贖罪のゼロ   作:KEROTA

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 ――航海開始より、39日目。

 宇宙船バグズ2号はいよいよ、テラフォーミング計画も大詰めを迎え、一面が緑に染まった太陽系第四惑星、火星へと降り立つ。






第11話 FRIEND AND ENEMY 友と敵

「一応、正確には緑と黒なんだけどね」

 

 イヴはそう言うと、カイコガのフライを口の中へと放った。揚げたての香ばしさをゆっくり味わってから飲み込み、指に着いた塩を舐めとる。再びイヴが次のフライへと手を伸ばそうとしたその時、彼を背後から呼ぶ声が聞こえた。

 

「なぁ、イヴ……テラフォーマーって、全部でざっと何匹くらいいるんだ?」

 

 振り返ったイヴの目に映ったのは、部屋の隅で体育座りをした小吉だった。普段の明るい様子は鳴りを潜め、見るからに負のオーラを放っている。そんな小吉に引きずられてか、彼の座り込んでいる一角だけ妙に空気が重かった。

 

「え? えっと、確か資料だと……2億匹くらい、だったかな?」

 

 盗み見たクロードの資料に書いてあった推定生息量が確かそのくらいであったはずだ。資料のデータを思い出しながらイヴが言うと、小吉はあからさまに大きくため息をついた。

 

「……おうち帰る」

 

「そこ、幼児退行すんな」

 

 切なげな表情を浮かべる小吉の頭を、奈々緒がべしっと叩く。そんな彼女に小吉は力なく抗議を始めた。

 

「だってさー、アキちゃん。ゴキブリだぞ、しかも人型×2億だぞ? 絶っっっっっ対に無理だわー」

 

「何ぃ!?」

 

 弱音を吐いた小吉の胸元を、奈々緒がぐっと掴みあげた。

 

「お前、昨日まで散々『オオスズメバチこそ最強(キリッ)』とか『かっこいいのもオオスズメバチの特性な(キリッ)』とか言ってたじゃねーか!」

 

「いや、それは本番が近づくにつれてこう……マタニティブルー的な、ね?」

 

「お前は男だろ!? というかそれはどっちかというと事後――って、子供の前で何言わせんだ馬鹿!?」

 

「いや今のは俺悪くないでしょ!?」

 

 いつも通りよく言えば賑やか、悪く言えば騒がしく小吉と奈々緒のやり取りが繰り広げられていく。

 真剣さを今一つ欠く会話内容であるが、その実彼らのやりとりは他の乗組員たちの緊張をほぐすことに大きく貢献していた。現に、今ミーティングルームにいる乗組員たちは、決戦を目前に控えながらも皆一様に明るい表情を浮かべている。

 

「イヴ、新しいことを教えてやる」

 

 可笑しそうに小吉と奈々緒のやり取りを眺めるイヴの耳元で、トシオが囁いた。

 

「あれがジャパニーズ・リア充というやつだ。ああいうのを見たら思い切り『リア充爆発しろ!』と叫ぶんだぞ」

 

「ああ、我々にはない文化だ。よく覚えておくんだぞ、イヴ」

 

「そこ! イヴ君に変なこと吹き込むな!」

 

 嬉々としてイヴに間違った知識を教え始めるトシオとルドンに、奈々緒が怒鳴りつけた。そんな彼女に胸元を掴まれながら、小吉がうわ言の様に呟く。

 

「ないわー、人型のゴキブリとかないわー……マジでないわー……狭いうえにドアが内側に開くトイレの個室ぐらいないわー」

 

「お前もいい加減諦めろ! あと嫌いの度合いがよくわからん!」

 

 奈々緒にどんなにどやされようとも、小吉の顔は一向に晴れない。「oh、神よ……」などと言いながら小吉が1人天井を仰ぎ見ていると、彼の足元にトテトテとイヴが駆け寄ってきた。

 

「小吉さん、小吉さん」

 

「んー?」

 

 普段より幾分も低いトーンで返事をしながら彼が足元を見ると、自分を見上げるイヴと目が合った。上目遣いでキラキラとした視線を向けながら、イヴは甘えるような声音で小吉に言った。

