パラオの曙   作:瑞穂国

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遅くなりました

とりあえず、これで今年は一区切りとなる予定です


木曾「閑話だ」

「お前って奴はっ!」

 

「静かに」というのが暗黙のルールである病棟において、あってはならない大音声が響いていた。これでも抑えている、と言われても、全く納得いかないところである。一応は、彼なりに病人の傷を労わっているらしいが。

 

サイパン島の医療施設は、被害を免れていた。その一室から、医務官を震撼させるような声を発したのは、塚原その人であった。その目の前、白衣を纏ってベッドに体を起こしている角田は、大げさに耳を塞ぐ仕種をして見せていた。

 

「ちょっとちょっと、塚原。病人にかける第一声として、それはどうなのかな?」

 

「知らん。お前のような病人がいてたまるか。そもそも、怪我は病気に入らん」

 

「うわ、暴論」

 

そう言いながら、角田が笑う。まったくコイツは、こっちの心配も知らないで。

 

「お前が怪我をするのはいい。百歩譲ってもういい。だが、どこの世界に、怪我したまま旗艦で敵艦隊に突っ込んでいく馬鹿がいる、この馬鹿!」

 

「えー、だって僕が最先任だったし」

 

「余計突っ込んでいくな!もう少し自分の頭脳を大事にしろ、阿呆!」

 

「もう、ちょっとは労わってくれよ、塚原」

 

すねた風に、角田は唇を尖らせる。こんな時まで、普段の軽い調子を崩さない角田に、塚原の方が力が抜けて、ベッド横の椅子に座り込んでしまった。

 

「・・・お前は、もう少し自分の体を大切にしてくれ」

 

「心配しすぎだよ。ちょっと腕を骨折したのと、頭打っただけだし」

 

ブツン。自分の中で、何かが吹き飛ぶのを塚原は自覚していた。

 

顔を思いっきり角田に寄せる。いつもひょいひょいとかわしてしまう彼女が逃げられないように、両の頬を押さえつけて目線を固定した。

 

「・・・頼むから。俺の目の届かないところで、無茶をするんじゃない。お前を止められる奴がいないところで、突っ込んで行かないでくれ」

 

角田の澄んだ瞳が、わずかな抵抗とでもいうように、視線を角田からずらす。

 

「・・・塚原が来てくれるから、安心して突っ込めるんだよ?」

 

「安心して突っ込むな、この暴走機関車。俺に早死にされたくなかったら、少し自重しろ」

 

その先の言葉を言うべきか否か、一瞬だけためらう自分が、今回だけは嫌いになりそうだった。

 

「・・・俺の心臓に悪い」

 

角田の方も、視線を伏せたまま、沈黙している。やがてその瞳が、再び真っ直ぐに塚原を捉えた。いつものような茶化した色は、少なくとも塚原には感じられなかった。

 

「それは、僕にいなくなられたら、困る、ってことかな?」

 

「・・・横須賀の水上部隊を指揮するお前に万が一のことがあったら、誰でも困る。だが、それとは別にして、俺はもっと困る」

 

「・・・そっか」

 

頬を解放してやると、角田が柔らかく笑った。

 

「塚原がそう言うなら。僕も、君と会えなくなるのは、嫌だしね」

 

「・・・そうか」

 

気恥ずかしくなった塚原は、誤魔化すように呟いて、ベッドの脇に目を移す。

 

「・・・リンゴでも食べるか」

 

「ああ、うん。食べたいね」

 

「待ってろ、今剥く」

 

そう言った塚原を、角田が意外そうな目で見た。

 

「へえ、塚原って、リンゴとか剥けるんだ」

 

「・・・なんだその意外そうな面は。俺だって果物くらい剥ける」

 

「塚原がリンゴを剥いてる姿なんて、似合わないなあ、と」

 

「・・・剥いてやらんぞ」

 

「ごめんごめん。よろしくお願いします」

 

笑い半分で謝ってくる角田に苦笑を漏らすことしかできず、塚原はリンゴを手に取った。果物ナイフで皮を剥き始めると、白衣の戦乙女が感心したような声を漏らした。

 

 

角田の見舞いに訪れた榊原は、彼女が入れられている部屋の前に、横須賀高速水上部隊の旗艦が立っているのに気がついた。

 

