パラオの曙   作:瑞穂国

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明けましておめでとうございます

大掃除ぼのが相変わらずかわいい。そして履いてn(弾丸羽根つきスマッシュ)


決戦前夜
彼女ノ決意


パラオ泊地を、一隻のBOBが、ゆっくりとタグボートに曳かれて移動していた。

 

狭い港湾内においては、大型艦が自由に動くことはできない。主機を止めた重巡洋艦“摩耶”は、タグボートにされるがまま、第二浮きドックへと向かっていた。

 

―――いよいよ、か。

 

深呼吸とも溜め息ともつかない息を吐いて、摩耶は目の前の作業を見守っていた。

 

タグボートの船尾が白く泡立ち、“摩耶”を引いて、あるいは押して、その位置を調節している。沈降した浮きドックは、すでに“摩耶”受け入れの準備を終えていた。あとは船台の上に“摩耶”を誘導して、そのドックを浮揚させるだけだ。

 

“摩耶”入渠の理由は、言わずもがな、大規模改装実施のためである。彼女はついに、自らの艦体に大幅に手を加えることを、承諾したのだった。

 

理由はいろいろあるが・・・やはり、埠頭の端の方でこちらを見ている、長身の将校の存在が大きいだろうか。

 

「・・・心配し過ぎだって」

 

呟くその声の端が緩んでいることを、摩耶自身も自覚している。それをニヤニヤと見つめている妖精に気づいて、彼女は赤くなりかけた頬をそっぽに向けた。

 

ドックへの収容作業は、いよいよ大詰めだ。側面に大きく「二」と書かれた第二浮きドックへ、“摩耶”の艦体が滑り込んでいく。大きなクレーンや制御室がゆっくりと艦橋の横を流れ、コンクリートの壁が視界を覆う。

 

“摩耶”の位置が定まると、タグボートから伸ばされていたロープが外され、ドックから離れていく。

 

『これより、ドック内バラストタンクの排水を行う』

 

管制室から通信が入る。浮きドックを沈めるために海水を入れていたタンクから、ポンプで排水していくのだ。

 

ポンプが作動し始めたのか、ドックが少しずつ浮き上がり始める。“摩耶”艦底部と船台との差は二メートルあり、少しすれば船台に艦体が乗っかることになる。

 

「バラストポンプ、作動準備」

 

ドックの上昇に伴って、“摩耶”艦内のバラスト水も排水しなければならない。その準備は、すでに機関室内で始まっているはずだ。

 

やがて、“摩耶”の艦体が船台に乗る。少しずつ艦体が海水から浮かび上がり始めた。

 

バラストポンプが作動し、海水が排出されていく。船台とのバランスを見ながら、慎重に。

 

全ての作業が終わり、摩耶は精神同調を解除する。大きく伸びを一つ。

 

“摩耶”の大規模改装が始まった。

 

 

“摩耶”の入渠から数日前―――。

 

摩耶は、清水の部屋を訪れていた。夕食後、いつかの夜のように果物を持参して清水の部屋の扉を叩き、今は彼の淹れる紅茶を待っているところだ。

 

「紅茶に果物・・・面白い組み合わせな気もするが」

 

そんなことを言いながら、清水が二人分の紅茶を机に出す。「サイパン沖海戦」(マリアナ沖における一連の戦闘の海軍呼称)後、本土から届いたものだ。

 

「それで、話したい事ってのは?」

 

向かいに腰を下ろした清水が、早速とばかりに切り出す。それは、今夜摩耶がこの部屋を訪れた、本題であった。

 

紅茶で唇を湿らせて、摩耶は息を吸い込む。

 

「お前には・・・話しておくべきだと、思った」

 

そう前置いて、話を始める。

 

「あたしが、佐世保所属になって、最初の提督は、あたしと同じような新人の提督だった」

 

それは、二年ほど前のこと。配属命令を受けて足を運んだ先に待っていたのは、まだ初期艦と二人きりという、若い提督だった。

 

豪放磊落が服を着て歩いているような提督で、摩耶も彼と馴染むのにそれほど時間はかからなかった。

 

彼の指揮下では最大のBOBということもあり、作戦では摩耶が旗艦を務めることが多かった。当然、その艦橋内には、提督の姿があった。

 

