最終的な“曙”の被弾は七発を数えた。その全てが八インチ砲弾だ。駆逐艦には、なかなかに荷の重い被害である。ブルーアイアンの強制活性化をもってしても、どの程度対処できたのかは定かではない。
距離が縮まるにつれて、大破した“曙”のディティールが繊細に見て取れるようになった。海面を赤々と照らしだす炎が燻る後甲板の惨状を見て、榊原は顔をしかめた。
二基ある後部砲塔のうち、二番砲塔は完全に爆砕され、跡形もなく消え去っている。残存の三番砲塔も、砲身があらぬ方向を向いており、最早射撃が不可能であることは明白だった。
「接舷作業に入ります」
緊張の面持ちで大和が告げる。停船している“曙”に対して、“大和”の巨体が迫っていた。
「甲板に出て待っている」
「はい。そうしてください」
事態は急を要する。早急に“曙”へと乗り移るべく、榊原は眼下の“大和”甲板へと下りることにした。
艦橋のほぼ中央にあるエレベーターの扉を開き、中へと入る。工事現場の昇降機を思わせるむき出しのエレベーターが動きだし、榊原を上甲板へと運んでいった。その先の廊下を少し進めば、夜の甲板へと出ることができる。
一番副砲塔の基部辺りから艦外へ出た榊原は、辺りに立ちこめるむっとした空気に、思わず制服の袖を口元に当てた。すでに惰性だけで動いている“大和”の右舷前方、目と鼻の先に“曙”がいる。燃え盛る後甲板の熱気が、ここまで伝わってきているのだ。
―――魚雷は大丈夫か!?
額を汗が伝う。魚雷に誘爆してしまったら目も当てられない。
“大和”所属の妖精たちが、甲板の端に集まって、必死に“曙”へ手を振っている。数名がかりで太いロープを持っており、あれで繋ぐらしかった。
幸いにして、“曙”所属の妖精たちも健在だった。あちら側の後甲板では何人かが消火活動を始めており、艦の緊急時において、迅速な対応を取っていることが分かった。
一人の妖精が、“曙”のマストに立っている。手旗信号で何かを伝えてきた。
「ゼ・ン・カ・ン・パ・ン・セ・ツ・ゲ・ン・ヨ・ウ・イ・ア・リ」
前甲板接舷用意あり。被害のない前甲板と接舷しろということらしかった。
“大和”の妖精たちが、了承の意を伝える。それから、両艦の妖精たちは、接舷に備えて甲板のへりから離れた。
“大和”程の巨艦ともなれば、その周囲に生じる水流の強さは凄まじい。惰性で進んでいる今でも、停船中の二千トンに満たない小艦艇を、自艦に近づけるぐらいの強さはあった。
じりじりと、互いの距離が縮まっていく。もう少しで、“大和”舷側の緩衝材が“曙”の舷側に触れようかという頃合いで、“大和”側の妖精が、細いロープをもって思いっきりジャンプした。甲板の高さの差も手伝って、彼はひらりと“曙”の前甲板に舞い降りる。
次の瞬間、二艦の舷側がぶつかった。緩衝材がひしゃげ、衝突のエネルギーを受け止める。わずかな横方向の揺れを感じながら、榊原は接舷作業を待った。
先程“曙”側へ乗り移った妖精と、“曙”の妖精たちが、細いロープを手繰り寄せる。その先は太いロープと結ばれており、両艦を繋ぎ止める。
接舷が確認されると、縄梯子が降ろされた。妖精たちが一斉に榊原の方を振り向き、促す。これで乗り移れ、ということらしかった。
「ありがとう」
それだけ言って、榊原は縄梯子を降り始める。目測で五メートル以上ありそうな乾舷の差を、不安定な縄梯子を踏みしめ、一段一段降りていく。時折艦が揺れ、それとともに縄梯子も揺れる。想像以上の難しさだ。
それでも、何とか降りきって、“曙”の甲板に足を着ける。
「大和、こちらは乗り移った」
持参した無線機に呼びかける。雑音交じりの返答があった。
『了解しました。こちらは、消火活動を行います』
「よろしく頼む」
ほどなく、各艦から消火作業が行われるはずだ。
無線を切って、榊原は走り出す。目指すのはもちろん艦橋だ。ラッタルの手すりを掴み、強引に上っていく。
開いた扉の先、羅針艦橋の中に、曙はいた。天井から提がる艤装にもたれるようにして、ピクリとも動かない。その側で、妖精が一人、心配そうにしていた。
真っ先に妖精が榊原に気付く。彼の仕種だけで、「急いで」と言っているのがわかった。
「曙、大丈夫か」
頭に負傷があっては大変だ。下手に揺すらないように細心の注意を払って、榊原は曙に呼びかける。顔の前にかざした手には息がかかったし、首筋の脈もある。大丈夫だ、少なくとも生きている。それを確認した瞬間、言いようのない脱力感が榊原を襲った。
ともかく、ここで取り乱すわけにはいかない。気力を保ち、榊原はもう一度呼びかけた。
「曙、しっかりしろ。目を開けるんだ」
ピクリ。苦悶に歪んだような曙のまぶたが動いた。長いまつ毛がゆっくりと開かれ、焦点のはっきりしない瞳が榊原を捉える。
「・・・クソ・・・提督」
「そうだ。俺だ」
意識が朦朧としているのだろう、どこか現実味のない視線がきらめき、垂れ下がっていた右手が上がってくる。
「なんで・・・ここに・・・」
「・・・わからない。でも、今、俺がいるべきなのはここだと思った」
榊原としても、それ以外に答えようがなかった。
曙が目を見開いた。それからフッと頬が緩み、優しく笑いかける。
「何それ。ほんと・・・バッカじゃないの」