 

「小吉さんがかっこよく戦ってるところ、ボク見たいなー」

 

「よっしゃ任せろッ! 何億匹でもかかってこいやァ!」

 

 頼りにされたのが嬉しかったのか、はたまた父性本能的な何かをくすぐられたのか、小吉のテンションは一気に元に戻った――否、むしろ逆に普段よりもテンションが上がった。「やかましいわ!」と奈々緒にどつかれても、構うことなくやる気満々で吠えている。

 やり遂げたような顔でイヴが席に戻ると、一部始終を見ていた乗組員たちから小さな拍手がわき起こった。

 

「っはー、すごいな。ゴキブリ嫌いの小吉を一瞬でやる気にさせちまった」

 

「いや大したもんだよ、ホント」

 

 驚いたような、呆れたような口調でジョーンとフワンが口々にそう言うと、イヴが照れたように笑いながら、首を横に振った。

 

「そんなことないよ。ボクはただ、一郎さんから聞いた話を応用しただけ」

 

「一郎から?」

 

 近くで聞いていたマリアが首をかしげる。不思議そうな表情を浮かべる彼女にイヴは頷いて、以前聞いた一郎の家族にまつわる話を始めた。

 

「えっとね、一郎さんの家っていっぱい兄妹がいるでしょ?」

 

 イヴの言葉に、乗組員たちが頷く。あまり皆と打ち解けようとしなかった一郎だが、弟と年齢が近いこともあってかイヴのことはあれこれと世話を焼いていた。イヴにねだられて家族の思い出話をする光景は、小吉と奈々緒の漫才に並ぶバグズ2号の風物詩の一つと化している。

 そんな彼らの会話を聞いているうちに、一部の乗組員は、知らず知らずのうちに一郎の家庭事情に詳しくなっていた。

 

「それでね、弟とか妹が注射を嫌がってる時に、お母さんが『泣かないで注射を受けれたらかっこいいよー』って褒めると、皆すんなり注射を受けるんだって。だから、小吉さんも褒めたらゴキブリ退治頑張ってくれるんじゃないかなーって思ったんだ」

 

 イヴの発言を耳ざとく――あるいは運悪く聞きつけてしまった小吉が、彼の背後で目を剥いた。

 

「ちょっと待って!? その原理だと俺、注射を嫌がる子供レベルってことにならないか!?」

 

「実際その通りでしょうが」

 

 奈々緒が小吉に正論を叩きつけたその時、入り口からブザー音が鳴り響いた。乗組員たちが音の発生源でもある入り口に視線を向けると、そこにはドナテロが立っていた。

 

「ピクニックは終わりだ、お前ら! 着陸態勢に入れ!」

 

 ドナテロが手を叩きながら声を張り上げる。

 

「これより、火星の大気圏内に突入する! 着陸直後に襲撃されることも考慮して、各自いつでも薬を使えるように用意しておくこと! いいな!?」

 

 乗組員たちはそんな彼に返事を返すと、次々に移動を始めた。イヴも皆と一緒に移動したところ、ふとドナテロに呼び止められた。

 

「イヴ。娘からお前宛に伝言を預かってきた」

 

「ミッシェルちゃんから?」

 

 小首をかしげたイヴにドナテロは頷くと、彼の青い瞳を見つめた。

 

「ああ。火星から帰ったらぜひ家に遊びに来てほしい、だそうだ。お前の絵を描いて待っている、とのことだ」

 

「本当!?」

 

 その言葉を聞いたイヴが、パッと顔を輝かせた。イヴにとって同世代で友達と言える人物は、今のところはミッシェルだけだ。言うなれば、生まれて初めての『お呼ばれ』である。これが嬉しくないはずがない。

 イヴは嬉しさのあまりにピョンピョンと跳ねた。ここまで大仰に感情を表現するのは、普段はおとなしいイヴにとってかなり珍しいことである。

 

「やったー! ドナテロさん、ありが――」

 

