贖罪のゼロ   作:KEROTA

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第14話 UPHEAVAL 戦線激化

「フンッ!」

 

 ドナテロが剛腕を振るい、屈強なテラフォーマーの肉体を力任せに殴り飛ばす。その個体は数mほど吹き飛ばされると壁に激突し、全身から白い脂質と体液を飛び散らせながら息絶える。立て続けに、ドナテロは近くにいた別のテラフォーマーの体を持ち上げた。

 

「おるあァ!」

 

 雄叫びと共に、ドナテロはもがくテラフォーマーの体を地面に叩きつける。彼の怪力に耐え切れず、テラフォーマーの胴体が真っ二つに割れる。ゴキブリ特有の耳障りな断末魔を聞きながら、ドナテロは両手に握られたテラフォーマーの残骸を放り投げた。

 

「ハーッ! ハーッ!」

 

 息を荒げながらも一歩も引かず、ドナテロがテラフォーマーに対峙する。チラリと彼が目線を横に向けると、そこには頭から血を流して倒れている一郎の姿があった。

 

 

 

 

 

 ――最初の内は、順調だった。

 

 一郎の作戦は滞りなく進行し、彼ら三人と操った数匹のテラフォーマーは、テラフォーマーの大群相手に、互角に渡り合っていたのだ。

 

 

 だが、ドナテロと操られたテラフォーマーによる防衛線を一匹のテラフォーマーが突破したことによって、状況は一気に悪化することとなる。

 

 彼らの攻撃を潜り抜けたその個体は、ドナテロ達には目もくれずに、後方でテラフォーマー達の指揮をするウッドに目にもとまらぬ速さで近づき、立ち尽くす彼女の体を力任せに引き寄せた。それからウッドの体を小脇に抱えると、すぐさま窓を突き破ってバグズ2号の外へと逃げてしまったのだ。

 

 こうなるともはや、手の打ちようがない。ウッドがいなくなってしまった今、テラフォーマーの補充はできない。今はまだ戦線は辛うじて保っているものの、指揮官を失ったテラフォーマー達が瓦解するのは時間の問題だった。

 

「艦長」

 

 後方から聞こえた声にドナテロが振り向くと、自らを見つめる一郎と目が合った。明らかな劣勢な状況にもかかわらず、彼は落ち着いた声で言った。

 

「俺が雨戸を閉めて火をつけます。それまで、時間を稼いでください」

 

「ッ! だが、それは……」

 

 ドナテロが僅かに躊躇う。一郎が雨戸を閉めるということは即ち、自分諸共に彼がバグズ2号の中に閉じ込められてしまうということ。自分が死ぬのはいい。だが、彼まで道連れにしてしまうのは――。

 

「艦長、『人として』じゃなく『艦長として』やるべきことを優先すべきです」

 

 一郎の強い視線が、逡巡するドナテロを射抜くように見つめた。

 

「今艦長がやるべきことは、テラフォーマーを確実に殲滅できる方法をとることです。俺が雨戸を閉めれば、こいつらは倒せる。それ以外に方法がないのなら、あなたは俺にやれと命じるべきだ」

 

 彼の顔には、強い決意の表情が浮かんでいた。それを見たドナテロは、苦々しい思いをしながらも決断を下した。

 

「……一郎、頼む」

 

「わかりました」

 

 ドナテロの言葉に、一郎はいつも通りの淡々とした口調で答えた。

 

 

 

 

 

(すまないな、一郎)

 

 心の中で謝罪の言葉を口にし、ドナテロは再び目の前に並び立つテラフォーマー達を見据えた。ウッドの能力で操ったテラフォーマー達は残らず殺されており、既に戦えるものは自分しかいない。だがそれでも、ドナテロは決して、絶望に膝を屈したりなどしなかった。

 

「どうした、来いよゴキブリ共」

 

 そう言って彼は、燃え盛る業火の中で不敵に笑う。

 

「一匹残らず、俺が駆除してやる」

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 バグズ2号の乗組員たちを包囲する、無数の屈強なテラフォーマー。その手に握られているのは、おそらくはバグズ1号から持ち出したのであろう銃器。そんな彼らを前に、ミンミンは生存のために思考を巡らせた。

 

(テジャスの能力を使えば、逃げるチャンスはあるか?)

