第二次トラック沖海戦(多分、まだまだ先だけど)に向けて、それぞれの想いが交錯していきます
想イ
『五車星作戦』参加各艦の準備が整ったのは、“曙”の出渠からさらに一週間後のことだった。
最終的な参加艦艇は以下の通り。
・第一警戒艦隊
榊原広人中佐
“曙”、“祥鳳”、“霞”、“陽炎”
・第二警戒艦隊
速水淳少佐
“鈴谷”、“熊野”、“睦月”、“如月”
この他、特務艦“栄光丸”(政府要人艦)以下、輸送艦十二隻が参加する。
それらの輸送艦の中には、パラオに展開する第一二航空戦闘団への増強装備品が含まれている。具体的には、警戒機となるE-2C、輸送機のC-2、さらに防空能力の増強としてF-15。
これら装備品の増強が行われることになった背景には、第一二航空戦闘団が拠点とするバベルダオブ島の空港施設の拡大強化にある。パラオ奪還後から細々と続けられてきたその作業が実を結び、さらに多くの機体と装備を管理、運用する能力が備わったのだ。
また、政府がパラオへ戻ったことで、その防衛の必要性が出てきたことも、理由の一つだ。フィリピンでは日米合同の基地航空隊とルソン警備隊が担っていた責務を、今度は第一二航空戦闘団とパラオ泊地艦隊が担うのである。
―――今回の作戦が持つ意味は大きい。
出港していく各艦艇、船舶を見守りながら、榊原は噛み締めるように胸中で呟く。その隣には、いつものごとく曙が立ち、出港作業を指揮していた。
結局、あれ以来曙が何か言ってくることはなかった。ただいつも通りに、曙は榊原の横に立ち、補佐をする。
だから、榊原から何かを言うこともない。パラオに帰ったら、話がある。真剣に言った彼女の言葉を叶えるため、今はこの船団を無事パラオへと送り届けることを考える。
微速で港湾から離れていく“曙”に、相模が手を振っていた。破顔した榊原も、それに応えて制帽を振る。悪友と次に会うのは、恐らくずっと先のことになるのだろう。
榊原はマイクを取る。
「港湾を出た後、警戒陣形を敷く。速力の調整に注意」
船団が、パラオに向けて帰っていった。
◇
今日も今日とて、摩耶は柔らかな陽射しの差し込む執務室で、書類たちと格闘していた。
パラオ泊地の提督長である榊原、そして秘書艦の曙が出立して、すでに二週間。その間、パラオ留守番役の清水と秘書艦代理の摩耶が、業務を請け負っている。
摩耶からすれば、初期に警備隊長を務めて以来の書類仕事。ある程度慣れてもいたので、それなりにこなせていたつもりだ。
「・・・よしっ、と」
最後の一枚を書き上げ、判を押し、「済」のボックスに入れる。愛用のペンを置いた摩耶は、大きく伸びをした。
「・・・終わったか」
その仕種を待っていたかのように、隣から声がかかる。きっちりと着こなす第二種軍装は、いっそ憎らしいほどに体に合っている。切れ長の目に切り揃えられた短髪が、いかにも理知的だ。
「・・・おう」
どこかぎこちなくなっているのを自覚しながらも、摩耶は答える。見れば、摩耶よりも少し多かったはずの清水の書類は、綺麗さっぱり片付いていた。榊原と違い、清水の方はこうしたデスクワークもお手の物らしい。
