贖罪のゼロ   作:KEROTA

13 / 81
第13話 ESTRANGEMENT 乖離

 イヴたちが車庫にたどり着くと、そこには先ほどまで調査隊が使っていた六輪車が置いてあった。昼間の戦闘のせいで車体の所々に傷がついているものの、走行する分には問題ないだろう。

 

「皆、車庫のハッチが開いたら車にしがみついてくれ! 俺の特技で、包囲を突破する!」

 

 テジャスがそう言いながら注射器を取り出すと、荷台の後ろ側に飛び乗った。イヴや他の乗組員たちがそれに続く。さすがに13人も乗ると多少狭いが、悠長なことは言っていられない。こうしている間にも、テラフォーマーが近づいてきているかもしれないのだ。

 

「10秒前だ、ハッチを開けるぞ!」

 

 トシオが運転席から信号を飛ばすと、それを受信した車庫の扉が動き始めた。ゆっくりと、左右に分かれて開いていく扉。そしてその先には――三匹のテラフォーマーが待ち構えていた。

 

「発車を中止しろ、テジャス! 外にまだいる!」

 

 咄嗟に、ティンが後方のテジャスに叫んだ。

 

 地球のゴキブリは、自らに高速で向かってくるものから反対方向に逃げる性質がある。ゴキブリの尾葉と呼ばれる器官はこのためのセンサーであり、捕食者から逃れるために重要な役割を果たしているのだ。

 

 ――だが、火星のゴキブリ(テラフォーマー)は違う。 

 

 

 彼らは“死ぬことを恐れない”

 

 

 彼らは“襲うことを躊躇わない”

 

 

 例え高速の物体が迫って来ようと、それが排除すべき対象であると判断したのならば、彼らは一切の迷いなく標的に襲い掛かる。調査隊の面々は昼間の調査で、それが身に染みて分かっていた。

 

「クソッ! やるしかねぇか!」

 

 もたもたしていれば、ドナテロ達の命がけの足止めが無駄になる。そう考えた小吉が腕のアーマー部分に収納された注射器を取り出した――その瞬間。

 

 

 

 彼の後方から、テラフォーマーを目掛けて()()()()()()()()()()

 

 

 

 ズキュ、ズキュ、ズキュ、と奇妙な音が三回連続で響き、さながらビーム光線のように伸びた三本の筋が、テラフォーマーの食道下神経節を正確に貫き穿つ。

 テラフォーマー達は一瞬だけその体を痙攣させると、かっと目を見開いて地面に倒れ込んだ。

 

「このまま出して!」

 

 事態が呑み込めずに硬直した乗組員たちに、イヴが大声で言った。

振り向いた小吉の目に、両腕を前面に突き出すようにして立っているイヴの姿が映る。よくよく見るとツチカメムシの甲皮で覆われた彼の掌には極めて小さな孔が空いているのが見て取れた。

 

「早く! 他のテラフォーマーが来ちゃう!」

 

「ッ! 全員、車に全力で掴まってくれ!」

 

 イヴの声で我に返ったテジャスはそう叫ぶと、手に持っていた注射器を自らの首筋に打ちこんだ。薬の効果で彼の頭部からは触角が生え、口が昆虫の尾部の様な形状へと変化していく。やがて変態が完了したテジャスは後ろに乗り出すようにして車体に掴まると、大きく息を吸い込む。

 

 そして次の瞬間――13人の乗組員を乗せた車は、目にも止まらぬ速さで車庫を飛び出した。

 

 

 

 

 

 ――メダカハネカクシ。

 

 甲虫目ハネカクシ科に分類される約4万8000種の昆虫の中の一種である。

 

 専門家の間ではしばしば動物界全体でもゾウムシ科に次ぐと言われる『種類の多さ』や、宇宙工学的な精密さで行われる『翅の収納方法』などで話題になるハネカクシだが、このメダカハネカクシについて特筆すべき特徴はそのどちらでもない。

 

