贖罪のゼロ   作:KEROTA

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1st MISSION 始まりの少年 -BUGS 2-
第1話 OPENING 始まり


 

 

 

 その部屋は、暗闇で満たされていた。

 窓のないその部屋には一切外部からの光が入らない。照明器具の類もなく、光源と呼べるものは部屋の中央にある電源の入ったパソコンの画面のみ。

 そのパソコンの前に、1人の男が立っていた。

 

 白衣を身に纏った男は、画面を凝視する。彼は眼球だけを忙しなく動かし、画面上の膨大な量の数値とグラフを確認していく。

 やがて念入りなデータの確認を終えると、男は口端をニィと吊り上げた。

 

「フ、フフフ……フハハハハハ!」

 

 そして彼は狂ったように笑い始める。暗闇の中に響き渡ったその笑い声は、ゾッとする程に楽しげであった。

 

「素晴らしい、実験は大成功だ! やはり、この『アダム・ベイリアル』の仮説に間違いはなかった!」

 

 髪を振り乱し、唾を吐き散らしながら、その男――アダム・ベイリアルは叫ぶ。その顔には、喜色を通り越して恍惚の表情が浮かんでいた。

 

「美しい、実に美しい! ――U-NASAの愚図共にも見せつけてやりたいよ、まったく」

 

 アダムはかつて、U-NASAにおいてとある研究の主任を務めていた、優秀な科学者であった。だが、その実験台として32人の児童を誘拐した後に殺害。2591年現在、大量誘拐殺人事件の犯人として国際指名手配されているお尋ね者である。

 

「だが、まぁいい。結果的に俺の研究は実を結んだ。今はそれを喜ぼうじゃないか」

 

 アダムは忌々しい記憶に蓋をすると、自身の『研究成果』が入っている水槽を愛しそうに撫でた。水族館にあるような巨大な水槽には無数の管が繋がっており、中を緑色の培養液が満たしている。

 

 その中に、一人の赤ん坊が浮いていた。

 

 不気味に泡立つ培養液の中で、赤ん坊は眠っているかのように目を閉じている。口には呼吸補助のためのマスクが取り付けられており、体中の至る所に電極が刺さっていた。

 水槽の淵には『EVE-325』と書かれたタグが取り付けられている。

 

「まだまだ素体の強度は脆弱だが……俺の理論の正しさはこれで証明された。後々改良を加えていけばよかろう」

 

 アダムの目が、ギラリと凶悪な光を放った。

 

「今に見ているがいい。必ず、俺の研究の成果でU-NASA(あいつら)に目に物見せて――」

 

 とアダムが言いかけたその時。

 突然彼の言葉を遮るように轟音が鳴り響き、部屋全体がまるで地震のように揺れた。思わず転びかけ、アダムは慌てて机を掴む。

 

「ッ!? 何だ!?」

 

 アダムがそう叫んだ瞬間、部屋のドアが乱暴に開け放たれた。

 彼が振り返ると、そこには重火器で武装した人間達が立っていた。その数、およそ10人前後。全員、その佇まいには隙がない。少しでも不審な動きをすれば、彼はたちどころにハチの巣になってしまうだろう。

 

「U-NASAの追手か! クソッ、まさかここを探り当てるとは……!」

 

『おっと、無駄な抵抗は考えない方が賢明だ。君は既に包囲されている』

 

 悔し気に歯噛みするアダムの耳に、聞き覚えのある声が届く。しわがれた、それでいて底知れぬ迫力のあるその声の主を、アダムは知っていた。

 

「その声――貴様、ニュートンかッ!」

 

『ご名答。久しぶりだな、ネイト・サーマン博士――いや、今は『アダム・ベイリアル』と呼んだ方がいいのかな?』

 

 その音声と共に、部屋に突入してきた特殊部隊の隊員の1人が、映像投影装置を起動した。装置が作動すると、一人の老人の映像が浮かび上がった。

 

 雄獅子を思わせるその風貌。老いてなお衰えぬ、カリスマ的な覇気。

 

 U-NASAが現在進めている極秘計画の最高責任者、アレクサンドル・グスタフ・ニュートンがそこにいた。

 

『ホログラム越しに失礼するよ』

 

 葉巻を加えた口に笑みを浮かべ、ぎょろりとした双眸でニュートンはアダムを見据えた。

 

『まずは研究の成功おめでとう、とでも言っておこうか。君の研究成果は実に素晴らしい。いやはや、恐れ入った』

 

「……」

 

 押し黙ったアダムを気にした様子もなく、ニュートンは滔々と語る。

 

『『バグズ・デザイニング』と言ったかね? まさかバグズ手術を応用して、昆虫の遺伝子を先天的に組み込んだ人間を一から造りだすとは……実に興味深い』

 

「なッ!」

 

 ニュートンのその言葉にアダムは驚き、そして戦慄した。背筋を百足が這っているかのような、ゾッとする寒気が走った。

 

 ――バグズ手術。

 それは人体に昆虫の遺伝子を後天的に組み込むことで、小さな昆虫たちの多種多様な特性を人間が使えるようする、人体改造術式の名称である。

 

 例えば、獲物を確実に仕留めるための毒針を有するハチ。

 

 例えば、体長の数倍の高さを跳躍することができる脚力を持つバッタ。

 

 例えば、自重の100倍もの重さを持ち上げる筋力を誇るアリ。

 