 

 一瞬だけそんな考えが脳裏に浮かぶが、彼女はすぐさまその案を捨てた。この数相手では、テジャスの能力を使ったとしても包囲網を突破するのは難しいだろう。

 バグズ1号に籠城するのも悪手だ。それでは、バグズ2号から自分たちが脱出した意味がない。逃げ場を失って皆殺しにされるのがオチだろう。

 

(――なら、戦って勝つしか道はない!)

 

 素早く考えをまとめると、彼女は注射器を取り出しながら乗組員たちに向かって声を張り上げた。

 

「総員変態! ゴキブリを迎え撃つぞ!」

 

 言うが早いか、ミンミンは巨大な鎌に変化した両腕を振り上げて、テラフォーマーの群れへと切り込んだ。

 

 ――ミンミンの指示を聞いた乗組員たちの反応は、大きく二つに分かれた。

 

「っし、やるぞティン!」

 

「ああ」

 

 片方は、小吉やティンの様にすぐさま薬を取り出して変態をした者たち。彼らの他にはリーを始めとして戦闘適正の高いベースを持つ者がこちらに該当する。

 

 

 そしてもう一方は――

 

「う、うわあぁあああああ!」

 

「ひっ……」

 

 ――何もできずに、立ち尽くす者たち。こちらは恐怖のあまりに体が動かなくなってしまった者や、変態することでかえって不利になる者などが該当する。

 

 さて、ここで問題となるのが『テラフォーマーはこの状況下において誰を狙うのか』ということである。

 

 自然界の狩りにおいて、真っ先に狙われるのは『群れの中でも弱いもの』――例えば幼体や老体、そして手負いの個体などだ。ここに挙げた特徴を持つ標的は、少ない危険で高い見返りが望めるからこそ、捕食者に真っ先に狙われる。

 

 では、テラフォーマー達の視点で考えた場合、目の前にいる人間という『群れ』の中で『弱い』のは、「狩りやすい』のは、変態をしているものとしていない者のどちらなのか。

 

 答えは当然――後者である。

 

 

 

「く、来るな! 来るなァ!!」

 

 棒立ちになったフワンが、半狂乱で叫ぶ。しかし、相手は人の言葉を解することのないゴキブリ。彼が叫んだところで、止まるはずもなかった。

 もっとも――仮に言葉が通じたとして、彼らが害虫(にんげん)の言葉に耳を傾けるとは思えないが。

 

「じょう」

 

 テラフォーマー達は洗練された動きで人間から奪った技術である銃を構える。それでもなお、恐怖ですくんだフワンの体は動かない。

 

 震える彼に狙いを定めると、テラフォーマー達は何のためらいもなく銃の引き金を引いた。

 

 

 

 ――銃口が火花と共に発した銃声、放たれた弾丸が空を裂く風切り音。

 

 

 

 次いで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、フワンの耳に届いた。

 

「あ……え?」

 

 彼が地面に視線を向ければ、緑の大地に転がる銃の弾丸が目に入った。事態の処理に頭が追いつかずに呆然とするフワンの前に、トッ、と小さな影が降り立った。

 

「フワンさん! 変態して!」

 

 影――イヴはそう言うと、手にした警杖から電気を散らしながら、銃を構えるテラフォーマー達目掛けて大地を蹴った。歯車が回る音と共に苔が混じった緑色の土煙が舞う。イヴは一瞬で彼らの懐に入り込むと、巧みな手つきで警杖を振るった。

 低い位置からの長物による刺突という未知の攻撃への対応が遅れ、銃を構えていたテラフォーマー達はたちどころに電撃の餌食となって、地面へと倒れこむ。

 

 イヴは油断なく警杖を構えながら、棒立ちになっているフワンに叫んだ。

 

「早く! フワンさんの能力なら、変態すれば逃げれるかも――」

 

「きゃあああああああ!」

 

 耳に届いた甲高い悲鳴に、イヴは言葉を切って振り向いた。彼の赤い瞳に映ったのは、四肢を数匹のテラフォーマーに掴まれたジャイナだった。おそらく、手足を引きちぎることで彼女を殺そうと考えたのだろう。

 

「ジャイナさん!」

 

 イヴが警杖を構えて飛び掛かり、最も近くにいたテラフォーマーの脳天を思い切り打ち据えた。

 

 いかに強化されているとはいえ、所詮イヴの腕力は精々鍛え上げた成人男性程度のもの。テラフォーマーにとって、彼の一撃は致命傷たり得るものではない。

 だが、背後からの不意打ちという点が幸いした。驚いたテラフォーマーがギィ、という悲鳴と共にジャイナの右足から手を放したのだ。

 

