パラオの曙   作:瑞穂国

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パラオ防空戦第二段

だがしかし、戦闘は始まらない・・・


鷲ハ進発セリ

「達する!」

 

エプロンに鳴り響く轟音をものともせず、菅野は声を張り上げて、目の前に立つ部下たちに告げた。

 

第一二航空戦闘団第三四三航空隊第一小隊、通称“イーグル”隊。菅野が“新選組”と自称するF-15装備部隊は、すでに対空装備を満載し、出撃の準備を終えていた。第一二航空戦闘団含むパラオ防空隊全体を指揮する防空指揮所からは、すでに所属全機について出撃命令が出ている。後は彼女らが乗り込み、管制塔からのゴーサインで飛び立つだけである。

 

そんな出撃前の緊張感。パイロットスーツを着用し、小脇に各々のヘルメットを抱えて、“イーグル”隊の三人が姿勢を正していた。

 

―――いい表情だ。

 

全員が航空自衛隊時代からの戦闘機パイロットだ。飛ぶことに対する緊張の色は見えない。引き締まった口元が、どこか清々しかった。

 

「パラオでバカンスしようと思ってたら、さっそくこれだよ、バカヤロウ」

 

口角を吊り上げて言う菅野に、三人が苦笑を漏らした。パラオは日本でも人気の旅行先だった。源田に半ば強引に引き抜かれ、配属先を聞いた菅野が、その白い砂浜を少なからず楽しみにしていたのも事実だ。

 

「ともかく、だ」

 

そこで間を取り、菅野は三人を交互に見遣る。

 

「テメエらも、アタシたちがするべきことは、わかってんだろ?」

 

なあ、赤松?そう目線で訊いた菅野に、赤松は満面の笑みで答えた。

 

「隊長のバカンスのために、パラオの白い砂浜を守る、ですね?」

 

「わかってんじゃねえか」

 

「砂浜だけではもったいないですね」

 

岩本が相変わらずの穏やかな声で言う。

 

「パラオは他にも、見たいところがたくさんありますからねえ」

 

「そうかそうか」

 

部下の言葉に、菅野は満足げに笑った。

 

「てぇわけだ。テメエら、アタシのバカンスのために、しっかり戦えよ」

 

「酷い激励の仕方っすね」

 

杉田が押し殺した笑い声を上げた。

 

「じゃあ、この出撃が終わったら、隊長の奢りで、全員揃ってバカンスですね」

 

しれっと奢りにしている岩本を、半笑いで睨みつける。その程度でこのエースたちが怯むはずもなく、赤松と杉田も両手を合わせて、「ごちそうさまです」と言っていた。

 

―――大した奴らだよ、まったく。

 

航空自衛隊初の実戦となった「東京防空戦」の時とは大違いだ。死線を潜り抜けることが、これほどに余裕を生むのだろうか。不敵な笑顔とは裏腹に、菅野はある種の皮肉を感じられずにはいられなかった。

 

全員で拳を突き合わせ、組み立ての終わっているそれぞれの乗機へと向かう。時間はあまりなかったが、機体の状態を確かめるための試験飛行はできていた。問題なく、やれる。

 

敵編隊接近に際し、出撃機体は、F-15四機、F-4六機、T-4改造機が四機。全機が対空ミサイルを搭載している。パラオ防空隊の保有する対空ミサイルの、六割近くを使用した作戦だ。

 

計器を確認し、自らの機体が万全の状態であることを確かめた菅野は、管制塔からの指示を待つ。やがて、管制官から通信が入った。

 

『管制塔より“イーグル”。防空指揮所より出撃命令が下りました。滑走路へ進んでください』

 

「“イーグル”了解。これより滑走路に侵入する」

 

口頭マイクに返し、“イーグル”隊全機に手振りで指示を与える。機体に乗っていては、エンジンの轟音で声など届かないからだ。

 

四機のF-15が動きだす。ダイヤモンドの形に編隊を組んだまま、エプロンを出て、滑走路に入った。ロマン・トメトゥチェル空港の滑走路は決して長いとは言えないが、“イーグル”の離陸には十分だ。

