展開が早くて自分でも驚き
霞ちゃん超可愛かったです
朝陽―――と言うには、いささか遅いかもしれない。海面と天頂の真ん中に位置する太陽の下、眩しい波間の向こうに、島の輪郭が見えてきた。朝食後に確認した海図を頭の中に描き、榊原は目の前のそれが目的の島であるかどうかを見極めようとした。
「あれが、パラオか・・・」
大小二百もの島々で構成される地域と、そこにある国家を指し示す単語を呟く。修正は、横からすぐに入った。
「正確には、バベルダオブ島ね」
榊原の横に立つ曙は、腕組みをしてパラオ―――バベルダオブ島を見つめている。現在はオートナビゲーションを起動しており、その背に艤装は装着されていない。彼女は暗唱するようにして、島の名前を挙げた。
「デカいのがバベルダオブ島、その横がコロール、マラカル」
「バベルダオブ島に首都があるんだったか」
「形式だけでしょ」
現在、パラオの行政府は、外界との遮断を嫌って臨時にフィリピンへ移されている。それに伴い、国民の二割程度もフィリピンに移住していた。それでも、まだ八割近い現地人が、およそ十島に分かれて暮らしていた。
「あたしたちの目的地は、コロール島よ」
「・・・あれか」
目の前の大きな島の横に、まだうっすらと稜線が見える程度の島を見つけて指差す。旧首都のコロールを含む小さな島に、榊原たちが着任する泊地の港湾施設は設けられていた。
「・・・さて、そろそろ艤装着けるわ」
「ああ。よろしく」
「はいはい」
入港に際しては、細かな操作が必要とされる。そのためには、曙がBOBと精神同調をしたうえで、自ら舵を取る必要があった。
艦橋中央に吊り下げられた艤装をテキパキと装着する。駆逐艦の艤装は、着脱が簡単にできることが売りだそうだ。一分もせずに装着が終わり、深呼吸を一つ。曙の瞼が閉じられ、深い息が吐き出された。
沈黙。
榊原には、今曙に起こっていることを知る由はない。精神同調がどういう仕組みで、彼女が駆逐艦“曙”の記憶を通してBOBと繋がることは知っていても、その時彼女の中に流れ出るものを、察することなどできなかった。
やがて曙が目を開く。艤装の低い唸りが艦橋内に木霊し、心持ち機関の音も異なる。
「精神同調完了」
「了解」
艤装を身に着けた曙は、やはり普段と変わりない。その鋭い目線は、目の前の海と島を見つめている。
「・・・あれ?」
と、彼女に珍しい間の抜けた声に、榊原は反応する。振り返ると、曙が額に指を押し当て、何やら思案顔で首を傾げた。
「電探に感・・・?」
「電探?」
榊原が尋ね返す。曙にしてははっきりとしない口ぶりが、ついつい気になる。
「お迎えみたいね」
「お迎え?」
怪訝な顔になるのがわかった。まだお迎えが来るには早い年齢だと思うが。
曙は構わずに続けた。
「距離二〇〇(二万メートル)」
察するに、天からではなく、水平線の向こうからのお迎えであったようだ。二万ならば、そろそろ有視界範囲に入るはずだ。榊原も曙も、水平線の辺りを凝視する。ほどなくして、細長い槍のようなマストが見えだした。次第にはっきりするそのディティールに、二人分の視線が注がれる。
正面からもわかる、細身の艦体。その上に載った、箱型の艦上構造物。丈高いメインマスト。何より目を引いたのは、艦体に施された、特異な迷彩柄だった。白と黒のコントラストが明瞭な、ホワイトタイガーを思わせる色合いだ。
「あれは・・・北方迷彩じゃないか?」
双眼鏡を覗き込んで確認した榊原が、疑問符付きで呟く。曙も同意して、そこへさらに、見張り妖精からの情報を付け足した。
「球磨型みたいね」
「とすると・・・」
秋山から託されたパラオ泊地所属艦娘の履歴書を脳内でめくり、榊原は一人の艦娘の姿を思い描いた。セーラー服に短く無造作な髪、何より特徴的な右目の眼帯。元は幌筵にいたというから、北方迷彩はその時のものだろうか。
榊原がその名前を口にしようとした時、丁度前方の艦から通信が入り、接続されたスピーカーから声を響かせた。
『こちらは、日本海軍パラオ警備隊所属、軽巡洋艦“木曾”だ。貴艦の所属と、航行目的を知らされたい』