 イヴはそれを見逃さず、今度は電気を纏わせた一撃をテラフォーマーに叩きつけた。

 

 全身から煙を噴き上げながら倒れた仲間の姿に、他の個体が慌てて距離をとろうとするが、遅い。

 

 警杖を大きく振り回し、イヴは次々と先端部分をテラフォーマーにぶつける。彼の黒い手の中で警杖が数回転する頃には、ジャイナを取り押さえていたテラフォーマーは残らず地に伏していた。

 

 戦闘員にまさるとも劣らない、それらの戦果。

 しかし、イヴの表情は晴れなかった――それどころか、崖っぷちまで追い込まれたかのように切羽詰まってさえいた。

 

 

(――駄目だ)

 

 

 マリアの背後に迫ったテラフォーマーの胸を水のレーザーで撃ちぬきながら、イヴが脳内にはそんな言葉が浮かんだ。

 

 

()()()()()()!)

 

 

 ツチカメムシの腕で警杖を振るい、ウンカの豪脚で蹴り、カハオノモンタナの糸で縛り上げ、水鉄砲で撃ちぬく。だがそれだけやっても、テラフォーマーの数は一向に減らなかった。

 

 こうなってくるとまず問題になるのが、戦闘能力を持たない乗組員たちの安否だ。

 ジャイナやマリアのように防御系の能力を持つ者はまだいい。だが、変態したとしても自分だけではその能力を発揮することが難しいテジャスや、変態することで逆に地上での機動力が落ちてしまうジョーンなどは悲惨だ。彼らは変態すらできず、ただ逃げまどうことしかできない。

 

 するとそんな彼らを気に掛けるがゆえに、戦闘員たちも十全の動きができなくなる。守るべき者が後ろにいるからこそ強くなれる――などというのは精神論の話。実際問題として考えた場合、混戦時において戦えない味方は、身もふたもない言い方をすれば、足手まといでしかないのだ。

 

 そして、戦闘員の動きが鈍れば押し寄せるテラフォーマーが更に増える、という負のスパイラル。早く手を打たなければ、全滅も十分にあり得る。

 

 飛び回り、跳ね回ってテラフォーマーの注意を引きつけながら、イヴは脳内で打開策を詮索する。この悪循環を断ち切るには、戦場から非戦闘員という要素を取り除く必要があった。

 

(せめて、戦えない皆をどこかに隠さないと!)

 

 必要なのは、簡単にテラフォーマーに侵入されない頑丈な避難用シェルター。だが、付近にそんな都合のいいものがあるはずもなかった。

 

(何か、何か方法が――)

 

 その時、イヴの脳内で一つの案が閃いた。襲い掛かってきたテラフォーマーの攻撃を躱してカウンターを叩きこむと、イヴは最も近くにいたティンに叫んだ。

 

「ティンさん! 少しの間ボクのことを守って!」

 

 突然の頼みに驚くティンだったが、イヴはそんな彼の反応を気にも留めず、すぐさま警杖を三つに分解すると腰のホルダーにしまい込んだ。

 それから地面に両膝をつくと、彼は黒い甲皮に包まれたその両手を使って、一心不乱に地面を掘り始める。

 無防備になった彼に慌てて駆け寄ると、ティンはイヴを守るように陣取り、迫りくるテラフォーマー達を相手に戦いを開始した。

 

「シュッ!」

 

 ティンの強靭な脚による一撃をもろに受け、テラフォーマーの体がまるで豆腐か何かのように容易く引き裂かれる。それでもなおその威力は衰えず、そのまま数体のテラフォーマーを吹き飛ばしてようやく収まった。

 

「イヴ! どうするつもりだ!?」

 

 更に飛び掛かってきたテラフォーマーを蹴りで縦に両断しながら、ティンが聞く。するとイヴは、地面を掘る手を緩めることなく彼に返した。

 

「穴を掘って、戦えない皆の退避場所を造るんだ! 地面の中なら、奴らもすぐには入り込めないはず!」

 

 地下への退避。それが、イヴが思いついた案だった。

 

 ――イヴの両腕に宿る『ツチカメムシ』の遺伝子。普段のイヴが子供としての貧弱な筋力を補うために使っているこの昆虫の力だが、本来その特性を発現させた両腕が真価を発揮するのは戦闘ではなく、掘削作業である。