「ああ。そうかもしれないな」
自然と榊原の表情も綻ぶ。やはり、曙は榊原にとって、特別な艦娘だった。
艤装に体重を預けていた曙が立ちあがる。
「よっこいせ」
「大丈夫なのか?頭打ったり、どこかに怪我はないか?」
「大丈夫よ、私自身に問題はないわ。ちょっと、強制活性化の負荷で、気を失ってただけだから」
やっぱり、吹雪は凄いわね。そう聞こえた曙の呟きの意味は、榊原にはわからなかった。
「各部の状況を聞かせてほしい」
たったそれだけの指示で、曙は榊原の欲している情報をくれた。
「精神同調率低下、現在四十三パーセント。戦闘は無理ね。各種兵装は、気を失う前に対火災処置をしておいたわ」
「それじゃあ、魚雷は?」
「投棄済み。誘爆なんてしないわよ」
榊原は胸を撫で下ろす。これで、一番の問題は解決したわけだ。
「後甲板の損害は、主砲塔一基喪失、一基大破。舵とスクリューに問題はなし。火災は・・・もう少しで、鎮火する」
パラオ所属の各艦から、消火活動が行われているのだ。曙もそのことを知ったのだろう。
「航行はできるか?」
「問題ないはずよ」
「わかった。消火活動が終わり次第、航行の準備に入ってくれ。一機艦と合流する」
笑顔を湛えて、榊原は言った。
「帰ろう。パラオ泊地に」
ところが、ことはそう簡単に進まなかった。精神同調率の低下した状態では、艦を動かすことで精一杯だ。まして曙は、その前にブルーアイアンの強制活性化を行っており、心身共に大きな負荷がかかったばかりだった。
「ぐ・・・っ!」
艦体を動かそうとした瞬間、曙が苦悶の表情を浮かべる。
「辛いのか?」
「大、丈夫・・・よ」
機関の動きと、スクリューが回転を始める振動が伝わる。“曙”がまさに息を吹き返そうとする中、その艦娘たる曙だけは、額に玉のような汗を流していた。
「あっ・・・ぐ・・・っ!う、ご・・・け・・・っ!」
それでもなお、艦を動かそうと歯を食い縛る曙の隣で、榊原はただ、きつく両手を握り締めているしかなかった。
“曙”が、わずかながら前進を始める。少しずつ、微速にすら満たないほどの速度で、さざ波を乗り越える。
「クソ、提督・・・!」
突然、曙が榊原を呼んだ。
「どうした」
「・・・手」
スッ。曙の、小さな手が差し出された。
「繋いで」
一も二もなく、榊原はその手を取った。見た目のまま、榊原の手にすっぽりと収まってしまうほど、小さな手だ。それでも、そこから伝わる覚悟と決意は、何よりも強く逞しい。榊原を―――否、パラオ泊地を支える、頼れる仲間の手だった。
曙の手に力が入る。心持ち、機関の上げる唸りの調べが、高鳴った気がした。
行ける。榊原は直感した。
その直感を裏付けるように、“曙”の速力が少しずつ上がり始めた。微速を超え、やがて半速、ついには原速を回復する。一度走り出してしまえば、艦体の周囲に生じる水流と慣性の法則が、“曙”の動きを支えてくれた。
曙の前髪が、汗で額にへばりついている。手を握り、彼女の荒い呼気すら聞こえてくる榊原もまた、額に水滴が伝うのを感じた。
『いいぞ曙!その調子だ!』
並走する摩耶が、榊原の無線機越しに励ます。その声を聞いたからか、曙は益々速力を上げた。
十分ほどの時間が経過した時、一機艦から離れていた“曙”たちは、ついに輪形陣へと到達した。卯月を連れて先に戻っていた霞が、彼女たちを出迎える。無線に届いたその声は、端がわずかに震えて聞こえた。
「オートナビゲーションを設定」
艤装が自動航行モードに切り替えられる。これで、曙の仕事は終わりだ。
精神同調を切り、艤装を脱いだ曙は、そのまま榊原の方へと倒れ込んできた。全身を火照らせて、滝のように汗をかいた彼女の制服は、ぐっしょりと湿っている。
「しばらく、寝るわ」
荒い呼吸の中で、それだけ告げた曙は、そのままゆっくりとまぶたを閉じる。安らかな寝息とともに、その体から力が抜けていく。
曙を抱きとめた榊原は、乱れた前髪を整えながら微笑む。先ほど繋いだ手から伝わってきた、鬼気迫る軍人の気迫。その時と同一人物とは思えないほど、華奢で軽やかな彼女の体。柔らかな寝顔。
「・・・よく、やってくれた」
自らの身を賭して、仲間を守った曙。その心意気に敬意を表する。
妖精たちに後を任せ、榊原は曙を抱きかかえる。特に鍛えていたわけでもない榊原でも、軽々と持ち上げて、ラッタルを降りることができる。そのまま、艦橋直下にある仮眠室に寝かせるつもりだった。
美しき月の女神が見守る中、“曙”たちはパラオ泊地への帰路を急いだ。
ここに、第一次トラック攻勢と、それに伴う各戦闘は終了した。日本海軍は、決して小さくはない損害を負ったものの、一隻の喪失艦も出すこともなく、トラック守備の敵艦隊を撃滅することができたのだ。
それ以外にも、大きな収穫を得ることができた。
深海棲艦の陸上基地建設。どういう手を使ってか、深海棲艦はその触手を、ついに陸上まで伸ばしてきた。
奴らは進化する。人類も艦娘も、想像しえない方向へと。それを、榊原、そしてパラオ泊地所属の艦娘たちが知るのは、まだ先―――しかし、そう遠くない日のことだ。
第一次トラック沖海戦が終了次第、しばらく更新を休止する予定です
その間に、他作を少し整理したいと思います