贖罪のゼロ   作:KEROTA

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第12話 INVADE 侵攻

 

「耐熱性……!? まさか、500年の間にここまでの進化を!?」

 

 クロードは眼前に映し出されたその映像に、驚愕の声を上げた。

 

 彼が食い入るように見つめているのは、超高温のベンゾキノンの攻撃を受けてなお平然と立ち上がるテラフォーマーの姿。

 ゴッド・リーの体内に仕込まれたカメラからリアルタイムで送信されているその映像は、500年の間に進化したゴキブリの脅威を改めて彼に知らしめていた。

 

「何を驚いているのかね、ヴァレンシュタイン博士。いかなる環境にも適応してこそのゴキブリだろう?」

 

 取り乱し、焦躁を顔に浮かべたクロードを見ながら、ニュートンが愉快気に笑い声を上げた。

 

 一般に、熱湯を始めとした高熱には弱いとされているゴキブリではあるが、種によっては熱に対する耐性を持ち合わせているものも少なくない。実際に、2009年の韓国ではオーブンで焼かれても死なないゴキブリが発見されている。

 それを考慮すれば、テラフォーマーが高温に耐性を持っていたとしても何ら不思議はないだろう。

 

「そもそも、たかだか500年でゴキブリが人型になっている時点で異常事態なのだ。高温ガスの噴射に耐えたくらいで、今更驚くこともあるまい」

 

「しかし――」

 

 ニュートンの言葉にクロードが反論しようとしたその時、ディスプレイの内の一つが、通信を知らせるアラーム音を響かせた。2人が目を向ければ、ホログラム式のディスプレイに『KOU・HONDA』の文字が表示されている。

 

「おっと、日本支局の本多博士か」

 

 ニュートンが通話開始のボタンを押す。

ピッ、というどこか間の抜けた機械音と同時に、彼らの前にはメガネを掛けた若い男性のホログラムが出現した。男性の名は、本多晃(ほんだこう)。U-NASAの日本支局に所属し、バグズ計画に携わっている研究員の1人である。

 

「ハロー、本多博士」

 

 葉巻をくゆらせながら、ニュートンは本多のホログラムに話しかけた。

 

「先日は特上の寿司をどうも。特に、あれが美味しかったよ……はて、何と言ったか――」

 

 ニュートンがどうでもいいことを思い出せずに顎鬚を撫でていると、本多は映像の向こう側で両手を机に叩きつけた。そして彼は、ニュートンの言葉を遮るように大声を上げた。

 

「そんなことよりも! 聞きましたよ、ニュートン博士!」

 

 そんな彼に向かって、ニュートンはわざとらしく肩をすくめて見せた。

 

「あんまり年寄りの耳元でがなってくれるな、本多博士……それで、「聞いた」とは何のことかな?」

 

「火星のことです! 本当に、彼らにテラフォーマーが殲滅できるとお思いですか!?」

 

 糾弾するように本多が言うとニュートンは葉巻を咥えた口をニタリと歪めた。それから、さも当然と言わんばかりに、本多に向かって言い放つ。

 

「愚問だな、本多博士。そんなこと、()()()()()()()()()

 

「なっ!?」

 

 その返答に、本多が目を剥いた。

 聞いたのは本多の方であったとはいえ、そしてニュートンの言葉は紛れもない事実であるとはいえ――それはあまりにも暴論。文字通りの歯に衣着せぬ物言いに絶句した本多に、ニュートンは「だが」と言葉を続けた。

 

「――それでもやるしかないのだよ、本多博士」

 

 そう言って、彼は口から葉巻の煙を吐き出した。いつになく真剣なその声色に本多が戸惑いの色を浮かべ、傍らに立つクロードですら意外そうな表情を浮かべた。

 

「既に人類(われわれ)は、どうしようもないほどに追い詰められている。今この時こそ、人類存亡の瀬戸際なのだ。たかだか十数人の『金のない者たち』の命と、全人類の命。どちらが重いかなど、天秤にかけるまでもないだろう?」

 

「それは……」

 

 本多が言葉に詰まる。実際のところ、ニュートンが言っていることは何一つとして間違っていない。人道的に褒められた行為ではないが、小を切り捨て大を生かすという彼の考え方は合理性の面では正しいのである。

 

 反論が見つからずに黙り込んだ本多の姿が、クロードは数日前の自分の姿と重なって見えた。気が付くと彼は、横から本多にフォローを入れていた。

 