 

 特にイヴのベースとなっているのはツチカメムシの中でもとりわけ地中生活に適応した種である『ジムグリツチカメムシ』。鎌か鋤のように変化したその前脚で土を掻き分け、地中深くに潜っていく能力は、数いるカメムシの中でもトップクラスと言ってもいいだろう。

 

 ――その力を駆使して、ゴキブリが容易に入り込むことのできないシェルターを地下に築く。

 

「これで避難場所ができれば、皆も全力で戦える!」

 

 イヴはそう言いながら、鋤のように鋭い形状に変化した指と掌を使い、懸命に作業を続ける。掘削を専科とするジムグリツチカメムシの筋力で、イヴは目の前の地面を見る見る内に掘り下げていった。

 

 その速度は非常に速く――しかし、それでも()()()()

 

 

 

 イヴがそのテラフォーマーの接近に気が付いたのは、視界の上隅に黒い爪先が映ったからだった。慌てて顔を上げれば、そこにあったのは棍棒を振りかぶったテラフォーマーの姿。穴掘りに集中しすぎて、気が付かなかったのだ。

 

「イヴッ!」

 

 気が付いたティンが加勢しようとするも、他のテラフォーマーたちがそれを阻む。護衛が引き離されて警杖もすぐには用意できない今、イヴは完全な無防備だった。

 

 そしてそんな隙を、テラフォーマーが見逃してくれるはずもない。

 

「じょうッ!」

 

 テラフォーマーはイヴの脳天を目掛けて棍棒を振り下ろした――

 

「させるかっ!」

 

 

――()()()()、奈々緒のそんな声が響き、テラフォーマーの棍棒には数本の細い糸が絡みついた。勢いよく振り下ろしたテラフォーマーの手からは棍棒がすっぽ抜け、明後日の方向へと飛んでいく。

 

「小吉ッ!」

 

「おうっ!」

 

 驚いて振り向いたテラフォーマーの腹に、小吉がスズメバチの毒針を突き刺した。それは、殺傷目的ではなかったがゆえに対密航者戦では使うことのなかった、オオスズメバチ最強の武器。その先端部から大量の毒液を流し込むと、テラフォーマーは口から泡を吹いて崩れ落ちた。

 

「無事か!?」

 

「怪我はない、イヴ君!?」

 

 駆け寄ってくる2人に頷くと、イヴは自分の無事の報告もそこそこに、彼らに訴えた。

 

「戦えない皆が避難するための穴を掘りたいんだ! 小吉さんたちも手伝って!」

 

「分かった! 俺達は何をすりゃいい!?」

 

 押し寄せるテラフォーマーをなぎ倒しながら小吉が聞くと、イヴがすぐさま答る。

 

「奈々緒さんには今からボクがいう物を作ってほしい!」

 

 イヴの言葉に奈々緒が頷くと、彼の横にしゃがみ込んだ。後ろを気にする様子は、全くない。それだけ、小吉のことを信頼しているのだろう。

 

「小吉さんはボクが穴を掘り終わるまで、周りのテラフォーマーを近づけないで!」

 

「よしきた任せろッ!」

 

 小吉はそう返すと、テラフォーマーの群れに飛び込んだ。小吉は空手の足運びでテラフォーマー達の間を風のように縫って動き、彼らの胴体にスズメバチの毒針を的確に突き立てていく。彼の攻撃を受けたテラフォーマーは一匹、また一匹と地面に倒れ、緑の大地を黒く染めていった。

 

「じょじじ……」

 

 攻めあぐねたテラフォーマーが動きを止める。戦闘員2人がかりの防衛布陣ともなれば、テラフォーマーであっても容易には近づけない。

 

 ――だから彼らは、作戦を変えることにした。

 

「じょうッ!」

 

 ――近づけないのなら、遠くから撃ち殺せばいい。

 

 そう言わんばかりに、黒い群れの中から銃を携えたテラフォーマーが十数匹ほど歩み出た。

 

「マズいぞ! 奴ら、俺達を撃つつもりだ!」

 

 頬に冷や汗を伝わせながら、ティンが叫んだ。彼らに至近距離での肉弾戦ならば後れを取ることはないが、遠距離から一方的に狙撃されてはさすがに彼らでも対処のしようがない。