 この昆虫最大の特徴。それは、全生物の中でもトップクラスの“速さ”である。

 

 この昆虫は外敵が襲い来ると腹部から界面活性剤を分泌、ジェット噴射の様に勢いよくガスを噴射することで、水面上をウォータースライダーさながらに、滑るようにして超高速で逃げていくのだ。

 

 その移動距離は1秒の間に自長の150倍にもなるとされており、単純に人間大で計算した場合、その速度は実に時速945kmにも及ぶと言われている。

 

 

 

 

 

「う、おぉおおぉお!?」

 

 テジャスのガス噴射を推進力に、車はぐんぐんと飛距離を伸ばしていく。あまりの速さに前方から凄まじい負荷と風圧がかかり、乗組員たちが思わず目を瞑る。

 一瞬だけ滞空した車は地面へと落ち、大きな衝撃を受けながらもなお衰えないスピードで、苔むした悪路を走る。乗組員たちが目を開けていられる程度に速度が収まる頃には、バグズ2号は豆粒ほどの大きさにまで遠のいていた。

 

「な、何とか振り切ったか……」

 

 緊張が切れたのか、テジャスは安堵のため息をつきながら荷台に座り込んだ。その途端、乗組員たちからわっと歓声が上がった。

 

「すげえぞ、テジャス! あいつらを二回も振り切ったじゃねえか!」

 

 バシバシと背中を叩いてくる小吉に、テジャスは目で笑いながら首を横に振った。

 

「褒めるんだったら、俺じゃなくイヴにしてやってくれ。あいつがいなかったら、多分今頃誰かがやられてたはずだ」

 

 テジャスのその言葉に、ジャイナが思い出したようにつぶやく。

 

「そう言えば、さっきのあれって何だったの? 何か、イヴ君の手からレーザーみたいなのが出てたように見えたんだけど……」

 

「何だそれ? ビーム光線を撃つベースでも持ってんのか、イヴ?」

 

 小吉が首をひねりながらそう言うと、イヴは「違うよ」と笑った。

 

「ボクがさっきテラフォーマー達に撃ったのはこれ」

 

 そう言ってイヴが乗組員たちに向けて『それ』を掲げて見せた。乗組員たちの注目が、イヴの手に握られたものに集まる。

 

「それって……まさか水?」

 

 キョトンとした顔で奈々緒が聞く。イヴの手に握られていたもの。それは乗組員ならば誰でも知っている、飲料水を入れておくためのパックだった。

 奈々緒の言葉にイヴが頷くと、先程自分がやったことを乗組員たちに説明し始めた。

 

 

 

 カメムシ科の仲間の中には、排尿時に尿を勢いよく噴射する習性を持つ者がいる。身近な例で言えば、セミが当てはまるだろう。彼らは敵を見つけると体内の水分を外へと排し、素早く逃げられるように体重を軽くするという習性がある。

 中でもカハオノモンタナが属するヨコバイ亜目の仲間は、その勢いが一際強いことで知られている。その様子は、飛距離・威力共に昆虫サイズの時点で『水鉄砲』に例えられる程。

 

 もしもこれが人間大になったのならば――

 

「――水を弾丸として撃ち出し、文字通りの『鉄砲』として運用することもできるってことか」

 

「そういや、水鉄砲で獲物を捕まえるテッポウウオなんて魚もいるな。それの人間大・昆虫バージョンってところか?」

 

「そういうこと」

 

 ティンとジョーンが興味深そうに呟くと、イヴがそれを首肯した。

 

「本当だと、カハオノモンタナはボクの胴体のベースなんだけど、そこらへんはバグズデザイニングのおかげで融通が効くんだ」

 

 幼い頃から水泳を習っている水泳選手は、しばしば指の付け根の皮膚が発達することでまるで水かきの様になることがある。

 それは自らがおかれた状況に肉体が適応し、進化しているためであるが、先程イヴの体でも同じことが起きていた。

 

