パラオの曙   作:瑞穂国

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よし、今回はちゃんと投稿できた

曙の口から、吹雪の轟沈について語られ始めます


アノ日

「はい、お茶」

 

用意されていた急須で淹れたお茶を、曙が差し出してくる。温かいその湯呑みをありがたく受け取り、榊原は曙が向かいの席に着くのを待った。

 

自分の分の湯呑みをお供にして、曙が榊原の前に腰掛ける。風呂上がりで後ろに流したままの髪はよく整えられ、艶やかな輝きを放っている。以前―――第一次トラック沖海戦の前に、その髪を梳かしたことを思い出す。そこに秘められた、少女としての曙の想いも。

 

「・・・何よ、ジッと見て」

 

半目の曙が指摘する。こちらを見つめる蒼い瞳に誤魔化しが通用しないことは、榊原もよくわかっていた。

 

「前に、この部屋に来た時のことを思い出してな」

 

苦笑しながら頬を掻く。曙は一瞬目を見開いた後、静かに湯呑みに口を着け、中の液面を見た。それからゆっくりと湯呑みを置き、そっぽを向いてぶっきらぼうに言った。

 

「そういえば、そんなこともあったわね」

 

その横顔に笑みが漏れてしまったのは、彼女にバレていたようだった。

 

咳払いの後、曙が話を始める。

 

「・・・クソ提督に、話さなきゃいけないことがある」

 

「そうか」

 

姿勢を正すべきか迷った後、榊原はそのまま、曙の話に耳を傾けることにした。普段のままの彼女と、普段のままの自分で。

 

「大体わかってるんじゃない?」

 

「・・・そうだな」

 

なぜ、このタイミングなのか。

 

今、曙が示せるもので。今、榊原の情報に欠けているもの。

 

曙が語らなかったこと。

 

「“吹雪”が轟沈した時、あたしはその場にいた。吹雪の一番近くにいて・・・その轟沈を見届けた」

 

『T・T独立艦隊』との会談で、“吹雪”の轟沈とその後に関する情報への関心は、嫌でも高まった。

 

なぜ吹雪は、艦体を復元できないのか。それだけでも十分過ぎる疑問だ。実際にはそれだけではない。もしも彼女が“鍵”を握っていたのだとしたら。その“鍵”は、“吹雪”と共に沈んでしまったのか。それともまだ、吹雪が持っているのか。

 

曙は聡い艦娘だ。それは榊原も含めて、パラオの誰もが認める事実である。だから気づいたのだろう。“吹雪”の轟沈が持つ意味に。

 

彼女が見届けた、その光景に隠されているかもしれない、この世界の真相に。

 

榊原は待つ。たった一人の少女が語る、彼女の過去の話を。

 

「あの日、あたしと吹雪は、輸送船の護衛任務に就いてた」

 

曙が語りだす。「あの日」のことを。

 

「なんていうか、丁度基礎演習の最終段階みたいなものだった。吹雪に教導されたあたしと、叢雲に教導された漣で、輸送船団を護衛してくる任務」

 

本土近海で行われたこともあり、比較的安全な作戦であったはずだった。

 

ところが。

 

「船団は、襲撃を受けた。それも、重巡と軽巡を含む艦隊に」

 

当時は、最初の艦娘である吹雪が着任して、まだ四か月。鎮守府の開設からも二か月しか経っていなかった。BOBの数も十分ではなく、その運用も確立していない。さらには、それを指揮する提督も、所謂〇期生と呼ばれる最初期の三人―――秋山真好大佐、飯田恒久中佐、清河純一郎中佐しかおらず、はっきり言って手一杯の状態であった。

 

つまり、本土近海の制海権も、確立しているとは言い難かった。

 

「それでも、あの規模の艦隊の侵入を許したのは、迂闊だったと思う。それを考慮してなかった、あたしも含めて」

 

襲撃が起こった時、真っ先に動けたのが、吹雪だった。

 

「多分・・・多分吹雪は、ある程度予想してたんだと思う。水平線に敵艦隊が見えた瞬間に、すぐ指示が飛んできて、あたしたちはそれに従うのが精一杯だった」

 

―――『速力上げて!急いで避難する!“叢雲”、“漣”は船団の誘導、“吹雪”と“曙”は後衛!』

 

「でも、すぐに追いつかれて、砲撃が始まった。それで・・・真っ先に被弾したのが、あたしだった」

 

