話は、第二部(勝手に命名)に向けて進んで行きます
「ねえねえ、そこゆく将校さん」
パラオ泊地の食堂で夕食を終えた塚原の背後から、聞き覚えのあるおどけた口調が聞こえてきた。最早、誰かなどと聞かなくてもわかる。塚原の同期であり、猛将と名高い女性将校を、彼は振り向いた。
「なんだ、角田」
「ちょっと塚原、もうちょっと気の利いた答え方はできないのかな?」
角田は黒髪を揺らしてへらへらと笑っている。以前は癪に障ったものだが、今は特に気にはならない。慣れというのは恐ろしいものだと、塚原は常々思っている。
「うら若き美女が、君に話しかけてくれたんだよ?もっとこう、『どうしましたか、お嬢さん』みたいなことは言えないのかな?」
こいつは。角田はこういう奴なのだ。
「・・・用がないなら行くぞ」
こいつにはこれで十分だ。踵を返した塚原を、角田は苦笑しながら引き留めた。
「ごめんごめんって」
その仕種に、作っている様子は微塵もない。これを天然でやっているのだとしたら、全くもってタチの悪い奴だ。比叡の気苦労が知れる。
―――俺の皺が増えたら、間違いなくこいつのせいだ。
溜息を吐きながらも、結局この同期の話を聞いている自分は、余程のもの好きなのだろうか。
「で、なんだ」
足を止め、角田を振り返る。彼女の顔には、いつもと変わらない朗らかな笑みが浮かんでいた。
「話、聞いてくれるんだ」
「俺がお前の話を聞かなかったことがあるか?」
「たまに無視して、どっか行こうとするよね?」
「結局、お前が強引に聞かせるだろうが」
こめかみの辺りを押さえたい衝動を押し殺す。角田の笑みは益々大きくなった。
「いいから。さっさと用件を言え」
何かを誤魔化すように、塚原は角田を急かす。
「ああ、うん。そうだね」
話を始めようとした角田が、ほんの一瞬言い淀むような間があったことを、塚原は見逃さなかった。角田には珍しい。そしてこいつが一瞬言い淀むような時は、大抵深刻な内容であることも、塚原は知っている。
表情に出ないように気を付けながら、塚原は内心を引き締めた。
チラリ。角田が周囲に目を遣り、もう一度塚原を見据える。
「えっと、塚原に相談があるんだけど」
「・・・相談?」
角田の口から、まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「そう。相談」
「珍しいこともあるもんだな。明日辺り、大雨になるんじゃないか」
「茶化さないでくれよ」
角田が可愛らしく頬を膨らませる。
「いいぞ。俺が聞いて、解決できるようなことなら」
「うん。ありがとう」
これまた珍しく、柔らかな笑顔で角田は微笑む。妙に気恥しくなった塚原は、わずかに視線を外して、尋ねる。
「場所を移すか」
「・・・その方がいいかもね」
角田の同意を受けて、塚原はどこかに手隙の部屋がないかと、廊下を歩き始めた。
見つけたのは、多目的室と表札の出ている部屋だった。中はペンギンやら謎の雲やらのぬいぐるみらしきものが詰まった段ボールが一杯だ。中から鍵がかけられるので、丁度良かった。
「海側か」
夕食を終えても、パラオの太陽はまだ沈んでいなかった。大きく西に傾いた陽の光が室内に差し込んでいる。海側に面した窓から、オレンジに染まった海面がよく見えた。
窓際に立った塚原の横に、角田も寄せる。二人は揃って、海を眺めていた。
「えっと・・・話を始めてもいいかな」
わざわざ確認を取るような間柄でもないのに。やはり何か、非常に重い案件らしかった。
「ああ」
塚原は短く答える。それを受けて、角田が口を開く気配がした。
「今回僕たちは、トラックにある深海棲艦の拠点―――つまり艦隊の整備を行うための港湾施設を破壊し、同方面での深海棲艦の活動を抑えることを目的とした」
「そうだ。遊撃部隊を率いたお前は、施設の破壊に成功し、さらに建設途中だった飛行場も撃破した」
作戦の要を、角田は十二分に果たしたのだ。