 クロードによって修正されたとはいえ、イヴの体は本質的には虫のそれに近い。変態による人体変化の補助もあり、本来ならば数年をかけて起こるはずの『進化』を、イヴは先ほどの数秒の間にやってのけたのだ。

 

 おぉ、というどよめきと共に関心の視線を向けられたイヴは、恥ずかしそうに笑った。それを見たテジャスが、イヴの名前を呼んだ。

 

「イヴ、さっきは助かった。ありがとうな」

 

「そうだ。アタシもさっきは言いそびれちゃったけど……助けてくれてありがとう、イヴ君」

 

 テジャスとマリアの2人に礼を言うと、それに触発されて他の乗組員たちも口々に感謝や称賛の言葉を発した。それを聞いたイヴはいよいよ照れくさそうに俯いたが、彼らの言葉は決して大げさではない。

 イヴのもたらした情報や行動によって、既に何度か危機的な状況を切り抜けている。彼がいなかったら、おそらく現時点でも相当な被害が出ているはずだ。そう考えると、乗組員たちは彼に感謝せずにはいられなかった。

 

 そんな荷台でのやりとりを聞きながら、運転席ではミンミンが車を操縦するトシオに声をかけていた。

 

「トシオ。運転を変わるから、変態してこの先の偵察をしてきてくれ」

 

 偵察ならお前が一番向いているはずだ、と彼女が続けるとトシオが頷く。

 

「分かりました、副艦長」

 

 トシオは運転席を譲ると、注射器を自らに打ち込んだ。変態を始めた彼の体中に黄色い縞模様が表れ、その両目はさながらサングラスの様に緑の複眼で覆われていく。背中には彼のベースの象徴ともいえる四枚の薄く細長い翅が生え、その歯はまるで肉食獣のそれのように鋭いものへと変化した。

 

 変態を完了させたトシオは二、三回だけ稼働具合を確かめるように翅をはばたかせると、目にもとまらぬ速さで車を飛び立った。

 

「……」

 

 トシオを見送ったイヴが、ふと後ろを振り返った。彼の眼には、豆粒ほどの大きさになったバグズ2号が映る。おそらくは艦に残ったドナテロたちのことを考えているのだろう、その表情にはどこか陰りがあった。

 

 乗組員たちもそれに気づくと次第に口数を減らし、ついには誰もしゃべらなくなってしまった。ガタガタと車体が揺れる音だけが響き、重苦しい空気が辺りに流れ始める。

 

(ちょっと、小吉!)

 

 そんな空気に耐えかねた奈々緒が、隣に座る小吉を小突いた。

 

(あんた、何でもいいからこの空気何とかしなさい!)

 

(お、俺!?)

 

 まさかの無茶振りに、小吉がギョッとしたように目を剥く。いいから早く、と言わんばかりにもう一度強く小突かれた彼はしばし考え込み、それから思いついたように口を開いた。

 

「あー……イヴ。少し確認したいことがあるんだが……」

 

 呟くように口を開いた小吉に、イヴのみならず乗組員たち全員の視線が集まった。

 

「さっきのあれが、ヨコバイの排尿の勢いを人間大にしたものだったってことはさ……」

 

 小吉がイヴの青い瞳を見つめた。

 

「つまり、あれなのか……? さっきテラフォーマーを倒したのは、イヴの小便だったってことでいいのか?」

 

「「「「「「デリカシーを知れ馬鹿野郎!」」」」」」

 

 周囲の乗組員がほぼ同時に、異口同音に叫んだ。

 さっきまでの照れとは違う本当の恥辱に俯き、プルプルと震え出したイヴをマリアとジャイナが慌ててフォローし、その隣で男性陣と奈々緒が小吉を一斉に袋叩きにし始めた。

 

「いだだだだだやめろアキ!? お前が言った通りあの空気何とかしただろうが!?」

 

「誰が空気を壊せって言った!? いい感じに空気を変えろって言ったんだこの馬鹿!」

 