 

コックピットを閉じ、フルフェイスヘルメットを被る。ヘッドアップディスプレイには、今の機の状態が滑走路を背景にして映っていた。

 

『管制塔より“イーグル”。離陸を許可します』

 

「“イーグル”了解。幸運を祈ってくれ」

 

『管制塔より“イーグル”。グッドラック』

 

管制塔との通信を終える。滑走路脇の航空管制員が、旗を振り、滑走開始を指示した。

 

F-15に備えられた二基のエンジンが、それまでに倍する轟音を上げて、強烈な加速度を与える。シートに押し付けられる、というよりは見えない壁とシートに挟まれるような感覚だ。無理矢理に肺をこじ開け、空気を入れる。Gに負けて酸欠状態になるなど、シャレになっていない。

 

操縦稈をゆっくりと引く。F-15の機首が上がり、揚力を得た機体はそのまま上昇を始めた。四機同時だ。ダイヤモンドの隊形を保ったまま、編隊は上昇していく。

 

ぐんぐんと高度を稼いでいく機体。ランディングギアを引き込み、離陸は完了した。

 

『防空指揮所より“イーグル”。高度八千にて待機』

 

「了解。高度八千で待機する」

 

接近する敵編隊の高度は六千から七千と報告されている。それより高度を稼ぐのは、ミサイルを撃ち切った後の機関砲による上方からの攻撃も想定しているからであろうか。

 

「東京防空戦」において想定外となったのは、ミサイルを撃ち切った後の対応だった。絶え間なく襲来する敵機を止めるべく、各機は機関砲を用いての近距離戦闘に突入した。

 

ミサイルに対する妨害装置は持っている最新鋭機だが、深海棲艦の艦上機が放ってくる機銃の雨霰の中を突破する方法など知らなかった。上方からの襲撃訓練も行っていなかった。

 

東京が空襲されるという最悪の事態は防げたものの、運悪く機銃に掴まって撃墜されたF-15が二機、この他損傷機が五機。まるでシャワーのように降り注ぐ機銃弾など経験したことのなかった自衛隊パイロットにとって、それは究極の度胸試しであった。

 

だが、今回は違う。菅野たちは、そうした対深海棲艦を想定した上方からの襲撃訓練も受けている。ミサイルを撃ち切ったとしても、十二分に戦えるはずだ。

 

―――来るなら来い。

 

すでにレーダーが捉えている敵編隊との距離は百五十キロ。攻撃開始の指示が防空指揮所より下されるのを、菅野は舌なめずりをして待っていた。

 

 

榊原から防空戦闘に関する指揮権を委任された清水は、パラオ泊地艦隊を敵編隊の予想進路上、バベルダオブ島から一万メートルの距離に配置した。その最後尾、“大和”と並ぶように航行する防空指揮艦の“祥鳳”甲板には、燃弾補給を終えた零戦が次々に並べられていた。準備の整った機体から「金星」発動機の暖機が始まっており、後はカタパルトに繋いで射出するだけだ。

 

もっとも、飛行甲板の下にある艦橋からでは、その様子を見ることができないのだが。ここから見えているのは、甲板の前縁とその下部に設けられているカタパルトの構成部品くらいである。

 

―――まだるっこしいな。

 

そんなことを思った清水は、艦橋を出て、舷側の見張り所から発艦指揮所に移った。そこには、片袖をはだけていつでも発艦指示を出せるように待機している、祥鳳がいた。飛行甲板柄の和弓を握り締め、風上を見つめていた。

 

彼女から目を移し、甲板を確認する。轟音で満たされるそこは、機体の整備を担当する妖精や搭乗員妖精で溢れていた。暖機に入った機体で最後まで状態を確認している整備員妖精と搭乗員妖精が交代する。そんな光景がいたる所で起きていた。

 

今回出撃準備をしているのは、二十四機の零戦。“祥鳳”が搭載する全機だ。後は対潜哨戒用の九七艦攻と二式艦偵だけである。

 