―――「海はいいな。難しいことを考えなくていい」

 

そんなことをのたまう彼に、摩耶はいつも苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「良くも悪くも適当な奴でさ。書類仕事が苦手で、一杯溜まってるのに、あたしらのことばっかり見てて。一回、佐世保の提督長に叱られたことがあった」

 

でも、仲間想いの、いい提督だった、と思っている。

 

ある時、佐世保鎮守府主導の作戦が、立案された。南方航路上の深海棲艦を撃滅するための作戦だった。

 

作戦遂行にあたって、摩耶所属の艦隊は夜間襲撃部隊の一翼を担うこととなった。当然、“摩耶”は旗艦として、作戦に参加する。初の大きな作戦ということもあり、摩耶以下艦隊の士気は高かった。

 

「昼間は空母の航空戦を支援して、夜になり次第、突入した。で、あたしらが相手取ったのは、重巡二隻を中核とした通商破壊部隊の一艦隊だった」

 

夜戦の常として、近距離での砲撃戦が始まった。“摩耶”が二隻の敵重巡を相手取っている間に、軽巡以下の艦隊が突撃し、魚雷戦を仕掛ける。乱戦になりがちな夜戦だからこそ、基本に忠実に、戦うことを選んだ。

 

転針を繰り返しながら、“摩耶”は重巡二隻と撃ち合った。訓練の成果もあり、“摩耶”は砲戦を優位に運んでいた。これなら勝てると、摩耶が思った時だった。

 

強烈な衝撃が、横方向から襲ってきた。目の前がくらみ、激しい痛みが襲う。何が起こったのか、全く理解ができなかった。

 

目を開けた時、真っ先に感じたのは、左から髪を揺らす風。それから、ぼんやりと艦橋内を照らす、月明かり。

 

「・・・あたしは、艦橋に被弾した」

 

艦橋の左側に、大穴が穿たれていた。潮と硝煙の混じった、戦場独特の匂いが、艦橋内に容赦なく侵入して、摩耶の鼻をつく。そこに、嗅いだことのない、得体の知れない匂いが微かに混じっていることに、摩耶は気づいた。

 

ベタリ。自分の額を濡らす熱いもの。それが血だということには、気づいていた。

 

だが、それだけでは説明がつかないほどの血が、摩耶の足元に溜まっていたのだ。

 

「提督の、血だった」

 

破砕された隔壁の破片が、もろに提督を襲ったのだった。艤装に寄りかかる彼の、あまりにひどい出血に、摩耶の頭は真っ白になった。

 

―――「前を・・・見ろ。俺の、ことは、いい。お前は・・・必ず、生き残れ」

 

取り乱す摩耶に、提督はそれだけ言った。右手を掴む彼の握力はあまりに弱々しく、しかも血が滴って滑る。その手を必死に掴もうとした摩耶の努力も虚しく、崩れ落ちるようにして倒れた彼とともに、その手は摩耶の右手を離れていった。

 

「たった一発で、あたしは全て失った。艤装との精神同調率は五十パーセントに低下。そのせいで正確な操舵は望めなくなった。砲撃にも支障が出る。被弾時に通信関係の機器も破壊された。そして・・・提督まで、いなくなった」

 

拳を握る。今でも、あの時を思い出すと、震えが止まらない。嫌な汗が噴き出る。

 

「その後は、ただただ主砲を撃つしかなかった」

 

操艦と戦闘を同時にこなすという器用なことは、精神同調率が低下するとできなくなる。華麗な操艦で、常に敵艦隊に対して優位な砲撃戦を展開することは、最早望めなかった。

 

二隻の敵重巡との、壮烈な撃ち合い。それは、水雷戦隊が放った魚雷が、敵艦隊に到達するまで続いた。

 

戦いには、勝った。だが、やり遂げた感慨はない。艦橋脇に空いた穴と同じ、ぽっかりと空いた空間。

 

撃ち砕かれた第三砲塔が黒煙を噴き上げる。弾火薬庫の誘爆を引き起こしてくれたのなら、どれほど楽だったことか。

 

艦体を燻す炎の向こう側に、見知った軽巡の姿が見えた時、摩耶はその意識を手放した。

 