降り注いだのは、重巡の八インチ砲弾だったか、軽巡の六インチ砲弾だったか。あるいは、駆逐艦の五インチ砲弾だったか。艦尾を直撃したそれが、“曙”から速力を奪った。

 

「怖かった。怖くて、適切な回避行動を取れなくて。被弾したら、もっともっと怖くなった」

 

握り締めた曙の拳には、冷や汗が浮かんでいた。

 

「逃げ切れない。そう思ったわ」

 

逃げ切れる道理がなかった。けれど。

 

―――『“叢雲”、“漣”は退避を急いで!』

 

―――『ちょっ、何するつもり、吹雪!?』

 

困惑したような、叢雲の声。それに答える、決意に満ちた吹雪の声。

 

―――『わたしはここに残る』

 

「・・・声が、出なかった。本当は、あたしなんか置いて逃げてって、それが一番だってわかってた。だから、そう言うべきだって、わかってた。でも・・・でも、言えなかった。どんなに頑張っても、言葉を口にできなかった」

 

動きが鈍った“曙”を守るように、敵艦隊との間に“吹雪”が立ち塞がる。ほぼ満身創痍の状態だった“曙”の煙を背に、敵艦隊に果敢に反撃し、駆逐艦二隻を炎の塊に変えた。

 

―――『司令官が、救援を出したって!後少しで着くからって!』

 

それまで頑張って。必死で通信機に呼びかけるその声が、何かが引き裂かれる音と痛みを堪える呻きに遮られたのは、格上の軽巡に黒煙が立ち上り始めた時だった。

 

“吹雪”が被弾した瞬間だった。

 

―――「吹雪!」

 

―――『だ、大丈夫。これぐらい、いつものことだから』

 

思わず叫んだ曙に、気丈に答える声。

 

動けない自分。

 

傷ついていく仲間。

 

精神同調によって“曙”の記憶に触れた彼女には、それがかつての光景と重なる。

 

“吹雪”の艦体が、波打つように淡い光を放つ。ブルーアイアンの強制活性化。艦娘自身に巨大な負荷をかけるその方法を、吹雪が選んだことがわかった。

 

艤装と繋がっているだけでも、大変な苦痛のはずなのに。それでも“吹雪”は、正確無比な砲撃を繰り出す。

 

狙い澄ましたような魚雷が、残った駆逐艦の艦底を抉り、水底へと引き込む。

 

一二・七サンチ砲弾が軽巡の主砲塔を貫き、弾け飛ぶ。

 

阿修羅の如く戦い続ける“吹雪”。

 

けれども。

 

被害が蓄積しているのは、“吹雪”も同じだ。

 

吹き飛ぶ艤装の断片。

 

爆砕される第二砲塔。

 

後部マストがねじ切れ、三番連管に圧し掛かる。

 

満身創痍など、当の昔に通り越していた。

 

それでも吹雪は戦い続けた。救援艦隊が駆け付ける、その時まで。

 

「即席編成の救援艦隊を率いてたのは、秋山提督だった。すぐに“扶桑”の砲撃が始まって、敵艦隊は撃滅されて。船団も無事、入港できてたって。でも、」

 

でも、吹雪は。

 

艦上は正にスクラップの状態だった。あらゆる箇所が強制活性化の限界を迎え、抉れて、吹き飛んで、跡形もなく消え去って。

 

「こっちに向かってくる“扶桑”を―――秋山提督を見て、安心したんだと思う。そこから、一気に沈み始めた。吹雪が脱出する暇なんてなかった」

 

榊原は息を飲んだ。

 

船舶の沈没に巻き込まれることがどれほど危険なことか、榊原も候補生時代に嫌という程教え込まれた。巨大な質量は、抗うことを許さぬ渦を産み出し、ちっぽけな人間など波間に飲み込んでしまう。

 

「何も考えてなかった。その前の戦闘で、頭の中なんてとっくのとうに真っ白だった」

 

後部からゆっくりと沈み始めた“吹雪”に横付け、艤装を脱いだ曙は、艦橋を飛び出して走りだす。被弾の痛みを残す体に鞭打って、前甲板を蹴り、吹雪に乗り移る。そのまま、ボロボロの艦橋によじ登った。

 

窓ガラスという窓ガラスが吹き飛んだ艦橋の真ん中で、吹雪は艤装に体重を預けてぐったりと立っていた。セーラー服は破け、後ろで結んだ髪は解け、額からは赤い筋が一本流れている。

 

―――「吹雪・・・吹雪!」

 