「お茶、淹れてくるな」
「ああ、頼む」
言うや否や、摩耶は立ち上がり、給湯室へと向かう。いつもは曙が整理しているその部屋も、どこに何があるか、この二週間で覚えてしまった。
電気ケトルに新しく水を入れ、スイッチを入れる。独特の音を立ててお湯が沸かされるのを聞きながら、摩耶は若干の溜め息を吐いた。
また、やってしまった。
なぜ、清水に対してぎこちなくなっているのか、何となくだがわかっている。
―――「俺も、あいつのマネぐらいはしてやれる」
摩耶が、自らの中にある記憶を乗り越えるのを、待ってくれると、清水は言ったのだ。
その言葉に応えたい気持ちがないわけがない。だけれども、何から話せばいいのかがわからない。自分の中で、整理もついていない。
だからせめて。・・・いや、せめてという言い方はおこがましいが。
清水を、“摩耶”に乗せられるようになりたい。
今後のことを考えても、必要なことだ。この泊地で、“摩耶”は“大和”に次ぐ戦闘指揮能力を持っている。特に、防空戦闘を指揮するには、“摩耶”の能力はもってこいだ。だがそれも、提督を乗せればの話である。
これもまた、自分でも理由がわからないのだが。もしも提督を乗せるのなら、清水がいいと思っている自分がいる。それも摩耶はわかっていた。
―――「な、なあ、清水」
だから。演習に出るたびに、摩耶は清水に声をかける。今日は“摩耶”に乗ってみないか。そう、言うために。
けれども。振り返った清水の視線を捉えるたびに。その瞳を見つめるたびに。重なるのだ。過去の情景が。
自分自身のトラウマが。
心に重しのように圧しかかるそれが、摩耶が開こうとした蓋に引っかかる。たった一言が、口をついて出てこない。
―――「・・・なんだ、摩耶?」
問いかけた清水に、言葉が出なくなる。背中を冷たいものが走る。膝が震えてしまいそうになる。終いに摩耶は、こう言ってしまうのだ。
―――「いや・・・なんでも、ない」
そんなやり取りを繰り返す度に。清水に合わせる顔がなくて、ぎこちなくなる。元々、お互いに話をする方ではなかったのに、妙に気になって。勝手に気にして、またぎこちなくなる。
清水の方も、そんな摩耶の心の内を知ってか知らずか、何度摩耶が言いかけて止まっても、何も言うことなく、待っていてくれた。それが嬉しくもあり、また逆にプレッシャーともなっている。
「・・・って、何考えてんだよ、あたしは」
悩んでも仕方のないことに、悩むような性格ではない。それでも、思わずにはいられない。
コポコポと音を立てて電気ケトルのスイッチが落ちていることに、摩耶は気づかなかった。それに気づかず、考え続けている自分にも。
そして、給湯室を覗いた人影にも。
「・・・摩耶?」
「うひゃああうぇっ!?」
自分でもわかるぐらいの素っ頓狂な声を上げて、摩耶は給湯室の入り口を振り返った。そこに立っているのは、さっきまで摩耶と一緒に執務をしていた、清水。
バクバクと言っている心臓と熱くなった頬を誤魔化すように、摩耶は抗議する。
「お、驚かすんじゃねえ、このクソがっ!」
―――ああもうっ、あたしはっ!!
