パラオの曙   作:瑞穂国

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トラック戦も、まもなく終了します


守リタクテ

強制接舷に成功した霞は、“睦月”型駆逐艦の艦体に乗り移っていた。

 

曙に言われた通り、まずはこの寝坊娘を叩き起こす。護衛対象である彼女が動けば、孤軍奮闘する曙も海域から離脱できるはずだ。

 

―――こうしてられない。

 

艦体に乗り移るや否や、霞は艦橋に向けて走り出す。ラッタルの手すりを半ば強引に掴み、それを頼りにして急階段を一気に駆け上る。

 

“睦月”型の艦橋は羅針艦橋ではなく露天だ。上にはキャンバスが掛けられているだけで、時折駆け抜ける風すら感じられる。

 

その艦橋の中央、床の上に、この艦の主はいた。この緊迫した状況など露ほども知らない様子で、両手を枕にして、心地よさそうに眠っている。

 

鮮やかなピンクの髪。幼い顔立ち。肢体は細くしなやかだ。穏やかな寝息を立てる口元は、小さくすぼめられている。

 

ぶん殴って叩き起こしたい苛立ちを抑え、霞は大きく息を吸い込む。腹の底に力を溜め、声を限りに叫んだ。

 

「いい加減起きなさい、この寝坊助ええええええっ!!」

 

「うみゃあああああああっ!?」

 

突然の大声に、艦の主は慌てて飛び起きた。何が起こったのかわからない様子で辺りを見回している。

 

「い、一体何だったぴょん・・・?」

 

「こっちよこっち、こっち見なさい」

 

全くもって見当はずれの方向を見ている彼女を、霞は急かすようにして呼んだ。声の出所がわかったのか、彼女はまだ眠そうな目を擦りながら、霞に非難の視線を向ける。

 

「せっかく気持ちよく寝てたのに。起こすにしてももう少し優しく起こしてほしいぴょん」

 

「ああもう、どうでもいいわよそんなの!」

 

状況を全く理解していない彼女の言葉に、霞の苛立ちが募る。だがそれを彼女にぶつけたところで、何の解決にもならないことは、霞もよくわかっていた。

 

今、真っ先にやるべきことは、彼女に艤装との精神同調をやってもらい、この艦の機関を動かすことだ。機関を動かさなければ、現海域を離脱することも叶わない。

 

「ほら、起きて」

 

半ば強引に手を差し出し、彼女の体を起こしにかかる。若干文句を言いながらも、彼女は大人しく従って、立ち上がった。スカートを整え、霞の前にまっすぐ立つ。

 

「あたしは霞」

 

目の前の彼女に、霞は短く自己紹介をした。本当はこうしている時間も惜しいが、こればかりはそうもいかない。お互いの信頼関係に関わる。

 

霞の自己紹介を訊いた彼女は、その両目をジッと見つめていた。やがて納得したように、威勢よく頷いて口を開く。

 

「卯月でーす!うーちゃんって呼んでほしいぴょん!」

 

「卯月ね」

 

「うーちゃんって呼んでって言ったの、聞いてなかった!?」

 

「聞いてなかったわ」

 

「ひどいぴょん!あんまりだぴょん!」

 

卯月はそう言って盛大にいじけた。

 

「とにかく、あんたは艤装を着けて、さっさと精神同調に入って。離脱するわよ」

 

「?どういうことぴょん?」

 

霞は、後方の窓から見える“曙”と深海棲艦の戦闘を、おもむろに指し示す。赤々と上がる砲炎が、月光の海面を照らしている。その様子を見た卯月の表情が、明らかに怯えの色を帯びた。

 

「わかった?」

 

「り、了解ぴょん」

 

卯月が艤装に近づくのを確認して、霞も艦橋を後にしようとする。

 

「機関を動かしたら待機して。あたしがあんたを誘導する」

 

卯月はこくりと頷いて、艤装を背負った。すぐに、精神同調の準備に入る。

 

艦橋を出た霞は、入った時と同じように手馴れた勢いで、ラッタルを駆け下りる―――否、滑り下りる。手すりを巧みに使って飛ぶようにラッタルを降り、甲板に足を着いた霞は、その視界の隅で真っ赤な炎が上がるのを見た。

 

思わず、そちらをまじまじと見てしまった。炎の下、それまで俊敏な動きで敵弾をかわしていた“曙”が、炎を噴き出して動きを鈍らせている。

 

間違いない。“曙”は粘ったが、ついにその身に、敵弾を受けてしまったのだ。

 

―――急がなきゃ・・・!

