山風が攻略中に出てホクホク
降伏条件の交渉のため、榊原と曙はル級改との接触を目指していた。
接近していくにつれて、ル級改の艦容がはっきりとしてきた。戦闘能力は全喪失しているが、その艦体はまだ確かに海に浮いている。
わずかに残った両用砲は、抵抗の意志がないことを示すように俯角がかけられている。行き足も止めており、“曙”が接舷するのを待っている様子だった。
「・・・静かなものね」
ポツリと曙が呟いた。ル級改の艦体では、まだ黒煙が燻っている。だが、そのたたずまいは、不気味なほど静かなのだ。
「ル級改の左舷前部甲板に接舷するわ」
「ああ。頼む」
いよいよ距離一千メートルを切り、すでにスクリューの回転を止めている“曙”は、惰性だけでル級改に接近していく。舵はまだ利くが、少し角度を変えるにも一杯まで切らないと艦は反応してくれない。それでも、曙は絶妙な操艦術で、ル級改の舷側へと接近していく。
チラリ。“曙”の艦橋から、榊原は救援艦隊の方を窺う。ル級改から一万五千メートルの距離に位置取る二戦艦―――“大和”と“金剛”は、その砲門を、しかとル級改に向けていた。不自然な兆候があれば、いつでもトドメを差せるようにとの備えだ。
「接舷するわよ。衝撃に備えて」
曙の声に、榊原は意識を目の前に戻す。“曙”の右舷に迫ったル級改の舷側とは、もう数メートルの差だ。
やがて、両艦の舷側がぶつかった。間に挟まれた緩衝材が衝撃を和らげるが、足元はわずかに揺らぐ。両足に体重をかけて踏ん張った榊原は、その巨大な艦体を見上げた。
“曙”のマストで準備をしていた妖精たちが、そこからル級改の甲板へと飛び移った。“曙”の甲板から数メートルの高さがあるため、そこから飛び移るしかなかった。
飛び移った数人の妖精たちに、“曙”前甲板の妖精が細いロープを投げる。その先には太いロープが結ばれており、手繰り寄せたル級改側の妖精がそれを結び付けて、艦同士を固定する。同じ作業は後甲板でも行われていた。
“曙”とル級改がしっかりと結び付けられたのを確認して、両艦の間に縄梯子がかけられた。接舷と乗り移り作業が完了したことを、前甲板の妖精が手振りで伝える。
―――行くか。
深呼吸を一回した榊原は、羅針艦橋から出ようとする。その後を、艤装を脱いだ曙が着いてきた。
「・・・本当に、ついてくるのか」
「当たり前でしょ。何度も言わせんな」
両腕を組んで、曙が言う。「一人でなんて行かせない」、そう言っているかのようだ。
―――本当に、君は。
曙は、時に融通が利かないくらい、真面目だ。それを、自分のことを案じているからだと、そう思っていいのだろうか。それがどうしてもむず痒い。
―――ここまで来たんだ。
「行こう。一緒に」
二人で羅針艦橋を出る。ラッタルを下り、前甲板の縄梯子へ。その一段目に、榊原は足をかけた。
舷側を上っていく。縄梯子、と言っても今回使っているのはジャコブスラダーだ。清水に持ってきてもらったものである。足がかりはしっかりしている分、ただの縄梯子より格段に上りやすい。
上り切った榊原は、甲板で曙が上ってくるのを待つ。華奢な体で上ってきた曙が、舷側の縁から甲板によじ登るのを、体を引いて助けようとする。
「ひゃっ」
素っ頓狂な声を曙が上げた。
「ど、どこ触ってんのよ、このクソ提督!」
「不可抗力だっ!」
体を引き上げるために、腋の下に手を入れただけである。他意はない。
「と、ともかく引き上げるぞ」
「・・・くううっ」
自分で甲板によじ登れないのもわかっているのだろう。顔を真っ赤にした曙は、榊原になされるがままとなっていた。