比叡も榊原に気づいたらしい。人差し指を唇に当てて、「静かに」と手振りで示す。その指示に従って、榊原は抜き足差し足忍び足、比叡の方へと近づいて行った。

 

「司令のお見舞いに来てくださったんですね」

 

「はい。何だかんだと一日空いてしまいましたけど」

 

マリアナ沖での戦闘が収束してから、すでに一日。駆け付けた救援艦隊は、午後から夕方にかけてサイパン港に入港、各種整備と補給を受けていた。

 

各種艦艇の整理やマリアナへの空襲による被害状況の確認、連合艦隊司令部への報告などの業務を、榊原は塚原の下でこなしていた。その結果、昨日は面会が許可される十七時を回ってしまったため、今日面会に来たのだ。

 

先に塚原が向かっていたことは知っていたから、時間をずらしてきたのだが、どうやらまだ面会中だったようだ。

 

比叡は、角田が入っている部屋を覗いている。並んだ榊原も、それに倣って室内に目を向けた。

 

中では、角田が塚原に、リンゴを餌付けされていた。

 

白衣のまま、満面に笑みを浮かべる角田。一方の塚原は、やれやれと言った様子で、その口に切ったリンゴを差し出す。彼が角田のために切ったリンゴらしかった。

 

「・・・なるほど、そういうことでしたか」

 

小声で言った榊原の言葉を、比叡は無言で肯定して、室内を覗くのをやめた。

 

「そういうことです」

 

彼女はそう言って、満足げな長い息を吐いた。

 

「まったく、面倒のかかる二人なんですから。司令はあの通りだし、塚原大佐は公私混同大嫌いだし。見てるこっちがイライラしてきますよ」

 

「そんなに、だったんですか」

 

「そりゃあ、もう」

 

なぜか誇らしげに胸を張った比叡に、榊原は苦笑を漏らす。

 

「自分はお邪魔ですね」

 

「あの二人は気にしないと思いますけど、そろそろ年貢の納め時ということで。ご協力お願いします」

 

「わかりました」

 

比叡の協力要請を受諾して、榊原は角田へのお見舞いを今しばらく遅らせることとした。

 

「パラオ艦隊は、明日戻られるんですよね」

 

「はい。このまま空けておくわけにはいきませんし、色々と精査したいこともあります」

 

「そうですか。次にお会いするのは、トラック攻略戦の時になりそうですね」

 

トラック攻略戦は近い。早ければ一か月後、遅くとも二か月後には、正式に発動されることとなるだろう。その時はまた、パラオ泊地を起点として、多くの艦娘と提督たちが作戦を遂行することになる。

 

そこに、榊原と比叡も加わることだろう。

 

「比叡さん、怪我の方は?」

 

「私自身はかすり傷だけでしたので、全然問題ないです。艦体も、後四日ぐらいで応急修理が終わりますから、そうしたら横須賀に戻ります」

 

第一夜にル級改と激戦を演じた殊勲艦は、現在その艦体をサイパンに残った入渠ドックに横たえている。戦闘能力は大きく喪失していたが、航行能力については被害が少なく、軽い応急修理で横須賀への帰投が可能と判断されていた。横須賀所属の艦隊は、比叡の出渠を待って、サイパンを去ることになる。

 

一方、サイパンの警備艦隊については、増強が決定されていた。具体的な配備艦等は決まっていないが、サイパンの第十一戦闘航空団増強と共に、トラック攻略戦前には行われる予定だ。

 

「それじゃあ、私はこれで。修復の様子を見てきます」

 

「自分も一度、戻ります。午後にでも、もう一度来ます」

 

「その時は、榊原中佐からも言ってやってください。いい加減塚原大佐とくっつけ、って」

 

容赦のない比叡の言い方に、榊原は再び苦笑いを浮かべた。

 

 

補給作業が終了したBOBたちが、サイパン港の沖に碇泊している。景色はすでに夕焼けのオレンジに染まっており、光の中に浮かび上がる黒鉄の城たちをより一層引き立てていた。

 

埠頭に立つ清水は、そんなBOBたちのうち、“摩耶”を見つめていた。盛り上がるような艦橋は夕陽によって陰影がよりはっきりとしており、独特の存在感を示す。

 