 とそこまで言いかけて、イヴは気が付いた。ドアの向こう側から突き刺さる、ニヤニヤとした複数の視線に。

 

「ほっほう……デートのお誘いですか、イヴくぅん?」

 

「へっ!?」

 

 悪役を絵に描いたような笑みを浮かべた小吉が言うと、イヴが頬を赤らめた。

 

「べ、別にデートとかじゃないよ!? これは、ただ一緒に遊ぶだけで……」

 

「あら? でもそう言う割には、満更でもなさそうじゃない?」

 

 慌てるイヴを面白がったマリアが追い打ちをかけると、他の乗組員たちも悪ノリしてイヴをはやし立て始めた。

 

「そりゃマリア、気になる女の子からデートのお誘いが来たとあれば、嬉しいに決まってるさ」

 

「しかも、父親公認と来た!」

 

「これはもうゴールイン直前じゃないのか?」

 

 口々に畳みかけられ、イヴの顔がますます赤く熱くなっていく。

 

「だ、だから……ミッシェルちゃんとはそう言う関係じゃ――」

 

「皆! 今こそあの言葉の出番ではないか!?」

 

 イヴの弁解の言葉を遮るようにして、小吉はさながらヒーローショーの司会のごとく声を張り上げた。

 

「俺に続いて言ってみよう! 『リア充爆発しろ』!」

 

「「「「「リア充爆発しろ!」」」」」

 

「もげろ!」

 

「「「「「もげろ!」」」」」

 

「末永く爆発しろ!」

 

「「「「「末永く爆発しろ!」」」」」

 

 この手のできごとに関して、バグズ2号の乗組員たちの団結力は極めて高い。妬みとも祝福ともつかない言葉の大合唱を浴びて、イヴはいよいよ頭から蒸気でも吹きださんばかりに顔を真っ赤になった。それを見かねたドナテロは、仕方なしに助け舟を出すことにする。

 

「お前らッ! バカやってないで早く配置に着け!」

 

 ドナテロの怒声に、小吉たちは蜘蛛の子を散らすかのように廊下を走り去っていった。その様子に呆れたようにため息をつくと、ドナテロはあうあうと悶えるイヴに声をかけた。

 

「ほら、行くぞイヴ」

 

 ドナテロの言葉に、イヴは俯きながらも無言で頷く。それを確認したドナテロは歩き出そうとして――ふと足を止めた。

 

「それとイヴ……一応言っておくが、例えお前でもミッシェルは渡さんからな?」

 

「だ、だからそう言うのじゃないんだってばぁ!」

 

 むきになって言い返したイヴに悪戯っぽく笑いかけると、ドナテロは今度こそ歩き出した。散々からかわれたイヴは火照った頬を膨らませながら、彼の背中を追ってミーティングルームをあとにした。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 イヴが乗組員として生活を共にし始めてから4日後のこと。その日、イヴが小吉と共に艦長室を訪れると、ドナテロは誰かと通信を行っている最中であった。

 最初はU-NASAへの定時連絡かと思ったイヴたちだが、どうにも様子がおかしい。通信をするドナテロの声はやや抑え気味で、まるで通信しているのを隠しているかのようだった。

 

「艦長っ! 1人でこそこそと何やってるんすか~?」

 

 小吉が艦長室内を覗き込みながら声をかけると、ドナテロは一瞬だけ体をすくませ、それからばつが悪そうな顔で振り向いた。普段は堂々としているのに珍しいな、とイヴは心中で意外そうに呟く。

 

「ちょっ、小吉やめなって……プライベート……」

 

 後ろから控えめに制止する奈々緒の声を無視し、小吉は楽し気に言葉を続ける。ドナテロの姿勢が変わったことで少しだけ見えたモニターには、1人の女性が映っていた。

 

「おや、奥さん? ほほう、こうしてわざわざ通信しているということは……お誕生日ですか!?」

 

「あっ、そうだったの!? だったら、皆でお祝いしないと!」

 

 イヴが声でそう言うと、小吉は然りとばかりに頷く。それを見たドナテロは、慌てたように口を開いた。

 