そんな顔をされると、こっちの方が意識してしまう。
何とか曙を甲板に引き上げる。顔を赤くしたままの彼女は、スカートを叩いて、榊原から目を逸らす。その先、ル級改の丈高い艦橋を見上げた。
二人が甲板に上がっても、依然として辺りは静かだ。黒煙の噴き上げる破孔から、時折パチパチという火花の音が聞こえるくらいである。全くもって、気配が感じられない。
―――本当に、意思疎通が可能なのだろうか。
何をしていいかわからず、二人が辺りを見回した、その時だった。
ギイッ
それまで単調だった甲板上に、新たな音が生まれる。二人は揃って、音の方向を―――艦橋基部の方を向いた。
艦橋基部に、扉がある。被弾箇所が近くにあるからか、煤汚れて、わずかに歪んでいるようにも見えた。その扉が、軋み音を立てながら、ゆっくりと、開いていく。
ゴクリ。二人して生唾を呑んだ。果たして、扉の向こうから、何が現れるのか。
扉が完全に開いた。奥に広がる、深い闇。その中に立つ人影が、辛うじて判別できた。
そう、人影だった。明らかな人の形をした影が、闇の中に立っていたのだ。
―――やはり、ここでも。
舞に見せられた写真を思い出す。“イレギュラー”の艦娘(便宜上そう呼ぶが)は、完全な人の形をしていた。だから、深海棲艦の艦娘も、人の形をしているのではと、思ってはいた。
正体不明とされていた敵の中に、見知った存在がいたのだ。拍子抜けした、と言えばいいのだろうか。妙な驚きがあると同時に、納得もできる。
人影が動く。扉の奥、闇の中から、一歩足を踏み出す。
しなやかな足。ぴっちりと体のラインに沿っている黒のパンツが、どこか怪しげな雰囲気を醸し出していた。
やがて、全身が露わとなる。身長は大和よりも少し低いだろうか。
服装はすべて黒で統一されている。短い袖からは、向こう側が透けて見えるのではと思えるほどの、白い肌がのぞいていた。
流れるような黒髪が、腰にかかるほど長い。真珠のような純白の表情は、世界を睥睨するかのように、端正で凛々しい威厳に満ちていた。爛々と輝く瞳は、右が気高い金色、左が神秘的な深い蒼。
こちらを見ていた瞳が、細められる。右手を庇にして、“彼女”は太陽を振り仰いだ。
「・・・眩しい」
呟いて、“彼女”は笑った。
ひとしきり太陽を眺めていた“彼女”は、顔を下ろし、ゆっくりとこちらへ歩いて来る。一歩一歩、甲板を踏みしめる確かな足取りを、榊原は身じろぎせずに見つめていた。
ピタリ。スラリとした“彼女”が榊原と曙の前に立つ。互いに直立不動のまま、少しの時間が流れた。
「・・・初めまして」
榊原が先に口を開く。思い出したように腕を上げ、敬礼の姿勢を取った。
「日本海軍所属、榊原広人中佐です。こちらは曙」
名乗った榊原の挨拶を見定めるように、“彼女”がまた目を細める。それから興味ありげに、榊原と曙をあちこちから観察し始めた。
―――なんだ、一体。
どうするべきか判断しかね、榊原は曙と顔を見合わせる。曙の方も肩をすくめていた。
一分ほど榊原たちを眺めていた“彼女”が、満足げに頷く。それから再び榊原の方へ向き直り、色の薄い唇を開いた。
「面白い」
何が、面白いのだろうか。
「相当なお人好しか、でなければ馬鹿か。罠だとは思わなかったのか?」
“彼女”が榊原に尋ねる。至極もっともな疑問に、榊原は答えた。
「罠をしかける理由が見つかりません。貴女にとって何のメリットもない。それに、例え罠でも、得るものの方が大きいと判断しました」
「なるほど、なるほど」
さも可笑しそうに、“彼女”は笑っていた。