 

奥歯を食い縛り、霞は自らの艦に乗り移る。妖精たちが強制接舷を解除して、“霞”と“卯月”の接合は解かれた。

 

“卯月”の機関が、その始動の唸りを上げた。新たな息吹を宿した機関が大気を震わせ、“霞”の艦橋を震わせる。これで準備は整った。

 

「卯月、聞いてる!?」

 

通信機のスイッチを入れ、霞はたった今初めて機関を動かした新艦娘を呼び出す。しばらく妙なノイズがあった後、先ほどと同じ元気一杯の声が聞こえてきた。

 

『ちゃんと聞こえてるぴょん!』

 

「了解。通信機はいつでも受信できる状態にしときなさい。あたしや司令官からの指示は、全部そこに入るから」

 

『わかったぴょん』

 

その返事を聞き届けてすぐに、見張りから“曙”の状況が報された。被弾は二。重巡の砲撃をまともに受けたらしく、炎上して速力も落ちているとのことだ。

 

「曙聞こえる!?こっちは寝坊娘が起きたから、あんたも早く離脱しなさい!」

 

強引に通信回線を開き、曙に向かって声の限り告げる。が、彼女から返答はなかった。スピーカーからは、ただただ虚しい雑音が聞こえるだけだ。

 

―――まさか、通信装置をやられた・・・!?

 

奥歯を噛みしめ、霞は唸った。これでは、あちらの詳しい状況を知ることもできない。

 

装甲の薄い駆逐艦だ。いくら艦娘との精神同調の強化によって、ブルーアイアンの強制活性化ができるとはいっても、そこには限度がある。そしてその限度は、それほど長くない。

 

霞は機関の圧力を上げる準備を始める。卯月に、単艦でこの場を離脱するよう、指示を出そうとした時だ。

 

『待たせたな霞!そこの新人連れて離脱しろ!』

 

スピーカーから、溌剌とした声が聞こえてきた。改めて確かめるまでもない、パラオ泊地所属の重巡洋艦娘、摩耶だ。彼女たちが、救援に駆けつけてくれたのだ。

 

「曙をお願い!」

 

『任せとけって!』

 

短く答えた後、“摩耶”の艦体が、高速で“霞”の横を掠めていく。その後ろには、“陽炎”と“満潮”も続いていた。全員が全員とも、たった一隻で奮闘し、損傷した曙を助けんがため、その全力を振り絞っている。

 

『霞』

 

そしてもう一人。韋駄天の如く駆けて行った摩耶の後を追うようにして現れた、超弩級戦艦。その艦橋にいるのであろう霞の指揮官が、静かな声で、彼女に呼びかける。

 

『よくやってくれた』

 

「・・・あたしは、」

 

あたしは、何もしていない。そう続けようとした霞の言葉は、榊原によって遮られた。

 

『摩耶も言った通り、後は任せてくれ。曙は、絶対に沈めさせない』

 

それ以上の言葉はなかった。だけど霞にはわかってしまった。

 

お前のせいじゃない。榊原のその言葉が、聞こえてきそうだった。

 

「・・・卯月を連れて、離脱するわ」

 

『頼んだ。彼女には、挨拶は後でゆっくり、と伝えておいてくれ』

 

「了解」

 

通信は切れた。その瞬間、全身から力が抜ける感覚が襲う。飛びそうになった意識を、霞は何とか繋ぎ止めた。そのまま艤装との精神同調を維持し、卯月に通信を開く。

 

「卯月。現海域を離脱するわ。あたしに着いて来て」

 

『了解ぴょん』

 

それを聞いて、霞は通信を切ろうとした。しかしその前に、卯月の言葉が続く。

 