「いや、そうじゃないんだ2人とも。これは――」

 

『パパ、どうしたのー?』

 

 しかし、そんな彼の声を遮るように、室内に幼い少女の声が響き渡った。

 驚いた三人がモニターに目を向けると、そこには1人の少女が映っていた。少女はモニターにぺったりと張り付き、興味津々といった様子でイヴたちを眺めている。

 それを見たドナテロが、観念したように話し始めた。

 

「イヴには以前話したが……娘がいるんだ。本当はマズいんだが、どうしても会いたくなってしまってな」

 

「あっ、じゃあこの子が前に話してくれた……」

 

 イヴの言葉に、ドナテロが頷いた。

 

「ああ。娘のミッシェルだ」

 

 ドナテロの言葉を聞きながら、イヴはしげしげとミッシェルを見つめた。

 

「……艦長、娘さんいらしたんですね」

 

「本当だ、よく見ると似てる」

 

 小吉と奈々緒が、口々に驚きの声を上げる。幼いながらも凛々しい彼女の顔立ちには、確かにドナテロの面影がある。髪の色はドナテロのそれに比べると鮮やかだが、こちらは母親の方に似たのだろう。背後で苦笑している女性にそっくりだ。

 すると、モニターの中の少女は不思議そうに首をかしげてイヴを指さした。

 

『そのこ、だれ?』

 

「ん? ああ、そう言えば、ミッシェルは会うの初めてだったな」

 

 ドナテロは思い出したようにそう言うと、イヴを手招きしてモニターの近くまで呼び寄せた。それから彼は、初めて会った時に比べて随分と大きくなったイヴの体を持ち上げると、自らの膝の上に乗せた。

 

「この子はイヴ。父さんの友達なんだ、ミッシェル」

 

「イ、イヴです。は、初めまして」

 

 イヴにとって同世代の子供に会うのは、これが初めてのことである。緊張でガチガチになりながらもイヴが挨拶すると、ミッシェルはきょとんとした顔でイヴを見つめた。その後ろから、微笑ましそうにデイヴス夫人がミッシェルに告げる。

 

『ほらミッシェル、あなたの番よ。さっきイヴ君がやったように、あなたのお名前も教えてあげて』

 

『んー! わかった!』

 

 ミッシェルはそう言って太陽の様に明るく笑うと、イヴに向かって得意げに言うのだった。

 

『みっしぇるだよ! ねんれーは3さい! よろしくね、イヴお兄ちゃん!』

 

「っ! うん! よろしくね、ミッシェルちゃん!」

 

 ――こうして、2人は出会った。

 

 この時、イヴはまだ幼いミッシェルに何か『運命じみた』ものを感じた。と言っても、それは恋愛感情のようなロマンチックな何かではない。もっと根本的、根源的な何か。そんな何かを、イヴは彼女から感じ取っていた。

 

 その『何か』の正体が分かるのは、もう少し後のことである。

 

 

 

 

 

 

 

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 大気圏突入は順調に進み、テラフォーマーの襲撃を受けることもなく、バグズ2号は無事に着陸に成功した。着陸の完了を確認した乗組員たちは座席のシートベルトを外し、皆窓の外の景色を眺めた。

 そこから見えたのは、どこまでも果てしなく続く広大な大地。ごつごつとした岩肌には無数の苔が群がり、一面を深緑に染めている。今の地球では決してみることのできないであろう、美しい景色だった。彼らはしばし任務も、この地に潜む脅威のことも忘れ、目の前に広がる風景に見入っていた。

 

 そんな彼らを現実へと引き戻したのは、鳴り響いたブザーの音だった。我に返った乗組員たちの視線が、ブザーを鳴らしたドナテロへと注がれる。全員の意識が自分へ向いたのを確認すると、彼は指示を出した。

 

「全員いるな!? よし、配置に着け! これより大容量ゴキブリ駆除剤「マーズレッドPRO」を散布! それが終わり次第、事前に決めておいた調査隊が車で下船する! 調査隊、前へ!」

 

 ドナテロの声を受け、選抜された乗組員が彼の前に整列した。ミンミン、小吉、リー、ティン、テジャス、ジョーンだ。

 