「あたしは・・・守れなかったんだよ」

 

「それは違うだろう。お前は、確かに守った。その身を賭して、仲間を守った」

 

「でも、提督を守れなかった!それは・・・それは旗艦として、間違っているだろう」

 

旗艦とは、提督を乗せる艦。指揮を執る提督を、旗艦は守らなくてはならない。それなのに、あたしはその役目を果たせなかった。

 

「怖く、なった。あたしに誰かを乗せて、その誰かがまたいなくなるのが。また・・・あたしは、誰かを守れないんじゃないか」

 

紅茶の暖かさは、すでに夜気に吸われていた。琥珀色の液面には、歪んだ自分の顔が映っている。

 

「・・・誰も―――どんな提督も、艦娘に守ってもらうつもりで、戦場には立っていない」

 

沈黙ののちに発せられた清水の言葉は、いつも通りに冷静なものだった。それでも今日は、普段と違う温もりのようなものが感じられた。

 

彼なりに、摩耶を慰めてくれているのだろうか。

 

「・・・俺も、少し話していいか?」

 

「ああ」

 

「ありがとう」

 

―――こいつに礼を言われるのは、初めてかもしれないな。

 

清水は間を取るように、紅茶を一口すする。冷えた液体に顔をしかめると、カップを置いて、口を開いた。

 

「・・・BOBは、深海棲艦に対抗可能な唯一の兵器で、その一部である艦娘もまた兵器だ。いざという時、非情な決断を下せるように、深く関わることは避けるべきだと判断した」

 

着任当時の清水を思い出す。どこか一線を引いた雰囲気は、気のせいではなかったらしかった。

 

あの頃から比べれば、清水は随分と丸くなった・・・気がする。少なくとも、以前よりずっと、摩耶たち艦娘と関わるようになった。

 

「それはどうやら、間違いだったらしい。BOBと艦娘は、独立した別々のものとして、考えるべきだ。摩耶は、艦として、あるいは一人の人として、同じように悩んでいる。答えを探して、戦おうとしている」

 

その言葉が。真っ直ぐな瞳が。摩耶を捉えて、離さない。

 

―――たく、こんな奴の、どこが。

 

思わず、苦笑が漏れそうになってしまう。

 

「俺だって逃げていた。お前たちを、人であると認めることが、怖かった。その時、俺は何かを守るための、判断ができなくなると」

 

清水も、同じだったのだ。

 

「摩耶。君と戦えて、よかったと思っている。今の俺に、君たちと戦うことへの迷いはない。共に戦い、生き残るために、俺は君に乗る」

 

腕組みをした清水の仏頂面は、口元だけが笑っていた。

 

「俺は頑固者らしくてな。悪いがまだ、摩耶たちを人と同じだと、認めることはできない。答えはまだ出ていない。だからこそ、その答えを摩耶に示すまで、俺は死ねない。死なない。それだけは、確かに約束できる」

 

「・・・らしくて、じゃなくて、絶対頑固者だろ」

 

「違いない」

 

肩をすくめた清水は、おもむろに立ち上がると、二人分のティーカップを取り、席を離れようとする。冷めた紅茶を淹れなおしてくれるようだ。

 

「清水」

 

その手を、一旦呼び止める。怪訝な彼の表情は、癖なのだともう知っていた。

 

「もしも・・・お前が、あたしを人だと、認められるようになったら、さ」

 

女の子だと、認めてくれるようになったら。とは、さすがに恥ずかしくて言えなかった。

 

「お前を・・・あたしに、惚れさせてみせる。今まで色々あった分、あたしを好きにしてやる」

 

それは、宣戦布告に近い、宣言。この胸が弾けてしまいそうなほど、高鳴る想いを真っ直ぐに。

 

清水の両目が、真ん丸に見開かれる。こんな彼の表情を見るのは初めてだった。意表はつけたらしい。

 

清水は笑う。挑戦的なその口元が、印象的だった。

 

「言ってろ。・・・その時を、楽しみにしている」




はい、一発目は摩耶様回でした

ここから頑張ってまいります。目指せ、今年度中の完結!

今年もどうぞよろしくお願いします

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