 振っておきながらにあんまりな言いぐさではあるが、その話題をチョイスした小吉も自業自得ではある。数人がかりでボコボコにされながら小吉が断末魔の悲鳴を上げていると、慌てた様子のトシオが戻ってきた。

 

「副艦長! 向こうに……って、何で小吉が死にかけてるんだ?」

 

「気にすんな。インガオーホーってやつだ」

 

「お、おう……?」

 

 冷たく言い放った奈々緒に、トシオが表情筋をひきつらせた。オニヨメ、という単語が彼の脳裏を一瞬だけよぎるが、それを言ったが最後、おそらく自分も小吉と同じ末路を辿るのだろう。黙っていた方が賢明、と判断した彼はそれ以上深く事情を聴かなかった。

 

「それで、どうしたんだトシオ? まだ偵察に出て数分も経っていないぞ?」

 

 ミンミンにそう言われ、トシオは本来の要件を思い出した。

 

「っとそうだった……副艦長。ここから少し行ったところに、宇宙船を発見しました」

 

「宇宙船?」

 

「はい。バグズ2号に近い造形で、少し小さいものがありました。多分あれは――」

 

 トシオが続けようとした丁度その時、地平線の彼方から太陽が顔を出した。

 

 いきなり現れた青い光源に目が眩み、思わず乗組員たちが顔を逸らす。徐々に明るさに慣れた乗組員たちが目を開けると、彼らの行く先にはトシオが言った通り、見覚えのある造形の宇宙船が鎮座しているのが見えた。

 

 それを見たジャイナが、思わず呟いた。

 

「あれって、もしかして……バグズ1号?」

 

 

 

 ――バグズ1号はその名の通り、バグズ2号よりも前に造られた宇宙船である。22年前、6人の優秀な宇宙飛行士を乗せたバグズ2号は、テラフォーミング計画の進捗状況確認のために火星へと向かっていたのだが、火星に到着してまもなく消息を絶った。

 

 出発前、U-NASAからこの件は事故が原因だと教えられたが、クロードやドナテロの言葉を聞き、火星の現状を目の当たりにした今ならば分かる。おそらく彼らは()()()()()()。進化したゴキブリ、テラフォーマーに。

 

「――調べてみるぞ。もしかしたら、奴らに関する情報が残されているかもしれない。トシオとルドンは、車の見張りをしておいてくれ」

 

 ミンミンは車をバグズ1号の近くで車を停めるとそう言った。

乗組員たちはルドンと変態したままのトシオを除いて荷台から降りると、バグズ1号へと近づいた。

 

「これが動けば艦長達を待って脱出できるかもしれないな……」

 

 扉を開けるためにパネルを操作するミンミンを見ながらティンが漏らすと、隣でイヴが難しい表情を浮かべる。

 

「そうだといいけど……20年以上も放置されてるから、エンジン部分がおかしくなってるかも」

 

 イヴがバグズ1号の外壁を撫でながら言った。

 雨風にさらされ続けたためか至る所が錆付き、苔むしている。目立った損傷こそないが、地球まで問題なく航行できるかと言われると微妙なところだ。

 

「一応、修理さえすれば動かないことはないと思うんだけど……」

 

 イヴが口にしたその時、バグズ1号の扉が開錠されたことを告げる電子音が鳴り響いた。俄かに身を固くした乗組員たちの前で扉がゆっくりと左右に動き、数秒の時間をかけて完全に開き切る。

 

「……よし、入るぞ」

 

 テラフォーマーがいないことを目視で確認すると、ミンミンがぽっかりと口を開けた入り口から艦内に足を踏み入れた。他の乗組員たちもそれに続く。

 

 バグズ2号に比べると小さめに作ってある1号は、そこまで部屋数や広さがあるわけではない。少し進んだだけで、彼らは呆気なく管制室と思しき部屋へとたどり着いてしまった。

 

 管制室の中は随分と綺麗なまま残されていた。所々に経年劣化の形跡こそあるものの、埃一つ落ちていない。バグズ1号の内部はほとんど当時のまま残されていた。それを見たテジャスが、感嘆の声を漏らす。