「お前たちの任務は火星の環境調査、及びテラフォーマーの威力偵察だ! 奴らと遭遇した場合、可能であればサンプルを確保、不可能であれば無理に戦わずに撤退しろ! 必ず生きて帰ってこい! いいな!?」

 

「了解しました!」

 

 調査隊を代表してミンミンが言うと、ドナテロは満足げに大きく頷いた。

 

「よし、各自行動開始!」

 

 ドナテロの指示で、乗組員たちが一斉に動き始める。管制室に残ってレーダーを見張る者、マーズレッド散布のための準備を始める者、研究用の部屋に移動するものなど様々だ。

 

「さて、私達も出発の準備を――」

 

 ミンミンはそこまで言って、ふと言葉を切った。小吉たちが一瞬だけ怪訝そうに首をかしげたが、彼女の視線を辿って瞬時に納得する。そこには、不安そうな目で自分たちを見つめるイヴがいたのだ。

 

「……不安か、イヴ?」

 

 ミンミンがしゃがみこんで、イヴと目線の高さを合わせて聞く。するとイヴは、無言のままで小さく頷いた。

 

 元々、イヴの本来の目的はテラフォーマーと乗組員たちを引き合わせない事だったのだ。それにも関わらず、結果的に彼らをテラフォーマーの真っただ中に放り込むようなこの状況は、彼の心情としては受け入れがたいものであった。そんなイヴを安心させるかのように、ミンミンは優しく笑いかける。

 

「あまり心配するな。ジョーンの特性があれば地形的な死角はだいぶ減るし、いざとなったらテジャスの特性で逃げればいい。それに……」

 

 そこで一度言葉を切って、ミンミンは後ろに控える小吉たちを見やる。

 

「私も含めて、戦闘力が高い者を選抜したんだ。ゴキブリごときに早々後れを取るようなことはない」

 

 そうだろう、というようにミンミンが視線を送ると、小吉たちは頷いた。

 

「そうそう! だからお前はむしろ、こっちの心配をしとけって!」

 

「ああ。俺達が出張ってる間、艦長たちがいるとはいえ本艦の守りは手薄になるからな」

 

「フン、過度な期待はしねぇが……こっちは任せたぜ、ガキ」

 

「……! う、うん!」

 

 小吉やティン、リーに頼りにされたが嬉しくて、イヴは大きく頷いた。先程とは違い力強いイヴの返事に、ミンミンはもう一度笑いかけると立ち上がった。

 

「各自、物品の準備に取り掛かるぞ! 薬の散布が終わり次第、調査を開始する」

 

 ミンミンの指示で、小吉たちはイヴに手を振りながら次々と管制室を出ていった。手を振り返して彼らを見送りながら、イヴは考える。自分にできることは何なのか、バグズ2号のためにできることとは何なのかを。

 

「……奈々緒さん、フワンさん」

 

 イヴはしばらく考え込んでから、近くにいた2人に声をかけた。

 

「やりたいことがあるんだ。手伝ってほしい」

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 ――着陸からおよそ1時間後。

 

 マーズレッドの散布が終わり、バグズ2号の車庫から調査隊を乗せた六輪車が発車した。惑星探査用にU-NASAが開発した車はさすがに特注品なだけあり、舗装もされていない未開の悪路を、激しい揺れもなく走り抜けていく。

 

「……テラフォーマーの死骸は無いな」

 

 周囲を見渡しながらティンが呟いた。バグズ2号を出てから、既にかなりの距離を走っている。薬が散布されている以上、仮に効果があるのなら数匹分の死体が転がっていてもおかしくないはず。つまり逆説的に、この状況が指し示しているのは――

 

「人型ゴキブリに駆除剤は効かねえってこったな」

 

「マジかよ……」

 

 リーが平然と言い放ったその言葉に、小吉はあからさまに顔をしかめた。一応戦う覚悟はできているが、だからと言って積極的に戦いたいかと言われればまた話は別である。

 駆除剤という一縷の望みを断ち切られた小吉に、更にテジャスが悪意なき追い打ちをかけた。

 