パラオ防空隊との協議の結果、“祥鳳”戦闘機隊が担当するのは、二波に分かれる敵編隊のうち第二波だ。敵味方識別装置―――IFFを搭載しない“祥鳳”戦闘機隊の誤認を防ぐ処置である。

 

第一波はパラオ防空隊の戦闘機が迎撃し、第二波は“祥鳳”戦闘機隊とパラオ泊地艦隊の対空砲火、ロマン・トメトゥチェル空港に設置された対空ミサイルで叩く。それが防空戦闘の基本概要だ。

 

清水の頭上を、聞きなれたジェットエンジンの音が通過していった。数は多い。各機のエンジン音が重なり、ドップラー効果による高低音の差をつけながら、敵編隊の方向へと向かっていく。共通データベースに上がっていた情報によれば、防空指揮所は高度八千での待機を命じたそうだ。

 

―――零戦では、そこまで上がるだけで一苦労だ。

 

元々高高度性能を追求した機体ではない。「金星」発動機を搭載した六四型でも、基本は変わらないわけだ。

 

だが、戦いようはある。何も上から一航過を仕掛けるだけが、対爆撃機戦闘ではない。その辺りの指示は、すでに全ての妖精に与えてあった。ぶっつけ本番になるが、彼らはやってみせると、自信ありげに親指を立てて見せていた。

 

「・・・発艦は、まだ先になりそうですね」

 

祥鳳が清水の方を振り向いて言った。清水は無言のまま頷く。

 

黒い瞳が、清水を見つめていた。風に揺れる長い黒髪は艶やか。女性らしい体つき。

 

パッと見ただけでは、誰もが認める美人だ。艦娘であることを抜きにすれば、彼女に好意を寄せられる同期が羨ましくない、と言えば嘘になるだろう。

 

艦娘は、驚くほどに人間的だ。自らの力で巨大な軍艦を動かしながらも、その内面は同じ年頃の女性と変わらない。気をつけていなければ、彼女たちが艦娘であるということを、見失ってしまいそうなくらいに。

 

ふと、清水の意識は、パラオ着任から最も付き合いのある重巡洋艦娘に向いていた。艦隊の先頭に位置取る彼女の艦の姿は、最後尾の“祥鳳”からはわからない。その艦橋に立つ少女の姿もまたしかりだ。

 

艦娘としての摩耶を、実は見たことはない。

 

今まで清水が見てきた摩耶。それは、感情を剥き出しにしながらも、自らも傷つけてしまう一人の少女。それは、過去と向き合おうとし、葛藤の中で悩む一人の少女。それは、嫌いなはずの俺を、何とか受け入れようとしてくれる一人の少女。

 

思えば清水にとって、摩耶は一番艦娘であるところを想像しにくい娘かもしれない。

 

「何見てるんですか?」

 

清水に祥鳳が呼びかける。こちらを覗き込むその目は、清水の考えていることなどお見通しなのであろう。人の機微にはよく気づく艦娘だ。

 

「摩耶さん、やっぱり気になりますか?」

 

「・・・」

 

すぐに言葉を選べなかった時点で、清水の負けは確定していた。

 

「もっと素直でいいのに。その方が、私の好みですよ」

 

「それは君の好みの問題だろう。というより、君は自分に素直になり過ぎだ」

 

榊原への執拗なスキンシップを差して反撃を試みるが、そんなものが無駄であることはわかり切っていた。祥鳳は一番いい笑顔を浮かべて、言い切る。

 

「決めたんです。伝えたいことを伝えられずに沈むのは、もう嫌ですから。それに、ライバルが多い方が、楽しいでしょう」

 

魅惑的な笑み。正直、負けた。

 

「そうか」

 

それだけ答えて、清水は艦橋に戻る。ここのところ、沖に出ている間に、余計な思考をする機会が多くなっていることは、清水自身自覚があった。




防空戦闘を書くことになったわけですが・・・

うごご、現代戦闘機はニワカもいいところだから・・・

いろいろ調べながら書いてる次第であります

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