パラオの曙   作:瑞穂国

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作者は激怒した。必ずや、「瑞穂たん可愛いハアハア」な小説を書かねばと決意した。


モウ一人ノ提督

穏やかな海を、輸送船を伴った数隻の船団が進んで行く。艦首にあたって砕ける波は静かで、上がる飛沫も太陽に反射してキラキラとしている。

 

「気持ちいい~」

 

オートナビゲーションを設定し、艦橋トップの防空指揮所で海風を浴びる摩耶は、鼻孔をくすぐる潮の香りに大きく伸びをした。その短い髪を、涼しげな風が撫でる。降り注ぐ太陽光も、心地良い眠りへと摩耶を誘おうとする。今にも、倉庫に仕舞ってある雑魚寝用のゴザを甲板に敷いて、昼寝に入りたいくらいだ。

 

―――・・・って、ダメだダメだ。

 

重力に従い始めた瞼を感じて、思いっきり頭を振り、頬を張る。今の摩耶は、この船団の旗艦だ。当直以外でも、早々寝るわけにはいかない。

 

摩耶たちの船団が目指しているのは、南方航路の要衝フィリピン、ルソンだ。数日前にパラオに入港してきた輸送船の復路を護衛しつつ、ルソンへ向かっていた。ルソンで物資を積み込んだ船団は、護衛を摩耶たちから佐世保の部隊に引き継がれ、本土へと戻っていくことになる。

 

眠気と戦う摩耶の足を、艦橋を任せた妖精が引っ張った。そろそろ、目的地が近づいてきているようだ。

 

「ん、サンキューな。今戻る」

 

摩耶の言葉にコクコクと頷いて、妖精は艦橋に戻る。その後ろに摩耶も続いた。

 

“摩耶”の艦橋は、ガランとしている。いや、あくまでイメージ的な意味だ。実際には、見張りなどの妖精が十人ほど詰めており、運航の手助けをしている。それでも、どこか物足りない気持ちに駆られてしまう。

 

まるで何かが・・・“誰か”がいないような。

 

―――やめよう、いい加減。

 

さっきとは違った目的で、摩耶はかぶりを振る。そのまま自らの艤装の前に立ち、精神同調の準備に入った。

 

「ブレイン・ハンドシェイク」

 

途端、摩耶の頭を数多の記憶が駆け抜け、押し流す。実際には、ほんのわずかな時間。コンマ数秒にも満たない瞬間。それでも摩耶には、痛みを伴った、それなりの長さのある時間だ。瞬間瞬間を追いかけそうになる自らを、強引に現実に引き留める。

 

精神同調が終わり、閉じていた目を開く。艦橋内は、白みがかった光に満ちていた。

 

―――また、か。

 

いい加減、自分にうんざりする。

 

「精神同調完了。システム正常、舵もらいます」

 

あらゆるしがらみを無理矢理に掃き捨て、摩耶は艦の操作に集中した。

 

「祥鳳、何かあったか?」

 

船団に付き従う軽空母を呼び出す。彼女が、対空、対潜の要だ。

 

『特に何も。そろそろ、対潜哨戒機の回収作業に移るわね』

 

「おう、よろしく頼むぜ」

 

ルソンまでは、後小一時間ほど。最後まで気を抜くことなく、船団は蒼い海を進んで行った。

 

 

 

ルソンの港湾に接近し、速力を落とした船団に、誘導を担当する艦が近づいてきた。ルソン警備隊所属のBOBで、その後方にタグボートや案内船など数隻が控えている。

 

―――水上機母艦、か?

 

距離にして一万ほど。こちらへゆったりと向かってくる艦影に目を凝らして、摩耶はそう判断した。

 

ルソン警備隊は、基地航空隊と協同で航路防衛に当たっている。特に、長躯偵察と対潜哨戒など、多種多様な任務に対応できる汎用性を持った水上機母艦が、その主力となっていた。『IF作戦』に先立ってトラック環礁の偵察任務を行ったのも、ルソン警備隊の“秋津洲”に所属する二式大艇だった。

 

そんな水上機母艦が、船団入港というもっとも危険な作業中に、周辺警戒を担ってくれるのはありがたかった。

 

―――・・・にしても。

 

いつもの癖で、右手を庇のように額に当てて、摩耶はもう一度艦影に目を凝らす。どこかで見たような気がしてならなかった。

 