「本田博士、今は彼らを信じるしかない。既に彼らは火星に到着してしまった。今から任務の中断は不可能だ」

 

 それに、とクロードは本多に向かって笑いかけると、自信に満ちた声で言った。

 

「彼らは君が思っているよりも、そして私が思っているよりも、遥かに強い。決して、テラフォーマー達に負けることはないはずだ」

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「……」

 

 ドナテロは腕を組みながら、管制室の窓から外の景色を眺めていた。

既に日は地平線の彼方へと沈み、空は深い藍色に染まりきっている。地球と違い街頭や民家の明かりなどない、完全な闇に閉ざされた夜だ。天空には無数の星が瞬き、幻想的な情景を生み出している。

 

「遅いな」

 

 ドナテロは険しい表情でそう呟いた。気になっているのは当然、調査隊の動向だ。

既に調査隊の帰還予定時間は大幅に過ぎているのだが、一向に彼らが帰ってくる気配がない。まず間違いなく、何らかのトラブル――十中八九、テラフォーマーとの戦闘が起こったとみていいだろう。

 となれば、自分たちは今後どう動くべきか――。

 

「皆、大丈夫かな……?」

 

 思案を続けるドナテロの後ろで、艦内作業を終えて休憩中のイヴが呟く。彼もまた調査隊のことが心配なようで、そわそわとして落ち着きがない。手に持つ飲用水のパックを弄り回し、しきりに椅子の上で足をぶらつかせている。

 

「心配ないよ、イヴ君。小吉たちが強いのは、あいつらと戦ったイヴ君がよく知ってるでしょ? そのうちきっと、ひょっこり帰ってくるって」

 

 同じように休んでいた奈々緒がそう言って、隣に座るイヴの髪を優しく梳いた。しかしその言葉とは裏腹に、奈々緒の顔にもどこか陰りがあった。

 

 ――もしも、小吉の身に何かあったら……。

 

 一瞬だけ脳裏をよぎった不吉な考えを、彼女は頭を振ってかき消した。自分まで心配になってどうする、と心の中で喝を入れ、奈々緒が不安げなイヴに再び話しかけようとした、その時。

 

 レーダーを監視していたフワンが声を上げた。

 

「艦長! レーダーに反応!」

 

 彼の声に、管制室にいた者たちが体を強張らせた。調査隊が帰還したのか、あるいはテラフォーマーが接近しているのか。

 

 皆が固唾を飲む中で、フワンがゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「――調査隊が帰還しました!」

 

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、全員の体からどっと力が抜けた。張りつめていた空気が緩み、全員の顔に安堵の表情が浮かぶ。

 ほっと息を吐き出しつつ、緊張で硬直した体を軽くほぐしながらドナテロが指示を出す。

 

「フワン! 車庫のハッチを開けたら、乗組員たちが管制室に集まるよう艦内放送をかけてくれ。ルドン、ついて来い。調査隊を迎えに行くぞ」

 

「了解」

 

 フワンがパネル操作をするのを尻目に、ドナテロとルドンが管制室を出ていく。彼らが帰還した調査隊を連れて管制室に戻ってきたのは、それから数分程経ってからのことだった。

 

「調査隊、帰還しました」

 

 ミンミンがそう言いながら管制室に入り、その後ろに他の面々が続く。それを見た乗組員たちはすぐに彼らに取り囲むと、口々に無事に確認し始めた。幸い犠牲者はいないようであったが、やはりテラフォーマーの襲撃にあったようで、全員が体のどこかに軽い傷を負っていた。

 

「小吉!」

 

 奈々緒が小吉に駆け寄る。彼女の心配など露知らず、小吉は走り寄ってきた奈々緒の姿を見ると、いつも通り朗らかに笑った。

 

「おう、アキ! 帰ったぞー!」

 

「『帰ったぞー』じゃない! どんだけこっちが心配したと思ってるんだ馬鹿!」

 

 奈々緒は小吉の両頬をつまむと、逆ギレ気味にぐいぐいと引っ張った。つい数時間前までは当たり前に広がっていたはずその光景がなぜか懐かしく感じられて、乗組員たちはいつも以上に明るい笑い声を上げた。

 

「ミンミンさん、調査隊の帰りがすごく遅れたけど何があったの?」

 

「……ああ」

 