 

「存外、中は綺麗なもんだな」

 

「――いや、そうでもないぞ」

 

 しかし、それを否定する言葉を、彼の横にいたフワンが発した。乗組員たちがフワンの方を向くと、彼は見てみろと言わんばかりに壁の方を指さして見せた。

 

「弾痕だ。あっちの壁には、どうみても不自然なへこみもある……1号の乗組員とテラフォーマーの間で戦闘が起こったのは間違いないだろうな」

 

「あ、本当だ……」

 

 彼の言葉通り、壁や床にはいくつかの銃弾の跡やひびが入っていた。それによくよく見ると、血痕と思しきもの所々に残っている。それらは、22年前にこの場所で起こった惨劇を鮮明に物語っていた。

 

 と、その時。乗組員たちの耳が、盛大な舌打ちの音を捉えた。

 

「チッ……面倒くせぇことになりやがったな」

 

 声の主であるリーは、露骨に顔をしかめながら目の前の壁を見つめていた。

 

「どうした?」

 

 ミンミンが彼に近づきながら尋ねると、リーは見てみろ、と言わんばかりに顎をクイッと傾けた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。弾痕があるにも関わらず、だ」

 

 彼の視線の先にあったのは、宇宙船内の武器を置くために備え付けられた武器棚だった。本来ならば銃火器を始めとした各種防犯用の器具で埋まっているはずだが、今の武器棚は文字通り『空っぽ』だった。銃はおろか、弾薬や整備用の備品すらも見当たらない。

 

「1号の乗組員が、銃を持って外に逃げたんじゃ……」

 

「可能性は低いな。艦内に戦闘の形跡がある以上、戦闘がここで起きたことは間違いない。仮に逃げ出せたとして、そんな切羽詰まった状況でわざわざ銃の整備用品を持ち出すとは考えにくい」

 

 マリアの推論に、ミンミンが首を横に振る。バグズ1号の乗組員たちが持ち出したわけではない。となれば、銃を艦内から持ち出した候補は自ずと1つに絞られる。リーの額に、青筋が立った。

 

「あのクソムシども……人間(おれたち)の技術を奪いやがったな……!」

 

 ――即ち、テラフォーマーだ。

 

「ははっ、笑えねぇな」

 

 小吉が乾いた笑い声を上げながら、冗談めかして言った。

 

「ゴキブリが二足歩行で、人を襲って、しかも銃まで使うかもしれないって、どこのB級SF映画だって話だよな、イヴ……ってイヴ?」

 

 小吉が返事を求めるも、彼の親友からの返事は返ってこなかった。不思議に思った小吉がイヴの姿を探すと、彼は窓際にある操縦席の椅子の上に乗り、そこからモニターを凝視していた。

 

「……どういうこと?」

 

 小吉の声などまるで聞こえていないかのように、イヴが呟く。呆然としたような表情を――というよりも、まるで事態を飲み込めていないかのような表情を浮かべた彼の顔には、血色がなかった。

 

「イヴ、どうした? 何かあったのか?」

 

 イヴの様子を怪訝に思い、小吉が彼の後ろからモニターを覗き込んだ。他の乗組員も、一度調査を打ち切ってモニターの周りに集まり始める。

 

「『TRANSMITTED(送信完了)』……って、おいおいイヴ。これはこの間、クロード博士から説明されただろ」

 

 小吉は呆れとも安堵ともつかない声で言った。驚かせるなよ、と言わんばかりの軽い口調だ。

 

「それは多分、一号のジョージ・スマイルズって人がテラフォーマーの頭を地球に送った時の――」

 

「……ッ! 違う、小吉! ()()()()!」

 

 小吉の言葉を遮るように、ティンが大声を上げた。その目はギョッとしたように見開かれている。

 下? と小吉は疑問に思いながらも目線を滑らせ、『TRANSMITTED』の下に表示されている文を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HELLO(こんにちは),BUGS 2 CREWS(バグズ2号の乗組員の皆さん)! AND DROP DIE(そして死ね)!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニターにはそう表示されていた。

