梅雨グラでぼのたんのかわいさに拍車がかかる今日この頃
休日ト改装
『IF作戦』の終結から早二週間。パラオ泊地には、穏やかな時が流れている。
今日も今日とて、頭上の太陽から燦々と光が降り注ぐ。文句なしの快晴だ。気温は高いが日本の夏ほどではなく、過ごしやすい日和と言えた。
が、パラオ泊地提督の榊原には、そんなものを気にしている暇などなかった。
「はい、提督。あーん♪」
店舗の外に並べられた、プラスチック製の白い簡易机。そこへ榊原と向かい合うようにして腰かける黒髪の美女が、いっそ清々しいくらいの満面の笑みで、スプーンに乗ったパフェのアイスを差し出してくる。ちなみに、本当にちなみにだが、それはさっきまで彼女がパフェを食べていたスプーンである。
―――何なんだ、この状況は。
作戦前に海水浴へ行った時以上の何かを、榊原は感じていた。
加えて。その感情に拍車をかけるのが、私服姿の祥鳳の後ろに見える人影だった。あれで隠れているつもりなのだろうか、物陰からは、明らかにこちらを窺っている、長い茶髪がのぞいていた。
変装用に眼鏡をかけている大和は、榊原と祥鳳の方をジッと見つめていた。
―――どんな拷問なんだ、これは。
溜め息を吐きたいのを、榊原はグッと堪えた。今日は、作戦前に約束していた通り、祥鳳と一日外出中なのだから。
「提督?どうしました?」
祥鳳は笑顔を崩すことなく、スプーンを差し出してくる。明らかに、大和が後ろで見ているのを知ってやっているらしかった。榊原の胃は、マッハで痛くなっていく。悲鳴を上げる時は近い。
「い、いや。何でもない」
「ならいいです。はい、あーん♪」
差し出されるスプーンの上のアイスを、おずおずと口にする。まさか提督になって、それもパラオ泊地に着任して、女性から「あーん♪」をされることになるとは、思いもしていなかった。
こんな時でも、アイスは冷たく、甘い。舌の上でとろける香りが、たまらなくおいしい。ここ最近食べていなかっただけに、少し感動ものだ。
「うまいな」
「よかった。それじゃあ、次は提督のクレープをください」
「いいぞ」
榊原が差し出したクレープに、祥鳳は上品にかぶりつく。潤った唇に、生クリームが付いていた。それを拭き取る仕種も、大人っぽい艶がある。
何だかんだと思うところはあるが、一応榊原は、祥鳳との休日を楽しんではいた。
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
帰りがけ、祥鳳はそう言って笑った。二人の手には、途中で寄った市場で仕入れた、今夜の食材が紙袋に入ってぶら下がっている。
「俺の方こそ、楽しかった。ありがとう、祥鳳」
榊原も笑う。祥鳳は照れたように、その頬を赤く染めていた。
「また行きましょうね」
「“また”、どこに行くんですか?」
二人の会話を遮る声は、パラオ泊地庁舎の正門の方から聞こえてきた。そろそろ沈もうかという太陽をバックに、まるで往年の刑事ドラマのようにして、長い髪がなびいていた。
大和だ。いつの間にか尾行をしなくなっていたと思ったら、やはり先に帰っていたようだ。
「た、ただいま、大和」
若干声が引きつりながらも、榊原は大和に呼びかける。薄くオレンジがかった景色の中で、大和がニコリと微笑んだ。
「お帰りなさい、提督」
それから、ヒールの音も高らかに、榊原と祥鳳の方へ歩み寄ってくる。
海水浴の時にも感じた、あの嫌な予感が、榊原の脳内を駆け巡っていた。
「荷物、お持ちしますね」
ギュムッ
―――・・・ジーザス。
事態は、案の定の方向へと動き出した。荷物を持っていた榊原の右手に、大和がピッタリと体を密着させてくる。おかげで、柔らかい超弩級のそれが、思いっきり榊原の二の腕に当たっていた。完全に確信犯である。
大和と祥鳳の間に、プラズマ放電が起こる様が見えた気がした。
「・・・提督、」
やはり、祥鳳は動いた。
「荷物が重いので、一緒に持っくれませんか?」
ムニュッ
―――・・・おお、神よ。
空いていた左腕に、祥鳳が取り付いてくる。いつもと違う私服は、弓道着よりも薄く、祥鳳のたわわなそれの存在感を余すところなく伝えてくる。完全に確信犯であった。
「提督?大和は、今日一日、お二人がどこでどんなことをしていたのか、お聞きしたいです。今後の参考のために」
―――今後の参考って、何だ・・・?