 小吉が駆け出そうとするも、テラフォーマーたちが引き金を引く方が速かった。

 

 ドン、という発砲音と共にテラフォーマー達の持つ銃が火を噴く。勢いよく飛び出した弾丸は真っすぐに小吉達を目掛けて突き進んでいき――しかしその直後、『小吉達を庇うように』立ちはだかった2人の乗組員に阻まれ、音を立てて跳ね返った。

 

 それを見た奈々緒が、驚いたような声を上げる。

 

「マリアさん!? それに、ジャイナも!」

 

「ま、間に合った……」

 

 体の前で両腕を交差させたジャイナがほっとしたような声で呟いた。思わず手を止めたイヴに、振り向いたマリアがにっこりと笑いかける。

 

「イヴ君には何回も助けてもらったからね。今度はアタシ達の番だよ」

 

「銃の対処は任せて。マリアのニジイロクワガタの甲皮と、私のクロカタゾウムシの鎧なら――銃弾程度、弾き返せるから」

 

 マリアの言葉を継いで、普段は自信なさげなジャイナが力強くそう言った。

 

 

 ――ジャイナの手術ベースとなった“クロカタゾウムシ”は、昆虫界で最も硬いと評される昆虫の一匹である。

 

 全身を覆う、さながらボウリング玉のようなつやを帯びた黒い装甲は、とにかく頑丈。その強度たるや、あまりの硬さに鳥が捕食するのを敬遠し、昆虫標本用の昆虫針を逆に曲げてしまう程。

 もしもその装甲が人間大になったのならば――クロカタゾウムシの鎧は、装着者をあらゆる衝撃から守り通す、文字通り鉄壁の守りとなるだろう。

 

 

 

「じょう!」

 

 テラフォーマー達が手にした銃を乱射する。しかしジャイナの言葉通り、テラフォーマー達が放った銃弾は、彼女らの体に当たるたびに甲高い音と共に弾き返され、全く貫通する気配がなかった。

 

「イヴ君! 私達で食い止めていられるうちに、作業を進めて!」

 

 甲皮に覆われていない頭部を守りながら、ジャイナが叫んだ。

 

「わ、分かった!」

 

 イヴが頷いて、地面の掘削作業を再開しようとした。とその時、そんな声と共に誰かがイヴの隣まで駆け寄ると、彼と同じように地面に膝をついた。

 

「イヴ! 手伝わせてくれ!」

 

「ふ、フワンさん!?」

 

 目を丸くして驚いた様子のイヴに、フワンが普段から細い目をさらに細めて笑った。

 

「さっきはみっともないところを見せちまったからな。ここらで名誉挽回をさせてくれ」

 

 そう言って、フワンは自らの首筋に注射器を打ち込む。たちどころに彼の全身は茶色の甲皮に覆われ、その両腕はまるで野球用のミットをはめたかのように巨大化した。

 

 

 

 ――バッタ目に分類されるケラという昆虫は、自然界切っての芸達者である。

 

泳ぐ、跳ねる、走る、鳴く、飛ぶ、よじ登るなど、その技巧ぶりは一目瞭然。一方で『ケラ芸』という言葉が表すようにどれも各分野の一流には及ばず、器用貧乏の代名詞として引き合いに出されることも多い。

 

 しかし、こと穴掘りに関していえば、この生物の右に出る虫はそうはいないだろう。

 

 極めて特殊な形状をした前脚、楕円状にまとまって先端を成す頭部と胸部、筒のように細長い胴体、汚れの付着を防ぐための繊毛など、この昆虫の体には掘削に適したギミックが数多く仕込まれているのだ。

 

 これは地中生物の代表例であるモグラにも共通した特徴であり、この昆虫が土を掘るという点において非常に発達していることを裏付けている。

 

 

 

 フワンが加わったことで、掘削の速度は先ほどまでとは段違いの速度へと変化した。瞬く間に、地下のシェルターが完成していく。

 

「じじょう」

 

 見る間に深くなっていく穴にテラフォーマーは考える。

 

 接近戦は分が悪く、銃も効果がない。更に悪いことに、離れていたところにいた乗組員たちも合流しつつあり、自分たちが地上から彼らを制圧することは事実上不可能になりつつある。

 

 では、どうするべきか。

 

「じょう。じじょう」

 

 ――彼らは、確かめることを恐れない。個の不利益の上に全の利益が成るのならばそれを是とし、いかなる犠牲も厭わずにあらゆる手を試すのだ。 

 