『うーちゃんがいるから、大丈夫だぴょん!』

 

どこかわざとらしいほどに明るい声だった。能天気に見える彼女は、その実は周りの機微に敏感なのかもしれない。この世に顕現したばかりだというのに、あの短い通信から霞の気配を感じ取る。それは、並大抵のことではない。

 

―――あたしにも、そんなことができたら。

 

素直に他人を励ますことの苦手な霞は、少しだけ新人を見習ってみようかと思いながら、原速で海域を離脱し始めた。

 

 

“大和”と敵重巡の距離は、すでに二万を切っていた。先に突入した摩耶はすでに射撃を始めており、損傷した“曙”から目を逸らせようと、駆逐艦や二隻の重巡と撃ち合う。しかし、砲火力の不足は目に見えていた。“摩耶”の見張り員によれば、重巡の一隻はelite、もう一隻は未知の艦種ということで、この二隻と同時に撃ち合うのは、さすがの摩耶にも荷が重い。

 

二隻の駆逐艦を前に出してもいいが、彼女たちの砲力は小さく、かといって魚雷を使うのは、重巡二隻や駆逐艦が健在なうちはリスクが高かった。

 

そこで重要なのが、“大和”の砲撃支援だ。戦艦である“大和”をもってすれば、二隻の重巡相手でも十分に戦える。榊原はそう考えていた。

 

「弾着、今!」

 

大和が叫ぶ。これで五度目の砲撃だ。闇夜の先、月明かりに照らされる海面に、きらめく水柱が三本立ち上った。幻想的な光景に、思わず息を呑む。だが―――

 

「全弾遠!」

 

―――当たらない・・・!

 

声にならない唸りを上げる。

 

昼間、“大和”は二万五千の距離で、五回の観測射を行うことで命中弾を得ていた。だが、二万を切っていても、夜間はその五回で命中弾を得ることができなかった。

 

榊原と大和は、夜間戦闘の困難さを、身をもって感じていた。

 

「第六射、撃て!」

 

それでも、ここで止めるわけにはいかない。何としても命中弾を得て、“摩耶”たちを支援しなければならない。

 

“大和”よりも敵艦隊に近い位置では、“摩耶”がリ級eliteと思しき重巡と撃ち合っている。ほとんど互角だ。発砲遅延装置による散布界の縮小がある分、“摩耶”の方が若干押しているだろうか。

 

もう一隻、“大和”が相手取っている新形式のリ級は、砲撃を受けてもなお、発砲する様子はない。ただ静かに航行を続けている。まるで、この戦闘全体を見守っているかのように。

 

第六射が落下する。今度も全弾遠。精度は上がっているはずだが、焦れるような気配が隣の大和から伝わってきた。

 

「っ!敵艦隊転針!撤退していきます!」

 

「・・・やはり、か」

 

榊原は、半ばこの動きを予測していた。“摩耶”たちの救援が駆け付けた時点で、敵艦隊の戦闘には明らかに積極性が欠けていた。それは、今まさに先頭切って撤退していく新形式のリ級に顕著だった。

 

奴らの目的は群れからはぐれた子羊たちであり、大きな大人の羊が現れた時点で、その狩り自体を諦めていたのかもしれない。

 

「追撃はしない。“曙”の救援を優先」

 

榊原の決断に、どこからも異論は出ない。仰角をかけていた各艦の砲身が下げられ、這う這うの体で戦場を離脱後その行き足を止めていた“曙”の方へと向かっていく。

 

「大和、接舷できるか?」

 

「乗り移るおつもりですか!?」

 

「そうだ」

 

「わ、わかりません。難しいと思いますけど・・・やってみます」

 

大和は目を閉じ、精神同調を高める。全ての神経を、舵による操艦に集中しているらしかった。

 

“曙”の艦体が迫る。被弾した後部甲板が無残に引き裂かれ、真っ赤な炎と黒煙を噴き出している。その舷側に、ゆっくりとした動きで、“大和”の巨体が迫っていた。




トラック戦は終息に向かっていきますが、艦娘と深海棲艦を巡る謎の断片が、少しずつ集まり始めます

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