 2人のやり取りを横目に眺めながらイヴがミンミンに話しかける。彼女は浮かない表情で返事をすると、いかにも答え辛そうに口を開いた。

 

「テラフォーマーの大群と交戦したんだ」

 

「なっ!? だ、大丈夫だったのか!?」

 

 トシオの言葉に、横からティンが「何とかな」と返事を返した。

 

「最初に遭遇したのは一匹だけだったんだ。そのテラフォーマーはリーが倒したんだが……」

 

「野郎、死ぬ寸前にクソをしやがったんだよ」

 

 リーが舌打ち混じりに吐いた言葉に、隣で聞いていたマリアが目を丸めた。

 

「えっと……それって、テラフォーマーの(ふん)ってこと?」

 

 彼女が念のために確認すると、リーが忌々し気に肯定した。テラフォーマーの糞と、調査隊の戦闘との関連が今一つ分からずに、マリアが首を傾げる。

 その一方で『糞』という単語を聞いたイヴはその脅威を瞬時に理解したらしく、その顔からは血の気が引いていた。

 

「それってまさか……集合フェロモン?」

 

「そうらしい。幸い今回は何とかなったが……一歩間違えば全滅していた」

 

 恐る恐るイヴの口から告げられた問いに、ティンが厳しい表情で頷いた。

 

 

 ――集合フェロモン。

 

 

 それはゴキブリの腸内に蓄えられるフェロモンの名称だ。このフェロモンにはその名の通り、ゴキブリ達を一ヶ所に呼び寄せる効果がある。地球のゴキブリ達はこれを使い、安全なねぐらの発見や自らの身の危険などを仲間に伝えるのだ。

 

 これが地球であれば、大量のゴキブリが集まってきて気持ちが悪かった、程度で済む。しかし、それがもしも火星でばらまかれた場合、どうなるのか。その答えは言うまでもないだろう。

 

「すぐにその場を離れようとしたんだが、遅かった。俺達は集まってきた100匹近いテラフォーマーに囲まれて、戦わざるをえない状況になった」

 

 その話を聞き、乗組員たちは彼らの帰還の遅さに納得した。

 

 100匹近いテラフォーマーに対し、僅か四人で戦い続けたのだ。それは遅くもなる――というよりも、それだけの数を相手にして全員が生き延びたこと自体が奇跡に近い。

 

「一応、隙を見てテジャスが能力を使ったおかげで何とか撤退には成功したが……」

 

 そこまで言ってティンが口をつぐむ。それを見たミンミンが、彼の言葉を引き継ぐように口を開いた。

 

「すみません、艦長。テラフォーマーのサンプル確保には失敗しました。撤退するので精一杯で……」

 

 申し訳なさそうにそう言ったミンミンに、ドナテロは首を横に振った。

 

「いや、気を落とさないでくれ。火星の状況が分かって、お前たちが無事だっただけでも十分な成果だ。それに――」

 

 そこで一度言葉を切ると、ドナテロはミンミンの足元にいるイヴを見つめた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。イヴのおかげでな」

 

「っ!? ほ、本当ですか!?」

 

 ミンミンが驚くと、ドナテロがそれを力強く肯定した。それを見たイヴが、慌ててドナテロの言葉を訂正した。

 

「ボクだけでやったわけじゃないからね!? フワンさんと奈々緒さんに手伝ってもらって捕まえたんだ」

 

 その言葉を聞いたリーは、イヴがテラフォーマーを捕らえた方法を瞬時に理解した。

 

「……成程、落とし穴か」

 

 感心したようにそう言ったリーに首肯すると、イヴは説明を始めた。

 

 まず、手術ベースが『ケラ』であるフワン手伝ってもらうことで、深めの穴を掘る。次に奈々緒のクモイトカイコガの特性を使って頑丈なネットを作り、穴を覆うように設置。最後に、その上から土をかぶせて穴を隠すことで、簡易式の落とし穴が完成する。

 

「こうすれば落ちた時にネットが絡まるから、テラフォーマーを捕まえることができるんだ。今はウッドさんの能力で麻酔をして、奈々緒さんの糸で縛ったうえで倉庫の中にいるよ」

 

 イヴの説明に、乗組員たちが歓声を上げた。

 

「よくそんなこと思いついたな……」

 

「やっぱお前すげえよ、イヴ!」

 

「ああ、大したもんだ!」

 

