大ピンチの比叡ちゃん、果たしてどうなることやら・・・
どうぞ、よろしくお願いします
真下から突き上げるような衝撃に、床から足が浮かび上がり、角田はバランスを崩して膝をつく。床を転がらないだけましだったと言うべきだろうか。
「司令、大丈夫ですか!?」
自らも相当な激痛があるであろうに、比叡は角田を心配している。軽く膝を払って立ち上がり、角田は微笑した。
「大丈夫、何ともないよ。比叡ちゃんこそ、大丈夫?」
痛みはないか、と訊いたつもりだったのだが、真面目な彼女は、たった今の被弾による被害を報告する。
「艦橋基部に被弾。二番高角砲が吹き飛びました」
「主砲射撃の電路は?」
「無事です」
ほっと胸を撫で下ろす。たとえ主砲が健在でも、射撃指揮所からの指示を伝える電線がやられては、正確な主砲射撃は望めない。艦橋基部には、それらの電路が集中しているのだ。
たった今の被弾で、“比叡”が受けた敵弾は八発。艦はまだ戦い続けているが、そろそろどこかに異常をきたしてもおかしくない。
一方、先の“比叡”の斉射もまた、敵一番艦を捉えていた。これで、与えた命中弾は六発。敵一番艦に、堪えた様子は微塵も見受けられなかった。
―――まずいねえ。
心中の呟きはのん気なものだが、実際にはじっとりとした汗が、制服の下を流れていた。どうしようもなく、覆しようのない、歴然とした力の差。それを思い知らされたかのようだ。
それでも、“比叡”が射撃を止めることはない。敵一番艦から通算八度目の斉射が降り注ぐ中、“比叡”の主砲も再び撃つ。眼下の前甲板にめくるめく閃光が走り、巨弾が大気を押し退けて飛翔していく。
「第二缶室、浸水!」
艦底部からの被害が寄せられた。命中せずに至近で炸裂した敵一番艦の徹甲弾は、その爆圧をもって“比叡”の艦底部を痛めつけ、機関区の一部に浸水被害を発生させたのだ。
被害は艦底部に留まらない。否、直接の被害は、当然のごとく甲板上や艦上構造物の方が大きかった。艦の中央付近で起きている火災はいまだ収まっておらず、連続した被弾による破孔からはどす黒い煙が噴出している。艦後部を覆うほどの量だ。すでに後部射撃指揮所から、光学測距による射撃指揮が困難であると、報告が上げられていた。
ここにきて、各部からの被害報告が相次ぐ。そこへ、本日九度目の轟音が飛び込んできた。衝撃を支えきれなかった角田は、自らの体を支えきれずに、艦橋の壁面に額を打つ。目の前で星が飛ぶという感覚を、理解した気がした。
立ち上がろうとして、腕を痛めていることにも気づく。変な着き方をしただろうか。左腕に力が入らない。
それでも角田は立つ。朦朧とする意識を、持ち前の無茶っぷりで現実に縛り付け、比叡の横に立ち続ける。それが、指揮官としてのあるべき姿であると、角田は思っている。最後まで艦橋に立ち、艦娘たちを導き戦うのが、自らの使命であると。
額から伝う生暖かい液体の感触。それでも角田は、暗闇に向かって不敵に笑う。
こいつらを足止めできれば、こちらの勝ちだ。
十度目の斉射による被害は、何を聞かずとも判明していた。合計で十三発目となる被弾は、たった今転針後四度目の斉射を放っていた第一砲塔に吸い込まれ、頑丈なその装甲をまるでブリキか何かのように内側から吹き飛ばした。砲塔は真ん中から真っ二つに裂け、右砲があらぬ方向を向く。左砲はどこかへ飛ばされていた。
これで“比叡”は、全火力の四分の一を喪失したことになる。
その時、敵一番艦の周囲に、四本の水柱が立ち上った。“比叡”のものではない。誰のものかは、すぐにわかった。
第一救援艦隊―――一救艦二番艦に位置する“金剛”だ。敵二番艦は、彼女の砲撃により四一サンチ砲弾多数を被弾し、大きく炎上して落伍している。更なる攻撃の要なしと判断した金剛は、その目標を敵一番艦へと転じたのだ。
『お待たせしたデース!』
スピーカーから、溌剌とした金剛の声が聞こえてきた。いついかなる状況でも陽気なその声が、今は一番の励みとなる。
金剛の話は続いた。
『比叡と角田テイトクは退避してクダサイ。後は私が引き受けマース!』
旗艦であり、損傷のある“比叡”を下げ、後を“金剛”たちに任せろということらしかった。
答えようとした角田は、チラリと比叡を見遣る。額に玉のような汗を浮かべ、半ば艤装に支えられるようにして立つ彼女はしかし、角田の目線に沈黙をもって答えた。敵弾落下の衝撃に踏ん張り、負けじと残った六門の四一サンチ砲を放つ比叡の瞳は、波風一つない湖面のごとく、静かな決意を秘めていた。
比叡が、柔らかな唇を、ゆっくりと開く。
「いいえ、下がりません、お姉様。ここで退いたら、“金剛”型高速戦艦の名が廃ります」
『変な意地を張ってる場合ではアリマセン!比叡はフラッグシップ、最後まで指揮を執り続けることが義務デス!』
「一対一では、あの戦艦に勝てません。でも、私とお姉様なら、勝てるかもしれないんです。だから、残ります。私は最後まで、戦い続けます」
『っ!!』
スピーカーの向こうで、金剛が黙る。遠雷のような音は、主砲を撃った音だろうか。
『ワーッ、モウ!お姉ちゃんの言うことを聞かない比叡ちゃんなんて知りマセン!後で思いっきり抱き締めてやるから、覚悟しとくデース!』