「申し遅れたな。私がこの艦の主、名はサノという」
「サノ?」
「去るお方・・・お前たちは“大いなる先駆者”、と呼んでいるのか?彼女からもらい受けた名だ。何でも、神話の登場人物にちなんでいるらしい」
榊原がピンときたのは、かの有名なスサノオノミコトだ。
「まあ、“もらい受けた”、と言っても、実際に会ったことはないのだがな」
そう言って、サノは肩をすくめた。本気で残念がっているらしい。
「貴女は、“大いなる先駆者”のことを、ご存じなのですね」
「ご存じも何も、私含めた一部の深海棲艦は、“大いなる先駆者”が直接の手足として造った存在だぞ」
聞いてないのか?そんな風に、サノが首を傾げた。
「いえ、初耳です」
「そうか」
榊原の答えに、サノが思案するような顔を浮かべる。
「Z海域の人類艦隊と接触した、と聞いていたから、てっきりそこで教えてもらったものかと」
まあ、いいか。呟いたサノは、咳払いを一つして、話を始めた。
「お前たちが改flagshipと呼んでいる深海棲艦は、“大いなる先駆者”が自分の手足として産み出した存在だ。私を含めて、その指揮系統は“統制者”を通さず、直接“大いなる先駆者”に繋がっている。とは言っても、直接的な指示が与えられることはほとんどなかったから、実質フリーハンドだがな」
「では、やはり今回のマリアナ襲撃は、貴女が立案したもの」
「ふむ、半分正解といったところか。“統制者”たちが、時間稼ぎをしたがっていてな。そこに私が、マリアナ襲撃の提案を投げ込んでやっただけだ」
望んだのは、“統制者”―――「鬼」や「姫」と呼ばれる深海棲艦。実行したのは、サノ。
―――マリアナ襲撃なんて突拍子もない手を、すぐに思いつくとは思えない。
きっと、用意していたのだ。“統制者”の思惑を利用して、その計画を実行に移した。
「言っただろう、私たちにはある程度のフリーハンドが与えられている。それに、私たちの自己意識は、“統制者”と同じくらいしっかりしている。だから、興味が湧いてしまったんだ。会ってみたくなった。人類と艦娘に。特に―――危険を冒してまでZ海域に侵入した、榊原中佐に」
「・・・まさか、自分に会いたくて、マリアナに?」
「ご名答」
サノがそれまでで一番の笑顔を浮かべていた。
「私の期待通り、お前たちは現れた。そればかりか、こうして目の前で、話をすることができている。これほど心が踊ることもあるまい?」
そう言って踵を返したサノは、手振りだけでついてくるように促す。向かう先は、左舷を指向したまま動きを止めている、第一砲塔のさらに前だ。
「お前たちは、私に聞きたいことが、山ほどあるだろう。私にも、お前たちには、聞いてみたいことがある。知りたいことがある。死ぬのはそれからでも遅くないはずだ」
―――まあ、読まれてるよな。
サノの後ろ姿について歩きながら、榊原は予想していた事態に諦めに近い苦笑を浮かべる。
降伏勧告は本物だ。だが真の目的は、直に深海棲艦と会うこと。原始的なやり方だが、やはり直接会って、話してみることは大切だ。その辺り、サノも察してくれているらしかった。彼女が言った通り、深海棲艦の中でも、特に自己の意識が確かな―――言ってしまえば人間に近い存在だ。
前甲板には、小さなテーブルと椅子が三脚用意されていた。被弾痕のある鈍色の軍艦に、白いテーブルはいささか浮いた存在で、滑稽ですらあった。
「時間が許す限り、お前たちの話を聞かせてくれ」
椅子の背もたれに手をかけて、サノが微笑んだ。
不可抗力なら仕方ないよね(すっとぼけ)
どうせ不可抗力なら大和がいいn(弾着)