 口々に褒められ、イヴは照れくさそうに頬を桃色に染めた。イヴを取り囲んで騒ぐ乗組員たちをしばし微笑ましそうに眺めていたドナテロだったが、やがて空気を切り替えるかのように手を叩いた。

 

「よし! とりあえず、今日の作業はこれを以て終了とする! 皆、本当にご苦労だった!」

 

 ドナテロの口から作業の終了を告げられたその途端、疲労と安堵が乗組員たちの体にどっと押し寄せた。

 

 長い一日だった。表面上はいつも通りに過ごしながらも、火星という未知の環境やいつ襲い来るとも知れないテラフォーマーの脅威に精神を摩耗していた。

 そんな中で告げられた、作業の終了とドナテロからのねぎらいの言葉。今日という日を無事に乗り切れたという事実を皆が心の底から喜び、そして胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

 ――その瞬間のことだった。レーダーが、悪魔の訪問を告げる無機質な機械音を発し始めたのは。

 

 

 

 

 

「艦長ッ! レーダーに反応!」

 

 フワンの悲鳴が響き、管制室の空気が凍り付いた。彼の視線の先にあるレーダーの画面には、高速で艦へと接近してくる物体を示す反応光が点滅していた。

 

乗組員は全員、管制室に集まっている。艦の外に誰かがいるなどということはありえない。即ち、レーダーが捉えている物体の正体は――

 

「テラフォーマーが接き――」

 

 フワンの警告を遮るように、管制室の窓が音を立てて砕け散った。さながら雨のごとく、粉々になった強化ガラスの破片が宙を舞う。

 そしてその向こう側から、艦内に黒い悪魔――テラフォーマーが飛び込んできた。テラフォーマーは降り注ぐガラス片の雨をその身に浴びながら、抑揚のない声を管制室内に響かせた。

 

「じょうじ」

 

 テラフォーマーの感情のこもっていない眼が、最も近くにいたマリアを捉える。テラフォーマーは彼女に狙いを定めると、勢いのまま彼女に向かって飛び掛かり、右手に構えた石製の棍棒を大きく振り上げた。

 

「マリア、逃げろッ!」

 

 ドナテロが声を上げたのと、マリアが懐から薬を取り出したのはほぼ同時だった。

 

 突如として目の前に現れたテラフォーマーに対して、マリアはあくまで冷静だった。彼女は取り出した注射器を素早く首筋に打ち込むと、ニジイロクワガタの甲皮が発現した両腕を体の前で交差させ、防御の姿勢をとった。

 

 そして次の瞬間――

 

 

 

 

 

「――きゃっ!?」

 

 マリアの体が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。何が起きたのかを理解できずにいる彼女の鼻先を掠め、テラフォーマーの棍棒が大きく空ぶる。

 

「っ――!」

 

 尻もちをつきながら唖然とするマリアの横を、何かが高速で駆け抜けた。その直後に耳に響いた、歯車が噛み合わさって回転するような音。

 

 一瞬遅れてマリアの脳は、『何か』の正体が変態を終えたイヴであることを認識した。

 

 イヴはウンカの脚力で床や壁を蹴り、一瞬の内にテラフォーマーの背後へと移動すると、警杖を持った両腕を大きく引いて刺突の構えをとった。

 

「はッ!」

 

 赤く瞳を光らせたイヴが掛け声とともに、振り向いたテラフォーマーの喉元を目掛けて鋭い突きを繰り出す。風切り音とともに迫りくるそれを、咄嗟にテラフォーマーは左手で掴むことで防御した。

 

 ――それが、イヴの思うつぼであるとも知らずに。

 

「ギッ!?」

 

 バチバチという油が弾けるような音と白い火花が警杖から迸り、テラフォーマーが短い断末魔を上げた。

 

 ――イヴの武器である電気警杖『スパークシグナル』には、電圧調整機能がついている。以前彼が小吉達と戦った時に使用した電撃は『対人制圧用』に威力を抑えたものであり、殺傷能力は低かった。

 

 しかし、今回イヴがテラフォーマーに対して使ったのは、それを遥かに上回る電圧の『標的殺傷用』の電撃。当然その電撃をまともに受ければ、いかにテラフォーマーであっても無事でいられるはずがない。

 テラフォーマーは白目を剥くと、全身から黒い煙と焦げたような臭いを発しながら床へと倒れ込んだ。

 