「美しい・・・」

 

ポツリと呟く。その時、背後に人の気配を感じて、清水は後ろを振り返った。

 

肩にギリギリ届かない位置で切りそろえられた髪。影を映す威勢のいい瞳。腕を組んで立つ姿は、スラリとして非常に様になっている。

 

「なーに黄昏てんだよ」

 

軽い調子で言った摩耶は、ゆっくりと清水に歩み寄り、その横に並んだ。それに何かを言うわけでもなく、清水は再び沖へと目を向ける。先ほど見ていた“摩耶”の周囲には、同じくパラオ泊地に所属するBOBたちが錨を打ち、最大戦速で駆け付けた艦体の疲れを癒していた。

 

「・・・あのさ、清水」

 

隣の摩耶が切り出す。かすかに吹いた風が二人の間を抜け、潮の薫りを運んだ。お互いに沖を見たまま、摩耶は話を続ける。

 

「ありがとな。色々と」

 

「・・・礼を言われるほど、俺は何かをしてないぞ」

 

「ちっ、素直じゃない奴」

 

「お互い様だろ」

 

そう返して、気づく。自分が、この少女に対して、素直でなかったことに。

 

―――似た者同士、か。

 

思わず苦笑が漏れそうになる。そんな清水の心の内を知ってか知らずか、摩耶が再び口を開いた。

 

「お前にその気がなくても、いい。あたしが、勝手に礼を言いたいだけだしさ」

 

「そうか」

 

摩耶という少女が戦っているところを、初めて見た。彼女が自らの壁と戦っていることを知っていた。

 

果たして、彼女が壁を乗り越えられたのか。それは、清水にはわからないことだ。

 

「清水の旗艦でよかった。お前がいてくれてよかった」

 

「褒めても何も出ないぞ」

 

「ああ、もう!いちいち茶化すな」

 

摩耶が頬を膨らませてそっぽを向く。少し調子に乗りすぎただろうか。

 

「俺は、礼を言われるようなことはしてない」

 

摩耶にだけ届くようにと、呟く。

 

「摩耶がよかったと思えるなら、それだけで十分だ」

 

「あっそ。・・・そうかよ」

 

明後日の方を向いたままの言葉は、それでもちゃんと、清水に届いていた。

 

「じゃあ、あたしは風呂入ってくるから」

 

用件は済んだのか、摩耶は踵を返して、マリアナ警備隊の庁舎へと戻っていく。が、一度足を止めて、もう一度清水を振り返った。

 

「そういえば、新入りが張り切ってたぞ。あたしたちに料理を振舞うんだと」

 

お前も来いよ。それだけ言い残して、摩耶は埠頭を離れていった。

 

太陽は、いよいよ地球の裏側に隠れようとしている。オレンジだった海面は、次第に島の影を映し始め、夜の色に染まろうとしている。ただ、水平線まですべて夜空を映すには、今しばらくの時間がかかりそうだった。

 

“摩耶”を見つめる。思えば、あの艦と―――彼女と出会ったことが、全ての始まりだった。

 

―――俺にとって、艦娘とは何か。

 

その問いかけに、自分でもいい加減、決着をつける時だろうか。

 

「・・・らしくないな。まったくもって、俺らしくない」

 

自嘲気味にかぶりを振った清水は、摩耶に倣って回れ右をすると、士官用の庁舎へと戻っていく。そろそろ夕食時だ。磯風が振舞ってくれるという晩御飯の前に、風呂に入ってしまいたい。

 

一瞬吹いた風が、清水の背中を押す。マリアナに、静かな夜が訪れようとしていた。

 

 

 

その晩のご飯は、艦娘や提督たち曰く、「天にも昇るほど」であったという。




天にも昇る(昇天)

一年経つのに終わらんかった・・・

ここからは、物語の決着に向けて駆け抜けていきます

今年の残りは、別の連載とクリスマスシリーズ(勝手に命名)を書いていくつもりです

今年も祥鳳さんの短編を書きます。祥鳳提督さん、ぜひお読みください(露骨な宣伝)

それでは、少し早いですが、よいお年を。来年もどうぞよろしくお願いいたします

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