「……なぁ、小吉。駆除剤が効かないってことは、ひょっとしてそいつらには、お前の毒も効かないんじゃ――」

 

「やめろ。冗談でもやめてくれ」

 

「す、すまん」

 

 必死の形相で言い募られ、テジャスが思わず申し訳なさそうに謝った。それを見ていたミンミンが、呆れ混じりに苦言を呈した。

 

「お前たち、もう少し緊張感を――」

 

「ふ、副艦長」

 

 しかし彼女の言葉は途中で、ジョーンの声に遮られた。彼はどこか驚いたような、意外そうな顔で前方を指さしていた。

 

「あれ……見てください」

 

 彼の指さす方へ全員が顔を向け――そして、息を呑んだ。

 

「あれは……湖か?」

 

 彼らの目の前に広がっていたのは、苔むした平原に点在する湖だった。青い水面は太陽の光を反射して、白く煌めいている。

 

「すっげえ……」

 

 小吉のその一言が、全てを表現していると言ってもいいだろう。それほどまでに、彼らの眼前に広がる光景は美しく、神秘的だった。

 

「どうします、副艦長?」

 

「……車を湖の近くに停めてくれ」

 

 運転をしながら聞いてきたジョーンに、ミンミンは少し考えこんでから答えた。彼女の指示に従ってジョーンは車を走らせ、湖から数m程離れた所でブレーキを踏んだ。

 

「よし、今から水質の調査を行う! ジョーン、変態して水中からサンプルを採ってきてくれ。」

 

「了解!」

 

 張りのある声で返事をすると、ジョーンは湖まで歩いていき、自らの首筋に注射を打ち込んだ。たちまち彼の背中には流線型の翅が生え、足はブラシのような形状に変化する。彼のベースとなった昆虫『ゲンゴロウ』の特性だ。

 

「気をつけてなー!」

 

 そう言った小吉に手を振り返すと、ジョーンは水しぶきを上げて湖の中へと飛び込んだ。湖面には少しの間波紋が広がっていたが、それも数秒で収まり、元の静けさが戻った。

 

「さて、今のうちに私たちはサンプルの採集だ。テジャスとリーは車に残って周囲を警戒、他の者で土や苔を回収するぞ」

 

「うっす」

 

 ミンミンの指示で、ティンと小吉は採集キットを片手に荷台から飛び降りた。足の裏から、苔のふかふかとした感触が伝わった。

 早速彼らは、周囲の警戒を車上の二人に任せて、サンプルの回収を始める。

 

「それにしても、全然息苦しくないのな。ここ、アンデス山脈のてっぺんと同じくらいの酸素濃度なんだろ?」

 

 小吉が足元の苔を回収しながら、隣で作業をするティンに話しかける。

 

「ああ。まだ環境は整っていないはずだが……これも、手術のおかげなのか?」

 

 不思議そうにティンが呟くと、車の反対側からミンミンが答えた。

 

「『人体改造手術』の名前は伊達じゃないということだ。イヴの様に薬なしで特性を発揮するのはさすがに無理だが、低酸素下で活動するくらいなら、変態するまでもない」

 

「へぇ……」

 

 小吉が驚いたような、感心したような声を上げた。そこから更に相槌を打とうとするも、車上からかけられたリーの声がそれを遮った。

 

「おい、お喋りはその辺にしとけ」

 

「っと、悪い。うるさかったか?」

 

 小吉が慌てて口にした謝罪の言葉に、車上からリーが「違ぇ」と返す。

 

 

 

()()()()()()()()()。無駄口叩いてると、死ぬぞ?」

 

 

 

 その言葉の意味を理解した次の瞬間、小吉たちは弾かれたように立ち上がった。即座に懐から薬を取り出して身構え、彼らはリーが見つめる方向へと視線を滑らせる。

 

 

 

 ――そこにいたのは、一言で言えば『異形』であった。

 

 

 