 

 即ち――ただ次の一手を打つのみ。

 

「――じじょうじ『じ』」

 

 唐突に、乗組員たちの目の前で数十匹のテラフォーマーの背中が一斉に開いた。

 

「……はっ?」

 

 思わず間の抜けた声を上げた小吉の目の前で、テラフォーマー達は一斉に開いた背中から現れた『翅』を使って、空高く飛びあがる。

 

「飛翔能力!? こいつら、こんなものまで!?」

 

 小吉達と合流したルドンが、驚愕の表情を浮かべた。

 

 地球のゴキブリにも翅はあるもののそれらは基本的に退化しており、飛べる種であってもせいぜいが滑空する程度である。だが火星のテラフォーマーの飛翔能力は、それらを遥かに凌ぐようだ。ヴヴヴ、という耳障りで不気味な羽音と共に、彼らは青く澄んだ朝空に黒いシミを作り出した。

 

「じじじ」

 

 手を出してこない人間達を見て、テラフォーマー達は確信する。

彼らは空を飛ぶ敵に対処する手段がないのだと。あの足が太い人間ならばこの高さまで届くのかもしれないが、それも一瞬だけだ。根本的な解決策にはなり得ない。

 

「じょうじ! じょう!」

 

 ただ立ち尽くすしかない人間達にテラフォーマーたちが勝ち誇ったように鳴いた――まさにその瞬間の事だった。彼らの間を、目にも止まらぬ速さで何かが通り抜けたのは。

 

 

 

 突然、一匹のテラフォーマーが態勢を崩した。風にあおられたのだろうか? その個体は自らの体を立て直そうとして、ある違和感に気付く。

 

 どれだけ羽ばたいても、崩れた姿勢が元に戻らないことに――否、そもそも彼の背中から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに。

 

「――!?」

 

 次の瞬間、テラフォーマーは地面に叩きつけられていた。ぐしゃりという音を立て、その全身がひしゃげる。事切れる寸前にそのテラフォーマーの目に映ったのは、電光石火のごとく空を飛び回り、そして仲間に襲い掛かるメガネを掛けた人間の姿だった。

 

 

 

 

 

 その虫が持つ最大の武器は、いかなる生物をも凌ぐ飛行術である。

 

 急発進(アクセル)急停止(ブレーキ)後退(バック)宙返り(サマーソルト)滞空(ホバリング)旋回(ターン)

 背中から生えた4枚の翅によって、時速70kmにも及ぶ高速飛行中に繰り出されるこれらの技は、人類が最新の航空技術を駆使しても再現することができないと言われている。

 加えてこの虫は、昆虫類最多と言われる複眼、発達した大顎、そして類まれな凶暴性をも備えており、狩りの際にはオオスズメバチでさえ捕食すると言われている。

 

 

 

 その虫の名は、“日本原産”『オニヤンマ』。

 

 

 

 本能の赴くまま獲物に襲い掛かるその獰猛さと、黄色と黒の縞模様という特徴的な体の紋様から、魔物の名を冠する虫である。

 

 

 

 

 

 風切り音と共に人間大のオニヤンマ――トシオ・ブライトが空を駆け、次々とテラフォーマー達を撃墜していく。

 

 武術を収めている小吉やティン、体格のいいルドンなどとは違い、トシオ自身は戦闘員でありながら、その身体能力はあくまで非力な人間のそれでしかない。だが彼のベースとなったオニヤンマは、それを補って余りあるほどに強力だった。

 

 死角に回り込んで、急所への一撃。敵からの攻撃は、昆虫類最多と言われるオニヤンマの複眼で躱す。その性能は、まさしく攻防の両面において敵無しであった。

 

「空から攻めようとしたのは失敗だったな!」

 

 そう言いながらトシオは飛んでいるテラフォーマーの背後に回り、すれ違いざまに背中の翅を毟り取る。ただのそれだけでテラフォーマーは空に留まる術を失い、地上へと落ちていった。

 

「覚えとけ、ゴキブリ共――」

 

 トシオは飛んでいた最後のテラフォーマーに迫ると、強化されたオニヤンマの筋力で強引に首をねじ切る。

 

「空はトンボの領域(テリトリー)だ。飛んでるゴキブリなんて、いいエサだぜ」

 