 

「っは?」

 

 文の意味をすぐに理解できず、その場にいる全員の思考が停止した。数秒の間、管制室には不気味な静寂が訪れる。

 

「――な、何だよこれ!? 何で、1号のモニターにこんな……!」

 

 その沈黙を真っ先に破ったのは、小吉だった。彼の脳内に混乱とも怒りともつかない感情が渦巻き、彼から冷静さを奪う。

 

「何の……いや、誰の仕業だ!? U-NASAか!? それともゴキブリ共か!? 悪趣味にも程が――」

 

「落ち着きなさい、小吉ッ!」

 

 まくしたてる小吉を奈々緒が一喝した。彼女の声に、小吉がはっとしたような表情を浮かべ、それから申し訳なさそうに頭をかいた。

 

「……悪い。取り乱しちまった」

 

「気にしないで。あんたがテンパってなかったら、多分アタシがそうなってた」

 

 小吉が謝罪すると、奈々緒がそう答えた。彼女の声も震えており、自身の中に渦巻く混乱を必死に自制しようとしているのが分かった。

 

「それにしても……何なんだ、これは」

 

 冷静であるように努めながら、ティンが言った。

 

 モニターに表示された英文の右下にはデフォルメされ、まるでゆるキャラのようになったテラフォーマーのイラストが表示されている。

 

 ふざけているとしか思えないこの一連のメッセージからは、書き手の意図が全く読み取れない。それが彼らにとっては、何とも不気味であった。

 

「まさか、これもテラフォーマーの仕業なのか?」

 

「ううん、それはないと思う」

 

 ティンが思い浮かんだ疑問を口にするも、イヴはそれを否定した。

 

「テラフォーマーは頭がいいけど、言語の体系が根本的にボクたちとは違う。だから、これは多分――」

 

 と、イヴが言いかけた、その時だった。

 

 ドンッ、ドンッ! という轟音が、外から聞こえてきたのは。

 

「ッ! 銃声!?」

 

「クソッ! やっぱ盗られてやがったか!」

 

 音の正体に気付いたリーがいち早く踵を返し、先程来た道を駆け戻る。それを見たイヴたちも、一度モニターのメッセージのことを頭から追い出し、すぐに彼の後を追った。

 

 通路をかけ、一行がバグズ1号の外へ出る。しかし奇妙なことに、辺りにはゴキブリの姿はおろか、ルドンとトシオの姿さえ見えなかった。

 

「ッ、誰もいない!?」

 

 予想外の状況に、薬を構えて外に飛び出した小吉達の動きが止まった。

 

「確かに銃声は聞こえたぞ! ルドンとトシオはどうした!?」

 

「俺達ならここだ!」

 

 キョロキョロと周囲を見渡す小吉達の上から、ルドンの声が聞こえた。

彼らが見上げると、バグズ1号の壁に足をつけて空中に留まるトシオと、彼に抱きかかえられているルドンの姿が目に入った。

 

「気をつけろ! ゴキブリ共は1号の床下に潜んでるぞッ!」

 

 ルドンの叫び声を聞き取った乗組員たちが素早くバグズ1号の下に目を向けると、今まさに床と地面の隙間から這い出ようとする数十匹のテラフォーマー達と目が合った。彼らの手にはリーが危惧していた通り、バグズ1号の備品である銃火器が握られていた。

 

「ひっ……」

 

 短く悲鳴を溢して、ジャイナが後ずさる。硬直する乗組員たちの目の前でテラフォーマー達は悠々と立ち上がると、その中の一匹が、大きく息を吸った。

 

「じょおおおおおおおおうじ!」

 

 まるで遠吠えのようなその声が、緑の荒野に響き渡った。すると、その声を待っていたかのように、平原にまばらに点在する岩陰から次々と黒い人影が表れる。

 