 それは、頭上から足先までを黒い甲皮に覆われた人型の生物。裸同然の肉体は筋肉質に引き締まっており、その右手には棍棒の様なものが握られている。頭部から生えた細い触角を揺らしながら、その生物はこちらに向かって歩いてきていた。

 

「これがテラフォーマーか……ハハ、中々マッチョなんだな」

 

 100m程先からゆっくりと迫りくるその生物の姿に、小吉が頬に冷や汗を伝わせながら呟いた。その装いは決して文明的には見えないが、それ以上に不気味だ。イヴの言っていた通り、本能的に受け付けない。

 警戒する小吉達の前でその生物――テラフォーマーは一度立ち止まる。そして、ゾッとするようなおぞましい声色で、鳴いた。

 

 

 

「  じ  ょ  う  じ  」 

 

 

 

「ッ!?」

 

 全身に鳥肌が立ち、体中をザラリとした悪寒が駆け抜ける。離れているにもかかわらず、その鳴き声は、確かに彼らの耳に届いた。身の危険を感じたティンと小吉が、咄嗟に薬を首筋に打ち込もうとする。

 

「慌てるな、2人とも」

 

 しかし、ミンミンが2人のそんな行動を制した。彼女はあくまで冷静に、構えを解かない2人に向かって言った。

 

「十分に奴との距離はある。事前の打ち合わせ通り、まずは銃火器の有効性を確かめるぞ。変態するのは奴が20m内まで接近するか、銃が効かないことがわかってからだ。いいな?」

 

「う、ウス」

 

 ティンと小吉が踏みとどまったのを確認すると、ミンミンが車上にいるリーを呼んだ。彼は短く返事を返すと、バグズ2号から持ってきた防犯用の機関銃を手に取った。荷台の上で片膝をついて銃を構えると、慣れた手つきでテラフォーマーに照準を合わせる。

 

「いつでもいけるぜ」

 

「よし、撃て!」

 

 ミンミンの号令と同時に、リーが銃の引き金を引いた。静かな湖畔に連続で銃声が響き渡り、火薬と共に大量の弾丸がばらまかれ、吸い込まれるようにテラフォーマーに着弾する。肉が抉られる不快な音と共に、テラフォーマーの体から白い脂と体液が飛び散った。

 

 ――が、しかし。

 

「だ、駄目だ! 効いてないぞ!?」

 

 

 

 ――害虫の王、死なず。

 

 

 

 弾丸の雨にさらされながらも、テラフォーマーはその歩みを止めることはなかった。弾丸が当たるたびに上半身をのけぞらせながら、しかし歩調を緩めずに車に向かって前進している。

 

「あー、こりゃ無理だな。虫だった時の名残で痛覚が無ぇのか? まるで怯む様子がねぇ。おまけに甲皮が厚くて、思うようにダメージを与えることもできねぇときた」

 

 リーは銃の引き金から指を放すと、チラリとミンミンを見やった。

 

「まだやるか? これ以上は時間と弾丸の無駄だと思うが――」

 

「いや、もういいだろう」

 

 彼の問いに、ミンミンが首を横に振った。元より、銃火器の効果が薄いは想定の範囲内。仮に銃火器で対抗できるのであれば、そもそもバグズ1号の乗組員が全滅するようなこともないだろう。

 ダメで元々、効果があれば御の字程度の試みだ。意固地になって危険に身をさらす必要もない。

 

「リー」

 

「問題ない、()()()()()()()()

 

 リーは手に持っていた銃をテジャスに渡すと、全身に巻き付けているホルダーの中から薬を取り出した。

 

「ゴキブリは高熱に弱い……つまり、俺の出番ってわけだ」

 

 彼はそう言って不敵に笑うとそれを自らの首筋に打ち込み、ミイデラゴミムシの特性を発現させる。それから彼は、両腕を迫りくるテラフォーマーに向けて突き出した。

 

「――悪いが、一方的にやらせてもらうぜ?」

 

 リーはそう呟き、掌のバルブを開ける。

 

 その直後、閃光と爆音――そして熱風がテラフォーマーに襲い掛かった。

 

「うおっ!?」

 

