼女の屈託のない笑顔は、航海中にはムードメイカーとして機能していたものだったが、この状況下において場違いに陽気なその様子は、不気味以外の何者でもなかった。

 

「ウッド、あんた……」

 

「んー、どしたん? ってか、これ脱ぎにくいのなー。うわ、体液でベタベタだし」

 

 青ざめる奈々緒の前で、ウッドは自らが『着込んでいた』テラフォーマーの体をおぞましい音と共に脱ぎ捨てる。その様はまるで、蛹から羽化したばかりの成虫のよう。彼女の体にまとわりついたテラフォーマーの体液はぬらぬらとした光を照り返し、どこか艶めかしくも神秘的な様相を呈していた。

 

「ウッド! お前、自分が何したのか分かってんのか!?」

 

 業を煮やした小吉が叫ぶと、ウッドは「何言ってんの?」と言わんばかりに首を傾げた。

 

「一々言われなくたって、自分のやったことくらい理解してるさ。もう子供じゃないんだから」

 

「だったら、何でイヴにそんなことをした!? 一体、何が目的だ!」

 

 飄々とした様子の彼女に小吉が怒鳴る。するとウッドは考え込むように顎に手を当てた。

 

「目的、目的か……そうだな、あたしも回りくどいのはあんまり好きじゃないし、ここは1つ単刀直入に言ってみようか」

 

 ウッドはそう言うと人差し指をビッと立て、それを小吉へと向けた。

 

「小町小吉、及び他二名。速やかにあたしにバグズ2号を引き渡して、下船しなさい。命令に従わなかった場合、あたしの毒でお人形さん状態のイヴ君をけしかけちゃうぞ☆」

 

 ニィと口端を吊り上げたウッドのその笑顔は底抜けに明るく、それゆえにどこまでも残虐であった。

 

 

 

 

 

 

ヴィクトリア・ウッド

 

 

 

国籍:南アフリカ共和国

 

 

 

19歳 ♀

 

 

 

159cm 45kg

 

 

 

バグズ手術ベース   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ――――――――――――エメラルドゴキブリバチ――――――――――――

 

 

 

 

 

 悪魔繰る輝翠の妖姫(エメラルドゴキブリバチ)支配(ウィンク)

 

 

 

 

 

 




【オマケ】

ウッド「とりあえず、操ったイヴ君にはメンバーの中で誰が一番好きか聞いてみようか」ドキドキ

小吉「くっ、なんて卑劣な!」ドキドキ

奈々緒「この卑怯者……!」ドキドキ

ドナテロ「」ドキドキ

一郎「」ドキドキ

ティン「……いや、最後2人は待とうか」


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