むしろ塚原としては、状況が状況だったとはいえ、敵機動部隊の殲滅まで遊撃部隊に依頼してしまって、申し訳ない気持ちもある。否、申し訳ないとは思っていないが、いらぬ手間は増やしたかもしれない。
「うん・・・。そう、だね」
塚原の答えに、角田は曖昧な影を落としたまま頷いた。横顔からは、それしか窺えない。角田が抱えているものは何なのか、相談の内容はどんなものなのか、塚原には掴めなかった。
待つしかない。今、角田が話してくれることを待つしかない。この同期を急かす必要がないことは、塚原が一番わかっていた。
案の定、角田が悩んでいた時間は、さほど長くなかった。夕陽の空を見つめたまま、角田は告げる。
「違うんだよ、塚原」
「・・・何がだ」
何が、違うと言うんだ。
「トラックの港湾施設を破壊したのは、僕たちじゃない」
塚原は我が耳を疑った。それくらいに、角田の言葉は衝撃的だった。だが、その驚きを大っぴらに表に出さないだけの精神力を、塚原は持ち合わせているつもりだ。
意図的に軽く息を吐き、角田に尋ねる。
「どういうことだ」
夕陽から目を逸らすように塚原を捉えた角田の双眸は、橙色の困惑に染まっていた。
「僕たちが水道に突入した時には、すでにほとんどの港湾施設が破壊されてた」
普段に見られない、淡々とした口調で、角田は語る。
「最初は、一機艦の第一次攻撃が、破壊したのかと思った。でも、違うよね?一機艦は、あくまで敵艦隊誘因のために、トラックに強襲をかけたに過ぎない。あそこまで徹底的に港湾施設を叩く余裕はなかったはずなんだ」
「その通りだ」
現に塚原は、第一次攻撃の目標を、敵警戒艦隊に集中するよう指示を出していた。敵機動部隊に備えるのが第一であり、そのための戦力を温存しなければならなかった以上、目標を警戒艦隊か港湾施設のどちらかに絞る必要があった。
「第一次攻撃隊の報告によれば、基地港湾施設には“彗星”隊の半数程度が攻撃をかけただけだ。その攻撃は、ドックに集中している。以降、港湾施設への攻撃は行っていない」
「やっぱり、そうだよね」
この答えは、角田も予想していたらしい。
「話はそれだけじゃないんだ。環礁内に突入するまで、僕たちが受けた襲撃は一回だけ。それも、まるで残存のかき集めみたいな、小さな部隊だった」
「・・・それも、おかしな話だ」
第一次攻撃前、黎明を狙ってトラック環礁に放たれた偵察機は、最低でも六つの警戒艦隊が展開していたことを確認している。いずれも重巡や大型軽巡を中心とした部隊だ。
第一次攻撃隊が叩いたのは、この内の三つだ。戦果報告では、一つの警戒艦隊を撃滅し、二つに大きな損害を与えている。撃沈したのは、重巡三隻、軽巡二隻、駆逐四隻だ。つまり深海棲艦のトラック艦隊は、少なくとも後四個警戒艦隊分の戦力は残していたことになる。
それなのに、遊撃艦隊は、襲撃をわずか一回しか受けなかったというのか・・・?
「考えられる可能性は、一つしかないと思うんだ」
オレンジが益々強くなった陽光の中で、角田は指を一本立てる。その先に彼女が何を言おうとしているのかは、塚原も理解することができた。
考え得ることは一つだけだ。
「トラック沖には、僕たちと深海棲艦以外にも、少なくとももう一つの勢力がいた。おそらく、機動部隊が」
角田の確信に満ちた指摘に、塚原は頭の中で地図を広げる。
一機艦が実施した索敵の範囲、予想される「もう一つの勢力」の空襲可能半径、一制艦とトラック戦艦部隊の戦闘海域、それらを加味すると、正体不明の機動部隊の居場所を、おおよそ予測することができる。
「トラックの南方面海域が、手薄だ。いたとしたらそこだな」
「そう。でね、もう一つ重要かもしれない情報があって」
吹雪は、その艦隊のことを知っていて、何らかの連絡手段も持っている。
これには、塚原も眉をひそめて、怪訝な表情になった。
「吹雪は、敵警戒艦隊が何者かによって撃滅されていたことを、知ってた」
「なるほど。警戒艦隊を撃滅した何者かから連絡を受けていたから、そのことを知り得た」
「そういうことになるね」
塚原はあごに手を当て、考える。
「・・・大出力の電波は、連絡手段に使えないな」