 トシオは落ちていくテラフォーマーにそう言うと、すぐさま地上に向かって急降下した。ジャイナやマリアに向かって銃を撃ち続けるテラフォーマーに狙いを定めると、下降の勢いをそのままに、彼らから()()()銃を奪い取った。

 

 すかさずトシオは後退すると、それを戦う術のないジョーンとテジャスに放り投げる。

 

「2人とも、使え! 何もないよりはマシなはずだ!」

 

「すまん、助かる!」

 

 2人は銃を受け取ると、間髪入れずにそれをテラフォーマー達に向かって撃ち始めた。

 

 テラフォーマー相手に銃の効果は薄い。だが、全く効果がないかと言われれば、その答えは否である。弾幕を張ればテラフォーマーの行動を制限できるし、運よく食道下神経節に当たれば彼らを戦闘不能に追い込むことも可能なのだ。

 

 尽きるまで銃弾を撃ち続け、弾が切れたらトシオが再び補充した新しい銃へと持ち替え、また撃つ。

 それを続けることで、ジョーンとテジャスの援護は確実に効力を発揮し、僅かながらもテラフォーマーの攻め手を緩めることに成功する。

 

「あと少しだ! 全員、戦線維持に努めろ!」

 

 ミンミンが鼓舞すると、乗組員たちは各々声を上げることでそれに応えた。彼らは次々と迫るテラフォーマーを斬り、刺し、蹴り、焼き、溶かし、引き裂き、撃ち、そして防ぐ。

 それはたった10人による防衛線であったが、次々と増援が現れる無数のテラフォーマーを相手に、互角以上に渡り合っていた。戦闘員も非戦闘員も関係なく、全員が“必ず生きて地球へと帰る”という強い意志をその胸に秘め、彼らは戦い続けた。

 

 

 それから更に、永遠にさえ感じられるような、永い数分間が経過した頃。フワンと奈々緒が、ほとんど同じタイミングで声を上げた。

 

 

「よし、シェルターは完成したぞ!」

 

「こっちの作業も完了! いつでもいけるよ、イヴ君!」

 

 それを聞いた小吉は、思わず歓声にも似た声を上げる。

 

「本当か!? よしっ、これで――」

 

「いや待て、本当に大変なのはここからだ」

 

 眼前に迫ったテラフォーマーを強力な蹴りで吹き飛ばしながらティンが言った。その表情は、喜色を満面に浮かべる小吉とは対照的に、どこか険しい。

 

「そいつの言う通りだ」

 

 右手にナイフを構えたリーが、ティンの言葉に同意の声を上げる。

 

「俺達は今、10人で拮抗状態。戦闘員以外の奴らが抜けた場合、こっちが隊列を組み直すまでに数で押し切られちまう」

 

 今、彼らはイヴとフワンが作ったシェルターを取り囲み、円陣を組むような形でテラフォーマー達に応戦している。ここで問題になるのは、この円陣には小吉達以外の非戦闘員も加わっているということ。

 

 非戦闘員が一斉に避難を始め、戦闘員のみで円陣を組み直すまでの時間は、僅かに数秒。だがその数秒が命取りになりかねないのだ。

 

 

 せめて、一瞬でもテラフォーマーたちの攻勢を止めることができれば――。

 

 

 小吉が歯噛みしたその時、彼の背後からルドンが声を上げた。

 

「……一瞬でいいなら、こいつらを止めれるかもしれない」

 

「何っ!?」

 

「本当か!?」

 

 驚いたように聞き返したティンと小吉に、ルドンは「ああ」と力強く頷いて見せた。

 

「ただし、リーの協力が必要だ」

 

 そう言うと、ルドンはテラフォーマーを相手にナイフを振るっていたリーを呼んだ。リーがそれに怪訝そうな声を返すと、ルドンは声を張り上げた。

 

「俺が合図したら、奴らに向けてベンゾキノンを撃ってくれ!」

 

「そいつは構わねえが、奴らの外皮に熱は効かねえぞ?」

 

 怪訝そうに答えたリーに、ルドンは「分かってる!」と返すと、ニッと笑った。

 

「まあ見てろって!」

 

 そう言うが早いか、ルドンはまるで深呼吸でもするかのように、大きく息を吸い込んだ。それからルドンは吸い込んだ息と共に、自らの前方に向かって勢いよく、霧状の何かを吹きつけた。 

 それが程よく霧散した頃合いを見計らって、ルドンが声を張り上げる。

 