 着弾点からは離れているはずの車にまで余波が押し寄せ、小吉たちは思わず顔を覆った。

 

「すごいな、これは……」

 

 爆風が収まったのを見計らって顔を上げたティンが、思わずそう漏らした。話には聞いていたものの、実際に目の当たりにしたのは初めてだった。

 先程までテラフォーマーがいた場所には、煌々と赤い火柱と黒煙が立ち昇っている。

 

 過酸化酸素とハイドロキノン。それらを合成して作られた、超高温ガスであるベンゾキノンが、この爆発の正体だ。ミイデラゴミムシ最大の特徴である。

 

 人間大のスケールで放たれたガスは、火炎放射さながらの大爆発とはよく言ったもの、何も知らなければ大砲と言われても信じてしまいそうな程の威力。

 

 

「これ、サンプル確保とか無理じゃねーか?」

 

 顔を引きつらせながら小吉が言う。この威力ならば、テラフォーマーの体が爆散していたとしてもおかしくない。サンプルは生死を問わない、と事前にドナテロからは言われていたが、それ以前の問題だろう。

 

「火力が強すぎたか」

 

 構えを解きながら、リーが鼻を鳴らした。訓練時の標的は全て模型などの無生物であったため、出力の調整を見誤ったらしい。

 

「まあいい。次はもう少し――」

 

「……どうした?」

 

 突如言葉を切ったリーに、怪訝そうに小吉が聞き返したその時、テジャスが悲鳴を上げた。

 

「お、おい! あれ見ろ!」

 

 焦ったような顔で叫んだ彼の声に従い、小吉たちは再び燃え盛る火柱へと目を向け――そして、驚愕のあまりに目を見開いた。

 火花を散らしながら揺らめく炎の中に、人影が写っていたのだ。無論、その正体は何であるかは言うまでもない。

 

 

 

「じょうじ」

 

 

 

 ――害虫の王、なおも死なず。

 

 

 

 不気味な鳴き声と共に、炎のベールをかき分けてテラフォーマーが現れた。触覚や甲皮が所々焦げ付いているが、目立った外傷は見られなかった。テラフォーマーは、自分の体から発せられる煙の筋を、興味深そうに見つめている。

 

「う、嘘だろ!? あの大爆発で死なないのか!?」

 

 愕然として叫んだ小吉を始め、この場にいる誰もが予想外の事態に身動きができずにいた。

 

 ――ただ1人を除いて。

 

「へぇ……」

 

 全く臆した様子もなく、それどころかどこか楽し気な笑みを浮かべて、リーは腰のナイフを引き抜いた。その目はまるで、獲物を見つけた肉食獣のように爛々と輝いている。

 

「――面白ェ!」

 

 言うが早いか、リーは車の荷台の上から身を躍らせた。それを見た小吉が、ギョッとしたように目を見開く。そんな彼に目もくれず、リーは大地を蹴ってテラフォーマーに向かって駆け出した。

 

「よせ、リー!」

 

 ミンミンが制止の声をあげるが、引き止めるには数秒遅い。その声がリーの耳に届く頃には、彼は既にテラフォーマーとの距離を大きく狭めていた。

 

 ――テラフォーマーの弱点は、食道下神経節だったはず。

 

 間合いを詰める僅か数秒の間に、リーの頭は回転する。

 

 人型でありながら昆虫としての特性も色濃く残っているテラフォーマーは、胴体部の制御を、食道部分にある神経節に委ねている。そのため彼らは、例え頭部がなくとも活動を続けることがある。

 しかしそれは逆に言えば、()()()()()()()()()()()()テラフォーマーが胴体を動かす術はなくなるということでもある。

 

 ――となれば、やることは一つ。

 

(奴の神経節に、ナイフをねじ込む!)

 

 リーの思考が完全に固まったのとほぼ同時に、彼とテラフォーマーの間合いが完全に重なった。

 

「じょう!」

 

 腰を深く落として迎撃の姿勢をとったテラフォーマーに、リーが躍りかかった。

 




【オマケ】in水中

ジョーン「(やべぇ、出るに出られない)」






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