「マリアさん、大丈夫!?」

 

 テラフォーマーが息絶えたのを確認すると、イヴはそのまま地面にへたり込むマリアに駆け寄った。未だに放心状態であったマリアの名を呼びながら彼が肩をゆすると、彼女はようやく我に返る。

 

「あ、え? い、一体何が――」

 

「イヴが後ろから糸で引っ張ったんだ」

 

 混乱するマリアに、後ろから近づいたティンが言った。その言葉を聞いたマリアが自らの体を見れば、数本の細い糸が自分の胴体に絡みついているのがわかる。先程何かに引っ張られたように感じたのは、これが原因だろう。

 

 それを確認した彼女は顔を上げようとして――たまたま目に入った光景に、短く悲鳴を上げた。

 鋼鉄の床にテラフォーマーの棍棒がめり込んでいたのである。さながらクレーターのように床へと刻まれた破壊痕が、その威力の高さを物語っていた。

 

「あ、あのままだったらアタシ……」

 

 マリアは、その言葉の続きを飲み込んだ。仮にあのままであったのなら、今頃彼女は両腕ごと真っ二つに引き裂かれ、床の上に転がっていただろう。その情景を想像し、マリアの体が今更になって震え始めた。

 

「立てるか、マリア?」

 

「アタシの肩に掴まって」

 

 ティンと奈々緒が肩を貸し、腰が抜けてしまったマリアを立たせる。いつ追撃が来るとも分からない以上、いつまでも床にへたり込んでいては危険だからだ。

 落ち着きを取り戻し、何とかマリアが立ちあがったその時、窓の近くにいたトシオが叫び声を上げた。

 

「艦長! そ、外が……!」

 

 声を聞いた乗組員たちがすぐさま窓際に駆け寄り――そして、言葉を失った。

 

 そこにいたのは、無数のテラフォーマーだった。彼らは明かり無き夜闇の中を歩き、さながら街灯に呼び寄せられた蛾か何かの様に、バグズ2号を取り囲んでいる。

 

「クソッ! 車の跡を辿られたのか!」

 

 小吉が苛立たし気に声を荒げた。

 

「俺達がもっと気をつけていれば……!」

 

「言ってもしょうがない。今どうするかを考えるべきだ」

 

 歯噛みする小吉をなだめながらティンが言う。するとその横から、何かを考え込んでいたドナテロが意を決したように口を開いた。

 

「……俺が囮になる。その間に、お前たちは逃げろ」

 

 重々しいドナテロのその言葉に、イヴが即座に反対の声を上げた。

 

「ダメ! そんなことしたら、ドナテロさんが……!」

 

 イヴはドナテロの服の裾を掴むと、真っ赤な瞳で彼の顔を見上げながら更に口を動かす。

 

「それに、バグズ2号を捨てたら火星から逃げられないよ!」

 

「だが、このままここにいたら、どのみち全滅は免れん」

 

 まくしたてるイヴに、ドナテロはあくまで冷静に返した。

 

 ドナテロの言葉は正論だ。このままここに留まれば、遅かれ早かれ全員が殺されてしまうだろう。しかし、今ここで誰か一人が囮になれば、他の者たちが生き残れる可能性も出てくる。ならばその役目は、艦長である自分がやるべきである。

 

 理屈は理解できる。理解はできるが――納得ができなかった。

 

「――じゃあ、ボクも残る!」

 

「なッ!?」

 

 イヴがそう言うと、乗組員たちはギョッとしたように彼を見つめた。

 

「イヴ、お前何を言って――」

 

「ボクが残れば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 イヴの言葉を聞いて、乗組員たちが言葉を飲み込む。それを確認すると、イヴはたった今思いついた作戦を、手短に説明し始めた。

 

「まず艦内にテラフォーマーを誘い込んで、ドナテロさんに脱出してもらう。その後でボクが緊急用の雨戸を閉じて艦内を密閉した上で、火をつけるんだ」

 

 ――長時間の真空状態ならば、テラフォーマーの生命力でも耐えられないはず。

 

 イヴがそう続けた。

 

「酸素の濃度が薄くなった頃を見計らって、ボクは排気口を使って艦を脱出。その後で、ドナテロさんたちと一緒に皆と合流する。こうすれば、全員が助かるかもしれない」

 

「反対だ。リスクが大きすぎる」

 