 バグズ手術はそういった昆虫たちの遺伝子を肉体に取り込み、薬品による人為変態によって人体を昆虫化。それによって昆虫の特性を、人間が人間大のスケールで扱うことができるのだ。

 加えて昆虫類が持つ強化アミロース皮による身体の強度や、開放血管系が肺に併用されることによる運動能力の向上によって、通常の人間にとっては過酷な環境下における活動効率の上昇など、バグズ手術には多くの恩恵がある。

 

 このように極めて有用なバグズ手術ではあるが、いくつか致命的な欠点が存在していた。

 第一に、被験者の遺伝子に適合する昆虫でなければ手術は行えないということ。

 第二に、手術の成功率は僅か30%と極端に低いこと。

 第三に、昆虫の特性を使うためには細胞分裂に伴い、寿命を削る必要があるということ。

 

 かつてアダムが研究において主任を務めていた研究とは、他でもないこのバグズ手術についてだった。そして、これらの欠点を補うためにアダムが考えた方法こそ『バグズ・デザイニング』。

 

その内容は、胚の段階から昆虫の遺伝子を組み込むことで『元から昆虫の遺伝子を持っている人間』を造りだすというもの。この方法であればそもそもバグズ手術を行わないために第一・第二の欠点は発生せず、『昆虫の遺伝子が最初から発現している』状態で生まれるため、第三の欠点もなくなる。

 

 そしてこの技術はたった今、アダム・ベイリアル自らの手で完成したものだ。それにも関わらず、なぜその結果をこの男が知っている?

 

「馬鹿な! なぜ貴様がそれを――」

 

『なに、簡単な話だ。事前に、君の体にカメラを仕掛けさせてもらったのだよ』

 

 アダムに向かって、ニュートンは何てことのないように言った。その一言で、アダムは全てを悟る。

 

「……ッ! 全て、貴様の掌の上だったというわけか……!」

 

『その通りだ』

 

 葉巻をくゆらせながらのニュートンの言葉は、アダムにとって屈辱以外の何物でもなかった。よもや、自分の行動が全て筒抜けであろうとは。これではまるで、自らが憎むU-NASAのために研究を続けていたかのようではないか。

 

『さて。これで君がただの科学者だったのなら、再びU-NASAにスカウトするところなのだが……残念ながら、君を生かしておくわけにはいかない。『アダム・ベイリアル』は危険だ。ここで消えてもらおう』

 

 顎ひげをなでながらニュートンは、鬼のような形相で自らを睨んでいるアダムにそう言うと右手をサッと振った。

 

『撃て』

 

 その指示と同時に、7つの銃口が一斉に火を吹いた。爆音とともに放たれた弾丸が、アダムの頭部を、心臓を、肺を、両手両足を貫く。

 全身を撃たれたアダムは一瞬ビクリと痙攣すると、床に崩れ落ちた。彼の体から生まれた血だまりで、白衣が赤黒く染まっていく。

 すぐさま、特殊部隊の隊員の1人がアダムに駆け寄った。手首に触れた脈拍を計り、彼の生死を確かめる。

 

「呼吸、脈拍なし――19時37分46秒。アダム・ベイリアルの死亡を確認」

 

『ご苦労。奴の研究データの回収に移行しろ』

 

 ニュートンの指示で、彼らはすぐさま室内の探索を開始した。隊員たちを尻目に、ニュートンは物言わぬ死体となったアダムに語り掛ける。

 

『君の研究は、我々が責任をもって引き継ごう。安心するといい』

 

 そう言って、彼はニタリと笑った。

 だが――

 

「ニュートン博士! 大変です!」

 

『何事だ?』

 

 パソコンを調査していた隊員の悲鳴に近い報告に、ニュートンは怪訝そうに眉をひそめた。

 

「アダム・ベイリアルの研究データが、全て消去されています!」

 

『何?』

 

 映像越しにデータを確認すると、成程確かに研究に関するデータが根こそぎ消えていた。

 

 ――つい数分前まで、データは確かにあったはず。いつの間に?

 

 ニュートンがアダムの死体を見やると、アダムの左手に何かが握られているのが目に入った。それは何かのスイッチのようで――。

 

『……してやられたようだな』

 

 ニュートンが呟いた。おそらくアダムは自らが殺されることを悟り、僅かな隙をついて事前に用意していた手段でデータを消し去ったのだ。U-NASAに、アレクサンドル・グスタフ・ニュートンに自身の研究成果が渡ってしまうなら、と自らの手で。

 

『……今すぐデータを修復。可能な限り復元した上で回収しろ』

 

「はっ!」

 

 ――データの欠損は痛手だが、致命的ではない。

 

 復元作業に取り掛かった隊員を一瞥し、ニュートンは考える。

 

 ――データの完全抹消など、事実上不可能。ある程度の基盤が復元されさえすれば、あとはどうにでもなる。

 

 それに、とニュートンは顔をあげ、水槽の中の眠ったままの赤ん坊――『EVE-325』を見つめた。

 

 ――いざとなれば、現物があるのだから。

 

 彼は咥えていた葉巻を灰皿に押し付けると、もう一度不敵に笑った。




 この度は『贖罪のゼロ』第一話を読んでいただき、ありがとうございます。

 これからも皆様に楽しんでいただけるように頑張っていくので、なにとぞよろしくお願いします。

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