そんな摩耶に、まったく突然通信が入った。感極まったような、嬉しさに満ちた響きのある声だった。

 

『摩耶さん・・・!』

 

スピーカー越しではあるが、声の端にお嬢様然とした穏やかさが感じられる。澄んだ湖面に茂る葦原を揺らす、清らかな風のような声が、摩耶に何かを思い起こさせた。

 

一層艦影を注視しながら、摩耶は口を開く。

 

「お前・・・瑞穂か!?」

 

摩耶の呼びかけに、水上機母艦娘はさらに嬉しそうに、返事をした。

 

『はい・・・はい!』

 

水上機母艦“瑞穂”は、太平洋戦争で最初に失われた軍艦(艦首に菊の御紋を着けた艦艇)だ。その最後を、摩耶は姉妹艦の高雄と共に看取っていた。その時の記憶は、艦娘となった今も、艤装を通して受け継いでいる。

 

かつて、自らの前で海に帰っていった艦が、今こうしてその壮麗な姿を浮かべている。存在を誇示するかの如く、白波を蹴立てて航進している。これほど嬉しいこともない。

 

『その節は、御世話になりました』

 

改まって言われると、どう言ったものかわからず、摩耶は頬を掻きながら曖昧に答える。話題を変えようと、たわいもない話を始めた。

 

「そうか、ルソンの配属だったんだな」

 

『はい。つい一月ほど前に着任したばかりですけれど』

 

おっとりとした調子で、瑞穂が答えた。

 

「・・・元気そうで、何よりだ」

 

『ありがとうございます。瑞穂は、とても元気です』

 

一言一言、一つ一つの言葉に、今を生きている喜びが滲んでいた。そんな瑞穂の様子が、摩耶はこの上なく嬉しい。

 

上品な咳払いの後、瑞穂が少しだけ声の調子を変える。もっとも、今までのしゃべり方が素であるらしく、あまり変わっていないようにも聞こえた。

 

『周辺警戒は、瑞穂がお引き受け致します。摩耶さんたちは、ルソンへ入港を』

 

「おう、サンキューな」

 

『それでは、また後程』

 

通信が切れると、前方の“瑞穂”から零水偵が発艦を始めた。四基が装備されている“瑞穂”のカタパルトから、一機ずつ計四機が飛び立ち、周辺の対潜哨戒の任に就く。頭上を通過する羽音を頼もしく感じながら、摩耶もまた入港準備に入った。

 

輸送船に先を譲り、殿に着いた“摩耶”の横を、“瑞穂”が強速を保って通過していく。その艦橋に立ち、艦を操る艦娘を見遣って、摩耶はふっと笑みを漏らした。

 

 

 

「パラオからの護衛、ご苦労だった」

 

埠頭に上がった摩耶たちを出迎えたのは、いつもの提督―――ルソン警備隊を指揮する卓己中佐ではなく、真新しい少佐の徽章を着けた若い男性だった。確か、榊原の同期の・・・。

 

「本土へ出張中の卓己中佐に代わり、ルソン警備隊を預かっている相模少佐だ」

 

名乗りながら敬礼を解いた相模に倣い、摩耶と長波、卯月、祥鳳も右手を下ろす。途端に緊張を解いた相模は、そのまま爽やかな笑みを浮かべた。

 

「ルソンを出港するまで、後三日はある。その間、十分に骨を休めていってくれ」

 

そう言った相模が頷くと、横に控えていた二人の艦娘が前に進み出た。

 

一人は、摩耶も面識がある。パラオ開設の少し前からルソン警備隊に所属している、水上機母艦娘の秋津洲だ。人懐っこい笑みを浮かべる彼女は、いつもの特徴的な語尾で、四人の艦娘に話しかける。

 

「それじゃあ、寮の方に案内するかも。荷物を持って、秋津洲と漣について来てほしいかも」

 

秋津洲の横にいる艦娘は、漣と紹介された。特Ⅱ型―――“綾波”型駆逐艦の八番艦で、特に“綾波”型後期型とも呼ばれる。パラオ泊地秘書艦、曙の同型艦だ。言われてみれば、どことなく似ている気が・・・しなくもない。多分。

 

最低限を詰め込んだ荷物を持って、摩耶たちが埠頭から寮の方へと向かおうとした時。その背後から、先ほど聞いた声が聞こえてきた。

 

「提督!」

 