キビキビと事務的で凛々しく、しかしその端々に女性らしい温かみのある声音だった。通信内容を了解した榊原は、その声に応えるべく、曙の差し出したマイクを受け取り、スイッチを入れた。
「こちらは、日本海軍所属、駆逐艦“曙”。俺は、新しくパラオ泊地提督に任じられた者だ」
『あー、噂の新任提督か』
返ってきたのは、打って変わって気さくな言葉だった。
『ようこそパラオへ。さっきも言った通り、俺は軽巡洋艦の木曾だ。以後、よろしく頼むぜ』
「こちらこそ、よろしく。俺は榊原広人だ」
マイク越しであるが、お互いに名乗る。フッという微かに笑う声が聞こえて、木曾はさらに言葉を続けた。
『積もる話は、また後だ。これより、貴艦をコロールへ誘導する。着いて来てくれ』
通信はそこで切れる。件の軽巡洋艦は、そのままこちらへ向かてきていた。こちらを、泊地へと誘導してくれるらしい。
「意外と世話焼き・・・?」
見たところ、哨戒中だったということはなさそうだ。先ほどの通信も、どことなく歓迎的で、好感を抱くには十分すぎる。もしかしたら、入港する“曙”を、わざわざ出迎えに来たのかもしれない。
「よく知らないけど、軽巡には世話好きが多いんだって」
解説を入れてくれた曙は、変わらずに艦橋の外を眺め、艦の動きをコントロールしている。その横顔が、どこか面白くなさそうに見えたものの、次の瞬間にはわからなくなった。
やがて、“木曾”との距離が、数百メートルに近づく。と、鋭くターンをした“木曾”は、こちらを先導するように、その艦首をコロール島―――パラオ泊地へと向けた。艦尾付近で爆雷等の対潜装備をチェックしていたらしい妖精たちが、「着いてこい」と言わんばかりに大きく手を振っていた。
“木曾”に従い、その後ろに着いた“曙”も、コロールへの入港を目指す。二人が目指した泊地は、もう目の前だ。
「結構整ってるわね」
近づいてきた港湾施設を見て、曙が感想を漏らした。工期八十パーセントと言っていたから、その外見は見るからに新しい。元々あったものもいくらか引き継いでいるのだろうが、やはり「ペンキの匂いも香しい」という表現がぴったりだった。
「ひい、ふう、み・・・。浮きドックは四つか」
浮きドックは、本土から離れた泊地には必須と言っていい装備だ。ブロック式に切り分けられた機材を輸送船で運び、現地で組み立てる。すると、マンモス級タンカー一隻が余裕で入る、巨大な浮きドックが出来上がる。パラオには、それが四つあった。泊地としては多い数だ。トラック攻略戦前線基地としての用意であることは、想像に難くなかった。
自己修復能力を持つBOBにドックが必要なのかというと、答えはイエスだ。深海棲艦との戦いで傷ついた部分を修復するには、ドックに入ったうえで、妖精の力を借りて自己修復能力を回復しなければならない。
「工廠はまだ工事中ね」
「そうか。当分、開発なんかは無理だな」
「無理ね。いくらか装備は回してもらってると思うから、当分はそれで遣り繰りしないと」
「最低限、ソナーは数を揃えておきたかったんだが」
榊原は残念そうに言った。こればかりは仕方ない。装備の開発は、妖精で構成された工廠部と施設あってのものだ。
『“曙”は、一番右の埠頭に着けてくれ』
「ちょっと掠ったから、入渠したいんだけど」
『あー・・・。わかった、ドックは開けさせるから、今は取り敢えずそっちに頼む』
「りょーかい」
木曾の指示に頷いて、“曙”が舵を切る。逆に“木曾”は、左に舵を切った。
六つある埠頭には、すでに二隻のBOBが停泊していた。一隻は、“曙”と同じ、見るからに軽快そうな駆逐艦だ。砲塔や魚雷発射管の配置から、おそらく甲型駆逐艦と思われる。日本海軍の主力駆逐艦だ。もう一隻は、かなりがっしりとした艦上構造物を持つ重巡洋艦だ。“木曾”よりも二回りは大きい。前後に二基ずつ、連装砲塔が配置されており、特徴的な艦橋は、どことなく旧自衛隊のイージス艦を想起させた。
榊原が泊地を見渡している間に、“曙”はすでに埠頭への接岸準備を終えていた。微速前進で進んでいた艦体から、ついに推進力が切られると、港湾部のタグボートが接近し、“曙”を押しやる。前甲板上でも妖精が慌ただしく行き来し、埠頭へ舫を投げる用意をしていた。数人がかりで舫を持ち、埠頭側の妖精と息を合わせている。