「う、嘘だろ……囲まれちまった」

 

 恐怖のあまりに、フワンが表情を引きつらせながら呟く。現れたテラフォーマーの数は優に100を超えていた。先刻、バグズ2号でドナテロが引き付けたのと同等――あるいは、それ以上の数だ。

 

 ――それは、紛う事なき『絶望』。

 

「生かしてお前たちを帰しはしない」という死神の嘲笑が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「ぎじょうじ、じぎぎ」

 

 バグズ1号からやや離れた場所にある岩の上で、石造りの神輿の様なものに腰掛けた一匹のテラフォーマーがそう鳴いた。

 

 

 

 ――そのテラフォーマーの風貌は、明らかに異様だった。

 

 

 

 その個体と通常の個体との差異は頭髪がないことであったり、額に『÷』の模様があることだったりと様々挙げることができるが、決定的に違っていたのは、やはりこのテラフォーマーが()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まるで空気を入れすぎたゴムボールの様にその腹部は膨らんでおり、胸部は脂肪の重みでだらしなく垂れ下がっている。顎の下の肉は弛んで三重顎となり、その顔は通常の個体に比べて脂ぎった光沢を帯びていた。

 

「じぎょじ」

 

 ゆったりと神輿に腰掛け、肥満型のテラフォーマーは自らの後方に控えるテラフォーマー達に目をやった。

 

「じょう」

 

 肥満型が鳴くと、その中の一体が歩み出た。その背には、既に息絶えた同胞の死体を背負っている。

 

「じじょうじ、『ぎ』。じょうじ」

 

 肥満型がもう一度鳴く。するとその個体はコクリと頷き、()()()()()()()()()()。ブチッという肉の千切れる嫌な音と共に、死体の胴体から首だけが離れた。

 それを見た別の個体が彼に近づくと、彼に何かを手渡した。

 

「じょうじ」

 

 それは、石製のナイフだった。

 その個体はそれを受け取ると迷うことなく頭部に刺し込み、まるでジャガイモかリンゴの皮をむくかのように頭部を手の中でくるくると回し始めた。やがて刃が一周したことでテラフォーマーの生首から頭蓋が外れ、その中から体液に塗れたテラフォーマーの脳が露になる。

 

「じじょう」

 

 そのテラフォーマーは頭部を両手で持ち直し、恭しく肥満型に『献上』した。肥満型はそれを左手で受けると、右手に握ったスプーンのような石器を使い、脳を掬って食べ始めた。

 

 くちゃ、くちゃ、くちゃ。

 

 不気味に咀嚼音を響かせる肥満型の背後で、テラフォーマー達は既に胴体の方の『調理』に移っているようだった。やはり石を削って作られたと思しき各種調理器具を使い、的確に胴体の肉を部位ごとに切り分けていく。その様子は、熟練の料理人を思わせた。もっとも、使っている食材はおぞましいものであったが。

 

 やがて脳味噌を食べつくした肥満型は大きなげっぷを一つすると、興味を失くしたように手中の生首を放り投げた。頭部は体液や僅かに残る脳の残骸をばらまきながら、苔むした地面に転がった。

 

 肥満型は神輿の上で、億劫そうに頬杖をつく。睥睨するは、バグズ1号の包囲網――自らの配下と、彼らに取り囲まれた害虫(にんげん)達だ。

 

「じょうじぎ」

 

 差し出された石製の皿に盛りつけられたテラフォーマーの指を口に放りながら、肥満型はニタリと嗤った。

 

 ――精々足掻け、害虫(にんげん)め。食事の余興に、ここから見ていてやろう。

 

 肥満型の浮かべた卑しい笑みは、そう言っているかのように見えた。

 

 

 

 




【オマケ】よくわかるイヴの水鉄砲の原理

小吉「成程、イヴは掌から高速で小便を出せるように一瞬で進化したのか」

イヴ「うわあああ! しょ、小吉さんのバカぁ!」ポカポカ

一同((可愛い))




▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。