「二人で仲良く街を歩いたり、おしゃべりしたり、お買い物をしたり、ご飯を食べただけですよ」
祥鳳が答える。
「他には手を繋いでみたり、ちょっとイチャついてみたり、デザートを食べさせ合ったりしましたね」
根も葉もない、でっちあげである。・・・最後の一つを除いて。
「ふーん。・・・ふーん」
聞いていた大和も、一部始終は見ていたはずである。二の腕に押し付けられる胸の圧力が高まり、二人の間に散る火花は益々大きくなる。このまま燃料庫に近づけば、大爆発してパラオ泊地が消滅するかもしれない。深海棲艦万々歳である。
榊原は天を振り仰いだ。だれか、今の状態から自分を救い出してくれる者はいないのか、と。
彼の願いに応えてか、救いの手は颯爽と現れた。
「何してんの、あんたら」
呆れが多く混じった声と共に、往年の西部劇よろしく、大きな夕陽をバックにして立っている影があった。顔の右側から流れる群青の髪に、橙色の陽光がキラキラと反射する。榊原には、彼女が女神に思えた。
ゆっくりと三人の方へやってきた曙が、静かな目で榊原を見つめる。
「た、ただいま、曙」
「おかえり、クソ提督」
そう言った曙は、両目を細めてさらにこう付け加えた。
「両手に花でよかったじゃない」
この状況でなければ、榊原ももっと素直に喜んでいたかもしれない。
「ほら、いつまでもコバンザメみたいにくっついてんじゃないわよ。さっさと食堂に持って行く」
深い溜め息を吐いた後、曙は強引に大和と祥鳳を引き剥がし、荷物を持たせて食堂へせかす。駆逐艦とはいえ、さすがはパラオ泊地の秘書艦。有無を言わさぬ様子に、二人は渋々といった様子で、買ってきた食材を食堂に運んでいった。
「・・・助かった」
「・・・ふんっ、別に。クソ提督が祥鳳とクレープを食べさせ合おうが何しようが知ったこっちゃないわよ」
ばれている。
「で、ここからが本題。技師長が呼んでたわよ」
「そうか、わかった。わざわざありがとう」
「終わったら引っ張ってきなさい。あの人、何かに没頭するとすぐ他のこと忘れるから」
「そうするよ」
技師長の用件は大体わかっていた。榊原は、彼女が詰める工廠へと駆け足で急いだ。
夏川技師長の研究室は、電灯が最低限しか入っていなかった。というより、人の気配が全くしない。訝しみながらも、榊原は部屋の中に足を踏み入れた。
机という机に、資料が山のように積まれている。時折見えるスペースは、何かの作業場なのだろうか。パソコンが置いてあったり、謎の削りカスが散らばっていたり、ペンギンが鎮座していたり。不可解そのものであった。
「夏川技師?」
「・・・んあ?」
榊原の呼びかけに、間の抜けた返事があった。声のした方を覗き込むと、資料の山に埋もれるようにして、くたびれた白衣が動くのが見えた。やがて資料の山の向こうから、細身の眼鏡をかけた顔がのぞく。
一瞬、榊原は我が目を疑った。
「ああ、榊原君か。来るの早いねえ」
口調で辛うじて夏川だとわかる。榊原がこれほどまで驚いたのは、彼女の容姿だ。普段ぼさぼさの髪が、今日は綺麗に整えられ、肩口で揃っている。
榊原の視線に気づいたのだろう。夏川は照れたように髪をいじった。
「・・・やっぱり、似合わないかなあ」
「いえ、そんなことは。すごく、似合ってます」
「そうかな?」
髪をいじっていた手で頬を掻き、夏川は益々照れた様子で微笑する。
「ありがと。せっかくご招待にあずかったから、髪ぐらいは整えようと思ってねえ」
同じ工廠部の女性技師に切ってもらったらしい。逆に、普段はどうしているのかの方が気になってしまった。
こほん。場の空気を入れ替えるように、夏川は咳払いをした。