やがて、柔らかな衝撃が横方向に襲った。艦橋がわずかに揺れたが、艦体と埠頭の間に入った緩衝材が、自らを変形させることでこれを和らげ、上手く接岸する。すぐに舫が投げられ、埠頭とがっしり繋がれた。
「接岸完了」
甲板の妖精が大きく丸を作ったのを確認して、曙が宣言する。榊原もそれに頷き、曙が精神同調を解除して艤装を外すのを待った。
「・・・わざわざ待ってなくてもいいのに」
「いや、ちょっと・・・下らない事を考えただけだ」
「は?」
「折角だから、第一歩は曙と一緒に、と思ってな」
「なっ・・・!」
艤装を解除した曙は、パラオの気候に当てられたのか、顔を赤くして絶句している。わずかな間の後、早口でまくし立てた。
「ほっ、ほんと下らない!」
それから急かすように、榊原の背中を押して行く。よくわからない彼女の様子に困惑しながらも、榊原は先に立ち、艦橋を出てラッタルを下った。
潮の香りがする。ただそれは、本土とはまた違った香りだ。鼻孔をくすぐる匂いと風を感じて、榊原と曙は埠頭に降り立った。そこにいた妖精たちが、歓迎するように手を叩いた。
「おーい、こっちだこっち」
手を振る人影は、すぐに見つかった。二人は頷いて、この泊地まで案内してくれた軽巡洋艦の艦娘の元へと向かう。隻眼の彼女が、勇ましい笑みで迎えてくれた。
「ようこそパラオ泊地へ。改めて、俺は木曾だ」
男っぽい喋り方が板についていて、容姿と共に、まるで海賊船の船長だ。口元を吊り上げて自己紹介した彼女に、榊原も答える。
「パラオ泊地提督の任を受けた、榊原広人だ。以後、よろしく頼む」
それからチラリと、隣を見遣った。促されるまでもなく、曙も名乗る。
「曙よ」
「おうおう、お前がうちの六人目か」
ニヤリと笑った木曾が、曙の首に手を回して頭をくしゃくしゃと撫でる。
「な、ちょっ、やめてっ!」
「はっはっ、よろしくな。これで、うちも晴れて『艦隊』だ」
―――正しく、キャプテン・キッソだな。
そんな感想を抱いた榊原であったが、このあだ名が実際に使われていることを知るのは、もう少し後のことだ。
ひとしきり曙を撫でくり回すと、ようやく離れた木曾は、先に立って歩きだす。
「二人、哨戒中でいないが、面子を紹介しようか。着いてきてくれ」
乱れた髪を整える曙は、その背中を軽く睨んで、榊原にだけ聞こえるよう、呟いた。
「前言撤回。軽巡は駆逐艦で遊びたいだけ」
「間違いないな」
わざとらしく首肯して、榊原も歩きだす。向かうのは、どうやら目の前の建物―――泊地の庁舎らしかった。澄んだ青空と同じくらい綺麗な白で、できたてホヤホヤらしい、ペンキ独特の臭いがした。
庇のついた庁舎の入り口、そこのドアに手をかけた木曾が、目で「中だ」と示す。それに付いて、中に入ろうとした榊原は、ふと足を止めている曙に気がついた。
彼女は、瞳の大きな目を細め、庇の柱に掛けられている、真新しい板に書かれた『パラオ泊地』の文字を見ていた。その板をなぞり、感慨深げに柱に手をつく。
「あ、そうだ」
一度は中に入った木曾が戻ってきたのは、そんな時だった。
「その辺、ペンキ塗りたてだから、気を付けろ・・・よ」
木曾の注意は、遅きに失した。
固まった曙が、壊れかけのロボットか何かのように、ゆっくりとその右手を柱から離した。が、すでに遅く、その手には白いペンキがベットリと着いていた。
曙の顔が引きつり、肩がプルプル震える。
襲ってきた笑いの波に、榊原は何とか耐えた。丹田の辺りに意識を集め、腹筋が震えるのを抑える。だが、
「・・・くっ、だ、ダメだっ、ククッ、堪えられねえ」
先に崩壊した木曾の爆笑が、榊原の腹筋もまた誘爆させた。
腹を抱えて笑い転げる二人に対して、
「・・・注意すんのが一拍遅いのよっ!!」
曙は涙目で、烈火のごとく抗議するのだった。
パラオ泊地到着となりました
ペンキは・・・書いてるときにパッと思い浮かんだ(笑)
一応、パラオ泊地所属艦娘は、摩耶、木曾、満潮、霞、陽炎となっております
それでは、また