「今だ、リー!」

 

 彼の声を聞いたリーは、乗組員たちの間を射抜く様にして、テラフォーマーに向けて高熱ガスを撃ち放った。

 

 

 ルドンのベースとなったマイマイカブリは自らの身に危険が迫ると、エタアクリル酸やメタアクリル酸と呼ばれる物質を尾部から噴射して、その身を守る。

 

 これらが強い酸性・腐食性を帯びているのは以前彼がバグズ2号内で手錠を溶かして見せた通りだが、実はそれに加えて、引火性という特徴も兼ね備えている。

 

 引火性の物質がまき散らされた空間に、リーの高熱ガスが到達すればどうなるか。その答えは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 爆音とともに火柱が立ち、最前列にいたテラフォーマーの体が吹き飛ぶ。彼らは後方にいたテラフォーマーをも巻き込んで、そのまま地面に倒れ込む。これによって、将棋倒し式に被害が拡大し、一時的にテラフォーマーの攻撃の手が大幅に緩んだ。

 

「今だ! あとは私達に任せて、シェルターまで走れ!」

 

 ミンミンが咄嗟の指示を出すと、非戦闘員は一斉にフワンたちが作ったシェルターへと走り出した。幸いにしてテラフォーマーからの妨害に会うこともなく、彼らは無事にシェルターの中に駆け込んだ。

 

「よしっ、それじゃボクは――」

 

「あたし達と一緒にここにいること」

 

 警杖を構え直したイヴがシェルターの外に飛び出そうとするも、マリアに首根っこを掴まれた。

 

「うわっ!? ちょっ、マリアさん!?」

 

 イヴはじたばたともがくが、マリアは素知らぬ顔でイヴを穴の中へと連れ戻した。すかさず他の乗組員がイヴに組み付き、彼は呆気なく取り押さえられてしまった。それを見た奈々緒は満足げに頷くと、穴の外の小吉に叫んだ。

 

「小吉! あとは任せたぞ!」

 

「ガッテンだ、アキちゃん!」

 

 サムズアップした小吉に奈々緒は笑いかけると、手に握っていた数本の生糸を思い切り引っ張った。すると、糸の先端部に括り付けられていた円盤状の何かが起き上がり、そのまますっぽりとシェルターの出入口に蓋をしてしまった。

 

 

 イヴがシェルターの制作と並行して、奈々緒に造らせていた物。それは、即席の『戸』であった。

 

 トタテグモと呼ばれる蜘蛛は糸で巣穴の戸を造り、表面を土や苔で覆うことで自らの巣を外敵や獲物から隠す習性がある。今回奈々緒が作ったのは、さしずめそれの防御力向上版と言ったところだった。

 

 円盤状に固めた土石を、防弾繊維にさえなりうるクモイトカイコガの糸でコーティングする。それで出入口に蓋をしてしまえばテラフォーマー達であっても容易には突破できず、流れ弾も防げるのである。

 

「さて、イヴのおかげで非戦闘員は離脱に成功した……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ミンミンはそう言って、当初の半分ほどまでに数を減らしたテラフォーマー達を睨みつけた。その気迫に何かを感じたのであろうか、数匹のテラフォーマーが思わず後ずさった。

 

「もしも、逃げることができないのなら――」

 

 テラフォーマーにそう言いながら、ミンミンが両腕の鎌を体の前に構える。それを受け、小吉達も各々の構えをとった。

 

「私たちは戦って生き残る(かつ)までだ! 行くぞ!」

 

 彼女の咆哮と共に、6人の戦闘員が一斉にゴキブリ達に襲い掛かる。ここに、火星での激闘の第2幕が開幕した。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 バグズ1号の管制室にて。

 

 誰もいないはずその部屋で光を放っていたモニターに、何の前触れもなくノイズが走った。数秒程してそれが収まると、そこに表示されていた文字列は、先ほど小吉達が見たものとは別のモノへと変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

VERY GOOD(よくできました),EVE(イヴ君)!』

 

 

 

 

 

 

 

WELL THEN(それじゃあ)

 

 

 

 

 

 

LET’S START BONUS STAGE(いってみようか ボーナスステージ)!』

 

 

 

 

 

 




【オマケ】

ルドン「もう役に立たないとか言わせない」ドヤッ

トシオ「もう弱いとか言わせない」キリッ

リー「分かったから手を動かせ」

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