金剛との通信は、そう言って一方的に切られた。
“比叡”は砲撃を続けている。敵一番艦もまた、その目標を変えることなく、比叡を撃ち続けている。“比叡”には着々と被害が蓄積し、戦闘続行が困難となるのは時間の問題だった。
「比叡ちゃん、探照灯用意」
「はい」
角田は探照灯の使用を指示する。彼我の距離はすでに一万を割っており、強烈な探照灯の光であれば十分にその姿を照らすことができる。
「・・・司令」
探照灯照射の準備が進む中、比叡が低い声で角田を呼んだ。
「マリアナを守って、司令と一緒に、必ず帰りますよ」
次の瞬間、眩い光線が、“比叡”から伸びた。真っ直ぐに海面を切り裂いた光は、その先に敵一番艦を捉える。暗闇の中に、その艦影がはっきりと浮かび上がった。
それを目印として、“比叡”、そして“金剛”が主砲を放つ。“金剛”は未だ散布界に敵一番艦を捉えておらず、各砲塔右砲を用いた交互撃ち方だ。
両艦の砲撃にも、敵一番艦は怯むことなく、さらなる射弾を送り込んでくる。探照灯の光の中に褐色の炎が沸き起こり、それまでと変わることのない九発の一六インチ砲弾が飛んできた。
“比叡”と“金剛”の射弾が先に到達し、落下する。白い水柱が五本立ち上り、火柱が一つ生じる。それから数拍をおいて、今度は紅に染まった水柱が四本沸き上がった。
一式徹甲弾の風帽部分には、どの艦から放たれた砲弾であるかわかるように、染料が仕込まれている。“比叡”には染料が入っていないが、“金剛”搭載の砲弾には赤色の染料が込められており、弾着と同時に風帽が外れた際、この染料が海水に溶けて、水柱に色が着く。弾着観測をやりやすくするための工夫だ。
ちなみに、この染料の色が、戦艦娘の下着の色と同じという噂が、まことしやかに囁かれていたりするのだが、さしもの角田もその真相を知り得る術は持たなかった。
「さっすがお姉様!」
探照灯の中に立ち上る“金剛”第三射の成果を確認して、比叡が感嘆の声を上げる。さすがは“金剛”型戦艦一番艦、BOBの中でも古参艦だけあって、練度は確かだ。
もっとも、そこには少なからず、“比叡”が使用した探照灯による効果があるのだろうが。
“比叡”が再び激しい揺れに襲われた。今度の被弾個所も、艦橋に近い。低い呻きが、比叡の口から漏れていた。
まさに満身創痍だ。“比叡”艦上には至る所に大穴が穿たれ、艦全体を覆うほどに黒煙が噴出している。火災はもはや収まる気配がない。戦っていることが不思議なほどだ。
―――塚原に怒られるかなあ。
新たな斉射に伴う“比叡”の揺れに身を任せながら、角田は心の中で漏らす。慎重派―――と言うよりも、時々神経質なほど心配性な彼は、きっと私の無茶を怒るのだろう。艦娘に無茶を強いるなと、叱るのだろう。
だが、ただ怒られるわけではない。塚原の機動部隊が辿り着くまで、何としてでも時間を稼ぐ。マリアナを守る。そうしなければ、塚原に叱られる機会は、永遠に巡ってこないかもしれない。
「第六缶室に浸水!」
いよいよ、本格的にピンチかもしれない。浸水の報告が相次ぎ、機関部妖精は応急修理に忙しない。
排水のためのポンプは、まだ正常に作動している。艦の傾斜もなく、砲撃自体は続行可能だ。しかしながら、これだけの被害を受けていながら、まだ機関部が生きていることの方が奇跡なのだ。
―――いつまでもつかな。
“比叡”と“金剛”の斉射を聞き届けながら、角田は内心の焦りを募らせていく。
その時、予想だにしないことが起こった。
「っ!?敵戦艦面舵、反転離脱していきます!」
「・・・えっ?」
信じられないといった様子の比叡の報告に、角田も間の抜けた返事をする他なかった。圧倒的優位だったはずの敵艦隊は、突如砲戦を止めて、その艦首を転じ、戦場から離脱していく。
『“高雄”より“比叡”。敵巡洋艦部隊、離脱を開始。追撃の是非を問う』
同じタイミングで、“高雄”たちが相手取っていた巡洋艦部隊も、反転していく。
何かの罠か?
そもそも、奴らがここまでやってきた目的は何だったんだ?
―――まさか・・・僕たちと戦うことが、目的だったのかな?
角田はかぶりを振る。ともかく今は、追撃の是非を判断しなければ。
「追撃の要なし。逐次集まれ」
深追いは禁物だ。角田たちの目的はあくまでマリアナの防衛であり、いらぬ戦闘は避けるべきである。去る者は追わないのが、防衛戦の基本だ。
一、二救艦参加の各艦が再び集まり、陣形を組んでマリアナ諸島の方へと帰っていく。
“比叡”艦内では、被害個所の応急修理がなおも進んでいる。控えめに言って、その損害は中破といったところだ。この他、敵巡洋艦と激しく撃ち合った“高雄”、“愛宕”が小破、“叢雲”中破の判定となっている。各艦とも戦闘航行に支障をきたすほどではなく、翌日の戦闘にも参加可能だ。
陽が昇るまでまだ時間がある。空襲を生き残っていた二つの浮きドックを使い、最低限の修理を施したいところだ。
戦いはまだ、一日目が終わったところであった。
敵艦隊謎の反転。レイテ沖海戦みたいですね
予定では、後もう一回、砲撃戦が生起します。そうこなくては
それでは、次回もお楽しみに