 その案に真っ先に反対の声を上げたのはドナテロであった。彼は冷静に、そして的確にイヴの作戦の穴を指摘していく。

 

「その作戦だと、お前が殺される可能性が高い。雨戸を閉める前にお前が殺された場合、外に出た俺やこいつらも危険だ。加えて、仮に成功したとしても、艦内の酸素が完全に尽きる前に脱出できる保証がない。俺たち全員の命を賭けるのに、その作戦は分が悪すぎる。」

 

「ッ……」

 

 咄嗟の反論が思いつかずにイヴが押し黙った。

 

 仮に作戦通りに進んだ場合、艦内に残るのはイヴ1人――つまり、彼を守る者が誰もいないということ。イヴの戦闘能力の高さは、事前の準備や作戦があってこそのもの。あの量のテラフォーマーに襲われれば、閉鎖作業を終える前にあっさりと殺されてしまう可能性が高い。

 

 ぐっと唇を噛みしめたイヴの肩に、小吉が手を置いた。

 

「イヴ、前に艦長に言われただろ? 俺達を助けるために自分を犠牲にするような真似はよせ」

 

「で、でも! だったらどうすればいいの!?」

 

 諭すようそう言った小吉に、イヴが八つ当たり気味にかみつく。

 

「排気口は狭いから、この方法を使えるのはボクだけだ! 他の誰かが残ったら、絶対にその人は助からない! ボクがやれば、少しだけど全員が生き残る可能性が出てくる! 逆にこれ以外に皆で助かる方法なんて、他にないよ!?」

 

 今度は小吉達が閉口する番であった。子供を囮にするなど言語道断。この点について、乗組員たちの心は一致していた。しかし、彼の案を採択しないということは、確実に誰か一人を見殺しにするということでもある。では一体、どうすべきなのか。

 

 妙案が思いつかず、全員の思考が停滞しかけたその時、思いがけない人物が声を上げた。

 

 

 

「いや……ある」

 

 

 

 一郎だった。皆の視線が彼に集まり、しかしそれでもなお彼は怯むことなく、もう一度その言葉を繰り返した。

 

「あるぞ、全員で助かる方法が」

 

「本当か、イチロー!?」

 

 その言葉に、小吉が思わず一郎に詰め寄った。万策尽きかけたこの状況においては、どんなものであっても状況打開の糸口が欲しい。そんな折に投げかけられた彼の言葉はまさしく『地獄に垂らされた蜘蛛の糸』だった。

 

「ああ。しかも、イヴの作戦よりも格段にリスクは低いと思う」

 

 嬉しさと信じられないといった感情がない混ぜになったような表情の小吉に、一郎はいつも通り不機嫌そうな顔で頷いた。

 

「つっても、協力が必要だけどな……ウッド!」

 

「んー?」

 

 一郎が呼びかけると、ウッドはどこかのんびりとした返事をした。

 

「お前の特性が必要だ。協力してくれ」

 

 一郎の言葉の意味が理解できずにしばし考え込んだウッドだったが、やがて納得したかのようにポンと手を打った。

 

「あー……ハイハイ、そう言うことね。さっすがイチロー君、アッタマいい!」

 

 一郎の意図を察し、しきりに感心して見せるウッド。一方で、話が見えない乗組員たちは皆首を傾げた。

 

「なんか……よくわかんねーけど、ウッドの特性が関係あるのか? えっと、ウッドの手術ベースは確か――」

 

「小吉君と同じ蜂だよ。エメラルドゴキブリバチっていう、寄生バチの一種ね」

 

 小吉が思い出そうとして額をもんでいると、横から笑いながらウッドが答えた。

 

 

 

 ――エメラルドゴキブリバチ。

 

 一般に寄生バチと呼ばれるハチの一種であるこの虫は、特殊な毒液を使ってゴキブリの脳の逃避反射を司る部位を支配、文字通りの操り人形に仕立て上げてしまう。

 

 人形にされたゴキブリはその後導かれるように自らハチの巣へと入り込み、腹部に卵を産み付けられる。そしていずれは、生きたまま幼虫に内臓を貪られるというおぞましい運命をたどるのである。

 

 害虫の王をも操る、エメラルド色の小悪魔。それが、彼女のベースとなった昆虫である。

 

 

 

「人型って言っても、ゴキブリはゴキブリ。ウッドの能力でテラフォーマーを操って、雨戸を閉めるところだけあいつらにやらせればいい。そうすりゃ、誰かがこの艦に残る必要もなくなる」

 

 一郎の言葉に、一同が大きくどよめいた。これならば確かにイヴが残って命がけの脱出をする必要もなく、多少なりともリスクは抑えられる。

 

 ――これは、いけるんじゃないか?