わけもわからず叫んだ。ただただ、彼女の名前を呼んだ。

 

自分でもぐちゃぐちゃの思考のまま、ひたすらに謝った。この体からあらゆる水分が消えてしまうのではないかと思うほどに泣きじゃくり、自らの失態を恥じた。「逃げて」と言えなかった自分を許せなかった。

 

「でも・・・でも、吹雪が言ったの。薄っすら目を開けて、いつもの優しい微笑みで」

 

―――『無事で・・・よかった』

 

弱々しく伸ばされた手を取った時、“吹雪”の沈没が加速した。後部へと傾斜し、激震が艦橋を揺する。吹雪の艤装にすがりつくようにして、曙は立ち続けた。

 

やがて艦橋に海水が流入する。最初は開け放された艦橋後部から。やがて割れた窓からも。

 

思いっきり息を吸った曙は、激流に耐える。完全に海水で満たされてしまえば、吹雪を艤装から外して、海面に上がれると思った。

 

力ない吹雪を、艤装から解放する。艦首を―――その先にあると思われる海面を、睨みつける。沈没が生み出す激流の渦中に、曙は吹雪と共に出ていった。

 

「そこからは、正直よく覚えてない。ただ我武者羅に、必死に泳いで、海面を目指してたんだと思う」

 

海面に出た二人を、“扶桑”の内火艇が収容してくれた。損傷した“曙”は、随伴の駆逐艦が曳航していく。

 

「・・・これが、あたしが見た“吹雪”轟沈の全て」

 

「・・・」

 

言葉が出てこなかった。黙って曙を見つめる榊原に、彼女は続ける。

 

「あたしは・・・あたしは、吹雪から海を奪ってしまった。『誰かを護る』ことを奪ってしまった」

 

自らに言い聞かせるような言葉。蒼い瞳の奥のきらめき。引き結んだ、薄いピンクの小さな唇。

 

「だから、あたしが守るって決めた。吹雪の分まで、この海を守る」

 

それに。呟くような一言の後、曙には珍しく、視線が机に落ちた。

 

「もう・・・目の前で仲間が沈むのは、嫌」

 

単純な、極々簡単なことだったのだ。

 

なぜ、曙の練度が、群を抜いて高いのか。

 

―――強くあろうとしたんだ。

 

何かを守るために。大切なものを失わないために。

 

その想いにどれだけの覚悟が込められているのか、榊原には計り知れなかった。

 

その覚悟を見せてくれる程度には、榊原のことを信頼してくれている、そう思っていいのだろうか。

 

「ありがとう。話してくれて」

 

「・・・別に。クソ提督になら、話してもいいと思ってたし。・・・いつかは、絶対に話さないと、って思ってたし」

 

顔を上げた曙は、そう言って咳払いをする。瞳の帯びた色が変わる。そこにはすでに、榊原の初期艦で、パラオ泊地の秘書艦を務める、駆逐艦娘がいた。

 

「舞さんが、吹雪の轟沈した時のことを聞きたがってた」

 

「やっぱり、か」

 

やはり舞も、“答え”を探していたのだ。

 

舞とした話や、相模の仮説については、すでに曙にも話している。そのことと、吹雪の轟沈が、何らかの関わりを持っていることも、曙は気づいているだろう。

 

「『“鍵”は二つに分かれた』。“鍵”の持ち主が、BOBの“吹雪”だった場合、“鍵”は沈没したBOBと艦娘の間で二つに分かれたことになる」

 

そして、可能性としてはもう一つ。

 

「“鍵”の持ち主が艦娘の吹雪自身だった場合、おそらく“鍵”もまた、もう一人、“他の艦娘”との間で分割された可能性が高い」

 

あの時。“鍵”の片割れを受け取った可能性が一番高いのは。

 

「吹雪のそばにいた、曙だ」

 

榊原は、真っ直ぐに曙を見る。曙が、真正面から見返す。

 

「・・・わからない。少なくともあたし自身には、その自覚はない」

 

「・・・そうか」

 

それはそうだ。自覚があれば、曙が何のモーションも起こしていないのはおかしい。

 

「ただ・・・あたし自身、疑問に思ってることはある。“鍵”と関係あるのかは、わからないけど」

 

「なんだ?」

 

尋ねた榊原に、曙は淀みなく、口を開いた。

 

「あたしは・・・“曙”は、大規模改装が受けられないこと」




新事実発覚!?

て言うかぼのちゃん、無改造であの強さだったのか・・・

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