「それで、君を呼び出した用件だけど」
資料の山の頂上辺りに置かれていた書類の束を、夏川が榊原の方に放った。三つのクリップで止められたそれらのうち、一番上にあるものを榊原はめくる。
「まず、君に頼まれていた、二五ミリ機銃の改修の件。基礎研究が終わって本格的な改修作業に入れそうだから、その報告」
「終わったんですか」
夏川の仕事の早さに、榊原は目を見張った。
工廠で開発できる装備には、限界がある。そこで、開発された装備のさらなる性能向上を図るのが改修と呼ばれる作業だ。ところが、これがなかなかに難しい。ブルーアイアンという人智を超えた金属でできている装備を、人間が望むように手を加えるのだから。
実際海軍工廠部は、三連装魚雷発射管を酸素魚雷に対応させるために、数か月という時間をかけている。魚雷発射管と機銃という違いこそあれど、夏川はその作業をわずか二週間で終わらせてしまったのだ。
「主な改修点は二つ。三連装や連装機銃座は、全銃身が同時に発砲する」
それまでの二五ミリ機銃は、各銃身が交互に撃つ仕様だ。これでは、せっかくの三連装でも弾幕が薄くなってしまう。これを、全銃身が同時に撃つ仕様に変更したのだ。
「そして、機銃指揮装置と連動した簡易計算機の搭載。これで、命中率は格段にアップするはずだ」
これはすなわち、機銃の指揮を手動から主砲と同じ機械式へ切り替えたことを意味する。数基の機銃が同一目標に向けて同時に発砲するため、弾幕はさらに厚くなる。
「重量増加に伴う旋回機構の改良も問題ない。ただ、ベルト給弾方式については、まだ研究が必要だね」
―――まさに神の手だな。
夏川の解説を聞きながら資料をめくっていた榊原は、戦慄にも似た衝撃が背中を走るのを感じていた。
「ついては、この改修型機銃を試験搭載するBOBが欲しい。できれば、駆逐艦が」
「わかりました。相談してみます」
「ん、よろしく。それとこっちだけど」
夏川はさらに、もう二つの書類を示した。
「BOBの大規模改装に関する資料ね。“摩耶”と“木曾”の分を用意してる。こっちも、本人たちに改装を受けるか否かの確認を取っておいてほしい」
BOBの大規模改装。それは、精神同調率が高く、安定している艦娘にのみ許されるものだ。普通は、多くの経験を積むことで、艦娘が精神同調に慣れ、可能になるものだった。ただ、艦体や装備等に大幅な変化が加わり、場合によっては改装後の精神同調へ大きな負担がかかるようになるため、あくまで艦娘の任意ということになっていた。
人類側の技術で、この精神同調の負担をある程度軽減はできる。が、その程度は艦娘によってまちまちであり、やはり改装時にはかなりの覚悟が必要だった。
『“摩耶”大規模改装試案』『“木曾”大規模改装試案』
そう書かれた書類を、榊原は神妙に受け取った。
「まあ、まだ試案の段階だから」
よく考える時間をあげて。最後は優しげに、夏川はそう言った。
「伝えておきます」
「ん。さて、これで用件は終わり」
くたびれた白衣を脱いだ夏川は、それを椅子の背にかけた。
「すぐに着替えてくるから。先に行って待っててよ」
「はい。お待ちしてます」
榊原にひらひらと手を振って、夏川は部屋の奥の更衣室へと入っていった。
今日は、パラオ泊地全体での食事会だ。開設から四か月、思えば泊地の人員全員が顔を合わせる機会はなかった。『IF作戦』も一段落を迎えたことだしと、艦娘たちから提案があって、立食形式のパーティーが実現したのだった。
三つの書類を抱えたまま、榊原は研究室を後にする。食堂で待つ賑わいに、今は心を弾ませていた。
後書きに
書くこと悩んで
何も出ず
詠み人、作者