自分でもうんざりする。
「・・・心配して見に来たのに、酷い言われようだ」
そう言う清水に、怒っている雰囲気はない。むしろ普段以上に―――摩耶なら気づける程度には、優しげだ。
そのまま清水は、給湯室に入ってくる。摩耶の隣に並んだ、スラリと高い背丈から、思わず目を逸らす。何となく、直視できない。
「なあ、摩耶」
先に口を開いたのは、清水の方だった。
「先に執務室に戻ってろ」
「は?何でだよ」
「・・・今日は、俺がお茶を淹れる」
「は!?」
何を言い出すかと思ったら。摩耶は清水の顔を見た。清水もまた、摩耶を見つめている。
「い、いいって。あたしが淹れるから」
「いいや。俺に淹れさせてくれ」
頑固なのはお互い様だと、摩耶も理解している。こう言ったら、清水が譲ることはない。
「もう少しすれば、榊原たちが帰ってくる。そうすれば、俺も摩耶もお役御免、晴れて自由の身だ」
「・・・だから?」
「せめて最後くらい、お前を労わせろ」
「っ!!」
ようやく治まったと思ったのに。陽に当てられたわけでもなく温度の上がる頬を誤魔化せない。
「そういうわけだ。執務室に戻れ」
「・・・わかった」
なんだかうまくあしらわれた気がしなくもないが、摩耶は清水の言う通りに、執務室へと戻ることにした。
待つこと数分。給湯室から戻ってきた清水は、普段使っているお盆の上に、おしゃれなティーポットと二人分のカップを乗せていた。察するに、紅茶だろうか。
「紅茶なんて、あったのか」
「俺の私物だ。これで最後だがな」
そう言って摩耶の前にお盆を置いた清水は、執務机の椅子を秘書艦机の摩耶の前に持って来る。それから静かに、二つのカップへ紅茶を注ぐ。ティーポットを傾ける仕種が、随分と様になっていた。
「・・・清水に紅茶なんて、似合わねえな」
「・・・そう言うな」
二人分の紅茶を淹れ終わった清水が、摩耶の前に腰掛ける。その表情をチラリと窺ってから、摩耶は恐る恐る、カップに手を伸ばした。
いい薫りだ。日本茶と違って、どこか気高さを感じさせる、落ち着いた雰囲気。心が自然と静まる。
「いただきます」
そっと口を付ける。熱くはない。飲みやすい、程よい加減だ。何より、今まで飲んだことのあるどの紅茶よりもうまい。
「意外と、いけるだろ」
そう言った清水も、カップに口を付ける。
しばらくはただ静かに、ゆっくりと過ぎていく時間に身を任せ、紅茶の薫りを楽しんでいた。
やがて清水が口を開く。
「無理して俺を乗せる必要はないぞ、摩耶」
その言葉に、ギクリと肩が跳ねる。やはり清水には、お見通しだったのだ。
「・・・別に、無理なんてしてない」
せめてもの強がりを口にしてみるが、その後半は弱くなってしまう。目線が琥珀色の液面に落ちて、そこに映る自分の表情を捉えた。どこか不安げに意地を張っている、少女の表情だ。
「なら、いい」
それ以降、清水が口を開くことはない。摩耶が何かを話しかけることもない。空になったカップを、コトリと置く。それを見た清水が、何も言わずに、片付けてしまった。
―――結局、何をやってんだろうな、あたしは。
清水にまで気を遣わせて。結局のところ、自分自身で空回りしていただけだ。
ソロリと席を立ち、さっきまで清水が座っていた椅子を、元の通り執務机に戻そうとする。
背もたれにかけた手が、ピタリと止まる。そこにはまだ、清水の温もりがある。不愛想で、冷たく見える、彼の体温。
―――何考えてんだよ、バカ。
よっこいせ。持ち上げた椅子を執務机に戻したところで、清水が帰ってくる。そのまま彼は、壁際に掛けていた制帽を取り、きっちりと被った。その鋭い双眸が、摩耶を捉える。
「行くぞ。そろそろ、あいつらが帰ってくる頃だ。出迎えの用意をしよう」
摩耶を促して、執務室の扉を開く。さっさと廊下へ出て行ってしまった清水の背中を、摩耶は追いかけた。
廊下の先を行く清水。白い制服が、蛍光灯の光の中で、シャンと立っている。真っ直ぐに前を向いて、歩いている。
摩耶はどうしようもなく、その背中を蹴飛ばしたくなった。そしてどうしようもなく、その背中に抱き着きたかった。思いっきり抱き着いてやりたかった。
「置いていくぞ」
振り返った清水が言う。胸の高鳴りの理由を、頭を振ることで無理やり思考の外へ追い出し、摩耶は走り出す。清水の背中に追いつき、追い越すため。
パラオ泊地に、『五車星作戦』参加艦艇の入港を告げる、ラッパが鳴り響いた。
がんばれ摩耶様・・・!
摩耶様のトラウマは、もう少しで明かになりそうですね
とりあえず次回は、ぼのちゃんのお話になりそうです
(戦闘が当分なくて寂しい)