 

 切羽詰まった状況であることに変わりはないが、先の展望に希望の光が見え始めた乗組員たちの顔には、少しばかり余裕の表情が生まれた。

 

「成程。それなら確かに、イヴの作戦よりも可能性は高いな……」

 

 ドナテロは一瞬だけ考えてから、ウッドの方へと視線を向けた。

 

「ウッド、頼めるか?」

 

「りょーかいしました!」

 

 ウッドはピシッと直立すると、敬礼のポーズをとった。

 

「それじゃ悪いけど、生け捕りにしたテラフォーマーを使わせてもらうよ。あ、一郎君は万が一のためにあたしの護衛をよろしく」

 

 ウッドはそう言って注射器を取り出すと、軽い足取りで管制室を後にした。その後を追うように、一郎も管制室のドアをくぐっていった。

 それを見送ってから、ドナテロは他の乗組員たちに指示を出す。

 

「お前らは裏口の車庫から30秒後に、テジャスの能力で脱出しろ。その間に、俺が集合フェロモンを使って奴らを艦内に引き付ける。ミンミン、後の指揮はお前に任せたぞ」

 

「分かりました」

 

 ミンミンの返事にドナテロは満足げに頷くと懐から注射器を取り出し、それを首筋に突き立てた。途端にドナテロの肉体は昆虫のそれへと変化していく。はち切れんばかりに筋肉が膨らんみ、彼の着ていた宇宙服は音を立てて破れた。

 

「ドナテロさん……」

 

「心配するな、イヴ。すぐに一郎たちと一緒に追いつく」

 

 揺れる瞳で自らを見上げるイヴにドナテロは笑いかけると、先程のテラフォーマーが突き破った壁へと目を向けた。そこからは既に数匹のテラフォーマーが顔を覗かせている。あと数秒と待たずに艦内に侵入してくるだろう。もはや一刻の猶予もない。

 

「さぁ行け、お前ら! また後で会おう!」

 

 ドナテロはそう叫ぶとベルトからナイフを抜き、それをテラフォーマーの腹に突き立てた。それを見たミンミンが、素早く指示を出す。

 

「総員、今すぐ車庫へ移動しろ! もたもたするな、急げ!」

 

 彼女の言葉に乗組員たちはすぐさま行動に移った。素早く、それでいて統率のとれた動きで、乗組員たちが次々に管制室を飛び出していく。それを横目で見送りながらドナテロがテラフォーマーに向き直ろうとしたその瞬間、後方から大きく自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

 肩越しに彼が振り向くと、そこには今まさに閉まりつつある扉の隙間からイヴの姿が覗いていた。彼は大きく息を吸うと、ありったけの声でドナテロに向かって声援を送った。

 

「ドナテロさん、頑張れ!」

 

 イヴの声に、ドナテロは返事をしなかった。その代わりに彼は右手を高く上げると、親指を力強く立てて見せた。

 それを見たイヴの顔に明るさが戻ったその直後、管制室の扉は完全に閉ざされた。次にあの扉が開くのは、準備を終えた一郎たちが戻って来た時だろう。

 

「さて……待たせたな、ゴキブリ共」

 

 ドナテロは壊れた壁の穴から這い出てくるテラフォーマー達を見据えた。既に内部に侵入してきている彼らの数は数十を超え、それでもなお進行形で増え続けている。

 

 形勢はどう見ても圧倒的に不利。しかし、彼の胸中に恐怖の二文字は一切なかった。

 

「俺が相手になってやる……死にたい奴からかかって来い!」

 

 ドナテロが、ゴキブリ達に向かって咆哮する。そして次の瞬間、黒い悪魔はただ1人管制室に残った人間であるドナテロに襲い掛かった。

 

 




【オマケ】第九話オマケの続き


ニュートン「君の寿司は、特にアレだ……………………が、ガリが美味かった(震え声)」

本多「!?」

クロード「あ、ウニとエビは絶品だったよ。けど、海鮮プルコギ寿司がちょっとナンセンスだったかな……まぁ75点、ってところだね」

本多「!?!?」



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