摩耶が思わず振り返ると、零水偵を回収して帰還した瑞穂が、小走りでこちらへ―――相模の方へ駆け寄ってきていた。

 

「おう、瑞穂。哨戒お疲れ様」

 

今にも抱き着かんばかりの勢いで戻ってきた瑞穂を、相模も温かく迎え、労いの言葉をかける。一目で瑞穂を大切にしていることがわかる声音だった。

 

「はい。本日も何事もなく、本当によかったです」

 

「そっか、それは何よりだ。瑞穂のおかげだな」

 

「そ、そんな。瑞穂には、勿体ないです」

 

頬を染めて照れている瑞穂に、自然と摩耶の表情も緩む。

 

と、そんな二人の様子に、溜め息を吐く者が。摩耶の横で困り顔なのは、秋津洲だ。

 

「・・・またやってるかも」

 

やれやれ、とばかりに呟くその様子は、どう見ても世話焼きなお母さんである。

 

「何だ?いつもあんな感じなのか?」

 

「まったくもってその通りかも」

 

「いいじゃんか、仲良さそうで」

 

「全っ然よくないかも!」

 

物凄い勢いで、秋津洲が反論する。摩耶が思わず仰け反るほどの、裂帛の気迫だった。

 

「毎日毎日あんな感じで!仕事させるこっちの気にもなってほしいかも!」

 

「お、おう」

 

秋津洲先輩も、何かと思うところがあるようだ。

 

「別に仲が良いのはいいことだと思うかも。でも、仕事ぐらい真面目にやってほしいかも!こっちが何も言わないと、周りにバラ園を引き連れて見つめ合ってるだけとかやめてほしいかも!」

 

説明が的確過ぎて逆にわかりにくい。

 

お酒が入っていない状態でこれである。今夜あたり一緒に呑もうものなら、物凄い勢いで愚痴を吐かれること間違いなしである。早急に呑ませて潰すと、摩耶は心の中に誓った。

 

なお、その晩のお酒の席で、仲睦まじく酌を酌み交わす相模と瑞穂に、秋津洲先輩の中で何かのリミッターが吹き飛んだのは、また別の話である。

 

 

「護衛を引き継ぎまーす!那珂ちゃんダヨー!」

 

佐世保から来た船団護衛の引き継ぎ相手は、元気溌剌を通り越した何かで、そう言った。“川内”型軽巡洋艦三番艦、艦隊のアイドルを自称する那珂だ。摩耶とは、佐世保時代の知り合いである。

 

「よう、那珂。相変わらず元気だけはいいなあ」

 

「もう、摩耶ちゃん!『だけ』は余計だよ!」

 

「ははは、わりいわりい」

 

端から見ればふざけた態度だが、本人が「地方巡業の星」と言うだけあって、船団護衛の経験は豊富だ。過去に、何度も敵潜水艦やはぐれ艦隊の襲撃から船団を守ってきた。日本海軍最強軽巡と言われる“川内”型、その三番艦は伊達ではないのである。

 

それに、那珂の歌う歌は、不思議と元気が出るということで、船団に参加する輸送船やタンカーの乗組員たちにも好評であった。アイドルの底力、恐るべしである。

 

「今回も、『地方巡業』、無事成功させてくれよ」

 

「もちろん!まっかせといてよ」

 

そう言って、那珂は胸を張った。

 

輸送船団が出港すれば、次は摩耶たちの番となる。それぞれのBOBに乗り込んでいく那珂たちを見送りながら、摩耶たちも出港の準備に入った。とは言っても、寮から荷物を撤収してくるぐらいだが。

 

全ての準備が整い、摩耶たちは埠頭に並ぶ。その前には、見送りに来た相模、瑞穂、秋津洲が立っている。

 

加えて。もう一人、相模の隣に、最低限の荷物を抱えた、同じような第二種軍装が立っていた。

 

すらっとした長身。細身の眼鏡に、それに見合った切れ長の目。短く揃えられた髪。いかにも切れ者といった風貌の、海軍少佐だ。

 

輸送船団の護衛。それとともに、帰りは彼をパラオへ連れていくことが、摩耶たちがルソンまで来た目的だった。

 

一歩前に進み出た将校は、見惚れてしまうほどの鮮やかな敬礼を決めて、単刀直入に名乗った。

 

「清水隆之少佐だ。以後、よろしく頼む」

 




可愛い瑞穂たんは、これからも出していくつもりです

(秋津洲先輩の胃が大破しそう)

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