そんなことをすれば、吹雪の乗っていた“川内”よりも前に、“比叡”や一制艦の戦艦群が電波を捉えてしまう。とすれば他の手段だ。
「使うなら航空機、あるいは潜水艦か」
「待って待って、航空機?潜水艦ならともかく、これ見よがしに遊撃艦隊に迫ってくる航空機があったら、僕たちも気づくよ?」
「帰還する第一次攻撃隊に紛れればいい」
角田が目を見開く。
「・・・その手があったか」
「まあ、今となっては、どんな手段で連絡を取ったのか、確かめようがないけどな」
それはひとまず置いておこう。塚原の気になることは、他にもあった。
「もう一つ気になるのは、仮にもう一つの勢力が機動部隊だったとして、艦隊の拠点はどこにあるか、ということだ」
機動部隊参加の空母は、そのほとんどが本土の鎮守府に所属している。そのうち、“蒼龍”、“飛龍”、“千歳”、“千代田”の四隻はインド洋攻撃に参加しており、“翔鶴”、“瑞鶴”はカタパルト設置を含めた改装中だ。トラックを叩くことはできない。
現在本土に残っているのは、練習空母の“鳳翔”と軽空母の“龍驤”だけであり、当然この二隻の搭載数では、トラックの港湾施設を壊滅させることなどできない。航空の専門である塚原の計算では、トラックの港湾施設を一日で壊滅させるために必要な艦載機は、正規空母二隻分は必要なはずだ。
この時点で、塚原は火力部隊による港湾施設の破壊を可能性から除外している。火力部隊が角田たちよりも先にトラックに突入しようとするなら、一機艦の索敵網にかかるはずだ。
「正規空母を運用するなら、それなりの施設と設備がいる。それに、護衛艦も必要だ。それだけの施設を持っている泊地や基地は、かなり限られてくる」
現在、トラック周辺―――つまり南太平洋の防衛を主に担っているのは、日本海軍だ。米海軍は、ルソンに基地航空隊と、オーストラリアに警備艦隊がいる程度となっている。
「・・・いずれにせよ、その艦隊の母港は、南太平洋にある可能性が高いねえ」
角田が言った。
「確かめる方法があるかもしれない」
塚原の脳裏に、ある方法が浮かんだ。
塚原は、艦隊を預かる提督だ。不確定要素は減らしたい。正体不明の艦隊が、何を目的としているのか。その目的が、塚原たちと一致するなら、重要な戦力となるかもしれない。
まず何にしろ、その艦隊の居所を突き止める必要がある。
「ルソン警備隊のあいつに、頼んでみたらどうだ」
「あいつって・・・卓己くんのこと?」
「そうだ。ルソンは、南太平洋で一番大きい索敵能力を持っている。正体不明の艦隊がトラック周辺を活動域とするなら、また現れた時に捕捉することも可能なはずだ」
卓己中佐は、塚原たちの同期だ。成績はずば抜けて高かったわけではないが、高い語学力と対話能力を買われて、米軍との共同運用となるルソンを任されていた。基地航空隊ともパイプのある彼なら、ある程度融通を利かせてくれるかもしれない。
「で、卓己くんには何て説明するの?」
「ありのままを話すしかないだろう。あいつは、そういうのを無暗に公言するような奴じゃない」
「まあ、そうだよね」
角田は頷いて、夕陽に再び目を向ける。太陽はすでに半分以上が水平線に消えていた。
「話してもいいか。卓己に、今お前が言ったことを」
―――わざわざ確認することでもないのに。
今日の俺は、やはりどこか変だ。
「いいよ、もちろん」
角田は了承した。
「さて、どうやって伝えに行くか、考えないとな」
塚原の提案に関する問題はそこだった。この案件は、直接ルソンに伝えに行くしかあるまい。だが塚原には、そんなことをすることはできなかった。
考え込む塚原に答えを示したのは、隣に立つ角田だった。
「・・・あるよ、伝える方法」
「何?」
「もう二人、この話に巻き込むことになるけど」
「もう二人?」
太陽は完全に海の向こうへと消えた。訪れた夜闇の中、角田の語った方法に、塚原は大きく目を見開く。だが、その提案に賛意を示した。
大きなうねりが、二人の提督を巻き込んでいきます
そのうねりに、榊原たちもまた関わりを持つのです